魔法少女の騎士   作:アンリ

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第29話 タガタメ

 結界が消え、頭上には夜空を覆う厚い雲が広がる。

 ビルとビルの隙間を縫うように伸びる裏路地はシンとしていて、そこには鹿目まどか、美樹さやか、そして瀬津そうまの姿しか見当たらない。

 瀬津そうまは雲に覆われた天を見上げ、深く深くため息を突いた。

 それが意味するのは安堵か、それとも不安か。

 それは眼を閉じて何かを考える瀬津そうまにしか分からない。

 

「さやかちゃん!」

 

 美樹さやかは結界が崩壊した事を確認すると、張りつめていた何かが弾け飛ぶように魔法少女の姿から見滝原中学校の制服姿へと戻り、糸が切れたマリオネットのように膝を崩し地面にへたり込んだ。

 美樹さやかの前には、白く輝くグリーフシードが存在していた。

 息遣いが荒く、身体中で魔法による治癒が今もなお続いている。

 鹿目まどかが慌てて駆け寄る。

 

 美樹さやかの叶えた奇跡とは上条恭介の腕を『治癒』すること。

 魔法少女の能力は奇跡の質によって決定するため、美樹さやかの能力は『治癒』することに長けている。

 それだというのに、いまだに美樹さやかの治癒は終わっていない。

 といっても確実に致命傷は治癒されていく。

 穴の開いた心臓がふさがり、全身を循環する血液が生成され、そして身体中に開いた穴を一つひとつふさがれていく。

 結果として現代の医療では確実に命を落としていたであろうその傷を、美樹さやかはたかだか5分ほどで完治させた。

 心配する鹿目まどかもその様子に安堵を浮かべる。

 

「くっくっくっ…あははっ!」

 

 傷が完治したのを確認するように、美樹さやかは立ち上がり右手を何度も閉じては開き、そして足首を回した。

 全く持って異常が無い。

 健康体そのものだ。

 しかし美樹さやかはそんな人間離れした自身の治癒力を目の当たりにして、こらえきれず笑いだしてしまう。

 お腹を抱え、天を見上げ、口を大きく開き笑う。

 渇いた笑い声が裏路地に響き渡った。

 美樹さやかの瞳にはどこか虚無感を感じ取ることが出来た。

 

 ぽつり…ぽつり…と雨が降り出す。

 少しずつ、少しずつ強くなる雨は3人の身体を濡らし、冷たい風も相まって熱を急速に奪っていった。

 

「…とりあえず、そこのバス停で雨宿りするか。まどか、さやか、大丈夫か?」

「う、うん…」

「…平気だよ。」

 

 瀬津そうまの提案に、鹿目まどかは戸惑いながらも頷き、美樹さやかは笑うのを止め急に不機嫌そうな表情に変わる。

 もしかしたら舌打ちの一つでもしたのかもしれないが、雨音のおかげか…もしくは雨音の所為か、2人の耳に届くことはなかった。

 そして何事もなく、目の前のソウルジェムを拾い上げる。

 そして3人は雨から逃げるため、バス停へと身体を滑り込ませた。

 幸いなことに天井だけの待合所とは異なり、透明な板で天井と四方を覆うように造られた待合室のようなバス停だったため、雨だけでなく冷たい風からも身を守ることが出来た。

 瀬津そうまは垂れた前髪を掻き上げ、濡れた前髪が目に入るのを防ぐ。

 鹿目まどかは自身のハンカチで額を拭き、束ねていた髪を解き、襟足をハンカチで拭き始めた。

 3人の間に会話はない。

 待合室に設置されている時計のチクタクという音と、天井で弾ける雨の音だけが響いていた。

 

 チクタク…チクタク…

 ザァー…ザァー…

 

「さやかちゃん…濡れてるから拭くね?」

 

 少し間を開けて、雨はさらに勢いを増し降り続けていた。

 傘の無い3人は雨の中走って帰る、という選択肢に踏み切れないでいた。

 手持無沙汰になった鹿目まどかは、待合室に入ってから濡れた身体を気にも留めず椅子に座る美樹さやかに話しかける。

 重苦しい空気を和ますために、鹿目まどかとしては精一杯の勇気と笑顔で話しかけた。

 

「…いい。どうせ私風邪引かないし…。」

「そんな…」

「いいから身体拭いてもらえ。ちゃんと自分の身体を大切にしないとダメだろ?」

 

 瀬津そうまにしては強めの口調に、美樹さやかはつい瀬津そうまを睨む。

 鹿目まどかは2人の表情を交互に見比べるが、どちらの表情も不機嫌を表していた。

 

「別にそうまには関係ないでしょ。私のことなんだから。」

「心配するこっちの身にもなってくれ。まどかだって、さやかの身体のことを思ってくれてるんだぞ。」

「…れがお…っかいだ…言って…のよ…」

 

 美樹さやかが呟いた言葉は途切れ途切れで、瀬津そうまだけでなく、比較的近くにいた鹿目まどかですら完璧に聞き取ることはできなかった。

 しかし…途切れ途切れに聞こえてきた言葉の端だけで、美樹さやかが何を言おうとしていたのか、鹿目まどかには理解できた。

 重苦しい空気が流れる。

 

 チクタク…チクタク…

 ザァー…ザァー…

 

 鹿目まどかの身体は巨大な蛇に巻きつかれたように重く、身動きが取れない。

 何かあと一言…どちらかが話せば、今までの関係が崩れてしまうのではないか、と根拠のない不安で心が縛り付けられてしまう。

 濡れた制服の胸元をぎゅっと握りしめた。

 

「…まぁいいか。まどかはここからバスで帰れるのか?」

「えっ? え~っと…うん。あと15分後くらいに、私の家の近くのバス停まで行くバスが来るよ。」

「そっか。…さやかは?」

「…ない。」

「そっか…」

 

 美樹さやかはバスの時刻表を座ったままちらりと見ただけで、すぐ答える。

 美樹さやかの座る席から時刻表までは距離にして2m程度の距離があるのだが、それだというのに細かな文字で書かれている時刻表からはっきりと断定した。

 事実、魔力で視力を強化して見たので、見えていないわけではない。

 しっかりと見たうえで、美樹さやかの自宅の方向に向かうバスが無いことを断言したのだ。

 それを知らない鹿目まどかは、美樹さやかの突き放すような反応にびくりと身体を震わす。

 

「それじゃあまどかはそれで帰るとして、どちらにしても傘は必要だな。ちょっと待っててくれ。今からそこのコンビニに行って人数分の傘を買ってくるから。」

「私の分はいらないわよ。」

「そう言うなって。たとえ魔法少女だって、女の子なんだからさ。雨降ってる中見捨てるなんて、男としてどうかと思うぞ?」

「…こんな時までチャラチャラと…男って何なの…」

「別に下心があるわけじゃないからな。たださやかが心配なだけ。それ以上でも以下でもない。」

「ま、まぁ、さやかちゃん。瀬津君もそう言ってるからさ。瀬津君にお願いしよ?」

「…」

「よし。話しも決まったところで、俺はちょっと行ってくる。ここで待ってろよ。」

 

 そして瀬津そうまは激しく雨が降り続ける中、雨に打たれながら近くのコンビニまで走っていった。

 自動ドアの閉まる音がやけに重々しく響く。

 待合室には鹿目まどかと美樹さやかの姿だけ。

 行き先の違うバスすらバス停には来ない。

 先にもまして重苦しい空間に、やはり鹿目まどかは居心地が悪かった。

 何か話す内容を考えているのだが、良いものが浮かばない。

 そのため、頭に浮かんだ疑問をそのまま口にしてしまう。

 

「ねぇ…さやかちゃん。」

「なに。」

「身体…大丈夫? 痛い所とかない?」

「…本当はちょっと疲れちゃった。そうまにこんな姿見せたら、いちいち言われそうだったから黙ってたけどね。」

 

 渇いた笑みを浮かべつつ、本音を吐露する。

 身体をがくりと崩し、今にも横たわってしまいそうなほど、疲れ切っていた。

 鹿目まどかは美樹さやかの隣に座り、肩を貸す。

 ありがと…と一言礼を言ってから、美樹さやかは全体重を鹿目まどかに預けた。

 美樹さやかの冷たい身体が鹿目まどかに触れる。

 それだけで美樹さやかがどれだけ疲弊しているのか、鹿目まどかにも分かった。

 

 傘を買いに行った瀬津そうまはまだ帰ってこない。

 もしかしたら2人きりにさせて、美樹さやかを休ませることを考えての行動だったのかもしれない。

 現に今にも美樹さやかは寝てしまいそうなほど、ぐったりとしている。

 

 それだけ今日の戦いは凄惨なものだった。

 自身の身体を厭わない戦略、行動。

 その果てにある美樹さやかの疲弊。

 今回はソウルジェムを回収できたため、傷は全て完治し魔力も元通りとなる。

 しかしそういった問題ではないのだ。

 傷付き、血反吐を吐き、それでも一般人のために魔女を退治し続けるその行為。

 それを心やさしい鹿目まどかが許容できるわけがない。

 眦に涙がたまり、そして溢れた。

 

「さやかちゃん…あんな戦い方…ないよ…痛くないなんて嘘だよ…見てるだけで痛かったもん…感じないから傷ついてもいいなんて…そんなのダメだよ…」

「…ああでもしなきゃ勝てないんだよ。私才能ないからさ。」

 

 才能、という言葉に、鹿目まどかの心に何かがチクリと刺さった。

 自身も才能を盾に様々なことから逃げ出してきた現実がある。

 それなのに、どうして美樹さやかに助言することが出来るのだろうか。

 ふと、そんなことを考えてしまう。

 

「…あんな戦い方してたら、勝てたとしてもさやかちゃんの為にならないよ。」

 

 それでも何とか振り絞って声を出す。

 どんな理由であろうと、親友である美樹さやかに傷付いて欲しくなかったから。

 

「私のために…って何よ…」

「えっ?」

「こんな姿にされた後で、何が私のためになるっていうの?」

「さやかちゃん…!」

 

 ただ…その願いは美樹さやかの逆鱗に触れた一言だった。

 

「今の私はね『魔女を殺す』、ただそれだけしかない石ころなのよ。死んだ体を動かして、生きてるふりをしているだけ。そんな私のために、誰が何をしてくれるっていうの?」

「でも私は…どうすればさやかちゃんが幸せになれるかって…」

「…だったらあんたが戦ってよ。」

 

 そして…美樹さやかが内に秘めていた思い(妬み)が外に出てしまった。

 美樹さやかは立ち上がり、鹿目まどかを見下す。

 眼光には鋭さが混じり、口調も突き放すようなものへと変わっていく。

 

「キュゥべえから聞いたわよ。あんた誰よりも才能あるんでしょ? 私みたいな苦労しなくても、簡単に魔女をやっつけれるんでしょ?」

「私は…そんな…」

「私のために何かしようって言うんなら…まず私と同じ立場に立ってみなさいよ。…無理でしょ。当然だよね。ただの同情で、人間辞められるわけないもんね!」

「同情なんて! …そんな…」

「なんでもできるくせに、何もしないあんたの代わりに、私がこんな目に遭ってるの。それを棚に上げて、知ったようなこと言わないでっ…!」

 

 踵を返す。

 美樹さやかは1人自動ドアへと向かう。瀬津そうまはまだ帰ってこない。

 鹿目まどかも勢いよく立ち上がり、美樹さやかの後を追う。

 ここで美樹さやかを1人にしてしまうことで、何もかもが壊れてしまう、という確信に近い何かが有ったから。

 必死に美樹さやかに謝り、遠くに行かないで、と懇願するつもりだった。

 

「さやかちゃん…!」

「…付いてこないで。」

 

 鹿目まどかが伸ばした手を払い除ける。

 パシッと痛々しい音が待合室に響いた。

 

 チクタク…チクタク…

 ザァー…ザァー…

 

「お待たせさん。金下ろしてたら時間が…どうした?」

「…っ!」

 

 どんっ、と突き飛ばす音が響く。

 戻ってきた瀬津そうまを突飛ばし、美樹さやかは雨降る夜の町へと駆け出した。

 

「さやかっ! …っ、まどか! 俺はさやかを追う! まどかは帰れ!」

 

 咄嗟に買ったばかりのビニール傘を鹿目まどかの足元に投げ、すぐさま雨が降り続ける夜に戻る。

 傘が地面を打つ音が鳴り、ハッと顔をあげた時には既に瀬津そうまの姿は無かった。

 

「…私の…所為だ…」

 

 濡れることも厭わず、2人に続いて待合室の外へと駆け出す。

 しかし既に2人の影は見えず、どちらに行ったのかも分からない。

 途方にくれ、立ち止まってただ身体を濡らしていく。

 鹿目まどかの頬に、雨ではない何かが流れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付けば美樹さやかは宛もなく走っていた。

 道路に溜まった水溜まりが勢い良く跳ねる。

 ローファーまでグッショリと濡れ、制服は水分を含み普段よりも重たく感じた。

 しかし、本能のまま動く脚は止まらない。

 眦には雨ではない何かが溜まっていた。

 

「ばかだよ、私…もう救いようがないよ…」

 

 頭の中に木霊する言葉。

 それは先程鹿目まどかに叩きつけるように吐き出した、とても自身の発言とは思いたくない憎悪の塊だった。

 思い出すだけで、後悔と自己嫌悪が交互に涌き出てくる。

 リズムの乱れた息遣いとは別に、嗚咽が込み上げてきた。

 それを必死に抑え、ただひたすらに走り続ける。

 脚が千切れ、走れなくなるまで…

 何度も立ち直ることが出来なくなるまで…

 美樹さやかは自身の身体を虐めるように、全力で雨の中走り続ける。

 それでも…美樹さやかは風邪を引くことなく、明日から魔女退治に出向くことが出来る。

 それを考えると、更に何かが身体の中から溢れだしてきた。

 もうそれを抑えることも出来ない。

 本能のままに言葉をぶつけ、本能のままに走り、本能のままに涙を流す。

 これから独りぼっちになる。

 幼なじみの思い人を失い、親友を3人失い、そして居場所を無くした。

 美樹さやかはそんな絶望に今になって後悔していた。

 楽しかったはずの日々が、ひどく色あせたものへと変わっていく…。

 

 濡れに濡れた袖で瞼を拭う。

 呼吸は荒く、吐き出す息はことごとく白い。

 それでも雨の街をがむしゃらに走り続けた。

 やがて耳の中に響くのは自身の息遣いだけになる。

 車の音、雨の音が遠ざかっていく。

 宛ら自身の殻に閉じ籠るような感覚だった。

 世界を狭め、空を押し潰し、あらゆるものを無機物として捉える。

 空気を押し固め、聴覚と触覚を削っていく。

 

 …もう世界に1人だけ。

 隔離された世界はまるで魔女の結界のようだ。

 そして美樹さやかはドンドンと落ちていき…

 

「や~っと、追いついた。」

 

 腕を捕まれ、引き上げられていく。

 

「やっぱりさやかはスポーツ万能だな。追い付くのに、やたら時間掛かっちまったよ。」

「そう…ま…」

 

 美樹さやかの左腕が強く掴まれる。

 振り返らなくても、声だけで誰なのかは理解できた。

 既に数ヶ月の付き合いなのだ。

 状況、声色、手の大きさ、全てを併せて考えれば、自然と答えは出てくる。

 今日はいつもよりも息遣いが荒い、といった変化にすらすぐに気付いてしまう。

 

「…来ないで。」

「そいつは無理な相談だな。俺はさやかのパートナーであり、親友なんだからさ。」

「…んでよ。」

「うん?」

「何であんたまでそんなこと言うのよ! 私にはそんな価値無いじゃない!」

 

 美樹さやかは腕を振り払い、再度走り出そうとする。

 しかし力の差か、それとも思いの差か、強く握りしめる瀬津そうまの手は一向に離れない。

 それでも美樹さやかは腕を力強く降り続ける。

 

「私はっ! 私はどんなに濡れても風邪を引かないっ! どんなに撃たれても死なないっ! どんなに頑張っても…」

「…」

「それなのにまどかのことも…心配してくれた大事な友達に八つ当たりしちゃってっ! いっぱいいっぱい傷付けちゃって!」

「もういい…」

「それなのに私が被害者面しちゃって! こうして、そうまにも苦労掛けさせちゃって!」

 

 爆発した呪いは絶え間無く吐き出され続ける。

 天に、法に、そして何より親友に罰して貰いたいため。

 そんな願いと罪の吐露は、腕を強く引かれたことで無理矢理止められた。

 

「もういいって…言ってるだろ?」

 

 強く手を引き、身体の向きを変えると、そのままその大きな身体を使って、美樹さやかを正面から力強く抱き締めた。

 美樹さやかは眼を大きく見開き、そして瀬津そうまの胸を強く押す。

 しかし瀬津そうまは離しはしない。

 瀬津そうまの肩をどんどんと叩く。

 それだというのに、瀬津そうまの右腕から力は抜けない。

 

「止めてよ…もう私は…」

「さやかはかわいい女の子だ。恭介は振り向いてくれなかったけど、間違いなく魅力的な女の子だよ。」

「あんたに…何が分かるのよ…」

「分かるさ。俺自身がそう思うからだよ。」

「…」

 

 美樹さやかの腕がだらりと下がる。

 瀬津そうまの胸に顔をうずめ、それに対し瀬津そうまは笑顔を見せた。

 瀬津そうまは美樹さやかの左肩から右腕をまわし、抱きしめたまま美樹さやかの右肩をポンポンと叩く。

 

「悪いな。傘は持てなかったから置いてきちまった。」

 

 ふるふると胸の中で首を振る。

 どうやら声は聞こえているようだと、瀬津そうまは判断した。

 雨に打たれたまま話しを続ける。

 

「俺はな、さやか。正直めっちゃ怒ってるからな。」

「…」

「何について怒ってるか分からないか?」

「…魔女との戦い方でしょ?」

「違う。さやかが自分のことを化け物扱いしていることだ。自分のことをないがしろにして、それが当然だと考えていることに、俺は怒ってるんだ。」

「…」

「なんで諦めちまうんだよ。さやかはさやかだろ。まだ中学生だってのに、そんな達観した、みたいな考え方してどうすんだよ? 自分の好きなように生きて、自分の思うがままに生きるのが子供の仕事だろ?」

「そうまに…何が分かるのよ…」

「分かるさ。」

「何が分かるのよ! そうまは『人間』でしょ! 私と違って怪我したら病院に行くし、魔女と戦ったら死んじゃうかもしれないんでしょ!」

「さやかだって怪我するし、魔女と戦うのはいつだって生死を彷徨うものだろ。」

「怪我なんてしない!」

「じゃあさやかはなんでそんなに苦しんでんだよ!」

「っ!?」

 

 美樹さやかは瀬津そうまの言葉に二の句が継げない。

 言いたい言葉があるはずなのに、反論したいはずなのに、うめき声しか漏れてこない。

 

「怪我しなくて、風邪引かなくて…それなのにさやかは傷付いてる。さやかの心は弱いままじゃねぇか。」

「そうま…」

「それなのにさやかは自分を貶める。自分の汚い部分だけ見て、弱い自分を見てない。嫌なら助けてもらえばいいじゃねぇか。俺やまどかに頼ってくれて良いじゃねぇか。」

 

 冷たい風が吹き、瀬津そうまの顔に横殴りの雨がぶつかる。

 美樹さやかの脚も急激に体温が下がる。

 ただ瀬津そうまの胸や腕に包まれている胸はなんだかとても熱く感じた。

 ドクンドクンと瀬津そうまの心音が聞こえる。

 

「俺が助けてやる。さやかやまどかが危なくなったら、手足をもがれようと絶対守ってやる。だから…無理すんな。」

「…うっ…ぐすっ…」

 

 瀬津そうまの制服にしがみつく。

 瀬津そうまも抱きしめていた腕を緩め、美樹さやかの頭に手を置いた。

 それが美樹さやかの防波堤を崩すきっかけ。

 雨の街に1人の少女の絞り出した泣き声が響いた。

 

「そうまぁ…! そうまぁ…!」

「はいはい。俺はここにいますよ~。」

 

 子供をあやすように、美樹さやかの頭をポンポンと叩くように撫でる。

 しかし美樹さやかはそんなこと気にすることなく、瀬津そうまの胸にしがみつくように泣いた。

 かすれるほどに大声で泣く美樹さやかの様子を見て、瀬津そうまはようやく一息吐いた。

 

「本当に…私の気持ち…分かってくれる?」

「本当だって。」

「…なんで?」

「そりゃまぁ俺は人間だからな。」

「…?」

 

 美樹さやかは涙目のまま瀬津そうまの顔を見上げる。

 瀬津そうまの言った言葉がちゃんと理解できなかったので、その真意を聞いて安心したかったから訊ねるような視線を送った。

 すると瀬津そうまはその視線を受け、なんとも微妙な表情を浮かべる。

 何かを決断しかねてるような表情で、それは美樹さやかが見たことが無い表情だった。

 常におちゃらけた、もしくは冷静な表情をしている事が多かったのだが、こんなに悩む姿に美樹さやかも首をかしげる。

 

「…しょうがないか。」

「しょうがない…って?」

 

 観念したようにため息を吐く。

 瞳には憂いを帯び、一つ深呼吸をしてから美樹さやかと眼を合わせてから口を開いた。

 

 

 

 

 

 

「これを言うのは…さやかが初めてだな。」

 

 どこか空気が重い。

 開いてはいけないパンドラの箱を開こうとしている時に、こんな感覚に陥るのだろうか、と美樹さやかはぼんやりと考えた。

 開けたら今までの日常が変わってしまうのではないか…

 自身の人生が大きく変わってしまうのではないか…

 そんな不安が少なからず存在していた。

 しかし、美樹さやかは止めることはしなかった。

 何よりも、今は信頼出来る人物を欲していたから…

 何もかも話せる仲間が欲しかったから…

 安心させてくれる言葉を待ち望んでいたから…

 そして躊躇いながら、瀬津そうまがパンドラの箱を開く。

 

 

 

 

 

「俺は…さやかの言う普通の『人間』…じゃないんだ。俺は魔法少女の奇跡(願い)によって生み出された『人間』なんだ。」

 

 

 

 

 

 

 

 

第29話 タガタメ

 


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