次の日も、インターホンの音が私を起こした。
いつの間にか、ぬいぐるみを抱きしめたまま眠ってしまったらしい。
逃げるように部屋を出て、玄関へ。
誰が来たのか確認もせずにドアを開けると、そこにはきらりが立っていた。
「杏ちゃん、おは……どうかしたー?」
そんなに酷い顔をしていたのか、きらりは私を見るとそう言ってこちらを心配そうに覗きこんだ。
「きらり、お願いがあるの。昨日のダンボール、また運んで欲しいんだ。」
おはようの挨拶をする余裕すらなくて、私は開口一番頼み込んだ。
「うゆ?いいよぉ☆」
彼女は笑顔でそう返し、部屋へと進む。
私はその後を早足で付いていく。
「どこに運びましょー☆」
「この押入れの中。お願い。」
軽々とダンボール箱を持ち上げるきらりの服の裾を、私は無意識に掴んでいた。
きらりはそれを振り払おうとはせず、私の歩幅に合わせて先程よりもゆっくりと歩く。
「よいしょー☆おっすおっすばっちし☆」
きらりが押入れに箱を仕舞うと、私はすぐに戸を閉めた。
私はやっと安心し、しかし服の裾は依然掴んだまま。
きらりは、昨日と同じように部屋を見回していた。
そして。
「ねぇ、杏ちゃん?」
笑顔を絶やすことなく、きらりは言った。
「お父さんとか、お母さんは?」
ああ、なんだ。
そういうことか。
親が居なかったから、昨日きらりは「改めて挨拶に来る」と言ったんだ。
引っ越しの挨拶をする相手が居なかったから、きらりは部屋を見回していたんだ。
私がどう見ても一人暮らしできる年齢じゃないから、きらりはそんなことをしたんだ。
頭のなかの、何かが冷めていく。
気が付くと、私はきらりの服の裾から手を離していた。
「……杏ちゃん?」
雰囲気の変化に気付いたのか、きらりが心配そうにこちらを見る。
ああ、もう。
「……私の身長、教えてあげる。」
もう、いいや。
「139cm。平均で言うと、小学4年生くらい。」
面倒くさい。
「ねぇ、私、そんなに子供に見える?」
だから、引かれてしまおう。
「見えるよね。だってこんなに小さいんだもん。」
全部話して、引かれてしまおう。
「でもね。私、17歳なんだよ。」
面倒くさい奴だと思わせて、引かれてしまおう。
「知ってた?子供が大きくなるにはね、栄養だけじゃ足りないの。」
そうすれば、逃げていられるから。
「愛情遮断症候群。」
私は失敗したということから。
「それが、医者から言われた、私の病気。」
私は独りだということから。
「読んで字の如くだよ。私の親は愛情ってものをくれなかったんだ。」
私は愛されなかったということから。
「杏だって元々は、ごく普通の身長してたんだよ。」
私は寂しいということから。
「でもね、ある日を境に、ぱったりと伸びなくなった。」
私は幸せではないということから。
「私だってさ、ただ口を開けて待っていた訳じゃなかったんだよ。」
きらりは、ただ静かに。
「課されたことは何でもやったし、それでもダメだったから、自分から手当たり次第に何でもやった。」
静かに、私の目を見ている。
「……それでもダメだったんだよ。それどころか、怒られてばっかりで。」
やめてよ。
「どうすればよかったのかな。」
そんな目で見ないで。
「……どうすれば、よかったのかな。」
軽蔑してよ。罵ってよ。
「だってさ、私、頑張ったんだよ……!?」
なんて不器用な奴なんだって。
「家のことも学校のことも! 習い事もお受験も! 全部! ぜんぶぜんぶぜんぶッ!!!」
あれ。
「なのにダメだった! 褒めてなんてくれなかった!」
なにいってんだ、私。
「よく頑張ったねって! 偉いねって!! それさえ言ってくれればよかった!!」
淡々と話して、それで終わらせるつもりだったのに。
「みんな当たり前みたいに貰ってるものを貰うことすら出来なかったッ!!!」
止まらない。
「貰えたものといえばこのぬいぐるみくらいで、それすら頑張る前に貰ったもので・・・!!」
止まらない。
「じゃあ頑張ったからいけなかったの!?頑張らずにただ居ればよかった!?」
止まらない。
「私はッ!! ……本当に必要だったの!?」
「杏ちゃん。」
きらりが唐突に口を開く。
それは、いつもの明るいきらりからは想像も出来なかったくらい落ち着いていて。
怒鳴られた訳でもないのに、私はびっくりして、次にぶつける言葉を失った。
「……杏ちゃん。」
もう一度、私の名前を呼ぶ。
呼びながら、数歩、私の方へ。
この狭い部屋では、それは二人の距離を0にするのに十分だった。
「ごめんね。」
そう言いながら、膝をつく。
二人の目線の高さが、同じになる。
そして。
彼女の両手が優しく、私を包み込んだ。
「……なに、やってるのさ。」
声が震える。
「分かったでしょう?杏はめんどくさい子なの。
関わらないほうがいい子なの。
……だからッ! ……もう、ほっといてよ……!!」
「杏ちゃん。」
抱きしめる力が強くなる。
でも、始めて会った時のように苦しくはなくて。
「杏ちゃんは、頑張ったんだね。」
とても、心地よくて。
「……ほんと、に?」
「杏ちゃんは、頑張ったよ。」
何度も何度も、頭のなかで繰り返す。
頑張った。頑張った。
それは、私がずっと、欲しかったもので。
「わた、しっ……がんばった、のっ……?」
嗚咽が混じる。
もう、ダメだ。
止まらない。
「杏ちゃんは、頑張った。」
止まらない。
「でも……でも……!」
止まらない。
「それでも、頑張ったよ。」
涙が、止まらない。
私は、泣き続けた。
今まで貯め続けたものを、全部流しきるように。
きらりの胸の中で、泣き続けた。
泣いて泣いて、泣き続けて、泣き疲れて寝てしまうまで、泣いた。
目が覚めると、またきらりの腕の中。外はオレンジ色に染まっていて。
寝ている間も、きらりがずっと抱きしめてくれていたことに気付いて、また泣いた。