モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 232-ジュラルミンケース ①

 その年、シルフトーナメント予選は波乱続きであった。

 特にその中で、ベスト四の常連でもあり、優勝経験すらあるモモナリが、予選でCリーガーに敗北した事実は大きなものであっただろう。シルフトーナメント本戦で、彼の経歴をからかうプロモーションビデオを見るのは、もはやカントー・ジョウト風物詩と化していたと言っても過言ではなかったからだ。

 故に、その敗北により彼らの計画は大きく狂うことになる。

 例えば、シルフトーナメント本戦出場を前提としてパルデア出張のスケジュールを組んでいた場合、多少遊ぶことのできる時間が増えている程度には、スケジュールに隙間ができていた。

 

 

 

 

 パルデア地方北西部、オージャの湖。

 

「なるほどね」

 

 自分達に背を向けて逃げるおおなまずポケモン、へイラッシャを目で追いながら、カントー・ジョウトAリーガー、モモナリは頷いていた。

 

「ここに住もうと思えば、何らかの対策が必要だろうな」

 

 スケールの大きい、豊かな生態系だ。

 彼の故郷であるハナダシティにも河川はある。だが、それはオージャの湖に比べれば細く、流れもある。故に、巨大なポケモンが定住することは少ない。

 明らかに巨大なこの湖には、ギャラドスやカジリガメなどの大型の水ポケモンも住処としている。更に極めつけはへイラッシャであろう。

 

「面白い狩りをするポケモン達だ」

 

 実際にそのポケモンを目の当たりにするのは初めてであったが、彼はへイラッシャの巨大な口の中に小さなポケモンが寄生するように張り付いていたことに気がついていた。

 恐らくは、そのポケモンがへイラッシャに指示を出していたのだろう。と、おおよその目安をつけ、なるべくその視界の外から攻撃をするように心がけていたのだ。

 モモナリは、傍らに立つ相棒のゴルダックと、遠くから自分達を眺めているゴルダックの群れを見比べた。

 

 パルデア地方のゴルダックは『草結び』を覚える。

 彼がそれを知ったのは前回のパルデア来訪時だ。

 だが、その時にはその真偽を確かめることができなかった。スケジュールの関係上、余計なことをする暇が無かったからだ。

 だが、今回は違う。

 シルフトーナメントの予選で負けてしまったことは不幸なことだが、考えようによっては、そのお陰でまとまったスケジュールを確保することができた。予定より早くパルデアに乗り込み、それを確かめるには十分な時間だった。

 故に、彼は予定より早くパルデアに乗り込み。ゴルダックが苦戦すると考えられる環境であるオージャの湖に赴き、その理由を知った。

 その後にすることと言えば、その技術を自らの群れに取り込むことだ。

 

「行くか」と、彼はゴルダックに声をかけ、彼はそれに頷くことすらなく湖に飛び込む。あまりにも無防備に。

 

 当然、それに反応する水面があった。

 その水面から咆哮を上げながら現れるのは、きょうあくポケモンのギャラドスだ。

 そのポイントは、彼の縄張りではない。

 だが、そこを縄張りにしていたへイラッシャ達が一時的に退散している今、よそ者に対して縄張りを主張するのは、獰猛で、賢く、狡猾な個体であった。

 だが、彼が挨拶もなく水面に叩きつけた『アクアテール』をゴルダックは難なくかわしている。

 そのまま彼の背後に潜り込んだ彼が、その右手を突き出していることにギャラドスは気づけず、未だに消えたゴルダックを探している。

 次の瞬間、体の内部が爆ぜるような衝撃。ゴルダックの『シンクロノイズ』だ。

 その時、モモナリは彼に指示を出してはいなかった。ただ、それを眺めているのみ。

 これから野生を学ぼうと言う相棒に、指示を出すバカは居ない。

 水しぶきを上げながら水面に消えるギャラドスを眺めながら、彼はオージャの湖に背を向けた。

 

「まあ、大丈夫だろう」

 

 彼は足元に置いていたジェラルミンケースを手に取り、それを揺らしながらそこを後にした。

 

 

 

 

 ギャラドスを倒したゴルダックは、そのまま対岸に向かっていた。

 そこには数匹のゴルダックがおり、彼を眺めている。

 恐らくは傍に群があるのだろう。そして、ギャラドスを一発で倒した自らを、歓迎とも排除ともつかぬ感情を持っているに違いない。

 野生に戻るのは何も難しいことではない、むしろ、自らの生活の延長線上にあると思える。

 おそらく、この群れの中で自分は馴染めないだろう、よそ者であるし、おそらく自分は違うだろうから。

 しかし、それが不安な訳では無い。今までと、何も変わらないからだ。

 おおよそ不安と言えるものは、慣れ親しんだ群れから少しの間離れるということのみであった。

 

 

 

 

 

 その服装に、そのカバンは似合わんやろ。

 パルデアリーグ所属トレーナー、チリは、特別講師としてアカデミーに招かれた男、モモナリをひと目見てそう思った。

 別にセンスが悪いわけではない。

 タキシード、とまでは行かないが、特別ラフすぎるわけでもない。シンプルなジャケットはよそ行きの普段着と言ったところだろう。

 ところが、そんな普段着な男がゴテゴテメタルのジュラルミンケースなんて持っているのだからチグハグだ、アンバランスだ。

 とはいえ、元々チリはそのようなジュラルミンに合う服のコマンドがいくつもあるわけではない。そんなものが似合うのは上から下までブラックで統一したコーディネートか、ボロボロでススまみれの戦闘服だ。

 

「大荷物やなあ」

 

 微笑みながら、彼女はそう言った。それは聞き取りようによっては皮肉的なニュアンスを含んでいるかもしれなかったが、これまでの評判からその男が簡単に気を悪くするタイプではないと踏んでいたし、ちょっとしたユーモアで気になる荷物の情報を得られれば大きなものである。

 

「重いってわけじゃないんですけどね」

 

 モモナリはその言葉に気を悪くすることはなかった。よく似たイントネーションで皮肉的なユーモアを投げかけてくる友人で慣れていたし、わざわざ選んで怒る選択をするほど暇でもない。

 だが、チリの目論見通りというわけでもなかった。

 彼は軽さをアピールするようにそれを持ち上げはしたが、それの詳細について自ら語るわけではない。尤も、それをする義務があるわけではないが。

 

「何が入ってるんです」

「ちょっとした書類ですよ」

 

 はぐらかされた。

 もし、彼女がもっと強くその内容を求めれば、モモナリは口を割るだろうか。

 いや、おそらくそうはならないだろう。

 彼女はそれをしなかった。そこまでして知りたい訳では無いし、何より、微笑みながら自らを見るモモナリの目線に、それを期待する含むものを感じたからだ。

 

「パルデア地方にようこそ、いや、お帰りなさい言う方がええんでしょうかね。今回の身の回りの世話をさせていただきます、チリです」

 

 右手を差し出しながら、チリは微笑んで言った。

 相手は大人だ、美人だから緊張するなとか言って緊張を和ませる必要はないだろう。

 

「ああ、どうも、モモナリです」と、彼はその手を特に思うことなく握る。体温の伝わらぬ皮の手袋を疎ましく思う様子は、彼には無かった。

 

「別に目付役はいらないんですがねえ」

「そうはいきません。『失礼』があってはならないですからねえ」

 

 ふふ、と、モモナリはチリのそのような様子に微笑みを漏らした。少なくとも彼がアオキに感じていたような『固さ』は、彼女には無いようだった。

 

「怖いですね、うっかり無礼を働いてしまえば何をされるのか」

 

 微笑みながら、彼はチリの瞳を覗き込む。彼は催眠術師ではないが、そうすれば己の欲求が通ってきた事を感覚で知っている。

 だが、彼女も剛の者、そのエスコートに今乗る必要はない。

 

「まあ、ケースバイケースですわな」

 

 握手をほどき、ヒラヒラとそれを振って答えた。

 

「申し訳ないけど、チリちゃんも上司に睨まれとる身やからなあ」

 

 

 

 

 アカデミー、ある大規模教室。

 

 遥か遠くカントー地方から訪れたリーグトレーナーにとって、既にそれは慣れた作業になりつつあった。

 

「すべてのパーティに対応するには『足し算』も必要だけど、同時に『引き算』も大切なんだ。一匹のポケモンに多数の仕事を任せることができれば、その分他に対策ができる」

 

 教室の空気は、少なくとも重くはない。興味深そうに黒板を眺める視線、モモナリが書いた理論をロトムが訳したものをノートに書き写す音。彼らにとってモモナリの理論は過去のものであるかもしれないが、それを笑う雰囲気もなければ、それを強制するような雰囲気も感じない。

 

「さて、それじゃあ質問があればなんでも良いよ」

 

 それに、ピンと伸ばされた手が、まずは一つ。

 

「はい、じゃあ、ネモさん」

 

 モモナリはその少女の名を覚えていた。今日だって一番前の席で目を輝かせていたし、必要以上に頷く様子もあった。尤も、前にも受けたその授業をもう一度受ける必要は分からなかったが。

 

「はい!」と、その少女はバネ細工のように立ち上がった。そこには、質問を許可されたことの喜びもあっただろうし、モモナリが彼女の名前を覚えていたという喜びもあっただろう。

 

「モモナリ先生! 今日は貴重な話をありがとうございました! あの! 質問なんですが! もし、先生のゴルダックがあのとき『くさむすび』を覚えることができていたなら、先生は何タイプの『めざめるパワー』を覚えさせていましたか」

 

 息継ぎをしながら吐き出されたその質問に対し、クラスメイト達の反応は様々だった。だが、そこに彼女をバカにする様子はなく、むしろ、その質問をモモナリが想定していたのかどうかを不安に思う雰囲気すらある。

 だが、モモナリはその質問に微笑みながら何度も頷いた。

 

「なるほど、なるほど、いい質問だね」

 

 彼は黒板に記入されていた一部の単語を指差して続ける。

 

「あの時代の『あめふらし』下の『ちょすいヌオー』の対策は絶対で、だからこそゴルダックにそれに対する圧力をもたせる意味合いでくさタイプの『めざめるパワー』を覚えさせたことは授業のとおりだけど、実は『あめふらし』下で対策を行わなければならないポケモンがもう一体いたんだ」

 

 彼はチョークを滑らせ、そのポケモンの単語を描く。

 学生たちも、それを翻訳機能付きロトム越しに目にする。よく知るポケモンであった。

 

「ハッサムだ。鋼とむしの複合タイプだね」

 

 その言葉を聞き、ネモを含む数人の学生は瞬時に、そして、多くの学生達は遅れてから声を上げる。

 

「このポケモンの弱点はほのおタイプのみだが、『あめ』の状況下では当然その攻撃は弱くなる。そして、弱点が無くなったこのポケモンを相手に自分のペースに持ち込むのは骨が折れる。天候というものは単純なタイプ強化だけじゃなく、ウィークポイントを補完する手段にもなる」

 

 一拍おき、生徒達の理解を確認した。

 そのタイミングで、ネモは後ろの生徒達から黒板が見えないことを指摘され、目を輝かせながら顔を赤くするという珍しい表情をさせながら席につく。

 

「あの頃、殆どの『あめ』トレーナーは天候を生かした水タイプのゴリ押しだったんだけど、本物の『あめ』トップトレーナーは、こういう細かいポイントの使い方が巧みだった」

 

 彼は感慨深そうに二、三度頷いてから続ける。

 

「もしあの時僕のゴルダックが『くさむすび』を覚えることができたなら。間違いなくほのおタイプの『めざめるパワー』を覚えさせるだろうね。特性の『ノーてんき』と組み合わせれば、ほとんど確実にハッサムを一撃で持っていくことができるだろう」

 

 彼はネモに視線を送る。

 彼女がそれに頷き「ありがとうございました」と頭を下げると、彼は再び頷いて続ける。

 

「さて、他に質問はあるかな」

 

 その言葉を待ってましたと言わんばかりに、いくつもの腕が天に掲げられた。

 下級生にとって、彼の講義はレベルが高かったかもしれない。

 だが、それを含めて、彼らはまだまだ知りたかった。

 

 

 

 

 

 

「モモナリ先生、お疲れ様でした」

 

 アカデミー、食堂。

 昼を少し回った時間ということもあって、利用している生徒はまばらだ。アカデミー校長のクラベルがモモナリとの席を持ちつつ、アカデミーの空気感を感じるには有効なタイミングであり、場所であった。

 

「いやいや全然、疲れてなんかないですよ」

 

 炭酸ドリンクを一口飲みながら、モモナリは微笑んでそう答えた。

 

「少し授業の時間をオーバーしてしまったみたいで、申し訳ない」

「いえいえ、生徒達の質問にも丁寧に答えていただき感謝します」

 

 彼の言う通り、予想よりも多く挙げられた手に答えていった結果、彼は授業の時間を少しオーバーしてしまっていた。

 

「驚きましたよ」と、モモナリは鼻を鳴らして続ける。

 

「想像よりも多くの質問がありました、始めに比べれば見違えるほどに」

 

 彼はクラベルに視線を合わせて続ける。

 

「何かあったんですか」

 

 クラベルはそれに少し沈黙してから答えた。

 

「私が就任してから、生徒達には『課外授業』を行っています」

「『課外授業』」

「ええ、生徒達には自由に旅をしてもらい、彼らだけの『宝』を探してもらいます」

「『宝』とは」

「なんでも良いんです。友人でも、知識でも、ジムバッジでも、すべて生徒達の『自由』です」

「『自由』ですか」

 

 モモナリは一度背もたれに体重を預けて続ける。

 

「それが一番難しい」

「へえ、そりゃ意外やな」

 

 同席していたチリは、モモナリの言葉に身を乗り出した。

 

「自分が一番得意そうやん」

「だからこそ、ですよ」

 

 一拍置いて続ける。

 

「誰もが僕のように生きられるわけではない」

 

 彼は、それが強者にのみ許された特権であることを理解しているようだ。

 

「難しい課題だ、『自由に宝を探す』なんて」

「いえ、私はそんなに難しい課題とは思っていません」

 

 クラベルはそれを否定する。

 その言葉には、チリも少し興味を持った。彼女もまた、本質的にはモモナリに近しい存在であったからだろう。

 

「『宝』とは、必ずしも手にするだけのものではありません。自分にとっての『宝』が何であるのかを理解することも『課外授業』の目的の一つです」

 

 だからこそ、と、クラベルは続ける。

 

「生徒達は学ぶことを恥じなくなったのでは、ないでしょうか」

 

「そりゃあ」と、モモナリはその解説を求めるように身を乗り出そうとした。彼にはピンとこない理屈であったからだ。

 

 だが、それができなかったのは、彼の名を呼ぶ声が食堂の入り口から聞こえたからだ。

 

「モモナリ先生!」

 

 知った声であった。

 その声の持ち主の少女、ネモは、やはり少し息を切らしながら、迷うこと無くモモナリらの座る席に一直線に向かった。

 

「先生!『私とバトルしてください!』」

「ちょお、ちょお待ちいや」

 

 早急なその欲望を引き止めたのは、チリの革手袋であった。

 

「あかんで、そらあかん」

 

 一見不真面目なようだが、彼女は職務に忠実であったし、何より、トレーナーという生き物のプライドに配慮をするタイプであった。

 

「そりゃやりたい気持ちはわかるけどやな、一応先生は」

「『もちろん、構わないよ』」

「いやええんかい」

 

 チリのフォローを遮るように、モモナリは立ち上がって答えた。その目はネモを捉え、口元は緩んでいる。

 

「ゆるいとは聞いてたがまあ」と呆れるチリを尻目に、足元においていたジュラルミンケースを手にしようとしたモモナリの腰元に目をやり、ネモが驚いた。

 

「先生、ポケモンが一匹居ないじゃないですか」

 

 その言葉に、チリとクラベルはモモナリの腰のボールに目をやって数える。

 なるほど確かに、そこにあるボールは、種類こそ違えど五つのみだった。

 

「よく気づいたね」と、彼はジュラルミンケースを机の上に置いて続ける。

 

「じゃあ、どのポケモンが居ないと思う?」

「ええと、ゴルダックです」

「正解」

 

 その一連のやり取りに「なんやなんや」と、チリが驚く。

 

「どうしてわかったんや」

「ええと、勘です」

「なんやそりゃ」

 

 オーバーなリアクションでチリはガックリと肩を落とした。一連のやり取りから、どうやら彼女とネモには、ある程度の関係性がありそうだった。

 

「どうされたんです」と、クラベルがモモナリに問う。

 

「ゴルダックはあなたの最も大切なパートナーのはずでしょう」

 

 その言葉に、一つのボールがカタカタと揺れていることに、モモナリは気づいて微笑んだ。どうやらその言葉に嫉妬している蛇がいるらしい。

 

「たしかに、そうですが」

 

 だが、ここを譲るわけには行かなかった。シュンとしたボールのわかりやすさに微笑みを苦笑に変え、彼は続ける。

 

「ちょっとした修行ですよ。少し揉まれてこいって感じでね」

 

 冗談めかしていったが、それにネモは少し残念そうな表情を見せた。

 

「そんな、先生のパーティにはゴルダックが居ないと」

「おいおい、ネモちゃんそれは失礼やろ」

 

 確かに、ネモの言葉はプロのリーグトレーナーに対して失礼とも取れるものだったであろう。チリがそれをたしなめるのも仕方ない。

 だが、モモナリはそれに頷いた。

 

「申し訳ない。こうなることは考えてはいたんだけどね」

「いやええんかい」

 

 そのまま微笑んで続ける。

 

「でも大丈夫だよ、修行先はオージャの湖だから、もう少ししたら合流する予定なんだ」

 

 それに、ネモはぱっと表情を明るくする。

 

「それなら良かったです! 先生も是非『学園最強大会』に参加してください!」

「『学園最強大会』」

 

 その単語の並びに対し、流石のモモナリもそのおおよその内容を想像することは可能だった。

 だが、必要なのはその、明らかに何らかの欲望を刺激するその言葉が、どうしてこのアカデミー内で聞けるのだという疑問に対する答えだった。

 

「前回の課外授業後、生徒達から提案されましてね。このアカデミーでも、バトルをする場が欲しいと」

「認めたんで」

「もちろん」

「なるほど、なるほど、なあるほど」

 

 モモナリは大げさにそれに頷き、そして、ネモに視線を向ける。

 

「僕も必ず『学園最強大会』に参加させてもらおう」

「本当ですか!?」

「ああ、必ず、必ずだ。『僕の用意できる最高の戦力』で試合に臨もう」

 

 構いませんよね、と、彼はチリとクラベルの方を見た。

 

「かまへんかまへん、そのくらいなら許しまっせ」

「私も構いませんよ、モモナリさんだってアカデミーの講師の一人だ」

「だ、そうだ」

 

 微笑みかけるモモナリに、ネモはぱっと笑顔を見せた。

 

「ああ! 嬉しい! 最高です。私、みんなにも声をかけますね!」

 

 一つ礼をし、彼女は食堂を後にする。あまりにも爽やかな後味を残して。

 

 

 

「何があったんです?」

 

 席に付き、ジュラルミンケースを床に置き直してから、モモナリはクラベルらに問うた。

 それがあまりにも鮮やかな流れだったものだから、彼は彼女が自らとの対戦を先に伸ばしたことへの違和感を、彼女が去ってから気づいた。

 それはあまりにも大きな変化だった。

 理解できない訳では無い。手持ちが不揃いの相手と戦うよりも、その手持ちが揃うタイミングを見計らって戦うのは、理屈としては正しいだろう。今の彼ならばそう思う。

 

「少し、上品になってる」

 

 だが、昔の彼ならばどうだっただろうか。

 目の前におかれたマシュマロが、たとえ我慢すれば二倍になると言われようと、かつての彼は我慢しないだろう。むしろそれを頬張りながら、なんてことのない顔をしながら次のマシュマロを要求する。事、彼の歩んできた人生はそういうものだ。

 そして、同じ資質を感じていたネモが、わずか一年ほど目を離したスキに、そのような人生から脱却しようとしている。それが、彼にとっては強烈な違和感であった。

 

「そらそうやろ」と、チリは当然といった風に鼻を鳴らした。

 

「四天王に勝利してチャンピオンクラス。生徒会長やりながらアオハルやっとる。品の一つも上がるやろ」

 

 否、そうではない。

 モモナリはチリに目線を向けながら眉をひそめる動きでそれを否定した。

 新たに出てきた情報、チャンピオンクラスに生徒会長、そんなことはどうでもいい、そのどちらも、力で手に入れるものだ。彼女ならば手にする権利だろう。

 だが、伸ばせば届いた欲を我慢するということは、その先にはない。

 モモナリ自身が、長い長い人生の歩みの中で、ようやく得ようとしているその感覚を、どうして彼女は得ている。

 その答えを知っているのは、クラベルであった。

 

「彼女は今回の『宝探し』で、最も大きな物を見つけた生徒の一人ですよ」

「なんです、それは」

 

 モモナリはぎこちなく首をひねりながら、クラベルに問う。

 その視線には、怯えと恐れがあるように、クラベルには思える、だが、だからといってその答えを言わぬ道理はなかった。

 

「『仲間』ですよ。月並みな言い方ですが」

「へえ」

 

 モモナリはそれに一つ頷いた。

 

「大事なことです。ポケモンバトルにも通じることだ」

 

 彼はふんふんと鼻を鳴らしてクラベルに問うた。

 

「強いんでしょうね」

「それだけではありませんが。バトルの実力も申し分ありません」

 

 なるほど、と、モモナリは小さく何度も頷いた。

 クラベルは、その様子に生徒たちへの興味に対する熱心さこそ感じていたが、そこに含まれる彼独特の感性には気づけていないでいた。仕方のないことだ、クラベルもまた優れたトレーナーではあるが、その世界の住人ではない。

 故に、モモナリの質問になんの疑問もなく答えようとした。

 

「なんて名前なんです」

 

 クラベルがその生徒の名を言おうとしたその瞬間であった。

 

「ちょいまち」

 

 彼とモモナリとの間を裂くように、チリの右手が差し出される。

 彼女はモモナリの突き刺すような視線を感じながら、それを言った。

 

「名前、言わんほうがええんと違いますか。プライバシーとか、ありますやろ」

 

 チリは、モモナリの感性をすべて理解できているわけではない。だが、彼女は彼の目線にあるそれに得体のしれないものを『勘』じていたのだ。

 しかし、それは不自然な提案でもあった。

 

「臨時とはいえ、僕は教員ですよ。優秀な生徒の名前を聞くくらい問題ないじゃないですか」

 

 口ではそう言い、表情も表面上は朗らかに見える。そして、その言葉は理にかなっているようにも聞こえる。

 だが、その視線が自らの腰元、モンスターボールに向かっていることを、チリはトレーナーとしての本能で感じている。

 

「それに」と、彼は続ける。

 

「有名人でしょう。ここで聞けなくても、すぐに聞けますよ。すぐにね」

 

 珍しく、彼に理があった。

 

「まあ、そうやけど」と、口ごもるチリと、少し態度の変わったモモナリの様子を不思議に思いながら、クラベルはその生徒の名を伝えた。

 

 クラベルが責められる理はない、モモナリの言う通り、彼がその名前を知ることに立場的な問題はなく、そして、今知れずともいずれ知っただろう。

 

「ちょっとトイレに行ってきますね」

 

 足早にその場を後にした彼を、チリは追うタイミングを逸した。無理もないだろう、異性のトイレに付いていくのは好ましい行為ではないだろうから。

 

 

 

 

 

 

 間違いないのは、彼は本当にトイレに行きたかったと言うことだ。

 その証拠に、彼はその後まっすぐトイレに向かった。場所が分からず、わざわざ一階エントランスそばのそこまで遠回りしたが。

 それは、ある者にとっては不幸な、そして、ある者にとっては幸運な偶然だっただろう。

 

 

 

 

 

 

「おはようございます!」

 

 二人の少年が、エントランスで声を張り上げていた。

 一人は、アカデミーの生徒、ピーニャであった。

 尤も、ただの一生徒というわけではない。彼はかつてアカデミーで恐れられたスター団という集まりのボス格であった。伸びた襟足や着崩された制服からも、彼なりの不真面目さというものが見えてくる。

 

「こんにちわ!」

 

 だが、彼が発する大きな挨拶は、不真面目さとは解釈が違うものだろう。往々にして、挨拶というものは真面目な人間が行うものである。

 

「こんばんわ!」

「こんばんわ。いや絶対に夜ではないでしょ」

 

 その隣で同じく声を張り上げるもう一人の生徒、オルティガは、自身の言葉に行動に疑問を覚えつつも、それを推進するピーニャを否定しきれないでいた。

 

 紆余曲折あれど、スター団の活動は事実上必要なくなった。彼らの行動と、アカデミー運営の入れ替えによって、大きな問題の一つは解決されたように見えていたからだ。

 だが、だからと言ってスター団の活動そのものが肯定されるわけでもなければ、その印象が払拭されたわけでもない。膨らみすぎた組織の末端による強引な勧誘の印象もまだまだ強い。

 故に、ボス格自らその悪評を払拭せねばならないと、ピーニャは考えたのだ。

 その内容が挨拶活動というのは、なるほど生徒会長を努めたこともある彼の根の生真面目さが出ているということなのだろう。

 

 バカみたいな光景であったが、彼らなりに必死であった。

 必死であった。だからこそ彼らは、視界の隅から自らに近づいてくるその中年の男に気を取られなかった。門戸の広いこのアカデミーは中年の生徒も珍しくないし、何よりその男は、少なくともその時までは、なんの雰囲気もない凡庸な男のように思えたからだ。

 

「やあどうも、こんにちわ」

 

 その声が耳に届いた時、彼らはぜんまい仕掛けのようにその男に視線を向け、そして、その恐怖を思い出した。

 その男の事は、よく知らない、よくわからない。

 だが、自分達、かつてのスター団が文字通り束になっても敵わなかったという記憶は、強烈に残っている。

 忘れられるはずもない。

 その男の圧倒的な『指導』によって、彼らは目的の達成に『力』が必要であると痛烈に理解し、『力』によってその目的を達成したのだから。

 

「こ、こんにちわ」

 

 挨拶を返すのは、彼らの活動の根本の部分だ。

 ピーニャは気持ちを強く持ってそれを達成したのだろう。

 オルティガはそれを達成できないでいる、得意なタイプであるにも関わらず大暴れする彼のガブリアスの記憶は、抗えない強敵として新しい。

 

「いやー懐かしいなあ、君達まだいたんだね」

 

 その男、モモナリは笑顔で、本当に懐かしそうに目を細めながら続ける。

 

「やめた子もいるらしいから、なんだかホッとしたよ」

 

 この時、モモナリはまだ自分が人を待たせている立場だということを理解はしていた。故に早くこの場を後にしないといけないことも理解していた。

 だが、彼の中でその行為は何も問題ないことであった。かつて指導した生徒に挨拶をすることになんの問題があるだろう。

 そして、その見知った生徒に、ちょっとした事を聞くことも、なんの問題もないことだろう。

 

「ところで、探してる子がいるんだけど。今どこにいるかわかる?」

 

 そう切り出して、彼は先程聞いたばかりの名を口に出した。彼にも発音しやすいアクセントの名前だった。ロトムを介さずともその名は伝わっただろう。

 だが、彼らの表情はこれまでよりも更にこわばった。

 

「オマエ、何するつもりなんだよ」

 

 それまで押し黙っていたオルティガが、モモナリを睨みつけてそう言った。

 その言葉遣いは、ロトムを介してギリギリ失礼ではないラインの言葉に変換されている。

 

「いやまあ、少し『会って』みたいなと思ってね」

 

 何気ない言葉だった。だが、それに対する二人の感情は激しい。

 彼らは、その名を知っていた。

 否、知っているどころの騒ぎではない。彼ら『スター団』はそのトレーナーとの戦いによって解散となったのだ。

 だが、それは屈辱的な事ではなかった。その敗北によって、彼ら『力』によって行き場を失っていたスター団は開放されたのだ。奇しくも、その存在によってスター団に『力』の必要性を説いたモモナリとは対極であった。

 彼ら『スター団』にとって、そのトレーナーは恩人であり『宝』でもあった。そして、その男、モモナリにとっての『会う』ということがどういうことなのかも、彼らは経験から理解していたのだ。

 

「知りません」と、ピーニャは背筋を伸ばしながらそう言った。挨拶と同じく、ハリのある声であった。

 

「ああ、知らないぞ」と、オルティガもそれに続く。

 

 彼らの拒絶に、モモナリは少し沈黙を作った。

 そして小さく何度も「ふうん」と頷いて、一応は、それを飲み込んだ。

 だが、少しだけ欲を出す。

 

「本当に?」

 

 そう問われた二人は、何も答えず目線をきつくしモモナリをにらみつける。

 明らかに、それ以上があるならば戦う体勢であった。

 だが、彼らがモモナリに目線を合わせている間に、すでに彼は、彼ら二人のモンスタボールに意識を向けている。

 はあ、と、モモナリがため息を付いた時だった。

 

「な、何してるし!」

 

 彼らの間に入る小さな影があった。だが、その高い声は震え、表情も伏せている。

 

「マジボス!」と、ピーニャとオルティガは驚いた声を上げる。

 

 モモナリは、その少女を知らなかった。

 ようやく表情を上げたその少女、ボタンは、モモナリと目を合わせるやいなや「うう」と、眉をひそめる。

 それは彼女の人見知りな性格もあったかも知れないが、伝え聞くモモナリというトレーナーの実力を恐れても居たかも知れない。

 だが、彼女は飛び出さなければならない理由があった。

 ピーニャとオルティガの活動を物陰から見守っていた彼女もまた、モモナリがその名を口にするのを聞いていた。彼女にとっても、そのトレーナーは『宝』であった。

 

「へえ」と、モモナリは彼女の瞳を覗き込んだ。

 

 彼は人付き合いに疎い。その代わりに、本質的な力関係に関する妙な洞察力は、群を抜いて優れている部分があった。

 かつて指導したスター団の面々と、その前に立つ見知らぬ少女、彼女は自らを恐れてこそいるが、その責任感から勇気を振り絞り、自らの前に立った。

 故に、彼は微笑んで、確信を持って言った。

 

「ほらね、君を見つけるのは簡単なことなんだよ」

 

 彼女がかつて自らにスター団に対する指示を飛ばしてきたカシオペアであるのだということを、彼は確信していたし、それを疑いもしていない。

 

「ひっ」と、ボタンはそれを恐れた。あの日ヘッドフォン越しに感じたその男の狂気をデジタル化してくれるフィルターは、今この場にはない。

 

 冷静に考えれば、今この状況でモモナリを恐れる必要はない。

 臨時教員である彼は、生徒に別の生徒について問い、それを知らないと生徒は言った。ただこれだけ、これだけである。

 それでも彼女がモモナリを恐れるのは、その実力と、話の通じなさを知っているからだろう。

 スター団のボスとして、モモナリに対峙しようとした。

 彼女がモンスターボールに手を出そうとしたその時である。

 

「ボタンちゃん!」

 

 そう、ボタンの背中に声がかけられた。

 見れば、顔にペイントをした長身の少女が、そこに立っている。

 彼女だけではない、忍者のコスプレをした少年も、太ももまであるブーツを履いた赤髪の少女も、ピーニャらと並んでいる。

 ボタンと五人のスター団ボス格が、モモナリに対峙した。

 

「はあ」と、モモナリはその様子にため息をついた。

 

「僕はただ、人探しをしてるだけなんだけどなあ」

 

 彼がそのためならばなんだってするであろう男だと、ボタンは理解している。

 

「君達は『僕と戦いたいのかい』」

 

 まるで人数差など気にもとめないような発言だった。

 そして、その男がこのくらいの人数差で怯むような男ではないことを、スター団は理解している。

 ボタンが、それに頷こうとした時、今度はモモナリの背後から声が。

 

「何をしてんねん!」

 

 チリであった。

 エントランスでなにか騒ぎが起きているらしいと耳にしてから、彼女の行動は称賛にあたいするほどに早かった。

 彼女は腕を伸ばしてモモナリを制しながらも、スター団を正面に捉える。

 

「ああどうも」と、モモナリは悪びれない。

 

「どうもとちゃうわ、どう考えても、ここはトイレとちゃうやろが」

「ああいやね、ちょっと前に来たときに指導した生徒がいたんで、ちょっと挨拶をね」

「そんな雰囲気ちゃうやろ、今にもドンパチ起こしそうやないか」

「ははは、そりゃまあ、お互いトレーナーですからね」

 

 チリはお互いを見比べながら言う。

 

「この人数差で何言っとんねん」

 

 それは違う、と、スター団の面々は思った。

 その男は危険だ、自分たちのレベルではどれだけ人数を集めても難しい、いや、難しかった。そう思った。

 だが、モモナリはケロリとした顔で言う。

 

「だからこそ、楽しみだったんですけどねえ」

 

 その対峙を見て、チリは本能的にモモナリの側に立った。彼を守る立ち位置を取った。

 それをモモナリは理解していたし、それを特別不服に思っても居なかった。否、むしろ彼はチリを優れた感覚の持ち主だと感心しただろう。

 彼女越しに、モモナリはスター団に声をかける。

 

「いい『仲間』だね。君と同じぐらいの年だった頃、僕にはこんな仲間はいなかった」

 

 彼らは向かってきただろう、どれだけ力の差を見せつけようと、恐れること無く向かってきただろう。もしそうならば、この強力な群れを相手に、力を通すのは難しいかも知れない。

 彼は微笑んだ。

 

「君達が『知らない』というのなら、僕はそれ以上の追求はしない。これは君達が勝ち取ったものであり。果たした『責任』でもある」

 

 じゃ、行きましょうか。と、モモナリはスター団に背を向ける。

 ボタンは、背を向けながらわずかに向けられた彼の視線に羨望を感じた。それは、彼と対峙して初めてのことだった。

 

「『学園最強大会』」

 

 その背に、ボタンは声を投げかける。

 わずかに振り向いたモモナリに、彼女は続ける。

 

「あいつはいつも、出る」

 

 それ以上は、必要のない情報だった。

 

「ありがとう、優しいね、君は」

 

 モモナリはそう言って彼らを視界から外した。




モモナリへの質問など大変有難うございます。
全てに答えていきたいところですが世界観的に答えにくい質問などもあり答えられないこともあります。大変申し訳ありません

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誤字脱字メッセージいつもありがとうございます。
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