どこまでも伸びる白と黒の世界。
無機質で白黒に塗りたくられたコンクリートの建物がどこまでも続いている空間。
動物や草木といった生命の息吹はどこからも感じとることができない虚無。
端から端までが見通すことのできないほどの長い廊下が続いている。
そんな不安をただただ煽るようなモノクロな世界を、一人の少女が駆け回っていた。
肩口まで伸びたピンクの髪を赤いリボンで左右に一つずつ房を作っている、150センチにも満たない体躯の少女。
この世界で唯一色を帯びた少女、鹿目まどかは自身の通う中学校の学生服姿で、先の見えないモノクロな廊下をまっすぐ走り続けていた。
口から吐き出される息は短く、額にはうっすらと汗をかくも走り続けることをやめない。
廊下には少女の息遣いと足音のみが響き渡っていた。
どこまでも続く無限の回廊、そんな印象を抱かせる変わり映えのしない景色。
しかし無限に続く廊下など存在するはずがなく、まっすぐに走り続けた先にまどかは開けた広間のような場所にたどりついた。
正面にはさらに奥まで続く廊下。
左右には今まで見ることのできなかった階段が、これまた白黒のチェック柄で存在していた。
まどかはふと階段の先を見つめる。
するとそこには『EXIT』と書かれた非常口を示す誘導灯が、か細い光を照らしながらぽつんと存在した。
まどかはそれに導かれるように階段を一段一段と登っていく。
階段をゆっくりと登りきるとそこには白黒のストライプ柄をした一つの扉が用意されていた。
あまりにも無機質な世界から早く逃げ出したく、まどかはその扉を何の考えもなく押し開けていく。
扉の先からこぼれる弱弱しい光。
そんなか細すぎる光ですら、まどかにとっては不安を解消する一つの要因となりえた。
…しかし扉の先にはまどかの想像していた世界は広がってはいなかった。
扉を開けると強い突風がまどかの体に吹き付けられ、まどかの体温を奪っていく。
突風に視界を閉ざすことになるもうっすらと周りを見ると、現実には存在しないほどに巨大な枯れはてた大樹の頂上からの景色が広がっていた。
先ほどまで存在していたドアはすでに存在しない。
帰り道がなくなったことを気に留めることなく、鹿目まどかはあたりの景色を俯瞰する。
そこは黄土色などの暗い色を付加させた、いつもとは違う世界。
以前は多くのサラリーマンが勤務していただろう高層ビルが地盤沈下したかのように濁った海の中に沈み、海面には元々ビルに張られていた窓ガラスの破片が浮かんでいた。
道路という道路は濁った海により全て海面下に沈降し、見下ろせる景色はビルとどこまでも続く海だけ。
砂埃が舞い、鹿目まどかの位置からでは海面付近ははっきりと見ることはできなかったが、それでもこの世界が以上であることははっきりと分かった。
しかしまどかはすぐさま別のものに目を奪われる。
周りのビルなど目でもないほど高くそびえ立つ大樹。
そこに立つまどかですら見上げなければ見ることができない空に、奇妙な物体が浮かんでいた。
太陽の光によりシルエットしか見ることはできないが、それはノアの箱舟を意識させるような形をしていて、ひどく不安を駆られる世界においてなぜか神々しさを感じてしまう。
奇妙な物体の周りを取り囲むように建物の残骸が宙を舞っている。
まどかにはそれがまるで神様を崇高する信者の群れのように見えた。
呆気に取られただぼんやりとその光景を見ていると、生命を感じることのできなかった世界に一つの動きをまどかの眼はとらえた。
「あっ!?」
赤の鉄格子が設けられた宙に浮くコンクリートの欠片。
そこにまどかが望んでいた命の鼓動を1つ見つけた。
黒の長い髪に黒のカチューシャ、白色と紫色の2色で構成された制服と黒のストッキングで身を包み、左手にはフリスビーのような石板を装着している。
少女はまどかに一瞥することもなく、ノアの箱舟のような浮遊する奇妙な物体に向かって文字通り飛び出した。
少女と奇妙な物体との距離は簡単に見積もっても2キロ以上。
しかし少女はその距離を異常なまでの跳躍力を駆使してぐんぐんと縮めていく。
それは最早飛行と呼ばれるほどに、少女は宙を自由自在に飛んでいく。
まっすぐと物体へと近づいていく少女。
あと数瞬もすれば物体の元までたどり着けるであろう勢いを少女の体は纏っていた。
しかしその跳躍を邪魔するかのように物体の周りに浮遊していたビルの残骸が少女めがけて押しつぶすように迫ってくる。
突然のことに少女は反応することができず、そのままビルの下敷きに…と思いきや少女はビルを咄嗟に回避し再び物体に向けて空を蹴って進もうとする。
そうはさせまいと、物体から赤と紫の光が螺旋状に絡み合った光線を少女に放つ。
結果少女は物体に近づくことができず、ビルと光線の波状攻撃になすすべもなくその身をゆだねていった。
「ひどい…」
まどかはあまりに現実離れした光景に一言つぶやくことしかできない。
「しかたないよ…」
するとそのまどかの微かな声に返事をするかのような声が突如響く。
いままでまどかと少女の二人だけしか存在しなかった世界に、また一つ声が生まれた。
声の聞こえたほうを向くと、そこには赤い眼をしたぬいぐるみのような白い生物が突如現れていた。
「彼女一人では荷が重すぎた…でも彼女も覚悟の上だろう…」
少年のようなどこか明るさを感じる声。
うっすらと笑みを浮かべたまま淡々と話すその生物を、まどかはなぜかすんなりと受け入れてしまった。
「そんな…あんまりだよ! こんなのってないよ!」
すでに諦めてしまったかのような声を出す白い生物。
まどかはその諦めを否定したいがために大声でこの光景を否定する。
しかし状況はそんなことでは変わるはずもなく、少女は次々と光線を浴びては吹き飛ばされていく。
まどかはそんな変わることのない残虐な光景に膝折り、目にはうっすらと涙を浮かべてしまう。
「あきらめたらそれまでだ。」
そんなまどかに声をかけるのは白い生物。
「でも…君なら運命を変えられる。」
その声色は相変わらずボーイッシュで、しかしながら先ほどまでとは違うように希望を含ませるような物言いをする白い生物。
決して表情を変えることなく、ただ尻尾を左右に振りながら淡々と
「避けようのない滅びや、嘆きを、全て君が覆せばいい。そのための力が君には備わっているんだから。」
それは平凡に暮らしてきた自分には理解しがたい言葉。
何をやっても中途半端でこれといった長所が無いまどかにとっては考えられない言葉だった。
「…本当なの!? 私なんかでも本当に何かできるの!? こんな結末を変えられるの!?」
「もちろんさ! …だから僕と契約して、魔法少女になってよ!」
まどかは独り戦う少女を考える。
そしてこの穢れた世界を見やる。
そして…まどかは悲惨な運命に嘆くことしかしていなかった自身を変えるため、一歩踏み出した。
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「どうしてこんなことに…」
男は声を絞り出しながら自身の拳を地面に打ち付けた。
コンクリートに打ち付けたこぶしは血でにじみ、コンクリートの形を変えることもできず、ただただ握りこぶしを作る。
膝を突き頭を垂らす男の眼前には、卵の形をした黒の宝石が地面に突き刺さるように落ちていた。
「彼女は君を守るために魔女になったんだ。」
「キュゥべえ…」
「彼女は立派に戦ったよ。あんなにまで魔力を消費した状態で2人の魔女を相手にしたのだから。」
赤い眼をした白い肌の生物…キュゥべえはあまり興味を感じていないかのようにけだるげな声を出す。
その声に何も感じることはなく男は立ち上がる。
170センチを優に超えるその体躯は中学生らしさを感じさせることはなく、むしろ大学生といっても通用するのではないかと思うほど筋肉の付きが良い。
がっしりとした体形、長く細すぎない脚、そして整った顔立ち。
全てにおいて中学生の平均を凌駕している少年の姿が真夜中の路地裏にあった。
「君はこれからどうするの?」
「俺は…どうしたらいいんだろうな…」
「君は何かしたいことないの?」
「俺は彼女と生きることだけで幸せだったから…」
「君は僕のことが憎い?」
「…そんなことはないさ…」
土砂降りの雨に打たれ、男と白の生物は向かい合って話を続ける。
全てを無くしてしまったかのような表情を浮かべる男と…
表情をまったく変えることなく淡々と話す白の生物。
「それじゃあ僕についてこないかい?」
「…それもいいかもしれないな…」
「それじゃあ決まりだ。えっと…『 』。」
「…その名前で呼ばないでくれ。それは彼女だけのものだ。」
「そう。それはごめんね。…それじゃあ何て呼べばいい?」
「それ以外なら好きに呼んでくれ…この際だから原型が分からなくなるような名前に変えてもらった方が助かる…」
「そっか…それじゃあ今日から君は『瀬津せづそうま』だ。よろしくね、そうま。」
「瀬津そうま…か。あぁ、よろしく頼む、キュゥべえ。」
両者が手を組んだと同時に土砂降りの雨が小雨に、そして霧雨へと変わっていく。
男と白の生物は並んで歩き始める。
この日一人の男の運命はいびつに曲げられた。
プロローグ 奇跡の果て