「やあ、久しぶりだね、きらり。」
控室のソファに寝転んだまま、片手を上げる。
「……杏ちゃん。」
今日のオーディションにきらりを誘ったのは、私だ。
正直、きらりが来てくれるかどうか、少しだけ不安だった。
きらりが来てくれなければ、私の苦労は徒労に変わったから。
だから、きらりが来てくれて、本当によかった。
これが、最後の最後。大詰めだ。
「どうして、こんなこと、したのかな。」
ただ、一つだけ、想定外だったことがある。
私がオーディションを荒らしたことに対する怒り。
私が実力を隠していたことに対する悲しみ。
私とこれから戦うことに対する恐怖。
きらりが抱いている感情は、このいずれかだと思っていた。
このいずれかだったら、対処のしようがあった。
でも。
きらりの眼の奥にあるそれは。
怒りでも、悲しみでも、ましてや恐怖でもない。
分からない。
分からないんだ。
「……別に、どうもしないよ。」
でも。
ここまで来てしまったんだ。
もう、引き返せないんだ。
だから私は、頭のなかの台本を読み進める。
「きらりがアイドル候補生だって聞いて、アイドルに興味が出た。それだけだよ。」
これまでの発言を見るに、きらりの中で、身長の高さはバッドステータスでしかないのだろう。
裏を返せば、背は低ければ低いほどいい、ということになっているはず。
ならばきらりが、きらりとは真逆のものを持っている私に勝ったら?
バッドステータスの182cmが、グッドステータスの139cmより勝ったとしたら、その図式はどうなる?
「前にも言ったと思うけど。
私の中のきらりはね、すごいやつなんだよ。
私よりもずっとずっと、上に居るんだ。」
この言葉に、嘘偽りはない。
きらりは、私の理想だ。
「でも、今それは揺らいでる。
だから、はっきりさせたいんだ。
私ときらり、どちらが上なのか。」
でも、そんなきらりは。
私よりもずっとすごいやつのはずのきらりは。
私とは違うはずのきらりは。
今、私と同じになろうとしている。
私と同じように失敗しようとしている。
私と同じように、諦めようとしている。
そんなのは、嫌だ。
「言っておくけど、私は強いよ?
きらりが負けたあの人にも、勝っちゃうくらいには。」
やることは簡単だ。
まず、私が強いということを出来るだけアピールする。
それこそ、少し誇大なくらい。
「私はね、きらりよりも上手に歌えるし、きらりよりも上手に踊れるよ。」
これも、事実。
私が本気を出せば、きっときらりにも勝てるだろう。
「だから、手は抜かない。」
だから、手を抜くよ。
「私はきらりに勝って、私の中のきらりを、私よりも下にするんだ。」
私はきらりに負けて、私の中のきらりを、私よりも上にするんだ。
「だから、覚悟はいい?きらり。」
ここまで言えば、もう十分だろう。
後は、私が負けるだけ。
私が負ければ、きらりは自信を取り戻す。
私が負ければ、きらりはまた輝ける。
だから後は、バレないように手を抜くだけ───
「杏ちゃん、負けるつもりだよね。」
「───ッ!?」
まずい。
「わざと負けるつもり、なんだよね?」
「そんなことないよ。私は本気で───」
まずい、まずい。
「嘘、だよね?」
「……どうして、そんなこと思うのさ。」
まずい、まずい、まずい……!
「だって杏ちゃん、笑ってないよ?」
「それとこれと、何の関係が……」
「本当にきらりと戦って、勝つつもりなら。
きっと杏ちゃん、笑うと思うんだにぃ。」
ダメだ。
それじゃあダメなんだ。
私が手を抜くことがバレていたら、ダメなんだ。
きらりが勝たなきゃいけないのは、本気の私でなきゃダメなんだ。
きらりが負けた相手に勝ち、きらりよりも有利な体格を持つ私が。
そんな私が本気を出した上で、負ける。
そうしなければ、何の意味もない。
そうでなければ、きらりは元に戻らない……!
それどころか。
私は、きらりに嫌われてしまう。
だって、本当は勝てるのに、わざと手を抜いて負けようとしているのだ。
そんなことをされて、苛立たないわけがない。
嫌われない、わけがない……!!
分からない。
どうして。
どうして、バレたの?
きらりの眼の奥は、やっぱり見えないままで。
何を考えているのか、何を思っているのか、分からないままで。
「そんなことない、そんなことない……!
私は、私は本気で───ッ!?」
何か、言わなきゃ。
何か言って、なんとかしなきゃ。
そう思って、必死で言葉を紡ごうとする。
でもそれは。
「ありがとう。」
きらりに、抱きしめられることによって。
無理矢理に、止められた。
「私のため、なんだよね。」
やっと、分かった。
「ち、ちが……杏は、自分のために……!」
きらりの眼は、抱きしめられてて見えないけれど。
「それでも、ありがとう。」
それでも、分かった。
心配、してくれてたんだ。
「……ごめん、なさい。」
私が急に、アイドル活動なんて始めたから。
「きらり、怒ってないよ?」
私が急に、変になったから。
「それでも、ごめんね、きらりぃ……!」
自分のことで、精一杯だったはずなのに。
「……ね、杏ちゃん。
どうして、こんなこと、したのかな。」
それでも、心配してくれてたんだ。
「……きらりは、すごいやつ、でっ……!
私より、ずっと、ずっと……すごいやつで……っ!」
すごいなぁ。
「……うん。」
やっぱり、すごいよ。きらりは。
「だから、負けたなんてっ……失敗したなんて、認めたくっ、なくて……!」
敵いそうに、ないや。
「……うん。」
「それでっ……きらりに、アイドルっ、やめてほしく、なくってっ!」
「……うん。」
「だから、だからっ……!わたし、がんばってっ!
どうしたらアイドル続けてくれるのか、考えてさ……!」
「……うん。」
「わたしはっ! ……背が、ちっちゃいから……!
きらりは、背の高さ、気にしてっ、たから……!!」
「……うん。」
「わたしが、つよくってっ! つよかったら……っ! きらりがわたしに、かったらっ!」
「……うん。」
「きらりは、しん……ちょうっ! ……きにしなく、なるかなってっ!!」
「……うん。」
「でも、ばれちゃってっ……それじゃ、だめなのにっ!
それじゃ、きらりは、かわらない……のにっ!」
「……うん。」
「ごめん、ごめんっ、ね? きらり……っ、
いやだよね、こんなの……! きらい、だよねっ……?」
「……杏ちゃん。」
「ごめん、なさい……ごめんなさい……っ!
いやだよ、きらわれたく、ないよぉ……!」
「杏ちゃん。」
ほんの少しだけ強く呼びかけられて、私はぐしゃぐしゃの顔を上げる。
きらりは、ただ。
ただ優しく、笑っていた。
「だいじょーぶ、だいじょーぶだよ。」
そう言って、きらりは私の頭を撫でる。
ゆっくりと、ゆっくりと。
「きらりが杏ちゃんを嫌いになるなんてないにぃ。
だって、きらりのためにしてくれたんでしょ?」
そうだよ、と。
言おうとしても、うまく口が動かなくて。
ぶんぶん、と、音が出るくらいに。何度も頷く。
「だから、ありがとう。杏ちゃん。」
きらりの手は、変わらず私を撫でてくれていて。
その心地よさに、私は少しずつ泣き止んでいく。
「……ねぇ、杏ちゃん。
杏ちゃんはきらりを、私よりずっとすごいやつ、って言ってくれたよね?」
「……うん。」
「でもね。きらりだって、杏ちゃんとおんなじ。
失敗したら嫌になっちゃうし、失敗するのが怖くなっちゃう。
きっと、みんなおんなじだよ。」
「……。」
「きらりが落ち込んじゃってる時に、杏ちゃん来てくれたよね。
来てくれて、励ましてくれた。
だから、今日きらりはここに来れたんだよ?」
「……わたし、が?」
「うん、杏ちゃんのおかげだよ。」
「……。」
「杏ちゃんは、失敗しちゃったって言ってたよね。
失敗しちゃったから、怖くなっちゃった。
でもそれは、何もおかしくなんてないんだよ?」
「……で、でもっ、」
「他人よりもそれを克服するのは、時間がかかるかもしれないけれど。
でも、杏ちゃんが克服したいって思うんなら、ぜったい、できるよ。」
「……そう、かな。」
「うん。だってもう、やってくれた。でしょ?」
「……そう、かもね。」
「杏ちゃんは、頑張れるようになりたい?
自分のためにも、誰かのためにも。」
「……うん。」
「じゃあ、がんばろっ?」
「……うんっ。」
そっと、きらりは私から手を離す。
私は、ゆっくりと立ち上がる。
涙は、もう、止まっていた。
「杏ちゃん。今日のオーディション、本気でやってみようよ。」
「本気で? でも……。」
「だいじょーぶ! きらりはぜったい、杏ちゃんを嫌いになんてならないよ?」
「……ほんとに?」
「克服の第一歩☆」
「……うん、そうだね。」
きらりなら、大丈夫。だよね。
「きらり、負っけないよー☆」
「……やだなぁ、本気の杏に勝てるわけないじゃないかっ!」
気が付くと、私は笑っていた。
貼り付ける作り笑いじゃない、心からの笑顔。
二人で顔を見合わせて、もう一度笑う。
今までずっと、きらりはどこか私と違うところに居るように思っていた。
でも、きらりは私と同じだと言った。
私と同じように、怖いのだと。
そしてそれは、乗り越えられるものなのだと。
なら、信じよう。
きらりは理想ではなく、仲間なんだ。
どちらが上ではなく、隣に居るんだ。
なら。
どちらかが失敗した時には、どちらかが支えよう。
どちらも失敗した時には、二人で泣こう。
それでまた、頑張ろう。
いつか一人で頑張れる、その日まで。
舞台上に上がる。
観客席に座る審査員に向けて、二人は満面の笑みのまま言った。
「「よろしくお願いします!!」」
きっと、頑張れるようになる。
だって隣には、きらりがいるんだから。