イチゴ味サウザーの声が銀河万丈さんと知った際の衝撃はここ数年で最大級のものでした。
川神市から北に数県を跨いだ山奥で少年と老人が対峙していた。
少年は黒いバンドで目隠しをされ、老人は身体中に裂傷を負っている。
(見事だ)
老人は心中で感嘆する。
少年は目隠しをされながら老人と拳を交わし、老人の速さこそ全盛期に及ばぬもののキレ味は最高峰に達する手刀を全て避け切り、反撃までした。
そこまでしてなお、息も切らせず構えも取らない流派理想の状態を維持している。
(最早、是非もなし)
老人は覚悟を改める。
戦う前に覚悟は決めていた。それを再確認するだけの深呼吸。
少年も老人から改めて発せられた強い気配に体を引き締める。
互いに間合いを計り、ジリジリと距離を取り合う。
そして、互いの呼吸が近づき完全に一致した瞬間、鳳凰が二匹、空を舞った。
老人が目覚めたのは山奥に建てた小屋の中。
硬い布団の感触と身体中に走る傷が熱を持って痛みを知らせる。
だが、傷に塗られた黒い軟膏が熱を抑え、枕元に置かれた手紙が老人の心を癒した。
『天に輝く極星は一つ。老星は最早墜ち、輝きは無し。帝王は前進するのみ。老人は縁側にて茶を飲むべし』
寝床にて涙を零し、数日後に山を降りた老人が帝王の師であった事を知る者はいない。その日、川神院は奇妙な緊張に包まれていた。
師範代クラスが勢揃いし、釈迦堂すら正装して控えている。
そして、師範であり日本武術の総本山たる川神院を率いる川神鉄心もまた緊張の中にあった。
(まさか、奴に弟子とはのぅ)
思い出すは若かりし頃、遅過ぎた武神と持て囃された若気の至りに覗いてしまった裏の世界。
殺し殺される覚悟を乗せた拳が人体を抉り、切り裂き、粉砕する毎日の人の命が一日に食べる米の数より多く消費される世界。
愕然とした。
止めようと思った。
戦争が終わったならば命は何よりも価値があるものに戻ったのだから、と裏の世界で拳を振るった。戦争には間に合わなかったが、自分はこの為に生まれたのではないかと思えたからだ。
だが、足りなかった。力も意思も信念も何もかもが足りなかった。目の前の命をいくら救っても、別の場所で新たな争いの火種が燃え上がる。どうしようもなかった。一人では何も成せなかった。
だが、出会いがあった。
裏の世界に燦然と輝く極星。逃走なき帝王。裏の世界最強と呼ばれた南斗の将星。暗殺拳を修めながら誰よりも愛深き男が鉄心の味方となってくれたのだ。ヒューム・ヘルシングと並び、鉄心のライバルとなり、その愛深き性質故に裏の世界を安定させる為に制圧前進した男は裏の世界に生きる故に世間に世界に名前を知られる事は無かった。
鉄心は常々、彼に表の世界に出ないかと打診を続けていたが、一子相伝の暗殺拳を絶やす事を良しとせず裏の世界に埋もれていった。
そんな彼が弟子を取っていたと知ったのが三年前。そして、その弟子が一子相伝の暗殺拳を携えて川神院に挨拶という名の道場破りに来るのが今日である。
あの何よりも強く、愛深き男の弟子に興味は尽きない。何よりも孫娘の川神百代と同じ年齢ながら、暗殺拳を修めたという実力と才能ならば百代の強すぎるが故の孤独すら癒せるのでは、と期待せざるを得ないのだ。
そして、
「師範、お客様が来られました」
「うむ、お通ししなさい」
弟子が案内をする足音が聞こえる。
あの男の弟子ならば好漢足る少年に違いない。そんな期待を
「フハハハハハ、ここが川神院か。デカイだけで脆そうだな」
居丈高な高笑いが打ち破った。
「お、おう。元気が良いな南斗鳳凰拳伝承者殿よ」
「む、貴様が川神鉄心か。成る程、サウザーのジジィよりも強いようだな。だが、年寄りは縁側で茶でも飲んでいるがいい。帝王たる俺に後進は任せてな」
フハハハハハ、と両手を広げ背筋を仰け反らしながら再び高笑いをする少年を見て鉄心は
(ああ、そう言えばサウザーも若い頃はこんなんじゃったなぁ)
と懐かしさに遠い目をするのだった。
「気に入らねぇなぁ」
少年の独壇場となった道場の雰囲気に水をかける声。押し潰した銀紙をこすった様な刺々しく、不快な気配が立ち昇る。
「釈迦堂……口を慎むヨ!」
横からルー師範代が制止の声を上げるが、そこに何としても止めようという強さは無い。
少年の不遜な態度に真面目が服を着たようなルーと言えどカチンと来るものがあったのだ。そして、それはそのまま川神院の弟子達の総意でもある。
ようは、いつも暴力沙汰で問題を起こす釈迦堂に今日ばかりは積極的に止めるストッパーのいない危険な状態にある、と言うことだ。さながら、安全装置のない拳銃か剥き出しの刀か。いつ、少年に釈迦堂からの生々しい殺意が物理的に突き刺さるか判らない一触即発の空気が川神院を満たしていく。
(まずいのぅ)
川神鉄心は白く長い立派な顎髯をしごく。
釈迦堂の暴発は日常茶飯事だが、相手が普通ではない。南斗鳳凰拳はその技の性質上、手加減が非常に難しい。釈迦堂が負ける事は万一にも無いが、武道家としての生命が終わる危険がある。
だが、止めるという選択も双方の遺恨を残す事を考えると結局は今、最悪を回避する為に自分の目が届く所でガス抜きをさせた方がまだマシか。
「あい、判った。武道家ならば拳で語るが良かろう」
日本が誇る武の総本山、川神院の師範代と子供の対決。そこに反対の声は上がらなかった。板敷きの道場にて向かい合う二人。
整えていた身なりを崩し斜に構える釈迦堂刑部。
露出の高い鋲のついた黒い革服で不適に仁王立ちする少年。
二人の間には闘気がせめぎあい、ぶつかり合い、渦巻いて空間を歪ませる。
「そう言えば名乗りを上げていなかったな。不敬を謝罪しよう」
全く謝る姿をしない仁王立ちのままに少年は釈迦堂を睥睨する。
「へぇ、殊勝な所もあるじゃねぇの。よし、いいぜ。俺は釈迦堂刑部、てめえの高い鼻をへし折る男だぜ」
「フハハハハハ、よき啖呵だ。心配しなくとも敗北は貴様の必然。天に輝く将星は一人、我が名は
捻れる様に張り詰めていた熱い空気が更に高まり、肌を打つような熱風が逆巻いていく。
「口の減らないガキだぜ。お仕置きはちょいと厳しくなるが泣くんじゃねぇぞ」
「同意する。大人が子供に泣かされる事ほど憐れな事はないからな」
釈迦堂は敵意に満ちた残酷な表情を張り付け、天は不遜な余裕の笑みを崩さない。
最早、場は極まった。
川神鉄心は老骨とは思えぬ叫声を腹の底から解き放つ。
「決闘開始!!」
先に仕掛けたのは天であった。
しかし、天が動いた事を知覚出来たものは誰一人居ない。気づいたら釈迦堂の胸に深々と十字の傷が刻まれ、赤い鮮血が飛沫いていたからだ。
「なにぃっ!?」
胸に走る痛みと血飛沫に釈迦堂は声を荒げる。
「フハハハハハ、極星十字拳の味はどうかな?
我が拳は最速にして最強。何者も寄せ付けぬ帝王の拳よ!!」
恐るべし速さ、恐るべし切れ味。川神院の師範代に初撃で手傷を負わせるその強さに戦慄を禁じ得ない一同だが、それ以上に
(あのドヤ顔がウゼぇ……)
天の浮かべる得意絶頂の笑みが不快感を掻き立てる。
「チィ、恥かいちまったぜ」
釈迦堂が胸に手を当てて傷口を撫でると飛沫いていた出血が止まる。
「ほぅ、手当ての心得もあるか。川神院の弟子は多才だな」
関心した様に頷く天に釈迦堂はふてぶてしい笑みで返す。
「俺はこういった小技は苦手な方さ。むしろ、抉るのが大好きなのさぁ、行けよリングゥ!」
釈迦堂の両腕に闘気が集中し、リング状の光輪が天に向かって大気を抉り殺到する。
それに対して天は両手を交差し、全身に闘気をみなぎらせる。
「帝王に逃走は無いのだ!」
恐るべき速さの手刀が道場全体の空気を震わせる。
全身にみなぎらせた全力の闘気を手刀を交差させる一瞬に結束し、爆発的な闘気が釈迦堂のリングに叩き込まれ、かき分け弾き飛ばす。
「マジかよ……」
釈迦堂の言葉には驚き敬意があった。
手加減など微塵もない殺す気で放った自らの人生を賭けて編み出した奥義。それが十歳そこそこの子供に破られた驚愕と、その幼さで極めた拳の才能と自負、そしてそれらを支えるたゆまぬ努力の香りをそこに感じたが故の尊敬すら覚える気高さ。
何よりも
「フハハ……今のは効いたぞ。流石は川神院の師範代を勤めるだけはあるな、釈迦堂刑部。我が人生でこの身に受けた最大の一撃であったぞ」
全身を朱に染め、両腕を青黒く染め、手刀に使った指は全てあらぬ方向に折れながらも仁王立ちの姿勢を崩さない南斗天という少年の姿に確かに帝王と名乗る片鱗を見たからだ。
「フハハハハハ、まだやるぞ。釈迦堂刑部よ、貴様も我もまだ一撃を与えあったばかり、強者の闘争はここからだ!」
かすれも震えもしない少年の声に、釈迦堂の傷の痛み消えきらね胸の中に持ち上がる感情があった。
色々な味や匂いを混ぜ混んだ不可思議な感情だ。イライラする様なワクワクする様な激烈で凶悪で怒涛の様に押し寄せる、何よりも熱く熱くたぎる激しい感情。自分の全てをぶつけたくなる内にこもれば複雑な、外に出してしまえば単純で真っ直ぐな感情。
「ああ、そうだ。闘いはまだまだこれからだ!」
強い奴と死ぬまで闘いたい。
これ以外に必要な感情はあり得ない。
満身創痍の少年と胸に深傷を追った大人は心行くまで闘いあったのだった。
川神院の板敷きの道場にて大の字になって倒れるのは南斗天であった。
「くははははは、釈迦堂刑部よ。見事であった。完膚無きまでに我の負けよ!」
釈迦堂からの返り血と自らの体から流した血で全身を真っ赤に染めながら少年は笑う。
「なかなかしつこかったぜ、ガキ」
対して釈迦堂は全身に切り傷を負いながらも、最初に受けた胸の傷以外には深傷はない。
「ふっ、南斗鳳凰拳を修めただけでは帝王足り得なかったようだな」
背中を仰け反らせ、バン、と音を立てて天は飛び起き再び仁王立ちの姿勢に戻る。その姿は正に退く事を知らぬ覇者そのもの。
「けっ、タフなガキだぜ」
中腰になりながら息を切らす釈迦堂に天は両手を広げ仰け反りながら笑う。
「フハハハハハ、例え死すとも帝王に逃走は無い。貴様らただの武道家には理解出来ぬ道よ!!」
だが、と天は真面目な顔で釈迦堂を真っ直ぐに見る。
「釈迦堂刑部よ、貴様は真に強かった。川神院は確かに武の総本山であったわ」
「……おうよ」
拳を交わした者同士でしか通じ会えぬ感情を持って二人は深々と互いに礼を取った。
「うむ、見事であった」
川神鉄心も最初は気が気ではなかったが、終わってみれば心すく良い決闘となった。釈迦堂の陰に傾き易い性質と、天の傲岸不遜な性質が上手く噛み合った意外な、だが清々しい結果に手を叩く。川神院の弟子たちも惜しみ無く拍手を送り、釈迦堂に賛辞を天に健闘を称える声をかける。
爽やかな空気に包まれる道場に
「何だ、何だ。私抜きで何か楽しそうな事をやっているじゃないか!」
ドタドタと足音を立てて、少女が道場に走り込んで来た。
黒髪をショートに切り揃え、前髪を交差させた風変わりな髪型に、つり目と体中から発する強気な雰囲気が活発というかガキ大将な雰囲気を感じさせる少女である。
「むっ、モモか。学校は終わったのかの?」
「とっくの昔だジジィ。私を除け者にして……」
孫娘たる少女にシレッとしながら声をかける鉄心と、それに反発する様に声を荒げる川神百代。
しかし、血まみれで道場に仁王立ちする同世代の少年に絶句する。何故なら……
「うぎゃーー、釈迦堂が子供殺してるー!」
南斗天が白目を剥いていたからであった。
「ばっか、モモ何を言ってやがる。まだ死んでねぇよ……多分」
「きゅ、救急車を救急車を呼ぶんじゃ!」
「お、落ち着いて師範。治療ならここで出来ますヨ」
大騒ぎする川神院の中心に立つ南斗鳳凰拳伝承者、南斗天。
つまりはここから全て始まったのである。
真剣で私に恋しなさい×北斗の拳(イチゴ味)クロス
真剣で帝王に恋しなさい(イチゴ味)
ちなみにサウザーも天も普通に女性が好きです。