…昔々、あるところに1人の少女がいました。
赤茶色の透き通るような長髪の持ち主で、まるで人形のようだ、とご近所や両親の仕事仲間に評判される程の可愛らしい少女です。
都心の立派な一軒家に住む少女は、所謂お嬢様と称されても違和感のない暮らしをしていました。
毎日の食事は豪華絢爛、服は有名ブランドを纏い、お金に苦しむといった生活とは無縁の人物でした。
そんな少女にも2つの欠点があります。
それは極度の人見知り、そして気が弱いことです。
少女は人の前に立つと頭の中がパニックになってしまい、またパニック中の思考を必死に纏めて考えついた言葉も、自分から言い出す事が出来ない。
そんな気弱な性格の少女でした。
人付き合いが苦手な少女、と言い換えることも出来るかもしれません。
幼稚園では先生の協力もあり、何人かの友達がいました。
彼女の本来の性格の一部である優しさを、幼稚園の先生含め周りが理解してくれたからです。
初めの内は独りで遊んでいた少女も、次第にみんなの輪に加わって遊ぶようになり、家に帰ればオズオズと両親に今日有った楽しかった出来事を話す。
楽しく、温かな生活を送っていました。
しかし、小学校に進学すると同時に、全てが狂っていきます。
ただでさえ目立つ容姿をしている少女はクラス中から注目を浴びました。
しかし少女はびっくりしてしまい、しっかりと話すことができませんでした。
すると気が弱く人見知りをしてしまう少女のことを、無口で無愛想とクラスメイトは判断し、一部分だけを見て嫌悪感を露にします。
しかし、少女は否定することも出来ません。
ただただ、毎日の苦痛を溜め込む生活を続けました。
元来大人しい性格のため、両親も異変に気付いてくれません。
また、少女の方から助けを求めることも出来ません。
そうして小学校時代を孤独に過ごしました。
小学校に楽しかった記憶なんて無かった、と少女は後に言います。
中学校では友達を作るぞ、と意気込んで私立の中学校を受験して、心機一転することにしました。
友達と遊ぶこともなく、勉強に割く時間は沢山あった少女は必死に勉強します。
小学校のクラスメイトは話を聞いてくれなかったけど…
私立に来るような子達なら、きっと頭がいいから私の事を理解してくれる。
そんな確信のない期待だけを目指して、必死に、必死に勉強しました。
そして…結果は合格。
少女は自身の力で、新たな居場所を手に入れたのです。
…しかしそこでも、少女の人生は変わりません。
女子は成長が早く、より身体も大きくなったことで、苛めは更にエスカレートしました。
家がお金持ち、ということもバレてしまい、金銭を要求されることも増えました。
その状況をクラスメイトは見て見ぬふり。
少女のか弱い心は誰にも守られることなく、日に日に疲弊していきました。
両親に心配させないように、家では過剰なほど明るく努めました。
それがまた精神を蝕んでいきます。
心身ともに弱り、この世に絶望し、しかしながら死ぬことも怖くてできない。
少女の心はどんどんと閉じ込められていきました。
それでも少女は本当に望んでいました…心の底から信頼できる親友を。
絶望の淵から救い出してくれる人を求めていました。
そして…それは突如として現れます。 ―…
『ボクと契約して、魔法少女になってよ。』
第30話 メアリー・スー
「…こうして俺は生まれたんだ。」
湯気の立つカップを持ち、コーヒーをすする。
シャワーを浴びたとはいえ、いまだに身体は冷えていた。
暖かいカップで指先を温める。
美樹さやかは瀬津そうまの家に来ていた。
偶然美樹さやかを捕まえた場所が瀬津そうまの家に近かったこと。
そして美樹さやか自身が、瀬津そうまの言葉の真意を知りたかったという理由が重なり、瀬津そうまが少し躊躇いながらも案内したためだ。
六畳一間の部屋にベッドとソファー、そして小さなテーブルが所狭しと置かれている。
シャワーを借りた美樹さやかはソファーに座りながら、ベッドに腰掛ける瀬津そうまを見つめる。
窓際に置かれたベッドには枕が二つあった。
「それから俺は彼女と2人で魔女退治を続けた。学校も同じところに行って、夜は2人で魔女退治。この家に泊まることもあった。本当にずっと一緒だったよ。」
瀬津そうまは少し寂しそうな表情で窓の外を眺める。
いまだに雨はシトシトと降り続けていた。
「…それで、その人はどうなったの…?」
「…」
「あっ…ごめん…」
「いや…あの日もこんな雨が降ってたな、って思ってな…」
瀬津そうまは立ち上がり台所へと向かう。
コーヒードリップケトルに入ったコーヒーはまだ熱く、身体を暖かくするには持って来いだ。
ついでに美樹さやかのカップにも注ぎ、台所にケトルを置いてからミルクと砂糖を取り出しテーブルに置く。
美樹さやかがブラックで飲むことが出来ないための配慮だ。
「俺は彼女の願いを叶えるために必死だったよ。先ずは彼女と同じ中学、同じクラスに転校して、それからクラスメイトとのパイプ代わりになった。彼女が初めて魔法を使ったのはこのタイミングで、俺には身分を証明するものがないから、全て魔法ででっち上げたことだったよ。」
「…そうなんだ。」
「心優しい彼女は、キュゥべえに言われた通り魔女退治を始め、この町の平和を守ってたんだ。実は杏子ともその時にすれ違ったことがあるんだ。俺もつい最近になって思い出したんだけどな。」
瀬津そうまは楽しげに言葉を紡ぐ。
これまで誰にも話すことが出来なかった内緒話を、勢いで話してしまった時の優越感のようなものを感じているのかもしれない。
瀬津そうまの大きなシャツとセーターを着た美樹さやかもコーヒーを飲む。
…少し美樹さやかにブラックは早かったようだ。
一口含むと、直ぐにミルクと砂糖を2つずつ入れてマドラーでかき混ぜた。
「この部屋は深夜バイトとか新聞配達で稼いだ金で借りてる。金が入るまでは仲良くなった男子のクラスメイトの家に泊まらせてもらったんだけど…今更ながら、ちょっと恥ずいな。」
「そこはその…」
「あぁ…リホだ。」
「その、リホさんの家ってお金持ちなんでしょ? 助けてもらえばよかったじゃない?」
「それは彼女も言ってたんだけどな。そこは男のプライドが上回っちまった、ってことにしといてくれ。」
「うわぁ~…自己満足じゃない。」
「男はそういうもんなんです。」
くすくすと美樹さやかが笑うと、瀬津そうまは少し顔を紅くする。
こんな表情を見せるのも、美樹さやかの前では初めてだった。
「あぁ…まぁ、なんだ…とにかく俺は彼女の理想であり続けなきゃいけなかったから、かっこ悪いところを見せないように必死だったんだよ。それと同時に、クラスメイトの…特に女子の理想の彼氏像にならなきゃいけなかったんだ。誰もが、こんな彼氏がいたらいいな、と思うような男に。」
「なんで? 彼女がいたんでしょ?」
「俺を餌に女子が彼女に話しかけるようになればいい、と思ったんだよ。それが彼女の事を知ってもらう第一歩になれば、きっと彼女の望む親友が出来ると信じていたし…って言っても、実際にどうだったかはもう分かんないけどな。」
「えっ? どうして?」
「彼女がいなくなってから中学も引っ越したし、誰にもこの家の住所は教えなかったから連絡手段が無いんだよ。携帯も当時は持ってなかったからな。…それに、結局彼女は俺とずっと一緒にいたからな。」
「そう…なんだ。」
「だから、この部屋に入るのは、彼女を除いて、さやかが初めてだよ。良かったな、選ばれし者よ。」
「なによそれ、胡散臭いうえに、結局2番目じゃない。」
「まぁ、そうだな。」
部屋の中に笑い声が生まれた。
夜だというのに、隣人を気にすることのない大音量な笑い声が。
美樹さやかの、さっきまでの暗い雰囲気はいつのまにか消え失せていた。
それに本人も気づいていない。
「とりあえずこんなに長々と話したけど、結局言いたいことってのは…さやかは両親がいて、14年間生きてきた歴史だってある。それなのに、さやかが自分のことを『人間』じゃない、っていうんなら、俺はどうなるんだよ? 俺の事を信じてくれた彼女の奇跡(願い)はどうなるんだよ? …要は俺自身が俺のことを『人間』だって思ってるのに、それをさやかが否定しないでくれ、ってことが言いたかったんだ。俺よりも歩んだ歴史が長いさやかが『人間』でいることを諦めないでくれ、ってことなんだよ。」
「そうま…」
「それでも否定するんなら、俺がまたそれを否定するさ。さやかはかわいい普通の女の子だよ、ってな。」
「っ!? …きっと前の学校の女の子も、これにやられたんでしょうね…」
「はぁっ?」
「な、なんでもない!」
慌てて両手を振る美樹さやか。
頬を真っ赤に染め、何かごまかすようにしているが、瀬津そうまには何が原因で恥ずかしがっているのか理解できなかった。
ただ、経験則から自身が悪いのだろう、とは考えてる。
深呼吸を何回か繰り返し、ようやく頬の紅さが治まったところで、再び瀬津そうまの顔を見つめる。
瀬津そうまは本心を語ったのだから、それに対し真剣に返答しなくてはいけない…という美樹さやかの真面目さからの行動だった。
「…うん。私はもう自分のことをゾンビ扱いなんてしない。私は『美樹さやか』だよね。」
「あぁ。俺のクラスメイトで、絶賛失恋中の美樹さやかだ。」
「一言多いわ~っ!」
美樹さやかの大声が部屋中に響く。
すると隣部屋から壁をドンドンと叩かれた。
どうやら騒ぎすぎてしまったと2人して反省し、またお互いの反省顔を見て笑い出してしまう。
美樹さやかにとっては、久しぶりに心から笑えている夜だった。
その後、傘を貸して美樹さやかの家まで送る。
もちろんこれも『男として』譲れないことらしい。
こういうのも…悪くないな、と思いながら、美樹さやかは瀬津そうまと共に暗く、寒く、そして暖かい夜道を歩いていった。
そしていつもの朝がやってくる。
いつも通りの時間に置き、相変わらずの母親の朝食を食べ、そして時間通り家を出る。
昨晩の雨が嘘のように、空は晴れ渡っていて、真夏のような日差しがまぶしく、つい目を閉じてしまいそうになる。
所々水たまりが出来ていて、足元に注意しながら登校すると、前に見覚えのある髪型のクラスメイトが歩いていた。
いつも通りの時間に出たのだから当然か、と納得して小走りで近づいていく。
「おはよー! まどかっ!」
「ひゃっ!? さ、さやか…ちゃん…」
「どうしたの? 元気ないぞ~!」
「きゃっ!? 止めてよ、さやかちゃん! 髪がぐちゃぐちゃになっちゃうよ~!」
後ろから鹿目まどかに抱きつくと、そのまま赤のリボンが結ばれている髪の毛をぐしゃぐしゃのかき乱した。
鹿目まどかは戸惑いで上手く反応することが出来ない。
一通り鹿目まどかの髪型をぐちゃぐちゃにした後、美樹さやかはギュッと力強く鹿目まどかを抱きしめる。
「…ごめんね。ひどいこと言って…」
「さやかちゃん…」
「私、少し周りが見えてなかった…これじゃあ何も言えないね。たはは…」
「そんなことないよ! さやかちゃんのことを、私がちゃんと考えてあげられればこんなことにならなかったのに…」
「そんなこと! 私の所為だって!」
「違うよ! 私がちゃんとしてれば…」
「お前ら、公道でうっさいわ!」
鹿目まどかと美樹さやかの頭に、交互にチョップが振り下ろされた。
パカンという擬音が聞こえてきそうなほどにクリティカルヒットし、2人して涙目になる。
2人揃って振り返ると、そこには肩にカバンを掛け、右手をチョップの形にしている瀬津そうまの姿があった。
「お前らはもっと簡単に仲直りできんのか!? 責任なんてどっちでもいいだろうが!」
「「…はい。」」
「ったく…今ので仲直りは終了でいいだろ? 喧嘩両成敗、的な?」
「なんで叩かれなきゃなんないのよ…」
「あぁ~ん? 俺には、まだ叩かれたりないです、って聞こえたぞ~?」
「ちょっ!? 暴力反対っ! こんな可愛い子に手を出すの!?」
「男女平等!」
「あはは…諦めよう、さやかちゃん。」
「うっ…」
パカンと小気味のいい音が通学路に響いた。
3人は楽しげに笑う。
「さやか! 左から3匹!」
「分かってる! そうまも後ろのお願いね!」
「瀬津君!」
「…っと、あぶっ…なくない! 後ろから来るの分かってたから、全然落ち着いて対処できたわ~。」
「なに誤魔化してるのよ! きゃっ!?」
「さやかっ!」
美樹さやかのわき腹に、鬼の形をした使い魔の持つ棍棒が突き刺さる。
美樹さやかの身体はライナーのように、勢いよく吹き飛ばされた。
痛みに苦悶の表情を浮かべる。
「おっと。」
結界の壁にぶつかる直前、美樹さやかの身体を瀬津そうまが優しく受け止めた。
ふぅっと一息吐く。
「いててっ…」
「大丈夫か? さやか。」
「だい…じょうぶ…って言いたいけど、なんかお昼が出てきそう…」
「結界内でリバースって、きっと魔法少女でさやかが初めてだろうな。うらやまし~わ~。」
「さやかちゃん! 今日たまたまコンビニの袋を…」
「吐かないわよ!」
お腹に手を当て、痛みを緩和している美樹さやかの手から、瀬津そうまが剣を受け取る。
…いや、奪い取る。
剣を奪い取った瀬津そうまは一振りすると、使い魔の元に向けて走り出す。
使い魔も瀬津そうまに向きあい、棍棒を大きく振りかぶった。
ギンッ!
剣と棍棒が交差する。
お互いがお互いの首を狙った一撃必殺の凶器がぶつかり合い、瀬津そうまと使い魔の間に風が捲きあがった。
やはり片手の瀬津そうまでは、筋肉隆々の鬼の使い魔には力負けしてしまい、徐々に剣が押されていく。
使い魔と使い魔が合体し、一匹の鬼に変身した使い魔は、普通の使い魔とは実力が頭一つ分抜きんでていた。
そのため瀬津そうまでは文字通り力不足で、腕の血管がはち切れるほどに剣で押し返しても、より強い力で押し返される。
使い魔はにやりと笑みを見せ、瀬津そうまを見下す。
勝利を確認したような表情を見せた使い魔に、余裕はないにもかかわらず瀬津そうまは、使い魔にも知能があるのか?、と冷静に観察していた。
使い魔が咆哮を上げる。
より棍棒の圧力が増す。
脚をがくがくと震わせながら、それでも必死に剣を押し返す。
腰を深く曲げ、剣を腰で背負うように立てる。
片刃剣で無ければ、瀬津そうまの背中に刃が食いこんでいただろう。
あと少しで瀬津そうまを剣ごと押し潰せると確信した使い魔は勝利の咆哮を上げた。
そして瀬津そうまが笑みを浮かべる。
「私のことを忘れんじゃないわよ!」
ギャッ、と使い魔の悲鳴が上がり瀬津そうまに覆いかぶさるように倒れてくる。
その無防備になった使い魔を瀬津そうまの剣が真っ二つにした。
瀬津そうまが顔を上げると剣を突き立てた美樹さやかの姿があった。
瀬津そうまが使い魔の気を引いている間に後ろに回り込み、美樹さやかが無防備な背中を切り裂く。
お互いを信頼しているからこそできるコンビネーションプレイだ。
使い魔が倒れ、結界が徐々に消えていく。
今宵の魔女退治は魔女を逃がした、という結果で終了した。
「さんきゅ、さやか。」
「今度はちゃんと感謝したわね。」
「瀬津君、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。怪我の一つもないさ。」
美樹さやかの姿が制服姿に戻る。
お調子者の瀬津そうまに、美樹さやかも苦笑いを浮かべていた。
「さやかちゃんはお腹大丈夫?」
「うん。もう平気だよ、まどか。吐き気も治ったしね。」
「そいつはよかった。」
「うわ~…棒読み~…」
少し口角を上げ美樹さやかにほほ笑みながら話す瀬津そうまに、美樹さやかはジト眼で返す。
鹿目まどかはその様子を楽しげに見ていた。
(でも…使い魔の棍棒で殴り飛ばされたら、本当に痛かった…ちゃんと痛みを感じた…)
右手を握っては開く。
鹿目まどかと瀬津そうまが何か楽しげに話しているのを、美樹さやかは物思いにふけりながら眺めていた。
美樹さやかは一度死んだ身である。
それは魔法少女になったから、であったり、ソウルジェムが手から離れ意識を飛ばしたから、ではない。
それは人間として生きることを諦めたことだ。
そしてそこから再び美樹さやかを人間にしたのが、今美樹さやかの前ではしゃいでいる2人だったのだ。
こんなか弱く汚い自分を絶望の淵からすくい上げてくれたことに、美樹さやかは痛みからようやく気付くことができた。
また…瀬津そうまのことをより深く知ることが出来た。
自分と似たような境遇に立ち、それでも生きることを諦めない姿勢。
それが美樹さやかにはやけに輝いて見えた。
季節は過ぎ、冬はもうすぐそこ。
見滝原を包み込むのは雪か…
それとも災厄か…
魔法少女の…
瀬津そうまの…
そして鹿目まどかの戦いが、今始まる…