双葉杏の前日譚   作:maron5650

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10.私の好きな食べ物は

それから、数週間後。

私は、きらりの所属しているプロダクションの一室に居た。

 

「悪かったな、急に呼び出して。」

 

そう言いながら、目の前の男は私に湯呑みを差し出す。

 

「別にいいよ。杏もこの前、同じようなことをしたしね。」

 

湯呑みを受け取り、ちびり、と口をつける。

……熱い。まだ、飲むには早いようだ。

 

「それで、話って何?

私をスカウトしたいとか、そういうこと?」

 

私がそう言うと、目の前の男……きらりの担当プロデューサーは、少し難しい顔をした。

 

「まあ、結論だけを一言で言うとそうなるんだが……。

双葉。オーディションの結果は見たか?」

 

「……異例の、二人同時採用。それがどうかしたの?」

 

「きらりから聞いたんだけどな。」

 

少し、違和感。

オーディションを荒らし回った、無所属無経歴の化け物。

そんな私を手に入れたい。

そう思うのは、プロデューサーという立場からしたら、当然のこと。

だから、この状況に関しては、別に違和感は無かった。

でも。

どうしてここで、きらりが出てくるんだ?

 

「お前、アイドルやる気無いんだってな。」

 

「……。」

 

なんだ、そういうことか。

ついさっき私が言った通り、この前のオーディションの結果は、二人同時採用。

こんなのは異例中の異例、というか聞いたことがない……と、きらりは言っていた。

つまり、ここで杏が仕事に出なければ、きらりはこの仕事に出られなくなる。

だから、この仕事には出ろ、と、言っているのだろう。

 

きらりのために。

 

でも。

 

「……うん、全然。」

 

それが分かっているからこそ、私にはそれが出来ない。

きっと、新人アイドルであるきらりにとって、それは大きな損失なのだろう。

きっと、きらりのためを思うなら、二つ返事で引き受けるべきなのだろう。

でも、私には、まだ、それは出来ない。

あの時あんな無茶苦茶なことが出来たのは、それほどまでにきらりが、危険だと思ったからだ。

このままでは、きらりがきらりでなくなってしまう、と。

そう思って、切羽詰まって、初めて出来たことだ。

それこそ、きらりに嫌われてしまうかも、など、考える余裕もないくらいに。

 

「杏はね、何もしたくないの。……矛盾にしか聞こえないと思うけど。」

 

「ああ、そう言うだろう、とも聞いた。

こう言えば、きっと考えが変わる、ともな。」

 

……?

きらりは何を考えてるんだ?

無理矢理に私にアイドル活動をさせよう、なんて、まず思ってはいないだろう。

きらりはそんな子じゃない。

だから、これはきらりの話を聞いたプロデューサーの、独断専行なのだと。

今ここに私が居ることに、きらりの意志は関係していないのだと。

そう思っていた。

でもそれだと、プロデューサーの言動と食い違う。

きらりは一体、何を……?

 

「でもその前に。

違約金、って知ってるか?個人が払うには、」

 

「個人が払うにはちょっと高すぎる。あんなに無茶なオーディションの受け方をしたら尚更。……でしょ?」

 

私が被せるようにしてそう言うと、プロデューサーは目を見開いた。

 

「……いや、驚いた。

まさか、ここまできらりの言うとおりになるなんてな。」

 

「……何なのさ、さっきから。」

 

「じゃあ、きっとこれで本当に考えが変わるんだろうな。」

 

プロデューサーはそう言って、ポケットの中に手を入れる。

何かを取り出し、私にそれを差し出しながら言った。

 

「仕事の報酬、だとさ。」

 

手をお椀のようにして、それを受け取る。

見てみるとそれは、杏色の飴だった。

 

「……んん?」

 

ますます訳が分からない。

透明の包装紙を剥がし、口に入れる。

 

「……これ、手作り?」

 

べっこう飴だった。

誰でも簡単に、どの家にもある材料から作れる飴。

単純な味でしかないはずのそれは、とても美味しく感じられた。

 

「包装紙、見てみな。」

 

言われるまま、さっき剥がした透明の包装紙に目を向ける。

よく見ると、そこには同じく杏色のインクで、こう書かれていた。

 

 

 

克服の、第二歩☆

 

 

 

「……一本、取られちゃったなぁ。」

 

やっと、分かった。

きらりの考えが。

私は、他人のためには頑張れない。

だから、他人のためを、自分のためにしたんだ。

「仕事の報酬」。

つまりこれは、きらりから杏への、仕事の依頼なのだ。

この飴をあげるからやってくれ、と。

そうすれば、これは他人の、きらりのためということにはならない。

私はただ、誰のためでもなく、この飴のために働くだけ。

そういうことになる。

そういうことにできる。

そして今、前払いという形で、私は既に報酬を受け取ってしまった。

 

「どうだ?考えは変わったか?」

 

笑いながら、プロデューサーが尋ねる。

笑いながら、私は答えた。

 

「……うん、そうだね。やっても、いいかもね。

こんなにおいしい飴がもらえるんなら、さ。」

 

なら早速、と、プロデューサーは腰を上げる。

 

「あ、ちょっと待って。」

 

制止しつつ、携帯できらりのアドレスを探す。

元々数も少ないから、すぐに見つかった。

 

「……前に進むには、後ろとも向き合わなきゃ、ね。」

 

過去と向き合う手段は、まだ、残されているから。

だから、向き合おう。

 

これからを、始めるために。


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