Tales of Zero【テイルズオブゼロ 無から始まるRPG】 作:フルカラー
ジーレイ達がネアフェル神殿へ出発して、すぐ後。俺はマリナが眠る一室の前まで来た。部屋から部屋へは目と鼻の先しかないのに、果てしなく遠かった。
勇気を振り絞って扉をノックし、恐る恐る部屋へと踏み入る。するとマリナの傍には老師、ターシュさんが。付きっきりで看てくれていたらしい。俺が目を覚ました時と同様の献身的な姿である。
「おや、ゾルク君かい。おはよう」
俺に気付いて挨拶してくれた。太く長い白眉や蓄えられた白髭に隠されて表情はよく見えないが、きっと笑顔だったに違いない。そう思わせるくらい優しい声で迎えてくれた。
「おはようございます……」
対して俺の返した挨拶は、暗く落ち込んでいた。そして声色もそのままに問う。
「……あの、ターシュさん。マリナの身体が魔力の塊だっていう話……」
「信じられんかもしれんが……事実じゃよ。それもただの魔力ではなくエンシェントビットのような魔力での。体内の臓器や骨格などは普通の人間と同じように存在するんじゃが、それらは全て魔力で形成されておる。そして血液は流れておらん。代わりに魔力が循環しているとでもいうべきか……。とても不思議な身体構造なんじゃ」
「そうなんですか……」
冗談のような内容だが、ターシュさんは真剣そのもの。信じる以外に無い。
「ソシアさん達のおかげで怪我自体は治っておるが、魔力が多く流れ出てしまったせいで意識が戻らん。ほれ、右手を見てみい。この魔力充填器を使い、エンシェントビットの魔力を吸収せねばならん状態じゃ」
語るターシュさんは溜め息を混じらせていた。確かに、マリナの右の手首には金色の機械的な腕輪が装着されている。
「マリナさんの生命活動は問題なく続いておるが、目覚めるには君の存在が必要不可欠。さあさ、どうか傍へ」
「……はい」
言われるがまま、俺はマリナに一番近い椅子へと座る。反対にターシュさんは立ち上がった。
「さて、老いぼれはそろそろ休憩したい。席を外すとしよう。ゾルク君、後を頼むでな」
きっと、今の今まで休みなく看病してくれていたのだろう。腰を軽く叩きながら出口へと歩き始める。
「わかりました。ゆっくり休んでください」
俺の言葉を受け取ると黙って頷き、退室していった。
元々は研究室だったという、それなりに広い部屋。その片隅に俺とマリナの二人だけとなった。……ただ居るだけではなんだか気まずく感じてしまうので声をかけてみる。内容は、マリナに伝えておきたかったこと。
「俺さ、自分の身体からエンシェントビットを取り除けないって知ったショックで、周りが見えなくなってた。マリナのことも心配できてなかったよ。本当にごめん。それと……救ってくれてありがとう。君が命を懸けてくれたから俺は今こうして、ここに居られるんだ」
穏やかな寝顔を見つめながら気持ちを明かしたが……なんだか顔面が熱い。心臓は、ドキドキしているのが嫌でもわかるくらい強く鼓動する。恥ずかしくなってしまったのだ。首を横に大きく振って誤魔化す。
……いやいや、どうして誤魔化しているのだろうか。誰も見ていないのに。わけがわからない。
深呼吸の後、気持ちを整えて再びマリナに話しかける。
「眠ってる間に言ってもしょうがないか。ちゃんとお礼を言いたいし、早く良くなってくれよ。……俺がついてるからさ」
さて、これからやるべきことがある。いざ意識すると言い知れない緊張が始まったが、皆に頼まれたからには遂行するしかない。そう思い……マリナの右手をしっかりと握った。
「……うわっ!?」
その時である。
とても強い刺激の光に照らされ、景色は……虹色に染まった。どこから始まった光なのかわからないまま反射的に目を瞑った――
‐Tales of Zero‐
第38話「光」
――刺激が薄れ、目が慣れた頃合い。俺はもう魔術研究所の一室には居ないらしい。その証拠に、浮いて漂う感覚に見舞われている。
「この光、この空間……。いつか『謎の声』を聞いた時と似てる」
だが、前と違って身体は自由に動かせるし、暗黒に包まれているわけでもない。虹色の輝きは温かく居心地がいい。妙な安心感があるのだ。
異変はこれだけではない。辺りを見回そうと思って視線を左に向けると、そこには……。
「えっ! マリナも一緒!?」
なんと眠ったまま俺のすぐ隣で、同様に虹色の輝きの中を漂っているのだ。そして間も無く意識を取り戻す。
「ううっ……」
「あ……! 気がついた!」
「ゾル……ク……?」
うっすらと開けた目で俺の顔を捉え、名を呼ぶ。それからほんの少しの間だけ、ぼうっとしていた。けれども目の前に俺が居ることを認識した途端、翠色の眼は大きく見開かれた。
「ゾルク……!! 本物の、普段のお前なんだな!?」
「そうだよ、いつも通りの……おわっ!?」
目覚めたばかりだというのにマリナは勢いよく飛びついてきた。……予期せぬ行動である。俺は硬直し、何も反応できない。
「よかった……フィアレーヌの
俺の背中へ両手を回し、黒髪を胸に当て、強く抱き締めてきた。嬉し恥ずかしの状況だが、彼女の力は少々過剰であった。
「ちょ、ちょっと、マリナ……ぐるじい……」
「あぁっ……わ、悪かった。私としたことが、柄にもない行動を……」
声にならない声を受け取ると、申し訳なさそうに解放してくれた。そんな彼女に笑顔で返事をする。
「……えへへっ。こうして息苦しくなれるのは君が救ってくれたからだよ。あのままフィアレーヌに操られてたらきっと、二度とこんな気持ちは味わえなかっただろうし。マリナ、本当にありがとう」
面と向かい、きちんと感謝を伝えることが出来た。ところがマリナは顔を伏せてしまう。
「私は……そんな身体になってしまったお前に対して、未だに責任を感じている。だから身を挺してでも救うべきだと考えていただけのこと。礼を言われるような立場ではないさ……」
彼女の姿は、まるで怯えているかのよう。罪悪感に
……違う。マリナがそんな思いを抱く必要はない。
「あーもー! 悪いのはデウスだろ! マリナも被害者なんだ、ってスメラギ城で話したのに忘れちゃったのか? 一緒に悩みながら頑張っていこうって言ったのも覚えてない?」
そう伝えると、マリナは顔を伏せたまま心情を明かし始める。
「……自分自身が何者なのかという謎と、増大する責任感が
「あっ……」
言われて初めて自覚した。俺は無意識に
「そっか。俺の弱い部分、隠し通せてなかったんだな……。ごめん……」
迷惑をかけていたと知り、落ち込んでしまう。しかしマリナは慌てて否定した。
「待て、お前こそ謝る必要は無い! 原因は私に……」
途中まで言いかけ、ハッと何かに気付いて仕切り直す。
「……いや、こんな風に堂々巡りしているからいけないんだ」
すると気持ちを整えるように瞑想した。
何秒か過ぎて再び目を開けた時、マリナは何かが違っていた。
「深く考えたり過度に気負ったりしたところで
反省も含め、しがらみをなんとか吹っ切ったようだ。柔らかな表情を浮かべている。
「……うん! そっちのほうがマリナらしいや」
彼女の顔を見て俺の不安も和らいだ。この話題は、これで終わり。
「ところで、この不思議な空間は一体なんなんだ? エンシェントビットの光によく似た景色だが……。それに、私が眠っている間に何があったのかも教えてほしい」
マリナはこの空間へ疑問を抱き、更に現状報告を求めてきた。伝えるべき内容は多々ある。しかし彼女の正体については話すべきか迷うところ。
「俺にもよくわからない部分があるけど、知ってる限り教えるよ。……ショックを受けるかもしれないような話もあるんだけど、それも含めて聞きたい?」
事の重大さを察するよう仕向け、本人に判断を委ねた。そして返事は。
「……頼む」
「本当にいいんだな?」
「私はもう惑わされないと、さっきも誓った。だから聞かせてくれ。どんな内容だろうと受け止めてみせよう」
確かな意思の
「わかった。じゃあ、話すよ」
――秘境ルミネオスに訪れてからのこと。この空間が、俺が『謎の声』を聞いた時のものと似ていること。そして……マリナの身体が魔力で形成されているということ。全てを伝えた――
その後のマリナは何とも言い難い感情に包まれているようであった。無表情のまま静かに呟く。
「私は……普通の存在ではなかったのか」
「……こんなこと知らされても、やっぱり複雑だよな」
マリナの反応を見て少し後悔してしまった。いくら彼女が願ったとはいえ、あまりにも衝撃的な真実である。心に傷を負ってもおかしくないだろう。……けれど当の本人は。
「複雑、か。そう言われればそうでもある。自分の正体が魔力の集合体だと考えたことなど、あるわけが無いからな。……だが真実を知ったところで違和感は生まれない。むしろ妙に納得できてしまう。私は自分の身体のことを潜在的に自覚していた、あるいは過去に記憶していたからこそ、生身で攻撃を受け止めるという無謀に至ったのかもしれないな」
想像より遥かに落ち着き、真実を受け止めていた。
マリナの決意が伊達ではないことを再確認させられた。一瞬でも後悔してしまった自分が情けない。
しかしマリナに関する謎は深まるばかり。なぜ彼女は魔力集合体なのか。どうして記憶に曖昧な部分があるのか。これらの理由を教えてくれる人物など、どこにもいない……。
「――ゾルク・シュナイダー、マリナ・ウィルバートン。私の声が聞こえますか?」
肩を落としていた、まさにその瞬間。
どこからともなく優しげな女性の声が響いてきた。咄嗟に色んな方向を見るも、やはりこの空間には俺とマリナだけ。
「何だ、この声は……!?」
マリナは警戒するが、俺は違っていた。不意を突かれて驚きこそしたものの、慌てる必要は無いとわかったから。
「マリナ、これが『謎の声』だよ!」
そしてすかさず声の主へ返事をする。
「……ああ、聞こえてるさ。いるんだったら出てきてくれよ」
「今、姿をお見せします」
声の主は素直に応じてくれた。すると俺達の目の前に白い光の粒が集結し始め、人の形を成していく。
――全体的に緩く波打った
俺はあまりの美しさに緊張してしまったが、辛うじて声は出せた。
「あなたが『謎の声』の正体……?」
「はい。グリューセル国と魔皇帝に全てを捧げた
「こ、皇后!? つまり、ジーレイの奥さんなのか……!」
謎の声の主――リリネイアさんは無言で頷き、俺達が漂う不思議な空間について述べる。
「この空間はエンシェントビットの意識の中であり、現在あなた方の意識だけをこの場に連れてこさせてもらっています。エンシェントビット自体が不安定なため、以前ゾルクに接触した時は声を届けることしか出来ませんでした。けれども今は秘境ルミネオスの特殊な魔力環境があります。だからこそ、より鮮明に意思の
宿る者達……? ということはリリネイアさん以外にも誰かいるのだろうか。そもそもエンシェントビットに人間が宿っている理由がわからない。
「ゾルク、あなたには……謝罪の言葉をいくら並べたところで足りません。そしてマリナ。あなたは自分の正体について悩み、苦しんでいましたね。私はエンシェントビットの内側から、あなた方を見守ることしか出来ませんでした。本当に申し訳ございません……」
彼女の声色は、後悔に打ちひしがれているかのようにか細いものであった。それでいて俺達の心を慰めるように包んでいく。
これまでの出来事をリリネイアさんは全部見ていたようだ。それなら話が早い。ジーレイの胸倉を掴んだ時と同様、怒りをぶつける。
「ま、まったくだよ。俺がどれだけ迷惑してると思ってるんだ……!」
……ぶつけてはみたものの、本当はわかっていた。当たり散らしたところで何も解決しないことを。それにジーレイやリリネイアさんだって、実は苦しんでいるかもしれない……。
「せめてもの罪滅ぼし……とするのもおこがましいですが、エンシェントビットにまつわる全ての真実をお伝えしたいのです。この空間へあなた方をお招きしたのもそれが理由。どうか今だけでも耳を傾けてください」
悲しい表情で懇願するリリネイアさんの翠の眼は、僅かに潤んでいるように見える。そのせいで、というわけではないが……冷たい態度をとってしまったことは流石に反省した。けれども言葉にして謝るには、まだ引っ掛かるものがある。そこで俺は渋々了承するような、ずるい返事をするのだった。
「……そこまで言うんなら」
次にリリネイアさんは、マリナにも確認をとる。
「マリナ。あなたがどうやって、どのような意味を持って誕生したのか。それもお教えします」
「勿論だ。それを知ることが私の悲願だからな」
曇り無き眼差しでの返事だった。
そして、ついにリリネイアさんによる語りが始まる。
「では……長くなりますが、お付き合いください」
――今から二千年前。世界統一を懸けた最終戦争が二大国によって繰り広げられていました。
当時の戦況についてですが……エグゾアセントラルベースでデウスが語っていた内容を覚えていますでしょうか。グリューセル国はフォルギス国の武力により、あと一歩のところまで追いつめられていました。
絶望的なまでの戦力差を覆し、グリューセル国に勝利をもたらすためにはどうするべきか。ジュレイダル様は不眠不休でその方法を探し続け、やっとの思いでとある術式を編み出されました。それこそが「絶対的な力を有した神器を創り出すための術式」だったのです。
ですが、完成なさった術式は非人道的な所業を必要とする、いわゆる禁術。我に返ったジュレイダル様は、ご自身の血迷った行いを恥じられ術式を封印なさり、他の方法を模索し始めました。……そのようなものなど無いことをご存じの上で。
自国の存亡がかかっているのにどのような行動も意味を成さず、ジュレイダル様は苦悩なさるばかり。私や家臣達は、あの方のそのような姿を見続けることに耐えられませんでした。
そこで覚悟を決めました。ジュレイダル様がお創りになった術式の封印を独断で解除し、秘境ルミネオスの一室にて神器創造の儀式をおこなったのです。……「自らの命を生贄として捧げる術式」であることは承知の上で。愛するジュレイダル様やグリューセル国の民の未来の為ならば、命など惜しくはありませんでした。
ジュレイダル様ほどではないにしろ、私も家臣達も生まれながらにしてかなりの魔力を身に宿していました。そのおかげか、儀式によって誕生した神器『エンシェントビット』は、この世の全てを掌握できると言っても過言ではない程の力を秘めていたのです。
私達の想いを知りエンシェントビットを手中に収められたジュレイダル様は、フォルギス国の大部隊をいとも簡単に一掃。破竹の快進撃で戦況をひっくり返し、デウスを追い詰めて戦争に勝利。念願の世界統一を果たし、グリューセルを豊かな大国へと導いていかれました。……ですが……。
エンシェントビットが誕生したあの日からずっと、ジュレイダル様はご自身を酷く責め続けていらっしゃいました。「あのような気の狂った術式を創らなければ、妻や家臣達は命を落とさずに済んだというのに。もっと自分に力が備わっていれば、このような悲劇は起こるはずもなかったというのに」と……。
禁術によって肉体を失った私達は、不思議なことに魂だけの存在としてそのままエンシェントビットに残留。故に、あの方が悔やまれる様子を間近で見続けていました。見兼ねて声をおかけしようとしたこともありましたが、所詮こちらは神器。いくらお呼びしようとも、あの方のお耳に届くことはありませんでした。……それによって初めて、私達の心にも後悔が芽生えたのです。
グリューセルはこれ以上なく豊かで恵まれた国となりましたが、ジュレイダル様をここまで悲しませてしまうことになろうとは。エンシェントビットの魔力をどのように活用しようとも、禁術によってエンシェントビットそのものと化した私達が元の姿に戻ることなど叶うはずがありません。馬鹿げた覚悟を掲げ、愚かな決断を下したあの時の私を、深く、深く憎みました。
その後のこと。
ジュレイダル様はエンシェントビットが内包する過剰なまでの魔力を危険視し、そして悪用されるのを恐れたため、破壊することでこの世から抹消しようとなさいました。現にこの時、デウスはエンシェントビットの強奪を企てていたのですから。
……ですがエンシェントビットは、ただの一度も傷付くことはありませんでした。破壊することが出来なかったのです。この時、ジュレイダル様は次のようにおっしゃっていました。「心から大切に想っている人間を二度も手にかけることは出来ない」と、大粒の涙を零されながら……。
破壊できないのならばせめて少しでも魔力を弱めようとお考えになったジュレイダル様は、エンシェントビットの力の一部を切り離し、ごく小さな魔力の塊『ビット』として世界中に放出なさいました。しかしそうまでしても、エンシェントビットの魔力は莫大なままだったのです。
問題を解決するべくジュレイダル様は、グリューセル国から姿を消してデウスから身を隠しつつ、世界を歩き回って方法を探られました。しかし何一つとして有力な情報は得られないまま。
その間に、他の者に任せっきりにしていたグリューセル国は内部崩壊を起こしてしまいました。ジュレイダル様のため国のためにと思ってとった行動が、グリューセル滅亡という最悪の結果を招いてしまったのです。本当に私達は愚かでしかありません。
これ以上、魔力を切り離しビットとして世界中にばら撒いても、そのビットをかき集めて悪事を働く輩が現れるかもしれない。そう懸念したジュレイダル様が最後の手段としてとられたのが、深海の底への封印でした。誰の手も届くことのない海底にエンシェントビットの力で封印の神殿……後に海底遺跡と呼ばれる場所を造り、エンシェントビットそのものを納めたのです。
封印に用いた魔力はあまりにも強過ぎたため、世界に影響を及ぼしてしまいました。それがリゾリュート大陸世界とセリアル大陸世界への分断だったのです。
そして同時に、ジュレイダル様はエンシェントビットを操る権限を捨て去りました。明確に権限というものがあるわけではありませんが、心に傷を負ってしまわれたジュレイダル様にはもう扱う意志が残っていなかったのです。
――これで事実上、エンシェントビットを操れる人間はこの世に存在しなくなりました。
「ジュレイダル様はご自身の魔力を生命力に変換しながら永い時を生き、封印の神殿を見守る道を選ばれました。そして、機を見計らっていたデウスが封印の神殿からエンシェントビットを持ち出してしまい……それから先は、あなた方がご存じの通り」
リリネイアさんは静かに語り終えた。俺は、混乱する頭で必死に理解しようとする。
「ジーレイとエンシェントビットに……そんな過去があったなんて……」
受けた衝撃は、大きいなどという言葉で済む程度のものではなかった。
人間の命と魔力を素材に、禁術を用いて創り出されたエンシェントビット。中でも一番心に焼き付いたのは、ジーレイがエンシェントビットを破壊できなかった理由だ。俺は昨日、知らなかったとはいえ彼に心無い言動をとってしまった。きっと傷付いたに違いない。やはり俺は、どこまでも情けない馬鹿者でしかなかった……。
「そして次にお伝えするのは、マリナの正体について」
息を呑むマリナ。リリネイアさんは言葉を進める。
「あなたは、私達が生み出した特別な命。デウスに対する切り札となるはずだった存在です」
「私が切り札となる……はずだった……!?」
――封印の神殿……海底遺跡にデウスが到達したところからお話しします。
デウスは海底からエンシェントビットを引き上げた直後、すぐさま力を行使しようとしました。ですがエンシェントビットは意思を宿した特殊な神器。彼の邪悪な願いを私達は聞き入れませんでした。それでもデウスは諦めず、自身の魔力をエンシェントビット内に忍ばせて一時的に一体化し、無理矢理に使役しようという荒業を使ってきたのです。
魔力の大きさそのものは圧倒的にエンシェントビットの方が上であり、通常ならばデウスの魔力では使役することなど不可能。ですが彼には邪悪なりにも、自身の野望を叶えようとする確固たる信念がありました。彼の尋常ではない精神力に押されつつも、私達は必死に抵抗しました。
攻防は苛烈を極め、双方とも限界に達しようとする中。私達は、とある手段を思いつきました。それは、この場で切り札となる存在を生み出しエンシェントビットの主と定め、デウスを倒してもらおうというもの。
本来、神器とは「誰かに扱われる」ことによってのみ、その力を発揮するもの。言わばただの道具であり意思など宿っていません。ですがエンシェントビットには私達が宿っており、更にその時は曲がりなりにも「デウスが扱おうとしている」状況。エンシェントビットが力を発揮する条件自体は揃っていたのです。それを逆手に取り、デウスによる使役を妨害しながらこちらの意思を密かに介入させることによって、私達の都合でエンシェントビットを使用しました。
結果、誕生した存在こそが『マリナ・ウィルバートン』なのです。……しかし思い通りに事は運びませんでした。
実はジュレイダル様が世界中にビットをばら撒かれた時点でエンシェントビットの魔力は完全ではなくなり、不安定な状態に陥っていたのです。そこへデウスによる強制使役が駄目押しとなって、『マリナ・ウィルバートン』は私達が考えていた切り札とは違う存在として生まれました。
本来であればジュレイダル様やデウス、エンシェントビットなどの全ての真実を記憶した、揺るぎ無き正義の心を持つ屈強なる戦士が誕生するはずでした。それはデウスを倒した後の世界の統治や、エンシェントビットの破壊もしくは再封印などの願いを込めてのこと。……けれども私達とデウスの前に現れたのは、過去の真実の代わりに意図しない
こちらの事情など知る由も無いデウスは『マリナ・ウィルバートン』の誕生を以て、自分ではエンシェントビットを扱えないと悟りました。
その代わり、偶然の産物である『マリナ・ウィルバートン』に利用価値を見出そうとしました。『人間の形をした空虚な魔力集合体ゼロノイド』と秘密裏に称して。そして記憶が曖昧な彼女に付け込んで嘘の過去を吹き込み、戦闘員として育てていったのです。
私達の抵抗は失敗に終わったかに見えました。しかし『マリナ・ウィルバートン』にはしっかりと、エンシェントビットを扱うために必要な真っ直ぐな意思、そして悪を許さない正しき心が備わっていたのです。私達は彼女を信じることにしました。
けれどもこの二つの点は『マリナ・ウィルバートン』がエグゾアで生活する一年の間にデウスも把握してしまいました。故に彼は、自分の野望のために彼女を利用しようと考えついたのです。
――以上が、マリナの正体に関する全容です。
「私の知っている過去は創造時の不具合と嘘によるもので、エグゾアでの数年間も実際は一年だったのか。おそらく元々誕生する予定だった戦士の戦闘知識が嘘と混ざり合い、戦闘組織であるエグゾアへ長く属したように錯覚してしまったんだろうな……」
マリナは呟いた後、無言になる。そして整理がついたところで再び口を開いた。
「謎が解けてよかった。この曖昧な記憶そのものが、私が私である確かな証拠だったとは。そして、ついに自分の正体を知ることが出来た。……だが」
不穏な接続詞を挟み、彼女は続ける。
「マリナ・ウィルバートンは、あなた達が望んだ『デウスへの切り札』として生まれることは出来なかった。私にとってはどうにもならない事実であり、だからといって負い目には感じていない。ただ……皇后リリネイア、あなたに問いたい。不完全な私は、あなた達にとって無意味であり不要な存在なのだろうか……?」
尋ねるマリナの声は、かつてない程の不安に満ちていた。全てを知って、自分はこの世界に居ていい存在なのかという疑問が新たに生じてしまったのだ。
この問いに、リリネイアさんは毅然として答えてみせる。
「そのようなことは決してありません。どんな生まれ方をしても、あなたはこの世界に誕生したかけがえのない命。正体が魔力集合体であろうと、温かな心を持ち自分だけの思考を有する一人の人間なのです。仲間と共に進む姿をエンシェントビットの内側からずっと見守ってきたからこそ、あなたを誕生させて良かったとはっきり言えます。それに……」
過去を振り返るかのように閉眼する。次にリリネイアさんが目を開けた時。愛に溢れ、慈しむような笑みを浮かべた。
「『マリナ』という名前は、私が子を授かった際に付けてみたかった大切な名前。つまりあなたは私の娘も同然なのです。多少、思い通りにならなかったところで、あなたを想う気持ちに変わりはありません。自らの命を粗末にしてしまった私達の分まで、どうかこれからも生き抜いてほしいと切に願っています」
返答を受け取るにつれ、マリナの両目は潤んでいった。
「……ありがとう……」
全て聞き終える頃には顔を両手で覆い隠し、震える声で最後にそっと呟くのだった。
リリネイアさんは、エンシェントビットが関わった数々の現象についても説明してくれた。
デウスが施した「適合者へ反応を示す」という細工を取り除くのは、彼女達には不可能だった。そしてマリナ自身が「エンシェントビットを扱う力」を持っていたため、彼女がセリアル大陸からリゾリュート大陸へ時空転移するのを阻止できなかったという。
過去に、ソシアの宿敵である盗賊のグラムがモンスター化したことがあった。あの時のエンシェントビットは、魔力が極端に不安定になる周期が訪れていたため不覚をとり、グラムの意思に負けて強引に力を発揮させられたという。最後に時空転移をおこなってから日が浅かったのも関係しているらしい。
火薬の都市ヴィオで俺がフィアレーヌに操られたのは、エンシェントビットに宿るリリネイアさん達が霊操されてしまったことが原因。どの件についても、リリネイアさんは誠意を込めて謝罪するのだった。
けれど、エンシェントビットに救われたことも多々ある。
エグゾアセントラルベースでデウスに追い詰められた時、俺の「みんなを逃がしたい」という咄嗟の願いを聞き入れてくれた。半ば無理やりに時空転移を発動してその通りにし、皆が負った傷まで癒してくれたのだ。リリネイアさんは転移先の時間や空間を完璧に定められず俺達を離れ離れにしてしまったことを悔やんでいたが、誰も文句は言わないはずだと返事をしておいた。
続いてマリナもスメラギの里に転移した直後の、迫り来るスサノオの軍勢を退けてくれたことへ感謝していた。リリネイアさんから告げられたのは「改造されたスサノオ兵の体内のビットを限定的に操り、体調を崩させて撤退に追い込んだ」という真相だった。時空転移の光に意思を紛れ込ませての行為ゆえに、ここでもかなり無理をしたらしい。
ふと俺は、アロメダ渓谷で気を失った時のことを思い出す。あの時リリネイアさんは俺を止めるために声を届けてくれた。そして俺は声を信じずに進んだからこそ酷い目に遭ったのではないかと気付く。判断材料が少なかったとはいえ、誤った道を選んだのは自分。エンシェントビットを一方的に憎むのは間違いだった。
もうひとつ認識を改めよう。俺をこんな身体にした元凶はジーレイでもエンシェントビットでもない。世界の破壊と創造を企む、魔大帝デウス・ロスト・シュライカンである。
ようやく自暴自棄から立ち直れたようだ。同時に、俺の中で何かが沸々と湧き上がり始める。
「……ねえ、リリネイアさん。俺、本物の救世主になれるかな?」
この言葉に、二人とも耳を疑う。
「あなたは全てに絶望し、エグゾアと戦う気力も失ってしまったはず。無理をする必要は無いのですよ」
「その通りだ。みんなもお前の気持ちを受け入れてくれたんだから心配しなくていい。それに私は、エグゾアと戦い続ける決心が改めてついた。お前の分も戦うと誓おう。後のことは任せていいんだぞ」
二人は気遣うように、諭すようにそう言ってくれた。けれど俺は錯乱しているわけではない。
「別に無理なんかしてないよ。ただリリネイアさんの話を聞いて、こんなところで
どこかに置き去りにしていた、本来の熱意と明るさ。それが心身の外へと溢れ出ていた。
そんな俺を見て考えが変わったのか、リリネイアさんは次のような提案を持ち出した。
「……以前、私はあなたに『どうか世界を救ってほしい』とお願いしたことがありましたね。もし、真の救世主としてデウスと戦う覚悟があるならば、私達はあなたに従い力を貸すと誓います」
「それってつまり、エンシェントビットを俺が使っていいってこと……!?」
「はい。世界の平和のために役立てられるのであれば構いません」
まさかの申し出だった。確かに、それが出来れば怖いものなど無くなるが……不可能だ。
今の俺は封印護符を貼っていなければ暴走してしまう身体。そしていつか封印護符が効かなくなるほどにエンシェントビットと融合する未来が待っている。こんな不安定な身体で使えるわけがない。
俺の内心を見抜いてか、リリネイアさんは更に述べる。
「あなたの身体とエンシェントビットの融合は、相性の良い魔力同士が勝手に引き合ってしまうために進行しています。私達ですら止められません……。ですが、これは逆に希望の光でもあるのです。あなたに強い意志があれば、あなた自身の魔力を通じてエンシェントビットを支配、そして使役できる……魔力同士が引き合っているからこそ可能な芸当です。これならば暴走を防ぐことができ、そしてきっとデウスの愚行に終止符を打てます」
「俺とエンシェントビットが……希望の光に……」
なれるのだろうか。不安は残る。
けれど心の奥では……確かに火が灯った。その火は静かに勢いを増していくのだった。
――するとここで、虹色の景色が揺らぎ始めた。色もどんどん失われ、白から灰色に、灰色から黒へと変わっていく。
「……意思疎通の限界が訪れてしまいました。ここまでのようです」
リリネイアさんは最後の言葉を述べる。
「マリナ、あなたとお話しできて本当に嬉しかった。そしてゾルク、覚悟を決めたらエンシェントビットにありったけの想いを込めるのです。それと――」
俺達も返事をしたかったが、その時間は残されていなかった。
「――『私達はジュレイダル様をいつまでもお慕いしております』と、どうか伝えてください。……では、さようなら」
真っ暗になった空間がひび割れるように崩壊していき、俺達の意識は薄れていくのだった……。