モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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・ニシキノ(オリジナルキャラクター)
 カントー・ジョウトリーグAリーガー、ジョウトの雄。
 元チャンピオンのキシとは年齢が近く、座学型のキシとは真反対の現場主義
 また、性格もキシとは真逆のユーモラスなタイプ。
 そんな感じだが割と強い。

・ガブゥ(オリジナルキャラクター)
 ニシキノの手持ちであるガブリアス。本作の語り部。
 ニシキノの切り札として数多くの場面で力を発揮し『本当にアンケート取ってみた! 最も強いガブリアスランキング!』という全国ネット番組では1位のシロナに大差をつけて2位となった。


セキエイに続く日常 番外編-吾輩はガブである。

 吾輩はガブリアスである。名前は無いわけではない。

 そもそも、人間というものが我々をガブリアスと呼ぶ。もちろんそれは、我々が望んだことではないだろう。

 

 はるか遠くの記憶、薄暗くでジメジメしたところで兄弟達と群れるように生きていた頃、吾輩は兄弟たちから『ハネウロコのビィ』と呼ばれていた。砂利のように触れるものを傷つけるウロコと、それを理由に拒絶された時にビィビィと泣いたのが由来だろう。名誉な名ではないが、時折それを思い出して感慨にふけることがある。結局のところ、吾輩が『ハネウロコのビィ』であったからこそ、こうして生き残ることができたのだろうから。

 人間の言う名前などというのは不思議なものである。例えば吾輩の属する群れのリーダーである人間はその名を『ニシキノセージ』と言うが、彼をその名で呼ぶ人間を見たことがない。大抵は『ニシキノ』であったり『セージ』であるようにその名の一部を呼ぶだけであるし、そうではなくとも『ニッシー』であったり『セーちゃん』であったり『あなた』であったりと、まるでバラバラであるが、ボスはそれを不服に思うことは殆どないし、ボスも同じように『ニシキノマイ』を『マイ』とか『おい』とか『いとしいおまえ』などと呼んだりする、そもそもボスは吾輩のことを『ガブゥ』と呼ぶ。彼等にとって、名前というものは些細なものらしい。

 

 人間と出会ったのは、吾輩がまだ『ハネウロコのビィ』であった頃だった。

 

 急な雨だった。なんでも知っていた母ですら想定することのできなかった強い雨が降った。それはいつまでもいつまでも止むことなく、やがて住処に水が押し寄せてきた。

 住処に流れ込むそれに辟易した母と兄弟達は、雨の降る中、住処を変えることにした。吾輩は兄弟たちと一塊になり母の後を追っていたが、やがて群れから逸れた。思えば『ハネウロコ』であることに引け目を感じていたから、他の兄弟達とぴったりくっつくことができなかったのだろう。

 逸れた吾輩はビィビィと泣きながら木陰に潜み、戻ってくるはずのない母と兄弟たちを待った。今思えば無駄だった。母からすれば、吾輩のような者が逸れることは想定内であっただろう。群れの全滅に比べれば、吾輩一匹の犠牲などとるに足らないことだ。

 次第に体が冷えてくるのを感じ、それと同時に意識が遠くなっていった。吾輩は子供心ながらに、これが死ぬということなのかと漠然と思った。当然死にたくはなかったし、もう少し声を出すことができれば必ず母と兄弟が助けに来てくれるものだと思っていた、だが、心のどこかで、死ぬと言うのにどこも痛くないことを幸せに思う達観した部分もあったと記憶している。やがて、水で体が冷えているのに涙も出ないという状況になり、目を閉じた。

 その次に気がつくと、吾輩は酷く白色の光の中にいた。地面が不気味なほどに柔らかく、体を汚していたはずの泥が異常なまでに綺麗になっていたことを覚えている。今となれば不思議なことではない、白色の光は電灯だし、柔らかい地面はクッションであったし、人間は極端に泥を嫌うのだ。

 助かったのだ、と吾輩は朧気な意識の中で思っていたが、視界の中にその人間の子供が入ったことで酷く混乱した。それまで、人間というものは遠くから眺めるだけのものであったし、決して相容れないものだと母からは教えられていた。それが突然に視界に入ったものだから、吾輩はまだ助かっていないのだと思った。

 思うに、吾輩はその子供に助けられ、回復してもらったのだろう。今思えば簡単に推理できるが、それをあの頃にやれというのは酷な話だ。

 とにかく私は混乱し、部屋の隅の方に逃げ込みながらビィビィ泣くより無かった。その時にその人間の子供が見せた悲しげな表情を今でも覚えているし、今ならばその理由も理解できるが、当時の我輩からしてみれば、お前が悲しそうな表情をする意味がわからないとより混乱するしか無い。

 やがて泣きつかれた頃に、その子供はそっと吾輩に手を差し伸べてきた。記憶の中では、恐らく皮の手袋か何かをしていたのではないだろうか。とにかく疲れ切っていた吾輩は、ひとまずその手のなすがままにされることにした。その手は無遠慮であったが、命の危機はなく、暖かかった。

 その子供の名前は『イチロウ』だった。正確な名前は今でもわからない、だが、名前などというものは些細なものだ。

 イチロウと過ごした期間は長くなかった。触れるものを傷つける吾輩のウロコは、その無遠慮な子供やその住処も例外ではなかったのだ。イチロウの家族が、吾輩にいい顔をしていないことは、その頃の吾輩にもわかっていた。

 やがて、吾輩は別の人間の元に預けられることになった。イチロウと過ごした最後の夜、彼は自らのシャツがこすれることを一切気にすることなく、吾輩のハネウロコを抱きしめたことを覚えている。まるで永遠の別れのように聞こえるかもしれないが、ボスの計らいにより、今でも一年に一度はイチロウに会っている。そのたびに、吾輩は人間の成長の速さというものに思い馳せなければならないのだ。

 

 次に預けられた人間の事は、あまり良く覚えていないし、思い出す価値もあまりないように思っている。食事をし、運動をし、疲れたら休憩する。不自由はなかったが、不自由という刺激には乏しい生活だった。体も大きくなり、人間が言うところのガバイトになった時もあまり感動はなかった。あるいはその力を奮ってこの生活から逃げ出すこともできたかもしれないが、それを行うほどの人間への憎しみを持つには、イチロウと過ごした日々は多すぎたのだ。

 やがて、吾輩には次の人間が現れた、それがボスだ。ニシキノセージだ。

 その時、吾輩はガバイトであり、彼はまだほんの子供であった。それこそ、吾輩がその気になればどうとでもすることもできるほどに。

 だが、ニシキノセージは、その時既に、ポケモンたちを統べるボスでもあった。

 それは単に、彼が腕力でポケモンを支配しているとか、ポケモンたちが仕方なく彼に従っているというわけでもない、ニシキノセージは一つの優れた生き物として、群れを制していたのだ。

 ボスの最も優れた能力の一つは、自らの判断を疑わないことだろう。彼は吾輩たちのバトルを後ろから分析しながら、時に我々ですら気づくことのできなかった危機を察知して指示を出す。たったそれだけ一つとっても、吾輩がニシキノセージに背中を任せる理由の一つになる。

 我々の群れは、当然ながら我々のようなドラゴンだけではないのだ。普段は水に住んでいるようなポケモンや、毒を操るポケモン、電気を操るポケモン、全く異なる種族、全く異なる性格、そして、全く異なる境遇のポケモンたちもいる。

 一つ例を出すのならば、群れの古参の一人であるギャラドスだろう、ちなみにボスは彼のことを『ギャーさん』と呼ぶ。

 彼は強面で彼のことを知らぬものは誰でも目をそらしたくなるようないかつさなのだが、本質は冗談好きな笑い上戸である。その強面も、彼の中では冗談のひとつなのだと彼は言うが、どこまでが本当なのかわからない。そんな彼が言うことなのでどこまでが本当なのかはわからないが、彼は元々捨てられる運命だったらしい。なんでも、元々は釣り大会中に釣られてしまった彼は、その大きさの問題からポイと地面に捨てられそうになった。それを哀れに思ったボスが彼を引き取ったのだそうな、そこからあれよあれよと昇り龍のようにボスの片腕となったのだから運命というものはわからないものだ。普通なら人間を恨みそうな境遇であるが「でもあのとき釣られなかったら坊と出会えてないしなあ」としみじみ語る。食事時以外は心が広いようだ。そんなのだから釣られてしまうのだということに、なぜ気づかないのか。

 こう考えてみれば、ポケモンというものは得てして人間に良い感情を抱いているように聞こえるかもしれないが、結局のところ、ボスをよく思っているポケモンだけを、ボスがうまく選出しているということなのだろう。そりゃそうだ、人間に限らず、群れというものはそういうものである、吾輩が一人になったのも、そのようなものの積み重ねだったのだろうから。

 

 人間というものは、力比べが好きな種族であるらしい。

 我々の群れは、定期的に他の群れとの力比べを行う。ボスのような群れのボスは『リーグトレーナー』と呼ばれるようだ。美しく整備された戦場という矛盾した場所で、お互いの力や技術を競い合うのだ。その勝利の条件は群れが勝利することであり、極端なことを言えばその力比べにおいて吾輩が出る必要もないし、何ならば吾輩は負けてもいい、その結果、群れが勝てば良いのだ。おかしな話のように聞こえるかもしれないが、よくよく考えてみれば、群れというものはそういうものである。

 吾輩が出る必要もない、と考えてはみたものの、その力比べの殆どにおいて、吾輩が出なかったことはない。なぜならば吾輩は強いからだ。兄弟やイチロウを傷つけた『ハネウロコ』は相手に予想外のダメージを与え、生まれ持った筋肉と爪は相手を恐れさせる。更にそこに卓越した戦略家であるボスの力加わるのだ。吾輩が出れば、大抵の群れを蹴散らすことができる。

 だが、それでも蹴散らすことのできぬ群れというものがあるのだ。

 その一つが、キシという人間が率いる群れである。

 その群れは、キシの思想の元に勝利という結果を目指し統率されている。恐らく、キシという人間は、自身の考えをポケモンたちに伝えるコミュニケーション力に優れ、彼本人のポケモンに対する理解も深いのだろう。ボスと違うタイプである。その証拠に、力比べを行っているときのキシはどことなく不安げな様子だ。恐らく彼は自分の判断に身を任せるということに少し不安があるのかもしれない。その相反する性格をボスもそれを理解しているのか、キシの群れと戦うときは他の群れとの戦いとは違い、明らかにその集中力が高まっているように感じる。これが、人間たちの言うライバルというものなのだろう。

 そういう点では、キシの群れのカイリューと吾輩はライバルと言っても差し控えないだろう。吾輩が瞬発力と力のドラゴンであるとすれば、彼はタフネスと技術のドラゴンである。ボスとキシ同様、全く違うタイプだということだ。大抵の群れならば蹴散らすことのできる吾輩の攻撃を受けても少し後退するのみでそれを押し返してくる胆力には驚くほかない。だが、相手も「この私を後退りさせるとは」と、吾輩の速さとその力に驚いているのだと言うから嬉しいではないか。今後も尊敬し合うことのできる力比べを心がけよう。

 

 我々の群れが蹴散らすことのできぬものはもう一つある、しかもそれは群れですらなく、一人の人間だ。

 その名は『ニシキノマイ』、ニシキノセージの番である。

 彼女は吾輩よりもボスとの付き合いが古い。古参であるギャラドスよりも古いというのだから相当なものだろう。ボスが戦うときには彼女の声がこちらまで届くほどに熱烈に応援し、勝てば祝勝会と称して手料理を振る舞い、負ければ残念会と称して手料理を振る舞う。まだ番でなかった頃から相当なアタックぶりだ、我々ドラゴンという種族のメスですら、ここまでのアタックはない。

 かくして、頭と胃袋をガッチリと掴まれてしまったボスは、リーグトレーナーになる頃にはすっかりニシキノマイに陥落してしまったというわけだ。陥落とは言ったが、別に悪いことではないと吾輩は思う。元々、ニシキノセージは簡単に番を見つけることのできるタイプではないのだ。時たま近づくメスはいたが、それらはどう考えてもニシキノセージという人間よりも、リーグトレーナーという価値を愛しているように見えた。もちろんそれを否定するわけではないが、ニシキノマイを知っている我々からすれば気に食わぬ、ボスの至り知らぬところで脅かして離れさせたりもしたのだ、特にこういうことをする時のシャンデラの頼りになりっぷりときたら、我々が一斉に部屋の隅を睨みつけるだけで撃退することができたのには驚いた。力比べの際に、我々の群れはボスに随分と助けてもらっている、ボスの苦手な分野では我々がボスの手助けを行うべきだ、それこそがパートナーというものだろう。

 ニシキノマイはガルーラやニドクインなど比べ物にならないほど気の強いメスだ。

 そもそもが群れのボスであるニシキノセージを相手に強く出られる事自体が少しおかしい。それでいて、吾輩やギャラドス、シャンデラを相手に一歩も引くことがない。吾輩など、部屋のリビングで寝そべっていた時に、掃除機でしっぽを突かれ「どいてどいて!」と強くたしなめられる次第であるし、それに逆らうこともなくすごすごと尾を巻くしか無い。だが、それで良いのだ。我々は戦うための群れであり、生活のための群れではない、ニシキノマイがいなければ我々の生活はもっと荒んでいたかもしれないし、ニシキノセージとて一人の男として独立できていたかはわからない。気の強いことは悪いことではない、リーグトレーナーという、腕力で何でも解決できてしまいそうな人間を、その根拠の無い気の強さだけで止めてくれる番のなんと心強いことだろうか。我々が彼女に逆らわぬのもまた、彼女を信頼しているからなのである。

 

 リーグトレーナーというのはどうも暇な職業のようで、他の人間が働いている日や時間帯でも、ボスは家で寛ごうとする。人やポケモンの髪を切る仕事をしているらしいニシキノマイは、大抵ボスと休みを合わせ、そのたびに彼を連れて外に出ようとする。だが、ボスはボスでやりたいこともあるのだろう、そういう日は早朝にこっそりと家から出ようとする。

 そんなとき、吾輩はどうするか。

 簡単な話である。大抵そういうとき、吾輩はボスよりも早く起き、ボスの財布と携帯端末を口に含んで、玄関の前に陣取って二度寝するのだ。そうすれば、ボスは何もできない、下手に刺激をすれば吾輩がそれを飲み込んでしまうだろうし、そもそも取り戻したところで出入り口を塞いでいるから出ようがない。ギャラドスやシャンデラを呼ぼうにも、彼等は既にこちらがわだ、協力するはずもない。

 そうこうしている内に、ウキウキと目覚めたニシキノマイがボスを発見し、ボスの負けとなるのだ。それでいい、一人で外に出たとてろくな事はしないのだ。だったら愛を育むのが最も良い。事実、そうやって絶望顔で引きずられるように出ていったボスが、そのまま絶望の顔で帰ってきたことなど無いのだ。素直になり、有限な愛の時間を楽しむべきだ。ニシキノセージは番を作るのが苦手な人間なのだから。

 

 番の作るのがうまい人間で思い浮かぶのは、リーグトレーナーのクシノという男だ。群れとしては大した強さではないが、ここ一番での執念と粘りには眼を見張るものがある。どのような状況でもへこたれることなく前を向き、おそらく自分が死ぬまで負けを認めないであろうその姿勢は吾輩としてはとても好ましく思うが、吾輩の知る限り、彼のそのような部分に惹かれるメスは少ない。彼が多くのメスから求愛の目線を向けられるのは、要するに彼の人間としての造形があまりにも完璧だからだろう。異種族の吾輩ですらそう思うように。だが、メスを選べる立場にあるにも関わらず、彼は自分よりも強いメスと番になった。人間というものはよくわからない。

 

 美しい造形の人間がいるように、美しい造形のドラゴンだっている。その筆頭は『モモ嬢』だろう。

 モモ嬢という名は、特にひねりのあるものではない。モモナリという奇特な人間をボスとする群れの一員だからそう呼んでいるだけだ。決してその笑顔がモモンのみのように甘いからであるとか、モモンのみを頬張る彼女が愛おしかったからではない。断じて無い。

 モモ嬢はつい最近モモナリの群れに加入したドラゴンであった。吾輩と違って光沢のあるウロコと、大きく肉質のある体格、瞳は吸い込まれそうになるほど美しく、長すぎず、短すぎない尾、砂嵐の中から不意に現れ攻撃してくる時の凛とした表情と、砂嵐に消える際の得意げな表情、それでいて普段の仕草は可愛らしく、何よりその声はそれ以外のすべての音が聞こえなくなってもいいとすら思える。とにかく、モモ嬢はその造形全てがガブリアスとして完璧なのである。それこそ異種族であるギャラドスやシャンデラすらそれを理解することができ「彼女はすごい」とか「あのチンピラ軍団にはあまりにも不釣り合い」とか「誘拐したのでは?」と話題になるほどだ。

 そして、これは吾輩が特別彼女に心酔しているわけではないことをはっきりとさせておきたい。ここ最近、他の群れのドラゴンと戯れる際には必ずと言っていいほどその話題が出てくるほどなのだ。メスのドラゴンですら、彼女に興味津々だ。

 だがモモ嬢は何も我々他の群れのドラゴンを骨抜きにするためだけがその強さではないのだ、ガブリアスとして完成された造形であるからこそ、ガブリアスとして完成された能力を持っている。

 元々奇抜でありながら実力のあったモモナリの群れに彼女が加入したことにより、その群れの戦術完成度はぐっと上がった。その唐突な戦術の完成にはボスやキシも戸惑っていたようで、随分と頭を悩ませていたのを覚えている。

 ある日のことだ、アサギの牧場で休養していた我々は、不意にモモナリの群れと相対することになった。我々は一瞬身構えた、モモナリとその群れはどんなところでも力比べを挑んでくる力比べ大好き集団であるのだ。

 だが、モモナリとその群れは力比べを挑んでこなかった。珍しいことで。

 ボスとモモナリが話していると、不意に「僕のガブリアスをモモナリさんのガブリアスと遊ばせてくれませんか?」とボスが言うのだ。

 なるほど、と、吾輩は理解した。つまりそれは、吾輩の彼女に対する興味を満たすのと同時に、何かを探ってこいということなのだろう。吾輩はボールの中でできる限り身だしなみを整えた後に、できる限りの表情をしながら彼女と対面したのだ。

 いくつか話をした。お互いの生まれのこと、好きなこと、ボスとの関係、好きなポケモン、嫌いなポケモンのこと。

 だが、話せたのはいくつかの話だけだ、なぜならば、彼女は吾輩とそれらの話をつまらなさそうにこなした後に、スススと吾輩から離れ、牧場のミルタンク達ときのみを探し、落ちていたコインをうっとりと眺めていた。吾輩の名誉のために言っておくが、吾輩は決して口下手なわけではない。

 吾輩は理解した、光り物に注目するのはガバイトの特徴である。その習性がいまだに残っているということはつまり、彼女は若すぎるのだ。そして、ある意味で野生を知らぬがゆえにあまりにも純だ。

 吾輩は諦めた。物知らぬ若者を支配するような恋愛をしたいわけではない。吾輩が求めているのは駆け引きある恋愛である。彼女と番になるには吾輩はあまりにも歳を取りすぎ、同時に育ちが荒んでいるのかもしれない。モモ嬢はモモ嬢で、若きドラゴンと燃え上がるような若い恋愛をすればいいのだ。

 

 というわけで吾輩の思いは時間というドラゴンが抗いのようのない要素に阻まれ、ギャラドスとシャンデラは笑いを噛み殺しながら吾輩を慰めたわけだ。

 心が多少傷つきようが体はピンピンしているというのは、ドラゴンという種族に生まれた利点であっただろう。吾輩はまだまだこの群れで『ガブゥ』として生きようではないか。あわよくば、生涯をこの群れで終えることができれば幸せなのだろうが。




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また、現在連載している『ノマルは二部だが愛がある』もよろしくおねがいします!

また、暫定版ではありますがこの作品の年表を作成しました。なにか矛盾などあれば遠慮なくコメントよろしくおねがいします

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