モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 7-氷の女

「貴方にはいつも助けられてばかりね」

 透き通るような美しい羽を撫でながら、彼女はその羽根の持ち主に語りかける。それに応えるように彼女の首筋を嘴がくすぐった。

 洞窟内は、そのポケモンが作り出す冷気によってこれ以上ないほどに冷え込んでいる。最も、それこそがこの洞窟が『いてだきの洞窟』と呼ばれる所以である。

 そのポケモンが作り出す冷気は、数多くのポケモンのゆりかごとなり、悪意ある人間を寄せ付けない。近代化の波が押し寄せつつあるナナシマの中で、貴重な繁殖地が廃れぬ要因の一つだった。

「お願い、もう一度だけ力を貸してほしいの」

 彼女は凍てつくように冷たいその胸に体を預けた。彼女にとっては凍りつくように冷たく、そのポケモンにとっては焼き付くように熱いはずなのに、一人と一匹はしばらくそのまま、お互いの傷みを分かちあっていた。

 

 

 

 

 セキエイ高原特別対戦場、関係者控室。備え付けの巨大なモニターと、対戦をベストな角度から眺めることが出来る広く大きい一枚ガラス。不正を防ぐために厳重に狭苦しく作られた観客席のどの席よりも快適に観戦できるその部屋はまさにリーグトレーナーの特権とも言えるもので「ここに来るためにリーグトレーナーになったようなもんだよ」と冗談半分真面目半分で笑うようなものも居るほどだ。

 気心のしれた者同士が集まれば多少砕けた雰囲気にもなるものだが、その日はとてもそんな雰囲気ではなかった。とうの昔にリーグトレーナーを引退したベテラントレーナーたちがこぞって集まっていた。

 中でも特に空気をピリつかせていたのは端に座る元四天王キクコの存在だった。世界を探しても前例がないほど長期に渡り現役を続けていた彼女は、今この場にいるベテラントレーナーがまだ新人の頃から重鎮だった。

 若手のトレーナーが息苦しさを感じていた頃、控室の扉が勢い良く開き「うーい」という気の抜けた挨拶があったかと思うと。

「おいおい勘弁してくれよ、ここは関係者控室だろうが、なんで死に損ないが居るんだ聞いてねえぞ」

 と、キクコの背に向け清々しいほどの大声で言い放たれた。当然にように控室はざわつく、その無礼ない物言いは若手トレーナーを不安にさせるだけではなく、キクコへの不敬にベテラントレーナーを怒らせるにも十分だった。

「相変わらず元気だねえクロサワ、野次以来だよそんなことを言われたのは」

 まだまだ元気な歯抜け笑いを上げ、キクコが振り返った。クロサワと呼ばれたその男はミラーグラスを外してニヤッと笑った。

「なかなか笑えること言うじゃねえかババア、一体どこの誰があんたを死に損ないだなんて思ってんだよ。まさか死に損ないの上にあんたを死に損ない扱いするバカが居るってかい? ええ?」

 クロサワがグルっと控室を見回すと、ベテラントレーナー達は思わず目を逸らした。

「やっぱ死に損ないばっかりじゃねえか、Aリーガー様と戦えるいいチャンスだってのによー。警備員は何やってんだ、仕事しろ仕事」

 彼は吐き捨てるようにそう言うと一枚ガラスのど真ん中の席にドカリと座った。そして自分から席を一つ飛ばしたところを指差して「ババア、あんたが隅っこにいるこたあねえよ、ここ座りな」と彼女を促した。

「あまり言ってやりなさんな、あんただってなんでこんなことになってるかくらい分かるだろう」

 勧められた席に静かに腰を下ろしながら、キクコはクロサワに諭すように言った。

「カンナとワタルのチャンピオン戦なんて、私より若い奴はみんな興味津々だよ」

「まさに旧世代って感じだからな、時代についていけなくなった懐古主義の死に損ない共が昔を懐かしむにはうってつけさ」

 今期チャンピオン挑戦者のカンナは、かつては四天王として伝説のトレーナー『レッド』と死闘を繰り広げたことでも有名な、チャンピオンロード世代の古豪である。近年はAリーグ中下位に甘んじることも多かったが、今期は気迫を見せつけ挑戦者になったのだ。近年でも珍しかったカントー古豪同士のチャンピオン決定戦は多くの古参トレーナーを惹きつけた。

「今期のあの女は強かった、この俺が保証するんだから間違いねえ」

 キクコはニマリと、年甲斐にもなく貼り付けたような笑みを浮かべた。このクロサワという男はベテラントレーナーの間ではよく槍玉に上がる不躾な男だが、こうやって認めるところはちゃんと認める気心のある男である。自分が若かった頃に比べればなんとも可愛げのある男だろうと思った。

「あの女自体、このリーグにもう少なくなっちまった『本物』のトレーナーだからな。数少ない『本物』同士のチャンピオン戦だ」

 ポケモンリーグ関係者控室でこの台詞を叫ぶことが出来るトレーナーが果たしてこの世に何人いるだろうか。恐れを知らない若手Aリーガーは自信に満ち溢れている。

 キクコはもう少し彼で遊ぼうと思い「後は誰が『本物』なんだい?」とクロサワを煽った。喋りたがりのその男は、待ってましたと言わんばかりに指折りながら矢継ぎ早に答えた。

「ワタルとカンナはさっきも言ったな、あんたは引退してるから除外するとして、まずはこの俺とイツキ、あとはカリンとシバ、ジムリーダーならシゲルを入れても良い」

 ニンマリ笑って、後は、と続けようとしたクロサワを控室の扉が遮った。「どーも」と現れたそのトレーナーに、控室内はまたもや少しピリついた。その男はそこにいるトレーナー殆どにとって『厄介な奴』だった。

「さあ、本物のお出ました。おーいモモナリ、ここ空いてんぞ」

 バンバン、とクロサワは自分とキクコの間の一席を叩いた。

「やーこれはクロサワさん、どーもどーも、ありがとうございます」

 モモナリは他のトレーナーへの挨拶もそこそこに一直線にクロサワとキクコの間に座った。他のトレーナーも、それを遮ってまでは彼に挨拶をしなかった。Cリーグをたったの一期で息をするように突破した未だ新人のトレーナーであるモモナリに、他のトレーナーも戸惑いと嫉妬の感情が交じり合っていた。

「キクコさん、お久しぶりです」

 キクコはモモナリに歯抜け笑いで返した。戦うことに貪欲でそれ以上に欲のないこの少年をキクコも気に入っていた。

「ウチのキリューが世話になってるねえ」

 彼女は自らの一番弟子の名前を出した、キクコは引退後才能あるトレーナーの発掘とバックアップに全力を注いでいた。キリューは彼女の一門として初めてリーグトレーナーとなった男である。モモナリより幾つか年上だが、バカ同士気が合うのかよく一緒にはしゃいでいることを知っていた。

「そういえばキリューが居ませんね。キクコさんが居てキリューが居ないのは珍しい」

「ああ、ありゃ野暮用さ」

「んな事はどうでもいいんだよ、おいモモナリ、お前さんは今日のこの試合どう見る? 俺はややワタル有利だと見てるが」

 クロサワが世間話をぶった切った。この男もまた戦いに貪欲で、感性の近いモモナリをよく可愛がっていた。

 モモナリもまた当たり前のようにその話題に食いつく。

「タイプ的にはカンナさん有利ですし、僕も今期エキシビションでカンナさんとやったんですけど特に衰えのようなものは感じなかったですね。それが聞いてくださいよ、カンナさんってああ見えて家には沢山の――」

 と、不意にモモナリの短い悲鳴で会話が途切れた。驚いたクロサワがモモナリの両手の行き先を覗くと、キクコの杖がモモナリの足の甲にめり込んでいた。傷みを想像してゾッとする。

「女の生活を只で話すもんじゃないよ。さ、その話は私も興味があるから続けな」

 ここにも戦いに貪欲なトレーナーが一人。モモナリは「イチチ」と両足をこすり合わせながら続けた。

「ただ、単純にはい氷タイプだから勝ちです。とはならないでしょうね。ワタルさんは多分世界で一番氷タイプに強いドラゴン使いですよ、なんてったってカンナさんと何年も付き合ってるわけですからね」

「へえ、わかってるじゃないか」

 キクコが一段階高い声で感嘆した。その感嘆を引きずり出せるトレーナーが果たしてどのくらい居るだろう。

「ワタルさんは裏の選択肢としてウィンディやハガネールも使えますから、そう簡単な話では無いでしょう。タイプを加味しても五分からややワタルさん有利と僕は見てますね。まあこんな予想なんて試合が始まってしまえば意味なくなりますけど」

 ほほおなるほど、とクロサワは笑顔を見せた、自らの予想とモモナリの予想が一致していたことに非常に満足気だった。

「もしカンナさんに隠し玉と言うか、何らかのサプライズ的な選出があれば一気に動くこともあるかもしれませんが」

 笑いながら続けるモモナリにキクコは驚いて目を丸くした。

 

 

 

 

 ふう、とワタルは一息ついてから立ち上がった。今日の対戦はより神経を使う長丁場になるだろうと気合を入れた。

 伝説となったシゲルとレッドの快進撃以降、ワタルは厳しい立場に追いやられることになった、シゲル、レッド共にチャンピオン業を拒否し、再び暫定チャンピオンとして活動を始めると世間の向かい風はより強くなった。

 ジョウトリーグとの併合後、世間はチャンピオンの陥落をより望むようになっていた。敗北の影があるチャンピオンよりも、強者のきらめきがある新チャンピオンを求めていたのだ。

 ワタルは鬼気を持っていて挑戦者を撃破し続けていた、執念の老戦士を、ジョウトの女帝を、世界を知る仮面の若者を、破天荒なカントーの若手を、尽く打ち破った。伝説を伝説たらしめるために、己も伝説の住人にならざるをえないという覚悟を決めていた。

 それだけに、今回の相手は必ずや乗り越えなければならぬ相手だった、かつて自分を最も苦しめた相手、カンナ。

 ドラゴン使いが乗り越えなければならぬ鍛錬の中に氷を操るポケモンへの対処が無いわけではない、ドラゴンの弱みを知ることもまた、ドラゴンと心通わす為に乗り越えなければならぬ壁の一つだった。

 しかし、ポケモンリーグというドラゴン使いの想定する世界観の真逆の地において、氷タイプの使い手カンナがワタルの前に立ちはだかった。ドラゴン使いの一族が何百年という歳月の中で出会い、もしくは想定してきたどの相手よりも驚異的だということは、ドラゴン使いとして不世出の天才であるワタルの苦戦が証明していた。

 激戦の歴史を積み重ね、ワタルはドラゴン使いとして考えられないほど氷への理解を深めた。カンナの存在は、ドラゴン使いの一族の中に間違いなく刻まれていたのだ。

 『レッド』の登場以降、カンナはAリーグでも中下位に甘んじることが多くなった。最強の氷使いであることに未だ変わりはなかったが、一人が幾つものタイプを駆使するようになった近代バトルにおいて、制約の多い氷タイプは、戦う前から不利になることが多かった。

 しかし、今期カンナは華麗に復活してみせた。『チャンピオンワタル』に尻込みしない古豪は、ワタルにとってやりにくい相手だ。

 

 

 

 

 カンナとワタル、両者が対戦場に現れ、ルールの確認をしている頃。関係者控室の扉が再び開いた。

「おーおー、嫌な奴が嫌な奴連れてきたぜ」

 現れた二人のトレーナーを見るやいなやクロサワが悪態をつく、最もそれは彼にとっては挨拶のようなもので、リーグトレーナーイツキも悪態で返した。

「負けた相手は嫌な奴か、チンピラは生きるのが楽そうでいいね」

「言ってろ、後ここは関係者以外立入禁止だ。金魚の糞は拭いてきな」

 イツキの後ろにいる少年をクロサワはなじった。カントー地方ではまだ目立つ金髪に色眼鏡の少年は不満気にうつむいた。

「クシノは僕の大切なアシスタントだ、上にも話は通してある」

「なーモモナリよ、Aリーガーとは言えイツキについていくのはよせよ、ああやって外套持ちにされるのがオチだぜ」

「チンピラがよくもまあ、モモナリ君、今は兄貴風吹かせているかもしれないけど所詮はチンピラ、心酔はしないことをオススメするよ。さて、キクコさん隣失礼しますよ」

 イツキはキクコの隣へ腰を下ろした、話題の中心のモモナリは「まあまあどっちにも付いて行かないということで」とお茶を濁してニコニコしていた。

「クシノ、下の売店で双眼鏡を買って来てくれないか、忘れてしまってね」

 イツキはジャケットの内ポケットから財布を取り出し、クシノに手渡した。そこに「おいガキ」とクロサワが割って入る。

「適当に軽く食うもの買ってこいや、四人分な」

 クシノに向けて伸ばされた指先には高額紙幣がニ枚「釣りは駄賃だ、取っとけ」と目線も合わせない。クシノは明らかに不満を露わにしていたが、それすらも届かない。

「俺も行こっと」

 瞬間ひらりとモモナリが席を立ち、クロサワの手から紙幣を奪い取った。クシノとクロサワが目を丸くする。

「おいおい、もう始まるぜ」

「ベテラン同士の序盤戦なんてどっちも落ち着いてますよ。それよりタバコと酒どうします?」

いつものクロサワなら「バーカ、これ以上ババアの寿命縮めるわけにも行かねえだろ」とかなんとか言うのであろうが、この時ばかりはあまりのことで「いや、いらねえ」としか返すことができなかった。

 それじゃ、行こうぜクシノ。とモモナリは控室から消えた。フェフェフェという歯抜け笑いと出来る限りこらえたイツキの笑い声がざわめきに混じっていた。

「掴めない子だねえ」

「さすがチンピラ、どっちが兄貴分なのかわからないな」

 おいおい勘弁してくれよ。とクロサワの弁解が続いた。

 

「おせーぞ! 早く座れ!」

 のんびりと買い出しをしていた二人が控室に戻ってくるやいなや、クロサワが彼等を怒鳴りつけた。イツキとキクコも彼をたしなめるようなことはせず、じっと対戦場から目を離さない。

 クロサワの怒鳴りがいつもの戯れだけのものではないと察知したモモナリは自分用の炭酸ドリンク以外の荷物をクシノに押し付け、対戦場を覗き込んだ。

 そこではカンナのジュゴンとワタルのハクリューが激しい肉弾戦を展開していた。ベテランの対戦としては珍しい、序盤からの激しい攻防だった。

「仕掛けたのは?」

「カンナの方だ」とクロサワ。

「そりゃ変ですよ」とモモナリ。

「こういう戦い方はポテンシャルの高いドラゴンの領域、ワタルさん側から仕掛けたならまだともかくカンナさん側から仕掛ける利点なんて」

「しかし現実にこうなっている、クロサワの肩を持つわけじゃないがカンナ側から仕掛けたのは間違いない」

 クシノから双眼鏡を受け取ったイツキはそれを覗き込んだ。

「カンナは自信満々という感じの表情だな、ワタルのほうが戸惑っているように見える」

「そりゃそうだろう、なんせ脆い方がわざわざ突っ込んできてるんだからな。と言ってもあえて動揺を狙うにはリスクがデカすぎる」

 クロサワが言い終わらないうちに中継のモニタから大きな歓声、ワタルのハクリューがカンナのジュゴンをノックアウトしたのだ。戸惑いながらも要所はきっちりと抑えた見事な立ち回り。

「そらみろ、あのレベルの対戦で数のアドバンテージを失うのはデカイぞ」

「ジュゴンを失ったのは大きい、器用さとタフネスさを両立したカンナパーティの屋台骨なのに」

 ううむ、とクロサワとイツキの二人が唸る。チャンピオンのワタルが有利になる事自体は珍しい事でも何でもないが、カンナの単調な立ち回りは古豪らしくない不可解なものだった。

「モモナリ、あんたはどう思う?」

 キクコの問いに、モモナリは炭酸ドリンクの蓋を開ける音で答え「もうちょっと見てみないとわかりませんよ」と続けた。

 

 

 

 

 ここまでは大方カンナの予想通りの展開であり、彼女の思うように進んでいた。普段の丁寧で冷静な立ち回りを全て逆手に取ったまるで脳のない突進ではあるが、着実にポイントを稼ぐ。作戦ミスだと思ってくれれば御の字だが、相手はワタル、自分がそんなミスをするなんてとても信じないだろう。

 しかし、まだまだこれを続ける。ワタルがほんの少しでも「あの女が乱心した」と慢心を覚えてくれれば、より勝ちに近づける。

 カントー地方から遠く離れたナナシマ諸島はヨツノシマ出身のカンナは、本来ならばヨツノシマの島民のひとりとして、ポケモンリーグなどという都会の文化とは無縁の生活をおくるはずだった。しかし、天から送られた才能とカントー地方でも数少ないラプラスの生息地であるいてだきの洞窟で培った氷タイプに対する知識の深さは、彼女に凡庸な人生を送らせなかった。

 いてだきの洞窟の生態調査のためにヨツノシマに立ち寄ったかつてのリーグトレーナー、オーキド博士は一人の少女トレーナーを見て驚いた、希少価値のあるラプラスを狙う密猟者にたった一人で立ち向かっているというその少女は、かつて自分が対戦したどのリーグトレーナーよりも氷タイプのポケモンと心通わせていた。

 その後彼女は当時チャンピオンだったキクコと対戦。その才能を認められ、数年後にはカントーポケモンリーグトレーナーとしてデビュー、『レッド』との死闘などカントーポケモンリーグの歴史に残るトレーナーの一人となった。

 彼女は元々チャンピオンの地位に執念を燃やすタイプでは無い、いてだきの洞窟が自らの縄張りであり、密漁を目論んだ者がどうなるかというアピールができればそれで目的は達成していると考えているところがあった。

 しかし、ここ数年のワタルの奮闘ぶりを見て思うところがあった。カントーポケモンリーグに課せられた『汚名』を何とかして返上しようと、たった一人で奮闘するチャンピオンの姿は、苦楽をともにしてきたカンナの闘争心を再び燃え上がらせるに十分だった。あの男と戦いたいと心の底から思った、あの男に自らの持てる全てをぶつけて、あの男の強さと、覚悟と、後悔を感じたかった。あわよくば彼女自身もあの時の屈辱を晴らすための一人でありたいとも思った。自らの強さと、ワタルの強さを、世間にもっと、もっと知らしめたかった。

 これは最後のチャンスだと思っていた。『シゲル』と『レッド』以降に現れた全く新しいトレーナー達、彼等はポケモンに対する知識を深めると共に、数多くのタイプのポケモンを操ることを可能にし、バトルを効率化し、より戦術を深め始めていた。

 自らがもう少し若ければ、それに対する対抗心を激しく燃やすことも出来ただろう。しかし、それだけのものを、バトルに人生を捧げるには歳を取り過ぎていた。年々勝つのは難しくなり、今期の活躍も相当運が絡んだ部分もあるように思えた。

 だからこそ、この試合に全てをかけたい、去りゆく古豪の最後の力を見せたいと思っていた。

 

 

 

 

 

 

「なるほど、わかりました」

 トン、と飲みかけの炭酸ドリンクを机に置き、モモナリが一人納得したように一段階高い声を上げた。

 対戦上ではルージュラが、やはりがむしゃらにプテラに攻撃を続けていた。その光景すらも、リーグトレーナー達から見れば不可解。ルージュラに力強さがないわけではないが、打たれ弱く、陽動が得意なポケモンでやるような行動ではない。

「つまりカンナさんは、『五体のポケモンでワタルさんのポケモンを三体倒せればいい』と考えているということです」

 その答えにクシノはなるほど、と頷いたが、クロサワとイツキはため息を付いた。

「モモナリよお、そんなことは見りゃあ分かるんだよ。何でそんなことするかが分かってねーんだよ」

 クロサワが大声で否定する。イツキもクロサワにバレないように小さくウンウンと頷いた。

「下手にちょこまか動いたりじっくりやるより、多少無茶なインファイト仕掛けたほうが確実にダメージを稼げますし、いやこれは理にかなってますよ、ワタルさんが油断してざっくりとした試合運びになればより行けますし、なるほどなるほど」

「いやだからよお、んな事はわかってるんだって、ワタル相手にそれをしてどうすんだよ?」

「ラストに自信があるんですよ、ラストに対してワタルさんの残りが三体なら十分だという自信が」

 モモナリのその発言に、控室がシンと静まり返り、重苦しい雰囲気が漂う。クシノはその異様な雰囲気に戸惑う。

 その沈黙を破ったのは、クロサワの低く小さい声だった。

「ワタルの後続三体を倒して余りあるだと?」

 イツキが一つ咳払いした。明らかに雰囲気を変えたクロサワに「あまり騒々しくはするなよ」という牽制だった。

「それが出来りゃあ、俺やイツキは今ここにゃあ居ねえんだ。チャンピオンの後続三体を連続でぶちぬくだって? カントーとジョウトで最もレベルが高かった二人の対戦で、そんな絵空事が起こるワケがない。それが出来るなら俺やイツキがもうやっている。一体どんなポケモンを従えればそんな馬鹿げたことが出来るんだ」

 普段は槍玉に上がるクロサワの発言だが、この時ばかりは控室の殆ど全員が同意見だった。イツキですら大きく頷いていた。

 ほぼ全員が、モモナリに意見を変えることを求めていた。このままだとクロサワが彼に何をしてもモモナリを擁護することができない。

 しかし、この一見おっとりとしているようで心の中に強く激しく燃えるものを携えている少年には、その場の雰囲気とか年功序列とか逆らうべき相手と逆らうべきではない相手とか、そんな戦いに関係のないことは殆ど無関係だった。

「いや、やっぱりそうとしか考えられない、そうでなければカンナさんは自らを不利にするように立ちまわっている事になります。あの人は優しい人だからそんなことをするとは考えられません」

「あんたは自信あるのかい? モモナリ」

 それまで沈黙を保っていたキクコの発言に、控室はもう一段階上の危険な雰囲気へと包まれる。生ける伝説であり未だにポケモンリーグに強い影響力を持つトレーナーの一人であるキクコのその質問への返答は、もしかすれば一人のトレーナーの今後を大きく左右することになるのかもしれない。ちょっとばかし口が悪く、オモテウラのない破天荒な先輩を怒らせるのとはわけが違う。

「ワタルの後続三体を倒す。自信は?」

 その場にいるトレーナー全員が、モモナリの返答の為に沈黙を創りだした。

 モモナリは、何の悪びれもなく、言葉を震わせるわけでもなく、まるで出身地や年齢を聞かれた時のようにすました顔で答えた。

「できないと思うほうがどうかしていると思いますよ。自らのパートナーにそのポテンシャルを感じるのであれば、それを信じるのは当然でしょう」

 モニタから歓声、トレーナー達が慌てて目を向けると、ルージュラがプテラの攻撃に倒れ、カンナの手持ちがラスト二体となっていた。対するワタルはプテラを含めて残りは四体。しかしプテラはルージュラの『てんしのキッス』によって混乱状態。戦力としては微力といったところ。

 控室はカンナの次の手持ちに注目した。カンナはエース格のポケモンであるラプラスを温存している、もし次のポケモンがラプラスではなく、例えばヤドランなどのようなサブだった場合、残りの一体は殆どの確率でラプラスということになる。

 モニタの中、カンナがボールを放り投げ、ポケモンを繰り出した。

 登場したのはラプラスだった。控室が騒然とする。「マジかよ」と、クロサワがつぶやいた。

 もちろんそれだけでモモナリの言うように『より強力なエースが控えている』事が確定するわけではない。古豪トレーナー特有の無いものを有ると見せかける駆け引きかもしれないし、プテラを確実に倒すための選択肢かもしれない。

 しかし先ほどのモモナリの大演説は、トレーナーの殆どが予想だにしなかった『カンナに未知のエースの可能性』をくっきりと浮き出している。控室のトレーナーの殆どが『もしかするとカンナには本当にラプラスより強力なエースが居て、ワタルの後続を全部ぶちぬくつもりなのではないか?』という思考に支配されていた。

「どんなポケモンなら、それが可能なんだい?」

 一連を見届けていたキクコが、改めてモモナリに問う。不思議と言葉尻に棘はなく、本当に興味本位のように聞こえた。

「ポテンシャルはまず第一、氷使いのカンナさんがラプラスよりも可能性を感じる程の力を持ったポケモン」

 一つ、とモモナリは人差し指を立てた。そしてもう一本立てる指を追加する。

「それよりもより重要なのは、お互いの信頼の深さ」

 その言葉に、キクコは「なるほどねえ」とつぶやき、その他のトレーナー達は少しだけざわめいた。

 信頼、トレーナーとポケモンの関係を語る際に理想として重用される言葉、しかし、その言葉はあまりにも倫理的な感覚が強すぎる言葉で、モモナリのようなエリート街道を走りぬけんとしている者が使うと違和感があるように感じられた。

「ポケモンがトレーナーを信頼するだけの一方的なものじゃ駄目ですね、お互いがお互いを対等の立場で信頼しあっているのが理想です。もちろんカンナさんとその他のポケモンに信頼がないわけではないと思いますけど、恐らくはそれ以上の、付き合いが長い、殆ど友人のような」

 モニタから歓声、ラプラスがプテラを叩き落とし、戦闘不能にした。

「混乱状態のプテラを入れ替えで温存しなかったか、早くて先手の取れる岩タイプのポケモンなんだが」

 イツキが双眼鏡を覗いたままつぶやく。

「ワタルも下手にダメージを貰わないようしているな、展開よりも戦闘不能による仕切り直しを重要視している。恐らくワタルも警戒している、未だベールに包まれている六体目を」

「わからねえ、そんなポケモンを持っているならなんで今まで使わなかったんだ」

 クロサワの疑問はもっともである。ただでさえチャンピオンにタイプ相性で優位に立っていたカンナである、古くから信頼のあるより強力なエースがいるのならば、もっと昔から積極的に使っていれば、一時代を気づけたのではないか。

「もう少しで分かるよ」

 不意にキクコがそう呟く。周りの四人は一斉に彼女に目を向けた。明らかに何かを知っているような、そんな口ぶり。

「おいババア、なんか知ってんのか。教えろ」

 興奮するクロサワをスネへの杖攻撃で窘め、同じく声を上げそうになったイツキを目線で牽制してから。

「まあ待ちなよ、それをこの場に出すかどうかは彼女次第。もし出すようなことがあれば、後は早く伝わるか遅く伝わるかの違いだけさ、最も、殆ど正解に近い事を言われてしまったけどね」

 と、モモナリに目線を向けながら神妙な面持ちで言った。

 

 

 

 

 カンナというトレーナーは、こんな単調で素人じみたゴリ押しをするタイプのトレーナーではない。ワタルもそれはもちろんわかっていた。これは単調に見せかけた変調、このゴリ押しを自分が受け入れている時点である程度カンナの用意した土俵で戦っていることもわかっている。

 それでもなお、自分自身がチャンピオンであることを世間に見せつけるために、ワタルはそれを受け入れる。相手のすべてを受け止めて、それでもなお勝利する。それこそがチャンピオンでなければならないと彼は強く思っていた。

 ラプラスに対して彼は四体目のギャラドスを繰り出した。対戦場に巨大な咆哮が響き渡り、全てを威圧する。

 カンナのラプラスは裏芸として『かみなり』を選択肢に持っている、プテラが与えていたダメージを活かし、隙を与えず、多少のリスクを背負ってもここで倒しきりたい。

「あばれる」

 ギャラドスの巨躯がラプラスに襲いかかる。ラプラスは『こおりのつぶて』で対抗したが威嚇の影響なのかあまりダメージは通らない。一発、二発と地面に叩きつけられ、戦闘不能となった。これでカンナの残りは一体、観戦場のファンは今年もワタルの防衛かと当たり前になりつつ有る光景に少し既視感を覚えながらも、それでも歓声を上げた。

「さあ、どう転がる」

 当然のことながら、ワタルはここで気を緩めたりはしない。むしろここからが本番、この状況はカンナが古豪リーグトレーナーとしての見てくれを捨ててまで創りだした状況。何が待つ。

 カンナは、まだ新しいハイパーボールをじっと見つめていた。それは常に勝負に冷酷だった彼女の印象からすれば意外な光景だった。

 やがて、彼女は意を決したようにふっと息を吐いて、そのボールを対戦上へと投げ込んだ。じっと、ワタルはそのポケモンの一挙一動を捉えんとする。何が来ても動揺せず、正しい対処をしなければ。

 現れたポケモンは、ひらり、と身を翻したと思うと、両の翼を羽ばたかせて空高く舞い上がる。すると途端にセキエイの空気は鋭さを持った寒さに変わり、雪混じりの風が吹き荒れた。

「なるほど、厄介だ」

 とワタルは冷静に努め、状況の整理をした。

 繰り出されたポケモンはフリーザー、カンナの手持ちのフリーザー。

 長い長いドラゴン使いの一族の歴史でも初めて出会うだろう、これ以上ないほどに、おおよそ考えつく上で最悪の『天敵』だった。

 

 

 

 

「そんなの」

 ゴクリ、と誰かが生唾を飲み込んだ音が聞こえた。なにか気の利いたことを言おうとしていたのだろうか、クロサワは一度言葉を切って沈黙したが、それが何も思いつかず、自らの思ったことをそのままひねり出すしか無かったのだろう。

「そんなのありかよ」

 と凡庸な台詞を続けた。しかし、それはこの上なく正しく、今この場にいる殆どのトレーナーの気持ちを代弁していた。

「僕達は幸せ者だ」

 イツキの声はすこしばかり震えていた。それまで片手で持っていた双眼鏡は、両手でしっかりと握りしめられている。

「世界中の学者連中が羨んでいると思うよ」

 一部の冒険家を除き実物を見た者は数少なく、生きて戦うところなど夢のまた夢、本当の意味で伝説と呼ばれるポケモン、フリーザー。

 それが今、目の前で動き、飛び、戦わんとしている。トレーナー達の興奮は計り知れない。

 しかし、ただ一人モモナリだけは、冷静に局面を分析していた。

「ここから三匹抜くにはこのギャラドスとの対戦は無駄な体力を使いたくないはず」

 そういうが早いか、対戦上のギャラドスはフリーザーに襲いかかる。

「力任せに暴れてっから興奮してて相手が見えてねーのか」と、クロサワが驚く。その後に何か言葉を続けようとしたのだろうが、カンナとフリーザーの迎撃はそれを遮った。

 フリーザーは羽ばたきの風圧で『あられ』を吹雪かせてギャラドスの視界から消え、ギャラドスの大きく開いた口に冷気の光線を撃ちぬいた。

 途端にギャラドスの動きは鈍くなり、それでも力任せに暴れようとしたギャラドスの体が、見る見るうちに氷漬けになる。ギャラドスが戦闘不能に陥ったのは見るからに明らかだった。

 控室は少しの歓声と、困惑の声が上がる。

「水タイプのギャラドスに氷タイプの技はそれほどダメージが通らないはずでは」

 彼等の戸惑いの声をイツキが代弁する。

「体内の水、それと体液を『フリーズドライ』したのさ、つまりは内部から凍らせたわけだね。デカイ水タイプほどあれがキツイ」と、キクコが返した。

「カンナさんの指示から、フリーザーの行動までがとても早い。多分この組み合わせは短い付き合いじゃないですね」

 モモナリのその言葉に、歯抜け笑いが帰ってきた。

「憎たらしいほど鋭い子だね。若い頃のオーキドそっくりだよ」

「おいババア、あんたこれを知ってる風だったな、一体どういうことなんだよ」

 キクコの肩をガンガン揺すりながら、クロサワが声を上げる。

「どうもこうも、私はカンナ本人から聞いてただけさ」

 クロサワの追求は、モニタを眺めていたトレーナーの「おおお」という声にかき消された。

 慌てたイツキ達が対戦場に目を移すと、そこにいたのはワタルが繰り出した巨大な鋼の龍、ハガネールだった。

「裏の選択肢」

 モモナリが呟く「恐らくは試合を有利にすすめるための潤滑油としての投入、カンナさんがあまりにも無謀な攻めを狙うから繰り出す機会がなかった。しかしこうなると大きな意味が出てくる」

「ラス一がカイリューだとして、ハガネールとカイリューか」

 クロサワが指折る。

「タフネスなワタルのカイリューを相手することを前提とすると、あまりここで体力を使いたくはねえ、しかしハガネール相手にどう立ち回れば」

 モモナリ達と同じことを対戦場の二人も考えているのだろう、ジリジリとお互いの様子を見ている、ここに来て、ようやく古豪同士らしい繊細な試合展開に突入した。

「ここから長くなるかもね、ハガネールの硬い体は『あられ』ごときかすり傷にもならない」

 キクコの言葉に、クロサワが「だが、どっちかが動けば一瞬でことが進むぜ」と合わせた。

 

 先に動いたのはワタルの方だった。

 ハガネールがとぐろの体勢を取ったかと思うと、その体を擦り合わせ、不快な『きんぞくおん』を響かせる。

「動いた」

 とイツキが叫ぶ。

「特殊攻撃への耐性を減らす『きんぞくおん』か、ラストのカイリューに託すつもりだな。凡俗な考え方だが、そうは言ってられねえな」

 対するフリーザーは、先程と同じく『れいとうビーム』をハガネールに打ち込んだ、しかし、それはハガネールの頬をかすめただけだった。

「外した」と控室がどよめく。

「ただ外したんじゃない、ワザとやっている、これ以上ない『ちょうはつ』的な行為です。ハガネールも決して大人しいわけではない、出るとこ出れば生態系の頂点にも立てる格のあるポケモン、このまま引き下がりはしないでしょう」

 モモナリの言うとおり、それは攻撃というより『ちょうはつ』だった。必ず相手が攻撃してくるというデメリットはあるが、厄介な補助技を打たせないメリットのほうが大きい。

「だがあまり意味は無い。確かに不完全だが『きんぞくおん』が成立した時点でハガネールが成すべきことはしている。むしろフリーザーとはいえ相性の悪いハガネールの攻撃をさばけるのか?」

 クロサワの言うことをワタルも理解している、今ここで補助技の指示を出そうとも、興奮でまともなものにはならないだろう。完璧なものとはいえないが『きんぞくおん』を一度響かせた事で目的は果たしている。後はハガネールの破壊力に期待するのみ。

 ハガネールは頭を下げ、自身のしっぽを振り上げ『アイアンテール』をフリーザーに叩きつけんとした。吹き荒れる『あられ』の風が切り裂かれる。

「あっ」と双眼鏡を構えたイツキが叫んだ。その後少し遅れてモニタから大歓声。

 ハガネールの『アイアンテール』はフリーザーに触れんとするギリギリのところで、その動きを止めていた。尾だけではない、ハガネールの巨体そのものが、先ほどのギャラドスと同じように氷漬けになっていたのである。

「『ぜったいれいど』だね」

 キクコには珍しい、感嘆混じりの言葉だった。

「ジュゴンやラプラスが使うのは見たことがあるが、ここまで見事だと何も言えなくなるな」

 クロサワですら、ここまで素直に賞賛した。

「すごい」イツキも同じく感嘆し「一撃必殺技って、こんなに美しいものだったんですね」と続けた。

 しかし、控室でただ一人、モモナリだけはうーんと首をひねらせていた。

「これでこの試合はよりわからなくなりました。ワタルさんは『きんぞくおん』で主張を通し、カンナさんは『ぜったいれいど』でフリーザーの体力を消耗すること無くタイマンに持っていける。お互いに理想とは言えないまでも悪くない展開。そしてフリーザーとカイリューの一騎打ち」

 殆どのトレーナーの予想通り、ワタルのラストはカイリュー。『あられ』が吹き荒れる中、チャンピオンワタルの最も信頼する巨大なドラゴンが、地響きを立てて降臨した。

 誰かがこのマッチアップの展望を語り始めるより先に、カンナとフリーザーが仕掛けた。

 フリーザーは口から幾多もの雪を吹き出すと、氷の羽ばたきと共に『ふぶき』をカイリューに打ち付ける。

「終わったか!?」と誰かが言った。いくら業界でも屈指のタフネスを誇るとは言え、ドラゴンタイプと飛行タイプであるカイリューにとって氷タイプ最強の技である『ふぶき』は強烈、しかもただの『ふぶき』ではない、伝説のポケモンフリーザーが創りだした物、威力の想定が出来るわけがない。

「いや」双眼鏡を覗くイツキが否定する「まだある」

 カイリューは全身に張り付いている雪の塊を振り落とすと、口から炎を吹き出して、両翼でそれを『ねっぷう』として吹きつける。氷タイプへの牽制として有効な炎タイプの技。

 『ねっぷう』は攻撃範囲の広い技だが、フリーザーは身を翻してそれをかわした「外した!」とクロサワとイツキが叫ぶ。

「フリーザーの姿が『あられ』と『ふぶき』に紛れて正確な狙いをつけられなかったんだね、対するフリーザーは『あられ』で確実に『ふぶき』をぶち当てられる。伝説のポケモンが伝説たる所以だよ」

 キクコは冷静だ。

「カンナの勝ちだ」と控室の誰かが言った。その言葉につられて、トレーナー達はようやく状況を理解した。さすがのカイリューももう一発の『ふぶき』は耐えられない。冷静に状況を見れば見るほど、カンナの勝ちは揺るがない。チャンピオンが変わる、誰もがそう思った。

「雨だ」

 不意に、モモナリがそう呟いた。イツキとクロサワは彼が何を言っているのか理解ができなかった。

「『あられ』が『あめ』になってる」

 モモナリが言うとおり、対戦場の『あられ』は『あめ』に変化していた。カイリューの『ねっぷう』が対戦場の空気を温め、フリーザーの作り出す『あられ』を『あめ』にしていた。

「だからなんだ」と誰かが言った。

 『あめ』の中でもフリーザーはカイリューに狙いを定め、止めと言わんばかりに『れいとうビーム』を繰り出した。

「足りない!」とモモナリが叫んだ。

 『れいとうビーム』をもろに受けたカイリューはぐらりとその巨体をふらつかせたが、すんでのところで堪え、今度はしっかりと、フリーザーを見据える。

 そして、頭部の触覚が火花を上げたかと思うと、一線の稲妻。電気技でも最高ランク『あめ』ならば必ず相手に当たるところから『かみなり』と名づけられたその技は、伝説のポケモンフリーザーを確かに貫いた。

「それも足りない」モモナリが続ける。

 フリーザーは地面に叩きつけられたが、まだ体力は僅かに残っているようだった、泥にまみれた体を起こし、攻撃の体制をとった。

「終わった『こおりのつぶて』だ」今度はクロサワが叫んだ。威力は小さいが必ず先制できる小回りの効く技。

「『しんそく』だ」クロサワの叫びを、モモナリが打ち消す。

 そう、フリーザーが『こおりのつぶて』を作り出すよりも、カイリューの『しんそく』の突進が勝った。カイリューの巨大な体はフリーザーを吹き飛ばし、伝説は望まぬ形で宙を舞った。

 まだあるか、とトレーナー達は息を呑んだ。しかし、再び地面に叩きつけられたフリーザーは、立ち上がることができなかった。審判員が戦闘不能を告げるよりも先に、カンナがトレーナーがいるべきパーソナルエリアを飛び出し、フリーザーのもとに駆け寄っていた。チャンピオン決定戦において、トレーナーがパーソナルエリアから出ることは重大な反則だが、審判員はカンナがパーソナルエリアを飛び出すより前に勝負は決していたとして、反則を適用せず、カンナの全てのポケモンの戦闘不能により勝者がワタルであることを宣言した。

 

 あれほどざわめきでごった返していた控室も、少しずつ落ち着きを取り戻し始めていた。

 とはいっても、それはその場にいたトレーナー達全てが落ち着いたという意味ではなく、状況の整理がうまくできなかったトレーナー達がほとんど控室を後にしているということだった。

「残酷だね」

 キクコが小さく呟く。

「あそこまでやって、負けるなんてね」

 その言葉にはモモナリ達も概ね納得だった。

 しかし、そことは違う部分で納得が行かない。今、この場でそう言うモヤモヤを最も嫌う男はクロサワだった。

「ババア、あそこまで思わせぶりなこと言ったんだ、ここでダンマリってのは無しだぜ」

 キクコは一度遠くを眺めた。そしてため息混じりに「まあ、早かれ遅かれだからね」と答える。

「アンタ達、疑問に思ったことはないかい。なぜカントー地方のいてだきの洞窟が氷タイプのラプラスの繁殖地たりえるか」

 四人は確かに、と首をひねった。カントー地方は比較的温暖な気候で、シンオウ地方のように豊富に雪がふるわけではない。まして言えばヨツノシマは多くの一般人が平和に暮らす普通の島である。そこにある情報がさも当然のことでこれまでそれを疑問に思うことはなかったが、よく考えてみればおかしな話だ。

「ふたご島と同じさ」とキクコは続ける。

「いてだきの洞窟はラプラスの繁殖地であると共に、フリーザー達の休息地でもあったのさ。そしてカンナは子供の頃から今に至るまで、フリーザーと交流がある。考えてもみな、手段は選ばない密猟者相手に、娘っ子一人で何が出来る? カンナとフリーザーは十年来の付き合いなのさ」

 なるほど、とイツキが合わせる。

「あのフリーザーは、本当の意味でカンナの切り札だったのか」

「そんなもんじゃないよ、伝説のポケモンが人間の利益のためだけにへーこら言うことを聞くわきゃない。かわいいカンナの気持ちをフリーザーが汲んでやったのさ、まさに体得したポケモンとの関係だよ」

 ちょっと待った、とモモナリ。

「それなら今ヨツノシマにはラプラスを守るものがいないんじゃあ」

 フン、とキクコはそれを鼻であしらう。

「さっきの試合を見て勘の良い密猟者はいてだきの洞窟に向かうかもね」

 心底楽しそうにフェフェフェと笑う。

「ヨツノシマにはキリューとキシを含めた私の弟子を全員向かわせてるよ、密猟者一人倒してご褒美、生け捕りにしたら更にご褒美をやると言ってるからさぞかし張り切るだろうねえ」

「あーあ」とモモナリは思わず笑ってしまった。キリューはバッジ八つ持ちのBリーガー、キシはまだまだ若いがバッジ六つの超本格派である。密猟者が逆にハントされるという光景が見れるかもしれない。

「一応オーキドにも声をかけているし、まず安心だろうね。あのジジイが動けば孫も動く」

「うわー、えげつねえな」

 思わずクロサワもそう漏らす。引退したとはいえキクコの影響力を再認識した。

「人嫌いで有名なカンナが頭まで下げたんだ、このくらいの事はやらなきゃ女がすたるよ。さて、そろそろ私もヨツノシマに向かおうかねえ」

 キクコはそう言ってクシノから杖を受け取ると、クロサワの肩を借りて立ち上がった。

「ああ、そうだ」

 思い出したようにキクコが呟く。

「あんたら、今日のカンナに勝てるかい?」

 その言葉に、イツキ、クロサワ、モモナリは身を固まらせる。

「古くて、時代遅れの、体得したポケモンとの関係。あんたらそれに勝てるかい? ワタルはきっちり勝ったよ、まあ、あいつも大概古い人間だがね」

 歯抜け笑いを残して、キクコは控室を後にした。残された四人は、じっと黙りこくる。

 そう、ついさっき見た光景は、自分達がいずれ対面しなければならない光景なのだ、伝説のポケモンを使われるということも、それに打ち勝つトレーナーと戦うことも、起こりえる現実。

「そんなの、やってみなければわかりませんけどね」

 閉じられた扉に向かって、モモナリは呟いた。その言葉を絞り出せたことに、クロサワは驚いていた。勝てる、とも、負ける、とも答えなかったモモナリが信じられなかった。

「キツイことを言われたね。クシノ、君はどう思う?」

「おい、ガキを困らせんな。モモナリ、飯でも食いに行くか」

「いえ」とモモナリは答えた。それはとても珍しいことだった。

「僕もヨツノシマに行きます」

 はあ? とクロサワ。

「だってキリューがいて、キシ君がいて、シゲルがいて、キクコさんもいるんでしょ? おまけに相手が相手だったら幾らでも暴れていいんだから、行くしかないでしょう」

 クロサワは頭を掻いた。この男と付き合い続けると、いつか自分が壊れるのではないかと笑った。

「しかたねえな、付き合うぜ。あんな事言われちゃひと暴れするしかねえな」

「僕も付き合おう、あれだけのものを見せられて、カンナさんに申し訳ないからね」

 四人の男は、揃って控室を後にした。




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