うさぎになる前のバリスタと小説家になる前の青山さん【完結】   作:専務

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※今作から原作に登場しているものの名前がないキャラ、登場していないオリジナルキャラ等が出てきます。






「私、あなたに本を読んでほしい。」

いつの頃からだったか

思い出せないほど昔の記憶

長年生きたせいか、よほど印象深い記憶以外は酷く断片的にしか思い出せないほどだ。

そんな自分にも大切な、忘れられない記憶がある。

高校生になる直前、これから勉学に勤しむ故すでに先の授業内容に手を出していた時のことだ。

私は母から本を貰った。

参考書の類でも何でもない。名も知らぬ人が書いた1冊の小説。

まるで今の自分のように表紙はくたびれていたが、それだけいかに大切に読んできたかわかるものだった。

 

「私ね、あなたには本を読んでほしい。」

 

父を亡くし、女手一つで自分を高校生まで育ててくれた母は、そう言って手渡してくれた。

今でも大切に書斎の机の引き出しに入れてある。

いつか、自分の息子にも読んでほしいから。

 

 

 

 

 

 

いつも通りの喫茶店の風景、代わり映えしないがそこがここ、ラビットハウスの良い所でもある。今日もここには自分の日常の1コマを彩るためにマスターの一杯を求める人がいるくらいだ。

 

「そういや今日だっけ、保登さんのところ来るの。」

 

「あぁ、夕方くらいから来るはずだし、バーも今日はやらんからタカヒロに任せるぞ。」

 

「久しぶりだな…モカちゃんとココアちゃんも来るしな。」

 

「何っ、モカとココアもか!?」

 

「ちょ、急に大声出すなって親父。」

 

仕事の関係で孫にもろくに会えてないのはここのマスターを務め上げるため、その上今日は以前の客であり息子の友人でもある子の娘2人も来るというのだ、行きたくて仕方ないのであろう。

 

「くっ…今日が明日であればァ…」

 

「なんで明日…あぁ、定休日だもんな。」

 

「自営業に春休みや夏休み、秋休みに冬休み…なんて大層なものも無し、定休日以外元々休む気もなかったが…よりによって今日とは…」

 

ひどく落ち込むマスター。この空間も好きだが、同じくらい子供も好きなのだ。

 

「全く…あ、じゃあさ親父。」

 

「何じゃ…タカヒロ単独でここは任せられんぞ。お前にはチノの世話もあるしの。」

 

涙目で不機嫌な父親に話しかける息子の構図はなんとも微笑ましく、また奇妙であった。

 

「そういじけるなよ…単純だよ。夕方からだし飯がてらここにうちと保登さんちを呼べばいいんじゃん。」

 

「お前らはファミレス行くとか言っていたじゃないか…」

 

「親父にも久々にチノに会って欲しいし、保登さんにも久しぶりにここでコーヒー飲んでもらいたいじゃん。」

 

「でもワシは他のお客さんのとこにも行ってしまうし、邪魔ではないかの。」

 

「たまにはマスターのワガママくらい聞いてくれるさ。もっとも、ここでこうして話してる時点で周りは察しがついてるみたいだけどな。」

 

タカヒロの言葉通り、常連の客はコーヒーもそこそこに二人の会話を微笑みながら見つめていた。

 

「ほ、本当によろしいのですか…?」

 

「私達もタカヒロさんの子供とか見てみたいもの。気にしないでよ!」

 

常連の一人がそう言ってくれた。ここは隠れ家のような喫茶店だ。だからこそ常連客は家族のようにここを愛していて、ここの人を好きでいてくれる。マスターはそれをしみじみと感じていた。

 

 

 

 

 

 

(はて、大丈夫だろうか)

 

タカヒロは保登家が来るので早めに上がらせた。今は一人でコーヒーを淹れている。

 

(あの子は方向音痴だ…地図は持っているはずだし馴染みの街だし…いやいや)

 

マスターは保登さんとの出会いを思い出す。

 

(これから通う高校もわからぬ上帰り道まで間違えてここに寄ったくらいだ…駅にタカヒロがいるが…)

 

「マスター?」

 

(マスターであるワシが行けなかったことに関してなにか言うだろうか…第一そもそもあの子の性格はワシのが知っていたし…)

 

「あのー…」

 

(あのー、そうあの子だ。なにか言うことはないだろうがあっても言うためにここに辿り着くだろうか…いやいや、駅にはタカヒロが…)

 

「…」

 

(沈黙…沈黙?)

 

すでに豆を全て挽き終え、仕事のないハンドミルがマスターの手によって抵抗なく回されてるのに気づいた頃には、目の前にふてくされた馴染みの顔があった。

 

「お、お嬢さん!?」

 

「遅いです、マスター。」

 

頬を膨らまして座っていた女性の手元はいつもの原稿用紙でなく、本が握られていたのだ。

 

 

 

 

 

 

「何を考えてらしたんですか?」

 

「あぁ…昔の客が娘連れて来るらしくての…久々に孫にも会えるし、落ち着かなくてな。」

 

「あら、では今日は早くに閉めてしまうんですか?」

 

「いや、ここに来るから問題ないわい。」

 

青山さんはサービスとしてコーヒーを淹れてもらっていた。いつも原稿を読んでもらうために来ているが、そもそもはマスターのコーヒーが好きで通っている常連客。今も一息つきながらゆっくりと楽しんでいる。

 

「今日は見たところ新しいものを持ってきたようではないが、その本は何だね。」

 

「ええ、今日はこれを読んで欲しくて。」

 

青山さんが持ってきていたのは一冊の小説であった。最近なんらかの賞を受賞したようで、帯には盛大なアオリ文が明るい色で載せられていた。

 

「本か…最近はお嬢さんのものを読むだけで、新しいものは読んでなかったからのお。」

 

「先日マスターも本をよく読まれると伺ったので、オススメのものを持ってきたんです。」

 

本を薦める彼女の目は生き生きとしていて、そんな眼差しにマスターも幾分か落ち着きを取り戻していた。

 

「この本はですね、とある田舎の町の一人娘が主人公で、作家の夢のために上京する決意をするんですけど、親の反対や学校でのいざこざで思うように行かなくて、それでも夢を諦めきれずに地元で…」

 

マスターは弾丸のように口からこぼれ出る言葉に相槌を打っていた。

 

「…それで、何とか本が出来上がるんですけど泣かず飛ばずで、それでも書き続けるんですけど母親が病に倒れてしまって、実家に帰ると自分の書いた本が全て置いてあって、それで…」

 

黙って聞いているマスター。しかし周りの客も感づいている。

 

 

(((((これ、結末まで話しちゃうやつだ…)))))

 

 

気がつけば彼女の話もそろそろ佳境に入ってきている。それほど好きで何度も読んだのだろう。彼女の話は止まらなかった。

 

「…というお話なんです。とてもいい本ですからぜひ読んで欲しくて…」

 

5分ほど話していただろうか。本の内容は大方聞いてしまった。本来ならばもう読むまでもないが、マスターは違っていた。

 

「ほう、面白そうじゃないか、しばらく借りてもいいかね?」

 

「はい!」

 

社交辞令でなく、本心で言ってることが周りにもわかった。もともと本音をいう人だし、その短い言葉から興味が感じられた。

 

「ちょ、ちょっとマスター?」

 

「はいー。すまんな、ちょっと行ってくる。」

 

「お気づかないなく。」

 

常連に呼ばれてマスターが歩いていく。青山さんはコーヒーを飲みながらスッキリした様子だ。

 

「ねえ、もう話ほとんどわかっちゃったじゃない。あの子オチまで言ってたわよ。ちょっと私感動したわよ。すごくいい本じゃない。」

 

「ええ、ワシもそう思うが…」

 

「もう読む必要ないじゃないのよ!」

 

思わずツッコむ常連客。それもそうだ。もう内容は入っているはずなのだ。

 

「…確かにそうかもしれんが、今のは彼女の感想だし、ワシが読んだらまた別の感想を持つかもしれん。第一、本ってのは読むまで中身がわからんものよ。」

 

「あーなるほどね。なんだ、マスターもたまにはいいこと言うじゃん。」

 

「たまに、が余計じゃ。」

 

微笑みながら青山さんのところへ戻るマスター。彼女と話している彼は、常連客にとってはなんだか安心する絵面であった。

 

「しかし、懐かしいのぉ、人から本を薦められたのは。」

 

「以前もあったのですか?」

 

「昔本を貰ってな。それ以来かのぉ。」

 

「あら、それは良かったじゃないですか。」

 

「良かった?」

 

確かに良かったかもしれないが、彼女の言う「よかった」には別の意味が含まれてるようにも聞こえ、マスターは思わず聞き返した。

 

「ええ。自分の読んだ本をマスターに薦めたってことは、よほどマスターと仲の良いことだったに違いありませんし、マスターを思ってくれてたに違いありません。」

 

大体あたっていた。あの時代、自分は彼女から本当に大切にされて育ってきた。だからこそ、本を通して遺してくれた母の形を、彼女は自分のほんの少しの語りの変化で読み取ったことに彼はさほど驚かなかった。こういう人だ。

 

「…君は、本当に本が好きじゃの」

 

「えぇ、とっても。」

 

マスターは少し昔を思い出していた。あの頃貰った母の本。思えばあの頃は本に賞がつくなんてことは無かった。個人が面白いと思ったものを手に取っていた。だから、あの本もきっと母のお気に入りなのだ。そして、自分のお気に入りである。

 

 

 

 

 

 

 

もの思いにふけるのもつかの間、扉の開く音と一緒に馴染みの顔がやって来る。

 

「親父、連れてきたぞー…って、青山さん来てたのか。いらっしゃい。」

 

「おぉ、やっと来たかね!」

 

マスターの声に力が入る。同時に、懐かしい目がこちらを覗く。

 

「お久しぶりです。マスター。」

 

「うん。よく来てくれたよ。」

 

2人のまだ幼い娘を連れて、昔の面影の残る彼女は入ってきた。

 

「今は保登さん…だったね。そこのテーブルに座りなさいな」

 

「昔みたいに読んでくれてもいいんですよ?」

 

マスターは少し照れくさかったが、呼びやすいのもあるため、彼女が常連客だった頃の呼び方を使った。

 

 

 

「ようこそラビットハウスへ。美久ちゃんや。」

 

 

 

彼女は少し照れて笑った。







3話です。ココアにモカに…いや誰だお前。
原作、アニメ共に執筆段階(8月31日現在)で名前が公表されてないので強引に付けさせていただきました。
名前の原案はすべて飲み物等から引用してるのを参考に、保登(ホット)でも別の苗字でも意味の通る名前にしたかったのですが…無理があるか。
美久(みく)さんは旧姓軽編(かるあみ)です。カルーアミルクから引用しています。結婚後保登美久となりホットミルクになるといった仕様です。旧姓は大人と子供の合間のような、甘いお酒から。嫁入り後は子どもたちを暖かく見守る母のような雰囲気が出るようにしました。いや原作じゃまだなのになに名付け親みたいな説明してんだ。
お読みいただきありがとうございました。

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