うさぎになる前のバリスタと小説家になる前の青山さん【完結】   作:専務

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「私、あなたのおかげで今があるの。」

迷った。もう終わりだ。

今日は高校の入学式だ。新しい制服を着ていた朝が多分一番テンション上がっていたことだろう。

地図の通りに向かったはずが中学校だったし、手元の時計はもう12時になろうとしている。

仕方ない、適当な理由をつけて今日は帰ろう。

途方に暮れながら宛もなく彷徨っていたところ、ひとつの喫茶店が目に止まった。

うさぎのシンボルが可愛らしいその店に、彼女は一目惚れだった。

仕方ないよね。迷子だもん。休憩のために入っても何らおかしくないわ。

頭の中で適当に理由をつけて中に入った。

まばらにお客さんがいるのを目で追いながら、カウンターに腰を掛けると、優しそうなマスターが目の前にいた。

 

「いらっしゃいお嬢さん。ご注文は?」

 

落ち着いた声色と香るコーヒー豆の香りは、落ち着きを取り戻すのに十分すぎるものだった。

後に入学式が次の日であることを知る彼女であったが、この日だけは自分の性格を喜んだ。

 

 

 

時間もそろそろ夕方、いつもならバーに変わる店内も、今日だけはいつもの空気に満たされたままであった。

もっとも、いつもよりも多少、ほんわかする感じではあるが。

 

「うわー!変わらないんですねーここも。」

 

「そう簡単に変わるわけがなかろうに。」

 

「ままー、おなかすいたー」

 

「ここあはがまんができないなー」

 

「二人共落ち着けって…チノを見習えよ。」

 

「…zzz」

 

店の一角、奥のテーブルで2つの家族が久々に会うからか話を弾ませる。

常連客しかいないようなこの店に子供はあまり来ることがない。そのため、周りの客も珍しそうに、また、やさしい目で見守るのだった。

 

「しかし、久しぶりじゃのぉ…いや、子供もいるから当たり前なのか…」

 

「親父は時の流れに弱すぎるぞ。美久さんは今何をなさっているんです?」

 

「夫の影響もあってパンを作ってるの。昔から趣味だったしねー」

 

「ここの大型オーブンもキミが作りたいって言うから設置したものだしのぉ。」

 

カフェにはもちろんコーヒー以外に食べ物だって売っている。厨房には様々な調理器具が並んでいるが、カフェの規模に合わないくらいの大きな業務用オーブンは、パンを作りたいという彼女の希望とレパートリーを増やしたいマスターの希望が合致したので設置したものであった。

 

「懐かしい…まだ残してたんですね。」

 

「美久さんのパン懐かしいなぁ…昔は散々だったっけ」

 

「それは言わないで!」

 

話の尽きない思い出話は常連客も初めて知ることだったり、当事者だったり、それぞれが思いを抱いて耳を傾ける。同時に、マスターが客を大切にしていて、本物の家族のように見守ってくれているのがわかった。

 

「ふふふ…あ、そういえばマスター、あちらの女の子は良いのかしら?」

 

「あぁ、お嬢さんかい。」

 

振り返るとコーヒーを飲みながらマスターに薦めるはずの本を読み返していた。どこまでも本と生きてきた彼女である。それでもまだ読み返すということは、それだけ好きな作品なのだろう。

 

「そうだ、青山さんもこっちに呼んじゃえばいいじゃないか。」

 

「いいわねそれ!私も彼女の話聞きたいわ〜」

 

「ふむ…お嬢さんや、こっちに来ないか?」

 

「…」

 

返事がない。ただの読書家のようであった。

 

「…お嬢さん?」

 

マスターが近寄ってみる。彼女は黙々と本を読み進めていく。気付いていないようだ。

 

「青山さんの集中力はすごいからねー。執筆中なんてコーヒー持っていったのにも気づかないで冷えきったのを飲んだりするし。」

 

「ずいぶんと、不思議な子なのねー」

 

「美久ちゃんほどじゃないじゃろ…入学式なんて間違えんぞ…」

 

「今思い出しても赤面ものよ…」

 

言ってる割に大した動揺を見せないあたり、大人になるとはこういうことなのかと、マスターは感慨深い思いに浸る。

 

「やれやれ…おーい!お嬢さん!」

 

「ふぁい!?」

 

大声で呼ばれて我に返った青山さんは対照的にひどく狼狽えた様子だった。集中していた時の大声はひどく彼女を驚かせたようだ。

 

「君は本を読んでても周りが見えなくなるのかね」

 

「えへへ…何度読んでも新しい発見を生み出してくれるのがこの本の一番の魅力ですから…」

 

「今昔の客が来ててな、小さい子供もいるしここはひとつ、遊び相手にでもなってやってくれまいか。」

 

「喜んで!」

 

ココアとモカに駆け寄ると、子供たちは目を輝かせて待っていた。チノは相変わらず熟睡している。

 

「おねーさんってしょーせつかさんなの?」

 

「ほんよんでるときすっごいたのしそうなかおしてたね!」

 

「ウフフ、二人は絵本は好きかしら?」

 

「「うん!」」

 

「どんなのを読んでるのでしょう…」

 

青山さんは早くも子供たちを本の世界に誘う。たとい文字がまだ読めない子供であっても、絵や言葉で彼女たちの世界は一気にその色を変えるようで、美久さんの持ってきていた絵本を開いて青山さんは読み聞かせを始めていた。

 

「本当にいいの?」

 

「えぇ、この子たちにも本の素晴らしさを知って欲しいですもの。」

 

「助かるわ。ありがとね。」

 

「しっかし、こうしてみるといつもの青山さんとは思えないな…」

 

絵本を読んでいく青山さんは純粋に文学を楽しんでいて、それを子供たちと共有することで喜びも分かちあい、その光景は彼女を一段と大人に見せた。

 

「女性が輝くのは好きなことを一生懸命にやっている時。だからお嬢さんはいつも輝いて見える。」

 

「やだマスター、珍しくかっこいいじゃない。」

 

「でもわかるなー、目をキラキラさせながらも真剣さを失ってないあの感じ。確かに輝いてる。」

 

青山さんのその姿は小説を書いている時や読んでいる時とはまた違った様子で、心の純粋な部分を今まさに目の当たりにしているのがわかるものだった。

 

「私も昔はあんなふうにパンを焼いてたのかなー。」

 

「そりゃそうだ。必死になって粉まみれの体で好きなことをしている時は美久ちゃんもあんな感じじゃった。」

 

「俺は美久さんとここで会ったのは数回しかないからなぁ…」

 

「タカヒロくんは途中で養成学校に行ってたものね。」

 

タカヒロは一時期軍学校に通っていた。死線をくぐり抜けるといった血生臭いことは無かったものの、辛さや苦しみを共有した仲間もできて、本人曰く最高の人生経験であったと言う。

 

「あの時の友達はどうしてるんだ?」

 

「あっちももう子供がいてよ、年齢的にもチノと同じ学校ってのはたぶん無理なんだけど、向こうも楽しそうな感じだよ。」

 

「私もタカヒロくんも親の立場だものね…時間の流れって怖いわね。」

 

「ワシの前で言うか…」

 

こうして青山さんの読み聞かせと3人の昔話はしばらく続くのだった。

 

 

 

 

 

 

「今日はありがとうございました。久しぶりで楽しかったわ〜。」

 

「こっちも美久さんと久しぶりに話せたし、楽しかったですよ。」

 

「昔の客が帰ってきてくれるのは嬉しいものよ。」

 

もうすっかり暗くなって、彼女たちも帰る時間になっていた。連れてきた子どもたちは皆夢の中だ。始めからチノだけはずっと寝ていたのだが。

 

「青山さんもありがとね。絵本一冊しか持ってなかったのに結構話してたけど…」

 

「いえ、即興で話してただけですから…」

 

「即興で!?」

 

絵本を読み終えても時間は余ってしまって、青山さんはその場で物語を考えて語り聞かせていた。小説家の性なのか、本が好きだからなのか。

 

「はぁーやっぱ書いてる人は回転が違うわ。頭の。」

 

「あれ全部即興だったのか…てっきり知ってるやつかと思ってた。」

 

「また来なさい美久ちゃん。お、あとこれ。」

 

そう言ってマスターが渡したのはひとつの瓶。中にはコーヒー豆をすでに焙煎し、挽き終えた粉状のものであった。

 

「疲れたら飲みなさい。毎回来れるわけでもないだろうしの。」

 

「マスター…」

 

美久さんの顔は懐かしむような素振りを見せ、その思いを噛み締めてるようであった。あの頃の自分を思い出しているのだろうか。

 

「私ね、あなたがいたから今があるのよ?」

 

「ワシが何かしたかね。」

 

「ええ、沢山。」

 

制服を着た人間が昼間に来ようが追い返さず、勉強の時は教えてくれ、時にわがままを聞いてくれて、ときに叱ってくれて。彼女の高校時代は常にこの店と共にあった。その3年間は、何物にも代えがたい。

 

「こうしてココアとモカを会わせられたのもあなたのおかげ、今旦那とパン作りをしているのもあなたのおかげ。本当にありがとうございました。」

 

「そんな改めなくてものぉ…」

 

こうしたお礼が言えるのも、時の流れの証。いつかモカやココアが大きくなったらまた来てくれるだろうか。その時は自分の手で珈琲を淹れてあげたいものだ。

 

「また来なさい。美久ちゃんはいつでもうちのお客さんだからの。」

 

マスターはそうして未来に希望を見る。

 

 

 

 

 

 

「ふぅ…」

 

後始末を終えてカウンターに腰を掛け、自分で淹れた珈琲に口をつける。今日はとても濃い日だった。昔の客が子供を連れてきてくれるとは、人の繋がりの強さを再認識した日でもあった。

 

「ティッピーも懐かしかったんじゃないか?」

 

無言で鎮座するティッピーに話しかける。ティッピーも感慨深そうに目を閉じていた。寝ているだけかもしれないが。

 

「あの子達が大きくなったとき、ワシは現役でやれてるかのぉ。」

 

そういいながら帳簿を見る。売り上げは大したことはない。自分の貯金で始めた道楽のような仕事だ。呑気にやってればいいと思ったが。

 

「そうもいかんか…でものぉ。」

 

雰囲気を壊したくなかった。この空気でやり続けたい。大衆向けでなく、客を楽しませることを大切に、ひとときを大切にしたい。売り上げだけを考えたカフェにはしたくなかった。

 

「…まぁもうしばらくはこのまま続けよう。それがワシにできること、客にできることだ。」

 

明日は定休日だ。ゆっくり考えよう。

 

 

 

「はぁ…うさぎになりてぇ…」

 

彼の独り言を聞くのは目の前の兎だけだった。




今回もお読みいただきありがとうございます。4話になりました。前回の続きですね。
・ご注文はうさぎですか?における所々のネタを要所に挟んでいます。原作では少ししか触れられなかったことを己の妄想力で(こんなことがあったからなんじゃないか)なんて補いながらこの話は書いています。
タカヒロさんが今のような落ち着いたキャラでないのはまだ若いからです。あとはマスターとの差別化もありますが。
次回を楽しみに待っていただけたら幸いです。

・9/19は千夜の誕生日ですので、千夜に関するSSを執筆中です。土日と2連続投稿になりますので、そちらも合わせてお読みいただけたら嬉しいです。

※追記 試験があまりにも忙しすぎて9月中の執筆が滞ってしまい、9/20日の5話投稿は見送らせていただきます。千夜誕はしっかり投稿します。ご迷惑をお掛けします。詳しくは活動報告にてご連絡させて頂きましたのでそちらを参照してください。

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