鋼鉄の箱が木を造り、空を彩っている。
無機質な馬が辺りを駆けまわり、メルヘンチックな音楽が流れていた。
現実感からかけ離れた空間。
瀬津そうまはその空間の中心にいた。
辺りを見渡す。
きらきら光る電光掲示板に、カンカンと空に敷かれた線路を走る汽車。
身長の高い瀬津そうまよりも大きなリスが風船を持ったまま辺りをうろうろしている。
瀬津そうまと目が合っても、直ぐ様別の方向へ向きを変えるた
どうやら瀬津そうまを探している訳ではないようだ。
ふと嗅覚がそれを感じ取った。
鼻に衝く甘い匂いだけで喉が乾いてくる。
瀬津そうまは手に持っていたコーラを一口含んだ。
「そうま~っ! こっちこっち~っ!」
「瀬津君、ありがと~!」
遠くから駆けてくるのは鹿目まどかと美樹さやか。
いつもの制服姿とは異なり、鹿目まどかはピンクのニットカーディガンに紅白チェックのキュロットスカート、美樹さやかは花柄のジップパーカーに白のレーススカートを身に纏う華やかな2人がいた。
手を大きく振りながら近づいてくる2人に、それぞれの飲み物を手渡す。
「あそこでさっ、ゴーカートやってるよ! 行こ行こっ!」
「今買ってきたばっかの飲み物どうすんだよ…」
「えっ? もう飲みきっちゃったよ?」
「はやっ!?」
蓋つきの紙コップを左右に振ると、氷がシャカシャカとなる音が聞こえる。
Sサイズとはいえ、1分にも満たない間に全てを飲みきった美樹さやかにあきれる暇も与えることなく、右手には美樹さやかの手が結ばれる。
女子特有の柔肌の感触にそっと包み込まれた。
「ねっ? 行こうよ、瀬津君。」
「おっ、おい!?」
続けて鹿目まどかが瀬津そうまの背中を押して、ゴーカートのある方向へと押していく。
2人の女子に引き連れられ、瀬津そうまは自分の意志とは関係なくゴーカートの行列に並ばされた。
土曜日の昼前。
快晴の空の下。
3人は見滝原から最も近い遊園地にいた。
第36話 口にすれば…
瀬津そうまの機嫌はすこぶる悪かった。
人と話していてもいまいち機転が回らない。
体育の授業中、バレーボールでミスを繰り返す瀬津そうま。
授業も上の空で、傍から見ていても集中力が切れていることが分かった。
もちろん、人と話せば周りのみんなが盛り上がり、一度のミスを数回のスーパープレイで取り戻し、問題の回答を指名されれば完璧な答えを告げる、といったように良く見ていなければ分からないほんの些細な違和感なのだが。
原因は週初めの魔女退治が問題だということがはっきりとしてた。
頭の傷が癒え包帯が外れても、瀬津そうまの態度に変化はなかった。
学生生活を無難に過ごし、夜は魔女退治。
鹿目まどかと美樹さやかは何度か謝罪とやり直しを行うチャンスを伺っていたのだが、そのチャンスは一度たりとも訪れなかった。
そんな他人行儀な空気を壊してくれたのが、瀬津そうまの変化に気付いていないクラスメイトだった。
『皆さん、少々よろしいでしょうか?』
5つの机を合わせて5人で採る昼食時。
お弁当を机に出してから、志筑仁美は食事に手をつける前に話を切り出した。
手をパンと叩き注目を集めると、上条恭介以外の面々の顔色をうかがいつつ、とあるチケットを差し出した。
『実は近くの遊園地のチケットが余ってしまっていて、よろしかったら今度の休み、皆さんの予定が開いてましたら…その…』
『ここにいる5人で遊園地に遊びに行かないか、ってことだよ。僕たち放課後にお茶しにいくことはあっても、遊びに行ったことはないだろ? せっかく明日は休みなんだから、みんなで会おうよ。』
上条恭介は事前に聞いていたのだろう。
志筑仁美が慣れない『遊びに誘う』という行為に彼氏なりの手助けをしていた。
美樹さやかは頭の中で、ごちそうさま、とまだ食事に手をつけていない状況で呟く。
瀬津そうまは相変わらずクラスの中では楽しそうに見せかけている。
その笑顔は本物にしか見えない。
『いや~、明日は予定があってな~。』
案の定、瀬津そうまはすぐさま断りを入れる。
そしてすぐさま上条恭介に対し、ハーレムだな、と全員に聞こえるように小声で話し、志筑仁美の頬を膨らませた。
女性人全員からの視線がふと集まり狼狽する上条恭介。
それを見て大笑いする瀬津そうま。
そしてその瀬津そうまを見て落ち込む美樹さやかの姿があった。
(これは神様がくれたチャンス…!)
瀬津そうまはこのまま独りで戦い続けるかもしれない。
その可能性が美樹さやかに一歩分の勇気を与える。
『そうま、行こっ!』
『なっ!?』
隣席に座る瀬津そうまの右腕に勢いよく抱きついた。
がっしりとした瀬津そうまの身体は、美樹さやかが勢いよく抱きつく程度ではよろめきもしないが、少なくとも瀬津そうまの精神は掻き乱れたようだ。
思わず鹿目まどか、志筑仁美、上条恭介の3人が感嘆のため息を上げる。
その反応を聞いてか、美樹さやかの顔も真っ赤に茹であがっていく。
この場においては、美樹さやかの度胸勝ちともいえる結果となる。
「仁美…大丈夫?」
今し方ゴーカートを乗り終えた面々が十人十色の顔色で広場へと入っていく。
美樹さやかと鹿目まどかが乗っていたカートに後ろから何度もぶつかられ、その振動により志筑仁美は少し酔ってしまったらしい。
流石に責任を感じたのか、美樹さやかは鹿目まどかを連れてハンカチを濡らしに行っている。
「ほらっ、水買ってきたぞ。」
「ありがとう、そうま。仁美、そうまが水買ってきてくれたぞ?」
「ありがとう…ございます…」
「無理そうだったらベンチで休んでな。大丈夫、旦那はちゃ~んと置いていくからさ。」
「…そうした方が良さそうだね。まださやかの奴、遊び足りないって顔してるし。」
「その辺は飼育係の俺に任せておけ。な~に、少し休めばすぐ回復するさ。」
すみません…と元気なく頭を下げる志筑仁美。
鹿目まどかと鹿目まどかがもってきた濡らしたハンカチで顔と首筋を拭うと幾分か顔色が良くなる。
「仁美を体調悪くしちゃったし、とりあえずみんなで休憩しよ…」
「さやか、まどか。次はあれに乗るぞ!」
「えっ? ちょっ、ちょっと!?」
「えっ!? えっ」
打ち合わせ通り、瀬津そうまが美樹さやかの手を無理やり引っ張って人気があまりない方へと走り出す。
名前を呼び、突然走り出した瀬津そうまを追いかけるべきか頭の整理が追いつかない鹿目まどかは、上条恭介の頷きを見て先を行く2人を追いかけ始めた。
勢いのまま係員にチケットを3枚渡し、何やら薄暗いアトラクションに入っていく。
鹿目まどかの首筋に冷たい風が通り抜けた。
「ひゃっ!?」
「えっ? まどか?」
後ろで突然叫び声を上げた鹿目まどかに、美樹さやかはキョトンとした表情を向ける。
「ん? こういうの苦手か?」
「こういうの…?」
瀬津そうまが手を離し壁を指す。
美樹さやかが小さく声をあげるも、恐怖心が絶賛煽られ中の鹿目まどかはそれに気付かず、恐る恐る壁に書かれた文字に注目してしまった。
『恐怖の舘 HAUNTED HOUSE』
「キャッ!?」
鹿目まどかの甲高い叫び声が廊下に響く。
真っ赤な色で書かれた文字は、辺りを見渡すことの出来ない暗さと背筋を震わす冷たい風と相まって、かなり不気味な雰囲気を醸し出している。
そこで漸く、2人はここが『お化け屋敷』のアトラクションであることに気付いた。
ガクガクと震え出す2人に、瀬津そうまは首を傾げ話しかける。
「こんなの日常茶飯事だったろ?」
「それとこれとは話が別だよ…」
あっけらかんとした瀬津そうまに、鹿目まどかが小さく反論した。
瀬津そうまは改めて首を傾げる。
普段魔女や使い魔の造り出す、不安を掻き立てるような結界で戦い、リアルな死の恐怖を味わっている2人が、どうして作り物の恐怖に怯えるのか…
第一『恐怖の舘 HAUNTED HOUSE』とは日本語訳したら『恐怖の舘 お化け屋敷』という何とも気の抜けた名称なのだから、寧ろ笑う場所なのではないかとすら考える。
瀬津そうまは理解出来ずその事を質問すると、今度は美樹さやかからも不平の声が上がった。
曰く…そうまは女心が分かってない…と。
全く答えにはなっていないが、瀬津そうまは慣れているのか黙って納得し、2人に腕を差し出す事にした。
「それなら俺の腕を掴んでれば大丈夫だろ?」
右腕をひょいと挙げ、2人の間に出す。
腕は一本、人は2人。
どちらも友達思いなのか何なのか、困ったように顔を見合わせる。
どちらも何かを伺っている様子に、またも瀬津そうまは首を傾げた。
少し首が痛みを覚え始める。
「どうした?」
「ううん!? 何でもないの!?」
「…それは無理あ…いや、何でもない。」
「…それじゃあ、さやかちゃん。」
「えっ!?」
鹿目まどかが美樹さやかを促す。
それは美樹さやかの心情を理解しての行為。
恐怖心に駆られても心の奥底では冷静に状況を判断できるのは、やはり魔女退治を繰り返した経験所以だろう。
逆に判断から行動まで時間をかけてしまった美樹さやかは、別の意味で窮地に立たされていた。
(そうまと手を…意外とスベスベしてたな…大きくって、力強くって…ってなに考えてるのよ!?)
頭のなかでパニックを起こしてしまい、美樹さやかの頬がどんどんと朱くなっていく。
幸い、建物自体が暗がりの為、それが瀬津そうまにバレることは無かった。
美樹さやかは決心し、ゆっくりと腕を伸ばしていく。
手は別の意味で震え、鹿目まどかや瀬津そうまから感じる視線に冷や汗を垂らしながら、ゆっくりと腕を伸ばす。
心臓の鼓動が聞こえるのではないか、と心配になるほど、美樹さやかの心臓は暴れくるっていた。
そして瀬津そうまとの距離が0になる。
「…さやかちゃん?」
「…」
美樹さやかは弱々しく掴んだ。
瀬津そうまの服の裾を。
俯き、先程までとは異なる鹿目まどかからの視線から目を逸らす。
しかし美樹さやかには、鹿目まどかが今何を考えているのか、痛いほど理解できた。
チャンスだよ! チャンスだよ! という幻聴が聞こえてきそうな程に、はっきりと鹿目まどかの考えが理解できる自分の勘の良さに美樹さやかは生まれて初めて悔いる。
「さやか。」
「…なに?」
瀬津そうまに呼ばれ、耳まで朱くなっていく。
瀬津そうまがどんな事を思って見ているのか、考えるだけで逃げ出したくなった。
そしてその答えを瀬津そうまが紡ぐ。
「今日はやけに女の子っぽいな。可愛いぞ。」
「~~っ!?」
防波堤が壊れた。
美樹さやかは瀬津そうまを突飛ばし、全速力で出口へと駆け出す。
後ろから瀬津そうまの呼び止める声がするが、振り向くことはない。
煩いくらいの効果音や、オドロオドロしい雰囲気で驚かせようとするギミックを全て無視して駆け抜けていく。
お化け(スタッフ)も怖がりな少女が来たのだな、と思ってくれたのか、道を塞いで驚かすようなことはしなかった。
実際道を塞いでいたら、容赦なく魔法少女の餌食になっていただろう。
「お~い! さやか待てよ~!」
鹿目まどかの手を引いて、瀬津そうまが追いかけてくる。
魔法の節約を心掛けていた事が裏目に出てしまい、逃げる速度は普通の少女のものと変わらない。
そんなことに気付く事もなく、美樹さやかは懸命にギミックを駆け抜けていく。
急に駆け出した2人と、美樹さやかが数メートル先で全てのギミックを先出ししてくれたおかげで、鹿目まどかも全く怖がる事なくお化け屋敷を通過していく。
途中途中で、瀬津そうまが出てきそうなお化け(スタッフ)に謝っていたことも、鹿目まどかの恐怖を和らげる要因となった。
微笑ましいものを見るかのように、お化け(スタッフ)が3人に笑顔を送っていたことに誰も気付かない。
「それじゃあまた後でね~!」
「お楽しみ下さいね~!」
鹿目まどかと志築仁美が笑顔で手を振った。
美樹さやかは若干引きつった笑顔でそれに応える。
2人を乗せた鉄箱はゆっくりと上昇していく。
夕焼けがやけに眩しく輝いている気がした。
「観覧車とか久しぶりだ。」
美樹さやかと向かい合って座る瀬津そうまが外を眺めながら話す。
そうなんだ、と努めて素っ気なく返事をした。
(一回落ち着いて…深呼吸…深呼吸…)
「さやか。」
「は、はいっ!?」
「…どうした?」
「ううん! 何でもない!」
「それ今日2度目だな。」
「えっ?」
くすくすと笑いだす瀬津そうまをきょとんとした表情で見る。
数秒の間を空けて、漸くお化け屋敷の事を言っていると美樹さやかは気付いた。
思い出して、また少し朱くなる。
観覧車に乗る時からずっと、美樹さやかの頬は若干色を帯びていた。
日も暮れてきて、最後に観覧車に乗って帰ろう、と志築仁美が言い出した事に頷いてアトラクションの前まで来た。
そこでゴンドラが4人乗りだということに上条恭介が気付き、人数を分ける事に決めた。
その結果、美樹さやかと瀬津そうまが2人きりで観覧車に乗ることになった。
何もおかしなことはない。
偶然にして、美樹さやかにとっては幸運とも言える出来事だ。
…志築仁美や上条恭介がわざとらしく話すことなく、尚且つ人数分けをする時に上条恭介が鹿目まどかに耳打ちしているのを見ていなければ、の話だが。
美樹さやかは自身の立場を幸運か不運考えに耽ってしまう。
そんなタイミングに、瀬津そうまは話しかけてきた。
「今日はありがとな。」
「べ、別にいいよ。私も楽しかったし。」
「それと、すまん。今まで機嫌悪くしてて。」
「えっ?」
それは美樹さやかにとって予想外の言葉だった。
瀬津そうまは話を続ける。
「今日の2人の、さやかとまどかの様子を見てて気付いた。今日は俺の事を励まそうとして予定してくれたんだ、ってな。」
本当にありがとな、と瀬津そうまは念押しに礼を告げる。
その姿を見て、遊園地を予定したのは志築仁美と上条恭介であって、別に2人に頼んだ訳ではないことを告げる事が出来なくなった。
瀬津そうまも瀬津そうまで、さっきのわざとらしい演技もその一貫なんだろ? と勘違いを自分の中で確固たる物としている。
美樹さやかは乾いた笑い声を上げることしか出来なかった。
「そうまは楽しんでくれたんだ。」
「そうだな。遊園地自体が久しぶりだったし、最近はちょっと羽目を外してなかったからな。」
「…そっか。」
「さやかはどうだったんだ? 今日はめっちゃ気合い入れた服装みたいだけど。」
「これはそんなんじゃない! …でも、まぁ楽しかった、よ。」
「おっ、俺達シンクロしてるな。相性バッチシだ。」
瀬津そうまは歯を見せて笑う。
その表情に美樹さやかは不覚にも胸を高鳴らせてしまった。
鼓動が頭の中で響く。
ゴンドラはゆっくりとした上昇を続け、全行程の4分の1程度を終え、尚上昇を続けている。
ゴンドラの窓から見える景色は見滝原を一望出来る程に広大だ。
美樹さやかにとって1時間にも感じられた2分間が過ぎる。
思えば瀬津そうまと2人きりになることなど、あまりなかった。
鹿目まどかと美樹さやかと瀬津そうま、3人で1つのチームなのだからそれは当然のことなのかもしれない。
そのような状況だからこそ…今現在、2人きりでいることがとても貴重なものだと思えてきた。
このチャンスを逃してしまえば、次がいつ来るのか不安になってしまう。
3人でいることに不満はないのだけど、志筑仁美の幸せそうな顔が脳裏をかすめた。
トクンっトクンっと速いテンポで安定した鼓動。
鼓動と比例するように、ぐちゃぐちゃと乱れていた思考が素早く回転しまとまっていく。
瀬津そうまが無言で見滝原の街を眺望していることが、それを手助けした。
スカートをきゅっと握り、視線は瀬津そうまの瞳へと向ける。
不思議と呼吸も落ち着いてきた。
…そして、美樹さやかは決心する。
「あ、あのさ!」
「ん? どうした、そんな慌てちゃって?」
「その、あの、今までありがとうね、そうま!」
「はぁ? …もしかして高いとこ苦手とかか?」
「そんなんじゃなくて…! 本当に感謝してるの! あたしやまどかのこと守ってくれて…あたしを人間にしてくれて…」
「そんなことか。別に大したことしてないから気にしなくていいさ。俺はただ単に魔法少女の使い魔だし、俺から見てさやかは女の子だっただけだからな。」
「そんなことないっ! あたしはそうまから色んなもの貰ったから! 本当に…色んな…」
「そっか…。それじゃあ有り難く礼の言葉を受け取っとくわ。」
「うん…」
「だけどな、さやか。一つだけ訂正してくれないか?」
「えっ?」
「さっき『今までありがとうね』って言ったろ? 俺は今の役目を捨てちまうつもりないぞ。これからもさやかやまどかのことを守るし、さやかが人間だってことをずっと言い続けていく。俺の信念が揺るがない限りな。」
「信念…?」
「『彼女』が遺してくれたもの、それを大切に生きていくこと。あとは周りの人を大切にする、とかかな。」
瀬津そうまが自身の左胸をトンと叩く。
キザッたらしく、フェミニストで、それでいてそれが似合うほどの容姿と性格。
引く手あまたとは瀬津そうまのためにある言葉だ、と美樹さやかは考える。
それだけ惹かれる要素があるというのに、いまだ瀬津そうまの胸の内には1人の女性しかいない。
瀬津そうまの笑顔に、美樹さやかの胸がズキッと痛んだ。
「そんなわけで、『これからもよろしく』とかの方が、俺的には嬉しいかな。」
「そっか…」
完全に瀬津そうまに勢いを止められ、美樹さやかの言葉尻はしぼんでいく。
美樹さやかの頭の中で、思いを吐きだした先の未来が見えてしまった。
今までの楽しい時間は水泡のように水面で破裂し、待っているのは暗い海の底。
一度失恋を体験していることが、美樹さやかの心までも弱くしていることに本人も気づいていない。
観覧車の頂上が近付いてきた。
(ダメっ! 今日…ここで言わなきゃ…他にいつ言うのよ!)
しわが出来るほど力強く、スカートを再度握りしめる。
魔女退治を何度も行った経験、自信が、逃げ腰の美樹さやかを止めた。そしてそれと同じくらいの瀬津そうまと過ごした時間が、再び勇気をくれる。
ゴンドラが頂上に到達し、ゆっくりと降り始める。
紅くゆらゆらと燃える夕日がゴンドラの中を、暖かいオレンジ色で包みこんだ。
向かいの席で瀬津そうまが夕日に感嘆の声を上げている。
その声をタイミングにして、美樹さやかはうつむかせていた顔を上げて瀬津そうまの顔をしっかりと見据えた。
美樹さやかが一世一代の大勝負に出る。
「そうま!」
「ん?」
「あのね、そうま!」
少し裏返ってしまった声に反応して美樹さやかの方に向く。
美樹さやかの視界には瀬津そうましか映っていない。
背景に見滝原の真っ赤な空が映っているが、所詮それは瑣末なものだ。
ゴンドラが頂上を通り過ぎたため、その背景もゆっくりと次のゴンドラに浸食されていくが、それも瑣末な問題…
「なっ!?」
「はっ?」
思わずだみ声を上げてしまった。
明らかに様子のおかしい美樹さやかを見て、瀬津そうまは一度美樹さやかから視線を外し振り返った。
瀬津そうまと美樹さやかが乗るゴンドラの少し上。
そこには当然、次のゴンドラがあるわけで…
「あっ、仁美たちのことか。そういや次のに乗ってるんだったな。お~い。」
瀬津そうまと美樹さやかが乗るゴンドラをニヤニヤと凝視する見慣れた3人の姿がそこにはあった。
瀬津そうまが手を振ると、3人がしまった、と言いたげな顔で手を振り返す。
「さやか、デジカメあるか? 折角だから撮って…ってどうした?」
「なんでもない…なんでもないの…」
力なくカバンからデジカメを取り出し、瀬津そうまに渡す。
瀬津そうまは1人楽しげに、『はい、チーズ!』などと聞こえるわけの無い合図を口にして、鹿目まどか、志筑仁美、上条恭介の3人の写真を撮っていた。
ため息とともに、美樹さやかの口からいろいろなものが零れていく。
そしてその分だけ、顔がまたも紅潮していった。
(見られてた…恥ずかしい…)
「さやか。」
「もう、なに!?」
「今日は本当に楽しかった! また来ような!」
今度は子供のように笑う。
たったそれだけで、美樹さやかの胸のもやもやがスッと晴れていく。
正に毒気を抜かれるとはこのことだろう、と美樹さやかは最近学んだ熟語のことを考えていた。
そのためか、美樹さやかも純粋な気持ちで瀬津そうまに笑顔を向けることが出来た。
「うん! 絶対行こうね!」
その後、観覧車を下りた3人を待っていたのは、鬼と化した美樹さやかだった。