双葉杏の前日譚   作:maron5650

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7.異変

おかしい。

どう考えてもおかしい。

だって、もう二週間だ。

きらりのオーディションは、とっくに終わってるはずだ。

終わってるはずなのに。

どうして私は、あれから一度もきらりの顔を見てないんだ。

 

きらりを応援したい。

その気持ちに、嘘偽りは無い。

だから、きらりは今は忙しいんだ、と。

或いは、きらりは今少し疲れてるんだ、と。

毎日、そう自分に思い込ませてきた。

でも。

ちょっと、限界だ。

 

一人は嫌だ。

耳が痛くなるくらい静かなんだ。

一人は嫌だ。

考えたくないことばかり考えてしまう。

一人は嫌だ。

いや、少し違う。

 

きらりが居ないのは、嫌だ。

 

そうだ。

少し様子を見てこよう。

もし忙しそうだったら、たまには私が家事をしてやろう。

もし疲れてそうだったら、精のつく料理でも作ってやろう。

きらりのために。

 

「きらりのために」?

 

手が震える。

足がすくむ。

ダメだ。

ダメだよ。

きらりのために、私は動けない。

誰かのために、私は、動けない。

 

そうだ。

これは私のためなんだ。

別にきらりが忙しそうでも疲れてそうでも、私には関係ない。

ただ、文句を言ってやるんだ。

オーディションが終わったら来ると言ったじゃないか、と。

部屋が汚くなってしょうがないぞ、と。

だから、これはきらりのためじゃないんだ。

だから、大丈夫なんだ。

 

「……最低だな、私。」

 

そう呟きながら、しかし私の身体は、やっと許しを得たようにその震えを止めた。

 

 

 

ピンポーン。

軽快な音が響く。

 

ピン……ポーン。

長押ししたりしてみる。

 

ピンポンピンポーン。

今度は連打。

 

「やっぱり、忙しいのかな。」

 

全く反応がないのを確認して、諦めながら、しかし諦めきれずにドアノブを回そうとする。

それは私の予想に反して、何の抵抗もなく回った。

 

「……開いてる。」

 

ごくり。

緊張が喉を鳴らす。

数秒の逡巡の後、意を決して、私はドアを開けた。

 

 

 

そこにはきらりが居た。

床に座って、下を向いていた。

ドアが閉まる音に、ビクッ、と肩を震わせて。

ゆっくりと、こちらに顔を向ける。

 

きらりの横顔は、いつもと同じ笑顔で。

でも、それがよく見えるようになればなるほど、それは少しずつ。

そして、私にちゃんと向き直った時には。

完全に、崩れていた。

 

「……ごめんね、杏ちゃん。」

 

涙でぐしゃぐしゃなまま、きらりが呟く。

 

「やっぱり、きらりがアイドルなんて、おかしかったよ。」

 

「きらり……?」

 

「きらり、ね……?オーディションで一緒に踊るコに、言われちゃったの。

背が高過ぎる、全然可愛くない……って。」

 

「でも、杏ちゃんは、可愛いって、言ってくれたから……。

だから、きらり、頑張って、踊ったんだよぉ……?」

 

 

 

「でも……おちちゃった。」

 

 

 

「ごめんね、杏ちゃん……杏ちゃんは、可愛い、って、言ってくれた、のに。

やっぱり、きらりは、可愛くなん、て……っ」

 

そんなことない。

そう叫びたくなる。

でも、今は。

 

 

 

「そんなことない!!!」

 

 

 

抑えない。

 

 

 

「言ったでしょきらりは可愛いって! 可愛いよ! 可愛いし優しい! 信じらんないんなら何度だって言ってあげる!!」

 

「で、でも……っ」

 

「でも何さ! ソイツに負けたからって全部諦めるつもり!?」

 

ああ。

 

「なりたいんでしょきらりは! アイドルにさ!! だから頑張ったんでしょ!?」

 

ずるいな、私。

 

「だったらッ! ちょっと嫌なこと言われたくらいでやめないでよ!!」

 

たかが一度の失敗で全部放り出したのは、私なのに。

 

「背が高いから何!? 高かったら可愛くないの!? 高かったらアイドルやっちゃいけないの!? そんなわけないでしょ!?」

 

きらりは、理想だったんだ。

自分のためにも、他人のためにも頑張れて。

それでいて失敗しない。

いつだってキラキラ輝いてる。

そんな、私の理想。

 

「きらりはッ!! すごいやつなんだから!! 私なんかよりずっと!! すごいやつなんだからッ!!!」

 

だから、認めない。

 

「だから、そんな顔しないで……そんなこと、言わないでよ……ッ!!」

 

きらりが失敗したなんて、私は認めない。

 

「杏……ちゃん……?」

 

そうだ。正そう。

正さなきゃ。

こんなのは間違ってるんだ。

だから、正さなきゃ。

 

「……名前、教えて。」

 

「杏ちゃん……どうしたの……?」

 

きらりが怯えたような目で私を見る。

大丈夫。大丈夫だよ。

すぐにまた、きらりは輝けるから。

 

「きらりにそんなこと言った奴の名前、教えて。」

 

だから、ちょっとだけ、待ってて。きらり。


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