遅咲きオレンジロード   作:迷子走路

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『より深く』

 地球の冬という季節は寒いと聞いていましたが、この程度なら大丈夫そうですね。

 今までに体験してきた寒冷な気候の星に比べたら、わざわざ動き難い服を着込む必要は感じない。

 そのままいつもの戦闘服で私はこの星の地を歩く。

 しかし、いざ目的の場所へ向かっていると、進む足の歩幅が変わっている事に気付く。それは結城リト達の家に辿り着くまであと半分というぐらいの距離になってからだった。

 誰かに好意的に接してもらった記憶なんて数えるほどの経験しか無い。

 らしくない。

 この程度で動揺しているなんて、自分でも信じられなかった。

 だけど、実際にこの足は私の胸中を表に出すようにコントロールが効かない。

 まるで何かを期待するように足早になり、かと思えば不安を表すように進む速度は遅くなった。

 頭を整理する様に立ち止まって考える。幸い、今ならばまだ時間はあった。

 この時間なら、まだあの二人は家にいない可能性はある。ちらほらと黒と赤の鞄を背負った男女の姿を見ながら深く息を吸うと、冷たい空気が私の身体をほんの少しだけ冷静にさせた。

 悩む必要は無い。今日は結城リトがどんな人間であるか確認しに行くだけ。

 ただそれだけのこと。

 結城美柑のことはこの際、深く考える必要は無い。彼女が異常なまでに兄を慕っていることは既にリサーチしている。それに…

 

「深く関わると危険な気がします…」

 

 別に彼女の事を嫌っているワケではない。むしろ、最近の事を思えばどちらかというと……好ましくは、ある…ような気はします。

 あんな会話で何故こう思えるのかは自分でも解りませんが、不本意ながら潜在的に相性が良いのかもしれない。

 話しやすい。落ち着く。安心する。

 コレまでの生き方で人間関係を意識した事なんてほとんど無かった。せいぜいが依頼主との事務的な関係ぐらいだろう。

 だから、私には理解できない事が多すぎる。

 だから、知りたい。

 不要と思っていた感情の価値を。意味を。理由を。きっと彼らは教えてくれる…そんな気がする。

 身体を回る冷たい空気が熱となって口から零れた。

 

「そろそろ、行きましょうか」

 

 白い息を吐き出しながら目を閉じる。

 問題ない寒さではあるが、もう少し温かい方が好ましい。その季節が訪れるにはまだ早いと肌で感じながら、私は再び歩み出した。

 

      ◆

 

「いらっしゃいヤミさん! 待ってたよ!」

「へぇ~あなたがヤミちゃんか~。話で聞いてたよりずっとかわいい女の子だねっ」

 

 ヤミが事前に教えられていた結城家へ辿り着くと、既に家の外で待機していた美柑とララが彼女の出迎えの準備をしていた。

 その事に先程まで色々な事を考えていたヤミは改めて現実を直視する。

 今はまだ感情の起伏を表情に出すのに乏しい彼女はこの事に内心では驚きつつも、それを表には出さなかった。

 ララはそんな反応に「あれ、ドッキリ失敗?」という表情になるが、美柑は気にした様子も無くヤミを家の中へ迎え入れる為に彼女の背中を軽く押した。

 

「結城美柑、そんなに急がずとも…」

「あ、ゴメンね。嬉しくてつい…あと美柑で良いって!」

「あはは、美柑ってば昨日からずっとそわそわしてたもんね~。いつもよりリトがいっぱい美柑のお世話してたぐらいだし」

 

 その暴露が気恥ずかしかったのか、美柑は慌ててララの口を手で塞ぐ。

 だが、悪びれる様子もない彼女を見てそっぽを向いたかと思うと「いいから中に入ろ!」とだけ言い残して玄関へ去っていってしまった。

 結果、取り残されたヤミはとりあえずこれ以上寒気を堪え忍ぶ必要も無いと感じたララの手に引かれて、初めての結城家へ足を踏み入れる。

 玄関で愛用しているブーツを脱ぎながら、先程の会話に意識を傾けてみる。すると、家の中でも兄妹は仲睦まじく暮らしているのだと、そんな光景がヤミにはありありと浮かんでいた。

 昔から本を読んで知識を取り込むことを好んだ彼女はそこから得た情報でその様子を想像する。

 

―普段から家事をする妹は今日に限っては、らしくもなく失敗を繰り返す―

―そんな様子を兄は心配し、彼女の尻拭いをすべく慣れない作業に苦戦を強いられるが、それでも表情には出さない―

―その事に妹は気付きつつも、自分の為に必死になる兄に嬉しさと喜びを感じながら黙って状況を受け入れる―

―やがては調子を取り戻した妹は兄に感謝の意を表し、いつにもまして心を込めた手料理を振舞った―

 

(こんな感じでしょうか? いえ、彼女の事です。ひょっとしたらもっと…)

 

―それからはまるで子猫のように(じゃ)れ付く妹の姿があった―

―熱に浮かされる様に、あるいは酒に酔っている様に、頬を染めながら甘える妹に兄は柔らかな笑みを浮かべて彼女の行為を受け入れる―

―その事に気を良くした彼女は、向き合うように体勢を変え、兄の胸板に自身の香を擦り付けていく―

―ふと、妹が顔を見上げるとそこには自身が最も慕う人の瞳が、自分だけを見つめていた―

―まるで吸い寄せられる様に、いっそ必然であるかの様に互いの唇は吸い寄せられ…―

 

(……って、違っ!? これじゃあまるで兄妹ではなく…いえ、そもそもなんでこんな想像を…あぁ、昨日間違えて仕入れて読んだ本のせいです。そうです。こんな事を普段から考えてるはずないんですから私は!)

 

 突然、ぶんぶんと頭を振るう奇行にびくりとするララはヤミが無理をしているのではないかと不安になるが、向こうからすれば口には出したくないデリケートな事情があるのでなんとか大丈夫だ、平気だと言い聞かせるしかない。

 

「心配しなくても大丈夫ですプリンセス。私は至って普通です。問題などあるはずがありません」

「そ、そう? ならいいんだけど…何かあったらエンリョしないで私に言っていいからね?」

「感謝します…さ、行きましょう」

 

 もしかしたら変わった子なのかもとは内心思いつつも、本人が大丈夫だという以上は深く考える事もないと判断し、ララも気持ちを切り替えた。

 もともと彼女は大らかで、少し悪く言うと大雑把な一面がある。

 一度問題ない、気にしないと判断すればそれ以上は追及しない。それが彼女の美徳でもあった。だからそれからのララはついさっきの事を何も思わなくなる。

 失敗したと悩むヤミの苦悩が無駄な心配だという事を、当の本人が知るにはまだまだ時間が足りていないらしい。

 

――――――

 

「お、いらっしゃい。お茶でも飲むか?」

「…お邪魔します、結城リト。いえ、お構いなく…」

 

 居間では、彼女にとって今日の目的であり、かつての標的が寛いでいた。

 ヤミはその姿に思わず訝しげな態度を取ってしまう。

 目の前には以前に命を狙った殺し屋が居るというのに、この男は本当に警戒すらしないのかと。

 しかし、それは仕方のない事。闇の中に生きた彼女からすれば…いや、普通ならばやはり異常なのはリトの方なのかもしれない。

 思わずお茶を拒否したのも、いつ狙われるかも分からない暮らしをしていたヤミからすれば当たり前の事だ。

 当然リトにそんな敵意がない事は既に彼女も理解している。だからこそ、こうして本来なら()()である結城家にだって訪れる気になったのだ。少しでも警戒されていれば、ヤミは今日の様に呼ばれても拒否しただろう。

 

「ヤミさん今日は泊まってくんだよね? ご飯の準備は大体終わらせちゃってるんだけど…どうする? 先におフロからでも良いよ」

「私が決めても良いんですか? えと、それでは先に入浴がしたいです」

 

 危険は無いだろうと判断しても本来のヤミだったら泊まりがけのお泊りはしなかったかもしれない。

 しかし今回は結城リトという人物を知るのが目的だった為、ある程度の覚悟をしてきていた。かつての様な美柑との関係もなく、理性的な彼女が了承したのも全ては偶然、事が上手く運んだから。

 二人が電車から彼女を守り。かつ、意思を変えるほどに興味をもたれた事。そして最も重要なのが、リトがハレンチなトラブルを起こさないこと。

 全てが偶々。だが、その手繰り寄せた様に細い偶然を美柑が起こせたのは一つの奇跡なのかもしれない。

 

「うん、それじゃヤミさん先に入ってきていいよ。私たちは料理並べとくから」

「いえ、そこまで気を使わなくても…あなた達の家なのですから、先に入ってください」

 

 美柑が入浴している間に結城リトと接触をするのがヤミの目的だった。

 できればララと一緒に行ってくれれば更に好都合なのだと思うが、別にそこは庭にでも呼び出せば二人きりになるなど簡単な事。

 しかし、この目論見は数秒で破綻してしまう。

 

「ん~、そう? じゃ私たちが先に入ろっか」

 

 そう言うと、美柑は可愛らしいエプロンを脱ぐと座っているリトの下へ駆け寄り、手を握る。

 すると、リトも抵抗無くそれを受け入れて立ち上がり、彼女に引っ張られながら一歩二歩と歩き始める。

 あまりにも自然なその光景にヤミは一瞬疑問符を浮かべて首を傾げた。

 

「…?」

 

 自然なのもある意味当然だった。

 ララが止めないのも、流れるような動作も全ていつもの結城家の()()()()なのだから。

 違和感に気付いたヤミは「待った」をかける。これもまた当然の事だった。

 

「ちょっと待ってください。あなた達はどうして二人で行こうとするんですか?」

「え、なんでって…これから一緒におフロだからだけど…?」

「おかしいでしょう! 兄妹とはいえ男女で入浴なんて!」

 

 無表情の仮面はあっさり剥がれ落ちる。

 そうなると本来の彼女があまりにもおかしな現実に声を上げて反論するのだが…残念ながら、ここはやはり彼女にとっては()()であった。

 兄妹も、そして第三者であるララさえも、ヤミのように良識な判断を出来る人間はこの場にはいないのだから。

 

「変かな?」

「さ、さぁ? オレはもう慣れっこだったからあんまり考えないようにしてたけど…」

「私が来たときからいつもそうだったよね~。なんかおかしい事かなぁ」

 

 絶句。

 ヤミはここにまともな人間がいない事を悟り、頭を抱える。

 仲が良いのは理解していても、まさか一緒に裸の付き合いまでしているとは夢にも思っていなかった。これではさっきの妄想までがどこまで現実かすら危うくなるレベルの仲の良さである。

 兄妹で仲が良いのは構わない。けどこれは違う。もはや兄妹で一線を越える勢いだ。

 そう思ったヤミはコレを良しとしない。『えっちぃ』を苦手とする彼女だからこそ最初に気付けた結城家の知られざる闇に足を踏み入れる。

 

「変に決まってます! どう考えても…その…兄妹という枠を無視しすぎというか、これではまるで男女の…とにかく、えっちぃのは嫌いです!」

「ヤミさん」

 

 この声にヤミは一瞬だけ息が詰まった。

 コレをつい最近知ったばかりの彼女は身構える。結城リトが死ねば、いっそ自分も殺して欲しいと言った時の様な不穏な空気にさっきまでの威勢が一気に萎んでいった。

 

()()(ウチ)では普通の事なの。私とリトは一緒におフロに入って、一緒に洗いっこするのが日常だから。別にやましい事はないし、えっちぃ事なんて何も無いよ?」

「…い、いえ、ですが。二人とも年頃の男女です、し。やっぱりこんなの…」

「間違いなんてないよ。別に間違いなんて…」

 

 そこから先は美柑は黙って何もいわない。

 彼女が何を言おうとしたのか正しく理解できたのはこの場にはいなかった。

 いや、ヤミは半分理解していたのかもしれない。

 

『間違いなんて…起きない』か『間違いなんて…起きても構わない』

 

 そのどちらかを彼女は少し『そっち』な本から情報を得ていた。

 どちらが正解なのか、もしくはどちらもハズレか。答え合わせの時間は決して訪れない。が、ヤミはならばと次の一手を考える。

 やはりこんなのは良くない。それはもう、何とか止めねばと必死になる。

 

「とにかく! こんなのはダメです! そうでなければプリンセスか私と入れば良いでしょう!?」

「む…だって、リトと一緒がいいし。あ、そうだ節約にもなるんだよ?」

「それだったら私かヤミちゃんでも良いような…?」

 

 キッと睨みつける美柑にララは思わず黙ってしまう。

 昔と違って、今では完全に上下関係は決まってしまっているようだった。

 

「はぁ~…じゃあ誰が一緒ならヤミさんは許してくれるの?」

「え? それは勿論…」

 

 ヤミは考えた。誰が入るのが正解なのか。

 ヤミはリトと二人で会話したいので、出来れば美柑と一緒に入るよりも時間をずらしておきたいと考える。ならば、『美柑とリト』『リトとララ』『自分と美柑』はダメである。

 じゃあいっそ……とそこまで考えて顔を赤くして思考を止めた。

 

(ななな何を考えて…!? 私と結城リトが入るなんて絶対にありえません!!)

 

 思った事が顔に出る前に心を落ち着かせてヤミは気持ちを切り替える。そうなるとやはり、ここはララと美柑が入るのが妥当だろう。

 コレならば何も問題は無い。健全で一番普通の選択だといえる。

 

「プリンセスとあなたでいいじゃありませんか…」

「まぁそうなるよね…仕方ないか。今日は我慢するよ」

「あの、美柑? さすがにそれは私でもちょっと傷つくよ?」

 

 そんな事を呟くララを引っ張って美柑は廊下の方へ去っていった。

 こうまでされても数分後には仲良く風呂場で明るい声が聞こえてくるのだから、彼女はララに対する飴とムチを心得ているのかもしれない。

 今では完全に手懐けられたペットのように尻尾を振るララをたまに幻視してしまうと後に二人を傍で見てきたリトは語る。

 

「結城リト…あなたはいつもこうなのですか?」

「う。いや…さ。変かな~とは思ってたんだけど。でもあまりにも美柑が当然みたいに言うからさ。そうなのかな~って」

「そんなワケ無いでしょう…はぁ」

 

 結城リトは流されやすい人間なのかもしれないとヤミはこの時評価した。

 実際そのとおりで、ラッキースケベが出ないこの世界においてもそれは変わらない。

 決定的に違うのは、その頃以上に『妹思い』という一面が強く出た事だろう。この事が明らかに、美柑すら気付いていない事態に事が進んでいる要因となっていた。

 それを今、この世界で唯一ヤミだけは知る事になる。

 美柑には。いや、美柑だからこそ言えない思いをリトは吐き出した。

 

「その、悪かったなヤミ。せっかく来てくれたのにさ……あの、オレの事は嫌ってくれていいんだけど…」

「それは暗に、結城美柑は嫌うなという事ですか?」

「うん、ごめん。あいつはあれで出来た妹なんだけどな…どうもオレなんかに懐き過ぎっていうか。自慢の妹なんだけどなぁ」

「……結城リトは、このままでいいのですか? 遅かれ早かれ、いろいろ問題だって」

 

 瞬間、ヤミは口を閉ざす。

 見上げた先にあったリトの表情を見て、彼の言葉を遮るべきではないと判断したのだ。

 

「本当は、ただこうしていたかっただけなのかも知れない。上手くいえないけど…自分が必要とされるって嬉しくて…だから今まで目を瞑ってきたんだ」

「…」

「兄妹だから…いや、たった一人の兄妹だからこそ。いつまでも仲良く生きていきたい。ワガママだよな? まだあっちは小学生だってのに…いつかはオレから離れて好きな男子が出来て…離れて行くかもしれない。だからさ、今だけは許してくれないかな」

「…なぜ、私に聞くのですか?」

「美柑が友達だって紹介してくれたのがヤミが初めてだったから。だから言いたかったのかも…ほんとにごめん。でも美柑にその気が無いのは理解してるし、オレだって妹に手を出すつもりなんてない。そこは信じてくれ。こんな身勝手なお願いって解ってるんだけど…これからもアイツの友達でいてくれないか?」

 

 ヤミは黙った。目の前の人間が真実を語っているのか、嘘をついているのか。それを確認する為に。

 やがて彼女は息を吐く。シロ、だと判断した故に。

 この兄妹は互いに想い合い、すれ違っている。

 どんなに美柑が想っているのかをリトは気付いていない。

 どんなにリトが想っているのかを美柑は全く知らない。

 とんだ兄妹に近づいてしまったとヤミは悟る。しかし、不思議と不快ではない。

 頭を抱えるような悩みではあるかもしれないが、この事で心を苦しめるほど今のヤミは二人との時間が深くはなかったのだから。

 …もしも彼女が名前で『美柑』と呼ぶような関係だったなら。リトに「えっちぃのは嫌い」と言いながらも許せてしまうような関わりが既にあったなら。

 ヤミはもっと苦しんだかもしれない。

 全ては偶然。順序が逆転しただけの事。これより少し先の未来で彼女は結城美柑を『美柑』と呼ぶ様になる。

 そして、リトのことを少なからず、徐々に好意を抱くようになっていく。

 『何かを得て知る事』と『知った上で何かを得る事』はイコールではない。

 結果として、最も傷の浅い形で三人の関係は構築される事に繋がった。

 

(少し違う…気もしますが、これも『家族』なのかなティア……昔の私たちとはぜんぜん別物だけど、でも)

 

 ヤミは背を向ける。こんな気持ちは初めてだと感じながら、自分にもそんな誰かが欲しかったのかもしれないと気付いてしまった。

 複雑な思いを胸に秘めた彼女の言葉はリトにとっては望むべき優しい返事。

 

(可笑しいよね、こんな私が…二人の事を羨ましいなって、思っちゃうなんて)

 

「私は何も聞いていません…ただ、私の友人に誘われて今日は泊まりに来ただけですよ」

 

 きっと、この世界で誰も聞いた事の無い様な彼女の優しい声色で兄妹は許された。

 

      ◆

 

 この家はあたたかい。

 結城リトも、結城美柑も、プリンセスも私なんかを歓迎してくれる。

 結城美柑の作った料理を食べ終わった後に、プリンセスと彼女はどちらが私と同じ部屋で寝るかでもめていた。

 結局私は結城美柑の部屋で寝る事になったのですが…その際に結城リトも一緒が良いと言ってきかない彼女と、再び一悶着あるなんて思っても見ませんでしたけどね。

 何とか説得に成功し、今はこうやって彼女の部屋でのんびりとしている。

 因みにこの部屋の主はといえば、疲れてしまったのか自身のベッドで小さな寝息を立てていた。本当に今日はこの友人に振り回されてばかりだったと苦笑してしまう。

 …ちょうどいいです。今日の出来事を整理するには良いタイミングかもしれない。

 彼女のベッドに腰を下ろし、天井を見上げる。

 今日一番の目的である結城リトの観察は上手くいったと言っていいだろう。

 同時に、彼が極悪人ではないという事が知れて本当に良かった。

 彼を殺す必要は今は感じない。きっとこれからもそう。

 このまま結城美柑と共に…歩んでいくのかもしれません。

 あの後は彼が外に根付いているあの植物に水をあげるのだと言いながら、私の事も誘ってきた。

 どうせ暇だったので深く考えずに付いていくと、日が落ちていっそう寒くなった空気が顔にかかり、髪を揺らした。

 彼の水遣りを観察をしていると、何故か、一緒にやってみないかと誘われる。何か勘違いされたのでしょうか。

 誰があげても同じ水なのだから一緒…だと思ってましたが、あの植物には意思があるようです。言われるとおりに水をあげると、声を上げ、何処と無く嬉しそうに植…ではなく、セリーヌは揺れた。

 草木に関しては全くの素人である私から見ても、セリーヌという花は立派な見た目をしていると感じた。よほど大事にされているのだろう。

 ある程度時間が経ったあたりで結城リトは屈んでいる私に対し、右手を差し伸べて言ってきた。

 

『そろそろ美柑とララも風呂から戻ってくる頃だし家ん中に入るか? 手、ほら』

『そうですね……あ』

 

 反射的に出された右手を掴もうと私も手をのばそうとして…止まった。

 彼は一応男性で、私には異性の手を握った事等無かった事に気付いてしまう。

 殆ど手を差し出して固まる私を見て、彼は首を傾げるが、やがて強引に私の手を握ってきた。

 本来なら自衛行為として攻撃されてもおかしくないその動作と間合いに私の身体は一瞬反応してしまう。それを何とか押し殺して堪えると、右手に伝わる結城リトの体温がやけに温かく感じられた。

 意識して人肌に触れたのはいつ以来だろう。意味も無く胸も熱くなって妙に緊張してしまう。

 立ち上がった私を見て彼の手は離れていく。

 その後姿と自分の右手を交互に見ながら思ってしまった。

 

 私と結城リトの関係はいったい何なんでしょうか?

 

 あの依頼を保留してしまえば残るのは何だろう。

 元標的? 友人の兄? それとも……

 

『あ、あの』

『ん? どした、ヤミ?』

 

 声は続かない。私にはそんな勇気はない。

 そんな私の事が彼の目にはどう映ったか分かりません。でも、穏やかな表情で言ってくれる。それは今は違うけど、きっと望むべき一つの回答。

 

『あんなにはしゃいだ美柑を見たのって久しぶりだったよ、きっとヤミのおかげだな。またいつでも遊びに来てくれよ、歓迎するから』

 

 その言葉にすら私は言葉を返せない。

 きっと嬉しいのに。自分だってそうしたいはずなのに。

 前に言っていた結城美柑の言葉を思い出す。

 

 一度リトに甘えちゃうと癖になっちゃうんだよね。ホント、自分の兄ながらずるいと思うよ

 

 はにかむ様な笑みの彼女の言葉を私は感じ取った。

 本当だ。彼の優しさは少し、怖い。

 今までの私を根本から変えられてしまうような、一種の恐怖。

 でも、イヤじゃない。もっとされたい。感じたい。

 けれどダメだ。私が彼にしようとした事実は決して消えない。

 結局言葉を交わせずに私は………

 

「これから、どうしよう」

 

 外はまだ日が昇るには早い。

 でも、帰ろう。私の居るべき場所へ。ここはとても眩しいから。

 隣で眠っている結城美柑に触れる。顔にかかった髪の毛を指で払いのけると、くすぐったそうに彼女は表情を緩ませた。

 本当に…この星は、この兄妹は私にとって大きすぎるかもしれない。

 

「すみません、また来ますね……美柑」

 

 初めての呼び方に慣れない感情が渦巻きながら私は立ち上がった。

 今度はもっと素直になる努力をしようと決意を固めて。


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