The Song of Yggdrasil.   作:笛のうたかた

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ガゼフさん遠いな……。


旅人の歌―1

 そよ風が緑の匂いを伝える。草原の草いきれよりずっと濃密な、森緑の香り。それはどこから来て、どこへ行くのか。どこへ行き、どこに帰るのか。それはまるで、旅人のようだ。

 

 (……旅人がどんなものかは知らないけど)

 

 今にも降ってきそうな星空の下、ナーベラル・ガンマは胸の中でそう呟いた。

 だが、そんな旅人という言葉が思い浮かんだのは、間違いなく一人のエルフに原因がある。自己紹介で自らを旅人と称し、ナザリックの支配者であられる御方が手厚くもてなすそのエルフがいなければ、吹き抜ける風に旅を連想することもなかっただろう。

 旅人とは何か――九階層の客間で顔を合わせた時、ナーベラルはそう尋ねた。

 言葉の意味は分かる。イメージもできなくはない。だが具体的に何を為すのか、何をして暮らすのか。ナーベラルが持つ知識にその答えはなかった。故にこそ、プレアデスの中で一番槍を任せられた自分が、と探りのつもりで問いを投げたのだ。

 エルフは目を細めて笑った。遥か遠くを見透かすような目だった。

 

 『……自由を追い求める人。僕は、そう思ってる』

 

 自由。ナーベラルにとって、否、ナザリックに生きる全ての者にとって、縁遠い言葉だ。創造主である至高の四十一人に身を削ってでも仕え、支配されることこそ喜び。ナーベラルはそう信じ、他の誰に聞いても同じ答えが返るだろう。自由。馬鹿馬鹿しい。

 

 (このエルフと、ナザリックの誰も、相容れることはない)

 

 答えを聞いてナーベラルは確信した。――同時に、別の疑問も浮かんだ。

 

 (旅人でありながら……このエルフは自由ではないの?)

 

 自由だから旅をするのではなく、自由を求めて旅をする。その意図を掴むまでは至らなかったが、ナーベラルはそれ以上踏み込むのを避けた。問いを重ねすぎては失礼に当たるというのが一つ。そして自らの主人が、したり顔で頷いている様子を見たのが一つ。主人が理解していることを、従者に過ぎない自分が問う必要はない。

 紹介を終え、不思議なほどすっきりした雰囲気の主人が仕事に戻る姿を見送り、ナーベラルもまた自らの務めを全うすべくエルフに向き直った。セバスも執事として主人に付き従ったため、部屋の中は二人きりだ。

 実に都合がよい、とナーベラルは内心で薄く笑い、実際の表情は愛想のよい微笑みを作る。

 ――昨晩、主人が第六層へ出向いている間に、守護者統括から下された密命が脳裏をよぎる。

 

 『皆に提案……いいえ、お願いがあるの。命令ではないから、必ずしも従う必要はないけれど……あのエルフ、邪魔じゃない?』

 

 賛成四、無回答一、中立一。ナーベラルは無論賛成である。主人が望むならば下等生物に額づくことすら厭わないが、そうでなければ虫けら如きがナザリックの土を踏むことさえ許せはしない。プレアデスの総意を見て、反対がないことに守護者統括は機嫌のよさそうな笑みを浮かべた。

 

 『雑草は早いうちに抜いてしまわないと困るものね。もちろん、モモンガ様が信頼されているご友人に、直接危害を加える真似は許されないわ。だからまず、その信頼を奪う。……とは言っても、上手くいけば儲けものぐらいの認識でいること。この作戦の肝は、私たちに何の落ち度もないまま、あのエルフを失脚させることにあるのだから』

 

 まさに至言。ナザリックが誇る二大頭脳の導き出した策は、ナーベラルが見る限り完璧であった。上手く行けば――いや、絶対に上手く行くだろうその策が成れば、命を奪うまでに至らずとも、あのおかしなエルフをナザリックから放逐し得る。

 甘美な未来絵図を思い描きながら、ナーベラルはするりとエルフの傍に近寄った。それは、近すぎるのでは? と普段なら眉を顰められるほどの距離だ。だがこのエルフは主人ではなく、叱責する者もない。どうしたの? と言わんばかりにこちらを見つめる瞳があるだけ。

 ナーベラルはその手を取った。胸の前まで持ち上げ、両手で優しく包み込みながら微笑する。

 

 『これから、よろしくお願い致しします。何でも申し付けてくださいませ』

 『…………うん、ありがとう』

 

 少しぼーっとしたようなエルフの返答。――よしよし、いい感じだ。手応えを得て、ナーベラルはゆっくりと手を離す。少しばかり名残惜しそうな表情を作るのも忘れない。

 

 『……では、参りましょう。本日はプレアデスが一人、ナーベラル・ガンマがナザリックをご案内します』

 『あ、うん。よろしくね』

 

 やっぱりちょっとぼうっとしているようなエルフに、会心の笑みがこぼれるのを隠しながら、ナーベラルは廊下への扉に手をかける。

 それからも似たような行為を続けた。階段を降りる際にはそっと背中に手を添え、遠くの景色を指し示しながら肩を触れ合わせ、転んだふりで腕の中に飛び込んでみたり、時には積極的に手を握ってみせたりと、ナーベラルはごく自然を装ったスキンシップを重ねる。無論、食事の席でも甲斐甲斐しく給仕に精を出した。かつてないほど脳味噌を働かせ、知恵を絞り、好意的に見えるだろう挙措に身を尽くした。掛け値なしに、それはナーベラルの全力だった。

 

 

 

 

 ――とても簡単な話。あのエルフは若い男で、貴方たちは見目麗しい女。好意があるふりを続けて、隙を見せて……どこまで欲望に抗えるか試してやりましょう。そしてもし、手を出して来たら……ね?

 

 とっても簡単でしょう? と、美しくも恐ろしいサキュバスの女は、艶然と唇を震わせた。

 

 

 

 

 (……はい、アルベド様。このナーベラルが、必ずや)

 

 そして夜。エルフの希望でナーベラルは外に出た。満天の星空の下、二人きり。……いや、透明化したシモベが巡回しているし、反対側の外壁では守護者のマーレが隠蔽工作を続けているが、概ね二人きりで、シチュエーションとしては申し分なかった。

 だが絶好の機会でありながら、ここで初めてナーベラルはつまずいてしまう。大きな羊皮紙を地面に広げ、羽ペンを持ったエルフから、邪魔をしないよう言われたのだ。書き物をしている相手にスキンシップを取るわけにはいかず、さりとて集中し始めたエルフに話しかけるわけにもいかず。暇を持て余したナーベラルは、エルフの背後に佇みながらぼんやりと空を見上げていた。

 思えばこうして地上に出るのも初めてのことだ。ナザリックが転移しなければ、自分は九階層から出ることもなく、メイドとして至高の方々に仕え、プレアデスとして侵入者を待つ日々が続いただろう。それを不幸だとは思わない。あのエルフからすれば不自由に見えるかもしれないが、永劫の閉塞は不変の未来を約束する。

 

 (そう、それでいい。モモンガ様さえいらっしゃれば……もちろん、至高の四十一人の全員がお戻りになれば言うことはないけれど、モモンガ様さえお残りになっているのであれば――)

 

 私たちは、幸せだ。唇を綻ばせ、流れる星を目で追う。〈星に願いを〉――ウィッシュ・アポン・ア・スター。決して使えない超位魔法の名を、ナーベラルは呟いた。

 

 「……やっと笑ったね」

 

 はっと我に返り、ナーベラルは視線を落とす。座り込んだままぐっと背を反らし、両手で身体を支えながら、逆さまにこちらを見上げるエルフと目が合う。

 

 「……申し訳ありません。お言葉の意味がよく分からないのですが」

 「アルベドはどこまで命令したのかな?」

 

 雑談と変わらない気楽な口調で告げるエルフに、思考が止まる。――なぜ、そこで、守護者統括の名が出てくる?

 マズい。何がマズいのか分からないままそう思い、ナーベラルは必死になって言葉を探す。

 

 「アルベド様からは……案内役と、お世話係を……仰せつかっております」

 「うん、なるほど。命令じゃないんだね。じゃあお願いでもされた? それとも例え話で、こういう方法もあるよーって教えられただけかな? まあどっちでもいいけど……狡い手を使うね。命令じゃないから、その作戦が失敗した時にアルベドが責任を問われることもないかもだし」

 

 待て。

 ちょっと、待て。

 

 「それにしても古典的だよねー。美人局……じゃないか、この場合は普通にハニートラップかな。男女の醜聞は友情も愛情も簡単に壊しちゃうから、有名人はすごく気を付けてるんだよー? それにあんまり自覚なかったけど、僕はエルフで寿命が長いせいか、“そういう”欲求が薄いみたい。長命種の宿命かもね」

 「……何の、お話、でしょうか……」

 「うん。実はね、朝からずーっと言いたかったんだけど」

 

 ひょいっと立ち上がったエルフがまっすぐにこちらを見つめ、にこやかに、満面の笑顔で言う。

 

 「ナーベラル・ガンマ。――君の演技、すっごいへたっぴ♪」

 

 ピキッ

 

 何とは言わないが、何かが筋張る音。

 

 「…………もう一度言っていただけますか? 取り消すなら今の内ですが」

 「へたっぴへたっぴ~♪」

 

 プチッ

 

 何とは言わないが、何かが切れる音。

 

 「ーーこの私に、こうまで尽くされた幸せを、大人しく噛み締めておけばいいものを……っ。」

 

 わなわなと震えながらまなじりを吊り上げ、ナーベラルは声を絞り出す。

 

 「マツモムシ風情がっ……その小うるさい口を縫い付けてやりましょうか!?」

 「わぁい、怒った顔も美人だね?」

 

 平然とそんな切り返しができるエルフは、他人をイラつかせることにかけては天下一品に違いない。

 口の端を引きつらせながらナーベラルは今日一日を振り返る。朝から夜までおかしなエルフの世話。不本意に不本意を重ねたスキンシップの数々。――でありながら、御方のためとプライドを捨てたにも関わらず、道化を演じていただけ? あの我慢が、あの努力が、何もかも無意味?

 もはや抑え切れない激情が、ナーベラルの手の中でチリチリと帯電していく。目の前のエルフが至高の御方の友人であり客人であるなど、とうに頭から消えていた。どうやってその笑顔を苦痛に変え、ふざけた口から悲鳴を上げさせるかで、埋め尽くされる思考。

 

 「こ、の……ミドリムシごときが……っ!」

 「うんうん、その調子。やっと“らしく”なったね」

 

 知った風な口を利くエルフにナーベラルは魔力を束ねて魔法と成す。〈二重最強化・連鎖する龍雷〉――重ねがけした第七位階魔法の予兆が大気を焦がす。レベル差は承知の上。だがこの戯けたエルフに、目に物を見せてやらねば気が済まない!

 のたうつ雷龍を前にして、だが身構えもしない自称旅人。それどころか懐かしげに瞳を細めている。

 ――油断か?

 ――慢心か?

 ――それとも、このナーベラルの魔法など構える価値もないと?

 

 「ギンバエが……ならばそのまま、後悔を胸に焼け死ねッ!!」

 

 唇を歪ませ吐き捨てたナーベラルに、エルフが首肯した。

 

 

 

 「そう、それでいい。それでこそ弐式炎雷が創造した通りの、毒吐きナーベラル」

 

 

 

 「……………え?」

 

 パシッ、と。生まれつつあった魔法が霧散する。怒りに染まっていた頭が、真っ白になる。

 毒吐きナーベラル。そんな呼ばれ方をした覚えは一度もない。……ない、はずだ。

 だが、なぜだろう。

 耳に馴染む。

 

 「……アインズ・ウール・ゴウンの構成人数は四十一人。彼らがナザリックを造り上げ、君たちを創造すると決めた時、不文律とも言える共通認識があった」

 

 ゆったりと包み込むように静かな口調で、エルフが語る。

 

 「それが魂の非相似性――似通った魂の創造を可能な限り避けよう、という暗黙の了解。階層守護者、領域守護者、プレアデス、一般メイド……至高の存在が創造した者に、誰一人として酷似した人格の持ち主はいない。そう在れ、と四十一人が望んだから。ただ唯一の存在として生み出したかったから」

 

 不思議な声だ。身体の芯まで響くように強く、それでいて寝物語のように甘い。

 いつしかナーベラルは呼吸さえ忘れたように耳を傾けていた。

 一字一句聞き漏らすまいと全霊を賭す自分に、気付いてさえいなかった。

 

 「そして君の設計思想は、毒。言葉の毒。……君はまず言葉から造られた。毒をコンセプトに魂の核を創造し、だけどその先で彼は壁に直面する。だって彼はいの一番に突撃するアインズ・ウール・ゴウンの切り込み隊長。一撃の威力は四十一人の中でも最強。そんな彼にとって剣は軽くとも、握ったペンはあまりにも重かった」

 

 手を伸ばし、エルフは虚空から黄金のハープを取り出す。ロン、と爪先が軽く弦を鳴らした。

 ふと、ナーベラルは目を瞬く。

 

 ――あのエルフの指は、あんなに細かっただろうか。朝方、気を惹くために握ったはずなのに、記憶にない。

 ――あのエルフの髪は、新芽のような緑だっただろうか。食事の際は帽子を脱いでいたはずなのに、覚えがない。

 ――あのエルフの瞳は、あんなにも綺麗な金色だっただろうか。何度となく目を合わせたはずなのに、憶えてない。

 

 愕然とした思いで、ナーベラルはエルフを見つめる。

 

 ―――そう言えば。

 

 ―――たとえ一度でも、自分はこのエルフの名前を呼んだだろうか……?

 

 すぅっとエルフが息を吸い込む。静寂の一瞬に、世界が身を引き締める。

 弦に添えられた指先が、最初の音を刻んだ。

 

 「……その者、半岩半人。その者、胆大心細……」

 

 夜明けを思わせるほの白い囁きが、目覚めを迎えた朝焼けのように、緩やかに輝きを増していく。

 

 「生まれも知らぬ、ハーフゴーレム。死に場を知らぬ、剣の御手。背負う巨剣は竜尾が如く、踊る二刀は雷火の如く、地を割り砕き、天を裂く……」

 

  ――それは、歌だ。

      ナーベラルの、創造主の、歌――

 

 「……その日、その者、剣を仕舞いて筆を取る。敵に向かわず己と向かう。思い描くは理想の姿、胸に描きし理想の御魂。射干玉の髪は尾の如く、舌鋒鋭く雷の如く。黒き瞳は火に映える。白き肌は抜き身の刃……」

 

 声に、歌に。心臓が高鳴る。胸を押さえる。

 それは物語。語られる過去の物語。誰も、自分さえも知らないそれは、神話に他ならない。

 

 「……されどその夢、実るに難く、高き理想に悩まさる。無双の剣豪も悩みは斬れず。見兼ねた友が手を差し伸べた。【俺が代わりに描こうか?】。なれどその者、その手を払いこう告げる。【――俺の娘だ。手を出すな!!】」

 

 烈火の咆哮に身が竦む。その場に居合わせたかのように、ありありと浮かぶ情景。巌の面を引き締めて、机に向かうその背中。何度も何度も、書いては損じる。自分を創造せんがため、如何なる労苦も厭わずに。

 

 「……遂にその者、筆を置く。黙して儀式の間に出向く」

 

 高く掻き鳴らされた音色が不意に静まり、そよ風さえその動きを絶やす。

 

 「腕に抱いた理想の姿、両手に包む理想の御魂……」

 

 黄金の瞳が穏やかにこちらを見つめ、その唇が神話の終詩を詠った。

 

 

 

 「――その者、弐式炎雷。創生の法にてナーベラル・ガンマを生み出さん――」

 

 

 

 

   ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 頭の奥に響く〈伝言〉の気配があり、モモンガはアルベドの報告を手で制した。

 なんかデジャヴがあるな、と思いながら意識を繋ぐ。

 

 「アルンか?」

 《正解。よく分かったね~……》

 

 声が微妙に沈んでいる。モモンガが口にしたアルンの名前に、なぜかアルベドの目が輝いたような気がしたが、今は〈伝言〉の意図を尋ねるのが先だ。

 

 「どうした? 確か今日も星を見に行くと言っていたはずだが」

 《あー、うーん……それはそうなんだけどね。……モモンガ、泣いてる女の子を慰める方法知らない?》

 「知らん。切るぞ」

 《待って待って! えーと、実はちょっとやりすぎたみたいで、ナーベラル泣かしちゃって……》

 「――は? ナーベラルを泣かした?」

 

 期待に輝いていたアルベドの目が、ん? と疑問を浮かべるが、まあどうでもいい。

 

 《ニッキーの話を即興の歌にしたら、感激したっていうか、感動したっていうか……えと、うん。そんな感じ。彼らの認識に合わせてアレンジしてるんだけど……とりあえずプレアデスの誰か寄越して回収してくれない?》

 「何をやっているんだお前は……。まあいい、誰かやればいいんだな? ――ユリ、ナーベラルを迎えに行ってやれ。地上部分だ。一日ご苦労だった、ゆっくり休め、と伝えればいい」

 

 一礼した眼鏡のメイドが扉の向こうに消えるのを見送り、モモンガは通話に戻る。

 

 「お前もそろそろ降りて来い。いい加減遅い時間だぞ」

 《あ、ごめん。それ無理》

 

 無理? モモンガは首を捻る。難しいではなく、無理?

 あはは、と陽気な笑いが聞こえてくる。

 

 《いやー、実は歌う前に地図を描いてたんだよね。ほら、モモンガも星図より地図を先に描けって言ったでしょ?》

 「それはまあ、言ったが……」

 《うん。だからねー、移動先に視界を飛ばす鳥形ゴーレムのマジックアイテムを使って、周りの地形を調べてたわけ。……そしたら航続限界か距離的限界か分からないけど、そのゴーレムが墜落しちゃった♪》

 「……は?」

 《だから僕、そのゴーレムを回収して来るよー。日の出には帰るから、後よろしく。ツーツーツー、ガチャン♪》

 「んなっ……ちょっと待ておいこの確信犯!!」

 

 だが時遅く、既に〈伝言〉は切れていた。

 舌打ちして繋ぎ直そうとしたモモンガに、慌てた様子のアルベドが口早に告げてくる。

 

 「モモンガ様、マーレから報告です! ナザリックを囲む草原一帯に、突如として濃密な霧が発生したと!」

 「霧? ……まさか〈五里霧中〉? あの馬鹿本気で朝まで遊び更けるつもりか!?」

 

 行動を阻害するスキルではないが、物理的に視界を閉ざすため索敵系の能力を持っていなければ対処は難しく、専ら危地からの脱出に使われる。それを恐らくは別のスキルで強化し、広大な範囲にばら撒いたのだ。

 舌打ちしたい気持ちに駆られていると、アルベドが神妙な顔で提案した。

 

 「今ならマーレも対応できます。シモベを動員して捜索隊を出しますか?」

 「……やめろ。マーレにも、絶対に追うなと伝えろ。あいつの手口はよく知っている……。恐らくランダム転移系のトラップスキル〈妖精の輪〉を既に発動しているはずだ。大した距離を飛ばされるわけではないが、数を出すほど混乱が広がる。……それに追い詰めると、一時的なセーフティゾーンを作り出す〈妖精郷〉で完全に姿を消すだろう。追うだけ無駄だ」

 

 逃亡、脱出、生還はファルン・アルンの十八番。仮にアインズ・ウール・ゴウンの全員が揃っていたとしても、本気で逃げに回られたらその影を捉えるだけで半日を要する。遊びで一つの迷宮を舞台に増え鬼――段々と鬼が増えていく鬼ごっこに興じたことがあるが、結局アルン一人だけ最後まで捕まらなかった。苛立ったウルベルトが周りのメンバーの制止を振り切り、超位魔法をぶっ放して階層ごと吹き飛ばしたりしたのだが……そこまでしてもちょっと煤けたぐらいの姿で済ませ、文句を言いに現れたのだから、生き残りにかけては右に出る者がないとモモンガは思い知っている。

 

 「……もういい、好きにさせろ。思えばアルンが見知らぬ世界を前にして、一晩大人しく過ごしただけで奇跡に近い。元より自由を求めるあいつの生き様を押し留める権利など、私には無いのだからな」

 「御心のままに、モモンガ様。……ところで、私もナーベラルを迎えに行ってもよろしいでしょうか? 戦闘メイドの彼女が涙するなど尋常の事態ではありません。アルン様に失礼をしていないかの確認だけでも……」

 「ふむ。……いいだろう。ただし問い詰めるようなことはしないようにな。先ほども言ったが、ゆっくり休ませてやれ。アルンの相手は疲れただろう」

 「はい。では、行って参ります」

 

 純白のドレスを翻し、扉に向かうアルベド。――ふとモモンガは、〈伝言〉の最中にアルベドの目が疑問に揺らいでいたことを思い出す。それに、やけにナーベラルを気にかけているように見えた。

 

 「アルベド。これはちょっとした邪推だが……プレアデスに何か特別な命令を出したか?」

 

 腰元に生やした漆黒の翼をなびかせて、アルベドが振り返った。にこりと微笑んで、言う。

 

 「いいえ、モモンガ様。――お世話とご案内の他には、何も命令しておりません」

 

 

 

 

 

 


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