双葉杏の前日譚   作:maron5650

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4.日常は変化する

それからというもの、きらりは頻繁に私の部屋に来た。

まだ、全部話した訳ではない。

でも、色々と察してくれたようで。

部屋の片付けや洗濯などの、身の回りの世話をしてくれた。

たまに食材を持ってきて、手作り料理を振る舞ってくれることもあった。

他愛もない話をしながらの食事は、泣きたくなるくらいおいしかった。

 

勿論。

私は、きらりの行う全ての物事において、きらりよりも上手に出来るだろう、

掃除だってもっと効率のいい方法を知っている。

洗濯だってもっとピシっと仕上げることが出来る。

料理だってもっと美味しくする一手間を知っている。

でも。

だから杏がやる、ということにはならない。

だから嫌だ、ということに、なるはずがない。

上手か下手か、ということは、関係がない。

きらりが、杏のために、してくれていることだ。

そう思えることが、たまらなく嬉しくて。

だから、きらりの優しさに、私は甘えることにした。

 

恐らく。

きらり以外の人間が同じようなことをしたら、私は断ったのだろう。

「いいこと」をしている自分に酔っているでもなく。

「いい人」のレッテルが欲しいでもなく。

100%純粋な、善意。

それのみに基づいて行動しているのだと。

きらりの一挙一動全てが、そう思わせるもので。

産まれて初めて受け取ったように感じるそれは、とても心地良かった。

 

一度だけ、きらりのために料理を作ろうとしたことがあった。

結果は、失敗。

原因は、嫌というほど理解した。

包丁を動かす度に。

鍋をかき混ぜる度に。

脳裏にちらつくのだ。

「嫌われてしまうかもしれない」。

私の方が上手に出来ることに気付いてしまったら、嫌われてしまうかもしれない。

私のお母さんが、そうだったように。

きらりの役割を、奪ってしまうかもしれない。

きらりの善意を、踏みにじってしまうかもしれない。

そう、考えてしまって。

そこで初めて、自覚した。

 

私は、他人のために何かをするのが、怖い。

 

一度、絶対に失敗してはならない相手に、失敗してしまったから。

だから、怖い。

「たかが一度だ」。

確かにそうなのだろう。

だが、「たかが」で済まされるほど、失敗の代償は軽くはなかった。

「たかが」で済まされるほど、小さな「一度」ではなかった。

 

だから私は、ただ、きらりの善意に溺れていって。

それを悪いことだなんて、思いたくなかった。

 

分かっている。

これは依存だ。

でも、しょうがないじゃないか。

今までずっと、ずっと我慢してきたんだ。

許してくれたっていいじゃないか。

私は、私の考えから逃げるように、きらりに甘え続けた。


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