モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。 作:rairaibou(風)
・ハイツカ(オリジナルキャラクター)
シオンタウン大地主一族の令嬢
心の底から善人だが、故にポケモンタワーを巡る噂に心を痛めている
何度か用心棒としてモモナリを雇用しているため、概ね彼の人間性を理解している
・モモナリ(オリジナルキャラクター)
主人公、この章では30代前半でハイツカに用心棒として雇われている
ぶっちゃけ日当は高くなくてもいいのだが、それなりに求められる仕事はするため低くする理由がない
今回のことをエッセイに書こうとしたが、編集に「こういう事は『マボロシ』(オカルト雑誌)に書いて」とボツを食らった。
物置で見つけた大きな懐中電灯が、パツパツと瞬き始めたことは、彼にとっては予想外のことであった。
里から自然に自然にと、裏山に足を踏み入れると現れる小さな洞穴は『鬼の恐れ穴』と呼ばれている。不自然な広がりと、わずかに残る生活の跡から、伝説に残る『鬼』の住処と語られていたからだ。尤も、現代では『鬼』を見た者などおらず、不自然に見える空白からこじつけただけとも言える。
スグリは、その洞穴の中で、オタチと共に毛布にくるまりながら、点滅を繰り返す懐中電灯を小さく振っていた。
尤もそれは、外を吹き荒れる吹雪から身を隠すためではない。
彼は自らの意志で『鬼』に出会うためにここにいるのだ。
「まずいべ」と、彼は小さく、白い息を吐きながら呟いた。
感覚的に、電池が切れそうになっていることを理解していた。
こんなことなら新しい電池を持ってくればよかった。
だが、おそらくそれはできなかっただろう。
モモナリというトレーナーから聞いたあの話を聞いて、じっとしていることのできる性分ではなかった。
できれば、明かりは失いたくなかった。
寒いからではない、毛布もある、オタチだっている。感じる肌寒さは、気の所為のはずだ。
だが、鬼の顔が見えなくなるかもしれないことは避けたかった。
しかし、無常にも、段々とその光は弱くなっていく。
その時だ。
突然、自らの懐で震えていたオタチがそこから飛び出し、穴の向こう側、彼らから見れば外に向かって威嚇を始めたのだ。
「何だべ」
スグリは、突然のことに動揺し、懐中電灯を倒してしまう。
おとなしいオタチがそんな姿を見せるのは久しぶりのことであった。
そして、耳をすませば、聞き慣れた吹雪の咆哮の中に、わずかに砂を踏む足音が混じっていることに気づいた。
「鬼さまか」と、スグリは期待と恐れに満ちた呟きをする。
もしそうでなければ、自らの身が危ないだろう。スグリはそれを恐れている。
だが、そもそも彼の期待通りそれが『鬼さま』であったとしても、彼の身は危ないのかもしれない。
憧れの存在が自らに好意的であるという思い込みから卒業するには、彼はまだ若すぎた。
足音が、近づく。
オタチは、更に威嚇の声を強める。
スグリも、それに答えるように膝を立てた。
だが、聞こえてきた声は覚えのあるものであり、そして、意外なものであった。
「やあ、これは」
懐中電灯が、最後の力を振り絞るように、パチリとそれを照らした。
「良いパートナーだね、君を護ってる」
ハイツカの用心棒、モモナリであった。
突然に「水筒ある?」と問われ、スグリはそれを差し出した。
惜しいという感情はなかった。利便性を重視するために持ってきた無地の物であったし、何より、その中にある冷え切ったほうじ茶は、今は間違っても口にしたくはないものだったから。
それを受け取ったモモナリはすぐさまにその口を開き、繰り出したピクシーが炎で温めた石を放り込んだ。
一瞬、それは鉄板で焼かれる肉のような音をはじき出したが、しばらくコロコロと振られると大人しくなり、水筒の開け口からは湯気が立ち始め、それは、スグリに差し出された。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとう、ございます」
それを受け取ったスグリは、付属のコップにそれを注いで口をつけた。
久しぶりの、自分よりも温かいものだった。否、熱いくらいかもしれない。
それは喉を通り、彼を内臓から温めるだろう。
少し口に残るジャリジャリとした食感は、多少の愛嬌だろうか。
「あの、モモナリ、さんも」
「おお。ありがとうねえ」
恐る恐る提案されたそれに、モモナリは笑顔で乗る。
手渡されたコップを「あち、あち」と傾けて、一つ白い息を楽しんだ。
「昔、レンジャーさんから教わったんだ」
ピクシーをボールに戻して、続ける。
「ゴルダックの『ねっとう』でも良いんだけど、ちょっと生臭いんだよね」
ジバコイルに繋がれた懐中電灯の眩しいくらいの間接照明を頼りに、彼はコップをスグリに返した。
「あの」と、スグリはモモナリに問う。
「モモナリさんも、鬼さまに会いに来た、べか」
わずかに笑顔を向けられながらの問いに、モモナリは一瞬眩しそうにそれから顔をそらした。
そしてしばらく、どうすれば嘘をつかずにすむのか、ということを考えてから、彼は答える。
「ああ、そうだよ」
「やっぱり」と、スグリはわずかな笑顔を満面のものにした。
それから、スグリはしばらく『鬼さま』についてモモナリに興奮気味に語った。
それはまるで、というより、好きなものを共有できる友人を見つけた少年そのものであった。
それは、あまりキタカミでは理解されない感覚であった。
里での伝説は、人里で暴れていた鬼を三匹のともっこがその命と引き換えに沈めたと言われている。
明らかに、倫理的な面で見れば、道徳心を重視するのであれば、憧れるべきはともっこの方であろう。
だが、スグリはそうではなかった。
彼は里の人間が称賛する三匹の強いともっこをたった一人で相手にし、それでもなお沈むことのなかった鬼の強さの方に憧れていたのである。
奇しくも、それはモモナリも同じであった。尤もそれは、憧れとは別の感情であったが。
時間を忘れ、興味深げに相槌を打ってくれる友人に、それを続けた。
「鬼さまは、一人で、三匹を相手にしたんだべ」と、彼は何度目かわからない言葉をつなげる。
そして、一瞬沈黙して、新たな言葉を続ける。
「モモナリさんは、リーグ、トレーナーだべか」
彼はそれに、何でも無いことのように答える。実際に、なんでも無いことだった。
「ああ、そうだよ」
「じゃあ、強いんだべか」
「まあ、強いよ」
その答えに、スグリは息を呑んだ。彼の中で最強であった姉を、文字通り圧倒したあの姿は、彼にとってはあまりにも衝撃的すぎた。
故に彼は、半ば弾けるように、その質問をした。
「リーグでも、一番、強いんだべか」
その問いに、モモナリは間髪を入れず、考えるまでもなく、物思いに耽る訳でもなく、噛みしめるわけでもなく、大きく笑った。
小さな洞穴に、彼の声が反響し、ジバコイルが僅かにだけ目を細めた。
「それが、そうでもないんだなあ」
彼はポンポンとスグリの肩を叩いた。まるで勘違いを面白おかしく咎めるように。
「そう、なんか」
スグリは彼の急な笑い声に驚きながらも、その質問の無礼さに目を伏せた。
「ごめんなさい」
「どうして謝るんだい」
「だって、嫌だべ」
「何が」
「自分より強い人がいるのって、嫌だべ」
彼の感覚では、そうであった。
スグリは、身近に姉という最強がいた。彼自身のバトルの資質はともかく、彼は常に彼女の下にあった。
それを悔しいと思ったことは無かったかもしれない、だがそれは、それを仕方ないと受けいれているからであった。
故に、リーグトレーナーと言う、最も強さが求められる職業に置いて、自らより強い人間がいるという事実は、それだけで自身の存在の否定になるのではないかと、言葉にはできずとも、スグリは感覚的にそう思っていた。
そしてそれは、おそらく間違ってはいないのだろう。
だが、モモナリはそうではなかった。
「嫌なもんか」と、彼はちらりと外を見やってから続ける。
「世界には、いくらでも強いトレーナーがいるんだ。いくらでも僕達をぶつけることのできる。想像だにできないような技術で、気持ちで、絆で、僕達に立ち向かう素晴らしいトレーナー達が、この世界にはいくらでもいる」
彼はスグリを指さして続ける。
「君達姉弟だってそうさ」
スグリは、それは姉のことを指していると思った。だから、それが『姉弟』という単語を含んでいることに驚き、自然と「わやじゃ」と漏れる。
「おれが、そんな」
彼には、信じられないことであった。
「おれは、強くない」
それは、一見正しい理屈のように思えた。
立場としては、姉に押さえつけられているだけだ。バトルで到底敵うわけでもなく、その気すら起きない。
そして、手持ちのポケモンだって強力とは言えない。
相棒のオタチは可愛いが、強力な野生のポケモンに対して尻込みすることだってある。他に手持ちのポケモンはまだおらず、仲のいいリンゴ農園のカジッチュと、水撒き係のニョロモと遊ぶくらいだ。
少なくとも、リーグトレーナーであるモモナリからその言葉をもらえる実力はないだろう。
それに。
「もしおれが強かったら、鬼さまとだって会えるはずだべ」
論理の飛躍のようにも思えたが、彼の中でははっきりとした理屈があった。
彼はずっと、実力とワガママで望んだものを手にしてきた姉を見ている。そして今日、その強さによって自由に振る舞うモモナリという男と会った。
もし自分が強ければ、自分の希望が叶うはずだと、彼は思っていた。
「そうでもないよ」
だが、モモナリはそれを否定する。
彼は直感的に、スグリが『強ければ希望が叶う』という感覚を持っていることを理解していた。
「僕だって、鬼さまには出会えてない」
うまく逃げたものだ、と、鼻を鳴らした。
「強ければ何でも望みが叶うわけじゃない。限りなくそれに近づくことは、できるかもしれないけれど」
「じゃあ、おれはどうやって鬼さまと出逢えば」
「さあ、僕にはわからないよ、それが分かれば、僕が先に会ってるだろうからね」
「いずれわかるさ」と、モモナリはジバコイルをボールに戻した。
懐中電灯がプツンと灯を落としたが、洞穴の中が暗闇に支配されることはなかった。
うっすらとした光が、入り口から差し込んでいた。
夜が明けた。
「君達は強いよ、僕の勘がそう言ってる」と、モモナリは立ち上がる。
彼は洞穴の入り口から外の様子をうかがい、スグリに振り返る。
「帰ろうか」
え、と、スグリはそれに漏らした。
確かに、もうこれ以上ここで待っていても仕方がないように思える。だが、だからといって里に帰るには、まだ吹雪が収まり切ってはいないように思えた、否、むしろ今がピークと言っても差し支えがない。
彼はそれを、モモナリが吹雪を知らないからだと思った。
「無理だべ」と、彼は立ち上がる。
「まだ吹雪が強い」
だが、モモナリは首を振ってそれに答えた。
「大丈夫大丈夫、何でも無いよ、こんな事は」
彼はボールを一つ投げる。
そういえば、彼は真夜中の猛吹雪の中、ここにたどり着いたのだということを、スグリは思い出した。
「僕達は『ノーてんき』だからね!」
現れたゴルダックが、スグリの手を取った。
☆
夜が明け始めていた。
未だに吹雪は怪物のような唸り声をあげ続けてはいるが、それに怯えるばかりのキタカミの住民ではない。太陽の力を借り、それに抗う歴史はある。
「皆さん、二次災害にだけは十分に気をつけてください」
集まった住民達の十分な装備を確認しながら、管理人はそれぞれに目配せしながらそう伝える。有事の際にも、彼はきちんとリーダーシップを取れるようだった。
スグリの捜索は明るくなってから、という決まりを、彼らはきちんと守っていた。このようなときに独断で行動すればコミュニティ全体に迷惑がかかることを、彼らは知っている。
故に、彼らにとってスグリの姉であるゼイユの存在は気がかりだった。
「なんであたしが行ったらだめなのよ」
ハイツカに肩を抱かれながら、ゼイユは管理人に叫んだ。
だが、その場にいる大人たちは、誰もそれに同調はしなかった。
しかし、彼女の心情を理解していないわけではなかった。
否、むしろ、彼女の心情をより理解しているからこそ、彼女を自由にするわけにはいかなかった。
「ハイツカさん」と、管理人は彼女に目を合わせる。
「ゼイユをよろしくお願いします」
「はい、任せてください」
ゼイユ以外のスグリの家族も、捜索には参加する予定だ。
突破的な行動を取りかねないゼイユをコントロールできるのは、何故か彼女に信頼されているハイツカしかいなかった。
「あたしは、お姉ちゃんなのに」と、ゼイユは目を伏せた。
普段はワガママな彼女のその様子に、大人達は、一刻でも早くスグリを発見することを決意する。
その時、公民館の中に吹雪が舞い込んだ。
住民たちは、それを不思議なこととは思わなかった、新たに身支度を整えた住民が、集合場所である公民館に来たのだろう、そう思った。
故に、まずそれに声を上げたのは、ハイツカだった。
「モモナリ、ちょうどいい、あなたも」
雪と共に入ってきたモモナリに、ハイツカは取り敢えずそう言った。その後には「捜索隊に加わるように」と、続けるつもりであった。
彼が姿を見せなかったことに違和感をおぼえることはなかった、そういうことをする男であるということは理解していたし、何より、この程度のことなら何でも無いことなのだろうという負の信頼があった。故に、彼を捜索隊として吹雪の山に放り込むことも、特に疑問は覚えなかった。
だが、彼に手を引かれ、その後ろからヒョコリと姿を見せたその少年に、彼女はそれを告げることが出来ないほどに、思考に空白が生まれる。
したがって、その次に声を上げたのは、ゼイユであった。
「スグ!」
彼女はたったそれだけの距離のために駆け、モモナリの手を振り払うようにスグリに抱きついた。二度と離さないと言わんばかりのその力に、思わずモモナリも彼から手を離した。
それにようやく気づいた大人達が振り返り、言葉に驚きと歓喜とを乗せ始めた頃、ハイツカは、ようやく言葉を発する。
「モモナリ、あなたは」
モモナリは何でも無いことのように微笑みながら答えた。
「いやね、山であったんですよ」
「あなたって人は」
彼は「寒い寒い」と、両手を擦り合わせながら、思い出したように公民館の隅に、確か紙コップとポットがあったはずと向かう。
そして、早朝であったためにまだ電源の入れられていないそれに残念そうに頭を垂れ、周りを見回してから言った。
「流石に、騒ぎになってたんですね。まあ、寒かったですしね」
見れば、到底聞き取れないキタカミ弁を撒き散らかしながら、ゼイユは泣きじゃくっていた。
周りの大人達には、それに同調するように涙を流しているものもいる。
その様子に、背中に感じる痛みを感じながら、スグリは、ようやく自らが置かれていた状況の危うさを、危険さを、ようやく受け入れるに至った。
少年のように、年齢相応に、スグリもまた、声を上げて泣き始めていた。
ボールから飛び出したオタチが、どうすれば良いものかと、オロオロとそのアシにまとわりつくのみだ。
「あの」と、モモナリは住民たちの中で唯一知った顔であった管理人に近づき、呟く。
「あまり、怒らんでやってくださいね」
自然に身を任せ、食物連鎖を受け入れ、その上で、戦う。それは、彼にとってはなんてことのないことであったのかもしれない。
だからこそ、彼はスグリの行動を咎めるつもりはないのだろう。尤もそれは、事前に彼が説得すべき人間が数多くいたことを前提に。
管理人は、それを受け入れるだろうか。
否、それは無理だろう。
☆
二日続いた吹雪がやみ、嘘のような晴天がキタカミに訪れていた。
尤も、風が雲を流したのだろうから、当然といえば当然だ。一時期のポケモンリーグでもあるまいし、空はいつか晴れるだろう。
ハイツカ、モモナリ、ゼイユ、スグリの四人は、鬼が山とよばれるキタカミの裏山、地獄谷を通り抜け、てらす池にたどり着かんとしていた。
二日続いた吹雪の後だ、当然それは、楽な道ではない。特に地元の人間でもなければ、サバイバルの経験もないハイツカにとってはつらいものだっただろう。
選択肢としては、アーマルドが引いているソリに乗るという手もあった。だが、ハイツカはそれを拒否し『大事なもの』だけをそれに乗せ、自らの足でそこに向かった。
ゼイユとスグリ姉弟からすれば、そんなことをするくらいならソリに乗ってもらったほうがよっぽど早くつくとも思ったが、そこは、彼女の意志を汲んだ。
「ここです」
鬼が山の山頂にて。、建てられた看板を指差しながらゼイユが言った。
たしかにその看板には『キタカミ六選 てらす池』と書かれており、ちょっとした大きさの池が広がっている。
「不思議な池」と、ハイツカが水面をみやりながら漏らした。
連日の猛吹雪であったにも関わらず、その水面は凍ることなく風に揺れている。
水面の揺れに合わせて、池の底に沈む無数の石の塊は、ハイツカの言葉通り不思議に、七色に輝いて見えた。例えばそれが野生のポケモンであるのならば、モモナリは毒タイプであることのアピールだと考えたかもしれない。だが、物言わぬその石達は、この池がどういうものであるのかを、人間には語りかけない。
しかしモモナリは、どこかその光に見覚えがあるように思った。
だが、それが、その理由が結びつきはしない。
「スグ、こっちに」
ゼイユの言葉に、スグリはすぐさまにソリからリュックサックを担いだ。
吹雪の間、それはそれはこってりと絞られたスグリは、少なくともその日、姉であるゼイユに逆らえる立場ではなかった。
ハイツカもまた、ソリから『大事なもの』が入ったカバンを抱える様に持った。繰り出されたガラガラは、その様子を心配そうに眺めながら、寒さに身を震わせる。
「『伝説』があるのは、こっちです」
ゼイユの指差す先、わずかに池に食い込むようにせり出した地形に、ハイツカはそれを抱えながら、ヨチヨチと滑らぬように気をつけて歩く。
気づけば、あたりに霧が立ち込め始めていた。
「ここで、会えるのよね」
息を吐きながらそういったハイツカは、伝説の通り、死者に会うために、池の底を覗き込もうとした。
水面が揺れた、その時だ。
モモナリが、彼女の前に身を投げだした。
「下がるべ!」とスグリが叫ぶ。
すでに、モモナリの前方には、ゴルダックが繰り出されている。
そして、揺れた水面から、水しぶきが巻き起こる。
モモナリ達の前に現れたのは、いつくしみポケモン、ミロカロスであった。
「『まもる』」
現れるや否や放たれた『ハイドロポンプ』を、ゴルダックは念動力を纏った右腕で払い除け、池にいくつもの水紋を作る。
「気をつけて」と、ゼイユは不本意ながらもモモナリに叫んだ。
「きっとこの池の主よ」
そんな事は言われずとも分かってる、と言わんばかりに、モモナリ達はそれに反応を返さず、じっとミロカロスを睨みつける。
ミロカロスもまた、彼らを睨みつける。攻撃を躊躇しているわけではない、奇襲を跳ね返した彼らの実力を認め、踏み込む機会を伺っている。
ハイツカはミロカロスをじっくりと眺めて「綺麗」と思わず呟いた。その鱗を流れる水滴が、陽の光を気の向くままに反射し、七色に輝く全身に、アクセントを加えている。
その言葉には、ゼイユも、スグリも同意だった。
だが、モモナリだけは違う。
「そうですかね、僕はもっと『うつくしい』のを知ってますよ」
それは果たして、ひねくれ者の強がりだろうか。
「モモナリ、なるべく、傷つけないように」
「あんた無茶なこと言いますね」
「それなりの日給は払ってる」
その言葉にモモナリが何も返せないのを確認すると、ゼイユは思わず口元に手をやって笑った。
「やれやれ」と、ため息をついたモモナリは「だってさ」と、ゴルダックに伝えた。
ゴルダックもモモナリと同じように呆れたように二、三度首をふると、ドカリと、無警戒そのままにその場に座り込んだ。
ミロカロスはそれに驚いた。否、それでもまた無抵抗というわけではないだろう。その気になれば防御の姿勢は取ることができるだろうし、何より、背後に控える人間は、未だにこちら側に目を光らせている。
だが、ひとまず攻撃はないのだろう。
「お願いします」と、ハイツカは、その場からミロカロスに語りかける。
霧が濃くなり始めている。
「ここがあなたの縄張りであることは分かってます。ですが、どうか少し、少しだけ時間をください」
当然だが、ミロカロスにその言葉の意味は通じないだろう。
だが、例えば人間がポケモンを見た時、豊かな感受性があれば、鳴き声の意味は分からずとも、その要求を理解することができるように、その逆もしかりだ。
主としてヒンバスを、あるいは他のミロカロスをまとめる立場にあるそのミロカロスも、頭は良かった。
おそらくこの群れの中で、決定権を持っているのはその女だ。女は弱いかもしれないが、攻撃の意志はなく、その役割はゴルダックとその相棒の人間に任せられている。
そして、ゴルダックはこちらを攻撃する意志はない、迎撃の用意はあるだろうが。
しばらくハイツカを睨んだミロカロスは、その視線を彼女らから外さぬまま、ズルズルと後退するように、池の中に戻った。
わずかに霧が晴れ、そして、そこには、一匹のポケモンが残った。
「ガラガラ?」と、スグリは目の前にある状況を端的に呟いた。
彼の言葉通り、そこには一匹のガラガラがいたのだ。
まさかと思ってハイツカの背後に視線をやったが、先程までと同じように、ガラガラはそこにいた。
何故か、その場にはガラガラは二匹いる。
だが、スグリ以外の誰もが、それを不思議には思ってはいなかった。
ハイツカは、それを見てガラガラと共に一歩二歩とそれに近づき、モモナリとゴルダックは、警戒こそ解いてはないものの、彼女に道を譲るように一歩下がった。
そして何故か、ゼイユも、それを不思議には思っていないようだった。
「はじめまして、私は、この子のトレーナーです」と、ハイツカはそのガラガラに声をかける。
現れたガラガラは、周りをキョロキョロと眺めて、まだ、事態を飲み込めていない様子だ。
だが、ハイツカのガラガラは、まるでそれが待ちきれないと言った風に、若干足を滑らせながらも、そのガラガラに駆け寄る。
その姿にそのガラガラは一瞬驚いたようだったが、すぐに、それを受け入れ、ハイツカのガラガラを抱きしめた。
「あの子」と、ゼイユは状況が飲み込めないスグリに説明するように続ける。
「ずっと昔、悪い大人に『おや』を殺されちゃったんだって」
「あ」と、スグリは声に出し、そして、理解すると同時に、新たな疑問が生まれる。
「でもなんで、今なんだべ」
そうだ、もし、パートナーを『おや』に会わせたいのならば、何もこんなキタカミの中でも特に厳しい時期でなくても良かったはずだ。
「あれよ」と、その理由も、ゼイユは知っているようだった。
「今日、どうしてもあなたに見せたいものがあってきました」
ハイツカはゆっくりとそこにかがみ込み『大事なもの』が入ったバッグを開ける。
そのすべてが見えたわけではなかったが、スグリは確かに、そこに『ポケモンのタマゴ』が入っていることを捉えた。
「あなたが守ったこの子は、今度は『おや』になります」
声を潤ませながら、ハイツカはそれを地面に優しく下ろす。
ガラガラが触れたそれは、わずかに動いた。
「どうしても、あなたにそれを伝えたかった」
人間の言葉は理解できずとも、そのガラガラはそれを理解しただろう。彼女はハイツカのガラガラに慣れた手付きでグルーミングを施し、そのタマゴを撫でる。
しばらく、人間達は何も言わなかった。それは明らかに、彼らの時間であったから。
やがて、再び霧が濃くなり始める。
その現象を理解している訳では無いが、誰もが、その奇跡の終わりを受け入れた。
「どうか」と、ハイツカが頭を垂れた。
「わがままかも知れないけれど、どうか、人間を、許してください」
それは、言うつもりのない言葉であった。何故ならば、どう考えたって、許してもらえるはずがないことが分かっていたからだ。
奪い、そして、呪いを創った。
もちろんそれは、ハイツカの責任ではない。
だが、彼女はそれを伝えなければ気が済まなかった。
たとえそれが受け入れられずとも、たとえ拒絶されようと、彼女はそれを受け入れるだろう。彼女は心の底から、善人だから。
そのガラガラは、その言葉の意味を、理解できただろうか。それはわからない。
だが、彼女はハイツカのガラガラと目線を合わせた後に、膝をつき下を向いていたハイツカの頬を、撫でた。
ハイツカがそれに顔をあげると、彼女の笑顔と目があう。
「ああ、ありがとう」
ハイツカは、両手を顔を覆い、嗚咽を漏らす。
「濃いな」
モモナリが短くそう呟き、立ち上がったゴルダック共に周りを警戒する。ほんの少し先すら見えないのではないかというほど、霧は濃くなっていた。
ハイツカの頬にガラガラの手が触れる。
だが、彼女が再びその顔を上げた時、すでに、そのガラガラは消えていた。
その代わりに、ハイツカのガラガラが、彼女の涙をすくうように、その頬を撫でていた。
☆
「大変、お世話になりました」
てらす池を訪れて一夜明け、ハイツカは『大事なもの』を入れたバッグを抱え、公民館の管理人に頭を下げていた。
「いえいえ、良いんですよ」と、管理人は笑顔でそう答える。ハイツカの表情から、彼女がその目的を達し、わずかに心が晴れていることがわかったからだ、それでも、その瞳は赤かったが。
「ハイツカさん、カントーに戻っても元気で」
「もちろん、ゼイユちゃんも元気でね」
彼女らを見送ろうとしていたゼイユは、ハイツカにそう言った後に、モモナリを睨みつけて続ける。
「あんたも、まあ、スグのことは感謝してる」
「そりゃあ、どうも」
モモナリは苦笑いをそれに返した。彼女が自身のことを嫌っていることは豹変した声のトーンから流石に理解できたし、残念ながら、そのようなことには慣れっこだった。
「スグリくんは、どうしたんだろう」
「さあ、流石にまた山にってことはない、と、思うけど」
その場に居ないスグリのことを、ハイツカは案じた。
「もう少し待ってみましょうか」
珍しくモモナリが提案したその言葉を、全員が沈黙をもって肯定する。
だが、その必要はなかった。
ちょうどりんご園に続く道の方から、スグリが走ってきたからだ。
「スグ、あんた何してんのよ」とそれを咎めようとしたゼイユが、一番にその違和感に気づく。
彼の背後から、一匹のニョロモがついてきたからだ。
「あら、かわいい、スグリくんのポケモンかしら」
ハイツカの無邪気な言葉にモモナリは反応せず、じっと、こちらに向かってくるスグリを眺めている。
やがて、息を切らしながらスグリが合流した。
「あの」と、スグリは肩を上下させながらハイツカ達の前に立つ。
気づけば、その肩にはりんごがあった。
「あの、モモナリさん」と、彼は続ける。
「俺、俺と、勝負、して、ほしい」
「はあ、あんた何いってんの」
ゼイユの驚きは当然だった、そして、ハイツカも、ついでに言えば管理人も、それに驚いている。
彼女らの知る限り、スグリはいい子だ、そりゃあ、多少は向こう見ずなところもあったかもしれないが、それは、リーグトレーナーに吹っ掛けるほどのものではない。
だが、モモナリだけは、それを意外には思ってないようだった。
「良いんでしょ」と、彼は一応雇用主であるハイツカに問うた。
「ええ、まあ」と、ハイツカは答える。求めているのはスグリの方だ、モモナリの方ではない、それを拒絶する理由がない。
尤も、仮に拒絶されていたとしても、モモナリはこの日までの給料すべてを返上してでもそれを反故にしていただろうが。
「決して、無理はしないように」
「そりゃあ、当然」
スグリとしっかりと目を合わせながら距離を取るモモナリは、バッグを握る彼の手が震えていることに気づいて言った。
「緊張することはないし、恐れることもない。何も出来ないことをやれという訳でもない。今の君ができることを、できるだけ、必死にやれば、それで良いんだ」
スグリの前にオタチが飛び出し、モモナリに鳴き声を上げた。
その声に、スグリはぐっと手を握りながらも、ようやく視線を上げて、モモナリの目を見る。
その目は笑っているだろう。
「どこからでも、かかってきなさい!」
ベテラントレーナーの、モモナリ=マナブが、勝負を、しかけてきた。
というわけで今章『セキエイに続く日常 171-てらす池』は以上になります。ありがとうございました。
元々パルデア編は大人が介入する余地があまりないストーリーラインだったこともあり、あまり濃いものは作れないかなと思っていたのですが、今回キタカミが明らかに東北地方モチーフということもあり、モモナリの中年期のエピソードとして入れやすく、ゼイユ、スグリと今後に続くいいキャラクターも居たので、割とすんなりプロットを組めました。
今回出てきたハイツカというキャラクターは、概念的にはだいぶ前に構想のあったキャラで、むしろここでキャラをつけることが出来たのでだいぶ前に断念したプロットをまた作れるかなと思っています。
今後はブルベリ学園編とかもやってみたいです。
ありがとうございました。
モモナリへの質問など大変有難うございます。
全てに答えていきたいところですが世界観的に答えにくい質問などもあり答えられないこともあります。大変申し訳ありません
感想、評価、批評、お気軽にどうぞ、質問等も出来る限り答えようと思っています。
誤字脱字メッセージいつもありがとうございます。
ぜひとも評価の方よろしくおねがいします。
ここすき機能もご利用ください!
マシュマロ
後書きによる作品語りは
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