モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 222-おんなじ

 アカデミーに訪れた超巨大な変革は、パルデア地方そのものを揺るがしかねないことだった。

 校長、教頭を含める教師陣がすべて退陣し、その代わりを研究者やジムリーダー、チャンピオンクラスのトップトレーナーなどが補う。誰かが抜ければ誰かがそれを補うという当然の流れではあるが、物事はそんなに単純ではない。優秀な研究者が欠ければ、当然誰かがそれを補わなければならない、ジムリーダーが欠ければ、誰かそれを補わなければならない。まるで玉突きのように、正しい場所で力を発揮していたはずの人材が流れていく。

 ただ、それらを差し引いてもなお、アカデミーには優秀な人材が派遣されてあるべきだと判断されたのは、学園都市パルデアの文化的な背景と、何より彼ら『優秀な人材』が自身らのバックボーンとして学園生活があったのだという誇りがあるのだろう。

 だが、文化や誇りで教員の経験不足をカバーできるわけではない、実際のところ、カバーできたとすることはできるだろうが、そのように恥知らずなことをするほど、新体制の面々は厚顔無恥ではなかった。

 そうなれば、外部講師などは彼らにとって頼るべき人材であった。例えば十年ほど前に解明された『テラスタル』のような、ポケモンバトルにおける自由なタイプ変更に対して豊かな経験を持ち、自らの言葉を表現することに慣れており、インパクトのある立場を持ち、少し時を遡ればアカデミーの教壇に立ったことがある。そんなトレーナーは、彼らが助けを求めるにはうってつけの人材だろう。

 

 

 

 

 不機嫌そうだ。

 校長室にて、カントーからの特別講師、モモナリ=マナブを迎えたクラベルは、第一印象としてそのようなものを持った。

 

「初めまして、アカデミーの校長を務めています。クラベルです」

「やあどうも、モモナリです」

 

 彼の周りを浮遊するスマホロトムから、なるべく彼の声質を再現しながらそう放たれた挨拶と、差し出された彼の右手を見て、クラベルはその認識を改める。不機嫌で作られる笑顔ではない。

 

「まさか、また呼ばれるとはね」と、彼が漏らす。

 

 不機嫌、と言うよりは、つまらなさそうだった。

 

「あなたの経験と知識は生徒達にとって有用なものですよ」

「はあ、まあ、そうですか」

 

 彼はクラベルの腰元に一瞬目線をやり、そして、彼の横に立つ長髪の女と目を合わせた。

 

「モモナリさん、長旅お疲れ様でした。私がアカデミー理事長のオモダカです」

 

 その女、オモダカは笑顔を作ってからモモナリの右手を取った。

 モモナリは同じく彼女の腰元のボールに視線を向け、苦笑いをしながらため息を吐いた。

 

「まいったね、どうも」

 

 一つ首を捻ってから続ける。

 

「アオキさんはどうしてんです?」

 

 その質問には、オモダカが返す。

 

「アオキは今多忙なもので」

「はあ、そんなもんですか。まあ、何も変わらないですが」

 

 

 

 

 

 

「エントランスの設計には、私も関わっているんですよ」

 

 本棚を目の前に、オモダカが誇らしげにモモナリに言った。

 無理も無いだろう。本棚を中心に組み上げられているといっても過言ではないアカデミーのエントラスは、ありえないだろうがそこが学び舎であることを知らぬ人間にすらそれを叩きつけるような知の要塞を表現していた。

 オモダカがそれを意識していたのかどうかは分からないが、それは学術機関としてのアカデミーの再出発を証明している。

 

「一生かかっても全部は読めなさそうですねえ」

 

 ため息交じりにモモナリはそう言った。心なしか、先ほどよりかは笑顔があるような気がする。

 

「読書に興味が?」

「一時期、趣味にしようとしてた時がありましてね」

 

 彼は少し頬をかいて続ける。

 

「まさか、書く側になるとは思わなかったですが」

 

 彼は目の前の本棚から一冊手に取った。それをパラパラと捲って苦笑い。

 

「だめだこりゃ、何もわからん」

 

 それは学術的な意味合いではないだろう、その本そのものは、子供でも理解できるものだ。だが、他言語圏のモモナリにはそれもわからない。

 その時、ロトムフォンが彼と本の間に入る。

 するとどうだろう、途端にロトムフォンのモニターには、それらがモモナリの母国語に翻訳されたものが映し出される。

 おおっ、と、彼は感嘆の声を上げた。

 

「かがくのちからってすげー」

 

 その様子に、オモダカは思わず笑ってしまう。今どき、その機能を知らない人間がいるものとは思わなかったのだ。

 興奮した様子で、モモナリはその本を捲る。よくできた本だった、まるでおとぎ話のようにわかりやすい。

 やがて、あるページでモモナリの手が止まる。

 

「これは」

 

 そこに描かれているのは、あるポケモンによく似た存在だった。劇画のようなタッチだったが、明らかに特徴的な牙がある。

 

「ドンファンかな、いや、それにしては」

 

 勿論、イラストというのは特徴的な部分を強調して描くことがあることを理解はしていたが、明らかにそのイラストの持つ雰囲気は、彼の知るドンファンというポケモンとは少し違っていたのだ。

 

「パルデアのリージョンフォームですかね」

 

 彼はそのページをオモダカに向けて問うた。それぞれの地方には、それぞれの地方の特性に適するように進化したポケモンがいることもある。彼は学者肌ではないが、それを経験から理解していた。

 

「いいえ、残念ながら」

 

 オモダカは同ページの一部を指さした。素早く、ロトムがそれを翻訳する。

 

「これは『パルデアの大穴』についての記載ですね」

「『パルデアの大穴』」

「ええ、このパルデア地方の中心にはそう呼ばれる危険地帯があるのです」

 

 オモダカがスマホロトムに短く指示すると、それは画面一面にパルデア地方の地図を映し出す。その中心には、鈍い色で塗りつぶされた箇所があった。

 

「この近辺ですね、周りは岸壁に覆われ、表層は厚い雲に覆われているから航空写真からでも確認はできないんです」

 

 へえ、と、モモナリはそれに反応した後に、思わず苦笑い。

 

「いや、前回来たときには気づきもしなかった」

 

 それは、自らの感性が衰えているからだろうか、それとも、それに気づく暇すら与えないほどに程よく忙しく計算されていたスケジュールであったからか。

 

「だめですよ」と、オモダカは口元に手をやって彼をたしなめる。もちろん事前の情報もあったが、彼女はモモナリがその情報を得たときにわずかに見せた目の輝きから、彼の大体の本質を理解していた。

 

「危険な場所です。珍しいかもしれないですが、基本的には立入禁止なんです。当然、我が校の生徒もね」

「不思議なポケモンのいる危険地帯。どこにだってある。僕の家の近くにもこんな場所がありますよ。珍しいことじゃない」

 

 それに、と続ける。

 

「危険地帯とは言ったが、この本を書いた人間は無事だったということでしょう。だからこうやって経験を表現できている。それもまた、僕と同じ」

「彼らは探索隊を組んでの研究ですよ」

「僕達だって一人と六匹の群れだ」

 

 モモナリは鼻を鳴らして呆れを表現した。

 

「まあ、多分行かないでしょう、今回も忙しい。あなたから頼まれている『仕事』もあるしね」

「まあ嬉しい、受けていただけるんですね」

「そりゃもちろん、今回はそれが目的だ」

 

 彼はそう言って手にしていた本を本棚に戻した。もちろんその特徴的なハードカバーのカラーと、そのタイトルをロトムの画面を通して目に焼き付けてはいたが。

 

「楽しみですよ」

 

 

 

 

 

 

 アカデミー、ある中規模教室。

 

 遥か遠くカントー地方から訪れたリーグトレーナーは、ロトムフォンによって言語の壁を越え、もはやその故郷ですら珍しくなりつつある技術を、彼なりにできる限りわかりやすく説明しようと戦っていた。

 

「すべてのパーティに対応するには『足し算』も必要だけど、同時に『引き算』も大切なんだ。一匹のポケモンに多数の仕事を任せることができれば、その分他に対策ができる」

 

 教室の空気は、彼の知っているそれほどは重くはなかった。それを重くする人物はおらず、純粋な興味がそこにある。

 

「さて、それじゃあ質問なんかがあれば何でも良いよ」

 

 それに、ピンと伸ばされた手が一つ。

 

「はい、じゃあ君」

 

 その手の持ち主である少女はバネ細工のように立ち上がり、モモナリに満面の笑みを投げかけながる。

 

「一年生のネモです! モモナリ先生! 今日は貴重なお話ありがとうございました。質問なのですが、ヌオーのようなタイプの対策のために草タイプの『めざめるパワー』を取得したとのお話でしたが、どうして『くさむすび』を選択しなかったのでしょうか」

 

 その質問に、教室はざわついた。

 難解な質問であることは間違いなかった。一年生である彼らは、ゴルダックが『くさむすび』を覚えることができるかどうか知らない。

 だが、その指摘は、リーグトレーナーのプライドを傷つけかねなかった。

 教室の後ろでそれを見学していたクラベルやバトル学担当の教員すらも少し心配していたが、モモナリは特に動揺することなく答える。

 

「もちろん、ゴルダックがくさタイプの技を覚えることができるのならばそれが一番だ。当時の僕達も色々模索はしていたんだけど、くさタイプの技を覚えることはできなかったんだよね」

 

 彼はそこで言葉を切り、少し過去を思い出すように遠くを眺めてから続ける。

 

「他の地方のゴルダックも参考にしてはいたんだけど。パルデアのゴルダックは『くさむすび』を覚えるのかな」

 

 モモナリの視線を投げかけられたネモとクラベルは共にうなずく。限定的だが、パルデアのゴルダックが『くさむすび』を覚えることに間違いはない。

 

「なるほど」と、モモナリは数回頷いてから続ける。

 

「地方によってポケモンの覚える技が違うことはある。例えば僕のゴルダックは『シンクロノイズ』が得意技だが、他の地方ではめったに見ない。単純に『くさむすび』よりも『めざめるパワー』のほうが僕らにとっては簡単だったということだね。君はよく勉強してる」

 

 そう褒められたネモは「ありがとうございます!」と頭を下げ、少し頬を赤くしながら席につく。

 

「さて、他に質問はあるかな」

 

 モモナリは再びそう言ったが、それ以上の質問はなかった、ネモとモモナリのやり取りは、一年生にとってはレベルが高すぎた。

 

 

 

 

 

 

「興味深い講義でした」

 

 授業終了後、廊下を歩くモモナリに、同じくそのそばを歩いていたクラベルが感心したように息を吐いてから言った。

 

「『めざめるパワー』と言うカントー独自の技術もそうですが、それを単なる奇襲ではなく選択肢として意識させるとは」

「元はジョウトの技術なんですよ、ジョウトの古いトレーナーはよく使ってました」

 

「アンノーンというポケモンがいて」とモモナリが続けようとしたとき、聞き覚えのある「モモナリ先生!」という声が背後から聞こえてきた。

 

 二人が振り返れば、そこには先程の少女、ネモがいる。走ってきたのだろうか、細かに肩で息をしていた。

 彼女は息を整える時間すらもったいないというふうに荒い息のまま、キラキラと光る目をモモナリに向ける。

 

「『わたしとバトルしてくれませんか』!?」

 

 その言葉に、モモナリは目に見えて目を輝かせた。彼は彼女の腰元に一つモンスターボールがあることに気づいている。

 だが、彼がそれに答えるより先に、クラベルがネモに言った。

 

「ネモさん。たしかにあなたは授業では優秀な成績を収めていますが。モモナリさんに挑むのは無謀ですよ、まだパートナーとの期間も短い」

 

 クラベルの意見はもっともであった。たしかにネモは優秀だ。だが彼女はまだ入学してすぐの一年生。ポケモンを手にしたのも最近である。

 比べて、モモナリは現役のリーグトレーナーである。それも、意見が分かれるところではあるが世界トップクラスと言っても過言ではないだろう。無謀である。

 クラベルにとって、それはどちらかと言えばモモナリの方に配慮した行動であった。トップクラスのリーグトレーナーにとって、初心者も同然のトレーナーから勝負を挑まれるシチュエーションは、あまり好ましくは思えなかったからだ。

 だが、そのような気遣いを知ってか知らずか、モモナリはクラベルの言葉を手で制した。

 

「そんなつまらないことを言わず、僕はいつでも『大歓迎』ですよ」

「しかし、ネモさんはまだ初心者」

「構いやしませんよ、ハンデを与えればいくらでも『真剣勝負』ができる。こう見えても、僕はジムリーダーライセンスも持っているんですよ」

 

 それに、と続ける。

 

「同じシチュエーションなら、僕なら絶対にこのチャンスを逃さない。彼女の好奇心に、僕は敬意を払う」

 

 更に彼は続けた。

 

「僕としては、全校生徒が向かってくるものだと準備していましたからね」

 

 

 

 

 

 圧勝、に見えただろう。少なくとも、それを見学していた周りの生徒達はそう思っていた。

 アカデミー校内、バトル場にてネモと向かい合ったモモナリは、文字通り、ゴルダックの指先のみで戦った。

 対するネモとその相棒もなんとか健闘していたが、最終的にはスタミナ切れを狙われて敗北した。

 だが、対戦場の真ん中で握手を交わした二人は、全く違う感想を持っているようだった。

 

「楽しんだかい」

「はい! もちろんです」

 

 目を輝かせるネモに、モモナリが告げる。心なしか、彼も少し興奮しているようだった。

 

「君達は筋がいい。ほとんどスキはなかったし、逆にこちらのスキを上手く作ろうとしていた」

 

 その傍らに居たゴルダックも、少し息を上げながらネモの傍に立つ彼女の相棒を眺めながら同じ感想を持っていた。

 とてもではないが、経験の浅い群れには思えなかった。指先のみで戦うというハンデにおいて、モモナリの指示がなければ思わず手のひらを使ってしまいそうになる場面すらあったかもしれない。

 

「何も言うことはないよ、このまま勝負を楽しんで行けばいい。勝っても、負けても、楽しんで、次に活かせばいい」

 

 息を吐き、微笑みを見せながら続ける。

 

「昔、まだアマチュアだったカルネと戦ったことがある。その時を思い出した」

 

 殆どの生徒達は、それをモモナリのリップサービスと思っただろう。

 まだ一年生、それも、つい先程ゴルダックの指先で遊ばれた存在である彼女に、少なくともカロスリーグチャンピオンの名は重すぎると思った。

 感激しているネモに、モモナリは少し、微笑みに苦さを加えていた。

 

「他に、僕と戦いたい子はいるかな」

 

 だが、周りの生徒はそれに手を挙げなかった。

 唯一、彼の目の前に居るネモだけが、少しソワソワしているだけ。

 

 

 

 

 

 

「何者なんです」

 

 校長室、ソファーに座るモモナリは、クラベルにそう問うた。

 それがネモのことを指していることに、クラベルは少し沈黙を作ってから気づく。

 

「優秀な生徒ですが、少し向こう見ずなところがある。大変な失礼を」

 

 彼は、モモナリがそれに不満を覚えているのかと思った。

 だが、モモナリはクラベルのそのような様子に笑い声を上げて手を振った。

 

「そういうことじゃなくて、あの子があまりにも強いものだから、つい出自が気になっただけですよ。誰か有名なトレーナーの親戚であるのか、とか」

 

 そう言って、少しばかり沈黙してから続ける。

 

「それにしちゃあ、あまり動きに手垢がついてない感じでしたが」

 

 クラベルは、モモナリが寛大な心の持ち主であることに安心し、そして、彼があまりにも彼女を高く評価していることに驚いた。

 彼もトレーナーとしての技量がないわけではない、あの時あの場に居た生徒達のように、あれが単純な圧勝劇ではなかったことは理解しているつもりだ。

 だが、それを差し引いても、モモナリは彼女を高く評価している。

 

「特に、バトル方面で有名な出自ではありませんよ。経済的に裕福ではありますが」

「そりゃあ、強い理由にはならないですね」

「尤もです」

「才能豊かな子だ。バトルも好きそうだし、何より、僕にふっかけてくる度胸が、好奇心がいい」

 

 彼は苦笑いして続ける。

 

「苦労するでしょうね」

 

 クラベルは、その言葉の意味を理解しながらも、その言葉の真意を掴めなかった。

 バトルを志すもののトップクラスに君臨する彼のその言葉が、彼女の人生の何を、あるいは彼女が所属するこのアカデミーの何かを指しているのか、掴みきれなかった。

 だが、それを追求すること無く、別の話題に移る。

 

「モモナリさん。失礼ですが、一つ二つ、質問したいのですが」

「いいですよ、なんでも構いません」

「前回、来ていただいたときに比べて、アカデミーの教師陣が大きく変わっていることにはお気づきでしょう」

「そりゃもちろん、気づくなというのが難しい」

 

 モモナリはそう笑う。言葉通り、それに気づくなという方が無理だった。明らかに教師陣の顔ぶれが変わっていることは、流石に人の顔を覚えないモモナリですら違和感を感じている。

 だが、それを直接指摘したことはない。特別な意図はなく、ただ特別興味がなかっただけなのだ。

 

「半年ほど前に、一部生徒の自主退学と、教師陣全員の退任があったんです。もちろん、異例中の異例、本来ならばありえない出来事です」

「はあ、なるほど。そりゃ大変だ」

「今は、一時的にパルデアポケモンリーグの援助と共にアカデミーを運営している形です。幸運なことに、多少事務に穴がある程度ですんではいますが」

 

 クラベルの言う通り、現状では、アカデミーの運営に大きな問題が起きている状況ではない。

 だが、彼にはどうしても把握しておかなければならない状況というものがあった。

 

「モモナリさんには、前回の赴任時のアカデミーの様子をうかがいたいのです」

「様子」

 

 首を傾げるモモナリに、クラベルが更に説明する。

 

「実は、我々はこの学園に何が起きていたのか知らないのです」

 

 それにモモナリは反対方向に首を傾げた。

 

「何も知らない」

「ええ、自主退学した生徒の情報も、その理由も記録されていなければ、かつての教師たちもその理由を話すことを拒んでいるのです」

「記録か何かが残っているでしょう。ハナダジムですら日報は書いている」

 

 その当たり前の提案に、クラベルは力なく首を振った。

 

「すべて、破棄されているんです」

「破棄」

 

 その単語を繰り返した。モモナリですら、その状況の異様さを理解した。

 その違和感を後押しするようにクラベルが続ける。

 

「前運営は何かを隠している」

「まあ、そうなんでしょうね」

「幸いにも、モモナリさんは前運営時代にアカデミーに赴任している。なんでもいいのです、そのときに感じたことがあれば、何でも教えていただきたい」

「そうは言ってもね」

 

 モモナリは背伸びをしてソファーに背を預ける。

 

「そんな事を知ってどうするんです」

 

 その言葉に、クラベルは少し驚いて返す。

 

「もちろん、運営に活かすのです。そのようなことがあったということは、運営に問題が、ひいては、前運営の教育方針そのものに問題があったということに他ならない」

「はあ、そんなもんですか」

 

 少なくともこの意見に関しては、モモナリよりもクラベルのほうが倫理的に正しいだろう。その感覚を理解できないモモナリというものが、あまりにも非社会的であるだけで。

 

「だけど、僕がここにいたのはほんの数日ですよ。それこそ、観光をする暇もなく帰ったんです」

「ええ、無理にとは言いません、なにか、本当に些細な事でもいいのです」

 

 どこまでも食らいついてくる。モモナリはなるほど、この人も強い人だなと納得しながら、記憶を遡る。

 そして、ひねり出すようにある名前を呟いた。

 

「そういう名前の生徒さん、今何してるんです」

 

 それは、ほんの数日だけ赴任していたこのアカデミーで唯一気になっている生徒であった。

 強者のように振る舞うが、その実それだけの実力は無い。彼の中で、その生徒は庇護の対象であったが、その手すら振り払った子供だった。

 

「その生徒が、何か」

「何かってわけじゃないですよ。ただ、何かと危なっかしい子だったんで気になってるだけでね」

「少々時間を」

 

 クラベルは、すぐさまに椅子に座り、ノート型の端末を叩いた。膨大なデータの中からモモナリが語った生徒の名前を検索していることは明らかだ。

 

「フルネームはわかりませんか」

「それはちょっと」

「年の頃は」

「若かったですよ、ティーンじゃないですかね」

 

 しばらくクラベルは端末を叩いては眺め、叩いては眺めをしていたが、やがて溜息を吐きながら言う。

 

「生徒の名簿には、残っていませんね」

「なるほど」

 

 モモナリは何度か頷いた。

 

「じゃあ、退学したんでしょう。それで、名簿から消された」

「一体何が」

「さあ、どんな理由もありそうです。僕が言うのも何だがあまり賢い方じゃなかったんだろうと思うし、何より弱かった」

 

 しばらく沈黙して続ける。

 

「バッジはいくつか持っているとは言っていましたけど」

「弱い、と」

 

 クラベルはその単語に引っかかったようだ。

 

「それならばその生徒は、いじめられていたのでしょうか」

 

 モモナリはそれにハハハと小さく笑う。

 

「少なくとも、僕が居た頃にはそんな雰囲気は無かったですよ。ただ、何かあったときに降り掛かってくる『ひのこ』をはらうことはできないんでしょうが」

 

「自然なことですよ」と、彼は続ける。

 

「自分の器を見誤り、ふりかかる責任からは逃げた。何も特別なことはない、自然なことだ」

「モモナリさん、それは違います」

 

 クラベルは、立ち上がってモモナリに微笑みかけながら言った。

 

「ここが教育の場である限り、弱いからといって追い出されるようなことはあってはなりません」

「その生徒が思い上がっていたらどうするんです。まるで自らが強者であるかのようにふるまっていたのなら」

「若い子供が自らの実力を見誤ることなんてよくあることです。若い過ちは教育者が受け入れ、正さなければならない」

 

 モモナリは、クラベルのその言葉に苦笑いし、二、三度頷いて言った。

 

「なるほど、あなたがそう言うのならそうなんでしょう。少なくとも、僕よりかは教育者に向いている」

 

 単純に、モモナリが自らの意見を押し通そうとするならば、それなりの手段を彼は持ち得ているだろう。

 だが、彼はそれを振るわない。クラベルという男もなかなか一本通った信念持っているようだし、何より、モモナリは自らの教育論が必ずしも正しいばかりではないことをこれまでの人生で理解している。何かをしてまで押し通す価値はない持論だ。

 

「ああ、そうだ」

 

 モモナリはもう一つ思い出す。

 

「『スター団』とやらはまだあるんですか」

 

 クラベルは、その単語を繰り返した。

 

「ええ、そのような集団の噂は聞いています。一年ほど前からある不良集団だと」

「ああ、そうなんですか」

 

 彼はもう一つ背伸びをして続ける。

 

「まだ、やめてないんですね」

 

 

 

 

 

 チャンプルタウン、チャンプルジム、別名『宝食堂』

 ジムリーダーであるアオキは、久しぶりの休日を楽しんでいた。

 真っ昼間から飲食店でそれなりに手の込んだ料理を口にする。年を取れば取るほど気力と体力を必要としてくるそれは、少なくとも営業中にはやりにくい。

 

 いつの間にか特等席のようになってしまったカウンターの端の席でおにぎりを食べていると「いらっしゃいませ」という店主の声、誰が来たのかと視線を向けることはない。あまり他人に興味はないし、それが普通というものだった。

 

「焼きおにぎり、二人前、だいもんじ、レモントッピングで」

 

 隣の椅子を引きながら、その男は店主にそう注文する。

 あいよ、という元気のいい店主の返事。

 男がなんの断りもなくドカリと隣の席に座っても、特にアオキが驚くことはない。

 聞き覚えのある声だったし、その声の主が今日来訪することは上司から聞いていた。それに、どちらかと言えばそういう不躾なことをするタイプの男だった。それを知っていれば、その反応も普通だ。

 

「お疲れ様です。モモナリさん」

 

 アオキの挨拶に、モモナリは頷いて「ええ、どうも」と答える。

 営業としての仕事が休みでも、ジムリーダーとしての仕事がある。

 だが、上司やアオキに言わせれば、拠点を離れるわけでもなく、何件もの案件を抱えているわけでもないその日は、休みと言っていいものだった。

 

「早速『はじめましょうか』」

 

 とは言っても、自由な時間は多い方がいい。アオキはモモナリにそれを求める。

 彼が戦闘狂というわけではない、上司であるオモダカの思いつきにより、他地方のトップトレーナーであるモモナリがチャンプルジムを査定する。もちろんそれは、ジムテストからジムバトルまで行わなければ査定とは言わないだろう。

 だが、モモナリが戦闘狂であることをアオキは知っている。そうすれば彼がそれに乗ってくるだろうであることは普通に想像できる。

 だが、彼は手を振ってそれを拒否する

 

「いやいや『ちょっと待ちましょう』。せっかく注文したんだ。食べてからでも良い」

 

 予想外な返答だった。

 アオキは一瞬、それが前回赴任時にさんざん勝負を拒んだ意趣返しなのかと苦々しく思ったが、次の瞬間にそんなわけないかとそれを否定する。とてもではないが、バトルとプライドとを天秤にかけてプライドを取る方ではないだろう。

 故に、普通にそれに驚くことにした。小さい声で。

 

「意外ですね、てっきりすぐに仕事をするものだと思っていました」

「別に、焦らなくてもバトルはできますからね」

「まあ、それはそうですが」

「いい店、らしいですね、ロトムがレビューサイトの評価を教えてくれました」

「ええ、私もここは好きなんです」

 

 アオキは料理を作っている店主を指して続ける。

 

「彼女は優秀なトレーナーなんです。もしあなたが特別講師を断ったら、彼女に講師を頼む話もありました」

「ほう」

「ポケモンのテラスタイプを変更する技術を持った数少ない人物なんです」

「へえ」

 

 モモナリはそれに感嘆の声を上げた。だがそれは彼女に対してではなく、テラスタイプを変更するという言葉に対して。

 

「テラスタイプというのは変えることができると」

「ええ、そうですよ」

「はあ、なるほど。僕らは『めざめるパワー』のタイプを変えるなんて発想すらなかった」

 

 しばらくそれらについて散発的に話が続いたが、やがてモモナリの注文が通り焼きおにぎりが彼の目の前に置かれる。

 

「ほお、なるほど」

 

 宝食堂のスタンスらしく、おにぎりは大きい、それでも二人前を注文するようなジムテストになっているのは、若いアスリートを思うジムリーダーの普通の気持ちだ。

 一つ目を楽しんだ後に、カリカリに焼かれた表面にレモンの果汁で潤いを与えながら、モモナリはアオキに言った。

 

「一つ、アオキさんに聞きたいことがあるんです」

 

 その言葉に、アオキは手をおしぼりで拭いた。なんのことはない、雑談の続きだ、相当にプライベートに踏み込むような話題でない限り、普通それを受け入れるだろう。

 

「なんです」

「アオキさんは、どうして『普通』であることにこだわるんです」

 

 それに、アオキは一瞬だけ悩んだ。

 なんでも無い質問ではある。だが、それは考えようによっては相当にプライベートに踏み込むような話題でもあった。

 故に、一旦はとぼけることにした。

 

「どういうことです」

「またまた、わかってるくせに」

 

 モモナリはそれを許さなかった。

 

「今更確認するまでもないですけど、アオキさん、あなたはこっち側だ」

 

 アオキはすぐさまにそれを否定する。

 

「まさか、私は普通ですよ」

「まさか」

 

 モモナリは笑って続ける。

 

「初めてあったときからピンと来てましたよ。ああ、この人は強い人なんだなってね」

 

 無邪気な指摘に、アオキは少し眉を動かして答える。

 

「まあ、人よりかは強いでしょう」

「いやいや、そんな話をしたいわけじゃない。あなたは普通なんかじゃない、そうなろうとはしていますがね」

 

 アオキはそれに思う感情を少し力を込めて押し込めながら問う。

 

「どういうことです?」

「初めてなんですよ、それだけ強くて、それを『普通』であるために使うだなんて」

 

 その指摘に、アオキは一旦言葉をおかない。

 

「あなたはこっち側だ、僕が自分の『強さ』を自分が生きたいように生きることに使うのと同じで、あなたは『強さ』で『普通である権利』を勝ち取っている」

 

 一拍おいて問う。

 

「だから誘いを受けなかったんでしょう」

 

 アオキはそれが前回赴任時の事を指していることを理解している。

 

「無駄なバトルはしない、リーグトレーナーに誘われても、普通のサラリーマンは乗らないだろう。だから、断った」

「あの場面でバトルを受ける必要はありません。無駄な働きをしたくないのは誰だって同じでしょう」

「それが違うんだよなあ」

 

 モモナリはレモンを絞った焼きおにぎりをひとくち食べた。その酸味によって変化している味を楽しみ、しっかりとそれを飲み込んでから続ける。

 

「『普通』はね、俺に睨まれたらバトルを受けるんですよ。もっと言うと『普通』ならば、俺の欲求を叶えてくれる。そういうもんですよ、強いってことはね」

 

 長年の経験から、彼は『普通』の人間の生態を理解しているし、それを理解しているからこそ『普通のトレーナー』から数多くの勝利を手にしている。

 

「俺に睨まれて、ご丁寧にバトルに誘われているのに、それを受けない。俺に逆らう、そんなのはね『普通』じゃないですよアオキさん」

「戦いを拒むことはパルデアのトレーナーに与えられた権利ですよ。法で保護された前例もある」

「法を守るために自らの身を危険に晒す精神力を持った人間はそうは居ませんよ。法は『絶対』ではない」

 

 とんでもないことを軽々しく言うものだ、と、アオキは目の前の中年を眺めて思った。それは、実力を持ったトレーナーが言って良い倫理ではない。だが、彼の言う通り、彼にはその権利があるのだろう。

 

「それで、どうしてあなたは『普通』であることにこだわるんです?」

 

 アオキは溜息をついた。一瞬、逃げてしまおうかとも考えたが、そうなると仕事をこなせない。

 

「なんてことはないですよ。普通こそがね、一番いいんだ」

「へえ」

 

 モモナリにとってそれは意外な返答であった。

 

「痛快な日、ハードボイルドな日、ビターな日。そんなものは日常にはなり得ない。毎日慣れ親しんだ『上質な普通』があるからこそ、それらの日が強く印象に残る。ちょうどこのおにぎりみたいなものです。ほんの少しの塩味があるだけでいい」

 

 アオキは目の前に一つだけある白い何の変哲もないおにぎりを手に取った。

 

「安らぎを得るための工夫ですよ。旅行がなければ刺激は生まれないが、自宅で過ごす日常がなければ、旅行は刺激になり得ない」

 

 彼はそれを口に運んだ。

 彼がそれを咀嚼している間、モモナリは独り言のようにつぶやく。

 

「なるほどね、たしかに、あんたの言うとおりだ。僕にはまったくない発想でしたけど」

 

 そういって沈黙し焼きおにぎりに手を出したモモナリに、おにぎりを飲み込んだアオキが声を上げる。

 

「あなたも、同じですよ」

 

 それに、モモナリは焼きおにぎりを口元にやったまま硬直した。

 

「あなただって強い、それこそその『強さ』だけで十分生きていけるはずだ。エッセイを書く必要もなければ、他地方のアカデミーに登壇する必要もない。なのに、あなたはそのどちらもやっている」

 

 お茶を一口、続ける。

 

「いや、むしろあなたのほうが変わっている。ポケモンリーグに属している自分よりもね。どうしてなんです」

 

 それも、アオキの純粋な疑問であっただろう。

 モモナリは焼きおにぎりを皿に戻し、しばらく小さな声で唸った後に、ニヘラと何かを誤魔化すように笑いながら答える。

 

「さあ、どうしてなんでしょうね、それを言葉にできるほど、僕は優れた物書きじゃない」

 

 そうですか、と、アオキは話題を切った。

 追求することはできただろう、自分だけそれをぼかすとは何事かと、細かく追求し、彼の人生を丸裸にすることもできただろう。

 だが、彼はそれをしなかった。

 それを追求することは酷だ。『普通』ならば、そうしないだろうから。

 

 

 

 

 あくまでもジム戦だ。プライドを灯して戦うようなものではない。

 だが、パルデアのトレーナー達の高い壁であるべきである。

 故に、既にアオキのムクホークには宝石のようなテラスラルの冠がある。

 

「さあ、さあ、さあ」

 

 新たなポケモン、ピクシーを繰り出しながら。モモナリは声を出す。

 

「こんな状況、普通じゃないんですよ。まあ、僕にとっては普通ですがね」

 

 彼は両手でテラスタルオーブを構えた。

 相手を見据えながら、オーブのエネルギーを体幹で受け止め、それをピクシーに向かって投げる。

 彼女を覆うように現れた宝石が砕けると。彼女には拳を表現しているような冠が被せられている。

 格闘タイプのテラスタルだ、ノーマルテラスタルのムクホークからすれば弱点となる。

 

「もう、あんたは『普通』を演じる必要はないんだ。さあ、戦いましょうや」

「残念ですが、これはジム戦です。本気を出せば査定に響きます」

 

 その言葉に、モモナリは苦笑するしか無い。

 

「やっぱあんた『普通』じゃないよ」

 

 

 

 

 

 

「参ったなこりゃあ」

 

 その施設が『ゼロゲート』と呼ばれていることを、モモナリは知らなかった。

 だが、ロトム機能をオフにしたスマートフォンに映された地図を見ながら、彼が目的地の『パルデアの大穴』に向かおうとしたら、たまたまそこに行き着いた。

 明らかにその施設は『パルデアの大穴』に入るためのものだろう。だが、それはフェンスで封鎖されており、正攻法の手段では入れないようになっている。

 それを腕力で突破すれば、まあ一先ずカントー・ジョウトポケモンリーグ協会理事からの軽蔑は免れないといったところか。

 

「上かなあ」

 

 彼は天を見上げた、オモダカの言う通り、山頂付近には雲がかかっており、頂点を確認することはできない。

 だが、彼はそれを気にしないだろう。

 

「上なら行けそうだな」

 

 彼がそう言うや否や、モンスターボールからガブリアスが飛び出してきた。

 彼女は鼻息でモモナリの髪を揺らして遊んだ後、同じく上を向いて鼻を鳴らした。

 彼女にとってはなんの問題もない高さであった。何があったとしてもこの群れならば対応できるという自信もある。

 だが、それを行う前に彼らに叫ぶ声があった。

 彼はまずいと思ったが、一応ロトムフォンの機能を開放する。

 

「おい、アンタ何やってんだ」

 

 聞いたことのない声だった。

 彼らがそれに振り返ると、そこには一人の少年が居た。

 長髪の少年だ、暗いクリーム色のような髪色だがモモナリはそれを表現する色名を知らない。

 その背中には大きなリュックを背負っているが、何よりモモナリの目を引いたのはその服装であった。

 

「アカデミーの生徒だね」

 

 彼はアカデミーの制服を着ていた。だが、モモナリは彼の顔や髪の色に見覚えがない。

 

「だから何なんだよアンタ」

「アカデミーの特別講師だよ、カントーから来たんだ」

 

 特別講師、という単語に、少年は少し気まずそうな表情を浮かべる。

 

「せんせかよ」

「その通り」

 

 モモナリは頷いて続ける。

 

「ウチの生徒がここに入るのは禁止されてるはずだろう」

「オレは良いんだよ、特別ちゃんだ」

「そんな記載は生徒手帳には無かったよ」

 

 モモナリは譲らない、自分のことは棚に上げる。

 

「せんせ、見逃してくれよ。俺はどうしてもそこに入らないといけないんだ」

「例外は認めないよ」

 

 モモナリはきっぱりと答える。規則とはそういうものだ、痛いほどそう言われてきた。

 

「ふざけんな」と、少年はわかりやすく怒る。

 

「オレはなんとしてもそこに入るんだ!」

「ああ、それなら、僕を倒しなさい」

 

 その言葉に、少年は「は?」と素っ頓狂な声を上げた。

 

「簡単なことだよ、僕を倒せば、少なくとも今この場で君を止める人間は居なくなる」

「アンタ無茶苦茶言ってるぜ」

「そうかな、普通のことだろう。我儘を通したいなら、動くべきだよ」

 

 ただ、と、モモナリは傍らのガブリアスの首筋を撫でながら続ける。

 

「校則を破ろうとするのなら、講師である僕も本気でいかざるを得ない。さあ『戦ってみようか』」

 

 少年がたった一つのボールからおやぶんポケモン、マフィティフを繰り出すと同時に、ガブリアスがそれに襲いかかった。

 

 

 

 

 

 

「君の負けだ」

 

 勝負は一瞬であった。

 悪いポケモンではなかったが、少年は一瞬のキレに乏しく、一瞬の思考をまとめきれない。

 バトルが苦手なんだろうな、というのがモモナリの第一印象だった。

 

「くそっ、実力行使かよ」

 

 マフィティフをボールに戻しながら悪態をつく少年に、モモナリは告げる。

 

「悪いことは言わない、もう少しパーティを揃えてから向かうべきだ」

 

 センスが無いわけではないだろうが、明らかに戦力不足だし、少年そのものに資質がない。

 モモナリはパルデアの大穴を地元の『ハナダの洞窟』程度と想定している、それならば、少年は力不足だ。

 

「うるせえ、今日はたまたま調子が悪かっただけだ」

 

 少年はモモナリにそう叫び、彼にリュックを向けてその場を去った。

 力ない故に敗走する、何も不自然なことではない。

 

「さて」

 

 モモナリは、再び空を見上げた。心なしか、雲は少し薄くなっているようなきがする。

 同じくガブリアスも上を向き、ふんふんと今すぐにでもそこに向かえるとアピールする。たしかにバトルはあったが、大して消耗はしていない。

 だが、モモナリは「いや」と、首を振った。

 

「ああ言った手前、教師の僕が入るわけにも行かないなあ」

 

 

 

 

 

 

「パルデアの大穴に行くことはあるんですか」

 

 パルデア地方上空。

 空を飛ぶタクシーに揺られながら、アカデミーに向かっていたモモナリは、不意に運転手にそう問うた。

 運転手は、不意の質問にも戸惑わず答える。

 

「基本は行かないよ」

「もし、行くように言われたらどうするんです」

「会社の方針では、止めるように言われている。早まるな、とか、人生についてとか、家族について話したりして、心変わりしてもらえるように」

「それでも心変わりしなかったら」

「そんときは警察に下ろす。一応業務妨害になるみたいだね」

「へえ」

 

 そう呟き、彼は再びぼうっと外を眺めた。

 何かを察したのだろう、運転手はモモナリに語りかける。

 

「なあ、あんたも色々あるのかもしれないが、とにかく早まらないことだ、生きていれば良いこともあるし、待っている家族だって居るはずだ」

 

 その言葉を、モモナリは「ええ」と一瞬受け流したが、感じた違和感にもう一度先程の会話を思い出し、やがて大きく笑い始めた。

 

「ないない、僕のことじゃないですよ」

 

 それに、運転手はホッとしたように答える。

 

「旦那、脅かしは無しですよ」

「いやいや申し訳ない」

 

 しばらく笑いあった後に再びモモナリが問う。

 

「例えば、パルデアの大穴から通信があったらどうするんです。たとえ禁止されていたって、潜り込むやつはいるでしょう」

「おいおい旦那、あまり脅かさないでくれよ」

「まあ、仮定の話ですよ」

 

 運転手は言葉を選びながら答える。

 

「まあ、そういうやつが全く無いわけじゃないが。そうだな、一応向かうことにはなっている、俺達だってそれなりに鍛えたトレーナーだ、時間を稼ぐくらいのことはできるさ。まあ、それなりの料金を請求することになるが、あまり満額払ってもらったことはねえなあ」

「なるほど」

 

 モモナリはゴソゴソとジャケットのポケットを探った。

 そして、普通ではない量の紙幣を取り出し、運転手に手渡した。

 

「これを」

 

 運転手は、受け取ったそれの厚みにまず驚き、それを視界に入れてもう一度驚いた。

 

「旦那ぁ、冗談が過ぎますぜ、なんですこりゃあ」

「前払いですよ」

「一月くらい貸し切るつもりで」

「いや、もしね、アカデミーの生徒がパルデアの大穴から連絡を取ってきたら、何も言わず向かってほしいんですよ」

 

 含みのある発言であった。

 だが、運転手は必要以上の追求はしなかった。既に目的地であるアカデミーは目の前であったからだ。

 

「もし、無かったらどうするんです」

「ポケモン達に良いものでも食べさせてください」

「気前が良いね」

「何、プロに任せたいだけですよ」

 

 彼は窓からアカデミーの生徒達を見下ろして続ける。

 

「そりゃあもちろん、何もないのが一番だ」

 

 

 

 

 

 

 モモナリの講義はそれなりに人気だったようだ。

 最終日、全校朝礼で軽く挨拶をすれば、彼の仕事は終わり。

 完璧なスケジュールだ、今日帰らなければ、カントー・ジョウトAリーグ、ワタルとの対戦に間に合わない。

 だがどこかモモナリが満足げなのは、少なくとも前回に比べれば面白さがあったからだろう。

 

「モモナリさん、お疲れ様でした。生徒達にも、教師達も、私にとっても非常に興味深い内容でした。」

 

 アカデミーエントランス、クラベルはモモナリと握手を交わしていた。

 

「いやいや、それなら良かった。僕も色々楽しかったですよ」

 

 仕事は終わっている。モモナリがそこに長居する義務はない。

 だが、はるか遠くから彼をよぶ声がしたので、彼らはその方を見る。

 見れば、同じくはるか遠くから、大きく手を振りながら走ってくる少女が見える。

 

「モモナリ先生!」

 

 今更確認するまでもない、それはネモであった。

 モモナリとクラベルは少しばかりの時間彼女の到着を待った。彼らの見通しより、彼女の足は遅く、走りはバタバタとしていた。

 やがて彼女は息を切らしながらモモナリ達と合流する。

 

「はあ、はあ、間に合った」

 

 膝に手を付きながら、荒く呼吸を整える。そして、それが落ち着くよりも先に汗を頬に流しながら彼女は顔を上げた。

 

「モモナリ先生! わたし、パーティを考えてきたんです! ぜひとも『私と戦ってください』」

 

 見れば、彼女の腰元はボールが三つに増えている。

 クラベルは、それをたしなめようとした。当然モモナリにも予定があり、彼女とのバトルはそれを阻害するかもしれない。

 だがモモナリはそれを「いいです、いいんです」と、制した。

 

「『もちろん構わないよ』」

 

 その時、クラベルは妙な違和感を覚えた。

 モモナリが彼女に向ける視線だ。

 もちろん、そこに予定を狂わされた怒りのようなものはなかったし、彼女に対する慈愛の精神に満ち溢れていた。

 だが、そこにはわずかばかりの哀れみ、同情の視線があるように思えてならなかったのだ。

 その感情は、あまりにもこの場にふさわしくないように思えた。

 

「負けてもめげず、考えて、次のバトルに活かす」

 

 モモナリは後ろ歩きでネモとの距離を離す。

 

「素晴らしい、素晴らしい心がけだ。君はそれでいい、君は君の道を歩けばいい」

 

 彼は理解している、彼女のその後を理解している。

 彼女は道を歩くだろう。

 なんの疑いもなく、彼女が思うペースで、声を上げずとも、海が割れるように人垣は道を作るはずだ。そういう力を、彼女は持っている。

 だが、果たしてその先に誰かが現れるだろうか。作られた道を歩いてくる友人と、彼女は出会えるだろうか。このアカデミーで。

 おそらくそれは簡単なことではないだろう。モモナリはそれを理解している、理解も何も、そういう経験をしている。

 十分な距離を取り、モモナリはネモと目を合わせる。

 彼女は、まだそれに気づいていないだろう。

 だが、気づこうが気づくまいが、それは同じことなのだ。

 自分達は、その道を歩かざるを得ない。

 最小限の動き、わからぬものからすればまるで手品のように、彼は一瞬でボールを投げてポケモンを繰り出す。

 だが、ネモはそれに動じない、彼女はそれに反応して、既に最初のポケモンを繰り出している。

 満足気にそれに頷きながら、モモナリは小さく呟いた。

 

「ポケットモンスターのせかいへ、ようこそ」




これで第二部終了です
ネモというキャラはリアルタイムではかなりモモナリとおんなじ軸を持ってるキャラなんだなあと思ったりもしましたが、彼女はまだ自分の『強い』という特権をイマイチ理解していない感じがしたので、そこでキャラ付けができるなと思ってこういうシナリオにしています

モモナリへの質問など大変有難うございます。
全てに答えていきたいところですが世界観的に答えにくい質問などもあり答えられないこともあります。大変申し訳ありません

感想、評価、批評、お気軽にどうぞ、質問等も出来る限り答えようと思っています。
誤字脱字メッセージいつもありがとうございます。
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