◆
「それで、どうしてそうなったワケ?」
「あ~…だからな、え~と」
「私、リトと結婚する事にしたんだっ♪ よろしくね、美柑!」
一瞬にして学校中に広まった空を飛ぶ美少女騒動から、やっとの思いで解放されたリト。
腕にしがみつくララを鬱陶しそうにしながらも、悪い気はしていない様子で振り解かずに家に帰ると、そこにはそんな彼を玄関で待ち構えていた、彼が心から大事に想っている妹の姿があった。
明らかに不機嫌なオーラを纏いながらこちらを見据える彼女の姿は、家族であっても稀にしか見ない程の威圧感をさらけ出していて、そんな姿にリトは思わず腰が引けてしまう。
その横では状況を全く把握していない様子のララが緊張感の無い声で、その日あった重大な出来事をあっけらかんとした様子で暴露した。
『リトと結婚する事にした』
その一言を聞いた瞬間、その場の空気は凍結する。
帰宅した二人を無言で見つめる美柑。
かつて無いほど不機嫌な妹の姿に戸惑いながら目を泳がせるリト。
数分にも感じる短い沈黙の後、ただ一言「そう」と口にした美柑が奥の部屋へと戻るまでまともに呼吸をする事も出来なかったリトは、彼女の姿が見えなくなって漸く深い溜息を吐き出すのだった。
◆
不安は的中した。
ララさんと二人で腕を組みながら仲良さそうにしているリトはきっと悪い気はしていないんだと思う。
気付いたら手のひらがヒリヒリとしていて、変な痕が赤く残ってしまっていた。
いつの間にか、強く拳を握り過ぎてしまっていたらしい。
流石に血は出ていないけど、爪の形に食い込んだ手のひらを見て渇いた笑いが出てしまう。
何をバカなことしているんだ私は。
こんなこと、
何も、不安になることなんてないハズなのに。
なのにどうして、こんなにも。
「なんで、こんなに悔しいんだろう…?」
泣いたらダメだ。
今、もしも泣いてしまえばきっと止められなくなる。
だから今は泣けない。これからも泣くなんて許されない。
わかっていた。
そう、わかっていた事なんだ。
だから大丈夫。このくらい、なんて事は無い。
唇を噛みしめながら頭を冷やそうと努力する。
痛いけど、痛くない。この程度。
全然耐えられる痛みだからと自分に言い聞かせながら頭を整理する。
「やっぱりこうなっちゃうんだ……なら、次に私がする事は」
計画に変更は無い。
あらかじめ、ララさんが来た時と、来なかった時。もしもそのまま諦めてくれた時の事はそれぞれ考えてある。
だからそれのとおりに今は動くだけ。
むしろ、ここまで想定どおりになった事でちょっとした発見も出来た。
もう大丈夫、早くリトにご飯作ってあげなくちゃ。
見せられない顔を両手で叩いて気持ちを切り替える。
リトを不安にさせない為に笑顔を作って、私は台所へと足を動かした。
◆
夕飯を三人で囲みながら改めて一日の出来事が整理される。
要するに『止むに止まれぬ事情があったので一時的に結婚の相手役を了承した』と言う事だった。
二人の話を聞きながら美柑は考え込むように目を瞑り、リトを罵倒する。
「リト、あんた自分の言ってる意味ちゃんとわかってるの?
「で、でもその場限りでだし、フリなんだからさ。そのくらいは…」
「それが理解してないって言ってるの! いい!? ドラマみたいに偽の恋人ならその内いくらでも無かった事にだって出来るの。でも最初から結婚の相手だって言っちゃったら、それを『実は嘘でした』なんて言葉で許されるワケないでしょーが!!」
美柑の発言を聞いて、少しずつリトは自分の言った言葉の意味を理解していく。
徐々に暗くなっていく表情のリトを見ながら少し心を痛める美柑だったが、彼女の心境からすればここは譲る事の出来ない場面だった。
故に、彼女はその手を緩めない。
大事な兄を護る為に自分の出来る最大限の事をする覚悟を既にしているのだから。
「ペケ、ララさんの親って冗談は通じるタイプなの?」
「え? えぇと…正直に申しますといいえ、ですね。特にギド様…現デビルーク王様は気難しいお方ですから。万が一、無礼を働いたとなると…」
突然、話を振られて動揺するもハッキリと万能コスチュームロボットは返答した。
その返答はリトの想像を遥かに超える程の破壊力で、その事を知っていた美柑は想定していたとおりの方向に話が流れて行く事を内心で喜びながら後押しする。
(あと一押しかな?)
「聞いた話だとデビルークって凄い権力のある星なんだよね? もしかして王様に逆らったり嘘吐いたらとんでもない事になっちゃったりするの?」
「……そうですね。デビルーク王の機嫌を損ねて星そのものが消滅したと言う話は少なくないです」
「は、ハァ!? ちょ、ちょっと待てよララ! そんな話聞いてないぞッ!?」
決定的な一言を聞いて思わず声を大きくしながらリトはララに詰め寄った。
だがそれも当然と言えば当然であり、仕方の無い事である故に誰もリトを責める事は出来ないだろう。
流れとはいえ、ちょっとした善意で了承した事が地球そのものを危険に晒す出来事に繋がると言うのだ。
悪質な詐欺よりも酷すぎる内容にリトは遂に撤回を要求しようとするも、ララは悪意の無い笑みで返答する。
「あれー? 言ってなかったっけ? でも、大丈夫だよっ。そこは私がなんとかお願いするから、リトはバレない様にしてくれれば…」
「そしたらフリじゃなくなるだろう!?」
「でもリト一度オーケーしてくれたじゃん。私嬉しかったのに…」
「ストップ。ララさん、往生際が悪いよ。リトの優しさに付け込むのは止めてくれる?」
ララの潤んだ瞳と、心底残念そうな傷ついたという声色に一瞬の動揺を見せ言葉を詰まらせるリトを見た美柑は横槍をすかさず入れた。
あくまでララに悪意はない。
でも、だからと言ってそれで全てが許される筈がない。
美柑にとって、リトが望むなら最後の最後、最悪の事態で許す事も考えるが、無理強いをすると言うならば問答無用で手を下す覚悟でいた。
睨み付けるように、臨戦態勢を崩さない美柑の様子を見てララはようやく諦めムードを漂わせ始める。
夕飯を食べ終えたばかりであるが、お構いなしに寝転がってそっぽを向くララ。
完全に拗ねてしまった様子の彼女にペケはなんとかフォローを入れようと必死になっている。
その様子を見ながら美柑は思った以上にあっさりと勝ち取った結果に肩透かしを食らう。
(あれ、思ったよりあっさりしてる? なんか違和感が…)
「ありがとな、美柑。俺、考えが足らなかったよ」
「え? あ、うん。わかればいいんだよっ! まったく、私がいないと本当にダメなんだからリトは」
などと言いつつ、彼の見えない角度では勝手に上がってしまう口の端を堪える美柑。
褒められた事に喜びを感じざるを得ない様子で、全員分の食器を持って台所へと逃げ出すのだった。
――――――
食器を洗いながら美柑は思った。本当にコレで終わりなのかと。
別に物足りないとか、そういった意味では勿論ない。が、どうしてもあっさりとした結果に違和感を感じていた。
(ララさん、あんなに簡単にリトを諦める人じゃなかったよね。じゃあどうして…)
因みにリトとララはもう一度話したいからと言う理由で二階のリトの部屋にいる。
僅かな不安は確かにあったが、あそこまで言ったのだから今さらリトが間違った答えを出すはずはないだろう。
そんな事を思いながら、最後の食器を洗い終えると同時にインターホンが鳴り響く。
こんな時間に誰だろうと濡れた手をタオルで拭き取り、玄関へと向かう美柑。
二回目のインターホンが鳴ったあたりで扉を開けると、来客の正体が明らかになる。
「夜分に申し訳ない地球人。ここにララ様がいるのは分かっている。速やかに…」
「ザスティン?」
そこに居たのは美柑にとって見知った顔だった。
思わず普段の反応をしてしまうと、ザスティンは一瞬眉をひそめた。
その様子に「しまった」と感じた美柑。この時間ではまだ接点が無いのだから、いきなり名前を呼ぶのは変だと気付く。
何とか誤魔化そうと考えを巡らせていると、意外にも最初に納得したのはザスティンの方だった。どうやら、ララが自分の事を話していたのだろうと解釈をしたらしい。
「なるほど、ララ様だな? どうやら情報は確かだったようだ。ならば話は早い、連れ帰らせて貰うぞ?」
「え? あ~…どうぞ?」
勝手に納得した様子のザスティンを見て、話が悪化しないうちに要求をのむ事に決める。
自分の知っているザスティンよりも明らかに好戦的で、野蛮な態度の様子の彼に若干の戸惑いを感じる美柑だったが、土足で上がろうとする事を注意すると同時に自分の知っているザスティンの顔が一瞬出てきた事にほんの少し安堵した。
(最初は別人かと思ったけど…まだまだ私の知らない事って多いんだなぁ)
二階の部屋を説明し、階段を上っていく後姿を見送る。
ザスティンが来たと言う事は、ララはこれで自分の星へ帰るということだ。
本当に?
本当に、そうだろうかと美柑は感じた。
何か、違う気がする。
そう思っていると、二階で叫ぶような声が聞こえた。
どうやらララが帰るのを渋っているらしい。そんな様子の声を聴きながら、違和感の正体を美柑は感じ取った。
「待って、ザスティンと私が初めて会ったのってもっと後だよね?」
自分の知っている時間との食い違いをもう一度確認する。
ザスティンがララを連れ戻しに来たと言う事実は在ったのだろうか?
美柑は知らない。
だが、今現在、二階で起きていることはどうだろう。
そこまで考えて、先程までのララの態度や反応…一つ一つのピースが当て嵌まっていく。
「ララさんっていつ、リトを好きになったの?」
今日の学校で? 違う。それならあんなにあっさり退く筈がない。
美柑の知っているララは、本当にリトの事を愛していた。
だからこそ、さっきのあっさりとした…仕方ないと言う風に諦めたララに違和感を感じたのだ。
じゃあ、いつ彼女はリトに惚れた事になるだろう? その答えは……
「まさか、これから?」
不安が形となって現れる。
いつの間にか声は止んで静寂が戻ってきていた。
無言で一気に階段を駆け上がり、美柑はリトの部屋を開けた。
そこには、誰もいなかった。
◆
油断した!
そう思いながら私は走り出す。
自分の知っているザスティンにあまりにも慣れすぎていたせいで、まさかこんな事態になるなんて思ってもいなかった。
窓が開いていたということは、ララさんはリトを連れて逃げたのかもしれない。
それか、リトがララさんを連れて逃げたか…それは無い、よね?
とにかく、今は三人を探さないといけない。
もしかしたら、ララさんがリトを諦める世界があるのかもしれないと思って実行してきた。
だからこそ、さっきの結果は上手く行き過ぎた気がしたんだ。
後一歩。あと、一歩でもしかしたらが、叶うかもしれない。
ただそれだけを信じて足を動かす。
何処に行ったのかなんてわかる筈ない。闇雲に走って、疲れてるだけかもしれない。
でも走らなきゃ、ただ、走らなきゃ。今だけは、走らないといけない。
それが出来なきゃ、何も…解らない!
そして私は見つけた。
対峙するように並び立つ三人を。
遠目でリトが何かを叫びそうになっているのを確認した私はそれを止めようと声を出そうとした。
けど、さっきまで走り続けていた私は上手く声を出す事が出来ない。
結局その場を傍観する事しか、出来なかった。
だから……。
「私、リトとなら本当に結婚してもいいと思う…ううん、リトと結婚したい!」
その言葉は初めて聞いた。
だから、理解する。これが二人の始まりなんだと。
これが、二人の馴れ初めなんだと。
私はその場から逃げるように背を向け、そのまま歩み出す。あれだけ走ったのに、不思議とまだ余裕はあった。
◆
渇いた音が鳴り響いた。そこにはアスファルトの地面を踏み抜くように蹴る美柑の姿。
じんじんと、足の先から股の方へと痛みがこみ上げていく。
彼女にとってそれは、ほんの一瞬だけ曝け出した本心だった。
こうなる事は、彼女は最初から
ただ、単純に面白くないから。
行き場の無い憤りを、吐き出しただけ。
「…あ~あ、結局元通りかぁ」
彼女は空を見上げ、独り言を呟く。
そして、今日までやった事の意味を考え直す。
(今日まで、リトと仲良くなるように努力した。でも、些細な変化は出たけれど…結局ララさんは来て、元に戻った)
ララが来た以上、ここから美柑は少しでも変化が出るように行動を重ねてきた。
彼女を追い出すような発言も、結婚を反対する意思表示も、ザスティンを向かわせたのも。全てが何かが変わるように試した実験の結果である。
しかし結果は無かった。
これだけやったにも関わらず、リトとララは婚約者候補の関係になってしまう。
つまり、成果がない事が解った。
(大丈夫、まだ大丈夫…こうなるって事はやりようがまだあるんだから)
半分は言い聞かせるように自分を静める美柑。口では、心ではそう思っていても不安は消えない。
もしも………だったら。
そう思わないように彼女は暗示をかける。他ならぬ自分自身に。
「とにかく、今は家に…それからリトを迎えないと」
歩きながら、今後の方針を今一度固めていく。
そう、今回の出来事でこの世界のことが少し理解できた。
今までは、結局判断材料が無くて、何も解らなかった。だけど、ララが来た事でそれを少しだけ判断する事ができる。
この世界はやはり、過去と同じ道を辿っている。
だから、ララが予定通り結城家へ訪れた。
そして、違う道を辿りながらも前と同じになった。
だったら、今後の事は想定する事が容易いと美柑は判断する。
(あんまり気は進まなかったけどこうなったら協力…やっぱ必要だよね)
一瞬思考する美柑。
彼女の描く条件…リトに一定以上の好意を抱いていない。恋愛に寛大で自分に協力してくれそうな人物。個人的に信頼の置ける人物。
二人、三人と目星を立てて美柑は手を上へ伸ばす。
「やっぱり、届かない…でも、あきらめない」
一人では結局、無理だった。
だから仕方ない。今は、それでも頑張るしかない。
今日の成果は計画の続行を後押しする。
予定通りララは訪れて、元の時間を辿っているなら、彼女達は必ず訪れる。
まだ現れぬ親友を求める様に、届かぬ星へもう一度美柑は手を伸ばした。
――――――
「ただいま~美柑」
「たっだいま~!」
先に帰宅した美柑に続くようにリトとララは帰って来た。
元気の無いリトと対照的に、ララは心底楽しそうに頬を朱に染めながらリトの腕を絡め取っている。
靴を脱ぐからと一旦腕を振り解いたリトの後には、いつの間にか美柑が立っていた。
ビクッと一瞬驚いたリトは、しどろもどろになりながらこうなった経緯を説明しようとする。
美柑は笑顔を崩さない。
ただ、全て理解している彼女はニコニコと笑う。
不自然な妹の様子にリトとララは不思議に感じていると、美柑はゆっくりとリトに近づき…頬にキスをした。
「おかえりリト♪」
「へ? え…美柑…?」
「好きな人にはお帰りのキス、するんだよね? テレビで見たよ♪」
普段慣れたハグよりも一歩上のスキンシップに驚くリト。
彼女的には唇にしたかったのだが、流石にララの前では恥ずかしかったらしい。
「わぁ! リトと美柑って仲良しなんだね~!」
「えぇ。すっごい仲良いんですよ」
今日の成果はもう一つ。
これだけやっても結果は元に戻ったのだ…それはつまり。
(
混乱するリトにもう一度、今度は逆の頬にキスをする。
まだ、負けたわけではないと言わんばかりに、見せ付けるように笑顔で美柑はララに改めて言う。
彼女が来てくれたことで、これからの方針は改めて決まった。
「歓迎するよララさん、リトはあげないけどね」
驚きで目を見開くララを見て、