それから、数週間後。
私は、きらりの所属しているプロダクションの一室に居た。
「悪かったな、急に呼び出して。」
そう言いながら、目の前の男は私に湯呑みを差し出す。
「別にいいよ。杏もこの前、同じようなことをしたしね。」
湯呑みを受け取り、ちびり、と口をつける。
……熱い。まだ、飲むには早いようだ。
「それで、話って何?
私をスカウトしたいとか、そういうこと?」
私がそう言うと、目の前の男……きらりの担当プロデューサーは、少し難しい顔をした。
「まあ、結論だけを一言で言うとそうなるんだが……。
双葉。オーディションの結果は見たか?」
「……異例の、二人同時採用。それがどうかしたの?」
「きらりから聞いたんだけどな。」
少し、違和感。
オーディションを荒らし回った、無所属無経歴の化け物。
そんな私を手に入れたい。
そう思うのは、プロデューサーという立場からしたら、当然のこと。
だから、この状況に関しては、別に違和感は無かった。
でも。
どうしてここで、きらりが出てくるんだ?
「お前、アイドルやる気無いんだってな。」
「……。」
なんだ、そういうことか。
ついさっき私が言った通り、この前のオーディションの結果は、二人同時採用。
こんなのは異例中の異例、というか聞いたことがない……と、きらりは言っていた。
つまり、ここで杏が仕事に出なければ、きらりはこの仕事に出られなくなる。
だから、この仕事には出ろ、と、言っているのだろう。
きらりのために。
でも。
「……うん、全然。」
それが分かっているからこそ、私にはそれが出来ない。
きっと、新人アイドルであるきらりにとって、それは大きな損失なのだろう。
きっと、きらりのためを思うなら、二つ返事で引き受けるべきなのだろう。
でも、私には、まだ、それは出来ない。
あの時あんな無茶苦茶なことが出来たのは、それほどまでにきらりが、危険だと思ったからだ。
このままでは、きらりがきらりでなくなってしまう、と。
そう思って、切羽詰まって、初めて出来たことだ。
それこそ、きらりに嫌われてしまうかも、など、考える余裕もないくらいに。
「杏はね、何もしたくないの。……矛盾にしか聞こえないと思うけど。」
「ああ、そう言うだろう、とも聞いた。
こう言えば、きっと考えが変わる、ともな。」
……?
きらりは何を考えてるんだ?
無理矢理に私にアイドル活動をさせよう、なんて、まず思ってはいないだろう。
きらりはそんな子じゃない。
だから、これはきらりの話を聞いたプロデューサーの、独断専行なのだと。
今ここに私が居ることに、きらりの意志は関係していないのだと。
そう思っていた。
でもそれだと、プロデューサーの言動と食い違う。
きらりは一体、何を……?
「でもその前に。
違約金、って知ってるか?個人が払うには、」
「個人が払うにはちょっと高すぎる。あんなに無茶なオーディションの受け方をしたら尚更。……でしょ?」
私が被せるようにしてそう言うと、プロデューサーは目を見開いた。
「……いや、驚いた。
まさか、ここまできらりの言うとおりになるなんてな。」
「……何なのさ、さっきから。」
「じゃあ、きっとこれで本当に考えが変わるんだろうな。」
プロデューサーはそう言って、ポケットの中に手を入れる。
何かを取り出し、私にそれを差し出しながら言った。
「仕事の報酬、だとさ。」
手をお椀のようにして、それを受け取る。
見てみるとそれは、杏色の飴だった。
「……んん?」
ますます訳が分からない。
透明の包装紙を剥がし、口に入れる。
「……これ、手作り?」
べっこう飴だった。
誰でも簡単に、どの家にもある材料から作れる飴。
単純な味でしかないはずのそれは、とても美味しく感じられた。
「包装紙、見てみな。」
言われるまま、さっき剥がした透明の包装紙に目を向ける。
よく見ると、そこには同じく杏色のインクで、こう書かれていた。
克服の、第二歩☆
「……一本、取られちゃったなぁ。」
やっと、分かった。
きらりの考えが。
私は、他人のためには頑張れない。
だから、他人のためを、自分のためにしたんだ。
「仕事の報酬」。
つまりこれは、きらりから杏への、仕事の依頼なのだ。
この飴をあげるからやってくれ、と。
そうすれば、これは他人の、きらりのためということにはならない。
私はただ、誰のためでもなく、この飴のために働くだけ。
そういうことになる。
そういうことにできる。
そして今、前払いという形で、私は既に報酬を受け取ってしまった。
「どうだ?考えは変わったか?」
笑いながら、プロデューサーが尋ねる。
笑いながら、私は答えた。
「……うん、そうだね。やっても、いいかもね。
こんなにおいしい飴がもらえるんなら、さ。」
なら早速、と、プロデューサーは腰を上げる。
「あ、ちょっと待って。」
制止しつつ、携帯できらりのアドレスを探す。
元々数も少ないから、すぐに見つかった。
「……前に進むには、後ろとも向き合わなきゃ、ね。」
過去と向き合う手段は、まだ、残されているから。
だから、向き合おう。
これからを、始めるために。