水道を捻り水で顔を洗う。
冷たく冷やされた水道水はとても気持ちの良いもので、腫れぼったい両目にはちょうど良い心地よさを感じさせる。
気持ちよさから何度も顔を洗い頬がヒリヒリとしてしまったが、それを気にすることもなく今度は髪を気怠げに梳かし始めた。
周りに比べ目立つピンクの髪は縺れることもなく、流れるように櫛を通していった。
簡単に身嗜みを整え、一度部屋に戻りパジャマ姿から見滝原中学校の制服へと着替える。
部屋にある小さな鏡台で胸元の真っ赤なリボンを確認してから部屋を出ると、再び洗面所へと足を運んだ。
再度洗面所へと辿り着くと先程まではいなかった先客の姿がそこにはあった。
「おふぁよう、まろか。」
「おはよう、ママ。」
歯ブラシを口にくわえたまま朝の挨拶をする彼女は鹿目詢子(かなめじゅんこ)。
今朝二度目の洗面所へと来た鹿目まどかの実母である。
「ひょふはひひへんひふぁねぇ。」
「そうだね、良い天気だね。」
鹿目詢子は口を濯ぎ、歯磨き粉を一通り洗い流すと、寝ぼけ眼で磨き残しを確認する。
キャリアウーマンとして働く彼女だからこそ、身嗜みは一つの武器であると自覚していた。
そのため入念なチェックは欠かさない。
その間に鹿目まどかは歯磨き粉を付け歯ブラシを始めていた。
「まどか、後ろ跳ねてる。」
「ふぇ?」
「ほらっ、動かない。」
自身の後頭部をぺたぺたと触って確認する鹿目まどかの手を下ろし、櫛で優しく髪を梳いていく。
「女は見た目で勝負しないとな。今日は綺麗にしなきゃダメだろ?」
「…うん。」
小さく頷き、手を動かす。
その間、歯磨きによって小刻みに揺れる鹿目まどかの頭に合わせるよう、髪を梳く手は動き続けていた。
念入りに、髪の毛一本一本に艶を広げていくように。
その行為は歯磨きを終えても続き、あまりに真剣な表情な母の姿に、鹿目まどかは手持ち無沙汰になってしまうほどだった。
「うしっ! これでOKっ! あとはリボンだけど…」
「今日はどれにしようかな?」
「…赤ね。やっぱり今日も赤でいいでしょ。」
「そう…だよね。」
艶と空気を多分に含んだ髪の毛を、赤のリボンで結びツインテールを作る。
普段通りの鹿目まどかの姿であった。
「うん。これできっとまどかのファンもメロメロだね~。」
「いないって、そんな人達。」
「いる、って思っとくんだよ。それぐらいしとかないと先輩に負けちまうだろ?」
「別に私が目立つ必要はないよ~。」
「目立たなきゃ駄目さ。遠くから見ても分からなきゃ、先輩も困るだろう?」
「うぅ~…ああ言えばこう言う~…」
鹿目詢子は軽快な笑い声をあげ、その様子に鹿目まどかは自嘲気味に笑った。
「…よしっ、完璧っ! 行ってきなさいっ!」
「うん。」
鹿目まどかが玄関で学校指定のローファーを履くと、一度鹿目詢子によるファッションチェックを行われた。
足先から左右対象になるように結ばれた髪の毛まで、一通りじっくりと監査の目が入る。
結果いつも以上に気を使った身嗜みは、鹿目詢子の目を納得させるものとなっていた。
「パパに頼んで、今日は美味いもん作って貰うからさ。上を向いてちゃんと帰ってくるんだよ。」
「…分かった。」
「それじゃあ行ってきな。」
「うん。行ってきます。」
微笑みかける鹿目詢子を背にし、玄関のドアを開く。
柔らかな朝日が鹿目まどかの身体を包んでいくのだった。
第15話 悲しみを優しさに
大勢の人が涙を見せていた。
見滝原中学の学生や教師、そして親族。
式場の中は溢れんばかりの人で埋め尽くされていた。
その中に制服姿の鹿目まどかと美樹さやかの姿も存在していた。
鹿目まどかは正面を向きながら小さく話し始める。
「凄くカッコ良かったよね?」
「そうだね。アニメの世界にでも入り込んじゃったみたいに興奮しちゃってた。」
「アニメの…」
「何よ~? 悪い?」
「ううん。そんなことないよ。…私も憧れてたから。」
少し恥ずかしそうに鹿目まどかは鞄からノートを取り出す。
それは普段英語の授業に使用しているノートだった。
「それは?」
「前にね、私が早乙女先生に授業中怒られたの覚えてる?」
「前って…あぁ、そういえば珍しくまどかが怒られた時あったわね。それが?」
「これがその時怒られた原因なの…」
美樹さやかの手に触れるようノートを手渡す。
美樹さやかは頭を傾げながらノートをパラパラとめくっていった。
するととある1ページで手を止めることとなる。
「これってマミさんと…まどか?」
文字一つ書かれていない見開き1ページ。
そこには黄を主体に蛍光ペンで塗られた服を纏った少女と、髪の色と同じピンクを基調とした少女が並んで描かれていた。
見開き1ページに隙間無く描かれたそれは、寄り添うように少女2人が並んでいる図がいくつも存在していた。
鹿目まどかはそれを巴マミと自身だと頷き答える。
「私、魔法少女に凄く憧れてた。私達を助けてくれたマミさんが凄くカッコ良く見えたの。」
「うん…マミさんはカッコ良かったよ。」
「失礼な。俺もカッコ良かっただろ。」
「瀬津君。」
いつの間にか鹿目まどかと美樹さやか2人の前に瀬津そうまの姿があった。
制服姿の2人と違い、瀬津そうまは見滝原中学生徒の中でただ一人真っ黒なスーツに身を包んでいる。
片手しかないというのに黒のネクタイはピッシリと結ばれていた。
瀬津そうまはその格好を、単なる正装だよ、と呟いて答えていた。
「それで? 俺にも話の続きを聞かせてほしいな。」
右手を軽く上げ、鹿目まどかの話しを促す。
それを見て鹿目まどかはもう一度考えを纏めてから、ゆっくりと話し始めた。
「それで私、マミさんに話したの。『魔法少女になりたい』…って。」
「それで!? …マミさん何て言ってたの?」
「魔法少女なんてならない方が良い…孤独とも戦わなきゃいけない大変な仕事だって。」
「マミ…」
「マミさん…苦しんでたんだ。私達の知らない所で…」
「それでも私は魔法少女になりたい、って言ったの。『マミさんはもう独りじゃありません』って。そしたらマミさん…ヒック…泣き出しちゃって…」
「まどか…」
美樹さやかはそっと鹿目まどかを抱き締めた。
ただ抱き締める美樹さやかの身体も震えを帯びている。
しばらくの間、2人は支え合うように抱き合った。
すすり泣く声が微かに瀬津そうまの耳に入る。
瀬津そうまは視線を外すように空を見上げた。
青く、雲一つない快晴の空を。
「マミさん…どうして死んじゃったの?」
「君から用がある、なんて珍しいね。」
「…」
「僕としても君とは一度話し合いをしてみたかったから、この申し出は喜ばしいものだったけど。」
「…単刀直入で聞くわ。巴マミはどうして今回のようになった訳?」
「それは僕の知るところではない。全ては巴マミと瀬津そうまの2人しか知らないよ。」
「あなたがそんな間抜けな筈がない。早く答えなさい。」
「…やれやれ、聞く耳持たず、だね。」
「…」
「だけど僕はずっとまどか達の近くにいた。いくら魔法少女の気配を辿れても、様子まで知ることは出来ないね。」
「…」
「これでお終いかい? それなら今度は此方から一つ質問させてよ。君は瀬津そうまの腕の傷口に魔法をかけていたけど、あれは『時』を操る力、でいいのかい?」
「…あなたに話す必要はないわ。」
「まぁいいさ。答えまでは望めないと思っていたからね。それより聞きたいのはここから。君はどこまでの『時』を操れるのかな?」
「…」
「僕の予想が正しいのならそれは…」
「話しはここまで。今日のところは見逃してあげるわ。」
「…やれやれ。話しを聞いてもらうことも出来ないのかい。まぁそれが君の選択ならしょうがないね。また機会が合った時にでも続きを話そうか。」
「機会なんてないわ。あったとしても全て終わった時だけよ。」
「…やれやれ。また話を聞けなかったよ。…それにしても暁美ほむら、彼女はどこまで理解しているのか。実に興味深いよ。」