双葉杏の前日譚   作:maron5650

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12.愛するということ

お父さんが、家を出て行った時。

私も連れて行こうとしていたことは、知っていた。

お母さんがおかしくなってきていたのも分かっていたし、客観的に見れば、それは正しい判断なのだろう。

でも、私はそこまで大人じゃないし、それに。

お母さんのことは、全然嫌いなんかじゃなかったから。

だから、お父さんは、捨てたんだと思った。

私と、お母さんを。

私は空回りばかりだったし、お母さんとは仲が悪くなってきていたから。

お父さんは私達を嫌いになったんだと。

本気で、そう思っていた。

 

「……ああ、驚いた。」

 

一緒に暮らそうと言ってくれたことも。

お金を振り込んでくれていることも。

全部、建前で。

世間体を気にしているだけで。

親という立場上、そうしなければならないだけで。

お父さんは、もう、私を愛してなんかいないんだ。

ずっと、そう思っていた。

 

「日曜日に公園で待ってる、なんて書いてあるから、急いできてみれば。」

 

でも、きらりは言った。

嫌いな人に、手紙なんて出さない。

そう言われて、初めて考えた。

私は、お父さんから逃げていたのかもしれない。

私はもう愛されてなんかいない。

そう考えることによって。

そう思い込むことによって。

頑張ることから、逃げていただけなのかもしれない、と。

そして、その思い込みすら、私は遠ざけた。

愛されていないということは、つまり私が失敗したということだから。

その結果、「お父さんが私を愛していないことを認めない私」が出来上がった。

そういうことなのではないだろうか。

 

「本当に、居るじゃない。」

 

きらりは、こうも言った。

お父さんも、失敗してしまったことを後悔している、と。

愛情とは、褒められることが全てではない、と。

頑張りもおねだりも必要なく、与えられるものなのだと。

……正直、まだ、信じられない。

でも、もしも。

もしもそれが、本当なら。

私は、やり直せるのかもしれない。

お父さんとの、関係を。

勿論、すぐに理想の毎日へ、なんてことは無理だろうけど。

それでも、少しずつでも。

理想に近づけるのなら。

私達が失敗した日常を、やり直すことが出来るのなら。

それは、どんなに素晴らしいことだろう。

 

どんなに、嬉しいことだろう。

 

「ねぇ、お父さん。」

 

「……杏ちゃん。」

 

お父さんはそう言って、やつれた顔を上げた。

 

「見ないうちに、随分と弱々しくなったもんだね。」

 

「……杏ちゃんは、変わらないね。」

 

少し、眉をひそめる。

 

「そりゃ、お陰さまで、ね。」

 

「……ごめん。」

 

「いいよ謝んなくて。そんなに気にしてないし。」

 

嘘。

会って二日目のきらりに八つ当たりするくらい気にしてる。

 

「学校は、行ってるのか?」

 

「まあ、それなりには。」

 

嘘。

高校なんて、まだ私の席があるのかすら怪しい。

 

「友達は、出来たか?」

 

「そこそこ、ね。」

 

嘘。

友人と呼べる存在なんて、きらりしか居ない。

 

「……幸せ、か?」

 

「そんなわけないじゃん。」

 

これは、嘘?

 

「……ごめん。」

 

いいよ謝んなくて。そんなに気にしてないし。

同じことを同じように言おうとして。

しかし、口から漏れたのは。

 

「ねえ、お父さん。」

 

「……何だ?」

 

 

 

「私のこと、愛してた?」

 

 

 

私の、本心。

 

ずっと、それが知りたかった。

ずっと、それを知るのが怖かった。

ついに、言った。

言ってしまった。

手が震える。息が荒い。胸がうるさくてしょうがない。

後、たったの数歩。

たったの数歩で、私とお父さんの距離は無くなってしまうのに。

その数歩が、どうしようもなく、遠い。

 

「……。」

 

お父さんは、何も言わない。

何も、言ってくれない。

どうして。

どうしてさ。

嫌いなら嫌いって言ってよ。

……好きなら、好きって言ってよ。

 

「……ねぇ。」

 

絞り出すように発した声は、やっぱり震えていて。

私はもう、お父さんの顔を見ていることも出来ない。

かたく、かたく目を閉じる。

 

「なんでも、いいから……。」

 

出来ることなら。

たった数歩を走り抜けて、抱きついてしまいたい。

それで、突き放されたら、それで終わり。

とぼとぼと家に帰って、そこにはきらりが待ってて。

やっぱりダメだった、なんて言いながら、思いっきり泣く。

そうしてしまいたい。

でも、動いてくれなくて。

私の身体は、固まっているままで。

だから、ただ、じっと。

お父さんの答えを待ち続ける。

 

「何か……言って、」

 

「杏ちゃん。」

 

被せるように、お父さんが私の名前を呟く。

少しだけびっくりして目を開けると、目の前にお父さんが居て。

それで更にびっくりしているところに、追い打ちと言わんばかりに。

 

「────っ」

 

私を、抱きしめた。

 

きらりよりも堅いし、きらりより雑だ。

まるで抱きしめ方を分かっちゃいない。

なんて不器用なんだろう、私の父は。

でも。

だからこそ、確かに伝わってきて。

その答え合わせをするように、お父さんの口が開く。

 

 

 

「愛してる。」

 

 

 

「……ほんと?」

 

「僕は、杏ちゃんのことを、愛してる。」

 

「きらい……じゃ、ない?」

 

「好きに決まってる。」

 

「……しんじ、らんない。」

 

「ごめん。」

 

「あやまん、ないでよっ……ばか。」

 

「……ごめん。」

 

「……いい。もっとつよくって、いいよ。」

 

「……ん。」

 

言われるまま、更に強く私を抱きしめる。

強すぎて、苦しいくらいだ。

でも、何故だろう。

全然、嫌じゃないや。

 

「……杏ちゃん、僕はね。」

 

抱きしめたまま、お父さんは言う。

 

「ずっと、後悔してたんだ。」

 

「……こう、かい?」

 

「杏ちゃんは頭もいいし、何でもできる。僕の自慢の娘だ。

だからそれを褒めていたし、そうしたら杏ちゃんは、とっても喜んでくれたよね。」

 

「……うん。」

 

「でも、僕たちはそれしかしなかった。

……他にやらなきゃいけないことなんて、沢山あるはずなのに。」

 

「……。」

 

「杏ちゃんに、褒めることでしか愛情を伝えることをしなかった。」

 

きらりが言っていた、通りだ。

 

「でも、そんなのは違う。

頑張らなければ愛情を貰えないなんて、そんなのは違う。」

 

抱きしめられている感触から、伝わってくる。

 

「……ごめん。ごめん、杏ちゃん。

ずっと、謝りたかった。」

 

お父さんの、気持ち。

 

「親が子に与えて当然のものを。

与えなければならないものを。

僕たちは、与えてやれなかった。」

 

私と、おんなじだ。

 

「子供は、そんなことで悩んじゃいけないんだ。

子供を、そんなことで悩ませちゃいけないんだ。

……「愛してた?」 なんて、絶対に言わせちゃいけないんだ。」

 

失敗した。

絶対に失敗してはいけないことを、失敗した。

 

「それを杏ちゃんに悩ませたのは、僕だ。

それを杏ちゃんに言わせたのは、僕なんだ。」

 

どうしよう。取り返しがつかない。

 

「許してくれ……なんて、無責任だよな。

僕にはその権利なんて、無いんだ。」

 

でも、このままじゃ、いけない。

 

「でも、せめて。せめて謝らせてくれ。

……本当に、ごめん。」

 

そして、もし。

 

「……そうだね。許してなんか、あげない。」

 

もし、やり直せるのなら。

 

「……っ」

 

「でもね。」

 

きっと、今度は。

 

 

 

「頭、撫でてくれたら……いいよ。」

 

 

 

今度こそは。


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