魔法科高校の劣等生~Lost Code~   作:やみなべ

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公開討論会当日。

全校生徒の約半数が集まり、風紀委員や部活連の手練れが持ち場に着く中、竜貴は一人屋上に立っていた。

 

別にサボっているわけではない。克人に頼んで講堂外の警備に回してもらっただけだ。

元より講堂で行われる討論に興味はないし、何かあっても真由美と摩利の二人で事足りる。保険をかけるとしても、達也と深雪で充分だ。それ以外の戦力など、余分以外の何者でもない。

一応今日の場を借りて竜貴の表向きの素性を明かす事になっているので、立ち会いを求められはしたのだが……

 

「そんな大舞台に出たら緊張しちゃいますよ」

 

などと、心にもない事を言って逃げて来た。

その代わりに、警備の仕事には一切手を抜くつもりはない。

 

とはいえ、生徒の大半は講堂だし、残りは部活かさっさと帰宅しているかだ。

一応後者で自主学習している者もいるが、圧倒的に少数派だろう。

無論、好き好んで風が強い屋上に上がってくる者などいない……と思っていたら、竜貴の背後で扉の開く音がした。

特に振り向く必要を感じなかった竜貴は、相変わらず柵に身体を預けながら正門方向を眺める。

しかし、その相手はどうやら竜貴に用があるらしく、竜貴と同じ様に柵に身を預けて話しかけて来た。

 

「隣、良いかしら?」

「どうぞ」

「ありがとう」

 

素っ気なくはあるが、竜貴にとっては初対面の相手だ。まぁ、こんなものだろう。

横目で見れば、長い栗毛を三つ編みにした愛嬌のある女性の姿があった。

見覚えはないので、直接面識のある相手ではないのだろう。

竜貴がそんな事を想っていると、女性の方から沈黙を破って来た。

 

「はじめまして、カウンセラーの小野遥です。衛宮竜貴君、よね」

「ええ、そうですけど」

「噂は色々聞いているわ。司波君とも仲がいいんですってね」

「まぁ、そうですね。お互い、残念ながら男友達は数少ないですから」

「他の男子が聴いたら呪われちゃいそうね。仲の良い女子のレベルが尋常じゃ無いもの」

「不幸中の幸いならぬ、幸い中の不幸ってとこでしょうか。というか、僕にそれを言いますか」

 

仮にも教員の一人である以上、竜貴の事情はある程度知っている筈だ。

なので、竜貴も自身が魔術師である事を知られている前提で話している。

 

「呪われるほどヤワじゃない?」

「なんなら、そっくりそのままお返ししますよ」

 

実はそう言うのは大の苦手である事をおくびにも出さず、自信満々に答える。

呪いを破るならまだしも、呪詛返しなど竜貴にはできない。

まぁ、破った呪いが結果的に返っていく事はあるだろうが。

ただ、竜貴としてはそんな事より、遥の態度が引っかかる。

 

「なにか、言いたい事があるんじゃないですか?」

「目敏いわねぇ」

「そりゃ、そんな非難がましい目で見られたら嫌でも気付きますって」

 

実際、遥の竜貴を見る目には非好意的な色が含まれていた。

本人は一応隠そうと努力しているようだが、魔術師などやっていると嫌でもそう言うものには敏感になる。

別に隠しきれなかった遥を非難する気はないし、教師失格とも思わない。

好悪の感情は誰もが持つ物だし、抑えようとしている分だけ大人としての分別はあると思う。

ただ、気付けてしまう竜貴が悪いのだ。

 

「そうね、確かに貴方にはちょっとわだかまりがあるわ」

「……」

「ねぇ、衛宮君。あなた、一昨日壬生さんに言った事、アレは本心?」

「はい」

 

『良く知ってるなぁ』と思いつつ、そのことには触れずに即答する。

隠す様な事ではないし、取り繕うつもりもない。

アレは紛れもない「魔術師」衛宮竜貴の本心だからだ。

 

「彼女の願いは、貴方にはそんなに低俗に見えるのかしら?」

「いえ、もし壬生先輩が普通の高校生で、その中で差別があったとしたら僕はあの人を擁護したかもしれません。まぁ、そっちは内容次第ですけど」

「魔法師だから、擁護しないって事?」

「ちょっと話が大きくなりますけど、世界で争いが絶えない理由の一つは不平等であり、差別にあります」

「あなた、なんの話を……」

「とりあえず聞いてください。学校は小さなコミュニティですが、いきなり世界規模で改善できない以上、小さな所からやっていくしかありません。だから、小さなコミュニティの不平等や差別を是正する行為それ自体を、僕はむしろ肯定します。同時に、その為に努力する人を尊敬し応援するでしょう。

 でも―――――――――――――魔法は違う」

 

それまであった人間らしい温かみは消えうせ、代わりに機械的とさえ思える冷たさを竜貴は纏う。

その空気の変わり様に、遥は思わず息を呑む。

 

「違うって……なにが?」

「魔法の元は魔術です。そして、魔術は正常な営みの外側にあります。

 魔術に関して言えば、『平等』とか『差別の撤廃』なんていう『人間』らしさは不要なんですよ。

 僕たちは人間ではなく、魔術師と言う生き物なんですから。不平等で当然、格差なんてあって当たり前、上は下を侮り、下は上を妬む。それが僕達(魔術師)に取っての『正常』なんです。

 直すべき物なんて、何一つありません。評価の基準はただ一つ、魔術師として優れているか否か。それの前ではどんな努力も、高潔な人格も全て無意味です」

「でも……それは、あなたが魔術師として優れているから言える事なんじゃないの?」

 

絞り出すような遥かの言葉に、竜貴は思わず失笑してしまいそうになり、それを抑えるのに苦労した。

彼女はきっと、竜貴の言が強者の論理から出た物だと思っているのだろう。

確かに、一般社会でこれを言えばそう思われる。

 

だが、それは違う。

衛宮は優れてなどいない。確かにただ一点においては他の追随を許さないが、それ以外は並み以下。それこそ底辺に近い。評価されるとすれば、魔術師としてではなくサンプルとしての方が遥かに評価されるような存在だ。

魔術師として評価されれば、竜貴は確実に侮られる側になる。

 

そしてそれを、竜貴は当然の事と受け入れていた。

魔術師として劣っている―――――――――――――正にその通り。

魔術の才能はない――――――――――――――――肯定するより他にない。

他の魔術師から差別される――――――――――――むしろ、当たり前のことだと思う。

竜貴の胸中に不満はない。竜貴にとってはそれが当たり前のことだし…………そもそも、彼の中に魔術師としての誇りはない。だから、幾ら蔑まれても痛痒を感じないのだ。

 

そもそも衛宮は魔術師ではなく、魔術使いの一族。

重要なのは魔術師としての力量ではなく、目的のために如何に魔術を巧く扱うかだ。

魔術師としてのあらゆる評価に背を向けた衛宮に、今更魔術師としての評価を求める気などない。

第一、魔術使いであると言う時点で魔術師にとっては軽蔑の対象。力量云々の問題ですらない。

差別され、侮蔑され、忌み嫌われる……衛宮はそれを良しとしたのだから。今更、不平不満などある筈も無し。

まぁ、これを素直に言う事ができないのは、少々もどかしいが。

 

「まぁ、衛宮の優劣はこの際置いておくとして。

 さっきも言った通り、魔法は正常な営みの外側にある魔術と同種です。言わば、正常な社会では良しとされない事が良しとされる世界なんですよ。だから、差別や格差なんてあって当たり前……と思ってたんですけどね」

「いまは、違うの?」

「魔術に差別や格差がある事を僕は肯定します、それは変わりません。

 ただ、ちょっと考え方を改めるべきかなとは思います。魔法は魔術から生まれましたけど、魔術と同じ側として考えるには……離れ過ぎてしまったのかもしれませんね」

 

最早魔法は、正常な営みの一部になりつつあるのかもしれない。

だとすれば、竜貴には紗耶香の願いを否定する理由はないし、魔術の世界の論理を当てはめるべきではないとも思う。

一昨日の事や達也達との話を踏まえて、竜貴は根本的な考え方を変えるべきではないかと思い始めていた。

 

「魔法を正常な営みの一部として考えるなら、差別や格差は可能な限り是正されるべきでしょうね」

 

別に意見を翻したつもりはない。ただ、魔法と言う存在の捉え方を変えただけの事。

ただまぁ、それを踏まえた上でも、紗耶香たちの主張には些か賛同しかねる訳だが。

そんな事を考えていると、竜貴は視界の隅を見覚えのある人物が通り過ぎていく事に気付いた。

 

「ところで先生、壬生先輩は討論会には出るんですか?」

「え? さぁ、出ると思うけど……」

 

遥はそう返答するが、別に確信があるわけではなく出ると思っている、と言うだけの様だ。

 

(首謀者の一人が、大事な討論会を前に姿をくらませる……何かあるって言ってるようなもんだよね)

 

いっそのこと追いかけて拘束しようかと思うが……止める。

達也達との事前の打ち合わせによれば、紗耶香たちは単なる使い捨ての駒に過ぎない。

彼女一人……あるいは、その周辺を拘束したくらいでは事態を防ぐ事はできまい。

竜貴の仕事は、十中八九現れるであろう実行部隊への対処である。

その役目の前では、紗耶香の事など瑣末事でしかない。

ただ、紗耶香たちの事を魔術師としてではなく、人間としての価値観で捉える様になったこともあり、竜貴は彼女を放置することを良しとする事ができなくなっていた。

 

(困ったな。放置すべきなのは間違いないけど、それはちょっとな……)

 

紗耶香達は耳触りの良い理念で利用されているだけに過ぎない。

まだ十代後半の少女が、そんなことで人生を台無しにしてしまうのは悲し過ぎる。

 

(悪い癖だって、わかってはいるんだけどね……)

 

衛宮だけでなく遠坂にも言えることだが、彼らは基本的に世話焼きな気質の持ち主だ。

魔術師として行動する分にはそんな人間らしさは切り捨てられるのだが、今はそうではない。

今の竜貴は紗耶香を「利用されているただの女の子」として考えている。

そんな相手が崖から転落しようとしているのを見過ごすには、衛宮竜貴はあまりに人間らし過ぎた。

 

「先生、ちょっと用事ができたんでいきますね」

「え?」

「壬生先輩を見つけました。さすがに、放っておくわけにもいかないでしょ」

「衛宮君、あなた……」

「どうやら、あの人たちは僕とは違うみたいです。

善良な……どこにでもいる普通の人。そんな人を見捨てるのは、寝覚めが悪過ぎる」

 

紗耶香がもし、竜貴と同じ種類の人間であったなら「自己責任」と思って見捨てただろう。

あるいは、都合がつくようなら助けようとしたかもしれない。

しかし、彼女はそうではない。相手が善良な普通の人であるのなら、竜貴もまた人として接する。

そして人としての彼は、壬生紗耶香と言う先輩を見捨てる事を良しとできる様な人間ではなかった。

 

「そう。変な言い方かもしれないけど、貴方という人間は二人いるのね。

 壬生さんの願いを切り捨てたのも、今追いかけようとしているのも、どちらも衛宮君なんだ」

「人間、そんな物だと思いますけど? だれだって、色々な面があるんですから。僕の場合、その区切りがハッキリしてるってだけですよ」

「そうかもしれないわね。でも、個人的に興味も出て来たわ……今度カウンセリング室に来てくれないかしら。

ちょっとあなたのメンタリティ性向を調べてみたいんだけど」

「あ~、気が向いたらお邪魔します」

「あら、残念。サービスするのに」

(サービスの内容は、地雷だよなぁ)

 

既に紗耶香は建物の影に入ってしまって捕捉できない。

竜貴は新勧の時そうしたように、今度もまた屋上の柵からダイブ。

いい加減慣れた物で、危なげなく着地を決める。

そのまま紗耶香の消えた方向へ向けて走り出すのだが、間もなく予想外の人影を発見した。

 

「壬生! どこに行った壬生!!」

 

そこにいたのは、短めの髪を逆立てた二年生の姿。

竜貴はその顔に見覚えがあった。

達也から上がって来た新歓中の報告書で、彼の起こした騒動の記述があった筈だ。

 

「何やってんですか、えっと……桐原武明先輩、でしたっけ?」

「ん、おお、お前確か風紀委員の」

「衛宮です。もう一度聞きますけど、何やってるんですか?」

「あぁ、いや、ちょっと人を探しててな……」

「壬生先輩ならあっちの校舎に行きましたけど?」

「なに!? って、お前わかってんじゃねぇか!」

「そりゃ、あんな大声で叫んでればわかりますよ」

「ぐぅ……」

「ついでに、多分聞こえる位近づいたら逃げられますから、静かにしてくださいね」

「…………わ、わかってる」

 

さすがに軽率だと理解したようで、がっくりと肩を落としていた。

だが、今は落ち込んでいられても迷惑なので、さっさと立ち直ってもらう必要がある。

 

「それで、先輩はなんで壬生先輩を? まさか、ストーカーじゃないですよね」

「スト…んな訳あるか!? 俺はその、なんだ……えぇっとだな……」

「報告書は読みました。それと関係が……?」

「読んだのか。ま、その報告書と同じで大層な理由があるわけじゃねぇ。ただ、討論会が始まるってのに壬生の奴が講堂とは別の方向に行くのを見かけてな、なんかきな臭いんで追いかけて来ただけだ」

 

適度に掻き回した事で思考も復帰したようで、二人は話しながら紗耶香を追って走り出す。

 

「アレ読んで、お前どう思った?」

「やり方はともかく、気持ちは共感できます。僕にだって、汚されたくない物はありますから」

「……そうか」

 

達也が鎮圧した剣道部と剣術部の諍い。その当事者だったのが壬生紗耶香と桐原武明だ。

逮捕されたのは魔法の不正使用をした武明で、竜貴はその件に関する報告書を呼んでいる。

大まかな内容としては、本来は人斬りの技ではない筈の紗耶香の剣が、人を斬る為の剣になっていた事に頭にきたから喧嘩を売った、というものだった。同時に、それは本人の意思ではなく、何者かに汚染された事が原因であろう、とも。

 

会長である真由美や深雪などは理解できなかったようだが、竜貴は多少なりとも武明に共感を覚えた。

竜貴には自分自身に対する誇りなどない。

だがそれでも、貴いと思う物がある。もしそれが汚されたら、決してその相手を許しはしないだろう。

 

間もなく、二人は紗耶香を見失った校舎裏へとたどり着く。

だが、そこには人っ子一人おらず、手がかりになりそうな物もない。

 

「ちっ、どうする衛宮。お前、何か行く当てなんか知らねぇか?」

「無茶言わないでくださいよ。桐原先輩こそ、なにか心当たりは?」

「あったら聞かねぇよ!」

「ですよね。となると、後は……」

 

望みは薄いが、あてずっぽうで探すくらいしかない。

しかし、それで当たりを引く可能性は極めて低い。

生憎、竜貴達には同盟とそのバックにいる者たちが何を狙っているかの情報すらない。

これでは、目星の付けようが無いのだ。

 

「………………………………ま、こういう状況ならいいか」

「お前、何言って……」

「本当は不味いんですけどね。でも、お姫様…って柄じゃないか、壬生先輩は。どちらかと言うと、同僚の女騎士? まぁ、それは良いとして、女の子を助けるために騎士が駆け付けようとしてるんですから、道を示すのは魔法使いの役目でしょ?」

 

そうおどけた様に答えながら、竜貴はおもむろに地面に手を当てる。

土地に刻まれた記録を遡り、紗耶香の足取りを追う。

とはいえ、この場だけの記録を読み取ってもすぐに行方が分からなくなる。

多少無理をすることになるが、そのまま紗耶香の足取りを追う様に解析を続け……やがて限界に達した。

 

「ハァハァ……さすがに、ちょっと無茶だったかな?」

「おい、大丈夫か……」

「ついて来てください。追跡は途中までしかできなかったけど、ある程度の目星はつきましたから」

 

武明の問いには答えず、竜貴は紗耶香の後を追うべく走りだす。

本当は頭が割れる様に痛むのだが、バレバレでもここはやせ我慢する所だろう。

ただ間の悪いことに、事態はあまり悠長に構えさせてはくれないらしい。

 

突如轟音が鳴り響き、二人は一端足を止めて音のした方角を向く。

見れば、正門付近から黒い煙が立ち込めていた。

 

「おい、今のは……」

「どうやら、あちらの実行部隊も動いたみたいですね」

 

こうなってくると、竜貴としても紗耶香ばかりにかまけてはいられない。

紗耶香一人のために、他の大勢の生徒を見捨てるわけにはいかないのだから。

しかしだからと言って……そんな竜貴の僅かな逡巡は、武明の一言で斬り払われた。

 

「衛宮、お前は戻れ」

「……いいんですか?」

「ああ、壬生の事は俺に任せてくれ。頼む」

 

言葉少ない、だが強い意志を感じさせる武明の言葉に、竜貴は静かに頷き返す。

 

「壬生先輩はたぶん図書館に向かっています」

「おう」

「あと、これも持って行ってください」

「なんだ、こりゃ」

 

今にも走り去りそうな武明に投げ渡されたのは、鈍色の簡素なブレスレット。

武明にはそれがなんであるか、もちろん知る術はない。

竜貴もその真価を教える事はできないので、代わりにこう答えた。

 

「お守りです。それがあれば百人力ですよ」

「……良く分からんが、持ってればいいんだな」

「ええ、きっと役に立ちます」

 

竜貴のその言葉を最後まで聞かずに、武明は図書館へ向けてかけ出す。

それを見送った竜貴は、「やれやれ」とばかりに肩をすくめる。

 

「ホント、何やってんだろ。誰も見てない所で使うならまだしも、思いっきり目の前でやっちゃったし。

 その上、大したものじゃないとはいえ礼装の貸し出しまで……こりゃ、バレたら大目玉だなぁ」

 

別に、竜貴は自分が魔術師であることに疑問はないし、そうある事を良しとしている。

ただそれでも、どちらかと言えば人間としての自分に重きを置いてしまいがちだ。

今回もそう。武明の姿は、竜貴には酷く好意的に映った。

だからつい、本来すべきではないお節介までしてしまった始末。

あれは、魔術師にあるまじきふるまいだと言うのに……全く後悔していないのが、一番の問題だ。

 

「……でも、仕方がない。結局、僕も衛宮だってことなんだろうなぁ」

 

そう呟いてから、竜貴は一度思い切り頬を叩いて気持ちを入れ替えた。

竜貴は急ぎ来た道を引き返し、とにかく現状の把握に努める。

 

思っていた以上に、実行部隊の規模は大きいらしい。

校内の各所で、散発的に戦闘が起こっているようだ。

とはいえ、さすがは魔法科高校と言うべきか。生徒達も洗練…とは言い難い物の、なんとか対処できている。

 

故に、竜貴は急ぎ彼らの支援に入るのではなく、見晴らしの良い手近な建物の屋上へと移動した。

それは一つの懸念があるから。ナイフだけでなく銃火器まで襲撃者達は持ちこんでいる。

なら、その可能性は否定すべきではない。

 

リライト(強化、実行)

 

視力を強化し、校内ではなくその外へと視線を向ける。

ぐるりと三百六十度見渡し、竜貴は自身の懸念が正しかった事を確信した。

 

「4時に二人、7時に一人。距離はそれぞれ800・1000・600ってところか」

 

これだけの規模で襲撃を掛けられる相手なら、狙撃手の一人や二人いると思っていたが…案の定。

大方、目の前の敵に対処している所で適当な生徒を狙撃し、混乱させるつもりなのだろう。

あるいは、克人や真由美といった大物を仕留める為の切り札か。

 

どちらにせよ、これを黙って見逃すわけにはいかない。

風紀委員や部活連はともかく、一般の生徒たちはその場その場で場当たり的に応戦しているだけだ。

統率も連携もあったものではないし、どこかが崩れれば総崩れになりかねない。

 

「まぁ、克人さん達がいれば、最終的には鎮圧できるだろうけど……」

 

それでも、一度崩れれば生徒の中に犠牲者が出る可能性は高くなる。

さすがにそれを放置する気は竜貴にもなかった。

周囲に人の目も、あるいは監視カメラの目もない事は確認済み。

誰の目にもとまらないのなら、遠慮なく魔術を使う事ができる。

 

 

「要は、僕が何をやったかばれなければいい訳で……『リライト・レゾナンス(投影、重装)』」

 

目を閉じ、意識を集中させ自身の内面に埋没する。

引き上げるは曾祖父の代から愛用している黒弓、それと矢を三本ほど。

竜貴が目を開くと、その両手にはそれぞれ弓と矢が握られていた。

 

「魔法師達には、ちょっと見せられない光景だよね」

 

自身の継承する魔術の異常性くらい、竜貴も理解している。

こんな物を見られれば、魔法師達がいったいどれほど混乱する事か。

 

「さて、もう一つ……『リライト(心技、憑依)』」

 

弓に、受け継いだ魔術刻印に、なにより自身のうちに宿る世界にアクセスし、曾祖父の精神性で自分自身の精神を上書きする。ある種の憑依術であり、衛宮の魔術師からすれば当たり前の様にやっている憑依経験の利用。

それをより高め、今一時……衛宮士郎の精神性を自分自身を媒体に再現する。

 

精神の上書きが進む程、恐ろしいまでに心と視界が澄んでいく。

今まで見ていた世界が、まるで曇りガラス越しだったかのようにさえ思える。

それほどまでに、今の竜貴の世界は澄み渡っていた。

これなら、どんなに遠い的でも必ずや射抜ける気がする。

 

(と、いけないいけない。変に欲を出すと憑依が解ける。

今はとにかく、狙撃手を無力化しないと……)

 

流れるような動作で弓に矢を番え、まず7時の方向の敵に狙いを定める。

矢を引き絞り、敵を視界の納めると……矢が敵の肩を貫く光景を幻視した。

竜貴はそのイメージが消えないうちに、速やかに矢を解き放つ。

放たれた矢は、先ほど垣間見たイメージをなぞるように飛翔し、狙撃手の肩を深々と貫いた。

 

続いて、矢を同時に二本掴み、先ほどと同様に弓に番える。

狙うは4時の方向。ただし、此度の的は二つ。

普通なら二つの的を同時に狙うなど狂気の沙汰。竜貴にも弓の心得はあるが、まともにやれば絶対に不可能。

しかし、今ならできる。近代兵器が幅を利かせ、個人の武勇が取り沙汰されなくなった時代に、弓の英霊へと上り詰めた男を再現している今なら、この程度造作もない。

 

放たれた矢は、やはり過つことなく二人の狙撃手を貫く。

竜貴はそれを確認することなく、構えを解くと深く息をついた。

 

「ふぅ~…………」

 

当たり前の様に敵を捉え、当たり前の様に弓と矢を作り、当たり前の様に弓を引き、当たり前の様に矢を放った。

何一つとして不要な力を込めたりはしなかったにもかかわらず、竜貴の額には玉のような汗がびっしりと浮かんでいた。

 

「まったく、アレを平然とやってのけるって言うんだから、あの人も十分化け物だ」

 

僅かに三射。たったそれだけでも、竜貴にとっては途轍もない集中力を要する作業だった。

弓に刻まれた記憶と、刻印と自身に宿った精神の一部に身を任せただけにもかかわらず、この消耗。

とてもではないが、曾祖父の様に立て続けに放つなど不可能。竜貴では恐らく、キロ単位の精密狙撃は連続で五射が限界だろう。

 

とはいえ、これで一応の目的は達した。

作った矢は当たった瞬間に消したので、狙撃手達からすれば何らかの魔法で打ち抜かれたとしか思えまい。

その狙撃手達にしても、あの傷での狙撃はまず不可能。最早脅威にはなるまい。

そこで竜貴は、懐から携帯端末を取りだし見知った相手にその旨を報告する。

 

「ああ、克人さん。狙撃手がいたんで、とりあえず無力化しておきました。

 後はどうしましょう? え、克人さんと合流? わかりました、じゃそっちに向かいますね」

 

通話を切り、ついでに弓も消して、竜貴は恐らくは最も戦闘が激しいであろう克人の下へと向かうのだった。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

同じ頃、図書館前の広場では、追いついて来た武明と仲間を先に行かせた紗耶香が、竹刀と警棒を手に斬り結んでいた。

 

「おぉ! どうした壬生! お前の剣はそんなもんじゃねぇだろうが!!」

「くぅ、どうしてキャスト・ジャミングが効かないの……!」

(なるほど、そう言う事か。確かにこいつは百人力だぜ!)

 

魔法の発動を阻害し、時に魔法師自身にも作用するキャスト・ジャミングは、魔法師にとって正に天敵と言っていい代物だ。

対抗するには、ただただ強力な干渉力が必要となる。

一科生である武明の干渉力は高いが、それでもキャスト・ジャミングを無効化する程ではない。

もしアンティナイトを使われれば、武明は瞬く間のうちに無力化されていた可能性もある。

そうはならなかったのは、竜貴が渡しておいたブレスレットのおかげ。

武明にはそれがなんであるかは分からないが、これのおかげで闘えている事だけはわかった。

 

「まったく、こんなもんどうやって……良くわかんねぇ野郎だぜ!」

「ぐっ!? なんで、どうしてこんな……」

「いつまでんなもんに縋ってるつもりだ! 剣士が、剣以外を頼みにしてんじゃねぇ!

 お前だって剣士だろ、その誇りはどこに行きやがった!」

 

武明の一撃を受け止めきれず、紗耶香はたたらを踏みながら交代する。

だが押されていること以上、武明の一言が紗耶香に強い衝撃を与えていた。

 

「私の、誇り……? なに、言ってるのよ。私の誇りを、剣を侮ったのはあなたたちじゃない!」

「うぉっ!?」

「魔法が上手く使えないからって、そんな事であたしを否定したのは誰だと思ってるの!」

 

アンティナイトに頼るあまり受け身になっていたのが嘘の様に、激しく責め立てる紗耶香。

意表を突かれたのか、あるいは勢いに呑まれたのか、今度は武明が防御に回る番となる。

とはいえ、剣術と剣道の違いはあれど、武明とて紗耶香に劣らぬ実力者だ。

そう簡単に、勝敗はつきそうにない。

 

「なに、言ってやがる……」

「あの時だってそう! あたしが二科生だから、相手にさえされなかった!

 そうやって、ことあるごとに私の剣を貶めてきたあなた達に、そんな事を言う資格があるの!!」

 

辛うじて紗耶香の猛攻を防ぎながら、武明は困惑の表情を浮かべる。

少なくとも、武明には紗耶香が言うような心当たりはない。

他の連中はどうか知らないが、桐原武明が壬生紗耶香の剣を貶めるなど……ある筈が無いのだから。

だからこそ、そのように誤解される事が武明は嫌だった。

なにしろ、彼にとって壬生紗耶香の剣は……

 

「どいつのこと言ってるかしらねぇけどよ……俺は違うぞ!

 少なくとも俺は! お前の剣を、侮ったり貶めたりした事なんかねぇ!!」

「嘘!!」

 

確かに紗耶香の攻めは猛攻と呼ぶにふさわしかった。

だが同時に、その心の乱れを写す様に荒々しく、故に隙もまたある。

そして、武明の腕を持ってすれば、その隙をつく事は容易い。

 

紗耶香が唐竹に振り降ろそうと大振りになった隙を見逃さず、一気に間合いを詰めて鍔迫り合いに持ち込む。

こうなれば、体格と腕力に勝る武明が有利だ。

しかし彼はそこで押しきろうとはせず、ただ真摯に自身の胸の内を吐露する。

勢いに突き動かされた事は否定しないが、それでもこれは言わなければならないと言う思いがあった。

 

「嘘じゃねぇ! 俺はな、中学時代のお前の剣が好きだったんだよ!」

「ぇ……」

「人を斬る為じゃねぇ、技を競い合うお前の剣を綺麗だと思ったんだ!

 なのに、今のお前はどうなんだよ! いつのまにそんな、曇った剣振るうようになりやがった!!」

 

それは、紗耶香にとって小さくない衝撃だった。

混乱する頭では「好き」や「綺麗」といった単語の意味を正確に拾い上げる事はできないが、それでもわかる事がある。

目の前で必死に叫ぶこの男は、確かに……自らの剣を、誇りを認めているのだ。

 

「私、は……」

「お前の剣は『術』じゃなくて『道』、それがお前の誇りなんじゃなかったのかよ!

 なのに、今お前が振ってる剣と俺の剣、何が違うんだ!

 んなもんはなぁ、俺が認めた壬生紗耶香の剣じゃねぇ!!」

(私、馬鹿だ。私の事をちゃんと認めてくれる人が、こんなに近くにいたのに……)

 

武明の言う事は正しい。今になって、自身の剣が変わり果てていることにようやく気付いた。

毎日振っている筈の自分でも気付かなかった事に、彼は気付いていた。

それこそが、彼の言葉が真実であると言う、何にも勝る証拠に他ならない。

 

劣等感に苛まれて己れを見失っていた自分より、一科生である武明の方がよく見ていた。

その事実に、紗耶香は何故だか泣き出しそうになる。

だがそれでも、彼女とてここで唯々諾々と引き下がる事はできない。

 

「ありがとう、桐原君。でも……ごめん」

「壬生!」

 

紗耶香の謝罪に、一瞬武明の圧力が弱まった。

仕切り直しを図るかのように、紗耶香はその隙に一端距離を取る。

そして、今にも零れそうな涙をなんとか堪え、武明と正対した。

 

「私も剣士の端くれ……言い負かされた位じゃ、引き下がれない」

「……ったく、んなツラで言われたら、野暮な事は言えねぇじゃねぇか」

 

覚悟を決めた、しかしどこか憑き物の落ちた様子の紗耶香に、武明は笑みを零す。

彼には分ったのだろう。今の紗耶香は、彼がかつて『美しい』と思った剣を振るっていた頃の彼女なのだと。

なら、そんな相手と剣を交えるのは、剣士の本懐に他ならない。

 

「来いよ。生憎、今のお前が相手じゃ手加減できねぇけどな」

「魔法は使わないの?」

「新歓のリベンジだ。負けっぱなしは性にあわねぇ」

「馬鹿ね、確実に勝てる方法を捨てるなんて……本当に馬鹿」

「言ってろ。それに、一度……剣の腕だけでお前に勝ってみたかった」

「簡単に勝てると思わないでよ。剣技のみに磨きをかける剣道家は伊達じゃない」

「知ってるよ。この前は、それで痛い目を見たんだから……なぁ!!」

 

気合いの載った一声と共に、武明が間合いを詰める。

それとほぼ同時に、紗耶香もまた武明と呼吸を合わせる様に踏み込む。

奇しくも……あるいは両者狙ったのか、構図は新歓の時と同じ真っ向からの打ち下ろし。

その結果は……

 

「ちっ……カッコつかねぇな、まったく。あの時と違って、狙いを変えたりしなかったってのによ」

 

武明の竹刀は、紗耶香のすぐ横…数センチとなりを空振り。

踏み込みの際に、僅かに斜め前に出ることで、回避と攻撃を同時に行ったが故だ。

反対に、紗耶香の警棒は武明の肩を打ち据えている。

だがそれを、紗耶香は自身の完勝だとは思っていない。

 

「いえ、あの時の私だったら負けてたと思う。今勝てたのは、桐原君のおかげよ」

「テメェでテメェの敗因作ってたら世話ねぇな、おい。

 ……行けよ、負けた俺にはお前を止める資格も権利もねぇ」

 

武明はその場に座り込み、打ち据えられた肩を摩る。

言葉の通り、もう紗耶香を止めようとは思っていないのだろう。

 

「……………はぁ、いいわ。今の一本で、私は十分満足。なんだかもう……疲れちゃった」

 

紗耶香もまた、武明と同様にその場に座り込む。

ただし、堪えていた涙がいい加減限界なのもあって、顔を見られないよう背後に回った上で、だが。

 

(貴方の勝ちよ、桐原君。とてもじゃないけど、勝った気がしない。

 剣の勝負は勝ったけど、こっち()の方は完敗だわ)

(やっぱお前はすげぇよ、壬生。俺も、まだまだ精進が足りねぇな。

 せめてお前から一本取れる位じゃねぇと、告る事もできやしねぇ)

 

などと、お互いセンチメンタルになっているのは良いのだが……ここが屋外であることを忘れてはいけない。

なにしろ、いつ同じ一高生が通りがかるかわかったものではない。

まぁ、既に割と手遅れなのだが。

 

「用件は済みましたか、先輩方」

「うおぅ!?」

「え、し、司波君!?」

「お前、いつから……!?」

 

いつの間にかすぐ目の前までやってきていた達也に、二人は揃って動転している。

いや、正確には達也の他に深雪やエリカ、レオの姿もあるのだが……それどころではないのだろう。

 

「いつから見ていたのかと言うのでしたら、遠目であればお二人が打ち合っている時からですね。

 こういう状況でなければ、見事な試合だったと思いますよ、こういう状況でさえなければ」

「「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ」」

「達也、あんまり虐めてやるなよ」

「まぁ、気持ちは分かるけどね」

「確かに、この状況でその…あのような青春の一幕をされるのは、少々不謹慎かと」

((いっそ殺せ【して】!!!))

 

先ほどまでは勢い任せだったのであまり気にならなかったが、冷静になるとひたすら気恥ずかしい。

それも、後輩から白い目とセットで指摘されるとなるとなおさらに。

穴があったら入りたいとはこのことだろう。…………まぁ、墓穴なら掘っているのだが。

 

「ところで、壬生先輩は……」

「お兄様」

「達也君。それ野暮っていうのよ」

「む」

「で、こっから先はどうする?」

「俺と深雪、それにエリカで突入する。レオは外で待機。侵入者、あるいは逃走者に対処してくれ」

「おう」

「桐原先輩は……」

「俺も残って、そいつと一緒に雑魚を片付けてやるよ。壬生の事も放ってはおけないからな」

「わかりました。行くぞ、二人とも」

「はい」

「おっけー」

 

簡単な役割分担だけ済ませ、達也は深雪とエリカを伴って図書館に突入。

レオは武明と共に紗耶香を守りつつ、近づいてくるテロリストの対処に当たる。

 

各所でも、一高側が有利に事態が進みつつあった。

襲撃者たちが完全に鎮圧されるまで、もうそう長くはかからないだろう。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

襲撃者達の鎮圧が一通り済み、今は遅れて到着した警察による集団犯の検挙の真っ最中。

ただし、それはあくまでも外部から侵入したテロリストたちの話。

テロリストたちに協力した一高の生徒たちに関しては、克人が十師族の影響力を駆使し、今のところは手出し無用と言う事になっている。

もちろん野放しにしているわけではなく、校内で然るべき措置を取った上でだ。

 

そんな生徒の一人である壬生紗耶香は、現在教室の一室を借りて事情聴取の真っ最中。

本人に抵抗の意思が無い事もあり、特に拘束されたりはしていない。

その場には真由美、摩利、克人の生徒首脳陣の他、達也をはじめとした一年生たちも同席している。

 

ただし、その場に竜貴の姿はない。

では、今彼は何をしているかと言うと……

 

「じゃ、二人とも。大丈夫だとは思うけど、寄り道せずに気をつけて帰るんだよ」

「うん、わかってる」

「ありがとう……っていうか、私達小学生じゃないんだから」

「まぁまぁ、こんなことの後だから心配になるのは仕方が無いと思ってよ」

「まぁ、それは……」

 

クラスメイトである、ほのかと雫の見送りであった。

まだやる事があるので駅まで送ると言う訳にはいかないが、それでも仕事の合間を縫って校門まで見送りに来る辺り、割とマメな男である。

 

「ほら、行くよほのか」

「あ、うん。じゃ、竜貴君も頑張ってね」

「気をつけて帰るんだよ~」

「だからそれやめて!」

「ほのかがムキになるから」

「私のせいなの!?」

 

からかった甲斐はあったようで、それまでどこか表情の堅かった二人にも少し余裕が出て来たらしい。

そんな二人を微笑ましそうに見送った竜貴は、とりあえずテロリストたちの攻撃で破壊された校舎の破片などの片づけを手伝いに戻る。

だがその最中、竜貴は校舎裏から見知った顔が出て来た事に気がついた。

 

「あれ、桐原先輩。なんでまたそんな所から」

「おう、衛宮か。ま、ちょっとな」

「あっちは確か……先輩、ホントにストーカーじゃありませんよね」

「んなわけねぇつってんだろ! いい加減はったおすぞ!!」

 

武明が出て来た校舎では、いま確か紗耶香の事情聴取が行われている筈である。

もちろん、竜貴とて武明が本当にストーカーだとは思ってはいない。

ただまぁ、そう言う見方もできるので、ちょっとからかってみただけだ。

 

武明は良く言えば一本気の、悪く言えば単純な男なので割とからかいやすい。

そう言う趣味はないつもりの竜貴だが、周囲……正確には親族の悪影響でも受けたのだろう。

 

「壬生先輩は、どんな様子でした?」

「どうも、妙な誤解があったみてぇだな。いや、アレは誤解っつうよりも……」

「意識操作でもされてました?」

「…………気づいてたのか?」

「いえ。ただ、アレだけの生徒がこんな事に協力してたって言うのはやっぱり不自然なので、正攻法以外も使ってるんだろうな、とは思ってましたけど」

 

幾ら現状に不満があり、耳に心地よい理想を語られたとはいえ、この様な実力行使に少なくない生徒が協力していたと言うのは、やはり違和感を覚える。

それまではまだしも、この段階になればさすがに「おかしい」と気付く筈だ。

にもかかわらず、そういった造反者はいなかった。

となると、彼らの意識を何らかの形でコントロールしていたと考えるのは当然だろう。

 

「お前は行かなくていいのか? 司波たちは同席してたぞ」

「僕はこの前、色々きついこと言っちゃいましたから」

 

あの時は魔術師として、同類であると思っていた相手に対していた。

なので、色々と言い方もその内容もきつい物になってしまったのだが……今は少し後悔している。

言った事は紛れもない本心だが、「まっとうな人間」に向けて語る様な事ではなかった。

 

紗耶香が……いや、多くの魔法師が「ヒト」である事を、あの時の竜貴は理解していなかったのだ。

魔法師とは、自分達魔術師と同じ「正常な営みの外側の存在」と思っていたから。

もっと早くにその勘違いに気付いていれば、もう少し彼女の心に歩み寄ろうとしただろう。

その上で、できる限りではあるものの彼女の力になる事もできただろうに。

それが、今は少しだけ申し訳ない。

 

「…………聞いたぜ。お前、古式の中でも相当特殊らしいな」

「ええ」

「だから、こんなもんも作れるってことか」

 

そう言って武明が差し出したのは、先ほど竜貴が渡しておいたブレスレットだ。

 

「お役に立ちました?」

「ああ。おかげで壬生を引き留める事ができた、感謝してる」

「どういたしまして、騎士(ナイト)様」

「やめろっての」

「武士様の方が良かったですか?」

「そういう問題じゃねぇ。おら、とにかく返すぞ」

 

顔を真っ赤にした武明は、押し付ける様にしてブレスレットを返す。

見る限り、その動作に未練は感じられない。

魔法師からすれば喉から手が出るほど欲してもおかしくない代物だろうに……。

 

「持って行っても良かったのに」

「んなもん下手に持ってたら、後が大変だろうが」

「ま、そうでしょうね」

 

竜貴が所持しているからこそ、余計なあれこれが最小限で済んでいるのだ。

もし竜貴の手元を離れれば、途端に禿鷹連中が寄ってくる事だろう。

 

「それで、この後はどうなりそうですか?」

「司波兄の様子じゃ、連中のアジトに乗り込んで叩きのめすつもりみたいだな」

「まさか一人じゃないですよね?」

「ああ、十文字会頭とあとはアイツのダチ連中も首を突っ込んでくるだろうな」

「なるほど。それじゃ、克人さんに頼んで同行させてもらうかなぁ」

「お前も行くのか?」

「遅かれ早かれあちらは壊滅するでしょうから、わざわざ参加する必要はないんですけどね。

 ただ、僕にも色々とあるので……」

「ダチの為じゃねぇんだな」

「ええ、そんな頼りない人達じゃないですから」

「まぁ、確かにな。ありゃ、そこらの連中よりよほど当てになる」

 

武明にはあまり一科と二科に対する差別意識はないのか、素直にレオやエリカの力量も認めているらしい。

 

「桐原先輩は?」

「わかってて言ってんだろ」

「確認は必要でしょ」

「ちっ…………俺も行く。会頭になんと言われようと、引き下がるつもりはねぇ」

「怪我の方は?」

「大したことねぇよ。壬生が巧い事やってくれたからな……ったく、あいつこんなに強くなってやがったんだな」

 

紗耶香に打ち据えられた肩に手を添えながら、複雑そうに述懐する。

認めた相手が腕を上げていることは喜ばしいが、その背景を思えば忸怩たる思いが溢れるのだろう。

その上、それで自分が完敗を喫したとなればなおさら。

 

「…………得物は?」

「あ? 一応刀を持っていくつもりだ……刃引きはしてあるが、俺には関係ないしな」

「真剣は持ってないんですか?」

「幾ら剣術部つっても、んなもん学生が持ちだせるかよ」

「………………………………………なら、僕が都合するのでそっち使ってください」

「は?」

「それに、どうせ真剣並の切れ味になるんだったら、真剣使った方がいいですよ。

 その分、別の魔法で底上げできるんですから」

「まぁ、そりゃそうだけどよ……いいのか?」

「特別サービスです。桐原先輩の男気に免じて、ね。じゃ、後ほど」

 

そう言い残し、呆気に取られる武明を残して竜貴はさっさとその場を後にする。

 

『肩入れし過ぎ』という事は竜貴とてわかっている。

本来なら、わざわざ武明に武器を貸し出す必要などないし、そもそもそんなことはすべきではない。

衛宮である竜貴の持つ武器とは、それ即ち魔術の産物。

そんなものを外部の人間に持たせるなど、魔術師としては狂気の沙汰だろう。

 

「でも、仕方が無いよね。桐原先輩みたいな人は嫌いじゃないし、それに……」

 

何か、良くない感じがする。

根拠も理由もありはしないが、保険を掛けておかなければならない。

そんな気がしてならないのだ。

 

今回の件には、魔術も神秘も関与していない。

今の所、全ては「人間の世界」の出来事から一ミリたりとも逸脱してはいない。

にもかかわらず、竜貴は魔術師の掟を無視してでもそうしなければならないと感じていた。

 

(まぁ、杞憂だったなら笑い話ですむ。でも、そうでなかったら……)

 

場合によっては魔術師としてですらなく、「魔術使い」として力を振るわなければならないかもしれない。

出来ればそれは、竜貴としても避けたいのだが……。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

時間と場所は移り変わり、竜貴は大型オフローダーに乗って茜色に染め上げられた道路を疾走していた。

目的地は、街外れの丘陵地帯に建てられたバイオ燃料の廃工場。

そこが一連の事件の黒幕「ブランシュ」とやらの根城。

以前竜貴が解析したヘルメットにも、その記録は残っていたので間違いあるまい。

 

現状、生徒会長と風紀委員長が抜けては不味いと言う事で二人は残っている。

代わりに、この車を用意した克人が現場責任者を兼ね、さらに達也と深雪、エリカとレオ、それに武明と竜貴が車に乗り込んでいる。

普通ならあと少しで敵地に乗り込むと言う事もあり、緊張で張り詰めているべき状況なのだが……竜貴が思っていた以上に、友人たちは図太かったらしい。

 

「ねぇ、桐原先輩~」

「んだよ、千葉。気色の悪い声出しやがって」

「あ~、ひっど~い!」

「いや、それは俺も同感」

「なんか言った!」

「いや、なんにも」

「ふん。それより、その刀もう一度貸してくれません?」

「何度目だよ…ったく、そら」

「やた♪」

 

武明は呆れたように、後部座席に座るエリカに持っていた刀をさし出す。

鞘に収まったそれは、拵え自体には特に目を引く物はない。

強いて言うなら、柄の頭に結ばれた赤い紐が唯一目を引く箇所だろう。

ただしそれは、鞘に収まっている分にはの話。

一度鞘から刀身が顔をのぞかせれば、それが生半可なものではない事は素人にもわかるだろう。

ましてや、剣術の名門千葉家の娘であるエリカは、物心ついた頃から剣を握って来たような少女だ。

また、その家名に恥じない剣腕の持ち主でもあるので、柄を握っただけでもその凄さが分かる。

全く刀を抜くことなく、ただ柄に手を添えただけでエリカの表情が凄絶な物へと変わっていく。

それこそ、今にも抜き放ってしまいそうだ。

 

「―――――――――」

「エリカ、お願いだからこんな所で抜かないでよ。ただでさえ定員一杯で狭いんだから」

「わ、わかってるわよ。~~~~~~~~~~~~~っ、ちょっと竜貴君! なんで桐原先輩にだけ貸して、あたしにはないわけ!?」

「え、いや、そんなこと言われても……それに今からじゃどうにもならないよ」

 

『実は幾らでも出せるけど』とはさすがに言えない。

 

「見通しが甘かったな竜貴。桐原先輩ばかり贔屓にすれば、エリカがこうなるのは予想できただろう」

「あ~…うん。確かに、僕が甘かった」

 

別にエリカに対して含む所があるわけではなく、意地悪をしているつもりもない。

ただ単に、すっかり失念していただけの事だ。

エリカの存在を…というよりも、剣士である彼女が超一級の業物を前に黙っていられる筈が無いと言う事を。

剣は取っても剣士としての意識など皆無に等しい竜貴には、その辺りの機微を察する感性がどうにも鈍い。

 

「えっと……なら、僕の使う? 幸い、二振りあるけど」

「やだ。そんな得物使ったことないし」

「ですよね~」

 

竜貴の手には、もっとも使い慣れた白黒の双剣の姿。

日本刀ではなく、大陸系の拵えの短刀だ。ちなみに、こちらにも赤い紐がそれぞれ結われている。

エリカの腕なら使えない事はないだろうが、慣れない得物である事に変わりはない。

こんな時でなければ使ったかもしれないが、これから待ち受けるのは仮にも実戦。

そんな場で、使った事もない種類の武器を取るよりは、使いなれた特殊警棒の方がまだマシなのだろう。

竜貴の短刀に興味が無いわけではないが、その程度の分別をつける冷静さは残っているようだ。

 

「わかった。次の機会があれば、今度はちゃんとエリカさんの分も用意するから」

「絶対よ! 約束だからね! 嘘ついたら剣千本飲ますから!!」

「それは死ぬんじゃねぇか?」

「というか、次の機会なんてないに越した事はないんだが」

 

同級生たちの突っ込みは聞こえていないようで、何やら妙な方向にテンションが上がっていくエリカ。

そんな下級生達のやり取りを苦笑交じりに聞いていた運転席の克人が、そこで今まで閉じっぱなしだった口を開いた。

 

「しかし、随分気に入られたようだな、桐原」

「は?」

「お前も聞いていると思うが、衛宮は最早失われた技法・術法を現代に伝える一族の末裔だ。

 それも、そいつはとりわけ剣を作ることに長けている。衛宮の剣を握る機会など、そうそうあるものではない」

「な、なるほど……たしかにそれなら、千葉の反応もわかりますが……」

「ほんとよ。剣を打つのが専門とは聞いてたけど、まさかこんな業物を。グヌヌヌヌ……!」

 

また悔しさがぶり返してきたのか、形の良い口から洩れるのは最早猛獣の唸り声だ。

折角の美少女っぷりも、こうもとんがっていると見惚れるよりも恐ろしさが先に立つ。

まぁ、それを平然と受け流せるメンツが、この狭い空間には揃っているのだが。

 

「お兄様、エリカがそこまで言う程の物なのですか?」

「俺に聞かれてもな。いくらなんでも、刀の目利きなんてできないぞ」

「へぇ、達也にもできない事ってあるんだな」

「レオ、お前は俺を一体なんだと思ってるんだ……」

「いや、普段が普段だからよぉ、つい」

 

正確に言うと、材質と構造の目利きはできるので、あながちできない訳でもないのだが。

それらの情報から、確かに相当な業物である事は一応わかる。

だがそれ以上に……

 

(確かに業物ではある。だが、なんだこの違和感は?

 これと言っておかしな所はない筈なのに、なにかを見落としている様な……そんな違和感がある。

これは一体……)

 

あるいは、ここに美月がいればその違和感に対する解も得られたかもしれないが、いないものは仕方が無い。

達也にわかるのは、あくまでも構造と材質のみ。

そこに宿る想念や神秘といった物は、彼の目でも読み取る事はできない。

いや、サイオンやプシオンとしてなら読み取れるだろうが、それらは竜貴が施した封印によって隠されている。

変に驚かれないようにするための配慮だったのだが、それが結果的に達也の目を誤魔化すことにも繋がっていた。

 

「桐原先輩、さっきも言いましたけどその紐。絶対に取らないでくださいね」

「ん? ああ、わかってる。だけどよ、それがどうしたんだ?」

「わかりやすく言うと、それって持ってるだけでガンガンサイオン吸っちゃうんです。

 それをその紐で抑えてるんですけど、解くとあっという間にガス欠になりますよ」

「お、おう」

 

それを聞いた武明の顔色が若干青ざめ、達也やエリカなどは興味深そうに観察している。

しかし実はこれ、もちろん嘘。別に封を解いたからと言って、そんなことにはならない。

サイオン…正確には魔力を吸い上げる性質があるのは事実だが、そのためには正しい使い方を知っている事と、正式な所持者である事が必要。

武明はそのどちらも満たしていないので、封を解いても何も起きない。

ただ、その場に閃光弾の如きサイオンの光が生じるだけだ。

 

「そろそろ着くぞ。西城、突入は任せる」

「うす!」

「がんばってね、レオ君」

「いや、なんつーかそんな風に気楽に言われると、逆に気が抜けるんだけどよ」

「まぁまぁ、堅くなるよりはいいじゃ…っ!? 克人さん、止めて!」

「っ!」

 

竜貴の制止の言葉を受けて、克人は即座にブレーキを踏む。

突然の制動に誰もが車内でつんのめる中、竜貴は一人険しい表情で前方を睨んでいる。

 

「あたたた……どうしたのよ、いったい」

「深雪、大丈夫か?」

「はい、ありがとうございます、お兄様」

「…………衛宮、何に気付いた」

 

誰もが現状の確認に意識を取られる中、この中では最も竜貴と長い付き合いの克人は、いち早く事態の異常性に気付いていた。

竜貴は今回の作戦に同行はしていても、あまり率先して参加する気が無いのは彼も承知している。

その竜貴が、それまでのリラックスした態度から一変し、警戒心を隠そうともしない。

その身に纏う空気は、かつて初めて二人が出会った時のそれに酷似していた。

 

「いま、結界を抜けました」

「なに?」

「人払い…じゃないな。むしろ、中の人間を逃がさない、そう言う類の結界でしょう」

「魔術師か……心当たりは?」

「さすがに、結界だけで目星は付けられませんよ」

「やはりか」

(ただ、なんか結界の感触には覚えがあるんだよね。まさかとは思うけど……いやでも、あの連中がこんな所に来るはずないし……)

 

竜貴がわざわざ警告してくると言う事は、それは魔術の側の可能性が高い。

なので、魔術師であると言う事をいちいち確認したりはしない。

とはいえ、特性の関係から空間の異常……例えば、結界の類に敏感な竜貴でも、それだけでどこの術者の仕業かを特定する事は不可能だ。

いや、結界の種類を感覚的に把握できると言うだけど、充分破格と言えるだろう。

 

「できるなら、すぐに引き返してほしいんですけどね」

「逃がさない事を目的とした結界じゃないのか?」

「普通に出ようとしたらね。ま、僕なら迷わず誘導できるからそれは大丈夫」

 

達也の問いに、竜貴はさも当たり前の様に答える。

しかし、それがどれだけ異常なことかは、魔術を知らない達也にもわかる。

術を破ることなく、その隙を抜けるなど……普通できる事ではない。

 

「目的は……わからないか」

「はい。むしろ、なんでこんなことに関与しているのか、こっちが聞きたいですよ」

「……なら、引き返すわけにはいかんな」

「やっぱり、そうですか」

 

竜貴もその答えは予想していたらしく、僅かに肩を落とす。

相手の目的次第では引き返す事も考慮するが、それすら不明では無理な相談というもの。

 

他の面々にしても、今更引き返す気が無いのは明らか。

あとは力づくで追い返すしかないが、この状況ではそれも難しいだろう。

その上、魔術から遠ざけるために魔術を行使するなど、本末転倒だ。

ならば、竜貴にできるのは一つだけ。

 

「なら、一つだけ。向こうでは僕の指示に従ってください。いいですね」

「わかった」

「いいんですか、会頭!」

「桐原、状況は既に変わっている。ここから先、俺達にとっては未知の世界が広がっていると思え。

 だが、衛宮は専門家だ。その指示に従うのが最善だろう。それに従えないのなら、お前は残れ」

「…………わかりました」

 

他ならぬ克人の指示とあっては、武明も否はないらしい。

残りの面々にしても、竜貴が魔術師である事は知っている。

ここから先が魔術の領分であると言うのなら、それに従うのが最善と理解しているのだ。

なにしろ、魔法師の側には魔術に関するほぼ一切の知識が無い。

一体何が起こるのか、それを予想する事すらできない以上、竜貴は唯一の道標なのである。

ただ同時に、それを即座に決定した克人の判断の速さもまた、達也は見逃したりはしない。

 

(やはり、十文字会頭は竜貴と浅くない繋がりがあるのか。

 この判断の速さからすると、恐らく……)

「皆、聞け。俺は以前、衛宮関連の事案に関わった事がある。

 事情があって詳しくは言えんが…………悪い夢でも見ているようだった。

 ここから先は、そう言う世界である可能性が高い。ついて行くのなら、覚悟はしておけ」

「十師族の会頭がそこまで言うほどかよ……」

「なに、レオ君は怖気づいちゃったのかな?」

「んな訳あるか」

「よしよし、私も腕が鳴るってもんよ!」

「お兄様……」

「大丈夫だ、深雪」

 

皆、それぞれに覚悟は決まっているらしい。

竜貴としては一人でもいいから引き返してほしかったのだが……やむを得ないだろう。

 

(最悪、全員纏めて口封じ…か。やだやだ、できればそんなのは御免なんだけどなぁ……)

 

生憎、記憶の操作などは大の苦手だ。

情報漏洩を防ぐには、契約を交わして縛るか、あるいは始末するしかない。

が、これまた契約による縛り(ギアス)なども竜貴は得意ではない。

如何に魔術の心得が無いとはいえ、この人数を相手に一度に契約というと……綻びが出ないか甚だ不安である。

となると、あとは手っ取り早く始末してしまう事だが……

 

(克人さんは当然として、その上達也君と深雪さんまで? 笑えないなぁ……)

 

友人を殺したくないという人間らしい感性の他に、単純な戦力として難敵でもあるので気が滅入る。

とりわけ、達也は色々とありそうなので、極力敵に回したくない。

 

その上、彼の精神性には少し引っかかる物がある。

まだ浅い付き合いなので「気になる」という程度だが、無視できない「何か」がある気がするのだ。

 

「ま、荒事になると決まったわけじゃないし。穏便に済むよう祈ろうよ……祈ってくれるよね?」

「アハハハ」

「お、おう、もちろんだぞ」

「ええ」

「当たり前だろ?」

「……」

「壬生を誑かしやがった奴さえしめられるんなら文句はねぇよ」

(なんか若干名、凄く不安な人がいるんだけど……)

 

好戦的過ぎる友人に、竜貴は別の意味でも頭を抱えたくなるのであった。

 

 

 

  *  *  *  *  *

 

 

 

「パンツァー!!」

 

レオの一声と共に、オフローダーの車体に硬化魔法が発動。

大型車は速度をそのままに工場の門扉に突っ込み、これを吹き飛ばして侵入を果たす。

 

「ご苦労さん」

「おつかれ~」

「な、なんてことねぇよ、これ位」

「疲れてる疲れてる♪」

 

発動時間こそ短いが、さすがにこの規模、その上衝突の瞬間にタイミングを合わせての硬化は負荷が大きかったらしい。

多大な集中力の消費に、レオは見事にへばっていた。

 

「さて……」

「どうだ?」

「……………血の匂いがする。こりゃ、相当死んでるかもしれませんね」

 

眉をしかめ、不快そうに鼻を鳴らす。

以前の様な印象としての血の匂いではなく、正真正銘の血の香り。

扉も窓も閉め切られているせいか、あまり匂いが漏れていないのは、果たして良いのか悪いのか。

 

「達也君、わかる?」

「うっすらとだがな。どういう鼻をしてるんだ?」

「……行くよ。僕から離れないように」

 

達也の質問には答えず、竜貴は皆を先導する様に進み始める。

 

「いいのでしょうか、二手に分かれたりしなくて」

「竜貴の指示に従うのが条件だ。それに、考えている事はわからないでもない」

 

竜貴は恐らく、皆を守るために一塊にさせているのだろう。

この場において、魔術に対する知識と技術を持つのは竜貴一人。

何かあった時に、魔法師である達也達では適切な対処ができない可能性が高い。

そもそも何が適切かすら、彼らにはわからないのだ。

 

魔法師のやり方で適切な対処をする為には、知識を得て実際に検証する事が必要。

だが、今はそんな時間的余裕はない。

ならば、こうして竜貴が守るのが最善なのだ。

 

「なぁ、竜貴。罠とか気をつけなくていいのか?」

「その心配はないよ。さっきの結界も即興だったし、そんなことをする余裕はなかったんじゃないかな。

 魔術的にも物理的にも、これと言って罠らしい物はないから」

「へぇ~……」

(確かに、魔術はともかく通常の罠も、途中までは見当たらない。

いや、奥に進むほど増える罠も全て破壊されている。ここに侵入した、魔術師の仕業か。

しかしこの様子だと、アイツにも何かしらの知覚能力がある様だな)

 

そんな事を考えつつ、達也はエレメンタルサイトを駆使して更に広範囲を視る。

竜貴の言う通り、工場内にはかなりの死体が散乱していた。これでは生存者を見つける方が骨だろう。

だが、達也の眼はそんな中でも数少ない生存者を発見していた。

 

(2、3……5人か。女が二人、男が三人。このうちの誰か、あるいは全員が魔術師)

「みんな、ここから先は結構死体があるから、気をつけてね」

「気をつけるって、何にだよ……」

「ま、変に動揺はするなってことでしょ」

 

目の前をふさぐ扉の取っ手に手をかけた竜貴の言葉に、レオとエリカがいつもの掛け合いで応じる。

達也は今更その程度の事で動揺する事はないが、深雪はそうではない。

少しでも気持ちを落ち着かせられるよう、その手を握ってやる。

 

『キィ』という音と共に扉が開かれると、竜貴の言う通り、そこには惨劇が広がっていた。

 

「うわ……」

「こりゃ、ひでぇな」

「お兄様……」

「大丈夫だ」

「人間業じゃねぇぞ、こんなもん」

 

眼前に広がるは、陳腐ながら「血の海」としか表現のしようのない世界。

床一面を埋め尽くす赤い液体と、そこに散在する肉片の数々。

どれも人間としての原形はとどめておらず、手も足も首も、胴体ですらばらばらに散らばり中身を撒き散らしている。

全てのパーツを繋ぎ合わせたとして、果たして完全に人の形を取り戻せる物がいくつある事か。

そんな、悪趣味なジグソーパズルで埋め尽くされている。

 

「にしても、一体何をどうすればこんな事ができんだ?

 爆弾で吹っ飛ばしたみてぇな有様だぞ」

「……ふん」

 

武明の独白が聞こえていない訳ではないだろうに。

だが竜貴はそれらを一瞥するだけで何も言う事はなく、当然の様に血の海の中に足を踏み入れた。

既に彼の中のスイッチは切りかわり、魔術師としての価値観で占められている。

人間としてであれば犠牲者を悼みもするし、目の前の光景に嫌悪感も覚えるだろう。

だが、今の彼にそんな人間らしさ(余分)はない。

 

それに、この程度の光景であれば、刻印継承の際に垣間見た初代の記憶で見飽きている。

当時は厄介な魔術を継承したと思った物だが、こういう時では耐性ができていてありがたい。

 

「ほら、行くよ」

 

部屋の真ん中で足を止め、皆の方を振り返る。

克人や達也は平然としているが、他の面々は大なり小なり嫌悪感などを抱いているのが見て取れた。

 

竜貴にそれを非難する意思はない。

それは、人として極自然な感情。

むしろ、平然としている克人や達也が普通ではない……と考えて、自分自身もそうである事に竜貴は皮肉っぽい苦笑が浮かべる。

 

とはいえ、皆も覚悟を決めて来たのは嘘ではない。

動揺を残していた者達も、意を決して竜貴の後を追い掛ける。

やがて、目を覆いたくなるような惨劇を除けば、これといった障害もなく竜貴達は工場の奥へと到達した。

達也が視た五人は、この扉の奥にいる。ただし、到着する頃には男の数は一人にまで減っていたが。

そして、竜貴が最後の扉に手をかけ……開けるより前に、中から悲鳴が上がる。

 

「……やめろ、やめてくれ! 金なら払う、何でもする!! 欲しい物があるなら言ってくれ、なんであろうと用意する……だから、だから助けてくれ! あんな、あんなのは嫌なんだ! あんな思いをするのは嫌だ、あんな終わりは嫌だ! 俺は、俺は死にたくない! だから、だからぁ!!」 

 

助命を乞う悲痛な叫び。

だが、竜貴はそれに心を動かされた様子もなく、静かに扉を開く。

明らかになった部屋の中には、それまでとは些か異なる光景が広がっていた。

 

所々に点在する骸。しかし、その状態は他の部屋とは大きく異なる。

まず人間としての原形をとどめ、これといった損壊は見られない。

強いて言うなら、全身から血を噴き出して倒れている位か。

そう言う意味で言えば、他の死体に比べてよほど人間らしい結末を迎えられたと言えるだろう。

だからと言って、それはなんの慰めにもならないのだろうが。

 

そんな部屋の中で、まだ生きている人間が三人。

まずは部屋の中央部にて、跪き必死に慈悲を乞う30前後の細身の男。本来は見事に整えられた頭髪と怜悧さを感じさせる顔立ちの、それなりに「できる風貌」をしていそうではあるが、今は見る影もない。

もう一人は、男の前に超然と立つ白を基調としたドレスの様な物を纏い、頭には頭巾まで被った女性。

この場にはあまりに不自然な衣装だが、それを違和感なく着こなしているのがかえって不自然さを掻き立てる。

最後に、壁際には巨大な鉄塊…否、ハルバートを携えた同様の衣装の女性。ただし、前者がスレンダーなのに対し、こちらは大変豊かな曲線を描いているが。

 

見た所、どうやらこの二人がこの場に侵入した魔術師らしい。

壁際の女のハルバートなら、あの惨劇を生みだしたとしてもおかしくはない。

あんな物を、華奢な女性が振り回すと言う荒唐無稽があり得るのだとすればの話だが。

 

「わかりました。そこまで仰るのでしたら、取引といきましょう」

「ぁ……ほ、本当か! い、言ってくれ! なんだってやって見せる、さあ!」

「では、この実験に協力してください。そうすれば、解放して差し上げましょう」

「ぇ……ち、違う! そうじゃない! それじゃ同じじゃないか!」

「何でもと言ったのはあなたでしょう。ご自分の言葉には責任をお持ちなさい。

 それでは、お互いのためにぜひとも成功してくださいまし」

 

何故かは不明だが、どうやら男は身動きが取れなくなっているらしい。

女は懐から何かを取りだすと、それを男の額に押し当てる。

 

「や、やめ……」

「           」

 

女が何事か呟くと、男の額から光が放たれる。

 

「あ――――――――――ぎ、が? ぎゃ―――――――げ、あ、あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ……………………!!!!!」

 

びくびくと痙攣し、弾かれたように腕や足が暴れ出す。

間もなく手足の毛細血管が限界を迎え、そこから血飛沫が舞う。

 

「耳障りですね。やはり、失敗でしょうか……おや?」

「イ―――――――――――イタ、イ、タ、イタゐ……ヤメ、タ、タス、ケ――――――――――!!」

 

血飛沫は徐々にその範囲を広げ、手足全体からついには胴体、やがて頭部へと達する。

だが同時に、血塗れの身体が膨張を始めた。

細かった四肢が内側から空気を入れられた風船のように膨れ上がり、色白の肌は張りと強靭さを併せ持つそれに変化する。

その光景には、達也でさえも一瞬思考停止する程の歪さがあった。

だが、これを為したであろう女はその赤い瞳に初めて感情らしき物を浮かべる。

 

「まさか、これは……」

「あああああああああああああああああああああああああああああああ…………っ」

 

しかし、その奇怪な変態は間もなく終わりを迎える。

それまで激しく荒れ狂っていた男の身体は、突然糸の切れた人形の様に力なく崩れおち、同時に噴水の様に血を撒き散らして停止した。

男の身体は、その変化に耐えられなかったのだろう。

それを見届けた女は、どこまでも冷静にその結果を分析する。

 

「ふむ……常人では不可。しかし、魔法師であれば多少なりとも可能性はある様ですね。

 あと足りないのは……キャパシティでしょうか。もっと優れた魔法師なら、受け止めきれるかもしれませんね。

 ありがとうございます。おかげで、よいデータが取れました。ご協力に感謝します」

 

深々と、最大限の礼節を以って物言わぬ肉塊に頭を下げる。

その所作が洗練されているが故に、女の非人間的な印象が引き立つ。

深雪達の眼には、人の姿をし、良く見れば深雪に勝るとも劣らぬほど整った顔立ちの女が、得体のしれない怪物にしか見えなかった。

 

「お待たせいたしましたお客様。此度は、如何なご用でしょう?」

「まさかと思ってみれば、本当にそうだとはね」

「竜貴、何か知っているのか?」

 

竜貴の小さな呟きは、数少ない冷静さを保っている達也の耳には届いたらしい。

しかし、竜貴はその問いには答えず、代わりに今も首を垂れる女に向けて言葉の矢を放つ。

 

「じゃあ単刀直入に聞かせてもらうけど、何故お前たちがここにいる――――――――――――――――――――――――――――――――――――アインツベルン」

 


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