Tales of Zero【テイルズオブゼロ 無から始まるRPG】   作:フルカラー

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第50話「筆術師(ひつじゅつし)が見た夢」 語り:ミッシェル

 セリアル大陸西部の孤島に存在するただひとつの町、バレンテータル。芸術家が多く集うこの地には、町を一望できるくらい高い丘がある。今の時刻に見渡せば、海に沈む夕日が幻想的に迎えてくれることだろう。そんな特別な場所に建っている立派な朱色の館が、あたしたちの家なのだ。

 バレンテータルの人間からは『フレソウムの館』と呼称され、町の名所的な扱いを受けることもある。一応言っておくが、ジョークも混じった好意的な扱いであるため、トラブルなどは起きた試しがない。

 父曰く『芸術家には変人が非常に多く、フレソウム家の人間も漏れなく変人。変人同士で気が合うため、この町は平和なんだ』とか。

 

 

 

「って、ちょっと。勝手にあたしを変人にしないでくれる? 父さまったら失礼しちゃうわね。……でもま、そんなことはどうでもいいの。今日は、待ちに待った特別な日なんだから♪」

 

 

 

 一階食堂の、奥に長い高価な食卓に敷かれた、真っ白なテーブルクロス。この見慣れた白には何の衝動も湧かないが、あたしは自席についたまま鼻歌を披露している。食卓の下では、宙ぶらりんの足を躍らせていた。

 

「ハッピーバースデー、メリエル。ミッシェル。今日で八歳になりましたね。今晩の料理は、使用人ではなく私が腕を振るいました。あなた達の大好きな、ダイナミックベリーケーキも用意しましたよ」

 

「お母様、ありがとう!」

 

「わーい! さっすが母さま! お腹がはちきれるくらい食べちゃう~♪」

 

 暗い紅の長髪を後頭部で纏め、美しい夜の湖を思わせる蒼いドレスで身を飾った、威厳ある母――キャロライン・フレソウム。彼女から贈られた、数々のご馳走と優しき祝いの言葉。双子の姉妹であるメリエルとあたしの、八歳の誕生日なのだ。

 今日のための服装でおめかししたあたしたち。頬は、嬉しさによってみるみるうちに紅潮していく。それはもう、真紅の眼と短い髪へ混ざりそうなほどに。

 そして、祝ってくれているのは母だけではない。

 

「……二人とも、誕生日おめでとう」

 

 いつも無口で落ち着いているけれど、冗談を言うのが大好き。髪はスイートポテトの皮みたいな色。クリムゾンカラーのメガネをかけた父――レオナルド・フレソウム。

 

「これからも元気に育ってね。二人はあたし達の宝よ」

 

 柔らかな笑みが素敵で、まるで天使のよう。落ち着いたベージュのワンピースと白いポンチョを纏った、明るい紅髪のお(しと)やかな祖母――ステファニー・フレソウム。

 

「もう八歳か! ついこの間まで、砂の粒くらい小さかったのにな! まだ小さいと言えば小さいけれども。……ガハハハハ!」

 

 タフで豪快で面白く、あたしの悪巧みの相棒。首にかけた濃紅のストールとシックなスーツがダンディ。モンブランに似た髪色の祖父――ヴィジェン・フレソウム。

 身の回りの世話をしてくれる使用人たちも含め、みんな笑顔であたしたちを囲んでくれた。これほど優しい家族が見守ってくれるのだから、毎年、誕生日は楽しみで仕方ない。今年だって、言うまでもないが最高の日となった。

 

 特製の料理とケーキを平らげ、誕生会は終わり全て片付けられた。その後、メリエルだけが家族に呼ばれ、あたしはもう寝るように言われた。しかし詳しい理由は告げられなかったので、どうして別々にされたのか気になってしまう。それが子供心というものだ。

 みんなは再び食堂に集まったようだ。バレないように扉の隙間から、こっそり覗いてみる。

 

「大切な話です。メリエル、よくお聞きなさい」

 

「……はい」

 

 メリエルは怖じ気づいている。母キャロラインが、とっても怖い雰囲気を出しているからだ。けれど叱る時とは別の、真面目な感じでもある。そしてその面持ちのまま、本題が切り出された。

 

「あなたは長女として生まれました。フレソウム家を継ぐため、立派な筆術師(ひつじゅつし)と画家になれるよう励みなさい。それが、あなたに定められた運命なのです」

 

 それは、メリエルの将来を決定づけるための発言だった。

 ――『筆術(ひつじゅつ)』とは。大筆(たいひつ)を用いた魔術のことであり、通常の魔術とは違って詠唱を必要としない。ビットの装飾が施された大筆を使い、文字や絵を描くことによって発動する。この術はフレソウム家が編み出した独自の魔術であり、これを駆使する者を『筆術師』と呼ぶのである。

 ちなみに、フレソウムの名を持つ人間しか筆術を扱ってはいけない――そういう掟となっている。理由は、発想力次第では戦うことにおいて多大な効果を発揮する場合もあるため、争いを好まなかった先祖が筆術師の無闇な増加を防ごうとしたからだ。ビットが世界中にばら撒かれた時代に基本的な術の仕組みが確立され、特に問題も起こらず代々伝わって今に至るのだから、歴代の当主はさぞ真面目な人間ばかりだったことだろう。

 ……とまあ、このように意外と歴史の長いフレソウム家だが、それを継げと言われたメリエルの反応は。

 

「え……!? わたし、筆術師にも画家にもなりたくないわ……!」

 

 先祖が肩を落としそうなものだった。

 

「まぁー、待ちなって」

 

「なんで勝手に決めようとするの!? わたしの将来なのに!」

 

 すぐに反発するメリエルを祖父ヴィジェンがなだめるが、効果は無いようだ。

 

「拒否はできません。これは、フレソウム家の掟なのですから。長女のあなたがフレソウム家の次期当主なのです。この館に封印されている『エンシェントの欠片』については、前々から話をしてきましたね。あれを悪用されないよう守っていく役目も、あなたが……」

 

「嫌よ! 押し付けられた将来なんて冗談じゃないわ! わたしはわたしの夢を叶えるの!」

 

 母の言葉を、精一杯の怒鳴り声で遮った。同時に、席を立って走り出す。食堂の扉を勢いのまま強引に開けると、自室までの階段を全力で駆け上がっていく。あたしはすぐに身を隠したため、彼女には気付かれなかった。

 

「ああ! 待って、メリエル!」

 

 すぐに祖母が追いかけようとする。しかし。

 

「やめとけ、ステファニー。今はそっとしといてやったほうがいい」

 

 メリエルの気持ちを察した祖父が引き止めた。祖母だって、気持ちがわからないわけではない。何も言わず応じるのだった。

 隣では、父が母に物申していた。

 

「……キャロライン、あんな言い方をすれば反発されても仕方ない。メリエルの話も聞いてあげるべきだった」

 

「わかっています。しかしそれでもフレソウム家の現当主として、面と向かって伝えなければならなかったのです。八歳の誕生日に伝えるのも仕来りの一つ。家を継ぐことは伝統を守ることであり、筆術と平和を守ること。とても大切なことなのですから」

 

「……君は真面目すぎる。そこが良いところでもあるんだけどね。とにかく、メリエルには日を改めて話をすることにしよう」

 

 フレソウム家の行く末を案じた内容。確かに重大なことだとは思うが、八歳になったばかりのあたしにとっては、母の真意を理解するのが難しかった。それはメリエルも同じで、やはりこの話をするのは早すぎたのかもしれない。

 ――そんなことを考えていると。

 

「……おや?」

 

 父に見つかった。いつの間にか、扉の陰からはみ出てしまっていたようだ。

 

「え、えへへ……。なんか眠れなくって。トイレ行くのに通りかかっただけだから~」

 

 頭を不自然に掻きながら、バレバレの嘘をついた。すると母は溜息をつき、次のように言う。

 

「……全く、盗み聞きするような子に育てた覚えはありませんよ。心配しなくても、あなたにも話をするつもりだったのに」

 

 

 

 次の日の朝は、文句のつけようが無いほどの快晴だった。そんな気持ちの良い日だというのに、メリエルは二階の自室に閉じ篭ったままであり、朝食には下りて来なかった。昨日のことがよっぽどショックだったのだろう。

 そこであたしは、メリエルの部屋の扉をノックした。家族の誰かに頼まれたわけではない。ただ彼女が心配だから、自分の意思でノックしたのだ。

 

「メリエル、おはよーう」

 

 返事はない。

 

「入ってもいい?」

 

 まだ返事はない。

 

「お腹空いてない? 朝ごはん食べなくていいの?」

 

 これでも返事はない。

 

「じゃあ……うーんとね……」

 

 少し悩み、次の言葉に決めた。

 

「とりあえず、一緒に遊ぶ?」

 

「一緒に? ……いいわよ」

 

 扉の向こうから、振り絞った声が聞こえた。

 

「それじゃ、東の森に行きましょ。準備してねー!」

 

 どうにかメリエルを説得できた。「一緒に」という言葉が気になったらしい。たった一晩だけれど、ムシャクシャした気持ちのまま部屋に閉じ篭っていたのだから、心細かったのかもしれない。

 

 

 

 二人して、問題なく動きやすい服――と言ってもワンピースだが――に着替え、つばが広いお揃いの帽子を被り、バレンテータルの東に位置する森までやってきた。この森は規模が小さく、子供だけで遊んでも危険はほとんど無いのだ。例外はあるのだが。

 早速、あたしはその辺の木によじ登ってカッコイイ虫を探し始める。すると、センスに引っかかるヤツを、もう捕まえた。嬉しくなり、下で待っているメリエルに見せつける。

 

「ねーねー、メリエルー! グレイトフル・シビレニッカド・オオクワガタ捕まえちゃった! こぉーんなにおっきくてカッコイイの!」

 

「その虫、『電気を溜め込んでいて危ないから見つけても触ってはいけない』って、お母様たちから言いつけられていなかった? 早く逃がさないと――」

 

「あ ば ば ば ば ば」

 

 メリエルからの返事の途中でもう既に、電撃を全身に浴びていた。たまらず、ズリズリと木から滑り落ちる。虫はというと、余裕の飛行であたしの手から脱出していった。

 

「……ほらね」

 

 ただ呆れるだけのメリエル。こんな無茶なことをするのがしょっちゅうだから、あたしの扱いに慣れているのだ。

 

「あ、あんがい、たい、した、こと、なかっ、たわ……! うふ、うふふふ……」

 

「その変なたくましさ、誰に似たのかわからないわ……」

 

 まだ痺れの残るあたしを横目に、改めて呆れた。

 

「あーっ!! あの木にとまってるのはトムキャット・クリムゾン・ビートル!! 火傷するかもだけど超捕まえたい!!」

 

「やめておきなさいってば」

 

 あたしは目移りも激しいので、ここぞという時は彼女がきちんと止めてくれる。そんな冷静で優しいメリエルが、大好きである。

 

 

 

「うふふ♪ いっぱい虫が捕れて大満足ー♪」

 

 さっきまでカッコイイ虫でいっぱいだった帽子を被り直す。適当な木を背もたれに選び、よいしょと座って休憩だ。

 

「ミッシェルはいいわよね。毎日が楽しそうで」

 

「え? うん、楽しいー!」

 

 隣に座っているメリエルが、ふと言い放つ。あたしは何の含みもなく普通に答えた。

 

「……わたしも、ミッシェルみたいに自由奔放になりたい。余計なことなんて考えたくない」

 

 彼女の方は、思いつめた様子だった。原因は昨夜のことだろう。ちらっと盗み聞きしてしまったことは遊んでいる途中で謝ったし、この際だから訊いてみようと思う。

 

「筆術師になるのも、画家になるのも嫌なの?」

 

「嫌よ。わたしが決めたことじゃないもの。全部、大人が勝手に決めて『長女だから』と言って押し付けてきた道よ」

 

 不本意を表情に浮かべ、怒りを声に出した。

 自分のやりたいことじゃないから嫌……それは誰にだって有り得る想い。あたしも、専属教師による学習の時間が嫌だ。おかげでそれなりの書物が読める程度には勉強できたわけだが、自分に興味の無いことばかり習わされるから、たまったものではない。メリエルの抱えた問題と比べればレベルが低いとは思うが、それでも彼女に共感するには充分だった。

 

「メリエルに話があった後、あたしも母さまから話をされたんだけどね、『あなたは次女だから何でも好きなものを目指しなさい』って言われたわ。……よくよく考えてみたら、それはそれで母さまからどうでもよく思われてる気がして、なんかイライラするわね……!」

 

 話した直後は特に何も思わなかったが、今頃になって腹が立ってきた。母はキッパリサッパリし過ぎている。

 情けなく眉を吊り上げていると、メリエルが小さく呟いた。

 

「……わたしね、ドレスのデザイナーになりたいの」

 

 少し恥ずかしいのだろうか。顔を、抱えた両膝に埋めていた。

 

「それが、叶えたい夢ってやつ?」

 

「ええ。わたしなりのお洋服やドレスを創って、世界中の人を幸せにしてみたいの」

 

 少しだけ顔をあげた彼女。つば広の帽子の奥では、今日初めての、小さな笑顔を浮かべていた。その変化につられたせいか、あたしも自ずと明るくなる。

 

「すごい! すごいわ、メリエル! とっても素敵な夢よ!」

 

「ヴィジェンお爺様に憧れたっていうのもあるけれどね。おどけているから普段は忘れがちだけど、実は素晴らしくて別の町でも有名なデザイナーだし。いつか連れて行ってもらったお爺様の展示会では、お洋服にずっとうっとりしていたわ。一番のお気に入りはリボンの伸び縮みが自由自在なドレスで、持ち帰りたかったくらいだもの!」

 

 楽しそうに思い出を語るメリエルの姿は、遊んでいた時よりもっと生き生きとしていた。

 

「メリエルって、筆術そのものはどう思ってるの?」

 

「好きよ。筆術師としてのお母様たちのことだって、尊敬しているもの」

 

「やっぱそうよね! 前に母さまや父さまの筆術を見せてもらった時のメリエル、超たのしそうだったもん! 動物の絵が動き始めたところで、特に目が輝いてたわ!」

 

 あたしの言葉に、すごく頷いてくれた。しかし、全てが全て好きなわけではないようだ。

 

「でも、『ソルフェグラッフォレーチェ』だけは駄目。わたしのセンスにそぐわないの。落描きする気も起きないわ」

 

「母さまのお話によく出てくる、白いノッポな人形のことね。『フレソウム家が代々受け継いできた聖なる偶像』っていうくらいだから、あたしたちも描けたほうがいいんじゃない? あたしは、あの人形のデザイン可愛いと思うし。それに、ケチつけてると母さまが『聖なる偶像を侮辱しましたね!? 今すぐ撤回なさい!』とか言ってプンプン怒りそう。そうなるとメンドクサイわよ~?」

 

 メリエルは一瞬だけ考え、すぐに深く頷く。

 

「……そうね、絶対にメンドクサイわね」

 

「でしょでしょ」

 

「人形のこともそうだけれど、お母様は口を開けば『フレソウム家、フレソウム家』って、家のことばかり……。ミッシェルもさっき文句を言っていたし、こっちの気持ちなんてどうでもいいと思っているに違いないわ。……やっぱり筆術師になって家を継ぐなんて嫌! わたしにデザイナーの夢がなかったとしても、わたしのことを見てくれないのなら、継ぎたくないわ!」

 

 固い意志で、感情を吐き出した。話を聞いてあげればメリエルも楽になるかな、と思っていたが、そんな簡単に解消されるものではなかった。

 ……だったら、あたし自身の話もしてみよう。そうすれば、楽になる糸口が見つかるかもしれない。

 

「……あたし、実はね。夢なんて持ってないの。だからメリエルのこと、ホントにスゴイと思ってる」

 

「えっ、そうなの?」

 

 嘘でしょ、と言いたげな表情であたしの方に振り向いた。

 

「ミッシェルは、やりたいことやなりたいものが山ほどありそうなのに」

 

「なんかねー、『これ一つに決めたい!』っていうのが無くて、やる気が色んな方向に広がっちゃってる感じ。だから、夢になりそうなものが見つからないの」

 

「そうだったのね……」

 

 メリエルは真剣に受け止めてくれたらしく、深刻そうな声を出した。嬉しいが、そこまで難しく考える必要は無い。それを次の言葉で伝えた。

 

「でも、だからこそ『何にでもなれる。何でも叶えられる』と思ってる。あたし的にはこれでいいんだけど、テキトーに考えすぎかしら?」

 

「いいえ、ミッシェルらしくて羨ましいわ。不安な気持ちも吹き飛んじゃいそう」

 

「母さまに言われたのと似たような考えになってるのは、ちょっとだけムカつくけどね……」

 

 なんだかんだ言って、本質を母に見抜かれているのかも。そう思うと、苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

 その後は、メリエルのため母や家族を説得できないか、あーでもないこーでもないと話し合った。すると、いきなり何かがピンとくる。

 

「……ねえ、メリエル。いいこと思いついちゃった」

 

「なに?」

 

「いっそのこと、全部なっちゃえばいいのよ。デザイナーも、画家も、筆術師も! そうすれば、母さまだって文句は言えないと思うわ!」

 

 逆転の発想だった。片方を選択するのではなく、全部を選ぼうというのだ。慎重なメリエルも、これにはさすがに。

 

「そんなムチャクチャな……と思ったけれど、いつまでもウジウジしていられないわよね。夢があるなら、頑張ってやってみるしかないかぁ。他に良い手も思いつかないし」

 

「でしょでしょ!」

 

「ミッシェルの柔軟さには敵わないわね。少し大胆でもあるけれど」

 

 やれやれ、といった感じであたしの案に乗っかってくれるのだった。そして、思いついたのはこれだけではない。

 

「あとね、あたしもメリエルの夢を応援する! 手伝っちゃうわ!」

 

「えっ? 嬉しいけれど、どういうこと?」

 

「あたしだって、そこまで筆術師になりたいわけじゃないけど、メリエルと一緒なら頑張れそう! だからとりあえず、母さま、父さま、婆さま、爺さまを追い越すくらいの筆術師を目指してみましょ! 二人でね!」

 

 メリエルはキョトンとした後、ちょっと照れた様子で呟く。

 

「……確かにミッシェルとなら、少しは頑張れそう……かも」

 

「ホント!? じゃあ一緒に修行しましょ! 母さまを黙らせながらデザイナーを目指すには、それしかないわ!」

 

 あたしは胸を張り、自信満々に言い放った。もちろん、家族全員を追い越すなど根拠も途方も無い提案である。けれど、メリエルが安心できそうならそれでいい。心の感じるままに動いていたのだ。

 

「ついでにね。あたしも、あたしの夢を思いついたの」

 

「ついででいいの……?」

 

 メリエルからのツッコミを気にも留めず、すっくと立ち上がる。そして大きく深呼吸し、空を真っ直ぐ指差して叫んだ。

 

「みんなを笑顔にする、最高の筆術師になること!」

 

 宣言のあと、目線をチラッとメリエルに動かす。

 

「どうせ目指すなら高いトコがいい、ってね。どう?」

 

「ミッシェル……それ、とってもあなたらしいアイディアね! ドキドキするけど、ワクワクもあるわ!」

 

 まるで自分のことのように喜んでくれるメリエル。満面の笑みで答えてくれた彼女に向けて、同じくらいの笑みを返す。

 

「にっひ~ん♪ メリエルの夢と、目標がちょっと似ちゃったけどね」

 

「似てるのも双子らしくていいんじゃない? わたしは、悪い気はしないわよ」

 

「……んー、それもそうね!」

 

 顔を見合わせてクスクスと笑った後、メリエルの腕を優しく引っ張り上げる。

 

「んじゃ、二人で母さまのところに行きましょ。これから色々と頑張るんだって、伝えなくちゃ!」

 

「ええ!」

 

 晴れて、メリエルの決心はついた。彼女の憂いが解決に向かっていて心底、嬉しい。

 あたし自身の夢も急に決めてしまったが、大好きなメリエルと一緒であるならば、大変な道を進むことになっても楽しさに塗り替えていけそうだ。

 ……もしかすると、適当に考えているように受け取られてしまうかもしれないが、これでもあたしは大真面目なのだ。

 

 

 

 館に帰りつくなり、家族を集めた。みんな、あたしたちの話をしっかりと聞いてくれた。肝心の母は……。

 

「メリエルだけでなく、ミッシェルもこんなに真剣だなんて。それだけ強い情熱を秘めた瞳で見つめられては敵いませんね。……では、こうしましょう。『デザイナーになるという夢』を叶えた後で、フレソウム家を継いでください。この条件を呑むのであれば許します。筆術師や画家になることも、きちんと約束してください」

 

 と言い、ひとまずメリエルの将来の夢を認めてくれることとなった。それならば……と、メリエルもあたしも承諾するのだった。

 しかし、母は声色を変えて……。

 

「夢に挫折したら、いつでも私の手中に引きずり込んで、次期当主として染め上げて差し上げますからね」

 

 とも、メリエルに告げていた。その手のモンスターか、と胸の内でツッコミを入れた。母ながら大人気なくはないだろうか。

 

 

 

 それからというもの、メリエルとあたしは筆術師になるため、ついでに画家としての技術を磨くため、修行に励んだ。それはやっぱり大変だったのだが、おかげでたくさんの思い出も生まれた。

 

 例えば、十歳の時。

 

「メリエル、『ソルフェグラッフォレーチェ』が上手く描けないの?」

 

「ええ。お婆様からも教わったのだけれど、苦手意識が強いせいなのか、コツがわからなくて」

 

「なら、あたしがコツを教えてあげる。いま描くからよーく見ててね!」

 

「お願い」

 

「例えば足なら、こんな風にヌボーっと線を引っ張って」

 

「あっ」

 

「角をグワッと力強く曲げる」

 

「うん……」

 

「あとはデロデローンと塗り潰すの。これでどう? コツ掴めた!?」

 

「……ミッシェル、あなたの描く『ソルフェグラッフォレーチェ』はとても上手よ。そして、思い知らされたわ」

 

「えっ、なにを?」

 

「やっぱりわたしには、この人形を描くことはできない……。だって……可愛くないもの! 可愛くないものは描けないわ!! でもこのままじゃお婆様に申し訳ないし、お母様に叱られる!! わたしはどうしたらいいの!?」

 

「……まー、えっと……とりあえず、また今度チャレンジしてみましょ。あたしも協力するし。だから……泣かないで。ね?」

 

「…………うん。ありがとう、ミッシェル……!」

 

 メリエルが泣き出すことなんて滅多に無かったから、この時はかなりびっくりした。そして必死の練習が始まり、本人がとりあえず納得できるレベルまで、すぐに達していった。何事に対しても、メリエルは努力を怠らないのだ。

 

 次は、十二歳の時の話。

 

「フレソウム家に代々伝わる大筆のうち、この二本をお前達に託す。メリエルは『魔筆(まひつ)オフェトラス』、ミッシェルは『魔筆(まひつ)ディフポース』だ」

 

「あたしたち専用の筆ってこと?」

 

「そうだ。筆術は大筆でしか描けないし、発動できない。それはお前達も知ってるだろう? これから先、ずーっと使っていくものだからな。自分の手足も同然に扱えるよう、今の内から大筆に慣れておくんだぞ。それがフレソウム家の仕来りでもあるからな!」

 

「魔筆オフェトラス……赤いビットが綺麗ね。気に入ったわ、お爺様。大切にする!」

 

「よろしくね、ディフポース! ……でもちょっと大きすぎて持ちづらーい」

 

「ははは! まだまだ背が足りないから、そんなもんだ」

 

「むぅーっ、これから大きくなるもん! この大筆を軽々と振り回せるくらいに! 家族みんな背が高いんだから、あたしだって余裕で伸びてやるんだからー!」

 

「おう! 元気に術を操ってる姿、期待してるからな! すくすく育てよー!」

 

 そうそう。初めて自分の大筆を手にした時は、体格が全然合わなくて苦労したのだ。現在は、不要なほど身長が伸びてしまったけれど。

 それはともかく、十二歳の少女に身の丈を軽々と超える筆を授けるなど、フレソウム家の仕来りは妙なものばかりだと改めて思い知らされた。

 

 十五歳の時には、こんな出来事が。

 

「メリエルー! 今日からセリアル大陸本土へ旅に出るわよ! ヤツを探しに!」

 

「ヤツって……まさか、お父様が話していた『カミェーシの心臓』、信じているの……?」

 

「もっちのろーん! 食べるだけで、もの凄く画力が上がるんでしょ!? 筆術を磨くなら、食べないわけにはいかないじゃない! 青くて小さな鳥だって聞くから捕獲も簡単そうなのに、なんでみんな狙わないのかしら? 不思議よねぇ~」

 

「だってそれ、お父様お得意のホラ話……」

 

「さ、メリエル。旅の支度をしましょ!」

 

「えっ!? 私は行かな……」

 

「さらば、芸術の町バレンテータル! しばしのお別れ! 画力の根源『カミェーシの心臓』を求めて! いざ、しゅっぱーつ!!」

 

「ちょっと、ミッシェル! 聞いているのー!?」

 

 父の魅力的な話を信じきり、メリエルを無理やり引き連れて、短期間だがセリアル大陸を旅したのだ。当然、そんな都合の良い鳥など存在するはずがなかった。

 けれども旅のおかげで様々な景色や知識に出会えたので、バレンテータルからほとんど出たことのないあたし達にとっては、素晴らしい刺激となった。こればかりは、父のおかげと言っていい。騙されたのではあるが。

 

 十八歳を迎えた頃には、お互いに真紅の髪を長く伸ばし、心も身体も大人のものとなりつつあった。

 

「私もとうとう、メリエルに追い抜かれてしまいましたね。まさかこれほどの早さで成長するなんて……前例がありません。歴代で最も有力な筆術師と言っても差し支えないでしょう」

 

「あたしもそう思う! メリエルの力強いタッチと繊細な色使いは、とてもじゃないけど真似できないわね。筆術が発動するたび感動するし、単純に画家として相当な逸材だと思うもの。月並みな言葉だけど、これこそまさに芸術よ、芸術!」

 

「お母様もミッシェルも大袈裟よ。私は、ただ夢に向かって頑張っているだけ。筆術師も画家も通過点。ドレスデザイナーの勉強はまだまだだから、余裕なんて見せていられないわ」

 

「……ミッシェルも筆術師としてかなり育ってきたと思う。それに独創性が強烈だから、アーティストとしてもやっていけるんじゃないだろうか……?」

 

「父さま、それ本心で言ってる?」

 

「……さすがにこんな冗談は言わない」

 

「なら信じてあげる! 双子の姉妹で、デザイナーとアーティストか……。それも悪くないかも♪」

 

「ねぇ、メリエル。どうしても筆術師として……フレソウム家の次期当主として歩んでいく気は無いのですか? 通過点で済ませるにはとても惜しい実力なのです」

 

「お母様、いい加減しつこいわ。跡継ぎの話は私の夢を叶えてから、という条件だったでしょう?」

 

「メリエルはずーっと本気で頑張ってきたんだから、もう母さまもわかってあげなきゃ」

 

「そうだぞ、キャロライン」

 

「それは……頭では理解しているのですが……踏ん切りがつかなくて……よよよ……」

 

「「「泣き方が古い」」」

 

 両親から賛辞を受けるくらい、あたし達は成長を遂げていた。短いようで長い年月を、苦しみ、楽しみながら過ごしてきた成果である。反発から始まった二人の夢は、意外と着実に現実へ近づいているのだ。

 堅物だった母もすっかり丸くなり、あたし達の一番の理解者となっていた。……もしかすると母は素直になれなかっただけで、本当は最初から……とも考えた。が、確かめようがなく、真相はもうわからない。

 

 

 

 ――そう。真相は『もうわからない』のだ。

 

 

 

 十九歳になってしばらく経過した、晴れの日のこと。

 今日は特別に催すものがある。館のエントランスホールに、使用人も含めてみんな集まっていた。そこには、圧倒的な存在感を放つ真っ白で巨大なキャンバスが、二枚も立て掛けられている。人間の背など優に超えているので、どうやって館の中に持ち込んだのか不思議だったが誰も気にしておらず、この気持ちはすぐに消えた。

 

「わぁー! こんな大きなキャンバス、なかなかお目にかかれないわ。婆さまが用意したの?」

 

「ええ。今日のために取り寄せておいたの」

 

 驚きの声をあげるあたしへ、祖母は微笑みを返した。それを眺めていた祖父が両手を腰に当て、濃紅のストールを揺らしながらガハハと笑う。

 

「なんたって、メリエルとミッシェルが正式に筆術師になった日だからな。俺もステファニーもキャロラインもレオナルドも、異論なく一人前と認めたぞ!」

 

 正式な筆術師になったことと、二枚の巨大なキャンバス。これの関係について、父が語る。

 

「……筆術師は代々、一人前になった証として巨大なキャンバスに作品を描き、現段階での実力を残す。言わば、戒めの儀式だ……」

 

「お父様ったら、何が儀式よ。そんなもの無いでしょう……。みんなして大袈裟なのが好きよね。ただのお祝い会なのに」

 

 お茶目をしたかっただけの父。メリエルから冷ややかに指摘されると、クリムゾンカラーのメガネをクイッと直し、何も語らなかった。代わりに母が返事をする。

 

「そう言われてしまっては身も蓋もありませんが、とにかく、めでたいことには変わりありません。二人の全力を発揮して、それぞれのキャンバスに作品を描いてくださいね」

 

「ええ、もちろんよ」

 

「張り切っちゃうわー!」

 

 その優しき声を受けて、メリエルもあたしも意気揚々とキャンバスに向かう。みんなが見守る中、いざ描くぞと絵筆を手に取った。……その時。

 

「あら?」

 

 あたしの背後で、ゴトッという物音がした。エントランスの扉の方向である。

 

「何あれ……」

 

 あたしだけでなく、みんなが振り返る。すると、扉はいつもの様相ではなかった。いや、扉ではない『何か』に上書きされていたのだ。『何か』は人間が通れる大きさの円形であり、表面は濁った虹色。しかもうごめいており常に模様が変化している。明らかな、異常であった。

 詳しく調べるため、父がゆっくりと『何か』に近づく。そして中を覗こうとした瞬間。

 

「っ!! みんな逃げろ!!」

 

 館中に行き渡るほどの大声を発した。その直後、『何か』から黒ずくめの人間が数人飛び出した。手にはライフルを抱えている。

 

「牽制しろ」

 

 何者かが言い放つ。そしてあたし達に向けてライフルを構え、発砲。大筆を持ったまま、反射的に頭を抱えてしゃがみ込んでしまう。

 ……牽制の言葉どおり誰にも命中しなかったが、他人の家に勝手に上がり込んだ挙句、銃撃を行うなんて。この不届き者達は一体なんなんだ。

 理解が追い付かない中、家族はこの黒ずくめの正体を知っていた。祖父と祖母が怒りに燃える。

 

「エグゾアめ!! 戦力増強のために有用な人材を集めているという噂、本当だったか!」

 

「だとしたら狙いは……メリエルね!」

 

 エグゾア……確か、戦闘組織エグゾアのことだ。いつからか設立され、圧倒的な武力と技術力を用いて世界征服を目指し暗躍しているという話を、町で耳にしたことがある。目の前にいる黒ずくめの奴らが、その戦闘員らしい。ということは、あの『何か』はエグゾアの技術力で造り出された転送空間なのかもしれない。

 

「このような時に限って、大筆が手元に無いなど……!」

 

 母は悔やんだ。今、大筆を握っていて筆術を発動できるのは、新米のメリエルとあたしだけ。しかも、戦闘員が行う足元への正確な銃撃によって行動範囲を制限されており、家族が大筆を取りに戻ることなど不可能。その間、転送空間からエグゾアの戦闘員がどんどん出現してしまう。

 もう打つ手は無いのだろうか……。あたしはただ怯えていた。しかし、傍らでは。

 

「私だけでも、みんなを守るしかない……!」

 

 額から冷や汗を流しながら、メリエルが覚悟を決めていた。彼女は、大筆に備わったビットを輝かせると、筆先に黄色の絵具を満ちさせ。

 

「ホワイトフラッシュ!!」

 

 素早く『光』の文字を床に描き、筆術を発動。三名の戦闘員の足元から白き光の柱を立ち上らせ、そのまま包み込んでダメージを与えた。痺れたのか、床に倒れて痙攣(けいれん)を起こしている。

 

流蒼(りゅうそう)、渦を巻かん! コバルトタイフーン!!」

 

 やっつけた戦闘員には目もくれず、メリエルは即座に次の筆術を放った。蒼い絵具で『渦』の文字を描いて、水の竜巻を生成。先ほどよりも級が上の筆術であるため、更にたくさんの戦闘員を竜巻の中に閉じ込めて、溺れさせた。エントランスホールの半分が水浸しになり、壁や階段に破損箇所も多く出たが、そんなことを気にしている余裕などあるはずがなかった。

 順調に戦えているように見えるが、倒しても倒しても、玄関に造られた転送空間から戦闘員が無数に湧いて出てくる。一人分の筆術では対処が追い付かない。

 

「いくらなんでも数が多すぎるわ……!」

 

 筆術を攻撃だけでなく防御にも使用したが、戦闘員達はじわじわと距離を詰めてくる。そしてついに……。

 

「こ、来ないで! ……きゃっ!?」

 

 一人の戦闘員が、筆術を掻い潜ってメリエルの腕を掴んでしまった。こうなってしまってはもう、筆術は発動できない。だが、これで全てが終わったわけではなかった。

 

「メリエルから離れなさい!!」

 

「お婆様!?」

 

 祖母がメリエルと戦闘員の間に割り込み、なんとか引き離そうとしたのだ。しかし、戦闘員の腕を剥がすには、祖母の力では全く足りなかった。

 

「邪魔だ」

 

 別の戦闘員が鬱陶しげな様子を見せつつ、祖母の側頭部に銃口を突きつける。そして。

 

「あ」

 

 引き金は、いとも簡単に引かれた。祖母は何が起こったかわからないまま……横から頭を撃ち抜かれたのだ。

 

「お婆様ぁぁぁっ!!」

 

 メリエルの眼前に広がった惨劇。

 

 あたし達の白いキャンバスを、絵具ではなく……祖母の血飛沫(ちしぶき)脳漿(のうしょう)が塗った。

 

 祖母は撃たれた衝撃のまま背中から床に倒れる。

 

 その場に広がる血は、彼女のお気に入りだった白いポンチョにも染み込んでいく。

 

 ……誰の目にも即死と映った。

 

 みんな、何も喋れなかった。

 

「うっ!?」

 

 動揺は隙を生む。メリエルは腹部に殴打を喰らい、気絶させられてしまう。彼女を運ぶための戦闘員も増え、連れ去られるのは時間の問題だった。

 

「ちょっと、なにこれ、もう、なんなの、ホントに……」

 

 あたしは、呆然としたまま何もできない。立っているのに、大筆を握っているのに、手足が震えて動けない。現在の状況をわかってはいるが、わかってはいるが、わかってはいるのだが、わからないのだ。

 

「ステファニー!? メリエル!? ……エグゾアァァァ!! 貴様らあああああ!!」

 

 混乱する中、祖父の激昂が館を揺らした。果敢にもメリエルの元へ飛び込み、戦闘員達を殴りつける。だが、やはり他の戦闘員から複数回の銃撃を受け、重傷を負ってしまう。……シックなスーツが否応無く血で滲む。

 

「ちくしょう……ちくしょうっ……!!」

 

 激痛に震えて床に這いつくばっても、まだ戦闘員を睨み付ける祖父。そこまで状況が悪化したところでやっと、あたしは我を取り戻した。

 

「なにやってんのよ、あたし……!! 戦うのよ、ミッシェル!!」

 

 無理矢理にでも己を奮起させ、治癒の筆術であるレストアを発動しようとする。祖父を救うのだ。

 

「全快の小箱よ、具現し跳ね飛べ!」

 

 輝く絵具で筆先を満たし、レストア発動のため床に救急箱を描き始める。しかし、そのスピードはメリエルに到底及ばない。襲ってくれと言っているようなものである。現に一番近くの戦闘員が、ライフルの狙いをあたしに定めていた。

 

「ミッシェル!!」

 

 それを察知した祖父が、全ての体力を使って起き上がる。多量の血を吐いても構うことなく、あたしを突き飛ばした。

 

「爺さま!?」

 

 おかげであたしは助かった。……無論、代償は大きい。再び床に転がった祖父が、あたしの顔を穏やかに見つめる。

 

「怪我……無いな……。よかった……――」

 

「そんな……爺さま!! 爺さまぁーっ!!」

 

 あたしの身代わりとなって受けた銃弾が、とどめとなってしまった。祖父はゆっくりと目を閉じ、息を引き取った。

 いつの間にか、母や父、使用人達も戦闘員に立ち向かっていた。みんな、煮え滾る憎しみを押さえ、どうにか冷静に対処しようとしているように見えた。が、空しくも適当にあしらわれるか、反撃の銃弾を受けるだけ。ほとんど意味を成していなかった。

 運ばれていくメリエルは……たった今、転送空間を通り抜けてしまった。祖母と祖父に続き、メリエルまでも失ってしまったのである。

 

 ――どの戦闘員が連れて行った?

 

 ――どんな顔をしていた……!?

 

 ――メリエルをさらったのは、どいつだ!?

 

 今さら夢中になって何を思おうとも、手遅れだ。後悔と虚無感が、あたしや家族達をまとめて飲み込んでいく……。

 こちらの失意を余所に、戦闘員同士で会話が始まる。

 

「標的の身柄確保は完了した。あとはどうする?」

 

「特に命令されていない。いつも通りでいいということだ」

 

「では……」

 

「構えろ」

 

 奴らから、躊躇など微塵も見受けられなかった。全ての戦闘員が、ライフルをあたし達に向けたのだ。

 

「!!」

 

 迫る死。緊張で時流が凍てつく。

 戦闘員から発砲の合図が出るまでの一瞬で、各々が咄嗟に行動した。

 あたしは大筆を手放し、また頭を抱えてしゃがみ込むことしか出来なかった。……こんな情けない死に方をするなんて、夢にも思わなかった。

 

「撃て」

 

 執拗なまでに長い銃撃。銃声も尋常ではない。必死に耳を塞いだ。

 ……だが不思議と、痛みは感じなかった。怖いが、目を開けてみる。

 

「え……うそ……なんで……? どうしてなの……!?」

 

 よく見ると、両親も使用人も全員が……あたしを覆い隠すような形で盾となっているではないか。

 

「しっ……」

 

 あたしに面と向かっている母が「喋るな」と合図を出した。でも、後ろでは……悲鳴を押し殺した声や、呻き声、ばたばたと倒れていく音が聞こえる……。流血も、この位置から見えるくらいに広がって……。

 

 

 

 何故みんな、あたしを守るのか。

 

 どうせなら、ここで一緒に死なせてほしい。

 

 たとえあたし一人が生き残ったところで、意味など……。

 

 

 

「攻撃、やめ!」

 

 銃声が止む。命令を出した戦闘員は、先ほどまで人間だった塊を作業的に見つめた後、次の指示を出した。

 

「最早、誰も生きてはいないだろう。各員、撤収せよ」

 

 虐殺を完了した戦闘員達は、足早に転送空間へ入っていく。最後の一人が入ると転送空間は音も無く閉じ、上書きも解消されて元のエントランスの扉が現れた。

 ホールは何事も無かったかのように静まり返る。全て、終わったのだ。……あたしは無傷のままだった。

 

「父さま……みんな……」

 

 クリムゾンカラーのメガネが、冷たい床をカツンと鳴らす。

 まだ温もりの残る、血塗れた亡骸達。彼らを抱き、悲嘆と憎悪の涙を流した。

 

「エグゾア……絶対に許さない……。絶対に復讐してやるっ……!!」

 

「……おやめなさい、ミッシェル」

 

 ――まだ、母だけは息がある。しかし、憎しみにまみれたあたしに喜ぶ余裕など無かった。

 

「やめろですって? 母さま、なにバカなこと言ってるの! みんな死んじゃったのよ!? あいつらに復讐しなくてどうするのよ!!」

 

「確かに無念だけれど……もっと大事なことが……あるじゃない……」

 

 頭部を筆頭に、全身の銃創から体外へ流れていく母の血液。美しき夜の湖のようだったドレスは、もはや真紅の海。取り返しはつかなくなっていた。母の凄惨な姿を目の当たりにしてようやく、あたしは激怒の中に冷静さを甦らせることができた。

 

「エンシェントの欠片を……悪用されないよう、これからも守ること。そして何よりも……」

 

 優しき笑顔を見せる母の、最期の願いを聴く。

 

「メリエルを……助けてあげて。もうあなたしか……残っていないのだから……」

 

 

 

 ‐Tales of Zero‐

 

 第50話「筆術師(ひつじゅつし)が見た夢」

 

 

 

 ――絶望の中。母やみんなは最後の希望としてあたしを守り、未来を託したのだった。

 

「かあ……さま……」

 

 溢れる涙が、後頭部まで届こうとしている。

 ここはフレソウムの館であり、あたしの自室だ。しかし、先刻まで見ていた館とは決定的に違う点がある。――ここは、『現実の』フレソウムの館だ。

 次の目的地であるエグゾアテクノロジーベースを目指す途中、休息と準備を兼ねて、芸術の町バレンテータルのフレソウムの館……つまりあたしの家に、皆で泊まっているのだ。さすがにあたしだけは自分の部屋を使い、皆には客室を使ってもらっている。

 

「……久々に見ちゃったわね。懐かしくて、優しくて、心の底から幸せで……最低最悪な、忘れられないあの夢」

 

 涙を拭い、上体を起こす。窓からは清々しく朝日が差し込んでいるが、気分はベリーバッドだった。

 

「久しぶりに家に帰ってきたから、思い出しちゃったのかしらねぇ。ほんっと最悪……」

 

 片手で額を押さえ、うなだれるしかなかった。

 

 ――あのあと、異変に気付いた町の人達が館まで駆けつけてくれた。その時に知ったのだが、エントランスの扉の外側に奇妙な装置が取り付けられていた。それが、大規模な転送空間を生み出すための装置だったのだろう。おそらく、あの日の作戦のため事前に設置していたのだ。もっと早く気付けていればと、悔しくてたまらなかった。

 他にも後悔していることがある。エグゾアと満足に戦うことが出来なかった自分に対しても、不甲斐なさでいっぱいだった。この時から、よりいっそう筆術の修行に熱を入れ始めたのだ。それこそ、最高の筆術師であるメリエルを目標にして。

 惨劇の現場であるこの館を、手放すべきかと考えたこともあったが、すぐに撤回した。やはり、かけがえの無い思い出の詰まったこの場所を手放すことなんて、あたしには無理だった。だから、たまに辛いことを思い出しても、現在まで頑張って来られたのだ。

 

「そういえば、あの時から始まったんだっけ。白いものを見たら絵を描きたくなっちゃう癖は。……早く白を塗り潰さないと、記憶が勝手に甦ってしまいそうで、不安になるのよね。『血で塗られる前に、あたしの筆で色を塗ってあげなきゃ』って……」

 

 祖母が射殺されたことによって脳裏に刻まれた、血塗られたキャンバス。自分でも知らない内に、心的な外傷……いわゆるトラウマとなってこびりついていた。このことに気付いたのは、ゾルク達と出会う少し前のことだった。

 ゾルク、と言えば。初めて会った日も、絵の練習と称して真っ白なキャンバス――トラウマと向き合っていた。結局、無意識に絵を描き始めていたのだが。こんな変な癖は、メリエル救出を機にして乗り越えたい。

 ……同時に、失敗も思い出す。初対面であるはずのゾルクの口から「メリエル」という名前が出てきて、気が動転して大筆で頭をぶん殴ったこともあった。あれは今でも申し訳ないと思っている……。

 

「おーい、ミッシェル。おはよう。もう朝だぞ」

 

「ひえっ!? ご、ごめんなさい!!」

 

「え? 何が?」

 

 自室の扉の外から聞こえた、ゾルクの声。思いふけっていたあたしにとって、それは不意打ちでしかなかった。

 怪訝そうな返事をする彼に対し、慌てて言葉を選ぶ。

 

「え、えーと、その……ほら! 寝坊しちゃったからよ! 寝ぼすけさんのゾルクが起きてるってことは、他のみんなももう起きてるのよね!?」

 

「さらっとヒドイこと言わないでくれよな。……その通りなんだけど」

 

 ゾルクは小声でちょっとだけ不貞腐れた後、気を取り直して返事をした。

 

「みんな起きてるよ。でもミッシェルにとっては久しぶりの実家なんだから、ゆっくりしたかっただろうし寝坊するのも仕方ないって、みんなわかってくれるさ。食堂で待ってるから、準備ができたら来てね!」

 

「わかったわ!」

 

 彼の元気な声を浴び、いつも通りのテンションは取り戻せたつもりだ。さあ、あたしの今日が始まるぞ。

 

 ――あたしの名前はミッシェル・フレソウム。日々を必死に生きてきて、二十二歳となっている。

 母の最期の言葉が無ければ、きっとあたしは、何も顧みることの無い復讐鬼と化していた。あそこでみんなが守ってくれなければ、救世主として戦闘組織エグゾアに挑んでいるゾルク達と出会い、共にここまで到達することなど無かっただろう。

 だからあたしは一生、みんなに感謝し続ける。そしてみんなの分も生き抜いて、『昔からの夢』と『今のあたしの夢』を叶えるのだ――

 

 身支度を終えると、最後に相棒の大筆『魔筆ディフポース』を握り締め、改めて決意する。

 

「絶対に助け出すから、あと少しだけ待っててね。メリエル……!」


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