無表情だったサンじゅうロの顔が何かを感じ取り、獰猛に歪む。
『ちっ! あの兄弟、なかなかやるじゃねえか! 今頃、ブラジルのサンバカーニバルに参加してやがる計算だったのによぉ! クソが! やっぱこの『ナリ』じゃあ、足止めが関の山かよぉ!!』
サンじゅうロは、楽しそうに、だが悔しそうにまくし立てる。
「どうしたんです?!」
「まさか、さっきの奴が……?!」
明らかに、様子のおかしいサンじゅうロにまどかと中沢は驚いた。
そして、中沢は先ほどのマラークの姿を思い出し、息を飲む。
『オイオイ兄ちゃん、そう慌てんなって。狙いはそっちの姉ちゃんなんだ。さっさと帰ってファミコンでも始めたらどうだい?』
サンじゅうロは、中沢をせせら笑うように言った。
「えっ……?」
中沢は、まどかの不安に揺れる瞳と目が合った。
「そんな事……そんな事できるはずがないだろ!!」
中沢は、思わず怒鳴り、サンじゅうロを睨み付けた。
『ほほぅ♪じゃあ、どうすんだ? そのハンドメイド弓矢で戦うか? 頑張りゃ殺れんじゃね? さっきの空手殺法よりゃ可能性あるぜぇ♪くははは!』
サンじゅうロウは「そのジョーク最高!!」といった調子で、楽しそうに耳(っぽいもの?)で床を叩いて嘲笑う。
「くっ……!」
中沢は反論する事が出来なかった。
そんな中沢を見たサンじゅうロは、溜息を一つ吐くと嘲笑を苦笑に変えて続ける。
『くはは……。じゃあ、そーだなぁ……ここは正攻法で、助けを呼ぶのはどうだ? 《G-3・UNIT》とかいう警察の特殊部隊とかどうよ? 中々イイ動きする連中だぜ。もともと対グロンギ用らしいが、イイ線いくんじゃね? それとも俺の“心当たり”を教えてやろうか? その夢と希望で戦う“心当たり”が、引き受けるか、勝てるかどうか、までは知らねぇけどな』
サンじゅうロは子供のワガママを煙に撒くような口調で、中沢の肩を気安く叩いた。
『二人で、警察署までオリンピック目指す勢いで走りゃ、間に合うかもな! 挑戦してみればぁ? くはは!』
中沢は、そんなサンじゅうロを、無視して考える。確かに、後者の方が、現実的に思える。
しかし、それは隣にいる少女鹿目まどかを見捨てるのと変わらないようにも思える。中沢はどうしたら良いのか分らなくなった。
「中沢くん……。いいよ、ありがと。わたし、大丈夫だから……」
不意に、まどかが中沢に淡く微笑んだ。
「わたし、こう見えて、かくれんぼ得意なんだ……。だから、その……中沢くんの事信じてるから。待ってるから。だから、早く迎えに来てね……」
中沢は少しの間、呆気にとられたが、
「何言い出すんだよ、鹿目さん!? 駄目だよ! そんな事!!」
と、すぐに叫んでいた。
「でも! このままじゃ中沢くんだって……!」
「それでも……、男のオレが、女の人を盾にするような真似できないよ!!」
中沢は、言い募るまどかを真っ直ぐに見つめ、諭すように言った。
『カッケー!! 熱血漢だなあ。それとも、女の前だから、イイ恰好しようってのか? くははは!』
中沢は、サンじゅうロの冷やかしを無視し、彼に向き直る。
「サンじゅうロさん、あなたが助けを呼んで来てくれませんか? それなら……」
『ほぉう、名案だな。だが、上半身だけの今の俺には無理だな。ほれ♪』
サンじゅうロは、中沢の提案に、首を横に振りつつ、後ろを向く。
サンじゅうロの身体が黒いのと、暗がりにいたため、今まで分らなかったが彼の胸から下、下半身は存在していなった。赤黒い断面はあるが、一滴の血も流れていない。
「そ……そんな身体になってまで、オレたちの事を……! すみません! 嫌味な人だなんて思って……」
『お、お、おう。気にすんな! そのうち生えてくんだからよ! あれだ、そう、ドンマイ! つうか、いきなり謝んな、ビビるじゃねぇか!」
サンじゅうロは、突然、頭を下げた中沢に驚いたのか、しどろもどろになった。
「サンじゅうロさん、鹿目さんをお願い出来ませんか? 奴は……マラークは、オレが引き付けます」
中沢は、サンじゅうロに深々と頭を下げる。
「中沢くん! ダメだよ! おかしいよ! そんなの!!」
まどかは、中沢の決意の言葉に驚き、普段の彼女から想像できない大きさの声で、それを否定する。
そんな二人を無表情で見つめながら、サンじゅうロは口を開いた。
『なあ、兄ちゃん。もし今ここに、マラークと互角に戦える“武器”があったら、どうする?』
こんな声も出せるのかと思うような静かな声だった。彼は青い瞳で中沢を見つめている。
「ある……んですか?」
『あぁ有るぜ。だが、人間にとっちゃ“猛毒”かも、だぜ?』
サンじゅうロは、皮肉気に笑い、中沢の質問に頷いた。そして、彼の手のような耳を、中沢の目の前に掲げた。その手(耳)には、濃緑色の拳大の石が握られていた。
『コイツは、4号やグロンギ共の力の源だ。《アマダム》《賢者の石》《王者の霊石》。まぁ、呼び方は、なんでも良いか。コイツはオレが作った模造品だしな……。まぁ、ともかくコイツを使えば、マラーク共とやっと同じステージに立てるってわけだ。』
薄暗がりにあるにも関わらず、《アマダム》の放つ荘厳な輝きにまどかと中沢は言葉も出ない。
『……同時にコイツを使えば、怪物どもの仲間入りってわけだ……。だがそれでも、飽くまで互角に戦えるってだけだ。コイツは、便利な必勝アイテムなんかじゃねぇ。それに奴に勝ったとしても、次のマラークのお出ましだ。兄ちゃんが死ぬか、マラーク共を殺し尽すまで狙われる。』
酷薄な笑みを浮かべ、サンじゅうロは続ける。
『首尾よく生き残れたとして、お前は、お前でいられる自信はあるか? 行き着く先は、奴らと同じ《壊す者》かもしれないぜ? くははは……』
「使い方を……、教えて下さい」
中沢は、蒼白だが決意した表情で頷いた。
「中沢くん! そんなの絶対おかしいよ!」
まどかは目じりに涙をため、中沢を引き止めようと、彼の右腕にしがみ付いた。
しかし、中沢は彼女の腕を壊れ物を扱うように優しく解いた。
「おかしくはない……かな? 普通だよ。鹿目さんもオレも助かるなら、どっちでもイイけど……」
中沢はまどかに振り向く事なく続け、
「もし、鹿目さんに万が一の事があって、オレだけ助かったら……。多分、オレは普通でいられない。もう普通に笑えない。普通でいたいんだよ、オレ。だから……」
その言葉を聞いたサンじゅうロの青い眼に狂喜が宿る。
『覚悟完了! ってか?! イイぜ、やるよコレ。その代り、お前の死合い、リングサイドで観戦させろよな!!』
サンじゅうロは、狂喜の笑みを浮かべ、《アマダム》を中沢の腹部に押し当てた。
「ぐ、うぅ!」
腹部に熱さを感じ、中沢は呻いたが、一瞬後にはそれはなくなり、そこには《アマダム》を納めた楕円形の装飾のされたベルト《アークル》が装着されていた。
『いいか? コイツに取説もチュートリアルも存在しねぇし必要ねぇ! 必要なのは、ただ“望む事”。純粋に望むんだよ。例えば「奴より強くなりてぇ!」「奴より速く動きてぇ!」「奴をブチ殺してぇ!」もしくは「彼女を絶対に護りたい……」とかなぁ。そうすりゃ《アマダム》は応えてくれる。どーだい、簡単だろ? くはは……。さぁ! こっからは男の時間だ! いくぜ兄弟!!』
サンじゅうロは叫び、耳で巨大な拳を作りバリケードにしていたガラクタを一撃粉砕すると、耳で駆け道路に飛び出した。
中沢は、サンじゅうロに続いて通路に出るも立ち止った。
「鹿目さんは、ここで待ってて……。終わったら送るよ。約束する……」
「中沢くん……」
中沢は、不安なまどかを見ず、呟く。
「……それから、止めてくれて、ありがとう。でも……オレ、勝つよ……!」
「中沢くん……!」
まどかの呼びかけを無視して、中沢は駆け出した。
「おかしい……よ。そんなの絶対おかしいよ……!」
まどかは、無理やりにでも止めようとしなかった自分と、簡単に命を投げ出すような選択をする中沢に、悔しさ、悲しみ、怒り、様々な物がない交ぜになった感情を抱いた。だが、彼女はそれらの感情を整理しきれず、ただその場に座り込み、涙を流す事しかできなかった。
廃屋の廊下を二人は走っていた。額から提灯アンコウのようなランプを出し辺りを照らし、先導しているサンじゅうロが、不意に中沢に話し掛けた。
『くははは……。しっかし、兄ちゃんも外さねえなぁ、台本でもあるんスかぁ? まっ、男はカッコつけてナンボだしな♪』
そんな冷やかしに中沢はなにも答えず、静かに切り出した。
「サンじゅうロさん、あなたがダメだと思ったら、その……」
『オイオ~イ! 男がやる前から、死んだ後のこと気にするもんじゃねえぜ! それから、『さん』はいらねぇ。兄弟に敬称なんざ付けられたくねぇ。中沢……そういやお前、名前聞いてねぇよな?』
「あっ、すみません。中沢 元国です。」
そう言えば、なんだかんだで、まどかしか名乗っていなかった。中沢は、遅めの自己紹介をした。
『中沢……元国ねえ。意味はありそうなんだが……、悪りぃ、なんも思い付かん! 中途半端な名前だな! まっ、男の価値は名前じゃねぇよ! くはは♪』
非常に大きなお世話だった。全国のナカザワさんやモトクニさんに、謝ってもらいたかった。
そうこうしている内に、建物の外に出た。辺りは既に、夜の闇と静寂に覆われている。仄かな月明りと、星明りだけが、万物に輪郭と表情を与えていた。
『さて……。やっこさんも準備万端♪ 殺る気満々♪ のようだぜ! 子供相手に、年甲斐も無くハリキリやがってよぉ、ご苦労なこった! くははは!!』
歓声を上げたサンじゅうロの視線の先に、奴はいた。
瓦礫や廃材、様々な物が置かれた広場の中心の巨大な影だけが、仄暗い闇の中にも拘らず異様な存在感を持って静かにたたずんでいる。
始まりの蜘蛛にして、
待伏せ追い詰める漁人
蜘蛛のマラーク《アラーネア・ピスカートル》
である。
中沢は一歩前に立つと、声を張りアラーネアに向かって叫ぶ。
「鹿目さんは、優しい人だ! 危険な事なんてしないし、あなた達に危害を加える事だって、絶対にしない。何が目的なんだ!? なぜ鹿目さんを!?」
アラーネアは、中沢の言葉に答えず、彼の腹部のアークルを見つめ、
『……KUUGA……?』
と、唸るように言った。
中沢に殴られた時も、まどかの首に手を掛けた時でさえ、感情を表さなかったアラーネアが忌々しそうにサンじゅうロを睨み付けた。
『なんだなんだ? その目は?! ワンサイドゲームじゃつまらねぇだろうが! 無傷で済まそうなんて、ケチくせー事考えてたのかよ? 見損なわせんなよぉ、兄弟!! くははは!!』
あたかも、本当の兄弟と話すような気安さで、サンじゅうロは言った。
そして、中沢に視線を移し、
『オイ、元国! いいか、奴らは分け隔てがない。で、同時に傲慢なんだ。あの姉ちゃんが、どんな奴かなんて知ったこっちゃねえのさ。覚悟を決めねえと、「壊される」ぜえ!』
「くそ……!」
サンじゅうロの冷たい忠告に、中沢は悔しげに拳を握った。
一方、アラーネアはこれから奪う命への手向けなのか、右鎖骨からみぞおちに右掌を滑らせ、その甲に数字の3……いや、《神の紋章》を描く。そして、彼は頭上に光の輪を出現させると同時に、憐憫と憤怒を刹那の内に冷徹な殺意に変えて、ゆっくりと中沢に迫る。
「うっ……!」
『オイ、ボサっとすんな!殺されるぞ!!』
中沢は、圧倒的で純粋な殺意に気圧され、サンじゅうロの声も耳に入らず、身動き一つできない。
そんな時、不意に右腕に、鹿目まどかの小さく細い手の温もりがよみがえった。
震える手で必死に自分を止めようとした彼女。
自分の他愛もない話に、苦笑する彼女。
交差点で、自分の呼びかけに、桜色の髪を揺らし振り向いた彼女。
教室で友人達と笑いあう、楽しそうな彼女。
そんな中、いち早く自分に気が付き、笑顔で朝の挨拶をくれた彼女。
今、ここで目の前の『脅威』を止めなければ、そんな優しい彼女がいなくなる。
「そんな事……そんな事! ダメに決まってるだろ!!」
中沢が吠える。中沢の想いに応えるように、ベルトの『アマダム』が強く光を放つ。
中沢は、帰り道、まどかを守る為に拳をふるった瞬間を再現するように、アラーネア目がけ全力で突き出した。
不意打ち気味の拳は、アラーネアの腹部に命中する。先程と同じように、アラーネアの歩みが止まる。
しかし、先程とは違いアラーネアは、二歩、三歩とタタラを踏み、後退した。
見れば、中沢の右腕が象牙色の手甲に覆われている。中沢は驚愕するが、今は些末事と無視する。中沢は間髪入れず、アラーネアの右胸板に左正拳、左足に右下段回し蹴り、蹴り足を軸足に入れ替え、その勢いを利用して左胸板に左肘を突き立て、左肘を戻す勢いで、右中段突きを右わき腹に見舞う。
中沢が、攻撃を繰り出すごとに 《アマダム》は彼の身体を、腕を、脚を、耳を、眼を、細胞の一つ一つを戦闘用に作り変えていく。
中沢が、アラーネアの背後を捕る形で、身体を入れ替え、構え直した時には、彼の身体全体が変化を遂げていた。
金色の冠のような短い一本角、顔の大半を占める橙色の昆虫を思わせる二つの複眼、象牙色の甲冑をまとった胴体、同じく象牙色の手甲に覆われた左右前腕、黒いボディースーツ着込んだように黒い皮膜に覆われた手足。
その姿、かつて《未確認生命体事件》を解決に導いた英雄の一人、《未確認生命体 第4号》に酷似していた。