遅咲きオレンジロード   作:迷子走路

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『明確な一線』

 もう一度、時間の流れが早いと感じるようになったのはつい最近だと思う。

 記憶に残るかつての小学生時代は毎日があっという間に過ぎていった。

 ララさん達にビックリさせられ続ける非常識な日常は何だかんだいって、案外…楽しかったと思う。

 だから、その分だけリトがハーレムを創ってからは毎日が長くてたまらなく感じた。

 キリキリ、と。

 締め付けられるように苦しくて、息の詰まるような日々は今にしてみれば、楽しくも無い…何も無い時間だった。

 

 そんな日々から理由も無く、ワケも解らないまま解放されてから早1年。

 進級して私は4年生になった。

 それは同時に、予定通りならばタイムリミットまであと1年という事を示す。

 いろいろと不安な事もあったし、ボロが出ちゃいそうな時もあったけど、結構上手くいってる気がする。

 毎日リトにべたべた触っても不審がられることは無くなったし、一緒におフロに入る回数も増えた。

 ここ最近を振り返ると、別々の部屋で寝ることの方が少なくなった気がする。

 正直、大好きな人と一緒に過ごす日々がこんなにあっという間に過ぎていくなんて思いもしなかった。

 でも、不思議と全然辛くない。

 明日も、明後日も、また同じ日が訪れると思うと全然苦痛に感じない。

 こんな毎日をあの時のララさんや春菜さんやヤミさんは感じていたのかな?

 ううん、もしかしたら今の私の方がずっとずっと幸せかもしれない。

 

「だって、今は私しかいない」

 

 今は私だけがリトを独占できているんだから、きっと誰よりも今、私が一番なんじゃないかな?

 …それって何だか凄い幸せだ。

 兄と妹である以上、恋人同士なんて括りにはならないかもだけど、毎日がドキドキでいっぱいになる。

 こんな毎日を、昔の私は何故放棄していたんだろう。

 あると思っていた日常の輝きは失って初めて気付く…なんて、最近じゃいろんな物語や話に出てくる言葉だけど、本当にそのとおりだった。

 それに気付いたなら。それの大切さを知ったなら。

 もう、失うなんて事は考えられない。

 

「もう後悔したくない。リトの人生を縛る事になったとしても、今だけは」

 

 私の好きにしてもいいよね。あんなに我慢してきたんだから。

 

   ◆

 

(そろそろ…してもいいかな?)

 

 美柑は、授業中にそんな事を考えていた。

 教室の窓から外の風景をぼんやりと眺めている美柑は奇妙な色気がある。

 色を覚え始める時期となった男子生徒達にはその光景をチラチラと横目で見る者も少なくは無かった。

 ただでさえ、この1年で艶っぽくなったと男子の間では評判の美柑。

 もとから容姿端麗で運動も勉強も出来る高嶺の花として、当時の美柑は噂されていた。

 が、中身が既に女性として成長しきっている現在。

 未だ幼いと呼べる年齢の彼女だが、もう当時よりも多くの男子を虜にしている事に本人は気付いていない。

 進級してからは、毎日のように告白やラブレターを受け取る事が続いた。

 とはいえ、美柑が首を縦に振る事は今も昔も変わらずに、ない。

 

 以前はなんとなく。

 ぼんやりと、そんな光景が浮かばないから断ってきた。

 心に決めた人間がいるわけでもないのに、と。その時の美柑はそう思っていた。

 しかし今では、好きな人がいる事に気づいてしまった。

 それが決して結ばれない、報われない恋だったとしても…彼女は諦めない。

 何年も、何年も。

 決して手放さずに、熱く熱く閉じ込めてきた想いだったから。

 

(もうたっぷり楽しんだし、そろそろ段階を上げていかないと…ララさんが来るまで時間が無いしなぁ)

 

 ふぅ、と溜息がこぼれる。

 周囲の生徒は男女問わずに心臓が高鳴るのを感じた。

 今、彼女は何を思ったのだろうという興味が尽きない。

 当の本人はそんな事も全く歯牙にかけずに思考の海へ頭を預けていた。

 

 今日は、今日こそは。と美柑は考える。

 議題は勿論、リトとの事だった。

 最近は…いやもっと前から常々考えていた事を実行に移すかどうかを考え続けている。

 しかし、なかなかそれを実行に移す事が出来ないでいた。

 今までの行動は多少やりすぎと思えても、兄妹のスキンシップの延長と取れなくも無い事を選んできた。

 手を握るのも、腕を組むのも。

 抱きつくのも、膝枕をするのも。

 一緒に入浴するのも、同じベッドで寝るのも。

 スキンシップと思えばこそと、美柑は思い切って行動にする事ができたのだ。

 

 が、今度の計画は違う。

 物事には超えてはいけない一線と言うのが存在するが、これはグレーだと理解していた。

 

 リトと、キスがしたい。

 

 する。ではなく、したい。

 それが彼女の中では計画と本音が混ざっている事に本人はきっと理解できていない。

 彼女には、そんな経験が全くなかったのだから。

 

   ◆

 

 どうしよう。どうしよう。

 最近、同じ事しか考えていない気がする。

 リトとご飯を食べる時も、リトの唇を見てしまう。

 一緒におフロに入っていても、熱気でいつもと違う様に見えるソレを思わず凝視してしまう。

 夜寝るときも、何度もこっそり奪ってしまいそうになった。

 そのせいでリトに変な目で見られてしまい、妙にギクシャクした日が続いた時もあった。

 そろそろどうにかしないといけない。

 その一線を踏むか、諦めるか。

 でも、もし今以上にギクシャクしてしまったら? それからもう…元に戻れなかったら?

 それだけは嫌だ。

 そんな地獄、考えたくも無い。

 なら、いっそしない方が平和なのかもしれない。

 そう、しなければ…今のようにリトとちょっと仲の良すぎるくらいの兄と妹の関係でいられるかもしれない。

 そう思うとそれもアリかもしれないと思った。

 

 いつまで?

 

 ゾワっと寒気がする。

 そう、これが無ければ、諦める事が出来るのに。

 毎日毎日、同じ事を繰り返している気がする。

 なのに、答えは全く出てこない。

 もし、ララさんが来たら…全てが始まってしまう。

 そうならないようにしなければならないと解っているのに…こんなのどうやって選べばいいんだろう?

 

 リトを独占していきたいという気持ちと、ララさん達をなかった事にしたくない気持ち。

 

 リトは離したくない。やっとその事に気付けた。

 もっと一緒にいたい。ずっと一緒にいたい。ララさん達に渡したくなんて無い。

 …でも、ララさん達はもう、家族だ。

 できる事なら、もう一度仲良くやっていけたらって思う時がある。

 

「優柔不断だ、私。リトのこと…言えないよ」

 

 どっちかを選ぶなら、私はリトを選ぶ。

 こんな事なら、せめてララさんが来てからの頃に戻りたかった。

 それならこんなに悩む事はなかったのに。

 おもいっきりリトに甘えながら、変な顔されるかも知れないけど…それでも皆と一緒に過ごせたかもしれない。

 でも、もう今は選べない。リトしか、選べない。

 正直、限界だったのかもしれない。

 皆とキスしているリトを何度か見ちゃった時、何度も私もしたいって思った。

 

 ララさんはとても幸せそうに短いキスを何度もしていた。

 餌を欲しがる小鳥みたいに何度もやって、満足したときの笑顔は素敵だった。

 春菜さんは長いキスを一回だけやっていた。

 息を止めて、終わりまでずっとキスして。顔を真っ赤にして俯く姿はリトじゃなくても好きになると思う。

 古手川さんは結構大胆なキスをしてた。

 舌…とかはよくわからないけど、見ててこっちが熱くなるようなキス。正直、羨ましかった。

 あとは、ヤミさん。

 最初はほっぺにしかしてなかったのに、最後の方はちゃんと口にしていた。

 その後に、上気した顔で二度目のキスをしそうになったあたりで私は逃げた。

 親友と、大好きな人のキスが一番辛かった気がする。

 私はもう一度ヤミさんと親友になれるのかな?

 

 私もリトと………うわぁ、うわぁ!

 出来たらいい。というか、したい。

 出来たらどんなに幸せだろう。きっと物凄い幸せになって、喜んじゃうだろうなぁ。

 きっと、この為に戻ってきたんだって思って、そのまま幸せで死んじゃいそうなくらいやってみたい。

 この一線を超えたら…もう引き返せないかも。

 全部振り切って、リトの為だけに生きて、リトだけの女になる。

 なかなかの甘美な響きに思わず悶えそうになる。

 

「ゆ、結城さん? 具合が悪いなら保健室に行っても良いんですよ?」

「ハッ…え? あ、大丈夫です!」

 

 気付けば教室中の視線が私に向かっていた。

 失敗した…すっごい恥ずかしい。

 とにかく、早く決断しないと…いろいろ危うくなりそうだ。

 

「とにかく今は授業、授業…」

 

 今更、小学生の授業なんて振り返る必要も無いけど。

 でも今だけは何か別のものに集中でもしないと多分、また失敗してしまいそうな気がした。

 

――――――

 

 結局、ボロを出さないように集中したら、結論なんて出るわけなかった。

 気付けば放課後。

 部活に向かうクラスメイトに、そのまま帰宅するクラスメイト。

 ちらほらと何人かが教室を出た後に私も帰ろうと教室を出た。

 げんなりしそうな気分のまま帰路に付こうとした時、後から声をかけられる。

 

「ゆ、結城さん! あのっ…手紙読んでいただけましたかッ!?」

 

 相手は見覚えの無い男子だったけど、その発言からいつもの光景だと判断した。

 手紙…あ、なんか靴箱に入ってたやつか。

 たしか、全部ランドセルに押し込んだような気がするけど、リトのことばっかり考えてたからあんまり覚えてない。

 もしかしたら今、背中で教科書の下敷きになってぐしゃぐしゃになってるかも。

 でも、毎日こんな感じだと罪悪感とか無くなってくるんだよね。

 正直、うざったいと思う。

 前に同じことをした生徒なら尚の事だ。

 今日は違うみたいだけど、一度断ったのに何度も来られても迷惑だよ。

 昔の私ってよく耐えてたなぁ…ほんと。

 

「あ、あの…?」

「え、あぁ…え~と、ごめんなさい。私、好きな人いるから」

 

 このときの私はよほど疲れていたんだと思う。

 思わず出てきた本音の返事をぽろっと言ってしまった。

 というか、今まで何で言わなかったのか不思議なくらい、こうもあっさりと言ってしまった事が自分でも意外だと思う。

 ただ、ごめんなさいって断るだけでみんな去っていった。

 中には食い下がる男子もいたけど、それだって断ってきた。

 だって好きな人が『自分の兄』だと世間に公表するようで言う気になれないんだもん。

 別にダメって訳でもないけど、何だか言いふらす気にもならなかったから。

 だから、目の前の男子はすっごい驚いている。

 

「え、ええええええええ!!??」

「わっ!?」

 

 思わず耳を塞ぎそうなくらい大きな声に一歩後ずさってからこの時の私は失言に気付く。

 ちらりと名も知らない男子生徒を見ると、彼は生気が抜けたような顔でその場に立ったまま動かなくなった。

 なんか悪い事しちゃったかも。

 …でも、今はそんな事より帰って落ち着きたい。

 私は男子に謝ると、何か起こる前にその場を後にすることにした。

 

 この告白の一件から私に好きな人がいるという噂が流れ出し、次の日から更に面倒な日々が続く事になるなんて思わなかったけど。

 

――――――

 

 私が帰宅した時、リトは既に家にいた。

 机に向かって唸りながら教科書に目を通しているけど、いまいち理解できない問題に詰まっているみたい。

 リトも中学三年生。受験生として勉強に熱心になる時期だもんね。

 仕方ない、なんかおやつでも持っていってやるかな。

 落ち着く時間が無いならと、気分転換に好感度アップしてやろう。

 

「どんどん打算的に行動するのが抵抗無くなってくのも何か嫌だなぁ」

 

 因みに一度だけ思い切ってリトの勉強を妨害するくらい、べたべたに甘えてやる事を考えた事がある。

 もしリトが彩南高校に通えなかったら春菜さんや古手川さんと会う機会が減る。

 そんな黒い考えが過ぎったけど、流石にそこまでやるのは可哀想だし、リトが必要以上におバカな頭になっても何だか嬉しくない。

 一瞬。そう、一瞬だけ考えた案は却下した。

 今の時期だと春菜さんっていう不安要素はあるけど…これはどうにかするしかない。

 とにかく、リトを私に首ったけに出来れば、いいんだけど。

 

「とりあえずは、受験勉強する兄を『献身的に世話する妹』でないとね」

 

 リトの世話は全然苦にならない。

 いっそ、一から十まで全部世話しても……流石にどうだろ?

 悩んでる時点でノーではないのが自分でも少し怖くなったので考えるのをやめる事にした。

 さて、準備を終わらせてリトの部屋に立つ。

 中では頭を抱えながら苦しむリトがいるだろう。

 別の意味で私も頭を抱えながら苦しんだ。

 でも、決めた。

 今日はいけると信じて、グダグダと悩む日々に終止符を打つ為の一歩を踏み出す。

 

「今日、私は一線を超えてみせる!」

 

 そう言ってから、何だかいかがわしくも聞こえる台詞に「キスだから、キスだから」と念押しするように訂正した。

 私は今日も、しまらない。


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