双葉杏の前日譚   作:maron5650

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8.化け物

今。

一つの業界を、一人の少女が荒らしている。

 

双葉杏。

 

どのプロダクションにも所属せず、どのトレーナーにも教えを請わず、何の経歴も持たない。

そんな彼女は、プロダクションに所属し、トレーナーに教えを請い、何らかの経歴を持つアイドル候補生達が待つ幾つものオーディションを受け。

そして、ただの一度も、負けたことはない。

 

何週間、何ヶ月という月日を捧げ、やっとオーディションを受けるに値する実力を付けた者達を、ただのド素人が蹂躙していく。

そんなことをされて。

そんな屈辱的なことをされて。

心が折れない者は、非常に稀であった。

アイドル戦国時代。

そう揶揄される程に膨れ上がったアイドル候補生の数は今、急速に減少していた。

 

 

 

「……なんとまぁ、大きく取り上げてくれたもんだね。」

 

暇な待ち時間を潰すためにとコンビニで適当に選んだ雑誌には、大々的に私のことが書かれていた。

私がごく普通のアイドル候補生であったなら、自らの知名度の上昇に涙を流して喜んだのだろう。

だが、私はアイドルに興味はない。

ただ、人探しをしているだけだ。

もっとも、その辺りのことは書かれていないようだが。

 

「……アンタね、アタシのことをコソコソ嗅ぎまわってるのは。」

 

「ノックくらいしたらどーお?」

 

存外、見つけるのに時間はかからなかった。

今日のオーディションの相手。

それが、私の探していた人物だ。

 

「理由は何よ。」

 

そう言いながら、ドカッと音を立てて椅子に座る。

見るからに憔悴している。

それもそうだろう。

無名の雑誌とは言え、こんな風に取り上げられるような人物が、自分のことを探しているというのだから。

 

「諸星きらり。」

 

「は?」

 

「知ってる?」

 

少し考える動作をした後、やっと合点がいったと言わんばかりに大声で笑い始めた。

 

「……アハハハハハハッ!何よ何よそういうこと!?アンタあの子の仇討ちでもするつもりなワケ!?」

 

「そういうんじゃないよ。」

 

「じゃあ何なのよ。」

 

「私が困るんだ。あんたが順調にアイドルやってくれてるとさ。」

 

「……ふーん、そう。

じゃあ、アンタはアタシに勝てるとか思っちゃってるんだ。」

 

「ま、そうだね。」

 

「ンなこと出来るわけないでしょ、バーカ。

大体、何よその身長。ちゃんとママのご飯食べてるワケぇ?」

 

ああ、なるほど。

きらりがああなるのも、無理はないのかもしれない。

きらりは元々、身長のことを気にしていたから。

 

「あの子は異常にノッポだったけど、アンタは異常にチビね。

そんなんでちゃんと踊れるワケ?」

 

きっと、これがコイツの常套手段なのだろう。

相手のコンプレックスになり得る点を指摘し、傷を抉る。

そうやって戦意を喪失させ、勝つ。

 

「ガキはさっさとお家に帰って、ママに泣きついて眠ってな。」

 

フェアじゃない、だとか、そういうくだらないことを言うつもりはない。

むしろ、馬鹿正直に単純な実力だけで戦いを挑む方がおかしい。

この戦法は確かに、この戦国時代を生き抜くには適している。

 

「ホラ、何黙りこくってんのさ。」

 

でも。私が抱いているこれは。

傷心でも悲しみでもなく。

 

「分かったんならさっさと……ッ!?」

 

 

 

「もう、喋るな。」

 

 

 

 

純粋な、怒り(よくもきらりを泣かせたな)

 

 

 

そろそろ、時間だ。

ステージへ移動しながら、いつものように、頭を切り替える。

足の運び方。手の振り方。視線の移動。その全てに意識を向ける。

顔に笑顔を貼り付ける。

お母さんのために練習した、私の嫌いな作り笑い。

こんなところで役に立つなんて、思わなかった。

ステージの上に立つ。

横をちらりと確認して、これは本気を出さなくてもいいな、と安堵する。

後は相手が、ただ自滅するだけだ。

 

 

 

「……後ちょっと、だね。」

 

オーディションの結果を見て、一人呟く。

きらりが元に戻るまで、もう少しだ。


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