魔法少女の騎士   作:アンリ

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第26話 突然の闇

「おいっ! これはいったいどういうことなんだ!」

 

 佐倉杏子は手すりの上に居座るキュゥべえに食って掛る。

 首を魔法少女の力を持ってして掴み頭上に高々と持ち上げ、恫喝するように症状を尋ねた。

 魔法少女として幾許かの経験を積んでいる佐倉杏子ですら知りえない症状、状態。

 ましてや魔法少女の知識など皆無な鹿目まどかには、今も腕の中に力なく倒れ込んでいる美樹さやかが死体にしか見えなかった。

 袖で何度ぬぐっても涙がこぼれていく。

 

「今のはまずかったよ、まどか。よりにもよって友達を放り投げるなんてどうかしてるよ。」

「はぁ?」

「君たち魔法少女が身体をコントロールできるのはせいぜい100m圏内が限度だからね。」

「100m? 何のことだ! どういう意味だ!」

 

 荒々しい口調に困惑が見え隠れしている。

 頭を握りつぶしてしまいそうなほど、がっしりとキュゥべえに掴みかかっているのだが、キュゥべえの表情はやはり変わらない。

 まるで痛みを感じていない、かのように平静を保っている。

 キュゥべえは何も気にせず話を続けた。

 

「普段は当然肌身離さず持ち歩いているんだから、こういう事故は滅多にあるものじゃないんだけど…。」

「何言ってるのよ、キュゥべえ!? 早く助けてよ! さやかちゃんを死なせないで!」

 

 話しを伸ばすように本題を話さないキュゥべえの態度に、鹿目まどかも焦りが生まれる。

 腕の中には心臓の鼓動すら感じることのできない美樹さやかがいるのだ。

 生き返らせられるのなら、それこそ早く行動しなければ手遅れになってしまうのではないかと、不安が不安を呼び頭には最悪な場面が浮かび続ける。

 そんな鹿目まどかの様子を見て、キュゥべえはおそらく初めて鹿目まどかに対し感情を見せた。

 

「はぁ…まどか。そっちはさやかじゃなくって、ただの抜け殻なんだって。」

「…えっ?」

「さやかはさっき君が投げて捨てちゃったじゃないか。」

 

 無機質な声が夜の歩道橋に響いた。

 

「ただの人間と同じ、壊れやすい身体のままで魔女と戦ってくれ、なんてとてもお願いできないよ。君たち魔法少女にとって、身体なんて外付けのハードウェアでしかないんだ。君たちの本体としての魂には、魔力をより効率良く運用できる、コンパクトで安全な姿が与えられているんだ。魔法少女との契約を取り結ぶ僕の役目はね、君たちの魂を抜きとって、ソウルジェムに変えることなのさ。」

 

 キュゥべえは淡々と告げる。

 曰く、精神と器を分離しただけであると。

 その恩恵で魔女と戦うことが出来るのだと。

 何が悪いのか? とキュゥべえは小首を傾げ人間たちを見下ろす。

 

「てめぇは…ふざけんじゃねぇ! それじゃああたし達ゾンビにされたようなもんじゃないか!」

「むしろ便利だろ? 心臓が破れても、ありったけの血を抜かれても、その身体は魔力で修理すればすぐ動くようになる。ソウルジェムさえ砕かれない限り、君たちは無敵だよ。弱点だらけの人体よりも、よほど戦いでは有利じゃないか。」

「ひどいよ…そんなのあんまりだよ…」

 

 キュゥべえの考え、それは魔法少女を駒だと考えているものだった。

 だから強い魔法少女(こま)にするために精神を抜き取る。

 それが簡単に強力な魔法少女を手に入れるための方法だから。

 もちろんそれは鹿目まどかと佐倉杏子にとって許容できないもの。

 鹿目まどかは美樹さやかの胸にうずくまり、抑えることのできない泣き声を漏らした。

 

「君たちはいつもそうだね。事実をありのままに伝えると、決まって同じ反応をする。わけがわからないよ。どうして人間はそんなに魂の在処にこだわるんだい?」

「所詮あなたには人間の考えが理解できないということよ。」

「ほむら…ちゃん…」

「…」

 

 鹿目まどかが顔を挙げるとそこには長い髪のかき分け一息吐く暁美ほむらがいた。

 どこか疲れたような表情を浮かべ、額にはうっすらと汗を浮かべている。

 そっと美樹さやかの力なく開かれた手のひらに置く。

 それは先ほど鹿目まどかが放り投げたはずの、美樹さやかのソウルジェムだった。

 先ほどから姿を消していた暁美ほむらは美樹さやかのためにソウルジェムを乗せたトラックを追っていた、という事実に鹿目まどかはようやく気付いた。

 感謝したい気持ちでいっぱいのはずなのに、口はうまく動いてくれない。

 暁美ほむらを見上げることしかできなかった。

 自身にはない、弱さを見せない確固たる存在感を持つ魔法少女に見とれることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第26話 突然の闇

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美樹さやかは自身のソウルジェムを投げ捨てるように机の上に置いた。

 姿見に映る自身の姿はいつもと変わらず健康的な肌の色をしている。

 昨日までと何一つ変わらない姿。

 いや、一昨日、先週、先月…と比較しても大差ない。

 それでも…美樹さやかは先月の美樹さやかとは大きく違うと、本人自身が一番感じている。

 冬に近づき日に日に強く感じるようになった肌寒さ。

 雲ひとつない晴天の空を見上げればまぶしくて目を瞑った。

 上条恭介の母親が作る肉じゃがに舌鼓を打ったあの日。

 今まで感じてきたすべての感覚が、全てどこかへと遠ざかっていくような感情に包まれていた。

 

「騙してたのね…私たちを…」

「僕は『魔法少女になってくれ』ってきちんとお願いしたはずだよ。実際の姿がどういうものか、説明を省略したけれど。」

「くっ!」

 

 怒りに任せ、力の限りキャスター付きのイスを突き倒す。

 椅子は柔らかなカーペットに叩きつけられ、後は音もなく地面に伏した。

 そんなことを気にすることもなく、美樹さやかはベッドの上に座すキュゥべえに近づき、逃がさないように両手でキュゥべえを掴みかかる。

 それを何も抵抗することもなく、キュゥべえは美樹さやかの思うがままに捕まった。

 

「なんで教えてくれなかったのよ!」

「聞かれなかったからさ。知らなければ知らないままで何の不都合もないからね。事実、あのマミでさえ最後まで気付かなかった。」

 

 美樹さやかの怒気を流すようにあっけらかんと答える。

 何も悪びれることなく、むしろ感謝を望むかのように。

 その様子に毒気を抜かれた美樹さやかは、力強く掴んでいたキュゥべえの身体を手離してしまう。

 

「そもそも君たち人間は魂の存在なんて、最初から自覚できていないんだろ? そこは神経細胞の集まりでしかないし、そこは循環器系の中枢があるだけだ。そのくせ、生命が維持できなくなると人間は精神まで消滅してしまう。そうならないよう、僕は君たちの魂を実体化し、手に取ってきちんと守れる形にしてあげた。少しでも安全に魔女と戦えるように、ね。」

「大きなお世話よ! そんな余計なこと!」

「…君は戦いというものを甘く考えすぎだよ。例えば、お腹に槍が刺さった場合、肉体の痛覚がどれだけの刺激を受けるか、っていうとね…」

 

 美樹さやかから離れるようにキュゥべえはトコトコと歩きだすと、美樹さやかのソウルジェムが乗っている机へと飛び乗り、ソウルジェムへどんどんと近づいていく。

 そしてキュゥべえのその小さな前足でソウルジェムを踏みつけた。

 すると途端にソウルジェムは光を増し、魔力を部屋中にちりばめ始める。

 これはキュゥべえが魔力を流しこんでいるのだろうか…と美樹さやかが考えていると、突如腹部を突き抜けるような痛みが脳を支配した。

 音を立て床に倒れこんでしまう。

 

「うっ!? くっ…がぁっ!?」

「これが本来の痛みだよ。ただの一発でも動けやしないだろう?」

 

 まるで腹部に焼けた鉄の棒を突き刺されたかのような痛み。

 痛む箇所を押さえても気休めにもなりはしない激痛に、顔をゆがませ目じりには涙が浮かんでいる。

 それでも痛みは続く。

 声にならない声が零れ、それでいて助けを呼ぶこともできない。

 ただのた打ち回り、痛みに全てを支配される。

 

「キミが今まで闘ってこれたのも、強すぎる痛みがセーブされていたからさ。キミの意識が肉体と直結していないからこそ、可能なことだ。おかげで君は今までの戦闘を生き抜くことが出来た。」

 

 痛みに支配される美樹さやかを、ソウルジェムを踏みつけながら観察するキュゥべえ。

 踏みつけていた右足をスッと退けると、光り輝いていたソウルジェムは急速に光を失っていった。

 光が収まるのと比例して、美樹さやかを貫く痛みも引いていく。

 ソウルジェムの光が完全に収まった時、美樹さやかの身体は何事もなかったかのように存在していた。

 

「慣れてくれば完全に痛みを遮断することもできるよ。尤もそれはそれで動きが鈍るから、あまりお勧めはしないけど。」

「なんでよ…どうしてあたしたちをこんな目に…」

「戦いの運命を受け入れてまで、キミには叶えたい望みがあったんだろう? それは間違いなく実現したじゃないか。」

 

 キュゥべえの言葉に思い出すのは上条恭介。

 確かに完治不可能と言われた左腕の怪我は奇跡によって治った。

 それは美樹さやかが心から叶えたかった願いであり、そしてそれを叶えるためになら、なんでもできるとさえ思っていた。

 だから美樹さやかは反論できない…。

 確かに自身の願いがかなったのだから…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「瀬津君は知ってたの…? 魔法少女のこと…」

「…知ってたよ。」

 

 人気のない屋上に2つの影、鹿目まどかと瀬津そうまである。

 普段ならここにもう一つ影があるのだが、今日に限っては一つ少なく、その所為か重苦しい雰囲気が漂っていた。

 美樹さやかは今日学校を休んだ。

 母親から、今日は少し体調がすぐれないようなので休ませる、といった連絡が届いているようなのだが、昨夜の出来事を知る鹿目まどかと、勘のいい瀬津そうまには別の理由から休んでいるのではないかと勘繰りたくなってしまうような出来事。

 昼休みに人込みを抜け出すように屋上へと出て、こうして2人で話しているのはそのためだ。

 鹿目まどかが昨夜の出来事を一通り説明を終えると、瀬津そうまを責めるように、鹿目まどかにしては強めの口調で訊ねる。

 すると瀬津そうまの口からは意外な一言が出てきた。

 鹿目まどかはできるだけ冷静に話を続ける。

 

「どうして教えてくれなかったの?」

「…奇跡ってのは叶えたい、って願うからこそ形にできる。その決心が揺らいでしまうのなら、敢えて教える必要なんてないと思ったんだよ。」

「…瀬津君はそんな考えなんだね。じゃあキュゥべえはどうしてこんな酷いことするの?」

「それが奇跡を叶える対価なんだ。キュゥべえの目的は俺にも分からない。でも奇跡を叶える、という最大級の対価が与えられるのなら、これはしょうがないことなんだと思う。」

「全然釣り合ってないよ! あんな身体にされるなんて…さやかちゃんはただ好きな人の身体を直したかっただけなのに…」

「まどか…」

 

 美樹さやかを思って、鹿目まどかは今日も頬を濡らす。

 すすり泣く鹿目まどかに瀬津そうまは何もすることが出来ない。

 しょうがなく、透き通るほどに晴れた空を見上げ、時間を費やすことにした。

 

「さやかちゃんは…元に戻れないの?」

「それは俺にも分からない。生憎キュゥべえも近くにはいないみたいだから、その答えは後にしよう。…でも覚悟だけはしててくれよ。」

「覚悟って…それってさやかちゃんが元に戻れないってこと? そんなの無いよ! さやかちゃんは! だって…! 上条君と…!」

「どうしてそれを無理だと決めつけて話すんだ?」

「えっ?」

 

 瀬津そうまは笑みを浮かべる。

 普段通り少年の様でいて大人びている笑顔。

 鹿目まどかにはその笑顔の意味が分からなかった。

 冷たい風が2人の間を吹き抜ける。

 

「たとえさやかが変わってしまったとしても、気持ちまでは変わらない…むしろさらに強い思いになったはずだ。それをどうしてあきらめる必要があるんだ? 何をためらう必要があるんだ?」

「そ…そんなの、出来ないよ…。自分が人間じゃなくなって、それなのにその人に好きになってもらうなんて…」

「その考えもおかしい。どうして身体が丈夫になっただけで人間じゃなくなるんだ? 第一魔女と戦うくらい俺にだってできるんだ。そんなの人間の基準にはなりえないはずだろ?」

「それじゃあ…瀬津君にとって『人間』ってなに?」

「俺にとっての『人間』…それは人間でいることをあきらめない奴だよ。」

「人間…でいること?」

「人間が作った規律(ルール)に従い、人間を尊び、人間を好きになる。それだけで十分なんじゃないか?」

 

 思考が深いようで単純な論理。

 その思考回路は瀬津そうまが瀬津そうまたる所以なのかもしれない。

 悩んでいた自分がおかしかったのでは、と考えてしまいかねないほどのすがすがしさだ。

 

「そんな…簡単なことじゃないと思うけど…でも私はそういう考え方好き…かな。」

「だろ? そんな難しく考える必要はないと俺は思うんだ。…でも魔法少女になるのはいまだに反対だからな、まどか。」

「うん。…正直魔法少女になることが怖くなっちゃったの。さやかちゃんがあんなに真剣な気持ちでなったのに、私なんかの軽い気持ちじゃダメな気がするの。」

「それがまどかの考えなら、それを大事にすればいいさ。まぁ魔法少女になるなら、一言くらい俺やさやかに言ってほしいけどな。」

「うん。その時はお願いするね。」

 

 鹿目まどかは瀬津そうまに笑顔を向ける。

 それはこの空に浮かぶ、光輝く太陽の代わりに重苦しい雰囲気を晴らした。

 肌寒い風も吹き始め、昼休みが終わるには少し早いが教室へと戻る。

 瀬津そうまから見て、鹿目まどかはもう大丈夫だろう。

 後は…教室で一つだけ空いた席の主。

 一つ悩みを抱えたまま、ため息を吐いて席に着いた。

 


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