カモシカのようなすらりと伸びた脚が力強く地を駆ける。
艶やかな黒髪が流れるように宙を舞う。
人形のような白く細い腕でホワイトボードに数式を書き込んでいく。
時折漆黒の瞳が私を捉えて離さない。
あれからと言うものの、鹿目まどかは暁美ほむらに目を奪われることが多くなった。
といっても転校してきてから保健室に付き添うまでの短い間と比べてだが。
文武両道、才色兼備、容姿端麗…
まさに暁美ほむらのために生まれた言葉なのではないか、と考えてしまうほど、鹿目まどかにとって暁美ほむらは完璧超人のように映った。
事実転校初日にも関わらず、早乙女女史が出す高校生レベルの英文を訳し、体育では高跳び県内記録を越えてしまうほどの身体能力。
昼休みには自身が作ってきたと言うお弁当を、クラスメイトに譲り大絶賛を受ける。
わざわざ暁美ほむらを一目見ようと他クラスから男子生徒が覗きに来る。
といったハイスペックっぷりを僅か一日で披露したのだ。
鹿目まどかでなくともそのように見えてしまうだろう。
それだけに渡り廊下の一件が不思議でしょうがない、と感じる鹿目まどか。
そのギャップとも言える何かが、鹿目まどかを惑わせる。
それに鹿目まどかにとってはそれ以外にも、暁美ほむらを気にしてしまう理由があった。
授業中、ふと暁美ほむらを探してしまってもしょうがないだろう。
「なにそれ?」
「わけわかんないよね…」
そんな悩みが溢れた時、相談する相手がいることは鹿目まどかにとっては幸いなことだろう。
鹿目まどかは放課後になると美樹さやかと志筑仁美を誘い、センター街にあるとあるファーストフード店へと足を運び、渡り廊下の一件について相談を持ちかけた。
それに対する美樹さやかの答えが『意味不明』であったことに共感してもらえたうれしさを感じつつも、結局何も進展してないことに頭を落とし三人が陣取るテーブル席に突っ伏すことになってしまった。
「文武両道で才色兼備かと思いきや、実はサイコな電波さん!? く~っ! どこまでキャラ立てすれば気が済むんだ~あの転校生は! 萌えか!? そこが萌えなのか!?」
「まどかさん。本当に暁美さんとは初対面ですの?」
志筑仁美は再度確認するようにやさしく鹿目まどかに話しかける。
志筑仁美から見ても鹿目まどかに対する暁美ほむらの対応は、既知の仲であると考えられると判断したのだろう。
「う~ん、常識的にはそうなんだけど~」
「何それ? 非常識なとこで心当たりがあると?」
先ほどの発言から胸を抱くように机に突っ伏していた美樹まどかが、言葉の裏を読みそれを聞く。
そこで鹿目まどかは初めて自分の体験した夢の話を順に語り始めた。
崩壊した世界で、見知らぬ制服に身を包んだ暁美ほむらが神に挑む夢を見たと…
その夢の中で自身が白い生物の力で魔法少女へと変身した事を…
第3話 利用される者
鹿目まどかが話す非常識な邂逅の場。
それまで一度として会った覚えのない暁美ほむらを初めて認識した場であった。
その初めて認識した人がたまたま転校生としてその日にやってきて、自己紹介の時には睨みつけられ、渡り廊下では意図が理解のできない質問をされた。
その奇怪な出来事に鹿目まどかは関連性を感じずにはいられず、自身の見た夢の細部から何かにつけて感じる暁美ほむらの視線についてまで綿密に語った
およその人がその話を信じることはなく、嘲笑するだろうことは鹿目まどか自身も分かっていた。
話しはすべて自身の夢の中の話であるし、もし自身がそんな話をされたら信じきることはできないだろう。
それでも誰かに相談せずにはいられない思いが強く、こうして親友である美樹さやかと志筑仁美に聞いてもらう機会を作ったわけだ。
「「あはははっ!!」」
…だから二人がその話を聞いて笑いだしても、顔を赤らめるだけで何の疑問も持つことはなかった。
「すげ~! まどかまでキャラが立ち始めたよ!?」
「ひどいよ~! 私真面目に悩んでるのに~!」
「あぁ~もう決まりだわ。それもう前世の因果だわ。あんたたち時空を超えて巡り合った運命の仲間なんだわ~!」
溢れ出す感情を押し殺すこともせず、美樹さやかは大きな笑い声を店内に響かせた。
鹿目まどかは周りの視線を受け、更に顔を赤くするもどうしたらいいかわからず、頭を下げて少しでも席の陰に隠れることが精一杯だった。
―――――――――――――――――――
「えぇ。キュゥべえとの連絡はセンター街の付近で途絶えたわ。」
『 』
「そうね、とりあえずそこで待ち合わせてから挟み込むように動きましょうか。」
『 』
「えぇ、あなたも気をつけて。それじゃあ5分後に。」
耳に当てていた携帯電話をカバンの中にしまう。
日の光が差しこむ部屋でただ一人外を見降ろす少女は、自身のために用意していた紅茶のカップを使うことなくシンクへと運んだ。
手首に巻かれた時計をちらりと見る。
少し困った笑顔を浮かべながら、彼女は制服姿のまま再び玄関へと向かう。
帰宅してから十数分で再び出かけるのだ。
それなりに億劫になってしまうのも仕方のないことだろう。
赤のパンプスを再度履き、玄関の取っ手に手をかける。
ドアを開くと同時に暗い室内に淡い光が差し込んだ。
その光を受け、少女のたなびかせる髪が金色の光を纏う。見るものを引き寄せるその金色の髪。
少女にとってそれは唯一残る家族との絆であり、絶対の自信を秘めていた。
そしてドアは閉められる。
部屋は主を無くし、再び無機質で色気のないものへと変貌した。
再び主が帰ってくるのをただ待つ。
日は傾き次第に部屋にはオレンジ色が満ちていく。
シンクに置き去られたカップとソーサー。
これが再び元の場所へと戻されるかは、主が帰ってくるまで誰にも分からない。
――――――――――――――――――――――
鹿目まどかは試聴用のヘッドホンを掛けると、中学生女性アーティストの最新曲を選択し再生する。
頭の中を駆け巡る旋律と歌声。
鹿目まどかの好みに合った曲調で、目を閉じ曲の中へと入り込んでいく。
志筑仁美が習い事により帰宅したタイミングに、美樹さやかと鹿目まどかは近くのCDショップへと足を運んでいた。
美樹さやかの幼馴染である上条恭介への差し入れを仕入れるために、美樹さやかに頼まれ付いてきていたのだ。
しかし美樹さやかが求めるクラシック音楽に疎い鹿目まどかは、アドバイスなど送れるはずもなく、自身は自身で新たなお気に入り曲の開拓、により今の時間を有意義なものにしていた。
現に鹿目まどかの後ろでは美樹さやかが気になった曲を思うままに選曲をし、プレゼントとして買うに値するかどうかを一人で検討している。
初めて聞いた曲だが心に入り込んでいくような感覚を覚え、自然とリズムを踏む鹿目まどか。
そこで曲にまぎれて異質な声が脳に響き渡った。
(助…て…)
「えっ?」
鹿目まどかは異変を感じすぐさまヘッドホンを耳から外し、辺りを見渡す。
特に誰かが鹿目まどかに向けて話しかけた、ということもなく各々が自分の思うままの日常を送っていた。
(助けて…まどか…)
しかし再び頭の中に男性的でもあり女性的でもある声が響き渡る。
先ほどは聞いていた音楽に隠れていた声も、今度は聞き取れるほどにはっきりとした助けが聞こえた。
声は直接頭に響き、近くから発せられた気配はない。
(僕を…助けて…)
しかし鹿目まどかは引っ張られるように足を進める。
CDショップの雑踏を縫うように抜け、より声が響くほうへと進んでいく。
その時不思議と何も不安を感じること無く、どうしてかは分からないが頭に響く声を頼りに先を目指すことに恐怖や疑念を感じることはなかった。
すると鹿目まどかは人気のないフロアへと踏み入ることとなった。
客どころか従業員にまで一人もいない、といった不可解な点はあるが鹿目まどかは気にすることもなくただ真っすぐ声の元へと向かう。
フロアの端間で歩き続けると、そこには立ち入り禁止区域の扉が目の前に立ちはだかっていた。
扉の前に備え付けられた柵と看板、そこには『店内改装のお知らせ』と一言添えられている。
しかし、声の主は扉の奥にいる、と鹿目まどかは感覚的に捉えていて、何もためらうことなく柵を乗り越え、なぜか解錠してある扉をくぐり抜ける。
扉の先は廃墟のように開けた空間が広がっていて、壁際に商品の在庫が置いてあるだけで改装準備が進んでいるような気配はない。
「どこにいるの? あなた誰?」
間隔を頼りにここまで来た鹿目まどかだが、辺りを見渡してもそれらしき人物はいない。
いや、人物どころか虫の一匹すらいないのではないかと思えるほどに、閑散とした雰囲気を部屋全体が纏っていた。
鹿目まどかは左右を念入りに眺めていくが、やはり助けを求めていた人はいない。
そして部屋の中央までたどり着く。
そこからは部屋全体を見通すことができたが、そこから見えるものは資材や在庫のみ。
鹿目まどかは自身の勘違いかとため息を吐き、踵を返そうとした。
その時だった。
「助けて…」 ガシャン!
「うわぁ!?」
今まで聞こえていた声が頭上から響く。
そしてそれを合図にするかのように、天井のコンクリートが正方形にきれいに剥がれ落ち、同時に白に赤が混じった人形のような物体が鹿目まどかの目の前に落ちてきた。
破砕音におもわず鹿目まどかは悲鳴をあげてしまう。
突然の衝撃音に目も閉じてしまった鹿目まどかだが、続けて何にも起こらないことを確認してから、ゆっくりと音の発生源に目を向けた。
そこには体毛は白、耳は力なく立っていて、また耳の付け根から垂れ下がるように長い三叉のだらりとした何かが生えていて、なにより目が向いてしまうほどに皮膚が所どころに裂け血を 滲ませている生物が、苦しそうに呼吸をしながら生存していた。
鹿目まどかは頭がパニック状態になるのをこらえ、白の生物からコンクリートを取り払って抱きかかえる。
「あなたなの?」
「…助けてぇ…」
抱えあげた生物は息も絶え絶えに、瞳を固く閉ざし顔をゆがめている。
詳しいことは分からないが、一刻も早く治療しなければいけないほどの重症であると鹿目まどかは判断した。
そこに新たな来訪者が表れる。
「そいつから離れて。」
冷たく凛としていて、用件だけを端的に伝えた言葉。
それは鹿目まどかの前方から耳を通して聞こえた。
すぐさま鹿目まどかは白の生物に落としていた視線を上げる。
「ほむら…ちゃん。」
容姿端麗と称するにふさわしい整った顔立ちにスッとしたスタイルを持ち、そしてクラスにおいてもっとも謎めいた少女、暁美ほむらは悠然とそこに立っていた。
普段とは違う紫色を基調とした制服を着ているためか、…それとも羽織っている雰囲気があまりにも重すぎるからか、鹿目まどかは暁美ほむらを怯え、そしてすぐさま白の生物の怪我は暁美ほむらによるものだと理解した。
「でも…この子怪我してる…」
鋭い眼差しに身体が貫かれる。
それでも白の生物を守るように、喉から絞り出した泣きそうな声で呟く。
しかしそれでは暁美ほむらの態度は変わらず、鹿目まどかにはあまりの冷たさに心がくじけそうになる。
「ダメだよ! ひどいことしないで!」
「あなたには関係ない。」
身体ごと必死に守りとおそうとする。
しかしその思いは暁美ほむらには届かない。
「だってこの子私を呼んでた! 聞こえたんだもん、助けてって!」
「そう。」
心からの叫びすら暁美ほむらを揺さぶることはできない。
すべてためらいのない一言で片づけられてしまう。
鹿目まどかがどうすることも出来なくなったところを見計らって、暁美ほむらが近づいてくる。
鹿目まどかは白の生物を強く優しく抱きしめ、暁美ほむらから発せられる恐怖から守るように身体全体で包んだ。
自身の危険を顧みず、守るためにしゃがみ込み逃げることすら考えない。
全てをあきらめた瞬間であった。
しかし暁美ほむらの足音が突如止まる。
それと同時に鹿目まどかの後方から、また新たな声が聞こえた。
「出来れば争いたくはないんだけどな…」
どこかくぐもった声がフロアに響く。
その声は鹿目まどかにとって…そして暁美ほむらにとっても…聞き覚えのある声で、確証を求め鹿目まどかは暁美ほむらの存在を一時忘れ、無我夢中で振り返った。
「ここはひとつクラスメイトの顔を立ててもらえないかな?」
「せ…瀬津君!」
170cmを超えた長身であり、見滝原中学の制服を身につけていなければ大学生にも間違われてしまいそうな少年、瀬津そうまがそこには頭を抱えながら立っていた。
暁美ほむらの目線が一層鋭くなる。
まるで瀬津そうまの一挙手一投足を見逃さない、と言わんばかりのプレッシャーを受ける瀬津そうまは口笛をヒュイと鳴らし、簡単に身構えた。
「瀬津君!」
外れた視線に鹿目まどかは少しばかり緊張が解けたのか、急いで立ち上がり暁美ほむらから見て瀬津そうまの後ろに隠れるように移動した。
その後瀬津そうまの高身長に隠れるため、顔だけを瀬津そうまの影から出し、暁美ほむらを見据えられるような格好になった。
「あなたはやっぱりこちら側の人間だったのね。」
「こちら側…ってことはほむりゃもなんだな。」
「…その呼び方はやめてと言った筈だけど。」
一言だけ交わし再び沈黙が訪れる。
鹿目まどかには今交わした話の内容が全く理解できなかったが、二人にはたった一言で十分だったようだ。
暁美ほむらのプレッシャーが高まる。
円盤のようなものがついた左手をスッと頭上に挙げて、黒のストッキングで包んだ脚を交差する。
「あらら…全く待ってくれる気はないみたいだな。」
「容赦しない…と言ったはずよ。」
「あの時はこのことだなんて思ってなかったからなぁ。」
それに対しあくまで瀬津そうまの態度は変わらない。
臨戦態勢のようなものには入っているのだが、それ以外の口調や笑顔は休み時間に鹿目まどか達と話す時と何ら変わりのないものを見せていた。
その態度に鹿目まどかは心配し、暁美ほむらはただ静観する。
二人の視線が交わりあい、時が止まってしまったかのようにフロア全体の動きが止まったように鹿目まどかは感じていた。
そんな時またしても予期せぬ方向から、場の空気をかき乱すように介入してくる人物がいた。
突如横から暁美ほむらに向けて放たれた白のガス。
それは消火器から放たれる消火剤で、煙は一瞬のうちに暁美ほむらの全身を包み込んだ。
「まどか、そうま! こっち!」
「さやかちゃん!」
「ナイスさやか! 今のうち逃げるぞ!」
美樹さやかは消火剤を全力で暁美ほむらに放射し続け、二人が距離をとったのを見計らってその場に消火器を放り投げてフロアの扉へと全力で走っていく。
それに続くように瀬津そうまと白の生物を抱えたままの鹿目まどかはフロアの外へと出ていった。
しかし暁美ほむらはそれに続くことができない。
煙を何らかの力で吹き飛ばした時には、すでに三人の姿はフロアから消えていて、声や足音も聞こえないほど離れてしまっていた。
暁美ほむらは下唇をかみ、珍しく感情を前面に出していた。
しかしそれも数瞬。
視界が晴れて数秒もしないうちにフロアの外へとつながるドアへと駆けだした。
とても少女のものとは思えない瞬発力。
あっという間にドアへと接近することができ、ドアノブに手をかける。
まさにその瞬間、暁美ほむらの視界が捉える光景がいびつな形に歪んでいき、辺り一面が砂漠のような様相へと空間そのものが変貌していく。
そして暁美ほむらの身体は異世界へと、勢いそのままに入り込んでいくのであった。