モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 148-戦った男

「妙なこともあるもんだよなあ」

 シオンタウンの自宅にて、シルフトーナメント最終予選を観戦していたクロサワは、そう言って小さく笑った。

 シルフトーナメントのベスト十六は、毎年バリエーション豊かなメンツで見てて面白い。通なポケモンバトルファンは、本戦の一週間前に行われる最終予選から心躍らせている。リーグやプロアマ関係なくバリエーション豊かなメンツが見られるのは、大体ベスト十六までだからだ。

 一発勝負のトーナメントとはいえ、本戦に出場できる八人は大体リーグ戦でも結果を残している実力のあるトレーナーだというのが、ここ最近の法則だった。奇跡に近い確率の組み合わせの妙が起こらないかぎり、勝ち進むのは強者であるということなのだろう。

 だからこそ、今モニターの向こうで起こっている事の価値たるや凄まじい。

 シルフトーナメント最終予選第八試合、Aリーガー、オグラ対、Cリーガー、トミノ。

 殆どの視聴者が、その勝敗を容易に想像できたに違いない。方やバリバリの現役Aリーガーで今期のAリーグでも勝ち星を拾う立場の若者であるオグラ、片やうだつの上がらない万年Cリーグに居座っているオジサンであるトミノである。また今日も、結果という残酷な現実が夢を喰らうのだろうと誰もが思っていた。

 試合中、トミノがオグラを押しているように見えても、殆どの視聴者は驚かなかったし、動揺もしなかった。二つか三つほどオグラの不運が重なったようにも見えるし、オグラが特に不調なようにも見えなかった。トミノが絶好調だということは考えられたが、絶好調になったくらいで覆る実力差だったならば、お互いが今の位置にいないだろうと思っていた。

 彼らの心境が、驚きと、興奮に変化したのは、審判員がトミノの勝利を告げた、その瞬間だった。本当に、その瞬間まで、彼らはトミノの勝利が現実に起こりうることだとは思っていなかったのである。

 そして、クロサワもまた、彼らと同じく、トミノの勝利を幻想の中でしか起こりえない夢物語だと思っていた男の一人だった。もちろん、トレーナーとトレーナーが対峙している以上、何が起こるかわからないと言う格言めいた言葉は知っている。そして、その言葉は、このような場面のためにあるのだなと、一人妙に納得していた。

 トミノというトレーナーを、液晶ディスプレイから得られる情報でしか知ることができない多くのファン達と違い、彼はトミノというトレーナーを、同じリーグトレーナーとして見てきたのである。クロサワのこの予想を傲慢だと窘めることが出来るリーグトレーナーは殆ど居ないだろう。彼はオグラの強さも、トミノの弱さも、しっかりと理解していた。

 わずかほどの才能の無い男、それがクロサワのトミノ評だった。そして、その評価は、概ね他のリーグトレーナーも同じだろう。

 それ以上の評価など、与えられない男だった。普通ならとっくに諦めているような年齢でようやくバッジをコンプリートして以来、数十年もの間Cリーグの中下位を維持していた男に、それ以外どんな評価を下すことができようか。

 携帯獣学の博士号を取得しており、飛行携帯獣の分野においては有数のエリートだったと言うバックボーンも、リーグトレーナー達から見れば殆ど無意味なものだった。聞けば、二十代前半にして化石復元プロジェクトに一枚噛んでいたらしいが、だからといって対戦で勝てるわけでもない。

 カントーでも有数の奇妙な男と笑われることはあっても、リーグトレーナー達から尊敬されることは殆ど無いと言ってよかった、事実、若き日のクロサワも、才能もなしにこの世界に飛び込んできた馬鹿な男だと、不快に思っていたのである。

 そういえば、ずっとずっと昔、トミノを尊敬できると言っていた奴が居たな。と、クロサワはそれを思い返そうとしたが、それを完全に思い返すよりも先に、モニターの向こうに提示された本戦トーナメント表を見て、思わずもう一度笑ってしまった。

「おいおい、こりゃあ、とんでもない事になるぜ」

 

 

 

 

 それは、ずっとずっと昔の話だった。タマムシシティの大衆居酒屋で、当時Bリーガーだったクロサワは、一人酔いつぶれて机に突っ伏している男を挟んで、モモナリに叫ぶように言う。

「しっかし、お前も酔狂なやつだよ」

 そうして、突っ伏している男、トミノを顎で指しながら「こんなしょぼいおっさんに付き合って何になるってんだ」と続けた。

 モモナリに「今来れば只で飲めますよ」と言われてのこのこ大衆居酒屋に顔を出してみれば、そこに居たのは満面の笑みのトミノだった、破顔という言葉は、こういう時に使うのだろうと納得してしまったほどの笑顔だった。

 聞けば、シバのリーグ戦の勝利を祝っての宴会らしい、たかが勝ったくらいで何をと思っていたら、トミノはガバガバと酒を飲んでガバガバ飯を食って、自分のことやシバのことを散々に喋った挙句に、勝手に電源が落ちてこうして突っ伏してしまった。

 モモナリは手慣れた様子でトミノから丸メガネを外して机の上に置くと、ポケギアでどこかに連絡を始めた。どこに連絡しているのかと問うと、トミノの妻に迎えに来るよう連絡しているらしい。彼がはしゃぎすぎて潰れてしまった時には、必ずそうしているようだった。

 そして、クロサワのセリフに戻る。

「そりゃあまだAには上がっちゃいないが、お前はシルフトーナメントやサントアンヌ杯でも結果を出した一流じゃねえか。こんな良く言って三流、悪く言えばグズみたいなトレーナーに付き合うこともねーだろ」

 クロサワは、トミノの事が苦手だった。そもそもトレーナーとは生まれ持って強くあるべきと考えている節のある男である。才能のないトミノに対しては面と向かって皮肉を言うこともあったが、そのたびに真剣に返答され、最終的には助言を求められてしまう。才能はこれっぽっちも無いのに根は真面目で嫌いになりきれない男だった。

「いやいや、この人は凄い人ですよ。俺はこの人から学ぶことが一杯あります」

 顔を赤くしながら、モモナリは大真面目な表情でそう言った。モモナリはアルコールの摂取がすぐに表情に現れるが、決してその思考能力まではそれに侵略されない事をクロサワは知っていた。その発言は、酔いに任せた冗談などではないのだろう。

 へっ、とクロサワは笑いを吐き捨てた。

「そりゃ、強烈な皮肉だねえ。今更学の無さを憂いるような世界でもねえし、むしろそいつの経歴はそれこそそいつの馬鹿さの証明じゃねえか。素直に教授先生にでもなってりゃよかったものを、もったいねえ」

 モモナリは自らの考えが受け入れられないことに若干の不満を示すように鼻を鳴らして、グイとグラスを傾けた。

「そういうことじゃないんですよねえ。もっとこう、トミノさんのカッコよさと言うか、そーゆー類のものって、結構凄いと思うんですけど」

 そんなわけあるかい、とクロサワもグラスを傾けたが。ふと思うところがあって「まあ、理由くらいは聞く」と返したのだった。

 

 

 

 

 休日、タマムシドームを対戦場にして行われるシルフトーナメント本戦は、予選を勝ち抜いた八人のトレーナーによる一日トーナメント方式だった。

 ポケモンリーグと同格の興行を、と言う意図のものと考えられたこの大会は、高額な優勝集金と、派手な演出、エキシビション含め九つの試合の全世界中継などを武器に、知名度においてはポケモンリーグと同格の存在になりつつあった。

 その派手さは、対戦上で起こっていることを簡潔に視聴者に伝える役目のはずであるアナウンサーにも、勿論反映されていた。

『さあ、シルフトーナメント第一回戦もいよいよ大詰めです』

 声を大きく放送したければ、マイクのボリュームをあげればいい。そのくらいのことは勿論理解しているのだろうが、感情の篭った『熱さ』を売りにしているそのアナウンサーは、わざわざ意図的にマイクから離れてまで、叫ぶような大声でそう伝えていた。簡潔な実況よりも、その場の熱気をそのまま伝えるような荒っぽい喋りが、賛否両論ながらも評判のアナウンサーだった。

『解説のクロサワさんはこれまでの試合どのように思われますか』

 全く中身の無い質問に、クロサワは苦笑いした。しかし、それに皮肉で返しても、このアナウンサーにはちっとも効果がないことは、であっていくつか言葉をかわした時点ですでにわかっていたことだった。

『三戦とも良い試合だったと言っていいだろう。特に二戦目のカリン、キシ戦はお互いの意地がぶつかり合った名勝負だった』

 その言葉に、アナウンサーは相槌を打ちながら笑顔で大きく頷いたが、特に話をふくらませるわけでもなく、次の言葉をマイクに叫んだ。

『次の試合は、第一回戦第四試合。『奇跡の快進撃』トミノと、『武人』シバの一戦です』

 マイクのスイッチが切られ、放送内容を映し出すモニターが、この一戦のプロモーションビデオに切り替わった。本戦出場トレーナーそれぞれと、対戦カードそれぞれに挿入されるプロモーションビデオは、シルフトーナメントの華として必要不可欠なものだった。

 トミノのプロモーションビデオの内容は、クロサワの予想通り、それまで日の当たることのなかったベテランであるトミノの健闘を、わかりやすく、そしてやや大げさに伝えるものだった。

 その途中で、きちんとトミノの数奇な経歴にも触れていた、大げさで扇動的ではあるが、シルフトーナメントのプロモーションビデオは悪いものではないとクロサワは思っていた。

「どちらが勝つと思われますか」

 シバのプロモーションビデオの終盤、マイクを切られているにもかかわらず、そこそこの声量でアナウンサーがクロサワに質問した。どうやら彼はプライベートと仕事を分かつことがあまりできない性分のようだった。

 しかしそれはクロサワも同じである。彼もまたアナウンサーの不躾な質問にやや呆れながらも、どうにも彼を憎むこともできずにいた。

「あんただって選手の下調べ位のことはしてるんだろうから。このカードの特殊性は十分に理解しているんだろう」

 意地悪くニヤリと笑いながらクロサワが質問を返した。やかましいばかりで質問に中身はないが、アナウンサーのこの業界に対する下調べに関してはある程度評価していた。

 そして、ちょうどその時、プロモーションビデオの内容が対戦カードのものに移行した。強調されたのは、トミノとシバの五対ゼロという直接対戦成績だった。

「万年Cリーガーのトミノが、何故か元四天王のシバに対しては五戦無敗。しかもその殆どは消化試合なんかじゃねえ、歴史に残るトレーナーであるはずのシバが長くCリーグで停滞していた大きな原因の一つだ」

「ええ、つまり私はその驚異的な対戦成績に関する事項が、プロの目から見てどうかと言う事を聞きたいんですよ」

 はあ、とクロサワはため息を付いた、彼とあって初めての中身のある質問だった。

「その質問は、放送時に取っとけ。うんざりするほど答えてやるから」

 

 

 

 

 タマムシシティドーム、関係者控室。

 チャンピオン決定戦時のセキエイ高原特別対戦場関係者控室に比べれば少ないが、そこには多数のリーグトレーナーの姿があった。

 そして、彼らは突然の来訪者であるモモナリに驚いていた。彼はついさっき、シルフトーナメント第一回戦第三試合に勝利したばかりだった。本来、本選出場者にはそれぞれ控室が割り振られており、出場者が関係者控室に現れることは非常に稀だった。

「控室に居たってつまらないんだから仕方ないだろう」

 彼らの驚きの声に対してモモナリはそう釈明した。クシノは弟子達と一緒にこの大会を観戦するとタマムシにはおらず、キリューは地元クチバでの解説会に招待されていた。

 そしてモモナリは、最終予選でトミノと戦ったオグラが、関係者控室にいることを知っていた。彼がオグラを探しだして声をかけると、オグラも機嫌良くそれに答えた。

「トミノさんの調子はどうだった」

 モモナリは彼の隣に腰掛けると同時にそう質問した。あまりオグラの心情を考慮した質問とは言えなかったが、オグラは特にそれを気にすること無く答える。

「これまでで一番いいと思いますよ。なんてったって僕に勝ったんですからね」

 誇らしげな言葉だった。しかし、今のオグラならそれを言ってもだれも気に留めないだろう。

「相手はシバさんだし、固く行けばベスト四は確実でしょう」

「君がそれを言うかね」

「逆ですよ、僕だからこそ言える。あの人のシバ戦の戦略は完璧ですよ」

 オグラは過去にシバに痛い敗戦を食らったことがある。最も彼はそれをきっかけにして今の地位を掴んだとも言えるのだが、それゆえに彼はシバと戦うことの難しさをよく理解していたし、彼に対して完璧な成績を残しているトミノのその部分の強さはよく認めていた。

「飛行携帯獣学の博士だけあって飛行タイプで格闘タイプをあしらう術は理解してますし、何よりシバさんの戦い方を相当に理解してますしね」

 オグラらしい正確な分析だった。

「ありゃあ相当シバさんのこと好きですね」

 その言葉に、たまたまそこに居合わせていた若手のCリーガーが「好きだからなんですか」と驚き含みの疑問を投げかけた。確かに彼の言うとおり、好きであることと完封して勝つことは、相反しているようにも見える。

「そうだよ、要は逆算なんだよ」

 モモナリもオグラのその返答に頷いた。

「相手が喜ぶことを考えることは、必然的に相手がやってほしくないことを考えることに繋がる。相手に勝つための理解よりも、憧れゆえの理解のほうが時に深いこともあるんだろうね」

 

 

 

 

 花火、そしてスポットライトに激しい音楽、十数台に渡るテレビカメラ、割れんばかりの歓声。その全てが似合わない男、トミノは、ビクつきながらも、それでも堂々と花道を歩いていた。

『欠片ほどの才能もない男だが、シバに勝つことにかけてはピカイチの男だ』

 入場の途中、クロサワの指示通りにその質問を投げかけたアナウンサーに、彼は答えていた。

『元々飛行タイプの扱いに関しては悪くない上に、エスパータイプを複合する飛行ポケモンであるシンボラーはシバとの相性が最高に良い。勿論単純な相性のみで勝つことが出来るほどシバってのは簡単な相手ではないが、五戦無敗という成績は、その他の要素もキッチリ満たしているということでいいだろう』

『ならばこの試合はトミノ選手が勝ち上がる可能性が高いということでしょうか』

『これまでの試合通りトミノが進めることが出来るのならば、そうだと言っていいだろう。だが不安なのはこの会場だ』

『なるほど、これほどの熱気。彼には経験がないと』

『酷な話だが言い切ってしまえばそうなる。もしトミノが日和る様な事があれば、たちまちのうちにシバが主導権を握り、そのまま押し切ってしまうだろう。こと精神力にかけては、シバは世界でもトップクラスのトレーナーで間違いない。対してトミノはシバに勝てる事を除けば平凡なトレーナーでしか無い。確実なように見えて、その道のりは薄氷だろう』

 

 

 

 

 シルフトーナメント本選出場者、トミノは、大方の予想と違って、精神的には大きな落ち着きを払って、タマムシドーム特別対戦場に立っていた。

 もし対戦相手が、これまで対戦したことのない格上の相手、例えば前試合で勝利したオグラのようなトレーナーだったならば、その恐怖に足はすくみ、もしかすればこの場に立つことすら不可能だったかもしれない。

 しかし、対戦相手がシバならば話は別だった。シバは彼にとって、人生を変えるきっかけとなった憧れだった。

 目の前に、その憧れが立っていた。シバは、普段と変わらない様子で、じっとこちらを見つめていた。彼にとって見れば、対戦場の大きさであったりとか、観客からの声援の大きさとか、そんなものは関係ないようだった。

 やっぱり、カッコイイ。年齢的には中高年の領域に達し、おおよそ憧れなど持ちづらい年齢になってもなお、トミノは素直にそう思った。

 そして、今から自分は彼に勝つのだと思うと、その精神の昂りが、震えとなって現れた。

 勝つことは、出来るだろう。シバが舞台の大きさに動きを左右されない精神力を持っているということはつまり、Cリーグで彼に五戦無敗としている自分は、常にこの舞台で彼に勝ち続けていたことも同義。

 そして彼は、シバを過大評価することも、過小評価することもなかった。だからシバの精神力の前に足を救われることもなければ、シバの圧力に屈することもなかったのである。

 シルフトーナメントの賞金は高額、勿論勝ち進めば勝ち進むほどより高額になってくる。

 金額だけの問題ではない、シルフトーナメントベスト四の名誉は、自らの生活を大きく変えるだろう。

 妙なことを考える必要はない、勝てばいい、それは出来るだろう。勝てばいい、いつも彼にやっていたように、彼の全てを否定し、向き合わず、逃げ続け、それでも不服の表情を見せない彼の精神性を尊敬すればいい。

 妙なことを考える必要はないのだ。

 

 

 トミノの一番手であるムクホークは、シバの一番手であるカポエラーを『いかく』で牽制する。

 シバの一番手がカポエラーであることは、トミノからすれば当然の選択だった。これまでの五戦も、全てそうだった。そして、裏を掻くと言う選択をあまりしない男であることも良くわかっていた。

 攻撃の体勢をとったムクホークに、カポエラーが『ねこだまし』を食らわせる。『いかく』してはいるが『テクニシャン』なカポエラーのその攻撃は、決して無視できるダメージではない。

 恐らくここで、シバは手持ちのハガネールに交代するだろう。イワークの進化形であるそのポケモンをシバは数年前からパーティに採用している、飛行タイプやエスパータイプに対する後出しの要因として活躍していた。

 再び攻撃の体勢を取るムクホークに対して、シバはやはりカポエラーを手持ちに戻して、新たなポケモンを繰り出した。現れた影に対し、ムクホークの『ブレイブバード』が炸裂する。対戦相手が格闘タイプならば、一撃で勝負を決してしまうことも出来る強力な空からの攻撃だった。

 しかし、新たに繰り出されていたハガネールにはその攻撃は有効ではない。

 ハガネールを見切ったムクホークは、すぐさまハガネールの懐に飛び込み、捨て身の『インファイト』で勝負をかける。その攻撃自体は鋼の体を持つハガネールにも効果のあるものだったが、ハガネールは持ち前の体の強さでそれに耐える。

 そして、ハガネールは懐にムクホークを抱えたまま『だいばくはつ』で自らとムクホークを吹き飛ばす。

 ハガネールの懐に飛び込み、なおかつ攻撃に全てを費やしていたムクホークはその攻撃に耐えられない。お互いのポケモンが戦闘不能となり、戦況はリセットされた。

 ハガネールを犠牲にして、格闘タイプに不利なポケモンを流す。多少乱暴に見えるかもしれないが、そのひねりの無さがシバらしい。

 ここがポイントだ。ムクホークをボールに戻しながら、トミノはそう感じていた。

 シバの次の選択は、恐らくカイリキーだろう。こういう状況の時、シバは最も信頼できるパートナーに戦況を託す。たとえその選択が裏目に出ることがあろうとも、彼はそれを後悔しないし、彼なりに真っ直ぐに戦うのだろう。

 それに対する選択肢はいくらでもある。ファイアローを繰り出して『はやてのつばさ』による先制攻撃で一気に主導権を握ってもいい。ヤドランを繰り出して、ローペースながら確実にアドバンテージを取れる戦況を創りだしてもいい。

 勝てる要素はいくらでもある。後はその中からよりリスクの少なそうな物を選び続ければいい。

 しかし、ボールを選ばんとするトミノの腕は、彼の思うように動かない。否、正確には、彼の思い、考えそのものに、僅かな揺らぎがあった。

 果たして、本当にこれでいいのだろうか。自らが望んでいたことは、果たして本当にこれなのだろうか。

 願ってもない状況だった。シバに憧れ、自らに関わる殆ど全員に反対されながらも、彼と同じ世界に飛び込んだ自分が、夢にまで見た状況だった。

 かつて、昇格をかけてシバとの試合に臨んだ少年が居た。その少年の力量を持ってすれば、かならず勝つことが出来るだろうと言われていた。しかし、少年は敢えてシバに真っ向からぶつかり、素晴らしい勝負を展開しながらも、敗北した。

 その少年を、世間は愚かだと称した。勝てる試合を捨て、敢えて相手の得意分野に踏み込むなど、勝負に徹していないヌルい行為だと評されていた。

 トミノは、その時の彼の気持ちが分からなかった。トミノは名声に絡むトレーナーでは無かったし、少年のように天才性を持ったトレーナーでもなかった。

 しかし、運命の悪戯か、シルフトーナメントベスト四がかかったこのシバとの試合に望むに至って、彼はようやくあの時の少年の気持ちを理解することが出来たのだ。

 勝利を、勝ち取りたかった。戦って、勝ち取りたかった。シバと戦いたかった。

 時間に追われる中、彼はようやく腰のボールをつかみとり、それを対戦場に投げた。

 きっとこの行為は、愚かなことなのだろう。トミノの明晰な頭脳は、自らの行為のバカバカしさを、痛いほど理解していた。

 しかし、きっとこれが一番良いのだろうと言う確信があった。後悔はないし、もし自らが死ぬ間際にこの瞬間を思い浮かべたとしても、笑って死ねるだろうと思った。

 シバ、とトミノは彼の名前を叫んだ。技名以外で大声をだすことなど、随分と久しぶりだった。

「シバ、勝負だ」

 

 

 

『馬鹿ばっかりで嫌になるよ』

 クロサワが大きな溜息とともに吐き出したその言葉に、実況ブースは少し緊張を帯びた。

 解説者が、馬鹿などという言葉を使うことは、本来ならばありえないことであるが、クロサワに至ってはそれはあり得る。

 例えば実況アナウンサーがクロサワの気に入らないような事を言ってしまったり、トレーナーたちの心理をあまりにも軽々しく要約してしまったり、もしくはアナウンサーが伝えた世間の意識が気に喰わないものだったりした時にその言葉が飛び出すことがある。そのどちらかにしても、発したクロサワの機嫌は決まって芳しくない。

 しかし、その時アナウンサーはシバとトミノの繰り出したポケモンの名前を叫んだだけだし、その他の要素も特にクロサワの機嫌を損ねるようなものでもなかった。

 対戦場では、二体のカイリキーがお互いに間合いを牽制し合っている。先程までのスピーディな展開は姿を消していた。

『なんで『勝ち』を、『勝負』にしちまうかなあ』

『それはどういうことですかクロサワさん』

 アナウンサーは声を張り上げて勢い良くクロサワにその真意を問うた。

『見りゃ分かんだろ、トーナメントの仕様上パーティのバランスの調整は必要とはいえ、ここでカイリキーを出す必要がどこにある』

 アナウンサーは一瞬混乱した。クロサワの指摘したカイリキーの選出が、果たしてどちらのトレーナーのことを指しているのかわからなかった。

『ええと、カイリキーというと、どちらの』

『ああ、トミノの方な。シバがカイリキー出すのは仕方ねえ、今更変えようがねえだろう。むしろトミノならここでシバがカイリキーを出すことを分かってそうなもんだ。奴にはファイアローの選択肢もヤドランの選択肢もあるはずだ。『ストーンエッジ』を警戒してファイアローを出せないにしろ、カイリキーの選択はねえ。ここはヤドラン一択だ。シバの手持ちで考えればハガネールくらいにしか有利が取れねえし、むしろハガネールの選択肢があるのならば、ますますヤドランだろう』

『なるほど、つまりトミノ選手の致命的なミスが出てしまったということですね』

 トミノの経歴を鑑みてみれば、無くはない、しかし、クロサワはそれを否定した。

『いや、いやいや違う。恐らくこれはシバがカイリキーを選出することをある程度分かったうえで、自ら踏み込んでいるだろう』

『つまり、敢えてカイリキー同士を対面させたと』

『まあ、そういう事だ』

 その真意についてアナウンサーが更に切り込もうとした時、対戦場が動く。

 間合いをはかっていたトミノのカイリキーが、不意に踏み込んで『マッハパンチ』をシバのカイリキーに打ち込んだ。

『先手を取ったのはトミノ』と、アナウンサーが反射的に叫ぶ。それはそのアナウンサーの悪癖であったが、むしろそのほうが臨場感が伝わると評判だった。

『いや、違う』

 その勢いに、クロサワもつられて思ったことをそのまま叫んだ。

 トミノのカイリキーの『マッハパンチ』は、確かにシバのカイリキーの鳩尾を捉えていた。

 シバのカイリキーはその攻撃に僅かに表情を曇らせた。しかし、その次の瞬間には、打ち込まれた拳と腕を、四本の腕で捉えている。

『仕掛けたのはシバだ。野郎ズケズケとトミノのスペースに踏み込んで攻撃を誘いやがった』

 その理由をアナウンサーが問うよりも先に、対戦場でそれが明らかとなる。

 腕を取ったシバのカイリキーは、四本の腕を駆使してトミノのカイリキーを背負投げ、頭から地面に叩きつけた。

『ぶん投げた』と叫ぶアナウンサー。

『『あてみなげ』、誘って捕まえた。やはりこの戦いに持ち込めばシバが一枚上手』

 しかし、クロサワは直後にその発言を撤回することになる。彼はまだ確認していなかった。

 地面に叩きつけられたトミノのカイリキーは、シバのカイリキーの左下腕を、力強く掴んでいた。

 

 

 

 

 タマムシドーム関係者控室、観戦に来ていた若手リーグトレーナー達は、それぞれ思いつく限りの嘆声を上げていた。

 経験が少ない彼らは、この試合に、シバに対する対策を期待していた。それを持ち帰り研究することで、人生が充当に進めばいずれ戦うであろうシバの、もしくはチャンピオンロード世代そのものとの戦い方を自らのものにしてしまおうと言う魂胆。

 しかし、今目の前で見せられていることをとてもやろうとは思えない、否、出来るとは思えない。

 トミノとシバ、お互いのカイリキーは、それぞれお互いの腕を、それぞれの腕で掴んでいた。

 人間と違い、カイリキーの腕は四本、彼らはそれぞれ残る二本の腕を思い切り振りかぶり、強烈な『ばくれつパンチ』を打ち込み続けていた。人間を遥かに超える腕力が顔面に打ち込まれ、脳は揺れ、視界は歪む、吹き飛びそうになる体は、己の足腰と自らを掴む相手の腕が支えていた。それでも両者はその太い腕を振り回す、目の前に相手がいることは掴まれている腕が知っているのだ。

 こんなことに何の意味がある。と若手リーグトレーナーたちは思っていた。

 格闘タイプに対して同じく格闘タイプの技『ばくれつパンチ』を試み続ける事に大したメリットが有るとは思えない。どちらのカイリキーも『こんらん』していて確実性が無く、お互いにポケモンを変えるのが本筋だろう。

 読み合いを探る必要が果たしてあるのだろうか、そもそも自分達では、この状況にならないだろう。

 しかし、控室に二人、この戦況を楽しんでいるトレーナーが居た。モモナリと、オグラである。

「いいですねえ、『ノーガード』の打ち合いじゃないですか」

「これは盛り上がるよねえ」

 アナウンサーの浅く適当な叫び声は若手のリーグトレーナーたちには不評で、中継のモニターは音量が切られている。

 しかし、観客席の反応は、大きな歓声と地響きとともに、控室にも届いていた。

 もう一つ歓声が大きくなった。『ばくれつパンチ』の衝撃に、お互いの掴んでいた手が解け、距離が離れたのだ。

「トミノさん、食らいついてますよね」

 吹き飛ばされても、すぐにまたファイティングポーズを取るトミノのカイリキーを見て、オグラは感心していた。

「正直、この戦い方でここまで食らいつくとは思いませんでした」

 シバをアウトボクシングで葬ることに関しては、トミノは下位トレーナーらしからぬノウハウが有る。それはオグラもよく分かっている。

 しかし、現状対戦場で行われているのは、インファイト中のインファイト、シバはその領域において、かつて伝説のトレーナーレッドとも互角に戦ったほどの力を持っている。とてもではないが、Cリーガーのトミノが太刀打ち出来るものではないと思われていたのである。

「それなりの覚悟と自信はあるということだね。それにしてもカッコイイね、男らしいじゃないか」

 モモナリは興奮に顔を少し赤くしながらまくし立てる。トミノとの付き合いは古い、彼がシバに対してどれほどの憧れを抱いているかも知っているし、今この舞台にいることが彼にとってどれだけ奇跡的なことかも知っていた。

「どっちも頑張れ、そら、そこだ」

 

 

 

 

 終わってみれば、シバの圧勝だった。

 カイリキー同士の殴り合いを制した後も、二人はインファイトを続け、そのたびにシバとポケモン達がトミノを上回った。

『彼は敗者ではありません』

 観客たちの拍手を背に、花道を退場するトミノに向けるように、アナウンサーは叫んでいた。

『先ほどの戦いを見て、誰が彼を敗者だと言えるでしょうか。彼は挑戦者でした、挑戦者で在り続けました』

 なかなか気の利いたことを言うじゃないか。とクロサワは笑っていた。

『いやあクロサワさん。いかがでしたか今の試合は』

『シバの強さがよく出ていた試合だったな、四天王時代のシバを知らず、数字での情報に頼るしか無かった若い奴らは、何故あのシバという男が一時代を築くことが出来たのかよく理解できただろう』

 その返答に、アナウンサーは少し口ごもった。彼がクロサワから引き出したかったのは、光り輝く敗者であったトミノへの賞賛だった。

 だからアナウンサーは、直接的な質問でそれを引きずり出そうとした。

『トミノ選手の動きはいかがでしたか』

 クロサワは少しだけ考えて、ふーん、と長く鼻を鳴らした後に答えた。

『解説の立場から言えば、ヌルいわな』

 実況ブースの空気が凍った。

『『選定ミス』のカイリキーを失った時点で、再びアウトボクシングに徹していれば、あるいは勝利という未来があったかもしれない。シバに対して、そうやって勝ち続けてきた男なんだ、できねえことはねえだろう』

 何か言葉を出してその場を取り繕うとしたアナウンサーを遮って、更にクロサワは続ける。

『だがまあ、あそこでカイリキーを選んでシバとの『勝負』を選んだ時点で、勝ちを拾うつもりはなかったんだろうし、無茶な要求か、奴は『勝ち』を捨てて『勝負』を選んだんだからな』

 しめた、話題を変えることが出来る。と、アナウンサーは『それはどういう事でしょうか』と聞いた。

『トミノなら、シバに『勝つ』事はできただろう、それも、殆ど確実にな。ところが、それは『勝負』じゃねえんだ』

 アナウンサーはクロサワの次の言葉を待つことで、さらなる説明を要求した。

『『勝つ』って事と『勝負』は厳密に言えば違うんだ。勝負と言う単語には、勝ちも負けもある、もし、確実に勝つことが出来る試合があれば、それは勝負とは呼ばん。トミノはこれまで、シバの土俵外から仕掛けることによって『勝ち』を拾い続けてきた。勿論悪いことじゃねえ、それが当然だ。ところがどうして、トミノはこの大舞台で、シバと『勝負』がしたくなったんだ。シバを無視して勝ちを拾う事よりも、シバを認め、奴の土俵に踏み込むことによって、実力的には限りなく遠い勝利を目指したってことだ。もしトミノにファンが居るのならば、この負けは汲んでやれ。奴は立派に戦った』

 はっきりと言っておくが、と続ける。

『俺は勝利至上主義だから、奴を賞賛はしたくない。だが、例えば今日のトミノがカッコイイと言われりゃ、まあ、否定はできないわな』

 ひどく遠回りながら、アナウンサーの願いは叶った。そして、その賞賛は更に上乗せされる。

『ずっと昔、馴染みのトレーナーと飲んでる時に、トミノの話題になったことがある。そいつに言わせりゃ、トミノはずーっと戦い続けてるんだとさ。カッコイイ男じゃないか、俺もリーグトレーナーじゃなければ、奴のファンだったかもな』

 ふふっ、と小さく笑うクロサワに、アナウンサーはしばらく言葉を忘れていた。

 

 

 

 

「いやー、良いもの見たね」

 タマムシドーム関係者控室、よっこらしょと立ち上がったモモナリは、両腕をストレッチさせながらそうつぶやいた。

「しかし、大変ですね」

 立ち上がったモモナリに目線を合わせて、オグラがつぶやく。

「もう一筋縄ではいかないでしょこの大会」

 トミノとシバが作り出したこの熱気がこの会場全体を支配しつつあることは、関係者控室というある程度会場の雰囲気から隔離された場所にあっても容易に理解できた。

「モモナリさん次シバさんとでしょ、ツイてないですね」

 観客達は、シバとの試合にトミノとの試合を重ね、求めるだろう。

「いやいや、ツイてるよ。あの試合をやったシバさんと出来るんだから」

 それもそうですね、と笑うオグラとモモナリに、若手のリーグトレーナー達はため息を付いた。

 事実、彼らが作り出したこの熱気は後の試合を大きく支配することになり、より大きな波乱を巻き起こすことになるのだった。

 

 

 

 

 それは、ずっと昔の話だった。

「クロサワさんは、美味しい料理は好きですか」

 モモナリは小皿の唐揚げをヒョイと口に放り込みながら、クロサワに質問した。

 そもそもトミノのカッコよさについて最初に質問したのはクロサワの方である。質問を質問で返されている上に、その質問もそれまでの内容と関係がありそうなものでもない。

 たとえクロサワでなくても、多少頑固な考え方をしている人間だったならばムッとしそうなものではあるが、クロサワはモモナリのそういうところに関しては殆ど諦めの感情があった。

「そりゃあ、好きだよ。嫌いな奴のほうが珍しい」

「じゃあ、明日から料理人になれますか」

「なれるわけねえだろ」

「そういうことなんですよ」

 強めの酒を炭酸ドリンクで割った物を一気に傾ける。クロサワはモモナリの言いたいことがわかるようなわからないような。

「俺達はこの世界じゃ強い方でしょ、俺も、クロサワさんも、この世界の実力者として扱われる。でも結局のところ、俺達はこの世界を選んだんじゃなくて、この世界へと続く道しか知らなかったんですよ。この世界で、この無茶苦茶な世界でしか、生きることができなかった。そうでしょう」

 クロサワは一瞬考えて、頷いた。

「そうだな、まあそういうことだろう。少なくとも他人から多少尊敬されながら生きるには、この世界しかねえ」

「そう、俺達はこの道しか見えてなかった、そもそも他の道なんて存在しないし、それを見ようとも思っていなかったはずです」

 割り箸の底で机を小さく叩きながら、クロサワは何度か頷いた。

「トミノさんも、そうなんですよ」

 んん、と疑問を持った唸り。

「そりゃねえだろ、これまでの話はまあまあ聞けたがそれはねえ」

「いや、間違いなくそうですよ。ただ、トミノさんが歩いていた道は、この世界への道じゃないってだけで」

「そりゃどういう」

「俺達にこの世界への道しか無かったのと同じように、トミノさんも本来ならば学術の世界への道を歩いていたはず。その世界で成功する天から授けられた才能も、実力もあったはず。それをこの人は、シバさんの戦いが好きだからと言うたった一つの理由で、確実な成功があった道を捨て、この世界を選び、この世界への道を自分で作ったんです。そして、今こうしている時も、先のない道を何とか歩こうと戦っている。やっぱ何度考えてもカッコイイでしょ」

 ふーん、とクロサワは鼻を鳴らした。言いたいことはわからないでもないが、それ全てに同調するのもおかしいような。混乱を収めるために、グラスを傾ける。

 混乱するクロサワにとどめを刺すように、モモナリは更につぶやく。

「俺は、尊敬してますよ。その人」

 その言葉に驚いたクロサワは、口の中にあるものを吐き出すべきか飲み込むべきかの判断を迫られ、挙句中途半端に飲み込んだそれが気管に入ってしまい、大きくむせながら「こいつをかよ」とトミノを指差したのだった。




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誤字脱字メッセージいつもありがとうございます。
また、世界観についての質問についても、できるかぎりは答えていきたいと思います。

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