The Song of Yggdrasil.   作:笛のうたかた

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最後推敲してないけど投稿。大丈夫、かな……?


旅人の歌―4

 

 虫も寝静まる月下の森で、三者三様の視線が交錯する。

 

 (王国に法国――やっぱり人間の国がちゃんとあるのか。戦士長とか部隊長とか言われても、どれぐらい偉いかさっぱりだけど……)

 

 (なぜトブの大森林に法国の人間が? それもこの身なりからすると魔法詠唱者……まさか噂に聞く六色聖典の精鋭部隊か?)

 

 (くっ、こんな形で目標と接触するとは……だが部下を帝国兵に偽装させたのが功を奏した。無関係を装えば切り抜けられる公算が高い。……ストロノーフ相手に、この距離はまずい)

 

 一人は危機感無くどうしようか悩み、一人は村々の襲撃事件への関係に疑念を働かせ、一人は最も多くの真実を知るが故に内心で冷や汗する。

 だが一人はともかく、残る二人のこの場での思いは共通していた。

 

 (何としてでも法国にお連れせねば。いずれの神々に縁ある方かは不明だが――この技量、この舞台、そしてあの竪琴――仮に六大神と無関係だったとしても、ぷれいやーである可能性は非常に高い。……それも八欲王とは違う人類に友好的なぷれいやーだ。これが真実だった場合、もはやストロノーフなどには構ってられん)

 (何曲か聞いただけだが、不思議と疲れが消えた。……心労に祟られる陛下の御心をお慰めできるやもしれん。最悪、謁見が叶わずとも庭園で演奏してもらえれば――エルフということで貴族派の介入が不安要素ではあるが、王国は法国ほど徹底的な弾圧を行っていないのだ。王宮に亜人種を迎える余地はある。……任務中の身であることが恨めしいな)

 (いずれにしても――)

 (何にせよ――)

 

 同じタイミングで隣を窺った両者の視線が、仁義なき火花を散らす。

 

 

 ((法国/王国には、絶対にやらん……!))

 

 

 ――のちにこの経緯(アルンの推測込み)を聞いたとある骸骨は、横隔膜もないくせに腹を抱えて爆笑したという。

 

 

 

 

    ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 口火を切ったのは、戦士長という地位にある偉丈夫であった。その風体に違わず、臆することなく切り込んでいく。

 

 「スレイン法国の……ニグンと言ったか。もてなすというが、法国で亜人は蔑まれるものだろう。招き入れた途端奴隷にされかねない国に誘うなど、気は確かか?」

 「ふ――何も知らぬ異教徒が知った口を。確かにひと目見ただけでは眉をひそめる者が多いことは認めよう。だが一度でいい。たった一度でも神代の腕を披露していただければ、六色の神官長たちにすら認めてもらえるだろう確信がある」

 

 それよりも、と猪武者を嘲笑うようにニグンが逆撃を狙う。

 

 「平民上がりの戦士長殿は王の覚えこそめでたいが、貴族には大層嫌われているそうではないか。王宮に連れて行く? そもそも謁見の許可が下りるかも疑わしいな。宮廷雀どもがどんな難癖を付けてくるか、考えただけで笑ってしまいそうだ」

 「法国の人間が、随分と王国の内部事情に詳しいようだな。だがいいのか? 聖典の長たる者が裏切り者を示唆するなど、重大な背信行為に見えるが」

 「聖典の長? 何のことか分からんな。貴様こそ王国を守っているつもりのようだが、自分で自分の首を絞めているとも知らず滑稽なことだ。我ら法国こそ人類の守り手。それをあの“蒼薔薇”といい、貴様といい、忌々しい」

 「…………ぬぅ」

 「…………ちっ」

 

 唸る羆と舌打ちする狐。今にも得物を抜きそうな剣呑な気配が醸し出される。

 

 「はいっ、ちゅうもくちゅうもーく! 論点がずれてるよー」

 

 ぱんぱんと手を叩いて間に割って入り、とりあえずアルンは二人を引き離す。

 

 「当事者の僕そっちのけで話を進められても困るよ。この辺は旅してきたばかりでどんな国があるかもよく知らないのに、国同士のいざこざに巻き込まないでほしいなー」

 「む。それは、すまない」

 「失礼しました。……猛省いたします」

 

 理性を取り戻してくれたらしい両者に、よしよしとアルンは頷いた。何だかやけに過大な評価を受けているらしい事実からは目を逸らしつつ。

 

 「じゃ、小腹も空いたし、夜食にしよっか」

 「「――は?」」

 「歌って踊れば皆兄弟、卓も囲んで万々歳♪ 仲良しこよし、不仲は悪しき、多生の縁も、なんのその……♪」

 

 歌いながら放り投げた松ぼっくりのようなアイテムがボッと煙を上げ、爆ぜる焚き火と化す。空間に消えた指先が再び現れた時、生魚と生肉と刻み野菜が既に串に刺さった状態で出現する。焚き火の周りに次々と串を刺し、よいしょっと胡坐をかいて座り込む。

 十秒足らずで完了した即席バーベキュー。鉄板は使ってないが、似たような物だ。未だ目を点にしている二名を見上げ、アルンはにっこりと地面を叩く。

 

 「ほら、ニグンはそっち。ガゼフはそっち。すぐ焼けるから適当に食べてねー」

 「「……」」

 

 探るように両者は視線を交わすが、神妙な顔でニグンが座り込み、ガゼフも腹を据えたらしい。きっちり三角形を作る形で腰を下ろした。

 

 「……今のは、マジックアイテムか?」

 「そんなご大層な物じゃないよ。“まつボッくり”っていうダジャレアイテム……って意味通じるかな?」

 

 ユグドラシルの秋の味覚イベントで手に入る、というか特設フィールドにいくらでも転がっているアイテムで、手間いらずで風情が味わえるため参加者には人気だった。まあ採れ立ての茸を焼いたところで味も匂いもないのだが、紅葉狩りを体験できるだけでも有意義なイベントだろう。

 

 (駄神……るし☆ふぁーとかは、もっとゲーム的に有意義なイベントにしてくれって我が侭言ってたけど)

 

 なお、アルンが付けたあだ名でるし☆ふぁーの駄神呼ばわりは受けがよく、アインズ・ウール・ゴウン内でも一部定着している。

 

 「“だじゃれ”が何かは存じませんが、一瞬で焚き火を生み出すとは素晴らしい。……見たところ、森でなくとも使えるようですが?」

 「そうだね。さすがに水の上は無理だけど、砂漠でも普通に使えるよ」

 「薪がなくとも火を起こせるとは、なおさら素晴らしい……! 我々の手でも作れる物でしょうか?」

 「……この辺りの人間の技術力が不明だから何とも言えないねー。研究するなら、何個かいる? 君たちに再現出来たら買い取りたいな」

 「是非お願いいたします!」

 

 アイテムボックスから適当に掴みだした“まつボッくり”を手渡していると、横合いからガゼフが手を挙げた。

 

 「そういうことであれば王国の魔術組合にも譲ってもらえないだろうか。今は手持ちがないが、王都にある俺の屋敷まで戻ればそのアイテムに見合う代価をお支払いできる。……いや、研究できるかも分からないことを思えば、買い取りの方が都合はよかろう。旅の途上であるなら、王国を見て回るついでに王都へ寄ってもらえないだろうか」

 

 ぐ、とニグンが喉に何か詰まったような声で呻き、手元の“まつボッくり”を見下ろした。

 ――ああ、うん。たった今受け取った物を突き返して、やっぱり買い取りたいから自分の国に来てくださいとは言えないよねー。しかも一緒に来てほしいじゃなくてついでに寄ってほしいだから、拘束力も緩めで好印象だよねー。と、アルンはこっそり苦笑する

 

 「……んーと、この森を中心にしたら、王国ってどっち?」

 「アゼルシリア山脈を挟んで西がリ・エスティーゼ王国、東がバハルス帝国だ。法国の領土はもっと南なんだが……なぜこんな所に居るんだろうな?」

 

 ちらりと目線を向けられたニグンが苛立たしげに眉を潜めた。

 

 「極秘任務中だ。そもそもトブの大森林はどこの領土でもない。……国境についてもう少し詳しく書けば、こうなります」

 

 乾いた地面をニグンの指先がなぞり、大雑把な線を描いた。ほう、とガゼフが感心した声を上げていることから、大よそ正しいのだろう。

 

 「法国、王国、そして帝国。この三国は人間種が人口のほぼ十割を数え、エルフなどの亜人種を見かけることは非常に稀です。ここが聖王国、こちらが竜王国……竜王国はもう長いことビーストマンの侵攻に晒され、内密ですが幾度となく法国に支援を求めています。スレイン法国も毎年のように救援を送っていますが、奴らを根絶するには未だ遠く……。無意味に立ち入るのは危険でしょう」

 「ビーストマン?」

 「成人すれば一体で人間の十倍に及ぶ身体能力を持つ厄介な亜人種です。国を作るほどの数も問題ですが、最大の難点は人間を食料としか見なさないことで……嫌な話になりますが、女子供はもちろん、妊婦の腹にいる赤子を特に好むと聞いた覚えがあります」

 「……それは、あれだね。……うん、考えとく」

 

 種族の違いはどうしようもない。それは仕方のないことだ。人間だって卵を食べるのだから。

 ……許容できるかは別問題だが。

 

 「初耳だな。竜王国とは帝国と法国、そしてカッツェ平野を挟んで距離があるせいか、縁が薄い。」

 「法国が人類のため如何に力を尽くしているか、僅かなりと理解できたか? 人間は弱い生き物なのだ。結束せねば滅びる。我々はそれを座して待つことなどできない」

 「お前の言い分は分かった。が、俺にも忠義がある。陛下に取り立てていただいた恩を返す義務がある」

 「……ああ、この程度でなびくなら我々も苦労しない。その力をたかが一国ではなく、全人類のため使えればどれほどの人間を救えるか……」

 

 残念だ、とニグンが首を振る。そうだな、とガゼフが言う。

 分かり合えないことを分かり合った男たちは、ただ揺らめく炎を見つめている。

 言葉では決して語れぬ隔絶が、両者の間に立ち込めている。

 アルンはそっと息を吐いた。ほんの少し話をしただけで、想像を超える世界が垣間見えた。

 異世界。紛れもない、異なる世界。

 歴史が違う。文化が違う。何もかもが地球と違う。ならば、とアルンは思う。

 

 ――ユグドラシルからやってきた自分たちは、この世界にとってどれほどの異物なのだろうか。

 

 この世界を汚したいとは思わない。だが例えば地下深くの洞窟に人間が踏み込み、髪の毛や皮脂を残していくだけでも生態系に影響があると言われている。ナザリック地下大墳墓――城に等しい構造物が生命体を乗せて出現した今、その影響はどこまで大きくなるのだろう。

 

 ――いやそもそも、〈旅人〉を標榜する自分がそこに関わるべきか否か。

 

 なまじ外見や能力がユグドラシルと同じなせいで、考え方もそちらに似通ってしまっている。現実の、音楽以外に誇る物がないアルンがここに転移していたら、まず間違いなく人間の味方をする。種族もそうだし、危険度から判断しても、多くの人間に囲まれていた方が安心するに決まっている。

 

 ――だというのに、どうでもいいと突き放した感想を持つ自分がいた。

 

 ビーストマンが竜王国とやらを滅ぼしても、人類が防衛に成功しても、国同士が争っても、ナザリックが地上に地獄を造り上げても、それは全て自分には無関係なことだから勝手にやれと心から思う。――思ってしまう。

 映画やゲームでもエルフは排他的で閉鎖的な種族として描かれることが多かった。気位が高く、魔法と弓に秀でた美しい人間種。それ故にエルフだけの王国を造り上げているのが定番で、よほどの理由がなければ外の世界に関心を持たない。ユグドラシルでもイベント用のNPCは大体そんな感じだった気がするが、プレイヤーにもエルフ人口が多かったためイメージが散らかっている。

 

 (ユグドラシルでの設定ってどうだっけ……? 何かこう達観してるというか、自分は自分、俗世は俗世で切り離してるというか……)

 

 目の前でモンスターに襲われている人がいれば助けるだろう。旅におけるちょっとしたアクセントだ。だが危難に直面した国家を助けてくれと言われても困る。可能不可能の問題ではなく、それ以上関わり合いになりたくない。

 正しくエルフだ。

 いや、少し違うか。

 

 ――これは、ファルン・アルンだ。

 

 吟遊詩人は歌うだけ。旅人は勇者であってはならない。

 吟遊詩人は語るだけ。旅人は魔王であってはならない。

 

 (……僕は)

 

 ――人間だった●●●●じゃない。

 

 

 (僕は、ファルン・アルンだ……!)

 

 

 ――不思議な感慨が胸を満たした。違和感さえ覚えなかった当たり前の事実を思い出したような、やはり不思議としか言えない感覚が心を鮮やかに染め上げた。

 

 「……自己紹介がまだだったね」

 

 話の流れでタイミングを逃しただけだが、どうしても誰かに名前を聞いてほしい気分だった。

 言われてみれば、とたった今気が付いたような二人の顔を順番に眺めながら、唇を湿す。

 いつもなら楽器片手に趣向を凝らした名乗り方をする。そうでなくても軽い気持ちで歌い上げる。

 だけど、今は――

 

 「僕は……僕の名前は、ファルン・アルン」

 

 生まれ落ちたくすぐったい気持ちをそっと押し出すように、はにかみながら言った。

 

 「エルフで、吟遊詩人で……旅人だよ」

 

 

 

 

    ☆ ☆ ☆

 

 

 

 

 パチパチと焚き火の音だけが響いている。ステージを作った影響か、葉擦れの音さえ聞こえない。空を見上げれば渦巻くような霧の断面が見え、その向こうに綺麗な月がこちらを見守っている。

 

 (いいなぁ、こういうの……)

 

 アルンが生まれた時、森はもはや記録にしか存在しなかった。大地は枯れ、空は膿み、大海は汚泥に沈んだ。食糧は科学の発展で無理やり作り出した合成品。専用のドームで空調管理し、人工の太陽光で栽培した天然野菜は目が飛び出るような値段。ある意味、行き詰まりかけていたのだ。宇宙開発が軌道に乗らなければいずれ人類は絶滅するだろう。

 そんな時代で、仮想現実は最大の娯楽だった。人類の失った全てがそこにある。森の緑も、海の清さも、空の青さもアルンはそこで知った。

 だが人類の科学は現実を完全に再現できるほど進化していなかった。有り得ないレベルの自由度を誇るユグドラシルでさえ、容量と処理能力の限界があった。

 〈旅人〉のクラスは運営の誰かが思い描いた、遠い過去への憧れなのかもしれない。未知を探すDMMO-RPG。忘れ去られたかつての地球こそ、本当に求めていた未知だった――なんて、ロマンチック過ぎるだろうか。

 あれから三人で、たくさんの話をした。意味のある話も無駄な話も、たくさんした。ガゼフもニグンも立場があるだろうに、旅人の自分を気遣ってか無闇な衝突は避けていた。それがきっと奇跡的な出来事だというのは二人の態度を見ていれば分かる。だとしても今宵一晩、語り合った事実は消えない。良くも、悪くもだ。

 今はもう語るべき物を語り尽くし、心地よい沈黙に浸っている。ガゼフは腕を組んで瞑目し、ニグンはふわふわと宙に浮くアルンのハープを興味深げに見つめている。

 一期一会。これもまた、旅の醍醐味。

 だけど楽しい時間はあっという間に過ぎ去ってしまう。

 ゆっくりと、霧が薄らぎ始めた。風の匂いが変わり、身じろぎしたガゼフが目を開ける。ニグンが研究者を思わせる視線で周囲を窺う。

 奇跡の終わりが近付いている。

 

 「……夢よ、続け。一夜の夢よ……」

 

 差し伸べた手の平にハープが舞い降りる。その背を優しく撫で、アルンは静けさに旋律を溶かしていく。

 

 「終わるな夢よ、この手から。逃げるな夢よ、夜明けから。今という奇跡を、忘るるなかれ……」

 

 ロン、と小さく跳ねた音が、白む空に消えていく。

 

 「……俺たちのことを言っているのか?」

 「さあね。僕は感じたことを口にしただけ。でも楽しかったよ、本当に。……二人は、楽しくなかった?」

 「有意義であったことは認めざるを得ませんが――今回のように特殊なケースでなければ、敵を目前に何をしていたかと叱責を受けるでしょう。内通を疑われ、反逆罪にかけられる可能性も無いとは言えません」

 「国って面倒臭いね。貶してるわけじゃないんだけど、やっぱり肌に合わないなー……」

 

 モンスターが跋扈する森で霧に巻かれ、部隊ともはぐれた右も左も分からないような遭難状態。そんな状況に陥りでもしなければ敵国の人間と言葉を交わすのも難しいとか、嫌すぎる。

 東の空に曙光が兆し、西の彼方へ夜が逃げ込む。アルンが焚き火に土をかけて消す間に、ガゼフとニグンは揃って馬の手綱をほどきに向かっていた。打ち解けたのではなくお互い背中を向けたくないだけである。双方共に国家の重責を預かる立場のせいだろう。馴れ合いを良しとせず、一線を引くことを忘れない姿勢は見事だが、同時に頑固者だとアルンは思う。

 

 (理想が違うだけで、理想に向けた歩みを絶対に変えないという点はそっくりなんだよねー。だからいつまでも平行線で協力し合えないんだろうけど……もしこの二人をきっかけに王国と法国が手と手を取り合うようになったとしたら、今日の出会いはまさに歴史の転換点。世界の運命を変えた奇跡の邂逅! ……えーと、まあ、無理かな?)

 

 アルンから離れた途端何やら小声で言い争っているらしい二人に苦笑しつつ、羽根つき帽子をかぶり直し、ぶらぶらとそちらへ歩を向ける。

 結局、アルンはどちらの誘いも辞退した。未知の世界に来て早々お偉いさんと顔を突き合わせるのは難易度が高いし、そこで演奏した場合の影響力がどこまで波及していくかも読み切れない。任官目的と思われても困る上に、貴族や王族の勧誘を断るのも後々面倒くさい事態になるのが目に見えている。アルンは旅人なのだ。宮仕えも不自由な雇用契約も御免こうむる。

 まずはここから近い王国を見て回る。その間にアルンの名が売れ、エルフであることも広まれば、異種族に対する偏見や先入観も多少は薄れるはず。あの有名なファルン・アルン! と誰もが知るような名声を得て初めて貴族から声がかかるのが理想である。……まあ、貴族だの王族だのアルンは別にどうでもいいが、ガゼフの意を汲むならこの過程が必要だろう。急がば回れ。地道な草の根運動が国を動かすのだ。意味違うけど。

 

 「準備できた?」

 「ああ。問題ない」

 「……やはり法国を先に回っていただくというのは」

 「「くどい」」

 

 アルンとガゼフの声が重なり、気心の知れた友人のように口の端を吊り上げて笑い合う。諦めの吐息をこぼしたニグンが名残惜しげに一礼し、思いのほか身軽に騎乗した。続けてガゼフも馬上の人となる。

 

 「ではアルン殿、またいずれ王都で会おう。……もう一度だけ聞くが、俺の紹介状は本当に要らないのか?」

 「この身を誰と心得る。旅の達人、ファルン・アルンなるぞー? 旅は少しぐらい遠回りした方が楽しいんだよ♪」

 

 ――ゲームの中では、と心の中でこっそり注釈をつける。

 

 (王国戦士長が身元保証人になるなら何の問題も起きない……かはともかく、余計なリスクを避けられるのは確実。でも――)

 

 ――でも、だって、初めて本当の意味で旅ができるのに、そんなのもったいない。

 

 ――この身ひとつで何ができるか、どこまで進めるか。

 

 ――自分の可能性が、知りたかった。

 

 湧き上がる高揚を抑えるように、アルンは帽子の鍔を引き下ろした。

 ドキドキする。

 ワクワクする。

 胸の鼓動が、止まらない。

 

 「……さあ、お別れだよ。二人とも部隊の指揮官なのに、いつまでも油売ってると部下が困っちゃうよ?」

 

 霧はとうに晴れている。梢の隙間から射し込む光が、まるで雨のように森を照らしている。

 一、二、三、四。リズムを取りながらアルンはタクトを掲げた。その先端へ、朝日の輝きが飛び込むように集まって来る。

 

 「あ、そうだ言い忘れてた。二人とも、しばらくこの森の南側には近付かない方がいいよ。とんでもないのが住み始めたから」

 「とんでもない、とは?」

 「これ以上は言えない。もし君たちがそれに出会っても、助ける理由がなければ僕も口を挟めない。……これは忠告じゃなくて、警告。箱舟に乗った者だけが世界を覆う洪水から逃れられる。蜘蛛の糸を手放さなかった者だけが救いを得る」

 

 何か言いたげな二人に首を振って制し、アルンはタクトを振った。

 

 「旅路に幸あれ。この出会いに祝福あれ。――〈ヘルメスの風〉」

 

 旅人系クラスの上位スキル。フレーバーテキストは“あらゆる危難を遠ざけ、旅する者を目的の場所へ送り届ける”。一時的だが幸運値を著しく上昇し、モンスターとの遭遇率を下げ、移動阻害を受け付けなくなる。――ユグドラシルでは。

 タクトに集う光が渦巻く緑の風となって二人を包み、吹き抜けた。ゴゥッ、と吹き散らされた木の葉が舞った後に、淡い緑の光を宿した森の小道が出来上がっていた。

 ……何が起きても驚くまい、と覚悟していたアルンはともかく、ガゼフとニグンは絶句という言葉が相応しい驚愕の表情を顔に貼り付けていた。

 それがおかしくてくすくすと笑いながらアルンは踵を返す。切り株のステージが、キノコの観客席が、静かに震えながら動き出していた。

 

 「アルン殿!?」

 「別れがあるから次の出会いが楽しみになる。……じゃ、また会おうね。約束だよ! 再見、See you again!」

 

 ガゼフの呼びかけを背中で聞き、振り返ることなくひらひらと手を振った。

 見るまでもなかった。

 独りでに歩き出した木々から逃れるように馬が走り出し、蹄の音が遠ざかっていく。何度か呼び声が繰り返されたものの、やがてそれも聞こえなくなった。

 

 「……あーあ」

 

 タクトを仕舞い、いつものハープを抱えながらアルンは空を見上げる。元の姿を取り戻した森の中では、いくら頭上を仰いでも葉と梢しか見えない。

 でもその向こうにはきっと、青い空が広がっている。無限の地上を、優しげな目で見守っているのだ。

 ――無性に、モモンガの顔が見たくなった。

 ゆったりと、アルンは森の中を歩き出す。

 

 「……我は思えど散りぬるを、ここよどこぞ常ならん……無為の奥山今越えて、浅き夢より醒めゆく我ら……果てなき旅路に、憂いもせず……」

 

 表情筋もないくせに百面相が透けて見える髑髏の顔面を思い出しながら、胸の内に込み上げる想いをハープに乗せた。

 

 「……旅は道連れ世は無情、危地なし生の是非を問う……呉越相乗り相見え、不帰の河越えその果てに……」

 

 奇跡はある。稀人たる自分と友がその証。

 運命はある。余りにも過剰な力がその証。

 世界は変わる。否応なく。因果の全てを巻き込んで、歴史の潮流が唸りを上げる。

 人も亜人も悪魔も死者も、世界樹の檻に囚われる。奇跡で覆い、運命で囲われた檻。この世に存在する以上、アルンもモモンガもその檻からは逃れられない。

 何が起きるだろう。

 何が変わるだろう。

 絶望と希望の天秤は未だ傾くことなく平衡を保つ。まだ何も、分からない。可能性としては低いにせよ、アルンが殺され、ナザリックが壊滅する未来もあるかもしれない。想像すらできない最悪の展開も待ち構えているかもしれない。

 

 ――でも。

 

 「……今は違えど望みしは、誰ぞ思わんこの夜を……」

 

 ――きっと、だからこそ。

 

 「……道なき道も、君となら……♪」

 

 ――君だけじゃなく、僕がここにいるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ようやくプロローグが終わった感じ。これから加速――しません。無理です。超忙しくなりますorz
 感想返しが出来ていなくて心苦しいのですが、早めに更新したことで許してください><;

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