魔法少女の騎士   作:アンリ

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第18話 Look at me

第18話 Look at me

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうかしたのか? そんな呆けて。」

「瀬津君!」

「ちょっ!? …いきなりどうしたよ?」

 

 瀬津そうまの胸に飛び込むようにすがりつく鹿目まどか。

 目にはうっすらと涙を浮かべていて、瀬津そうまの服を掴む両手は思い出したかのようにカタカタと震えだした。

 あまりの突然な事態に慌てて周囲を確認してしまう瀬津そうま。

 辺りを見渡しても格子状の金網や古びた工場、そして崩壊した家屋があるだけで誰が見ているわけでもないことを確認すると、一息吐いて鹿目まどかの柔らかな髪を優しくなでた。

 

「仁美ちゃんが…」

「仁美が? …もしかして中にいるのか?」

「…うん。」

 

 ぽろぽろと零れる涙に反比例するように言葉は出てこない。

 それでも短い言葉の端を捉えて瀬津そうまは言いたい気持ちを理解していく。

 

「…それで首筋には揃ったようにタトゥーがあった、と。」

「うん…うん…」

「そりゃあたぶん『魔女の口づけ』だな。魔女が一般人に掛ける…まぁ呪いみたいな物だ。それに仁美含め10人程度の人が掛かっている、と。」

「瀬津君…どうすればいいの? …私怖くて…怖くて…」

「まどかはよくやったさ。幸いここにいれば安心みたいだし、ゆっくりしてて…ん?」

 

 再度くしゃりと頭を撫でる。

 温かな人肌の温もりに涙が溢れてくる。

 

「いや…そろそろこの扉も外れそうだな。…ったく、荒らしやがって。」

「ど、どうしよう!? 早く逃げないと!」

「あの家の奥に裏口がある。内側から鍵はしてあるが、そこからなら出られるはずだ。」

 

 瀬津そうまが指差す先にあるぼろぼろの一軒家。

 そこを抜ければ工場の敷地外に出られる、と簡単に説明をする。

 入り口のドアはひしゃげていて通り過ぎることは容易そうだが、その不気味な雰囲気に鹿目まどかは呑まれてしまっていた。

 

「それじゃあまどかは先に行け。」

「ええっ!? 瀬津君はどうするの!?」

「俺はここで足止めしとく。…そろそろ扉が壊されかねないしな。」

「危ないよ! 一緒に…」

「今中にいる仁美を放っておいたら何しでかすか分かったもんじゃない。折角まどかが救ったもんを無駄にするわけにもいかないだろ?」

 

 頭に置かれていた手を右肩へと移し、まるで年下を納得させるかのように優しく言葉を紡ぐ。

 不思議と鹿目まどかは二の句が継げなくなっていた。

 

「それじゃあまどか、また明日な。今日はゆっくり休め、な? …早く逃げろよ? どうもここも妖しい雰囲気になってきたからな。」

「あっ…瀬津君…」

 

 手早く別れの挨拶を済ませ、最後に念押しとばかりに鹿目まどかに指示すると、瀬津そうまは勢い良く扉を開き、勢いそのままに工場の中へと身体を滑り込ませていった。

 かちゃりとドアが閉められる。

 工場の中から何か暴れまわるような音が微かに聞こえた。

 そして直ぐに静寂が訪れる。

 独りになった所為か、身体を震わす恐怖心が蘇ってきてしまう。

 早く逃げろ、と瀬津そうまに言われたにも関わらず足は思うように動かない。

 逃げなければ、逃げなければ…、と強く意識しても独りで暗闇の中を逃げ回ることに拒否反応を示してしまう。

 結果瀬津そうまの言葉を無視するように、…鹿目まどか自身としては瀬津そうまを待つ、という大義名分を立てこの場に留まることを決めてしまった。

 暴れる心臓を抑え込むように胸元を右手でギュッと掴み身体を縮こめる。

 

「瀬津君…大丈夫かな…」

 

 瀬津そうまが工場内に足を踏み入れてから5分ほど経過した。

 その間風で木々がざわめく音にすらびくりと反応をしていた鹿目まどかだが、逆に耳を澄ますことで工場内から物音が聞こえなくなっていることに気が付いた。

 中を確認しようか、とドアノブに手を一瞬掛け、そしてまた手を離す。

 やはり恐怖心がいまだ鹿目まどかを縛り付けていた。

 少し扉から離れ、ジッと扉が開くことを今か今かと待ち続ける。

 瀬津そうまの運動神経は何度かの魔女退治で証明されていて、鹿目まどかも魔女の口づけに操られる人々にも1人で制圧出来るだけのポテンシャルを持っている、と考えていた。

 だから数の力に組み伏せられている、というような心配はしない。

 

 …それは今までの瀬津そうまならば、だが。

 病院で襲いかかってきた魔女により左腕を失い、先日も一命を取り留めるも入院しなければならないほどの怪我をした。

 …つまり少年マンガのように例えるなら、戦闘力が落ちている、ということだ。

 魔女や使い魔を翻弄できる圧倒的な運動能力は既になくなっている、ということにもなる。

 次々に浮かび上がる想像はより鹿目まどかの心を揺さぶり、今にも泣き出してしまいそうなほどに追いつめられてしまった。

 

 そして不安が募る心は隙間となり、それは彼等にとって格好の的となる。

 

「瀬津君…えっ? あ、れ?」

 

 祈るように工場を見つめる鹿目まどか。

 しかし突如その視界がぐにゃぐにゃと歪んでいく。

 疲れが溜まったためかと目をこするも、歪みは徐々に酷いものとなっていき、今は工場の輪郭を捉えることも出来ていない。

 

「これ、って…」

 

 そこでようやく鹿目まどかは自身に及ぶ異変に気が付いた。

 廃棄品として並べられていたブラウン管が電源に繋がれていないのに、例外なく真っ白な画面を映し出している。

 工場の周りを見渡すと森も金網も逃げ道である廃虚も全ての景色が不安定に歪んでいた。

 

 …鹿目まどかは魔女の結界に捕まってしまった。

 

「せ…づ…く…」

 

 この場に於いて唯一の味方に助けを求めるよう手を伸ばす。

 しかし伸ばした腕すらぐにゃぐにゃと歪んでいく。

 次第に声を出すことも出来なくなり、そして非現実の世界へと身を落とす。

 …そこはまるで海の中だった。

 鮮やかな蒼が上下左右を埋め尽くすように広がっている。

 結界に引きずり込まれた鹿目まどかはその空間をぷかぷかと海月のように漂っている。

 まるで水中から水上を見上げる人魚にでもなったかのようだ、と鹿目まどかはぼんやりと考えていた。

 身体は全く言うことを聞かず、ただ浮かんでいるだけ。

 水分を含んだ昆布のように手足がゆらゆらと揺れる。

 鹿目まどかは完全に魔女の結界に捕まった。

 

(どうしよう…動けない…)

 

 何も出来ず何も起こらない空間。

 歪む視界の端では真っ白な人形がこちらを見て笑っているように見えた。

 恐らくあれがこの結界を形成した魔女なのだろうとふやけた頭で考える。

 だが不思議と恐怖を感じない。

 これならば魔女の口づけで操られた人に追われたことの方が焦燥感を味わっていた。

 

(私どうなっちゃうのかな…このままずっとここで漂っているのかな…)

 

 明らかに危機感が足りていない鹿目まどかだが、それは普段の弱気で臆病な鹿目まどかを考えれば異常な光景。

 これがこの魔女による影響だった。

 浮遊感、開放感、脱力感を迷い込んだ人間に与え、自由になることによる無気力をもって結界から獲物を逃がさない。

 楽な方へと流されやすい人間だからこそ捕まる結界だ。

 そして捕まえた獲物をゆっくりと調理する。

 

(あれ…? 何か近付いて…?)

 

 ゆらゆらと漂う鹿目まどかに向かってくる4体の不気味な笑みを浮かべる人形。

 1つに纏まって鹿目まどかへと近付き、そしてそれぞれが四方へと広がっていく。

 2つの瞳では全ての行く先を見ることは出来ないので、鹿目まどかは全体をぼんやりと4体の人形の対角線上の中心を眺めた。

 4体の人形は水中を自由落下していき、やがて鹿目まどかの両手両足の先へと辿り着く。

 何をするのだろう…と鹿目まどかは思考するも考えは纏まらない。

 頭の回転が追いつかない鹿目まどかを後目に、人形は鹿目まどかの手足を一体一体が握っていく。

 そしてケラケラと無機質な笑い声を響かせながらあろうことか手足を引っ張っていった。

 ゆっくり、ゆっくりと伸ばされる両手両足はガムのように、人間という枠を遥かに越え伸び続ける。

 

「っ!? 痛いっ!! 止めて!!」

 

 しかし痛みだけは枠に囚われたまま、そのままに感じる痛みを鹿目まどかに与えていた。

 四肢が千切れるかのような痛みは金切り声に変換され身体から発せられるが、次々と新たに痛みは溜まっていく。

 ふと瀬津そうまの…魔女から負った一生の傷を思い出してしまった。

 その場に溢れた血の臭い、死の気配、絶望感…

 鹿目まどかにとっての心傷が内側から溢れ出し、それは助けを請う声となる。

 

 誰でもいい…この状況から逃がして…

 

 シンプルながら純粋なその願いは悲鳴になって表現される。

 …しかしそれは瀬津そうまには届かない。

 肉体的かつ精神的な苦痛に顔を歪ませ叫ぶ鹿目まどかの様子を、白い人形はさぞ楽しそうに観察しつつも四肢を引っ張るのを止めない。

 誰も助けには来てくれず、誰にも気付かれないままその命を落とす。

 悲鳴を上げながらも…助けを請いながらも…、鹿目まどかの心は諦め始めていた。

 際限なく伸ばされ限界の近い両手両足。

 最期に残るのは蓑虫のような身体のみ。

 藻屑のように結界を漂う肉塊となる。

 それを心は認めかけていた。

 

 しかし鹿目まどかの叫びは確かに騎士へと届いていた。

 小さく微かな声ではあったが、しっかりと耳に入っていた。

 

 突如として鹿目まどかの四肢を引く人形の力が弱まる。

 限界まで伸ばされていた両手両足はゆるゆるとあるべき場所へと縮んでいった。

 裂けそうな痛みから解放され、涙目の鹿目まどかは今起きた現象の確認に入る。

 手足の先を見ると相変わらず人形の姿があるのだが、その人形を貫く刀身が4体人形の頭からはみ出していた。

 

「間一髪、ってとこだったね。」

「さ…や…」

「ちょっと待ってて。…すぐ片付けちゃうから!」

 

 眼では捉えることの出来ないほど素早く、結界内を上下左右の壁を跳ね回るように動き続ける1つの影。

 突如現れたそれは人形の周りを何度も通過し、通過する度に人形は細切れになっていく。

 アニメのように人形を切り裂く音もなく、また飛び跳ねる音もない無音。

 聞こえるのは鹿目まどかにとって慣れ親しんだ声だけ。

 

「これで…終わり、だー!」

 

 上から下へ、重力がない結界内を流星の如く落ちていき、最期に残った人形を切り捨てる。

 原型を無くした人形は、形ある者の理に従うように命を落とし、その姿を消した。

 それを合図に蒼の結界はゆっくりと消滅していく。

 それに伴い鹿目まどかの身体は人間らしい形へと戻っていった。

 手を軽く握りしめれば確かな感触。

 見渡せば真っ暗な世界が広がっている。

 鹿目まどかはようやく現実感を取り戻し始めた。

 

「いや~、大丈夫? まどか?」

 

 恐怖から解放されたことによる安堵感に心を震わせ、胸をギュッと抱き締めていた鹿目まどかにかかる一声。

 目にも留まらぬ速さで動き続けていた影からの言葉だった。

 影も今は動きを止め、鹿目まどかに笑顔を向けている。

 

「…さやかちゃん?」

「華麗にお姫様を助けに来ましたよ~。」

 

 鹿目まどか同様、遠くからでも目立つ蒼のショートヘアの少女、美樹さやかが目の前にいる。

 

 彼女の人柄を良く表した満面の笑みは、暗い夜においても明るく、そして輝いていた。

 

「さやかちゃん…それって…」

「あぁっ、これ?」

 

 心を満たしてくれる筈の表情に鹿目まどかは全く反応を示さず、美樹さやかの胸元から下…つまり美樹さやかの着ている服装に目を向ける。

 美樹さやかもそれに気付き、ひらりとスカートを棚引かせるようにその場で身体を一回転させる。

 スカートは美樹さやかの想像通り軽く棚引き、健康的な太腿がちらりと見えた。

 普段の、意外と恥ずかしがり屋な美樹さやかに比べ明らかに肌の露出の多い大胆な服装。

 一応上半身を覆える純白のマントを身に着けているが、それも動けば着けていないのと殆ど変わらない。

 胸元は大胆に開かれ、蒼の胸当てと胸当てに色を合わせ斜めに切りそろえられたスカート。

 旧英国の騎士を意識したかのような服装は、最低限の防御力と引き換えに最高速を着用者に齎す。

 最高速の騎士が放つ剣戟は対象を音もなく切り裂く不可視の業…というよりも身体技能だ。

 軽量化を意識したためこのような軽装になってしまうのも仕方ない。

 …勿論鹿目まどかが言いたいことはそんな事ではないのだが。

 

「ちょっとね、意識の変化っていうか…これからは『魔法少女さやかちゃん』が見滝原をがしがし守っちゃうよ!」

「…さやか?」

「おっ? そうまもいたんだ。どうよ、この格好? これこそ騎士っぽくて格好良くない?」

「あぁ、エロいな。」

「ど直球かっ! やっぱりそうまは男の子だな~。」

 

 ケラケラとツボに嵌ったのか腹を抱えて美樹さやかは笑い出した。

 自然と涙が浮かんでしまうほど大笑いする美樹さやかを2人は表情を崩さず眺める。

 その表情は友を心配するものと、悲しく思うものの2通り。

 決して他人は自分の思いを理解していない、ことを鹿目まどかは知った夜だった。

 

 こうして悪夢の夜はゆっくりと明け、また日常の朝が来る。

 しかしまだ3人は気付いていない。

 闇に匿われ、獲物が現れるのを待ち望む悪夢を…。

 悪夢は再び3人を襲う。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだよ! 話が違うじゃないか!」

 

 見滝原を一望ほど高い鉄塔。

 小学生にも見間違えられてしまいそうな少女が、そんな場違いな所に…

 …しかも鉄塔の頂点付近の踊場のように開けた場所から街を一望し、何やら不満げな声を上げる。

 

「仕方ないよ。彼女は今日契約したばかりなんだ。」

「はぁ~? マミの奴がくたばった、って言うから来たってのに…たくっ!」

 

 コロコロと舌先で転がしていた飴をガリッと噛み砕く。

 その際少女の特徴的な八重歯がキュゥべえの視界に入った。

 ショートパンツのジーンズに燃えるような真紅のパーカーと、夏を少しばかり過ぎた今の季節には少しばかり肌寒く感じてしまいそうな服装の少女は口寂しさを紛らわすため今度はポッキーを口にくわえる。

 

「…まぁいいや。折角のこんな一等地。ルーキーなんかにくれてやるのなんて勿体ないからね。…そいつ、潰しちゃえば良いんでしょ?」

 

 真紅のパーカーに合ったポニーテールが揺れる。

 夜の街に吹く強風が彼女の髪で夜空に一本赤い線を引いた。

 これが始まりの夜。

 魔法少女、佐倉杏子(さくらきょうこ)の再来の夜であった。

 口に含まれていたポッキーは見事に砕かれる。

 そのポッキーは果たして誰の未来を暗示しているのか。

 この時はまだ誰にも分からない。

 


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