モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 128-三人の大人達 ⑥

 観客たちは、その男が課した勝利のハードルを覚えていた。

 だからこそ、わずかにバランスを崩して膝をついただけのガバイトと、その側でふらつきながらも、わずかに上体をもたげているサンダースとを見比べたとしても、勝者がどちらであるのかということを瞬時に理解した。

 上がる歓声、投げかけられるねぎらいの言葉。

 彼の行く場所は、いつもそうだ。

 言い訳せず、彼は気まずげに自らを眺めるガバイトに優しい目線を向けた後に、彼女をボールに戻した。

 そして彼は、一歩、二歩と、サンダースに歩み寄る。

 観客たちのざわめきに負けながらも、それでいて彼女らに伝わるように、彼は言う。

 

「貴重な体験だった、ありがとう」

 

 そして彼は、呆れるように目を切ったサンダースに微笑みかけながら、今度はユズに向かう。

 ユズの両親が恐れるような目線をイツキに向けたが、彼はそれを制しなかった。

 すでにモモナリは、目的を達している。ある意味で、ここまでわかりやすい人間はいないだろう。

 

 ユズの前に立ったモモナリは、微笑みを崩さぬままに言った。

 

「『俺達』にとって、いい勉強だった。彼女のようなポケモンもいれば、君のようなトレーナーもいる」

 

 彼が差し出した右手を、ユズが握った。

 

「この先、君達がどのような道を歩もうとも、『今日』は無くならない。機会があれば、また会おうじゃないか」

 

 それだけ言って、彼はユズに背を向けようとした。

 だが、それを「おじさん」と、彼を呼んだのであろうユズの声が引き止める。

 振り返ったモモナリの目を、ユズは恐れることなく見上げていた。

 

「その子、おじさんのことが『怖い』の?」

 

 ざわめきから、おそらくモモナリにしか届かなかったであろうその言葉に、彼は目を見開き、出掛かった言葉を飲み込んだ。

 否定したかった。

 その言葉を、否定したかった。

 だが、彼の正直な性根は、それを否定できなかった。

 一瞬、彼は微笑みを作ろうとした、だが、それも出来ず、中途半端な表情のままに、それに答える。

 

「ああ、どうやらそうらしい」

 

 

 

 

 

 

「あの、今日みたいなことが、いつも起こるということなのでしょうか」

 

 日が落ちかけ、町内会の催しも終盤になろうとしていた。

 運営部は時代遅れのラジカセを拡声器につなごうと躍起になっている。最後はその、カセット音源の古臭い踊りで締める。何年経っても、その町の伝統はそうであった。

 簡素的に作られた休憩所にて、ユズの父親はイツキにそう問うた。

 無理もないことだ、今日のようなことが何度も起こるようであれば、それこそ対策を考えなければならないだろう。そして、父親として、彼はそれを惜しまない。

 彼の横に座る妻も、夫のシャツの裾を握りしめながらその答えを待っていた。

 その対面に座る男、イツキは、それに微笑みながら返す。

 

「断言はできませんが、いつもは起こらないですよ」

 

 更に彼は、ため息をつきながら続ける。

 

「あんな男、何人もいてたまるもんですか」

 

 その返答に、夫婦は一旦は安堵する。

 だが、不安が尽きたわけではない。

 

「これから、どうすれば良いんでしょうか」

 

 母は、ポツリとそう言った。

 

「どうすれば、とは」

「この後、ジムに挑戦したりとか、そんなことがあるかもしれませんし」

「ああ、その時は、また連絡してください、悪いようにはしませんよ」

 

「しかし」と、母親は口ごもった。

 

 その先を予測した父親は、その代わりに続ける。

 

「あまりあなたに頼りっぱなしになるのも、悪い気がして」

 

 何も返さぬイツキに、彼はさらに続ける。

 

「イツキさんが思っているよりも、我々はユズをプロにすることに賛成というわけでもないんです。もちろん娘が望めば応援するつもりですが、まだそういう事が分かる歳じゃない。今日のようなことが、そういう事があるのが『プロ』という道なのであれば、私達としては、普通の人生を歩んでほしいという気持ちが強いんです」

「ああ、なるほど、分かりますよ」

「ですから、その、あまりあなた達に頼りっぱなしになると」

 

 彼はそこを口ごもる。

 だが、父親としての使命感から、それを言った。

 

「あまり『借り』を作りすぎると、その、娘の道を狭めてしまうのではないかと」

 

 それは、人の親として、善良な倫理観を持つ人の親としては、至極まっとうな意見であった。

 だが、それを、一流のリーグトレーナーを相手に言い放つには、それなりに勇気と覚悟というものが必要だった。もしかすれば、娘の人生の導き手になるかもしれない人物だった。

 

「そんなことですか」

 

 やはり微笑みながら、イツキはパイプ椅子の背もたれを軋ませた。

 

「仕方のないことですが、お二人は少し考え違いをされているようですね」

 

 一拍おいて続ける。

 

「もちろん、ユズさんがプロになるという選択肢を否定するわけではありません、ですが同時に、私はユズさんがプロにならないという選択を否定することもありませんよ」

 

 彼は校庭の中央付近を眺める。

 西日に影を伸ばしながら、学友達と笑いながらじゃれ合っているユズの姿見えた。

 

「いい子じゃないですか」と、イツキは続けた。

 

「明るく、元気で、友達もたくさんいる『リーグトレーナー以外』にもなれる素晴らしい人間性だ」

 

 娘をべた褒めする言葉に、両親は悪い気がしない。

 だが、それとイツキの返答に一貫性があるようにはまだ聞こえなかった。

 それを察するかのように、彼がさらに続ける。

 

「世の中には、いるんですよ。『リーグトレーナーにしかなれない人間』が。ちょうど、あの男のように」

 

 あの男、というものが誰を指すのか、夫婦は説明されずとも瞬時に理解することが出来た。

 

「同時に『リーグトレーナーになれなかった人間』も多く見てきました。『リーグトレーナーであることを諦めた人間』も『そもそもリーグトレーナーにならなかった人間』も、見てきました」

 

「簡単なんです」と、続ける。

 

「『リーグトレーナー』という立場から逃れることは簡単です。辞めれば良い、ならなければ良い、ただ、それだけ。ですが『強いこと』から逃れるのは難しい」

 

 吐き出すように紡がれたその言葉の意味を、両親は感覚的には理解できない。

 それを理解しているから、イツキは続ける。

 

「『人より強い』ということは、人と違うということ。左利きの人間が右利きの人間と同じ目線を持てないように、強いトレーナーと普通の人間では、見えているものが違う可能性もある。だからこそ、私は彼女に声をかけたんです」

 

 一瞬だけ、イツキはそこで口ごもった。

 だが、続ける。

 

「『それ』を、問題解決の手段にしたり、交渉を有利に進めるための道具に使用した人間も、かつては居ました。もちろん、ユズさんがそうならないであろうことは、あなた方を見ていればわかります」

 

 ですから、と、イツキは両親の瞳をそれぞれ見やりながら言った。

 

「なにか困ったことがあれば、いつでも連絡を。プロになろうと、ならずとも、必ず力になりますから」

 

 

 

 

 西日が、彼らの影を伸ばしている。

 その男、モモナリは、すでに心はその地方に無く、広く開けた公園を訪れていた。

 少し離れた位置に立っていたガバイトは、伏し目がちに彼を眺めている。

 

「いい勉強だったな」

 

 彼はポケットからポロックケースを取り出し、それを振って桃色のポロックを取り出す。

 右手にそれを乗せてガバイトを誘ったが、彼女はそれをじっと眺めるだけで歩を進めない。

 

「そら」

 

 諦めたモモナリがそれを放り投げると、彼女は機敏に反応してそれに食いつく。

 その色の立方体がたまらなく好きな味であることを彼女は当然理解していた。

 

「ああいうポケモンもいる、ああいうトレーナーもいる」

 

 それを楽しむ彼女に語りかけるようにモモナリが呟く。

 

「僕の力だけでも、お前の力だけでも、勝てるわけじゃない」

 

 彼がもう少しその話を続けようとした時、その背後から声があった。

 

「おい、マナバナイ」

 

 振り返る、強烈な西日がその顔を見にくくしているが、その声の主が、かつての『友人』であるトモヒロであることは容易に理解できた。

 

「懐かしいね」

 

 彼はその、かつて僅かな人間だけが自らにつけていたあだ名に微笑んだ。

 ガバイトをボールに戻し、彼はトモヒロに一歩歩み寄る。

 

「なにか、用でも」

「やっぱり『化け物』だよ、お前は」

 

 モモナリの問いかけに答えない。

 

「『足が遅い』とはいえ、相手が子供だったとはいえ、サンダースを相手に一方的に先手を取り続ける展開。並のトレーナーじゃあ出来ない」

 

 彼もまた、ユズの父親からの連絡を受け、彼らの試合を見届けていた。

 その上で、彼はモモナリの才能を再認識している。

 

「モモナリ、端的に言う」

 

 トモヒロは、一つ息を吸い込んでから続けた。

 

「そのガバイト、俺に預けろ」

 

 一瞬、モモナリは首を捻った。

 それは疑問からではない、彼なりの、友人に対する、最低限の礼節を持った、威嚇であった。

 斜めがかった二つの瞳から放たされるその視線は、十分すぎるほどにトモヒロに届いている。

 恐ろしすぎる。

 若い頃ならば、確実に折れていた。負けていた。引いていた。

 だが、彼は引かなかった。

 この道を選んだ自分に自信を持っていた。この道を歩んでいる自分に自信を持っていた。モモナリはプロだ『化け物』だ。だが、自分だってプロだ。

 

「一歩目が遅れた」

 

 トモヒロのその言葉に、モモナリは若干目を伏せたように見えた。

 彼はそれに、確認を続ける。

 

「最後の場面、ガバイトが普通に『ドラゴンダイブ』を仕掛けていれば、お前達は勝っていた。俺はあの時、お前が勝ったと思った。ガバイトのスピードは申し分なく、お前の技術もまた然りだ。だが、実際には、一歩目が遅れ、攻撃をもらった」

 

 モモナリが何も反論をしてこないことを確認してから、続ける。

 

「何が違うのか考えた。そして、ようやくわかった。お前にしては珍しく手を後ろに組んだポーズ、トレーナーに背中を向けたがったガバイト、お前が視界の正面に入った瞬間に遅れた一歩目」

 

 もう一つ、息を吸い込んでから続ける。

 

「ガバイトは、お前を攻撃に巻き込むのを怖がっている。違うか」

 

 モモナリは、それにすぐに返答はしなかった。

 彼はうつむくようにトモヒロから目を離し、二、三度口ごもり、右手でガバイトの入っているモンスターボールを撫でた後に呟く。

 

「よく、わかったね」

「プロだよ。俺は」

 

 彼はモモナリの右手を指さして続ける。

 

「『それ』の影響か」

 

『それ』というのが、彼の右腕に起きた事件のことを指していることは今更確認し合う必要がないだろう。

 

「ああ、そうだろうと思う」と、モモナリは答えた。

 

「力加減がわからなくなっているんだ。何なら良くて、何なら良くないのか、その判断がしきれていない。進化してからは、触れ合うのも嫌がるようになっている」

 

 一つ二つ間をおいた後に続ける。

 

「可愛そうだよね、この子にとっては、なんでも無いコミュニケーションだったのに」

 

 トモヒロは、その言葉に、なんとも言葉にしづらい凄みを感じた。

 

「それで」と、モモナリがトモヒロに問う。

 

「それと、君にガバイトを預けることに、なんの関係があるの」

「修正できる」

 

 トモヒロはそう言い切り、今度は強くモモナリの瞳を睨みつけながら続ける。

 

「その『悪癖』を、俺達なら修正できる。ドラゴン育成の経験ならば、お前よりも俺たちのほうが勝っているはずだ」

「妙なことを言うなあ、君は僕のことが嫌いなはずだろう」

「ああ、そうだよ」

 

 悪びれもなく、彼は言った。

 

「お前という『化け物』がいなけりゃ、俺はもう少し『トレーナー』という夢に浸れていたかもしれない」

 

 同期にモモナリがいた。それは、トモヒロというトレーナーを語る上で、不幸であると考えることの出来る一面であるかもしれない。

 

「だがな、お前という『化け物』が、今更ポケモンを慣らす事に苦労しているのを見逃せるほど、俺はお前が憎い訳じゃない」

 

 嫌いだが、憎くはない。

 それは、すんなりと理解するのは難しい感情だろう。

 だが、トモヒロの中には、確実にその感情が渦巻いている。

 

「強いトレーナーと強いポケモンを引き合わせるのが、今の俺の仕事だ、使命だ。俺の目の届く範囲、手の届く範囲なら、俺はそれをやり遂げたい」

「随分と勝手じゃないか」

「ああ、勝手だ、勝手で結構。プロってのは、そんなもんだろうが。なあモモナリ、引け目を感じる必要はねえ、お前は『トレーナー』のプロ、俺は『育て屋』のプロ。プロがプロにまかせる、それがプロってもんだ」

「そうは言うがねえ」

「世間の目が気になるなら、秘密裏にやっても良い。今更俺がガブリアス育てたところで、何も思われることはねえよ」

 

 普通であるならば、間髪入れずに食らいつくような条件だった。

 だが、その男は普通ではない。

 

「君ならどうする」

 

 そう、問うた。

 トモヒロは、それに押し黙った。

 

「そういうことだよ」

 

 モモナリはそう言い残し。彼に背を向ける。

 歪みかけた西日が最後に見せる抵抗のように伸ばしている長い影が、歪に揺れた。

 

 だが。

 

「おい、待てや」

 

 トモヒロは、声を上げた。

 答えられない質問のはずだった。否定できない質問のはずだった。少しでも『トレーナー』としてのプライドがあるならば、間違いなく言葉をつまらせる、そんな問い掛けのはずだった。

 だが、彼はそれに抗った。

 トレーナーとしてのプライドが残っていないはずがない、未だに心の奥底には、それがくすぶっている。

 だが、だからこそ、声を上げなければならなかった。

 それを燻ぶらせてまで選んだ『育て屋』の道だ。今ここで、それすらも捨ててしまえば、選んだこの道が嘘になる。トレーナーとして生きる事から逃げた道になってしまう。

 

「縋るに決まってんだろうがよ」

 

 彼は、そう言い放った。

 モモナリはそれに振り返る。

 

「他でもない俺が、手を貸してやろうって言ってんだよ。もし『あの時の俺』がそう言われりゃ、縋るに決まってんだろうが。縋って、縋って、かじりつくに決まってんだろうがよ」

 

 その答えに、叫びに、モモナリは一つ二つ頷いた。

 

「なるほど、君が言うならば、きっと、そうするのが正しいことなんだろう」

 

 トモヒロは、その返答に、わずかに希望を持った。

 だが、目の前にいるのは、モモナリだった。

 痛い目を見ても、痛い目を見ても、何もマナバナイ。そういう男だった。

 

「でもなあ、俺、ロマンチストだから」

 

 再び背を向け、彼はその場を去らんとした。

 

「おい」と、トモヒロは、その背中に投げかける。

 

 彼は勝利している。

 彼はこの討論に勝利していた。持ち得るプライドをモモナリにぶつけ、彼に屁理屈を答えさせなかった。モモナリは、この言い争いにおいて自らの分が悪いことを理解していた。

 

「逃げんなよ」と、彼は続ける。

 

 しかし、モモナリの背は翻らなかった。

 当然だ、彼は逃げているのだから。

 言い争いに負け、逃げているのだから。

 だが、トモヒロはそれを咎めることが出来ない。

 彼には、それを咎めることが出来るだけの『腕力』がない。

 逃げるモモナリを咎めようと思えば、一体どれだけの『腕力』が必要となるだろう。

 

「ずりいよ」

 

 トモヒロは、逃げる背中にそう遠吠えるしかない。

 

「モモナリ、お前、ずりい」

 

 その声は、果たして彼に届いていただろうか。




以上で『セキエイに続く日常 128-三人の大人達』は終了となります。ありがとうございました。
今作は『セキエイに続く日常 88-家庭教師』を超える難産回でした。モモナリが出てこない部分でかなり悩んだ記憶があります。
今作では序盤で若干黒い面を見せながら最後の最後大悪役としてモモナリを出すというコンセプトでした。ただ序盤のイツキとトモヒロに割りと悪い印象がついたのが意外でした。イツキは面倒見のいい人、トモヒロはクレバーな人として描写したつもりでしたが、これはちょっと自分が参考していた部分と自分の感性が世間ずれしていたのかなと思います。
当初の予定では『ユズを付け狙う悪役』がいて、それをモモナリが救世主のようにぶっ飛ばしつつ、実はモモナリこそが最も厄介な悪役でした。という展開も考えていたのですが、そもそもモモナリは『悪役』として作ったキャラクターでしたので、そもそもそもその悪役自体をモモナリにやらせろよというかつての自分の声によってシナリオ修正しました。良くなったんじゃないかなと思います。

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