魔法少女の騎士   作:アンリ

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第23話 爆弾岩

 自動ドアが開く。

 それは上条恭介の入院する部屋がある階層に着いた合図だった。

 『開』のボタンを押しながら、滑り込むように扉を抜ける。

 もうすぐ目的の場所へと辿り着ける。

 目的の人物と出会える。

 その気持ちが自然と美樹さやかの足を早めた。

 

 自分の事が嫌いになった事は何度もある。

 例えば少年野球に混じっての練習試合。

 チャンスで空振り三振してしまった時。

 自身の未熟さに嫌気が差した。

 例えば中学生になって初めての試験。

 いつまで経っても勉強に身が入らずテレビに熱中し、結果散々な成績を取ってしまった時。

 自分の後回しにする性格に嫌気が差した。

 そして今日…また自分の事を嫌いになった。

 

 鹿目まどかに、自分も魔法少女になる、と言われた時。

 鹿目まどかを突き放してしまった。

 始めは心優しい鹿目まどかに合わせた柔らかい断り方を思索していたのだが…。

 

 足早に動く身体を落ち着けようと深呼吸を一つ。

 この程度で気持ちは何一つ変わらない事など分かっているのだが、それでも少しは心臓の鼓動を抑えられただろう。

 もう数歩もすれば上条恭介の病室だ。

 いつもなら病室の手前で深呼吸をするのだが、今日に限ってその通過儀礼を行わず病室のドアに手を掛ける。

 そして勢いそのままに引き戸を開ける。

 

 …しかしその先に広がるのは美樹さやかが望んでいた景色ではなかった。

 夕焼けに染まる部屋。

 肌寒くなった風がカーテンを棚引かせ、そしてベッドのシーツの端をぱたつかせている。

 真っ白なシーツの上には誰の姿もなく、増してやベッド脇のテーブルに置かれていた音楽機器すら見当たらない。

 まるでここには誰もいなかった、かのように生活感がまるでない光景に美樹さやかは戸惑いの表情を隠せない。

 

「上条さんなら今朝退院しましたよ。」

 

 困惑したまま部屋の前で立ち尽くしていると、横から声をかけられた。

 振り返るとそこには病院の看護士がいて、どうやら自分に話したのだろう、と判断する。

 そうですか、と一言告げ、力強く握り締めていた取っ手を手放し再びエレベーターへと飛び乗った。

 

 美樹さやかの奇跡は確かに叶った。

 上条恭介は既に完治し、何年かぶりの外の世界を堪能しているだろう。

 上条恭介の両親を知る美樹さやかには、きっと今日は家族でご馳走しているんだろうなぁ、と幸せ溢れる光景を想像する。

 そしてその想像で美樹さやかは仏頂面を浮かべることになる。

 

(もういつでも会える訳じゃないんだ…)

 

 それは持っていた何かが掌からすり抜けていくような感覚。

 自分だけの物がどこかにいってしまったかのような喪失感。

 そんな負の感情が心から湧き出てくる。

 

「…私って、最低だ。」

 

 そしてまた今日も自分自身を嫌っていく。

 美樹さやかは引きずるように病院を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第23話 爆弾岩

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院を出た美樹さやかの足取りは凡そ普段のものと異なっていた。

 それはまるで鉄球を取り付けられたかのように重い。

 一歩一歩に前だけへと進んでいることに疑問を感じてしまう程、歩幅は小さく緩やかなものだった。

 美樹さやかは今何を考えるでもなく、ただ歩き回っていた。

 

 街はいつものお見舞いに向かう時の表情と変わらず、空全体を真っ赤に染め上げている。

 ビル群の窓に反射する夕焼けがやけに眩しく感じた。

 風は冷たいというのに公園で遊ぶ子ども達は元気一杯で、半袖半ズボンの男の子がジャングルジムの頂上で折れた木の枝を振り回して遊んでいる。

 それを見上げる男の子達も何やら楽しげな表情を浮かべていた。

 そんな光景を視界の隅に入れながら、美樹さやかは途方もなく歩く。

 今日は何だかこのまま帰りたくない。

 そんな自分にも理由の分からない気持ちが美樹さやかの心に渦巻いていた。

 

 …気付けば見慣れた場所に辿り着いた。

 正確に言うのなら見慣れていた場所であるが、そこはその当時から全く形を変えることなく存在している。

 武家屋敷のように時代を感じさせる趣。

 周りをコンクリートの塀で囲むことでより重厚な様相を呈している。

 ここが上条恭介の実家だ。

 ヴァイオリン教室からの帰り道であり、何度か訪ねた事もある特別な場所。

 その頃よりも大きくなった身体で、端から端までじっくりと眺めていく。

 やはり何度見渡しても瓦一つも変わった箇所が見当たらない。

 すっかり暗くなった夜を灯すように、塀越しから明かりを照らしていた。

 ふと先程想像した、幸せに満ちた一家団欒の絵が頭に浮かぶ。

 すると美樹さやかの顔には苦笑いが浮かんだ。

 

(やっぱりこれで良かったんだ。)

 

 ふと風が吹きスカートの裾をひらひらと揺らす。

 すると風に乗って何やら美味しそうな香りが運ばれてきた。

 微かに香ったこれは叔母さんが作る肉じゃがだ、と昔の記憶を引っ張り出して答えを導く。

 上条恭介の大好物であるそれは美樹さやかにとっても変わらない。

 特に煮崩れせずホクホクと素材本来の味を残しているにも関わらず、ただの蒸かしただけとは違う深い味わいであるじゃがいもを、2人でよく取り合いしたものだ。

 懐かしい匂いに腹の虫がキリキリと鳴きそうになった。

 その服装が表すように女子である美樹さやかは慌てて頭に浮かんだ食事風景を振り払う。

 

 そんな感慨を振り払った時、それは聞こえてきた。

 

「あっ…」

 

 思わず声が出る。

 洗練された音が響き渡る。

 震えるように安定感は無く、遠くから聞いているからだろうかか細い音しか聞こえない。

 ただ聞き慣れている美樹さやかにとって、これが上条恭介のヴァイオリン、だということは瞬時に理解できた。

 事実ヴァイオリンの音色も上条恭介の自宅から聞こえてくる。

 

 今日は帰ろう。

 

 一歩下がり、かつてよく歩いた帰り道の方へと体を向ける。

 若干名残惜しいものがあるが、それでも確かに何かが美樹さやかの隙間を埋める。

 冬へと加速度的に変わっていく変化に晒されている太ももは容赦なく冷えていく。

 出来ることなら上条恭介の家に寄って、コタツで暖まってから帰りたい程だ。

 それはまた後日…と頭の中にメモしながら一歩足を出した時、それは起きた。

 

「っ!?」

 

 突如胸が暴れるように鼓動を始める。

 ドクッ…ドクッ…と耳障りな音が美樹さやかの世界を包み込んだ。

 何度か体験したことのある不吉な予感。

 辺りを見渡すがそこには何も変化はない。

 美樹さやかは立ち止まり急いでソウルジェムを取り出す。

 焦ってしまいポケットに引っかかってしまったがなんとか手元に出す。

 

「…こんな時に。」

 

 美樹さやかのソウルジェムは明るく点滅を繰り返していた。

 魔女の気配…

 ソウルジェムは主人の身を守るように警告を続けている。

 

「今度は逃がさないわよ!」

 

 ソウルジェムは導く場所へと駆け出す。

 魔女の気配が近付く程、ソウルジェムはより光を増していき、力を暴発させるのではないか、と心配になるほどの早さで点滅していく。

 ソウルジェムがこれ以上発光しなくなると、美樹さやかの目の前には何の変哲もない公園がそこにはあった。

 

 そこは美樹さやかもよく知る場所で、幼少期何度も足を運んだ公園。

 ピンク色をした象の滑り台くらいしか特徴のないこの公園は体育館2つ分程の広さがあり、スポーツをするには十分な広さと平面な環境が整っていた。

 昔と変わらない光景に少し安堵の表情を浮かべる。

 まだ公園にいる人々は結界に包まれておらず、パニックになっても…

 

 そこで美樹さやかは1つのおかしな点に気付く。

 公園には何人かの人が集まっている。

 確かにこれだけならば、まだ何も違和感を感じない。

 ただ公園の中央に集まる人々の中に子供が1人としていないのだ。

 

 時刻は17時30分を回った所。

 冬に近付いている事もあり、日が落ちるのも早い。

 既に周囲は闇に包まれ始め、街灯が一斉に光を点した。

 そんな小学生には遅い時間なのだから、子供がいない事は理解できる。

 ただそれならば何故公園に人が集まっているのか。

 少なくとも何かしらの集まりなのだと予想は出来た。

 そしてその特殊な条件にソウルジェムの反応が合わされば、それはもう魔女の仕業、を一番に疑う事が出来る。

 美樹さやかは考えに至ると、すぐさま集団の下へと駆け寄る。

 60代程度の老夫婦や20代程度のパンク系ロッカー、ネクタイをぐちゃぐちゃに解く40代程度のサラリーマン、と様々な年代の人がごちゃ混ぜに10人程。

 皆疲れきった表情を浮かべ、瞳には光を感じない。

 何人かはその場にうずくまり、ずっと地面を眺めていた。

 そしてある共通点が存在している。

 

「あらっ、美樹さん。」

 

 異常な状況をどうにかしよう、と魔法少女へと変身しようとしたその時、聞き覚えのある声が後ろから聞こえた。

 ソウルジェムを仕舞い、美樹さやかは勢い良く振り返る。

 

「仁美っ!? なんでこんな所にっ!?」

「そんなの決まってます。偉大なる世界へと旅立つ為ですわ。」

「はぁっ!? 何言って…!?」

 

 そこで美樹さやかは気付いた。

 志筑仁美の首筋に浮かぶ鮮やかな蝶の模様に。

 

「まさかこれがそうまの言ってた『魔女の口付け』ってやつ?」

 

 様々な色が混じり合って形成される蝶はどこか不気味に光り輝く。

 それが美樹さやかを除き、公園にいる全ての人の首筋に現れていた共通点だ。

 

「仁美っ! 正気に戻って!」

「何言っているの、美樹さん。それよりほら…もうすぐ始まりますわ。」

「えっ? 何が?」

 

 志筑仁美がある方向に指をさす。

 その指先に導かれるように視線を動かすと、そこには疲れ切っている老夫婦がいた。

 夫は先ほどまでと同じく地べたに座っていて、その横に並ぶように妻が立っている。

 妻の手には拳大の石が握られていた。

 妻は夫の頭をじっくりと見つめ、そして大きく腕を振り上げる。

 

「っ!? だめっ!」

 

 必死に手を伸ばす。

 妻の奇行を止めようと必死に身体を投げ出す。

 しかし…それでもわずかに届かない。

 妻の腕は勢いよく振り下ろされ、ゴッ…と鈍い音が公園に響く。

 その音に続くように美樹さやかが妻の身体を勢いよく突き飛ばし、2人して重なり合いながら倒れる。

 

 ホッと美樹さやかは安どの表情を浮かべる。

 振り下ろした直後ぎりぎり届き、かろうじて体のバランスを崩すことが出来た。

 その結果何とか頭部だけは守ることが出来た。

 その代わり頭部を狙った石は方向をずらし右肩に直撃したのだが、命には別条はないだろう。

 ただ…肩に激痛が走っていてもおかしくないはずの衝撃を受けていたのにも関わらず、夫の表情は何も変わることなくただ地面を見つめている。

 とにかく今はそれを気にしている場合ではない、と頭に浮かぶ考えを振り払い、美樹さやかは自身のソウルジェムを妻の首筋に浮かぶ魔女の口付けに近づけた。

 しかし魔女の口付けは何も変わることなく妖しげに光る。

 

「あぁ~もうっ! これどうしたらいいのよ!」

 

 己の知識と力の無さに歯を食いしばる。

 魔法少女として経験の足りない美樹さやかには荷が重すぎるので仕方のないことなのだが、それでも自分の未熟を悔やまずを得ない。

 そんな妻を押し倒したような形の美樹さやかの背後に妖しい影が迫る。

 美樹さやかの身体が急激に押し上げられた。

 

「はっ!? なにっ!? どうしたのっ!?」

「美樹さん。あなたまでこの崇高な儀式を邪魔するのね。」

「あなたまで…?」

「鹿目さんもそうだった。その後は瀬津さんにも邪魔をされた。そして次はあなたってわけね。」

 

 美樹さやかの両腕がそれぞれがっしりと掴まれ抱えられる。

 生気の感じられない表情を浮かべ魔女の口付けで首筋が光る人々が美樹さやかの身体を抑えるように美樹さやかの周りに集まり、そして身体全体を使って両手両足を抑えていく。

 あっという間に美樹さやかは身動きが取れない状況に立たされていた。

 手に握っているソウルジェムが先ほどまでより強く光輝いているのだが、それを気にする余裕はない。

 幸い首を拘束されていないため命の別条はないのだが、それが逆に焦りを増幅させた。

 

「さぁ、あなたも行きましょう?」

 

 志筑仁美が美樹さやかの頬をそっと撫でる。

 育ちのいい志筑仁美の手はすべすべとしていて、それがなんだかくすぐったい。

 まるで誘うように指を動かし妖艶の笑みを浮かべた。

 辺りは徐々に暗闇の公園から姿を変えていき、公園に設置されたが伊藤は不自然に明かりを消した。

 

 そして美樹さやかにとっては3度目の蒼の世界が訪れた。

 


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