あの日。
「ここでいいかにぃ?」
私が、きらりと出会った日に。
「うん、お願い。」
送られてきた、ダンボール箱。
「おっすおっすばっちし☆」
これが今、私と私の過去を繋ぐ、唯一の存在。
「……ふぅ。」
深呼吸を、一つ。
右手に握ったカッターを、封をしているガムテープに沿って動かす。
動かそうとする。
でも。
「……っ、このっ」
うまく、照準が合わない。
原因は明白だ。
私の手が、震えているから。
まだ、なのか。
やっと、前に進もうと思えたのに。
やっと、過去と向き合おうと思えたのに。
まだ私は、怖いのか。
「杏ちゃん。」
きらりの手がそっと、私の手を包む。
……震えが、少しずつ収まっていく。
「……うん。」
そうだよね。
きらりが、隣にいるから。
隣にいてくれるから。
だから私は、頑張ろうって決めたんだ。
私の手は、もう、怖がりなどしなかった。
どちらが動かすでもなく。
ただ、自然と。
二人の手の先にあるカッターは、静かに、その封を解いた。
もう一度、深呼吸。
そして。
ゆっくりと、箱を開ける。
「……は?」
中に入っていたのは、拍子抜けするくらいに。
何の変哲もないものだった。
米袋。野菜。洗剤。
どれも重たいものばかり。
……どれも、生活に必要なもの、ばかり。
何なんだ。
何なんだよ。
これはまるで。
これじゃあまるで。
親が愛する子供に送る、仕送りみたいじゃないか。
「……なんなん、だよ。」
我慢出来ず、口から漏れる。
私は、過去と向き合うつもりだった。
愛されなかったという、過去と。
だが、これは何だ?
……真逆じゃないか。
私が想像していたものと、まるっきり、逆。
胸のあたりで、何かがぐちゃぐちゃになっている。
これは何だ。
この感情は、何だ。
怒り? 安堵? 悲しみ? 落胆? 喜び?
その、全部?
自分が何を思っているのか分からない。
でも、どこかにぶつけなきゃどうにかなってしまいそうで。
「──何なんだよッ!!!」
ありったけの大声で、叫ぶ。
「何で今更こんなことするわけ!? もう放っておいてって言ったじゃん!!」
叫ぶ。
「もう期待したくないの! 期待させないでよッ!!」
叫ぶ。
「私は愛されなかった! 失敗した! それでいいじゃん!!」
叫ぶ。
「やっと認めようと思ったのに!! 受け入れようと思ったのにッ!!」
叫ぶ。
「……これじゃ……どうしたらいいのさ……!」
叫ぶうちに、息が切れてきて。
最後の方は、掻き消えそうに小さな声だった。
はぁ、はぁ、はぁ、と。
私の荒い呼吸だけが部屋に響く。
「っ! ……杏ちゃん、これ」
息を整えようとしている私の横で、きらりが箱の底から何かを見つけた。
ちらりと確認するやいなや、私にそれを差し出す。
「……手紙?」
それは、無地の白い封筒だった。
裏をめくると、確かに、お父さんの名前が書かれている。
「……。」
封筒を手に取ったまま動かずにいると、きらりが後ろからそっと抱きしめてくる。
そのまま、少しだけ、私に体重をかけた。
私はそれに逆らおうとはせず、ゆっくりと、床に座り込む。
優しい声で、きらりは私に語りかけた。
「怖い?」
「ちょっとだけ。」
「どうして?」
「こんな私なんて、嫌われてるかもしれないじゃん。」
「嫌いな人に、手紙なんて出さないよ?」
「……ああ、うん。きっと、本当はさ。
本当は、そんなことないんだって思う。」
そうだ。
だって、離婚した時、お父さんは私を助けようとしてくれた。
私が退院した時、一緒に暮らそうと言ってくれた。
今だって、私はお父さんの稼いだお金で生きている。
「私が本当に怖いのは、きっと、愛されることなんだ。」
お母さんも、最初は優しかった。
優しく、愛してくれた。
でも、それは長くは続かなかった。
続けられなかった。
だから。
私がまた、失敗したら。
お父さんも、お母さんと同じようになってしまうかもしれない、と。
私はそれを、怖がっているんだ。
認めたくなかったのは、失敗して、愛されなかったことだけじゃない。
それでもお父さんに、愛されていることもなんだ。
だって、期待してしまうから。
ひょっとしたら、今度は。今度こそは、と。
「それは、どうして?」
「……私が、また、失敗しちゃうかもしれないから。」
「愛情を貰うこと、を?」
「……うん。」
「……ねぇ、杏ちゃん。
杏ちゃんは、褒められたかったんだよね。
褒められたくて、頑張ったんだよね?」
「そう、だよ。」
「愛情、ってね。杏ちゃん。
褒められるだけじゃ、ないって思う。」
「……わかんないよ。私は、頑張ることしか出来なかったんだ。
上手におねだりなんて、出来なかったんだ。」
「ううん。きっとね、必要ないの。
頑張ることも、おねだりも。」
「……やっぱり、わかんないよ。
私は、褒められることでしか愛してくれなかったんだ。
頑張らなきゃ、もらえなかったんだよ。」
「親だって、完璧じゃないよ。
子供が親とどう接していいのか分からないことがあるみたいに。
親だって、どうしたらいいか分からない時だってあると思うよ?」
「……そんな時、きらりならどうする?」
「ちゃんと話して、ぎゅーってすれば、ちゃんと気持ちは伝わるにぃ。」
「ぎゅー、って?」
「そう。……こんな風にぃ☆」
きらりはそう言うと、私を強く抱きしめる。
「……あったかい。」
「安心する、でしょ?」
「うん……。」
「ねえ、杏ちゃん。
杏ちゃんのお父さんもね、きっと悩んでるよ。
失敗しちゃった、って。どうしよう、って。」
「……そう、かな。」
「そうだよ。」
「……きらりが言うなら、そうなのかもね。」
「だから、ね。杏ちゃん。
このお手紙を読んで、お父さんの気持ち、知ってみようよ。
……お父さんと、向き合ってみようよ。」
「……うん。」
私は、他人のために頑張れるようになりたい。
そしてそのためには、きっと、これは避けられないこと。
避けては、いけないこと。
だから。
私はそっと、封筒の封を切った。