うさぎになる前のバリスタと小説家になる前の青山さん【完結】 作:専務
「あそこが私を頼るとはね…やれやれだよ。」
女性が電話を置くと、周囲はまた静けさを取り戻す。
先ほどとある腐れ縁からの便りを受け取った。この店としてもそれで互いの客層を共有できるならそれで良い。
でもきっと彼は覚えていないのだろう。昔の約束を。
ふっ、と笑みがこぼれた。自分にまだその記憶が残っていることに驚いた。もう約束なんて歳じゃないのに。
厨房に向かう足取りは心なしか軽やかで、菓子を作るその目は真剣そのものだった。
一心不乱に作る。口元はやはり、笑っていた。
「負けやしないよ…私のあんこをなめんなよ…!」
試行錯誤しながら、手を動かしながら、彼女は過去を振り返る。
あの頃の答えを、ここで出すために。
「おや、またやってるんですね。」
最近ラビットハウスに小説を見せに行くよりも遊びに行くことのほうが多くなった青山さん。今日も幡出さんを連れてコーヒーと共に放課後を過ごす気であった。
「今度はようかん…か。これまた想像し難いものね。」
一方の青山さんは資料を抱えていた。どうやら生徒会の仕事だそうだ。今の時期は卒業式や学校誌と呼ばれるその一年のイベントや各委員会、クラスのコメント等をまとめたものを発行するために対応に追われている。
「凛ちゃんもようかんで一息つきながらやれば捗るんじゃないですか?」
「んーそうね、今日はゆっくりやっていきますか。」
そうして中には入ろうとドアに手をかけた…が、
「…?、開きませんね。」
「ほら、翠あそこ見て。」
ドアの隣、小窓のところに紙が貼ってあった。やけに達筆なそれは、マスターの字なのだろう。
『一身上の都合により、本日は休業です。』
「何かあったのでしょうか…」
「病気とかなら急病のため、って書きそうなものよね…心配ね。」
青山さんはマスターが病気でないことはわかっていた。毎日ここに通っているようなものだ。つい昨日も顔を出しているし、マスターの姿を確認している。
「甘兎とコラボしているのですし、甘兎庵に行ってみましょう。何かわかるかもしれません。」
「そうねー、付き合うわ。」
2人は足早に甘兎庵へ向かう。青山さんはその間に今までのラビットハウスを思い返していた。
「…」
「どうしたのよ翠、考えこんで。」
「…いえ、杞憂だと良いのですが…」
「?」
青山さんの頭の中で、様々な点が繋がっていく。彼女の結論は、彼女にとっても好ましくないものだった。だから、杞憂であってほしい。
「…甘兎庵に行けば、わかるかもしれません。」
「ちょっと、何を考えてるの?」
いつも猪突猛進の青山さんの行動に驚きはしないが、いつもと違う青山さんの表情やラビットハウスの事を考え、幡出さんは漠然と不安に包まれていた。
2人は、足を止めることなく目的地に向かう。
「失礼します。おば様はいますか?」
甘兎庵に入るなり彼女はそう言い放った。幸いにも店には今客はいない。すぐに奥から店主が顔を出した。
「いらっしゃい青山ちゃん、来ると思ってたわ。」
「あの、それはどういう…」
後から来た幡出さんはまだ理解が追いついていないようだ。手元の資料を握りしめ、ついていくことに精一杯だった。青山さんは以前と真剣な表情を崩さない。
「…まずはようかんでも食べなさい。あのじいさんと私の2作目さ。感想、聞かせておくれ。」
そう言うと、2人を奥のテーブルに案内し、店主は看板を裏返しにした。
「さて、聞きたいことは数多あるだろうが、大まか、青山ちゃんの考えてる通りだろう。」
2人がようかんを食べ終えた直後に彼女はそう言った。幡出さんも幾分落ち着いたようで、青山さんに問いかける。
「…ねえ翠、一体何を考えてるの?」
「…おば様、ラビットハウスは、
潰れてしまうのですか?」
「…へっ、へ?」
幡出さんの脳内に軽い衝撃が走る。まだ数月しかいないが、思い入れは多くある。なにより、そんな発想に至る彼女と現状に混乱しているようだった。青山さんは続ける。
「以前よりうさぎになりたい等とマスターは言っていました。あの空間は隠れ家…逆に言えば、新規の客を取りづらい立地です。それでもリピーターは一定数いますしそこまでの打撃ではないと考えていましたが…ここ最近はロースターの白井さんとほか数人しか見ないこともありますし、恐らく何らかの形で顧客が来なくなってしまったのではと…一番は甘兎庵とのコラボ商品です。余裕が無くなっているのだと感じました。」
「…そう、正解。」
落ち着いて答える店主の顔色は一切変わらない。商いを生業にする人間の覚悟なのだろうか。彼女は続けた。
「もともとあそこは青山ちゃんが通うより前から経営が苦しくなり始めたのよ。昔の客層はあなた達みたいな若い子だったんだけどさ…」
話は、少し過去に遡る。
まだ、ヒゲも白くない頃の話。
「いやぁ、喫茶店の経営はやはり楽しいな!」
そう言いながら背伸びをする。時間は8時、もう喫茶店を閉めた後だった。
「父さん、仕事終わったんだね、お疲れ様。」
奥から出てきたのは彼の息子のタカヒロ。小学6年生ではあるが、しっかりした子供だ。マスターはエプロンを外しながら答えた。
「おうタカヒロ、夕飯は食べたか?」
「うん、寝る前に見に来ただけだよ。」
「そっか、喫茶店はいいぞ、客の笑顔が見れる。」
「楽しそうだね、父さんは。」
「楽しくなきゃやってられんよ。」
そう笑いながら彼は電話を取る。タカヒロは部屋に戻っていった。
「…もしもし?甘兎か?」
「私を店の名前で呼ぶのはどうなんだ。同級生だぞ一応。」
「いいじゃねえか、もう名前も忘れたわ。」
「全く…なんの用?」
「今日も近所の学生が来てくれたよ。これじゃ当分はあの約束は使わないな。」
「あの約束…まさか、高校の頃のか?」
「忘れたなんて言わせねぇよ?頼みの綱は多くあったほうがいいしな。」
「どうせ私一本だろう、覚えてるさ。」
「ピンチになったら、必ず助け舟を出す。」
「覚えてて何より。助け舟を出してやれるくらい店を大きくするんだぞ。」
「家は何代続いてると思ってんだ。あんたのが問題だろう。」
「一代で甘兎庵よりでかくしてやるさ。俺の淹れるコーヒー飲んだことねえだろ。」
「私のあんこだって食べたことないでしょ。」
「そうだったな…そうだ、これを追加しよう。」
「またなんか思いついたのか。」
「あぁ、お互い店がでかくなったらよ…」
「まさか、2つの約束が1回で果たすことになるとは思わなかったけどね。」
店主の話は終わった。2人とも聞き入っていたが、先に声を発したのは意外にも幡出さんだった。少しかすれた声で、つぶやくように。
「てことは本当にラビットハウスは…」
彼女は恐れているようだった。短い時間に多くの思い出をもらったその場所は、彼女にとっても大切なものだったからだ。
「まだわからないわ…ウチとコラボしたりしてるってことはまだ立て直せる余地があるって事だ。なに、安心なさい。今日の休業はあのじいさんなりの考えがあってのこと、うまく行かない時には休みも必要さね。」
「そうですか…」
安心したかのように息を吐く幡出さん。しかし根本的な解決にはまだなっていない。ラビットハウスの経営難は確かである。
「経営が傾いている…コラボ…なるほど。」
青山さんはメモをとっていた手を止め、手帳を閉じた。先程の真剣な顔とはまた別の、前向きな真剣さのある顔つきになって店主を見る。
「ありがとうございます。美味しかったですようかん。特に…コーヒーが。」
「本当にやるの?それ。コーヒーとあんみつって…聞いたことないわよ。」
暗がりの喫茶店、先ほど甘兎庵に電話をしたマスターが受話器を置いた後、白井さんは疑問をぶつけた。
「大丈夫じゃ、一度作ったことがあるものじゃしな。」
「へ?てことは、復活させるってことなの?」
「いや、売りには出してない。甘兎と昔、約束したからな。これはその時に2人で考えたメニューじゃ。」
すこし古い紙に書かれていたメニューを厨房に持って行きながら、彼は遠い昔を思い返した。忘れるわけにはいかない約束。まさか、自分が使うとは思わなかったが。
「1つは、困ったら助け合うこと。もう1つは、いつか
2人で美味しいものを作ろうってな。」
12話ですね、本日もお読み頂きありがとうございます。
・甘兎庵の店主が出てきました。名前は付けません。前回チノママを出した時にどーにかなったのでいっかなーと思いました。そもそもマスターの名前も出てませんしね。
・UAが1000を超えました。ひとえに読んでくださる読者様のおかげです。お気に入り登録をしてくれた方々、評価なさってくれた方、青山さんの誕生日ssには感想を書いてくださる人もいらっしゃいました。私自身の原動力にもなっています。本当にありがとうございます。
・何度も言っていますがこの話は11月で一区切りとしています。12月中に別のストーリーを数話上げて次回作に繋げたいと考えています。
少し暗い回ですが、少しでも楽しんでもらえるような作品にしていきたいと思っています。