モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

202 / 206
・モモナリ(オリジナルキャラクター)
 一応主人公、今回は金で雇われて用心棒として登場
 仕事とプライベートはきっちり分けるタイプだし、初めての地方にはテンション上がる

・ゼイユ(原作キャラクター)
 原作時間軸より4~6年ほど前の設定、年齢的に若干中二病入ってるし視野は狭い

・スグリ(原作キャラクター)
 同じく原作時間軸より4~6年ほど前、大体変わらないがむしろ中二病ではない


セキエイに続く日常 171-てらす池 ①

 冬の訪れとともに、キタカミの風景は一変していた。

 大地に還ることなく何層にも積み重なった雪のグラデーションは、例えば都会から訪れたような人間であれば積もったと表現するだろうが、キタカミの人間からすれば、あるいは降ったとすら表現しないのかもしれない。まだ地面が見えているし、雪かきを行えば、僅かなアスファルトも顔を見せる。

 だが、空気は冷たく澄み、静寂が辺りを支配している。スイリョクタウンの住民たちの多くは、ニュース番組を確認するよりも先に吹雪の予感を覚えていた。

 

「んんっ」

 

 その少女、ゼイユは、ゆっくりとキタカミ街道を移動してくる二つの人影に目を凝らしていた。

 すでに傾きつつあった日が、未だ残り続ける白銀をテラテラと輝かせていたが、生まれ落ちてから十数年という歳月をこの地で過ごした彼女にとって、それは監視を妨げるものではない。

 

「誰」

 

 警戒を隠しもしなかった。

 明らかに、キタカミの人間では無い。

 トボトボ、とすら言えないような遅い歩みは、とてつもない肥満体に見えるほどの着ぶくれだけが原因ではないだろう、必要以上にキョロキョロと周りを気にしていることが遠目からでもわかる。

 

「スグ」と、彼女は弟の名を呼んだ。

 

「何」

 

 手持ちであろうか、彼女の直ぐ側でオタチと戯れていたその少年は、立ち上がって遠くを眺めていた姉に視線を向ける。

 

「ちょっと、離れるから」

 

 そう言って、一歩踏み出す。

 別に、許可を得なければならないわけではなかった。

 彼女は弟であるスグリに支配されているわけではないし、実際はその逆だ。

 だが、一言そう言って立ち去らなければ、十歳弱になったばかりの弟は、直ぐに自分を探して瞳を潤ませる事を、彼女は嫌というほど経験していた。

 

「あ、ま、待って」

 

 案の定、スグリはすぐに立ち上がって、姉の後を追った。後ろからオタチも続く。

 まだ重心が高いのだろうか、彼は少し転びそうになりながら、少しずつ遠くなりつつある背中をなんとか追った。

 

 

 

 

 

 結果的に、来訪者がキタカミの中心地であるスイリョクタウンに足を踏み入れたのは、ゼイユとスグリが彼らを待つ姿勢を取ってから大分時間が経ってからだった。

 

「誰」

 

 ゼイユは、来訪者達に向けて厳しい目線を向けている。

 元々、ゼイユはよそ者が嫌いだ。彼らは無粋で、キタカミを真の意味で理解しようとはとてもしていない。その上、いかにも自分達がキタカミの理解者であるように振る舞うからだ。

 故に、彼女が来訪者にその名を問うたその言葉に、強いイントネーションがあったとしてもおかしくはないだろう。

 来訪者は二人だった。

 大事そうにバッグを抱えている女と、スーツケースを引きずっている男だ。

 そう言ってしまえば、例えばカップルのようにも思えるだろう。

 だが、彼女らがそのような関係ではないことは、目ざといゼイユはすぐに理解できた。

 突然に現れ、強いイントネーションをぶつけてくる少女に、わずかに怯えを見せる女に対し、男はそれを庇ったり、心配するような様子を微塵も見せなかったからだ。

 男は女や少女に、当然スグリにも興味がないように、キョロキョロと周りを見回している。

 

「あ」、と、女は少女に微笑みを見せるように努力してから続ける。

 

「予約してた、ハイツカです。管理人さんを呼んでもらってもいいかな」

 

 予約、という単語に、ゼイユは「ふうん」と鼻を鳴らした。

 

「嫌よ」

 

 その言葉に、ハイツカはびくりと体を震わせ、抱えていたバッグを抱きしめるように力を込める。

 男にとっても、それは予想外のことであったのだろう。彼はわずかに視線を動かし、ゼイユと、スグリの腰元に目をやった。

 

「ねーちゃん」

 

 彼女の側に意思なく立っていたスグリは、彼女のその言葉に驚きはしなかった。

 だが、彼は心配そうに彼女に視線を向ける。

 ゼイユがいわゆる『よそ者』に対して厳しく当たるのは、これまでもよく見ていた光景だった。だが、その後には必ず里の大人達と姉との言い争いが起こる。

 機嫌の悪い姉に八つ当たりされることも嫌であったが、それ以上に、大人達にたしなめられ、体を震わせながら唇を噛む姉の姿を見るのが、彼はなんとなく嫌であった。

 

「そんな意地悪言わないで、ね」

 

 ハイツカは努力を継続しながらゼイユを説得しようと試みるが、少女はそれで意見を曲げないだろう。

 

「どうしてもわからないなら」と、ゼイユが腰元に手をやろうとしたその瞬間だった。

 

 わずかに、キタカミを揺らす風。

 

「戦おうか」

 

 それは、彼女が初めて聞く声での提案だった。

 彼女がその声の方向を見れば、ハイツカとは対照的に薄手のジャケットの男が、努力のない笑顔をゼイユに向け、その周りにはつい先程吐かれたのであろう白い息が消えつつある。

 見れば、その男の腰元には複数のモンスターボールがあった。

 

「モモナリ」と、ハイツカは少女に向ける事のなかった強いイントネーションで男の名を呼んだ。その目には、呆れと軽蔑が見て取れる。

 

 ゼイユは、ハイツカのその口調の強さに、思わず背筋を伸ばした。もし、それが自分に向けられていれば、よそ者に対する嫌悪に支えられた威嚇が、たじろいだかもしれない。

 だが、モモナリと呼ばれた男は、そんなものは意に介さずに、逆に呆れたように肩をすくめて、ハイツカにため息混じりに告げる。

 

「いや、そう言ってもね、これが一番手っ取り早いでしょ」

 

 一歩、ゼイユに視線を戻しながら続ける。

 

「あんたらはここに入りたい、あの子は入らせたくない。それなら、戦ってケリつけるしかないでしょ」

「馬鹿なことを言わないで、相手は子供ですよ」

 

 ハイツカの言葉に、モモナリはあからさまに呆れを白い息にして答える。

 

「子供である以前に、トレーナーでしょうがよ。この子くらいの年齢の時、僕はもうバトルで飯を食っていた」

 

 彼はゼイユの腰元を指差す。

 

「やる気満々だ」

「あなたが相手をすることはない」

「いやあ、そりゃどうでしょうかねえ」

 

 彼はケラケラと笑って続ける。

 

「これは勘ですけどね、多分この子達はそこそこやりますよ。視線の動きがね、良い。実戦的だ」

 

 それは、あくまで単語だけを抜き取ればゼイユの実力を認め、褒め称えているということになるだろう。

 だが、ゼイユはそれを言葉通りには受け取らなかった。受け取れなかった。

 その口調には、そのニュアンスには、明らかに彼女の実力に対する『期待』があったからだ。

 なぜかはわからない、だが、彼女はその類まれなる才能から、まだまだ自然の残る、もしかすれば食物連鎖の頂点が人間ではないかもしれないことの土地で、ポケモンと共に戦うことで生き残ってきたその能力から、彼女はモモナリが自らをかけらも恐れていないことを感じ取っていた。

 嫌いだ、と、ゼイユは思った。

 

「それに」と、モモナリはハイツカを視界に捉える。

 

「あなたが戦うわけにもいかんでしょ」

 

 その言葉で、ゼイユはようやくハイツカの腰元に一つだけハイパーボールがあることに気がつく。

 彼女があまりにも無害に見えたものだから、まさかトレーナーだとは思っていなかったのだ。

 ハイツカは、モモナリのその言葉を否定できなかった。だが、それでも彼女の持つ倫理観をぶつけるように、彼を睨みつける。

 だが、それは彼には通じない、少なくとも彼にとって、それはやりたいことを引っ込める理由にはならないようだった。

 

「さて」

 

 モモナリは口元を抑えながら続ける。

 

「どうするかな」

 

 投げかけられたパスに、ゼイユは凍てつく大地を抱きかかえるような、わずかに雪の混じり始めた風が、汗の乾いた頬の体温を奪うのを感じた。

 その表現が正しいのであれば、彼女はキタカミの里における、この世代のガキ大将、否、女王とすら表現して良い立場だろう。

 大体のことは、願えば叶っていた。優れたポケモンバトルの才能を、いわば腕力を持つ彼女は、同世代は恐れから、大人達は好感と呆れから、その願いを否定はしなかった。最もそれは、彼女の願いが、あくまでも良識の範囲内であったからかもしれないが。

 だが、目の前の男は、見た目は大人でありながら、あくまでも彼女の目線で物事を解決しようとしている。

 ある意味では、願ったり叶ったりであった。

 気に入らない大人を、ねじ伏せることが出来るのだから。

 

「おっ」と、モモナリが声を上げる。

 

 ゼイユはすでにモンスターボールを投げていた。

 そして、それは、モモナリも同じく。

 

「ねえちゃん」と、スグリは叫んだ。

 

 おそらくこのままでは、姉が、大人に勝ってしまう。と、本気で思っていた。

 

 

 

 

 

 

 地面に突っ伏したポチエナに、ピクシーはそれ以上の追撃を行わなかった。

 決着は明らかだった、ピクシーは未だに緊張を解けないでいる。

 油断ならない『群れ』だった。確かに若く、小さいが、それでも、自分のやりたいようには出来ない技術を持っている『群れ』だった。こちらも『群れ』なければならないほどに

 

「さて」

 

 息を吐いた彼女をボールに戻したモモナリは、一つ頷いてから、誰にでもなく呟きを続ける。

 

「これで終わり。かな」

 

 ポチエナをボールに戻したゼイユは、あまりのことに身を震わせ、両手で前髪を握りしめていた。

 

「なんで、なんでよ」

 

 久しぶりの、否、徹底的なという意味では、もしかすれば生まれて初めての経験だったかもしれない。

 とにかく、何も出来なかった。

 考えていることが全て読まれているような、そして、読んでなおそれを軽々と上回ってくるような技術が、パワーが、明らかにモモナリにはあった。

 吹きすさぶ寒風が、自らの頬を冷やしていることにも気づかないままに、彼女はそばに立っていた弟に向かって叫ぶ。

 

「スグ。あんたが行きなさい」

 

「ええっ」と、スグリは眉を困らせながら、明らかに怯えるような表情を見せた。

 

「わやじゃ。そんなの、無理」

「大丈夫よ、あんた私の弟なんだから」

「ねーちゃん負けてるのに無理じゃあ」

「いいから、行きなさいよ」

 

 スグリは、姉の気持ちがわからないわけではない。

 あそこまでの啖呵を切っておきながらの敗北、そして、何より観光客に対する軽蔑。それを弟である自らに託す理屈は、なんとなく理解できる。

 だが、それは彼がそれを受け入れるにはあまりにも無謀な理屈であった。

 彼にとって、姉のゼイユは絶対的な存在であった。もちろんそれはわずかばかりに先に生まれたという優位性だけではなく、彼女のポケモンバトルの能力という観点も含まれている。

 その姉が負けた相手だ。あるいはこの世界で最も強いのではないのかと思っていた姉が負けた相手だ。

 踏み込めるはずがない。

 

「あぅ」と、スグリは恐る恐るモモナリに視線を向ける。だが、あまりにも恐ろしくて、直接その目を覗き込むことは出来ない、あくまで彼の足元を伺うように、恐る恐る。

 

 だが、モモナリにとってそれは、視線を向けられたことに変わりは無いようだった。

 

「構わないよ」

 

 モモナリは、慣れた手さばきでセットされたモンスターボールの順番を弄りながら、それでもスグリから目を離すことなく、笑っていた。

 あるいは彼は、それを望んでいるのだろうか。その見た目通り、十にも満たない少年に対して腕力を向けるという歪んだ倫理を、欠片も疑ってはいない。

 そう、彼は。

 それを吹き飛ばしたのは、あまりにも強い、ハイツカの声であった。

 

「いい加減にしなさい」と、彼女はキタカミの地を、震わせるほどに大きく、そして、実際に彼女自身の声を震わせながら、叫ぶように叩きつける。

 

 そして、彼女の前には一匹のポケモン。ほねずきポケモンのガラガラが立っていた。

 

「これ以上は、私が許しません。あなた達の争いは終わったはずです」

 

 ゼイユは、ハイツカのその言葉に、その強い口調に動揺を見せる。よそ者に対する嫌悪感が、言葉の圧力により僅かにたじろいだ。

 だが、もう一人はそうではない。

 彼はそれを欠片も恐れることなく答える。

 

「ハイツカさん、これは僕の仕事ですよ。少なくとも屋外にいるときはあなたを護る。そういう話だったでしょう」

 

 彼はもう一度スグリに目線を向け、彼がそれに震え上がるのを意に介さずに続ける。

 

「そのために、それなりの日当も貰ってる」

「その通り、あなたを雇用しているのは私です。私の指示には従ってもらいます」

 

 違う、と、ゼイユとスグリはすぐに理解した。

 その二人の関係がどういうものか、それがまだはっきりとしないからこそわかるのだ。

 二人がどういう関係であろうが、自由に動く権利を持っているのは、モモナリの方だ。

 だが、モモナリは不服げに頷くと、スグリから目を離す。

 

「ああ、残念だ」

 

 そして、ハイツカに呟く。

 

「構いませんがね、『大事なもの』を壊されたら困るのは、あなたの方なんですからね」

 

 その言葉に、ハイツカは抱えていたバッグを抱く手にぐっと力を込めた。

 そして、ゼイユらに謝罪の言葉を告げようとしたときに、ようやく目当ての人間が現れた。

 

「何をやっているんです」

 

 ゼイユの背後から、少し強い声。

 彼女がその方を見れば、よくよく見知った、彼女の天敵。

 これみよがしに舌打ちするゼイユにため息を付きながら、スイリョクタウン、公民館の管理人はハイツカに頭を下げた。

 

「申し訳ありません。やんちゃ者で」

「あ、いや、構いませんよ」

 

 握手をするため、抱えたバッグを刺激しないように注意しながら、ハイツカは二重に嵌め込んでいた手袋を外そうともたつく。

 その間を嫌ったのか、管理人はゼイユを一瞥して嗜める。

 

「ゼイユさん」

 

 それより先の言葉が続くよりも先に、ゼイユは「わかってるわよ」と白い息とともに吐き出し、スグリと共にその場を後にする。

 背後から、知った声。

 

「楽しかったよ、またやろうねえ」

 

 それに振り返り、激怒する権利は、彼女には無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ムカつく、ムカつく、ムカつく」

 

 自室にて、温かいモーモーミルクを机に置きっぱなしにしたまま、ゼイユは未だに髪の毛を強く握りしめながら呟いている。それにあとがつくのは、もはや防ぎようがないだろう。

 彼女の横暴はすでに管理人から家族に伝わり、強く叱責された後だった。彼女にどれだけポケモンバトルの才能があろうと、家族からの、それなりに筋の通った叱責にはぐうの音も出ない。

 だが、彼女の怒りはすでにそこではない。今現在、彼女の怒りはすべて、あのモモナリという男に注がれている。

 あまりにも無礼で、デリカシーのない男であった。

 そして、あまりにも。

 

「強かったべ」

 

 ポツリと、スグリが呟いたその言葉を、ゼイユは否定することが出来なかった。彼女らの力関係を考えれば、バンバドロをシキジカだと答えさせることも可能だというのにだ。

 つい先程、その結論は叩きつけられたばかりであった。

 

「強かったら何してもいいわけじゃないでしょ」

 

 叱責するように投げかけられたその言葉に、スグリはなんの反応も返すことが出来なかった。

 それは、姉ちゃんと同じだべ、と言うことができればどれだけ楽だっただろう。

 スグリとて、モモナリに好印象を持っているわけではない。しかし、初めて出会うというタイプでもない。そのまんま、姉がそうであるからだ。

 結局のところ、姉があまりにも彼を嫌うのは、その根本にいわゆる同族嫌悪的なものがあるのだと、彼は言語化こそ出来ないが豊かな感性で漠然と理解できていた。

 そして、それ故に姉よりもわずかに冷静になることが出来ている彼は、僅かな記憶を頼りに雑誌をめくることが出来ている。

 その手が、あるページで止まる。

 

「あったべ、この人」

 

 元々は姉の所有物であったそれを、彼は姉の目の前に広げる。

 華やかなテレビ番組の特集がまとめられたカラーページ、その片隅に、見知った顔があった。

 

「あいつじゃない」

 

 ぐいと、ゼイユはそれを自らの目の前に手繰り寄せた。

 そうなることは想定済みだ。スグリはすでにその内容をある程度把握している。

 人気番組『ガブリアスナンバーワン決定戦』をぶっちぎりで優勝したその男の顔は、何故か一参加者でしか無かったはずのチカよりも小さく写っていた。

 

「珍しい名前だがら、覚えてた」

「でかした」

 

 途端に声のオクターブが上がる。尤も、モモナリのプロフィールがわかったところでどうにかなるものでもないのだが。

 そんなことはどうでもいいと言わんばかりに雑誌を読み込んでいたが、やがて、ため息をつく。

 

「この局、映らないのよねえ」

 

 それでももう少しそれを眺めて、ある単語を目にする。

 

「リーグトレーナー」

 

 はあ、と、再びため息。

 

「強いわけだわ」

 

 キタカミの里にネットテレビの概念はない。それでも映る僅かなテレビ番組では、シンオウ地方のリーグ戦こそ映るものの、リーグのすべてを把握できるとは言い難い。インターネットすら、ケーブルに繋いだ端末を使わなければ映らないのだ。

 だがそれでも、リーグトレーナーという肩書きの凄まじさは、理解できる。

 

「なんでそんな人が、キタカミに」

 

 スグリとて、すでに地元の文化的立ち位置というものを理解している。

 彼はこの土地が好きだし、愛着もあるが、キタカミという土地は、華やかなカントーの、リーグトレーナーが訪れる価値のある土地には感じなかった。

 

「馬鹿ね、スグ」と、ゼイユは鼻で笑う。

 

「あいつ『金で雇われた』って言ってたじゃない。あいつはただの用心棒。この土地に興味があるのは、あの女の人の方よ」

 

 女の人。モモナリを『あいつ』と言い放つゼイユにしては、柔らかい物言いだ。

 だが、それも仕方がないだろう。その隣りにいる『あいつ』が比較対象なのだから。

 

「そんな事はわかってるべ」と、スグリは少しむくれる。

 

「でも、わやじゃ。今まで観光客が用心棒を連れてきたことなんてあったべか」

 

 姉より数歩進んだ考えのスグリのその疑問は、ようやく姉に届いた。

 

「確かに、私もおかしいと思ってたのよねえ」

 

 わかりやすく手柄を横取りしながら、ゼイユは首をひねった。

 そして、ホットモーモーを揺らしながら「わかったわ」と、彼女は声を上げた。

 

「きっと狙われてるのよ」

 

 いかにもそれが大正解の世紀の大発見のように言う彼女に、スグリは首をひねって「狙われてる」と復唱しながら疑問に思う。

 

「あの女の人『大事なもの』を必死に守ってたし、きっとあれはお宝で、スナイパーに狙われてるんだわ。だから用心棒を雇ってるってわけ」

 

 得意げに語るゼイユに呆れた目線を投げかけながら「ねえちゃん漫画の見過ぎだべ」と、スグリはため息をついた。

 仕方ない、それが当たっているかどうかはまた別として、まだ十に満たない彼は、そのような世界に対するロマンをまだ覚えていないのだから。

 

「大体、それならなんでキタカミに来たんだべが」

「逃げに逃げた結果、ついにこんなところまで来ちゃったのよ」

「ええ」

 

 こんなところ、とはっきり言い切ってしまうゼイユに呆れ混じりの驚きを覚える。

 

「そうとわかれば、あの『大事なもの』が何なのか気になるわね」

 

 決めた、と、彼女は立ち上がる。

 

「あたし、あれが何なのか調査するわ」

「ええ、また怒られるべ」

「うるさい、手ぇ出るよ」

 

 宣言と同時に出てくるはずの手から頭を護るためスグリがさっと頭を抱えると同時に、ピンポンと、今時珍しいほどにインターホンなインターホンが音を立てた。

 姉弟の喧騒が一旦止まる。来客中に騒動を起こすと、祖母がうるさい。

 

「はいはあい」と、彼女らの祖母が暖房が効いておらず冷えの勝る廊下を駆ける音と「まあ、こんなに寒いのに」と、甲高い声。

 

 しばらくして、明らかに自分達に向けられた祖母の声。

 

「ゼイユ、スグリ。お客さんだよ。なんでもカントーから来たんだって」

 

 調査は、もしかすればすぐに終わってしまうかもしれなかった。

 

 

 

 

 

 

「さっきは、本当にごめんなさい」

 

 その来客、ハイツカは、案内された和室でゼイユとスグリを視界に入れるや否や、深々と頭を下げて謝罪の意を見せた。

 

「え、あ、いや」と、ゼイユはその様子に両手を振りながら慌て、反射的に立ち上がる。

 

 想像だにしていなかった。

 自らが喧嘩を売った観光客が、あのような経緯があったとはいえ、わざわざ家に出向いて頭を下げるなど。

 むしろ、大人に告げ口されると思っていたのだ。彼女の家族を通して、彼女を叱るようなことがあると思っていたし、実際にそういうことは何度もあった。

 故に、ゼイユは、このようなときにどのような態度を取ればいいのかという、感情のストックを用意しては居なかった。そうなればつまり、彼女は年齢相応の素で対応しなければならないわけであり。

 

「もし、嫌じゃなかったら、仲直りしましょ」と、ハイツカは、下げていた紙袋の中身を丁寧に机の上に置く。

 

 その包装は、少なくともキタカミで親しみのある柄ではない。かと言ってカントーのような都会を思わせるものでもない。どことなく、海の向こう側を感じさせるものだ。

 

「甘いものは、好きかしら」

 

 それにゼイユがうなずくのと「ほら、お礼は」と、彼女の祖母が盆に湯呑を乗せて和室に足を踏み入れるのは、ほとんど同時だった。

 

 

 

 

 

 

「あの時、止めるべきだったよね」

 

 ゼイユとスグリ、それぞれに目線を向けながら、ハイツカは湯呑を少しだけ傾けた。

 

「私も突然のことで、びっくりしちゃったから」

「あ、いや」

 

 ゼイユはそうため息をついたハイツカの言葉を否定しながら、ペースを掴めていない自覚を持ちながら答える。

 

「ふっかけたのは、あたしの方なんで」

 

 ハイツカが持ち込んだ菓子の個包装を弄りながら、気まずそうに答える。

 抜群にうまいが、しっとりとしているのにふわふわな、それでいて口に入れた途端に溶けてなくなってしまうような、不思議な食感の菓子だった。イッシュのものだとハイツカは言っていたが、何故かキタカミの茶にもよく合う味だった。

 

「あの」と、ゼイユが問う。

 

「『大事なもの』は、大丈夫なんですか」

 

 スグリも、それには気づいている。

 あれだけ大事そうに抱えていたバッグを、今は持っていないのだ。

 

「ええ、大丈夫よ」と、ハイツカは頷くが、すぐに少し渋い表情に変えて続ける。

 

「今は公民館で、モモナリが見てるはずだから」

 

 その名前を出すことに気まずさはあったが。真摯に質問に答えようとすればそうするしか無い。

 

「あの人、リーグトレーナー、なんだべか」

 

 ハイツカと同じように渋い顔をしていたゼイユに変わって。それまでは相槌しか打ってこなかったスグリが、その名前に反応して問うた。

 ゼイユと違い、彼はハイツカよりもモモナリの方に、姉を倒したトレーナーの方に興味があるようだった。

 

「ええ、そうよ、よく知ってるわね」

「強いんだべか」

「ええ、リーグにはあまり興味がないから、詳しくは知らないけど、BだかAだかなんだって」

 

 ゼイユはその言葉を意外に思った。あのときの会話からして、彼女らの付き合いは古いように思っていたから。

 

「なんで、あんな奴と」

 

 思わず、口に出た。少なくともゼイユの中で、ハイツカは警戒する相手ではなくなっていた。

 決してそれは、彼女が持ってきたハイカラな菓子が要因ではない。まだティーンエイジャーではあるが、否、ティーンエイジャーであるからこそ、彼女は大人の見え透いた子供だましに敏感だ。

 だが、たった少し話しただけでも、ハイツカがそのような人物ではないということを、ゼイユは生まれ持った勘で察知している。

 

「あ、いや、モモナリは」と、ハイツカは手を振って一応それを否定するために言葉を選び始めた。

 

「悪い人じゃ、あ、いや、悪い人ではあるんだけど。なんというか、根本的な部分が悪人ではないところがあって、いや、悪い人なんだけど」

 

 ううん、と唸って。諦めたように続ける。

 

「昔、大きなトラブルを解決してもらったことがあるから、今でもなにかあるごとに『仕事』を頼んでるのよ。強い人だから、最低限のことはしてくれるし」

 

 その言葉に、スグリはわずかに目を煌めかせたが、ゼイユはそれに気づくことなく、問う。

 

「あの荷物、そんなに大事なんですか。もしよかったら、あたし、良い隠し場所を知ってますよ」

 

 ゼイユの勘違い、スナイパーを考えれば、それは渡りに船の提案だったはずだ。

 だが、ハイツカはその提案の意味が分からず、困ったように微笑んで首を傾げながらそれに返す。

 

「ありがとう、でも大丈夫よ。あれを隠したいわけじゃ無いし、モモナリにはもっと別の仕事もある」

 

 ほら、言わんこっちゃない。という視線を姉に向けたスグリを小突きながら。ゼイユ「仕事」って、と彼女の言葉に疑問を持った。

 

「私達『てらす池』に行こうと思ってるの」

 

 その言葉が出た時、ゼイユとスグリは一様に背筋を伸ばして反応する。

 

「危ないべ」と、スグリが呟く。

 

 いつもは弟の意見をひとまず否定するルーティンを持っているゼイユも、今回はそれに同調し「そうよ」と、続ける。

 

「あそこは、キタカミの人間も滅多に行かない」

 

 キタカミの人間が言うのだから間違いない。

『てらす池』とは、キタカミの里、鬼が山の頂点に存在する池である。池とは言うがその規模は大きく、ポケモンも自生している上にキカタミの飲料水としてもある程度流用されている。

 だがその反面、地理的な要因から滅多に人が立ち入ることはない。さらに強力なポケモンの生息地になっているという研究もあり、特殊な目的がない限り、少なくとも観光目的で気楽に入れる場所ではない。

 

「だから、モモナリを雇ったのよ」

 

 まるでそれを恐れず。当然のように彼女は言い放った。強い決心が見て取れるし、何より、ある面においてはモモナリを信用しているようだった。

 

「許可だって取ってる」

「なんのために」

 

 その問いに、それまでは慈しむように少年少女の問いに答えてきたハイツカは、一旦言葉を切った。

 

「それは、ちょっと言えないかな」

 

 姉弟は、それに不平不満を漏らさなかった。

 ハイツカのその言葉には、自分達の興味を拒絶するような、強烈なニュアンスを、小さなデシベルで含ませていたからだ。

 彼らは、妙な感覚を覚えていた。

 つい数時間ほど前までは、自分達こそが、彼女らを拒絶する立場であったのに。

 沈黙を嫌ったのだろうか、ハイツカは話題を転換することをわかりやすく表現するように微笑んで呟く。

 

「それに、すぐに行くわけじゃない。管理人さんが言ってたけど、今日から吹雪が続くから、それが晴れてから、かな」

 

 

 

 

 

 

 姉弟と祖母が公民館の方向に向かうハイツカに手を振り終えた頃「あらあら」とわかりやすい驚きを伝えながら、一人の女性、いわゆるご近所さんが庭の方から現れた。

 誰も、それには驚かなかった、そのご近所さんからすれば馬鹿正面に玄関に回り込むよりも、庭からお邪魔したほうが早いからである。自分達だってそうするだろう。

 

「あの人、そっちにお邪魔してたんね」

「ええ、この子達が遊んでもらったみたいで」

 

 若干勘違いを含んだ説明であったが、姉弟はそれを否定しなかった、祖母の誤解は解けないというのは、国地方含まずこの世の摂理であるからだ。

 

「まあしかし危ないべ。あんまり借りを作ると」

 

 ご近所さんは、そう言いながらパタパタと祖母に近づいた。ゼイユとスグリに興味があるわけではない。妙齢の女史が集まってやることに、子供が入り込む余地はないのだ。

 姉弟は彼女らをほっといて家の中に入ろうとした。当然だ、彼女らのあれやこれやのトークショーは、子供らが楽しむには熟成されすぎているのだ。

 

「あんた管理人さんの奥さんから聞いたべ、あの人、ちょっと『アレ』なのよ」

「あら、そりゃどういうことね」

「珍しい名前だがら、ちょっと調べたらすぐ出てくるべ」

 

 ご近所さんは、小脇に抱えていたその週刊誌を祖母の前に差し出した。

 スグリがモモナリの名前を見つけた時と同じであったが決定的に違うのは、その週刊誌は、おそらく日付くらいしか確実な情報がないと言ってもいい、低俗な噂話の詰め合わせのようなものであることだった。

 それに、ゼイユの足が止まった。




続きは一週間後予定です

後書きによる作品語りは

  • いる
  • いらない

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。