肝試しも終わり、臨海学校初日のイベントが全て済むと、生徒達のちょっとした自由時間が訪れる。
同室で共に枕を並べるとなれば、教師達の見回りに注意をしながら大抵の生徒は眠気を催すまで何かの話題で盛り上がったり、こっそりと遊んだりしていた。
高校一年という若さならば恋愛関係の話題で盛り上がる事もあるだろうし、互いの趣味や趣向について語ったりと、消灯の時間を過ぎても楽しい時間は終わらない。
それはリト達の班も同じだった。
好きな女子はいるのか? 胸と尻のどっちが好きか? 初恋やキスはした事あるのか?
専ら異性関係についての話題でその場は持ちきりとなり、所謂『深夜のテンション』という状態の男子達の話に花が咲き続ける事となる。
(ふぁ…ね、眠い)
その中で一番最初に限界が訪れたのはリトだった。
とはいえ、彼の場合は先程の肝試しの疲労が大きい為に仕方ないのかもしれない。
盛り上がっている同じ班のメンバーの会話を半分聞き流している状態で、リトはうつらうつらと瞼を重くしていた。
最後の記憶は何だったか。適当に相づちを打っていた彼の意識は当たり前の様に、フッと音をあげるのだった。
――――――
夜も更けて見回りをする教師もいなくなった頃、薄暗い廊下を小さな影が歩いている。
その影は極力音を立てないように、ひたりひたりと何処かへ向かっていた。
誰もいない廊下、音も無い夜。
影は時折立ち止まり、辺りを窺いながらただ一人の肝試しを行う。
予め調べておいた情報を頼りにしながら目的地へ急ぐ影。
怖いから出来るだけ速く。でも静かに、静かに音を消してゆっくりと。
矛盾する言葉を心で唱えながら。やがて、その部屋へと辿り着いた。
そこの戸は決して固くないのに、とても重く感じられた。あれだけ注意をしていたのに思った以上の力で開けてしまう。
ガラッと音が立ったその瞬間、影は両手で押さえて音を消す。
反射的に行われたその動作のおかげで部屋から寝息が途絶える事は無かった。
額の汗を拭いながらホッと息をつくと、そのまま畳の上を抜き足で進みながら影…の正体である美柑は肝試しの報酬を手にした。
十分に慣れた目は電気を消した部屋であってもしっかりと相手を把握する。
疲れが溜まり、深い深い眠りについたリトの髪を指で撫でても、その寝息は乱れない。全く振り払おうともせずに美柑のその動きを彼は受け入れた。
ようやく。ようやくといった顔で彼女は柔らかな笑みを浮かべ、そのままリトの頬から首筋へと指を這わせていった。
流石にくすぐったそうにするリトを見て美柑は当初の目的を思い出し、首を振る。
リトが起きぬ様、寝苦しくないようにゆっくりと隣を陣取ると、そのまま彼女は同じ布団の中へ侵入していく。
(リト…怪我、大丈夫? 痛くない?)
美柑の細い指が愛でる様に優しく、優しくリトの体中を這い回る。
時折、絡め取るように肌と肌を密着させながら彼女は欲望を吐き出していった。
美柑は既にある程度触れた時点でリトが深く眠っている事に気付いていた為、最初にあった遠慮は徐々に消え、今はもう形もない。
いつもの距離。いつもの二人の時間が此処にあると感じる。
苦労してまで付いてきてよかったと彼女は思った。
仰向けに眠り続けるリトの隣で美柑は手を伸ばす。ギュッと反対側の服の裾を掴むと、より温かく感じられる体温に鼓動を高鳴らせた。
彼女は暑さに強いわけではないし、好きという事も無い。でも、たとえどんなに暑くても年中リトと離れる事はしたくないと思っていた。
故に、既にその状態に慣れきった二人はたとえ眠っていたとしても離れる事はない。
美柑がリトに抱きつけば、リトは彼女の体を抱きしめる。
強い力は込めず、優しく抱き寄せて髪を撫でる動作は既に洗練された動作であった。傍から見ればそれは恋人同士のように映るのかもしれない。
いつもの温かな安らぎに合わせて襲ってくる眠気を彼女は我慢すると、本当は離したくないその手に力を込めてもう一度強く抱きしめた。
(明日…じゃなくて、今日も頑張らないと。それまでは…ん、リトを補充しとかないと…ね)
だが、今日の美柑はいつもと違っていた。
普段と同じ事をしているのに、今は全く違う場所にいるという事を意識してしまう。すると、不思議と眠気を追い払う事が出来た彼女は……普段より大胆にリトを求めた。
興奮して逆に眠れなくなった美柑の夜はもう暫く続く。
一時間、二時間とリトを堪能し、彼女が去るまで行われた熱っぽい時間に気付いた者は最後まで現れることは無かった。
――――――
「ララさん、ララさん。アレ貸して」
「んん~、ん~? みかん~? そこの、カバン中…だよ~」
現在、夜中の3時半。その後ララたちの部屋へ戻ってきた美柑は彼女を起こして小さくなる道具を借りようとしていた。
まだ日も昇らず、早起きの人間も目を覚まさぬ時間に突然起こされるララ。
時間を確認すると流石に不機嫌そうな声で美柑に話しかけるのは仕方がない事だろう。
「なぁに~こんな時間に…ふぁあ…起こさないでよぉ」
「ごめん。でも半分はララさんの責任なんだけど」
「え~?」
そもそも美柑は今日はそのまま眠るつもりだった…が、消灯時間が訪れるまでの間に気付いてしまった事がある。
それはララが設定した『小さくなる効果は4時間毎にリセットされる』機能の事だった。
肝試しが行われて数時間。
次にリセットされるのは消灯時間が過ぎて、約1時間といったところだろう。
するとどうなるか。
まずは息苦しい。そして、当然元の大きさに戻ってしまうで袋から出ないといけない。それに関しては電気が消えた後に外へ出れば、大きくなっても誰かに気付かれる心配は少ないだろう。
しかし、寝る時間はどうだろうか?
4時間でリセットされるのであれば、深夜0時に始めても午前4時には効果が切れてしまう。
4時にもう一度小さくなっても次は8時。途中でリセットを挿めば問題はないだろうが、それでも一度は夜中に起きなければ誰かに見つかってしまう。
早起きをしてしまう人がいるかもしれない以上は、誰にも見られずに長く眠る事ができない事に気付いてしまった美柑。
だから先程までは計画を変更し、眠らずにそのままリトに会って時間を有意義に潰してきたという事だ。
「あ、ごめん。そこまで考えて無かったよ…」
「別にいいよ。今からなら8時前まで大丈夫だから、7時に起きたらトイレとかで一回リセットしよ」
「あふ…りょ~か~い。それじゃおやすみ~」
「ララさんのカバンの横にいるから。おやすみララさん」
美柑も既に限界が来ていた為、この後宣言どおりにララのカバンの横で小さくなると同時に彼女は眠りに付く。
畳が硬いとは思いつつも眠気には勝てず、昼間とは逆に季節が夏である事に感謝しながら意識を手放していった。
――――――
『ワンワンっ』
『あはは、この犬なつっこいなぁ。こらこらあんまり舐めるなって』
『わんわんリトお兄ちゃんワンっ』
『…へ? み、美柑!? なんで? ってかその犬耳は…』
『リト、リト大好きっ♡ もっとぺろぺろしていいワン?』
『い、いやちょっとま…』
『ねぇお兄ちゃん…ずっと一緒にいようね?』
息を呑みながらリトは目を覚ます。
突如として起き上がったその姿に、先に起きていた猿山は反射的に仰け反って驚いた。
一方でそんなことに全く気が付かないリトは覚醒しきっていない頭で先程まで見ていた夢が鮮明に記憶に残っている事に激しく自己嫌悪していた。
(ゆ、夢…? マジかよ、俺。なんつー夢を見ちまってんだ…。夢とはいえ、美柑相手に何てカッコさせて、しかもあんな台詞まで…)
「あ~びっくりした…って、あっはは! リトなんだよ、その顔! さっさと洗った方がいいぜ?」
「……へ? おう…?」
いつの間にか様子を見に近づいてた猿山に言われるままにリトは洗面所へと向かう。
別に見られたわけでもなく、知られることも無いはずなのに無駄に緊張をしてしまう胸を押さえながら。一刻も早く、少しでも頭を冷やそうと蛇口を捻る。
冷たい水を両手で受け止め、いざ顔を洗おうとした時。ふと鏡を見るとリトは自分の口周りに唾液のあとが
「うお!? なんだこりゃ、俺そんなに爆睡してたかな…?」
『もっとぺろぺろしていいワン?』
(いや、まさか…な。そんなわけないよな、あれは夢だし。夢、なんだよなぁ)
顔を洗う姿勢からそのまま顔を押さえる姿勢になり、その場にしゃがみ込む。暫くこの自己嫌悪は彼の心を支配する事になるのだろう。
無理矢理納得をする胸中で疑問はあっさりと消えた。どんな寝方をすれば口の周りにびっしりと付くというのか。そんな事は最早些細な事になりつつある。
早朝から妹の事で頭が満たされた兄はその事に深く追求せず、顔を洗い終えてもその答えに気付く事はなかった。
◆
思ったよりリトと春菜さんの接点少なかったな。ま、越した事はないんだから別に良いんだけど。
臨海学校二日目。実質上の最終日の海での行事はなんかちょっとした事件が起きたぐらいで、リトが他の女のコと絡む事はなかった。
流石に水に浸かるなんて不可能だからこっそり元の姿になって遠くから眺めてただけで終わったけど…結果から言って拍子抜けするほどあっさりと臨海学校というイベントは幕を閉じた。
「風が涼し~…そうだよ、最初からこうすればよかったんじゃん」
今日もまたララさんの手を借りて食事とおフロの時間は済ませてある。
夜風に当たりながら昨日までの苦労と失敗を思い返すと溜息がこぼれた。
別に重要な時間以外は無理に小さいままでいる必要なんて無かった事に今更気付いて私は今、外にいる。
よくよく考えると移動の時間と、食事とおフロの時間以外はリトを見張る必要ないなら適当な所で時間を潰して寝るときにララさんに迎えに来てもらえばよかったんだ。
敷地内は思ったより広いし、騒音とかもないから音も良く聞こえる。
だったら隠れてやり過ごすのも別に難しい事なんてなかった。
「それにしても…今回は流石に疲れちゃったかも」
春菜さん…についてはまだ許したわけではない。
リトに怪我をさせたのは事実だし、反省してても今回の事はしっかりと評価の対象として記憶する事にしている。
でもそうなると古手川さんかヤミさん…が今のとこの保険の第一候補って事だけど、古手川さんって最初に会ったのいつだったかな。
初めて会った時からリトに好意的なものは寄せてた気はするけど、正直どの時点で二人に接点があったのかもやっぱり私は知らない。
「…ま、いっか。保険なんて後向きに考えなくても、私がリトを幸せにすれば問題ないんだし」
そうだ。結局誰がどうなろうとリトだけは幸せになってくれればいい。
もし、私をリトが選んでくれたなら。そうなったら私が精一杯そうしてあげれば良いだけの事。
二人でずっと一緒に過ごせたら…うん、幸せかも。
我ながら小さな望みかもしれない。でもきっとそれはリトに関して言えばかなり難しいお願いだという事は今も身に染みている。
兄妹だから結婚も出来ない。外国ならどうか知らないけど、そこまで無理にやる事もないよね。
「事実婚って便利な言葉だな~」
最後までリトの世話を出来たら思い残す事なんて無い。
だから今は、今を進もう。
今日のご飯でリトが私の作った料理のが美味しいって言ってくれてたし。
アレは不意打ちだった。
思わず瞳が潤んじゃうくらい嬉しかった。それくらいリトが私のことを必要としてくれてた事が分かっただけでもここに居る理由は十分にある。
私がリトを好きで、リトは私を想ってくれている。
ここまで相思相愛ならあと一歩かもしれない。
あとちょっとしたらリトの誕生日だし、今年は何を贈ろう? その時はこの気持ちをそのままあげられる位の何かをプレゼントしたいな。
そしてそれが過ぎれば……。
「たしかそのくらいだったはず…時間は掛かっちゃうだろうけど、今度もきっと大丈夫だよね。今度は一人だけのお姉ちゃんになってくれたら嬉しいなぁ」
空を見上げると星が綺麗に輝いている。
ちょっと前に見た時よりも、その星達は大きく光っているように感じられた。
◆
「くしゅんっ! うぅ、湯冷めしちゃったかな? でもドライヤーなんて使えなかったし…それよりララさん、もうそろそろ消灯時間なのに遅くない?」
外に出れない用事でも出来てしまったのだろうかと不安になる美柑。いくら夏とはいえ、彼女は外で野宿する気にはなれなかった。
もしや忘れられてるんではないかと思い始めた時、ふと窓の向こうに見慣れた顔が通り過ぎていく。
間違いなくそれは自分の兄で、しかもこんな時間に友人と一緒に何処かへ行こうとしていた姿を確認する。
(なんか浮かない顔してる? 方角的にあっちは…なんか嫌な予感が)
勘はそこそこ当たる方だと最近の彼女は自負している。特にリトに関係する事は大抵当たっていた。
そっちは美柑やララ。そして春菜のいる部屋もある方向だと気付くと彼女は走り出していた。
幸い、まだ扉の鍵はかかっておらず、美柑は小柄で身軽な体躯を使って自分達の部屋へ向かっていった。
――――――
「結城くんっ入って!」
「さ、西連寺? ご、ごめんっお邪魔します!」
一方、現在のリトは『女子の部屋へ遊びに行こう』という友人たちの誘いを断りきれずに目的地付近で生徒指導の担任に遭遇してしまっていた。
その時、偶然部屋に一人でいた春菜に救われて暫くの間だけ、ほとぼりが冷めるまで部屋で匿って貰える事になったのだが…。
正直言って二人は気まずい気持ちでいっぱいになっていた。
リトは一時期とはいえ好意を抱いていたかもしれない相手と二人っきりという状況に言葉を失い、春菜は現在進行で片想いをしている相手と二人っきりという状況にこれまた言葉を失っていた。
加えて昨日はその相手に怪我までさせている始末。かける言葉は何も浮かんでは来なかった。
そんな時、始めに話題を出したのはリトの方で「ララ達はどこへ?」という疑問から徐々に二人の間から壁は消えていく。
本来のリトであれば女性と二人という状況にどぎまぎとしてしまい、気の利いた言葉は出せなかったかもしれない。
だが今のリトは美柑で女性への耐性や、その場その場での切り抜け方等、多少の免疫を養っていた。
実はその事から彼を知る女性陣の間で多少人気だったりする。
「背は高くは無いけど顔は悪くない」「他の男子よりがっついてないし、そこそこ落ち着いている」「なんか兄弟的な意味で落ち着く」
ちらほらとその様な意見があったりなかったりとしている事を本人は知らない。
そんな彼の変化を美柑の次に良く知る人物が、今ここに居る『西連寺春菜』という少女だった。
美柑がリトと多分に仲良くなる時期から彼女は結城リトを見ている。
最初は活発で男友達と楽しそうにしているのをよく見かける、心の優しい普通の少年。彼女はそんな彼に好意を抱いた。
それが最近になって変化していく姿も春菜は見ている。
だんだんと雰囲気が落ち着いていき、大人っぽい雰囲気を身に付けている様な気がしたと彼女は思った。
春菜には姉が居る。つまり事実上彼女は妹という立場にあるのだが、変化していくリトの姿を見て「まるでお兄ちゃんみたい」と友人の前で思わず呟いてからかわれた事もあったらしい。
(ゆ、結城君と二人っきり…! ど、どうしよう!?)
結論、現在の二人はまるで正反対の状況へ変化していた。
美柑と接し続けた事で無自覚のシスコンと化したリトは、クラスメイトから見て『なんか落ち着く』相手として見られ始めている。
女性への耐性を身に付けてしまった事が美柑にとってマイナスなのかどうか彼女はまだ知らない。
少なくとも『落ち着く対象』であるだけで『=恋愛対象』という事はないのが救いだろう。むしろシスコンになってしまい、リト本人の関心が美柑へ集中した事で現時点ではプラスに傾いているとも言える。
つまり
「…っ、ララ達戻ってきたんじゃないか!?」
「へ!? え、あ、あ! 結城くんこっち!!」
部屋の外からララ達の声が聞こえた事に反応する二人。
混乱した春菜はそのままリトを自分の布団の中へと引きずり込んだ。
「春菜ただいま~! あれ、もしかして寝てた?」
「お、おかえり。ううん、もうすぐ消灯だから…ね」
リトは彼女の布団の中で息苦しさと目の前に広がる光景のダブルアタックに悶絶しそうになるが、なんとか堪える事に成功している…しかし、それもいつまで続くかはわからない。
『好き』が『好きだった』に変わってもリト自身は春菜に好意的な感情は抱いている。だからこそ慣れない妹以外の女性の香りや柔らかさを間近に味わって無事に済むはずが無かった。
思春期男子には刺激の強すぎる環境の中で何とか理性と誇りを保った彼を余所に外側の春菜は緊張と羞恥の極みに達する。
(ふわぁぁああああ!?? 結城くんが、わわ私の足の間に!? し、下着とか見られてないよね!? ゆ、結城くんになら別にっ良いかも知れないけどでもでもっ…あ、汗とかかいてきてるかも!! あぁぁ、は、恥ずかしいぃぃ…!!!)
(美柑だいじょうぶかなぁ…見つからなかったけど。後でもっかい探しに行かないと)
(落ち着けっ落ち着け俺ッ! ここで西連寺のパ…下着なんて凝視しちまったら…兄として美柑に顔向けできなくなる!!)
同じ部屋に居ながら不思議なほどに噛み合わない方向を見ている三人。
寝静まるまでは行動が出来ないという共通の気持ちだけを胸に頑張る事を決意するも、なかなかその時は訪れない。
何故ならば、この時間は恋愛関係の話題で盛り上がる事もあるだろうし、互いの趣味や趣向について語ったりしながら消灯の時間を過ぎても夜は終わらない…そんな時間である。
それは男女共通の事だった。
「あ、そういえば春菜って好きな人いるの?」
「え、ええ!? わ、私なのララさん!?」
「え、うん。だって春菜だって好きな人くらいいるかなぁ~って」
突然のキラーパスに驚いてしまう春菜。瞬間的に跳ね上がった身体に足に挟んでいる相手と触れ合う場所が少しずれた事に再び顔を赤くしてしまう。
そんなに好きな人を言うのが恥ずかしいのだろうかとララは勘違いするが、そんな彼女に同じくガールズトークを楽しんでいた籾岡里紗と沢田未央は不敵な笑みで横槍を入れてきた。
「そっか~ララちぃは知らないんだっけ。春菜の好きなやつ!」
「え、皆は知ってるの?」
「ま、一部だよ一部。結構有名だしねぇ」
「ちょ、まっ!? 何言う気っ!?」
そんな会話は布団の中とはいえ聞こえないという事は全く無い。流石に好きな人を勝手に聞くのは失礼だと感じたリトは聞き流そうと耳を塞ぐ。
春菜はもはや気が気でなかった。こんな場所で、しかもこんなムードも何も無い状況で、その上自分の口からでもなくその好意を暴露されようとしている。
なんとかそれだけは阻止しようと声を上げようとした瞬間。
けたたましい音が建物一体を支配した。
非常ベルの音!? まさか火事だろうか。
全員が慌てて部屋の外に出る。突然の事態に驚きを隠せない春菜だったが、リトを逃がすなら今のうちという事だけは頭から離れなかった。
リトを布団から出すと、彼は春菜の手を掴む。
火事ならば一緒に逃げなければいけないと感じたリトはそのまま春菜と一緒に脱出する事を意識せずに行った。
未だ半分放心している春菜は外に出て風に当たったことでようやくさっきまでの状況を自覚し始め…顔を隠す。今は誰にも、特に隣に立つ好きな男の子には見られたくない。
そう思うほどに今の彼女は耳まで赤くなり、口はだらしなく緩んでいた。
「え~、みなさーん。先程のベルはどうやら誤報だったようです。なので安心してそのまま部屋へお戻りください」
静かな夜に似つかわしくないそんな大きな声が響くと、生徒達は全員安心したようなガッカリした様な声を漏らしながら自分達の部屋へと戻っていく。
そんな中でもう一度リトの手を強く握り、春菜はリトに礼を言うとララ達と共に部屋へ戻っていった。
その姿を見送るとリトはホッと息を吐いて自分も部屋へ戻ろうとする。
…そんな瞬間だった。偶々ちらりと見た先には、自分にとって見慣れた大事な人が居たような気がした。
そんな馬鹿なと目をこすってもう一度見ると、そこにその姿は無い。
「気のせい? おいおい、重症じゃねぇか俺…はぁ。美柑、独りで寂しくしてなきゃいいけど…って、俺よりしっかりしてるし平気だよな」
自分よりしっかりしている妹の姿を思い浮かべながら、何処か寂しげに呟きながら部屋へ戻るリト。
ふと、早く美柑に会いたい。そう思ってしまった事だけは誰にも知られぬように口には出さなかった。
――――――
「あれ?」
春菜は部屋に入る前に遠くに人影を確認する。
小学生くらいの女の子がこっちを向いている様に見えるが、如何せん離れていてよく見えない。
まさか幽霊だろうかと顔を青くする春菜を見ていた少女は彼女を見据えて指を向けてくる。
そのまま何かを呟くと同時に指を目元へ持っていき…舌を出しているように春菜には見えた。
「あっかんべー…??」
すると、何か満足そうに彼女は通路の曲がり角へと消えていった。
あれは何だったのだろうか?
この時の春菜の疑問は一生判明する事は無いのかも知れない。
おまけ
『中学時代の春菜さん』
今日も結城くんは花に水をあげている。最近の結城くんは何だか大人っぽくなったような気がしていた。
でも相変わらず優しい部分は変わらないし、私はそんな彼が好きだった。
「はぁ…クラス変わっちゃって話す機会なくなっちゃったなぁ。結城くん…」
「やっほ春菜! お、またストーカーしてるの?」
「ひぃ!? な、なな私そんな事してない!!」
西連寺春菜。
好きな人と話す機会が少なくなり、影でこっそりとその姿を見るのが日課になりつつある最近残念な感じと噂の少女。
高校になってクラスが同じになり、元の状態になるまで大体こんな感じだったのだとか。