The Song of Yggdrasil.   作:笛のうたかた

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旅人とナザリック―2

 視界が暗黒から薄暗い通路に切り替わり、モモンガは指輪の効果が問題なく発動したことに胸を撫で下ろす。原因不明の異常事態は継続中だが、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンさえ起動するなら少なくとも宝物殿の武器、道具、マジックアイテムを始めとした財宝は自由に扱える。無論、仲間たちと集めた輝かしい歴史だ。無駄遣いするつもりはない。だができるというのは、重要な選択肢だろう。

 

 「……ん?」

 

 魔獣の出入りも視野に入れて設計された巨大な格子戸へと足を進めかけたモモンガは、しかしその向こうから聞こえてくる音色に頭蓋骨を小さく傾け、骸骨の無表情に疑問符を浮かべる。

 聞いたことがないBGMだな、と。この異常事態による何らかのイレギュラーか、と。だが考えてみればさっきからBGMの類いは全部カットされていたはず。つまり耳に届くこの音楽は誰かの演奏ということに……。

 

 (……いやいや、何考えているんだ俺は。いくら演奏だからってあいつのはずがないだろ。そもそもどうやってナザリックに入り……込めるな。いや階層守護者たち……も出し抜けるか。だが動機がない……わけでも、ないのか? 最後の最後に顔を見るついでに俺を驚かせようとか考えた? うわぁ、めちゃくちゃありそう……)

 

 全ては憶測に過ぎない。だが空っぽの胸にストンと収まる、奇妙な確信がモモンガの背を押した。

 自動ドアのように格子戸が勢いよく持ち上がる。その先は帝政ローマ時代の遺物を丸ごとデータ化し再現した円形闘技場であり、愚かな侵入者を幾度も仕留めてきた血の舞台。――だが今、息絶えた骸の怨念も血生臭い歴史も、そこから見出すことはできない。

 ただ静かで、清らかで、澄み渡った音色が世界を染めていた。

 闘技場の中央でスポットライトを浴びるように、苔むした森の緑を思わせる外套が、こちらに背を向けている。片腕に携えた、それ自体が神々しい光を放つような黄金の竪琴は、弾き手の意思をまっすぐに受け止め、心震わせる音色を紡ぎ続ける。ゲームの吟遊詩人を愚直に体現した羽根つき帽子の下で、尖った耳が控えめに突き出ている。

 嗚呼、と息を吐く。さっきから思い描いていた通りの姿をそこに見て、懐かしさと、まったく仕方ないなという近所の子供を叱るような気持ちが湧き起こり、モモンガの眼窩に揺れる赤い灯が細められる。

 モモンガが近付くと同時、予定調和のように高く余韻を響かせ、竪琴の音が止んだ。

 奏者が、踵を軸にくるりとターンを決める。若葉色の髪に、黄金の瞳。万人が想像するエルフらしさ満載の美貌は、やや稚気が混ざった幼げなもの。十五歳ほどの外見がその印象を強め、幼さ故の性別不祥なミステリアスさに拍車がかかっている。

 このナザリックに――そしてモモンガの想像が正しければ、この世界にさえいない可能性の方が高いはずの少年エルフは、金色の目を悪戯っぽく煌めかせ、ニッと歯を見せて笑った。

 

 「やあ、元気そうだね桃の助。……生きてるかはともかく」

 「……そのあだ名で呼ばれて安心する日が来るとは思いませんでしたよ、アルンさん」

 

 エルフの少年――ファルン・アルン。

 アインズ・ウール・ゴウンのメンバーが無二の親友であるなら、アルンは古馴染みの旧友という表現が正しい。実際顔を合わせたのは共にギルドを立ち上げた最初の九人より前だ。と言っても、わずかな差だが。

 モモンガがユグドラシルを始めた際、選択した種族がスケルトンだったばかりに、初心者狩り及び流行する異形種狩りの標的にされていた頃のこと。魔法職でも戦士職でもなく、弱っちい吟遊詩人のくせにソロプレイを貫くアルンは、同種のエルフなど人間職のプレイヤーにまでいいカモとして扱われていた。ステータスが低い割にプレイ歴が幾らか長いのも原因の一つだった。要は初心者狩りをするより効率がいいのだ。

 狙われている者同士が偶然出会い、かと言って互いを助けられるほど強くはなく、それでも同じ境遇にある者同士奇妙な共感が芽生えた。即席のコンビを組んで辛うじて反撃に転じ、それでも数の不利を覆せずPKされてしまうところを、純銀の聖騎士に助けられたのだ。

 それからモモンガは異形種の仲間たちと共に。アルンは元のソロプレイを続けながら、交流は続いた。その縁はたっち・みーを始めとしたアインズ・ウール・ゴウンのギルメンとも個人的にフレンド登録をするほど深いものとなる。……モモンガを桃の助と呼ぶように、誰彼構わずあだ名を付けて回る奇行には一部辟易するメンバーもいたものの、そこはやはり社会人のみで構成されたアインズ・ウール・ゴウン。遊びに来た親戚の子供を可愛がるような心持ちで、大なり小なり温かく見守っていたものだ。

 

 (俺が桃の助で、たっちさんがさわりん。ブルー・プラネットさんがテラス、ペロロンチーノさんがめんつゆで、茶釜さんがカッチン。……茶釜から狸を連想してかちかち山に繋げるのはどうかと思うが、これだけ無茶苦茶な名前付けているのに不思議と嫌われないんだよな。口調や仕草が子供っぽいというか、微笑ましい感じがするせいだろうけど)

 

 皆で作り上げ完成したナザリックを自慢するべく、最初に招待したのもアルンだったはずだ。その日は吟遊詩人に必須の楽器アイテムを携え、異形種の楽園とも言うべきナザリックのあちこちで、その威容を歌い上げるエルフの姿が散見された。

 そんな旧友が、何の因果か同じ異常事態に巻き込まれ、モモンガの前にいる。その事実は言葉通りモモンガの心を軽くした。戦力的な意味でも、精神的な意味でも。

 

 「鐘の音は遠く、浮き世に沈み、されど羽ばたきの日ぞ訪れる……♪」

 「うわぁ……相変わらず何言ってるか分からないのに涙出そう」

 

 ジャキューン、とエレキギターのような音を掻き鳴らすハープ――確か、リアルマネー及びリアルラックに物を言わせた神級アイテム。遊び心をこれでもかと叩き込んだ多機能性が売りの、アルン自慢の一品。超希少素材を湯水の如く注ぎ込みながらステータスを度外視する蛮行に、ウルベルトやペロロンチーノなどは頭を掻き毟りながらもったいないと叫んでいたはずだ。

 お気に入りの楽器を楽しげに爪弾くアルンが、ふと真顔に戻って、まじまじとモモンガを見つめた。

 

 「……出るの? 涙」

 「いや出ませんけど。多分、これから一生」

 「それは残念。いつか桃の助を泣かしてやろうと思ってたのに」

 「もう充分泣かされた気分ですよ。……ところでアルンさん」

 

 心地いい。こんな会話をずっと続けていたい。その気持ちに蓋をして、モモンガは敢えて話題を変えた。そうでなければ満足するまで、延々と無駄話を続けてしまいそうだった。

 

 「この異常事態ですが……どう思います?」

 

 敢えて明言を避けた問いだったが、他に言いようがない。モモンガとて未だ半信半疑――よりは一歩進んで、仮想の文字が消えた現実を確かな事実と認識するべく動いているのだから。

 黄金の瞳が思案気に細められ、アルンがその場からふわりと浮き上がり、まるで空中に腰かけるように静止した。〈飛行〉の魔法に似ているが、自由な移動はできない低位のマジックアイテムによるものだ。しかしアルンはこれを気に入っていて、演奏時や身長差のある相手と目線を合わせる時などによく使用している。……というか、こうやって浮き上がりでもしないと小柄なアルンは見上げっぱなしで首が痛くなるらしい。ゲームだろ!? と突っ込んだヘロヘロは華麗にスルーされていた。

 閑話休題。

 アルンがハープの弦に指を触れさせながら口を開く。

 

 「僕としても信じがたいけど……この情報量はありえない。でも他に一切の可能性が考えられないなら、どれほど信憑性に欠けても、それが答えだよ。……夢オチなら話は別だけど」

 「夢ならどんなに気が楽か……。取り敢えず、俺はゲーム時代の設定がまだ生きているのか――つまりアインズ・ウール・ゴウンのギルマスとしての権限や、手持ちの能力を確認しているところです。これから何が起きるにせよ、手札ぐらいは把握しておきたいですから」

 「スキルも魔法もアイテムも使えるのは確認してる。大抵の危険は乗り越えられるよ」

 「確かにユグドラシルでは俺もアルンさんも百レベルですけど、この世界の上限がどこまであるのか分かりませんし、油断は禁物ですよ」

 「それはそれ、これはこれ。旅は道連れ世は無情、危地なし生の是非を問う……♪」

 

 ピンポーン、とハープからなぜかチャイムのような音を掻き鳴らすアルンはいっそ楽しげだった。モモンガは小さく溜息を吐く。

 攻撃能力も防御能力も低いビルドながらソロで危険地帯を闊歩するアルンは、危機意識が薄いのではなく、リスクとスリルを背負う〈旅人〉の再現に他ならない。ゲームならそれでいいかもしれないが、こんな訳の分からない状態で万一のことがあればどうするというのか。

 

 (死亡した状態から復活できるのか不明だし、アルンさんがPK……いや殺されて蘇生できたとしても、それがやまいこさんや茶釜さんに知られたら俺が殺される……!)

 

 女性組は特にアルンを可愛がっていた。ぶくぶく茶釜あたりは何とかしてアルンにスカートを穿かせようとするなど間違った可愛がり方をしていたが、もしも本当に何かあれば、テメェが付いていながら何やってやがった!? とドスの利いたアニメ声で八つ裂きにされるに違いない。

 冷や汗をかく機能もないまま背中に冷たいものを感じていると、楽しげだったアルンが一転、悲しそうに肩を落とした。

 

 「……まあ、でも、しばらくはここを拠点に活動しようかなって考えてる。根なし草の僕でもリスク計算ぐらいはしないと、桃の助にまで迷惑かけちゃいそうだし」

 

 ――ドゥルドゥルドゥルドゥルドァンッダンッ!

 鳴り響いた不吉なBGMが落胆のほどを物語っている。大昔の伝説的なRPGから音源を取ったらしく、この音を聞いた当時のプレイヤーはクトゥルフ神話をも超える精神ダメージを受けたとか何とか。確かに不吉な音程だが、そんなトラウマになるほどか? と詳しく知らないモモンガは未だに懐疑的だが。

 ともあれ前言を翻したアルンに、モモンガはひっそりと安堵する。

 

 「それは、助かります。こちらとしても気兼ねせず相談できる相手は貴重ですし、好きなだけ滞在してください。第九階層の客間を解放しますから、後でメイドに……命令、できるよな? と、とにかく部屋は用意するんで、ある程度情報が集まるまではゆっくりしてください」

 「情報? 誰が集めてるの?」

 「誰ってそれは――」

 

 言いかけて、はたとモモンガは気付いた。というかここにアルンがいたせいですっかり忘れていた。

 

 (しまった、セバス……! それに階層守護者はここに集まるよう伝えさせたんだった! 時間は……もうスキルの確認をしている暇はないな。いやそれはアルンさんが済ませているし、後で個人的に行うとして、問題はアルンさんを守護者たちにどう説明するかだ!)

 

 ナザリックNPCの記憶には分からないことが多い。むしろ分からないところだらけなのが現状だ。彼らの全てがモモンガに、ひいてはアインズ・ウール・ゴウンに忠誠を誓っているのかも不明。比較的危険度が低いだろうアウラとマーレで確かめようと思っていたのだが……というかあの双子はどこに行った? 確かこの第六層を守護する設定だったはずだが、姿を見せないのはなぜだ?

 嫌な予感がする。首を傾げて言葉の続きを待つアルンにモモンガは向き直った。

 

 「あの、アルンさん。ひとつ伺いたいんですが……ここの階層守護者がどこに行ったか、知りません?」

 「ん? ああ、あの双子のダークエルフ? 作ったのはカッチンだっけ。強かったよ」

 「ええそう茶釜さんで……強かった?」

 

 あはは、とアルンがエルフらしい端整な顔で誤魔化すように笑った。

 

 「いやごめんね? ――実はさっき襲われて、反撃しちゃった♪」

 「しちゃったじゃないでしょう!? 何やってくれてんのこの人!?」

 「大丈夫大丈夫、睡眠状態に落としただけだから、あっちの貴賓席で寝てるよ。現実化の影響か分からないけど、なぜか途中で〈旅〉スキルが切れたみたいで……うん、不幸な行き違いってことでひとつ」

 「あーもう! 事情は分かりましたけど、どう説明したらいいんだか……!」

 

 頭を掻き毟りたくなる衝動に襲われるが、カチリとスイッチが切り替わるようにモモンガは冷静さを取り戻す。自分でもまだ慣れない感覚に違和感を覚えるが、傍で見ていたアルンはより不可解に感じたのだろう。きょとんとしたようにまばたきしている。

 

 「桃の助? どうかした?」

 「……現実化の影響ですよ。身体がアンデッドになってしまったからか、一定以上の感情は抑制されるんです。アルンさんはエルフですから、俺ほどの変化はないでしょうけど、何か感じ方が変わったりしていませんか?」

 「……感覚は鋭くなった。音感も指使いもユグドラシルとは比べ物にならないくらい調子がいい。でも、そうだね……強いて言うなら、森が近く感じるかな。親近感があるっていうか、妙に落ち着く感じ? リアルじゃ行ったことないのにね」

 「森妖精ならではの変化、でしょうか……? いえ、今はこれ以上の考察はやめましょう。それより、もうすぐここに守護者が集まることになっているんですが、もし身の危険を感じた場合は全力で逃げてください。ナザリックのNPCは基本的にカルマ値が悪に偏っていますし、ギルメンでもない人間種のアルンさんにどんな感情を持つか分かりません。一応命令してみるつもりですけど、俺の権限がどこまで通用するのか確かめていませんので……」

 「桃の助は色々考えるねー。あ、じゃあいつまでもあだ名で呼んでるのはまずいかな?」

 「ですね。むしろ永遠に呼んでくれなくていいんですけどね!」

 

 さっきは喜んだくせに、と唇を尖らせるアルン。はいはいそうですね、とモモンガはもうおざなりに流す。

 

 (他に注意事項は……リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウン? さすがに宝物殿まで自由に出入りされるのはちょっとな。あそこにはワールドアイテムも置いてある。盗むような人じゃないのは分かっているが、安全管理を怠る理由にはならない。というかいつフラッといなくなってもおかしくない人だしな……。とにかく情報が足りん。何が危険で、何に対処すべきか、その指標がいる。くそ、セバスの報告が待ち遠しい……いや、〈伝言〉の魔法を試してみるか?)

 

 じっと意識を凝らせば、頭の奥で糸のようなものが蠢く感覚があった。ユグドラシルでは電話をかけるのとそう変わらなかったが、なるほど、魔法という現実にはなかった能力がまるで肉体の一部のように感じられる。それを不思議と思いながら、当然と受け入れる自分がいるのも妙におかしかった。

 そして〈伝言〉は狙い通りの効力を発揮する。

 

 「――セバス、聞こえるか?」

 

 

 

 




違和感ないように書けてたらいいな……。

次は守護者たちとの顔合わせです。

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