双葉杏の前日譚   作:maron5650

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9.ごめんね、ありがとう。

「やあ、久しぶりだね、きらり。」

 

控室のソファに寝転んだまま、片手を上げる。

 

「……杏ちゃん。」

 

今日のオーディションにきらりを誘ったのは、私だ。

正直、きらりが来てくれるかどうか、少しだけ不安だった。

きらりが来てくれなければ、私の苦労は徒労に変わったから。

だから、きらりが来てくれて、本当によかった。

これが、最後の最後。大詰めだ。

 

「どうして、こんなこと、したのかな。」

 

ただ、一つだけ、想定外だったことがある。

私がオーディションを荒らしたことに対する怒り。

私が実力を隠していたことに対する悲しみ。

私とこれから戦うことに対する恐怖。

きらりが抱いている感情は、このいずれかだと思っていた。

このいずれかだったら、対処のしようがあった。

でも。

きらりの眼の奥にあるそれは。

怒りでも、悲しみでも、ましてや恐怖でもない。

分からない。

分からないんだ。

 

「……別に、どうもしないよ。」

 

でも。

ここまで来てしまったんだ。

もう、引き返せないんだ。

だから私は、頭のなかの台本を読み進める。

 

「きらりがアイドル候補生だって聞いて、アイドルに興味が出た。それだけだよ。」

 

これまでの発言を見るに、きらりの中で、身長の高さはバッドステータスでしかないのだろう。

裏を返せば、背は低ければ低いほどいい、ということになっているはず。

ならばきらりが、きらりとは真逆のものを持っている私に勝ったら?

バッドステータスの182cmが、グッドステータスの139cmより勝ったとしたら、その図式はどうなる?

 

「前にも言ったと思うけど。

私の中のきらりはね、すごいやつなんだよ。

私よりもずっとずっと、上に居るんだ。」

 

この言葉に、嘘偽りはない。

きらりは、私の理想だ。

 

「でも、今それは揺らいでる。

だから、はっきりさせたいんだ。

私ときらり、どちらが上なのか。」

 

でも、そんなきらりは。

私よりもずっとすごいやつのはずのきらりは。

私とは違うはずのきらりは。

今、私と同じになろうとしている。

私と同じように失敗しようとしている。

私と同じように、諦めようとしている。

そんなのは、嫌だ。

 

「言っておくけど、私は強いよ?

きらりが負けたあの人にも、勝っちゃうくらいには。」

 

やることは簡単だ。

まず、私が強いということを出来るだけアピールする。

それこそ、少し誇大なくらい。

 

「私はね、きらりよりも上手に歌えるし、きらりよりも上手に踊れるよ。」

 

これも、事実。

私が本気を出せば、きっときらりにも勝てるだろう。

 

「だから、手は抜かない。」

 

だから、手を抜くよ。

 

「私はきらりに勝って、私の中のきらりを、私よりも下にするんだ。」

 

私はきらりに負けて、私の中のきらりを、私よりも上にするんだ。

 

「だから、覚悟はいい?きらり。」

 

ここまで言えば、もう十分だろう。

後は、私が負けるだけ。

私が負ければ、きらりは自信を取り戻す。

私が負ければ、きらりはまた輝ける。

だから後は、バレないように手を抜くだけ───

 

 

 

「杏ちゃん、負けるつもりだよね。」

 

 

 

「───ッ!?」

 

まずい。

 

「わざと負けるつもり、なんだよね?」

 

「そんなことないよ。私は本気で───」

 

まずい、まずい。

 

「嘘、だよね?」

 

「……どうして、そんなこと思うのさ。」

 

まずい、まずい、まずい……!

 

「だって杏ちゃん、笑ってないよ?」

 

「それとこれと、何の関係が……」

 

「本当にきらりと戦って、勝つつもりなら。

きっと杏ちゃん、笑うと思うんだにぃ。」

 

ダメだ。

それじゃあダメなんだ。

私が手を抜くことがバレていたら、ダメなんだ。

きらりが勝たなきゃいけないのは、本気の私でなきゃダメなんだ。

きらりが負けた相手に勝ち、きらりよりも有利な体格を持つ私が。

そんな私が本気を出した上で、負ける。

そうしなければ、何の意味もない。

そうでなければ、きらりは元に戻らない……!

 

それどころか。

私は、きらりに嫌われてしまう。

だって、本当は勝てるのに、わざと手を抜いて負けようとしているのだ。

そんなことをされて、苛立たないわけがない。

嫌われない、わけがない……!!

 

分からない。

どうして。

どうして、バレたの?

きらりの眼の奥は、やっぱり見えないままで。

何を考えているのか、何を思っているのか、分からないままで。

 

「そんなことない、そんなことない……!

私は、私は本気で───ッ!?」

 

何か、言わなきゃ。

何か言って、なんとかしなきゃ。

そう思って、必死で言葉を紡ごうとする。

でもそれは。

 

 

 

「ありがとう。」

 

 

 

きらりに、抱きしめられることによって。

無理矢理に、止められた。

 

 

 

「私のため、なんだよね。」

 

やっと、分かった。

 

「ち、ちが……杏は、自分のために……!」

 

きらりの眼は、抱きしめられてて見えないけれど。

 

「それでも、ありがとう。」

 

それでも、分かった。

 

 

 

心配、してくれてたんだ。

 

 

 

「……ごめん、なさい。」

 

私が急に、アイドル活動なんて始めたから。

 

「きらり、怒ってないよ?」

 

私が急に、変になったから。

 

「それでも、ごめんね、きらりぃ……!」

 

自分のことで、精一杯だったはずなのに。

 

「……ね、杏ちゃん。

どうして、こんなこと、したのかな。」

 

それでも、心配してくれてたんだ。

 

「……きらりは、すごいやつ、でっ……!

私より、ずっと、ずっと……すごいやつで……っ!」

 

すごいなぁ。

 

「……うん。」

 

やっぱり、すごいよ。きらりは。

 

「だから、負けたなんてっ……失敗したなんて、認めたくっ、なくて……!」

 

敵いそうに、ないや。

 

「……うん。」

 

「それでっ……きらりに、アイドルっ、やめてほしく、なくってっ!」

 

「……うん。」

 

「だから、だからっ……!わたし、がんばってっ!

どうしたらアイドル続けてくれるのか、考えてさ……!」

 

「……うん。」

 

「わたしはっ! ……背が、ちっちゃいから……!

きらりは、背の高さ、気にしてっ、たから……!!」

 

「……うん。」

 

「わたしが、つよくってっ! つよかったら……っ! きらりがわたしに、かったらっ!」

 

「……うん。」

 

「きらりは、しん……ちょうっ! ……きにしなく、なるかなってっ!!」

 

「……うん。」

 

「でも、ばれちゃってっ……それじゃ、だめなのにっ!

それじゃ、きらりは、かわらない……のにっ!」

 

「……うん。」

 

「ごめん、ごめんっ、ね? きらり……っ、

いやだよね、こんなの……! きらい、だよねっ……?」

 

「……杏ちゃん。」

 

「ごめん、なさい……ごめんなさい……っ!

いやだよ、きらわれたく、ないよぉ……!」

 

 

 

「杏ちゃん。」

 

 

 

ほんの少しだけ強く呼びかけられて、私はぐしゃぐしゃの顔を上げる。

きらりは、ただ。

ただ優しく、笑っていた。

 

「だいじょーぶ、だいじょーぶだよ。」

 

そう言って、きらりは私の頭を撫でる。

ゆっくりと、ゆっくりと。

 

「きらりが杏ちゃんを嫌いになるなんてないにぃ。

だって、きらりのためにしてくれたんでしょ?」

 

そうだよ、と。

言おうとしても、うまく口が動かなくて。

ぶんぶん、と、音が出るくらいに。何度も頷く。

 

「だから、ありがとう。杏ちゃん。」

 

きらりの手は、変わらず私を撫でてくれていて。

その心地よさに、私は少しずつ泣き止んでいく。

 

「……ねぇ、杏ちゃん。

杏ちゃんはきらりを、私よりずっとすごいやつ、って言ってくれたよね?」

 

「……うん。」

 

「でもね。きらりだって、杏ちゃんとおんなじ。

失敗したら嫌になっちゃうし、失敗するのが怖くなっちゃう。

きっと、みんなおんなじだよ。」

 

「……。」

 

「きらりが落ち込んじゃってる時に、杏ちゃん来てくれたよね。

来てくれて、励ましてくれた。

だから、今日きらりはここに来れたんだよ?」

 

「……わたし、が?」

 

「うん、杏ちゃんのおかげだよ。」

 

「……。」

 

「杏ちゃんは、失敗しちゃったって言ってたよね。

失敗しちゃったから、怖くなっちゃった。

でもそれは、何もおかしくなんてないんだよ?」

 

「……で、でもっ、」

 

「他人よりもそれを克服するのは、時間がかかるかもしれないけれど。

でも、杏ちゃんが克服したいって思うんなら、ぜったい、できるよ。」

 

「……そう、かな。」

 

「うん。だってもう、やってくれた。でしょ?」

 

「……そう、かもね。」

 

「杏ちゃんは、頑張れるようになりたい?

自分のためにも、誰かのためにも。」

 

「……うん。」

 

「じゃあ、がんばろっ?」

 

「……うんっ。」

 

そっと、きらりは私から手を離す。

私は、ゆっくりと立ち上がる。

涙は、もう、止まっていた。

 

「杏ちゃん。今日のオーディション、本気でやってみようよ。」

 

「本気で? でも……。」

 

「だいじょーぶ! きらりはぜったい、杏ちゃんを嫌いになんてならないよ?」

 

「……ほんとに?」

 

「克服の第一歩☆」

 

「……うん、そうだね。」

 

きらりなら、大丈夫。だよね。

 

「きらり、負っけないよー☆」

 

「……やだなぁ、本気の杏に勝てるわけないじゃないかっ!」

 

気が付くと、私は笑っていた。

貼り付ける作り笑いじゃない、心からの笑顔。

 

二人で顔を見合わせて、もう一度笑う。

 

今までずっと、きらりはどこか私と違うところに居るように思っていた。

でも、きらりは私と同じだと言った。

私と同じように、怖いのだと。

そしてそれは、乗り越えられるものなのだと。

なら、信じよう。

きらりは理想ではなく、仲間なんだ。

どちらが上ではなく、隣に居るんだ。

なら。

どちらかが失敗した時には、どちらかが支えよう。

どちらも失敗した時には、二人で泣こう。

それでまた、頑張ろう。

いつか一人で頑張れる、その日まで。

 

舞台上に上がる。

観客席に座る審査員に向けて、二人は満面の笑みのまま言った。

 

 

 

「「よろしくお願いします!!」」

 

 

 

きっと、頑張れるようになる。

だって隣には、きらりがいるんだから。


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