『再会の時』
デビルーク星の王宮を裏口から出て徒歩十分程の距離に私達の家はある。
私達、というのは当然リトのハーレムの全員を指す。
セフィさんやララさんのお父さんの計らいで、昔の使用人さんが暮らしていた場所を貰っちゃったワケだけど…広さも部屋の数も十分過ぎるくらいあった。
まるでホテルの様な家を、使ってないからという理由でくれちゃうあたりに王様ってスゴいと思ってしまう。
…まぁ、この措置には、変なウワサやリトの評判をやたらに下げない為という理由もあるらしいんだけど。
王様になれば愛人くらい囲っていてもとやかく言われる事はないみたい。でも、今のリトはあくまでも
それなのに結婚すらしてない身分で、いきなり大勢の女のコ達を侍らせていたら、印象が悪くなっても文句なんて言えるはずがない。
だから、とりあえずの対応として王宮の近くにある場所でならば、結婚までの間はある程度好きに暮らしていても良いというのが二人の考えみたい。
なんで近くなのか。という理由は、私達が少しでもデビルーク星の環境に慣れるためという事。それと、万が一の事態が起きても早急に問題を解決させる為。
リトの教育に近くの住居が良いのは勿論なんだけど、それはララさんの発明品で移動時間はどうにでもなる。でも、慣れや人間関係というのは離れていて培われるものではない。
モモさんの言う『ハーレム』というのは、全員が平等に幸せの立場を得る為のステージ。
誰が一番という事ではなく、皆が一番。
たとえララさんが立場上、第一夫人としていなければならないとはいえ、ソレはソレ。リトは全員に変わらぬ愛情を誓い、私達はリトを困らせる事をせずに支える事を生きがいに。
一番を名乗り、調和や規律を乱すことは
モモさんの根回しで全員の合意は得られているから、その辺りの手腕は素直に認めざるを得ない。
とにかく、最終的にララさんやナナさんとモモさんだけが王宮に顔を出すというのはその契約に違反する事になる。よって、その事を考慮したセフィさんが少しでも周りの環境にとけ込めるようにしてくれたのだ。
王宮の人達は順序さえ守れば基本的に怒るような人はいないとの事。
だって、目の前で終始イチャつかれる姿を見たらそれはウンザリするだろう。だからこその気遣いに私達は感謝した。
――――――
「あ…美柑っ! あの、話があるんですけど」
「ヤミさん? ちょっと待って、もう少しで掃除終わっちゃうから」
「でしたら私も…手伝います」
ある日のこと、真剣な顔をしたヤミさんに呼び止められたのを私は覚えている。
ハーレムだなんだといってキゲンが悪かったりもしたけど、なってしまったものはしょうがないと受け入れつつあったぐらいの時だったと思う。
ヤミさんはたまに家に訪れては一緒にご飯を食べたり、おフロに入ったりして半分家族の様な存在になっていた。
そんなヤミさんと私は変わらずに親友だったし、泊まる時には同じベッドでお互いの愚痴を言い合ったりするような関係だった。
だから、私にとってヤミさんは一つの安らぎだと甘えていたのかもしれない。
そんな彼女から私は一つの告白をされる。
「あのっ! 実は私もこれからはここに住まわせていただける事になったんです!」
「…え? それって……」
「美柑には。いえ、美柑だからこそなかなか言えず本当にすみませんでした。私も……その、結城リトのハーレムにっ…い、入れさせて…もらったん、です」
その言葉に私の思考は止まる。
あのバカはついに私の親友にまで手を出したのかと一瞬だけ怒った。けど、考えてみればリトがヤミさんの標的になったからこそ私達の接点は生まれたんだっけ。
だとしたら私が親友として怒るのは違うかもしれない。
もしもこれがサチとかだったら怒っていいと思うけど、この場合はヤミさんの個人的な問題だ。アレだけ殺し屋としてリトを狙っていると言っていたのに、その誇りを曲げてまでリトを好きになったと目の前の親友は言っている。
だったら私は悔しいけど受け入れるしかない。
むしろ、リトと大好きな親友が仲良くなったんだから…嬉しくないはずがない。
「そのはず…なのに、なんで胸が痛いの………?」
…それから少しの月日が流れる。
たまにヤミさんとリトが仲良くしているのを私は目撃した。
ヤミさんがハーレムに加入したとなれば、こちら側のルールがヤミさんにも適用される。つまり、夜も含めてリトと二人の時間を得られる権利が回ってくるのだ。
二人の時間では何があったかヤミさんは私に教えてくれる。こんな気持ちになったのは初めてだと頬を染める親友を私はどう見ていたんだろう?
喜んでいた? もちろんだ。
こんなに表情豊かなヤミさんを見ていたらこっちだって嬉しくなる。あのリトがヤミさんにそんな影響を与えたのだと思うと誇らしい反面、なんだか悔しい。
「あの、どうかしましたか? なんだか、調子が悪そうです」
そんな事無い。でも何でそんな事を言われるんだろう。私は嬉しいのに。
今日はリトと一緒にたいやきを食べたらしい。
そもそも、たいやきは地球に訪れたヤミさんにリトが初めて食べさせてくれた思い出の食べ物なのだと教えてくれた。
もしかすると、ヤミさんはずっとリトを好きだったのかもしれない。
今日はリトと一緒に散歩をしたらしい。
……その時、初めてそのつもりで、お互いが手を繋いだらしい。
あんなに身体中触られたりしてるのになんだかおかしい話だと思った。
今日はリトと一緒に寝るらしい。
前に一回だけそんな事あったかな? わざわざ言わなくても良いのにね、律儀だなぁヤミさんは。
今日はリトとキスをしていた。
その事は……教えてくれなかった。ま、そうだよね。ヤミさん恥ずかしがり屋なとこあるし、言いたくないのも分かるよ。
今日はヤミさんを見ていない。
リトの部屋からヤミさんの声が聞こえた。別に私には関係…ない。
今日もヤミさんを見ない。
明日は順番が回るから一緒に遊べるかな?
………今日もヤミさんがリトとキスをしている。
とても幸せそうに目を細めているヤミさんは私の知らないヤミさんだった。
どうせなら部屋でこっそりすればいいのに。なんでそんなことするんだろう。
「あの、美柑」
「……なにヤミさん?」
「すみません、ちょっと調子が悪いので…地球にいるドクターの所へ行って来ます」
その日からヤミさんに会う日が極端に減った。
それから暫くして、モモさんが誰かと話しているのを見てしまった…気がする。
アレは、お静さん……? だった、かな。
「はい…御門先生の……なので間違い……ます」
「…う~ん…まさ………ヤミさんとは……しかし………ですね」
なんだろう。聞いちゃいけない気がする。
私はその場から立ち去った。
そして久しぶりにヤミさんに会った時。ヤミさんは私に……何て言ったっけ…?
――――――
「………イヤな、夢」
なんだか夢見が悪い。イヤな夢を見たのは久しぶりだと思う。乱れる呼吸を整える為に天井を眺めながら大きく息を吸って、吐いた。
…あれ、私何の夢を見たんだっけ?
落ち着いてくると自分が何の夢を見ていたのか忘れてしまった。
どっちみち良い夢ではなかったから別に良いんだけど。
なんか昔の夢だった気がする。
昔といっても今からすれば『未来』の話なんだけどね。
あの時の事はイヤな事が多すぎていちいち考えたくもない。きっとさっきの夢もその一つだ…早く、忘れよう。
一分、二分。
ひたすら目を瞑ってどのくらい時間が経ったのか分からなくなっても眠気は全くない。
…こうなったら仕方ないよね。今日は例の日だけど、夢のせいで寝れないんだから。
枕を持ってベッドから出ると、私は歩き出す。当然、私を安眠させてくれる場所に行く為だ。
そこには耳に心地良い寝息を立てている人物がいる。
隣の特等席を陣取って、温かいお腹の辺りに腕を乗せて軽く抱きしめた。
「…うん。これなら…寝れそう。今度はリトと楽しい夢…見れたらイイな」
◆
「んん~? なんか体がうごかな…あれ、美柑?」
リトが身動きの取れない違和感で目を覚ますと、そこには妹がいた。昨日は一週間に一回のお互いの部屋で眠る日だったはずとカレンダーを確認する。
「間違ってない…よな。寝ぼけて来ちゃったのか? まったく…もう高学年だってのに仕方ないな」
自身の体に絡み付いている美柑を見ると小さな吐息が頬をくすぐった。
落ち着いた表情の美柑を見ていると、リトはほんの少しだけ湧いたイタズラ心で彼女の頬を空いている方の手で突いてみる。
少女特有のすべすべで、柔らかいのに弾力のある頬を一回、二回と突く。
思った以上に楽しくなってきたリトはすぐに止めようとしていた事を忘れて妹の頬の感触を楽しんだ。
ここまでしたら流石に起きるだろうという時点でリトは手を止めると、美柑の顔が緩んで微笑んでいるように見えた。
普通は嫌がるか、起きるだろうと心の中でツッコミを入れるリト。
幸い今日は週末で学校はお互い休み。
時計を見るとまだ起きるには少し早い時間という事もあり、朝方の少々冷え込む気温に体を震わせると、傍らの妹を起こさぬようにして布団をかけ直す。
抱き付かれているので、ほんの少しだけ、てこずる動作の後にもう一度寝顔を確認するとどうやら深く眠っている様子の美柑。
そんな彼女を見て再び眠気が襲ってきたのか、欠伸をひとつ漏らすと、暖を取るようにリトも美柑の体に手をまわして向き合うように姿勢を修整する。
「ふぁ…もう一眠りするか~。にしても、美柑あったかいなぁ…おやすみぃ」
目を閉じるリトは確認できなかったが、リトが抱きしめるように触れた瞬間、彼女は確かに薄っすらと微笑んでいた。
何か良い夢を見ているのか…それは彼女にしか分からない。だが、少なくとも悪夢にうなされる事のなくなった彼女は安らかな時間に今も頬を緩ませている。
――――――
朝の一件でいつもよりも遅めの一日をスタートしたリトと美柑は、本日中に組んでいた予定として、父親の仕事に使う材料の買い出しに行くのが遅れていた。
同じく夜更かしをして、遅くに目覚めたララが朝食を要求しに来るまで熟睡していた二人。急いで支度をし、駆け足気味で外へ向かおうと玄関のドアを開けた瞬間、ちょうどのタイミングで結城家へ訪れたザスティンと出会う。
「おっと、おやリト殿に美柑殿? ちょうど良いところへ。ララ様に今月のお小遣いを渡しに来たんだが…」
「あ、ザスティン。ゴメンっ今日、親父の買い出し頼まれてんだ。ララなら部屋にいるからあがって大丈夫だぞ」
「買い出し? そういえば確かに…承知した。では、お気をつけて」
「お願いねザスティン。行ってきますっ!」
去っていく兄妹をザスティンは見送る。
急ぎ足でありながら、しっかりと手を繋いでいる二人の姿を微笑ましく思っていると、家の中からララが顔を出して手招きした。
「あ、ザスティンっ! もしかしてお小遣い? そんなとこ立ってないでほら、入って入って~!」
「ララ様、おはようございます。いえ、あの二人は本当に仲が良いなと思いまして」
「リトと美柑? やっぱりそうだよね~! 私もたまーに羨ましく思っちゃうくらい仲良しさんなんだよ? 今朝だって美柑ってばね~………」
ララの饒舌な言葉を聞きながら、ザスティンは心の中で彼女の心中を察し、軽い同情をしてしまう。
地球に来てからの彼は現在、才培の下でチーフアシスタントの立場にある。
なので休憩の時間などでは、漫画家"才培"ではなく兄妹の父親"才培"と会話をする事も少なくない。
昔から二人とも手が掛からなかったという自慢げな口調から、二人っきりにさせてしまって寂しい思いをさせてるのかもしれないと、後悔しているような一面もザスティンは見てきている。
地球とは、力の弱い人種が支配している辺境の星と認識していた彼だったが、実際に住んでみて、その考えは改まっていた。
現実問題、ララの婚約者候補であるリトを見てもその力に対して上方に修正を入れてはいないが、彼の人となりは把握しているつもりでいる。
地球人は脆く、力は弱い。
しかし、ララ・サタリン・デビルークという少女の心を射止めた優しさ。結城リトという人物の持つ不思議な魅力がザスティンの考えを変えた。
昔から仲の良かった兄妹の話を聞いていると、彼の優しさや寛大さは兄としての立場から育ってきたのかもしれない。
『ただな…俺は一つだけ心配な事があんだよザスティン』
同時に、才培の呟いた言葉が頭を過ぎった。
『アイツら、仲が良いのは構わないんだがな…このまま兄と妹で結婚するなんて言い出したらどうすっかな~って最近不安になるんだよなぁ…』
『兄妹で? まさか。確かにお二人は仲が良いとは思いますけど』
『だってよ、この間だって俺に内緒で二人で遠出してたんだぞ? パパに一言くらいあったっていいんじゃないかぁ!? ララちゃんの情報だと未だに一緒に風呂にだって入ってるって話しだし、態々同じ布団で寝てるって言うし……せっかくララちゃんっていうカワイイ女の子が近くにいるってのにリトは美柑にかまってばっかで、美柑はリトにべったりだし! これが心配しないワケ無いだろうよ!!?』
そこまでの情報は知らなかっただけに思わず苦笑いしてしまうザスティン。
上の者の愚痴を聞くのも手馴れたものという風に才培を落ち着かせながら、二人の若さや、家族の絆など、あらゆる方面から褒めては大丈夫だと説得を試みた事もあったと天を仰いだ。
(最大の恋敵が婚約者候補の実の妹とは…ララ様の初恋もなかなか上手くはいかなさそうだ)
◆
「よし、頼まれた画材はコレで全部かな」
「ゴメン、私が寝過ごしちゃったから遅くなっちゃって…」
「俺も同じだから気にすんなって」
また失敗した…しかも理由がリトと寝てたからなんて。
前にも同じ事あったし、流石にこんな間違い繰り返してたらリトが私のこと変に思っちゃうかも。
『まったく、美柑はあまえんぼうな妹だなぁ。俺がしっかりしないと』
あれ、悪くない?
そう思ったけど、コレじゃあ"妹"止まりだということに気付くと、やっぱりダメだと否定する。
リトがしっかりしてくれるのはありがたいけど、それは私が妹としての一面を見せ続けているからだ。
でもリトがしっかりするには私が妹でないとダメだし…。かといってこっちがしっかりしすぎちゃうとリトは昔みたいに離れて行っちゃう…。
適切な距離がこんなにも難しいとは思わなかった。
でも既に距離を見誤った私は今、やり直している。それは普通では叶えられない願いだ。
まるでゲームみたいにセーブした所からやり直し出来るなんて、これ以上何かを望んだらバチが当たりそう。
二回目。そう、今は二回目。
一度してしまった失敗を振り返れる。やり直せる。
そう、やるしかないんだ。
「お~い、そんなに落ち込まなくても…ん? あ、ちょっとここで待ってろよ」
「…え?」
そんな私を今日の失敗で落ち込んでいると思ったのか、リトは何処かへ走っていってしまう。
そっちは……。
「たいやき屋?」
目の前でたいやきを売っていたお店でリトは紙袋を持って戻ってくる。
あの量だときっとララさんやザスティンへのお土産も含んでいるに違いない。
小走りで戻ってきたリトは出来立てでアツアツのたいやきを一個私にくれた。
「ほらっ今日は付き合ってくれてありがとな。いつまでもくよくよしてないでさ、コレでも食べながら一緒に帰ろう」
「……あはっ、なんで私がお礼言われてんの? でも、ま…ありがと。いただきます」
楽しい、と思った。
リトとの時間は楽しい。
甘いなぁ…いろいろ。このまま甘くて温かい幸せが続けばどれだけいいだろう。
「あまい」
「そりゃたい焼きだからな~」
コレを食べているとヤミさんを思い出す。
綺麗な金色の髪でお人形みたいな整った顔だったから、そのアンバランスさがカワイイなんて思ったこともあったっけ。
そろそろ来てもおかしくないはずだけど…まぁ大丈夫だよね。
ヤミさんはリトを殺せない。
それを知ってるだけで安心できる。だって
ふと、目の前が光った気がした。
日光を反射するように綺麗な金色、それに対して服は全く光を返さない程に真っ黒。
「あ……」
その人を私は見た。
だから声は出ない。出さない。本来なら私はここに
だから、きっとこの瞬間あるはずなんだ。リトと彼女の出会いが。
黙っているとリトもその視線に気付いたみたい。じっと見つめる…ヤミさんと見詰め合って暫く。
「もしかして…コレ? 食べる…か?」
ヤミさんは不思議そうな顔でたいやきとリトを見つめる。
無言で受け取って、それを…口にした。
食べた…そっかコレが、二人の始まり。
殺し屋と
「地球の食べ物は変わってますね…」
スッとヤミさんはリトに歩み寄って肩を掴む。
あ、あれ? ヤミさんってこんな大胆なんだっけ?
近すぎるくらいの至近距離の二人を見ると一瞬頭痛がした。何度も見た光景。イヤな夢。
あれ、違う。だって、こんなことする人じゃない。今は、
体が動く。寒気はその後に訪れた。
リトを可能な限りの力でヤミさんから引き離すと同時。ヤミさんの金色はリトのいた位置で無駄の無い線を描いていた。
「外しましたか。誰かは知りませんが、ある方から結城リトの抹殺を依頼されてます。どちらにもうらみはありませんが……邪魔をするなら消えてもらいます」
「ちょ、ヤ…じゃなくて! 本気なのっ!?」
私の声に無言でヤミさんは金色の刃を振りかざす。
かつての親友に恐怖を抱いたのは今が初めてだ。リトはこんなに怖い目にあってたんだって理解する。
ヤミさんは
一跳び。
一歩分の跳躍から彼女の金色の閃光は私の首へ向かってくる。
想定外の事態で頭を回せない。自分が知っていた時には既にヤミさんは全力を出してはいなかった。そう、最初は…この瞬間だけは死に打ち勝たないといけない事を悟る。
こんな幕切れ、イヤだなぁ。
「美柑ッ!!」
視界が暗く染まった。
◆
美柑は襲い掛かるであろう痛みに構えた…が痛みは来ない。
視界は相変わらず真っ暗なのにと、頭の方から荒い息遣いが聞こえた。
緊張が緩むと自分が抱きしめられた感覚を思い出す。
そこからは早かった。瞬時に最悪の事態を想像すると彼女の血の気が引く。
「り…リト? リトッ!? ねぇちょっと!!?」
「だ、大丈夫、なんとか当たってない」
美柑は体の感覚を徐々に把握していった。リトの捨て身の防御は数歩分だけ後に距離を広げたのだと。
でもそれだけでヤミの攻撃を避ける事が出来るのか?
勿論違う。答えはヤミが咄嗟に攻撃を緩めた他無かった。
ヤミは殺し屋として標的の情報を聞いている。
『結城リトはララ・サタリン・デビルークを脅迫し、デビルークを乗っ取ろうとする極悪人』
だが、目の前にいる彼は、自分の攻撃に捨て身で少女を庇った。
先ほどの少女もそう。結城リトを命がけで助けようとした。
コレが極悪人? そうなのだろうかとヤミは一瞬思考する。が、それも一瞬だった。
彼女は『金色の闇』。後にヤミや、ヤミちゃん、ヤミさんなどと呼ばれる少女だが…この瞬間だけは『金色の闇』なのだ。
どっちみち殺すのだからと思考を止めてもう一度二人に襲い掛かる。
「美柑、走るぞ!!!」
「ッ…うんっ!!」
互いが思考を止める。
方や、使命の為に獲物を狩る者として刃を向ける。
方や、生まれた時から備わっている生存本能のまま、死に対する恐怖から逃れる為に走る。
リトは美柑の安全を確保する事のみを頭に走った。
美柑は自分がいたことで出会いが変わり、リトが万が一の事態に陥らないように、邪魔にだけはならない様に、ただ走った。
「ちょろちょろと、逃げ回らないで下さい」
『無理だって!!?』
周りの被害は尋常ではなかったが、そんな事を気にしてられない。
あちこちに擦り傷や切り傷を付けながら二人は走った。
その中で美柑は歯噛みする。
理由は一つ。自分には目立った怪我がない事だ。
もとより美柑は標的ではない。金色の闇の技量によって彼女への攻撃は一切行われず、リトへの攻撃やその際の被害が僅かに残るのみ。
飛んできた小石や瓦礫の破片は当たれど自分には何も来ない。
(私…完全にジャマになってるっ……)
自分がいることでリトは更に被害を受けている気がしてならなかった。
それがどうしても許せなかった。
自分を握るリトの腕に傷が出来ているのを見ると手に力がこもる。
(ダメッだめ、だめダメッ!! こんなの、こんなのヤミさんはやったらダメなのに!!)
美柑は自分の知る親友を重ねた。
(違う。こんな眼、ヤミさんじゃない)
リトの汗が、切り傷からたれた血が美柑を奮わせた。
走っていた足を踏みとめる。すると同時に掴んでいたリトの体も止まった。
「美柑!? バカ、走れって!!!」
「………」
リトは見た。いや、正確には後姿で見えてはいない。でも知っている。解る。
自分の妹は怒っているのだと。
だからこそ、殺し屋と向き合う彼女に向かって呼び止めた。だが、美柑は止まらない。
「…ねぇ。もし私が代わりになるって言ったらさ。リトは見逃してくれる?」
「何を言っているんですか? 貴女は標的ではありません。はなから成立できない相談ですね」
「そう。じゃあさ、ヤミさん……私も」
「美柑は標的じゃないって本当か!?」
美柑の声は必死のリトの声で掻き消えた。
今の会話を聞いて彼は妹の安全を保障できるのかを確認する。
「ええ、あなただけが私の標的です。彼女は傍にいたので邪魔だっただけです」
「そっか…良かった。じゃあ…」
「リト!? 許さないからね、それ以上言ったら!?」
「…もう逃げないからさ、美柑は助けてくれ。妹なんだ」
死に直面した者のする事は金色の闇はイヤになるほど見てきた。
その答えにウンザリし、手を下してきた。でも目の前の人間はその少数にいる人間だったことに驚く。
(極悪人…ではないのかもしれませんね。妹…だったのは意外ですが。でも、それなら残念です)
彼女は依頼とあらばそれを執行してきた。中にはこんな風に他人を優先する者もいたが大半は悪人。そもそも殺し屋に依頼されるような者が善人である事はない。
今回の様に嘘や虚実を言って依頼した者には発覚すると彼女は相応の罰を与えてきたが、依頼はこなす。
それだけに目の前の様な標的はやり難い。
見るに、相当に家族に慕われているようだと感じた。
だから、残念だ…彼を殺すのは。と殺し屋は思う。
「その姿勢に免じて、一瞬で終わらせます」
「……美柑、なんかゴメンな?」
リトは美柑の前に立つ。守るように手を広げ、逃げないと覚悟を決める。
必死に力を込めても動かぬリトに美柑は焦った。
何よりもこんな結末だけは見たくないと。
親友と兄が、決して届かぬ場所へ行ってしまうことが認められない。
一閃。
距離を詰めず、秒単位よりも更に短いその刹那の一振りでリトは絶命する…はずだった。
堅い物がぶつかるような音が聞こえる。
同時に、金属の擦れるような高音が辺りに響き、リトによって視界を塞がれている美柑は事態を把握できなかった。
すると、緊張の解けた様にリトはその場にへたり込む。と、目の前には見覚えのある姿がもう一人。
(あ……)
その姿に美柑も力が抜けた。安心するには早いにしても、このタイミングでの彼の登場は緊張を緩めるには十分なほどに頼りがいがあったのだから。
「感動したぞ、二人とも。兄妹の絆、しかと見届けた」
「また増えましたね…今度は何ですか?」
見た目は御伽噺の主役のように爽やかで整った顔。しかし格好は完全に悪役のソレである禍々しい形状の鎧に身を纏った男が盾の様にリトと美柑の前に立つ。
長剣の先を向け、二人に危害を及ぼす殺し屋に剣士は名乗りを上げた。
「デビルーク王室親衛隊長兼、漫画家結城才培率いる"スタジオ才培"チーフアシスタント、ザスティン! 推して参るッ!!」
カッコいい登場からのあんまりな名乗りに兄妹は心の中でツッコミを入れ、同時に安心した。あぁ、いつものザスティンだと。