モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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セキエイに続く日常 70-おてんば代理 ②

 翌日、朝は早くに、シンとタナカはハナダジムを訪れた。そして、彼女はすぐさまにジム戦を望む。

 割り込みだとそれに抗議するトレーナーは存在せず、また、彼女がジム戦を独り占めしていることに抗議するトレーナーも現れないだろう。

 ハナダジムの手加減を知らぬ代理ジムリーダーの話は、すでにカントー中に広まっていた。ブルーバッジがほしいのならば、せめて一週間は待つべし。

 

「やあ」と、モモナリは特に彼女に対して申し訳無さや引け目を感じる風もなく手を上げた。

 

 その傍らには、プロテクターでガチガチに固められたゴルダックがすでに体勢を整えている。必要以上に拘束されているその感覚は、実は彼にとってそこまで不快ではなかった。動きにくいことで見えてくる新たな景色は、考えようによっては新鮮だったのだ。

 

「よろしくおねがいします」

 

 シンはモモナリに頭を下げた。相変わらず、モモナリに対して礼節を保っている。

 

「それは何だい?」

 

 彼女とは逆に、モモナリは不躾に彼女が抱えるカバンを指差した。たしかにそれは、バトルを行うには不釣り合いなほどに大きく、そして、見るからに重そうであった。

 

「あ……これは……」と、彼女は少し恐れの表情を見せる。モモナリがそれを歓迎するタイプではないであろうことは、昨日の反応から察することができていた。

 

「本です」

「本」

 

 彼女の返答に、モモナリは思わず素っ頓狂な声を上げた。

 

「本って何だい?」

 

 彼女はその荷物を下ろし、そのうちの一冊を取り出す。

 

「これはカントー近辺の水棲ポケモンの図鑑です」

 

 モモナリはそれを受け取りパラパラとめくった。なるほど確かに、馴染みのふかいポケモンたちが並んでいる。

 それがゴルダックの生態を調べるために使われていることは、さすがの彼も気づくだろう。

 

「そしてこれが、戦術書です」

 

 更に取り出されたそれの表紙を、モモナリはちらりと確認する。知らぬ本であり、作者の名前にも聞き覚えがなかった。

 

「なるほど」と、彼は図鑑をシンに返しながら続ける。

 

「随分と熱心なんだね」

「あの、やはりこういうものを持ち込むのは良くないでしょうか」

 

 その返答が、皮肉めいたものにも聞こえたのだろう。シンは少し小声で問う。

 だが、モモナリはそれに手を振った。

 

「いやいや、全然大丈夫だよ。勉学は大事だ、俺も機会があればやりたいけど、中々タイミングがなくてね」

 

 彼は懐からポケギアを取り出し、ストップウォッチ機能を起動させる。

 

「君さえ良ければ、早速始めようじゃないか」

 

 

 

 

 

 

「随分と、熱心なようですね」

 

 バトル場を眺めながら、トモキは隣に立つタナカに呟いた。

 昨日と違い、今日は最初から彼がシンについてきた。おそらくそれには、監視の役割があるのだろう。

 トモキはモモナリと違い、人間の感情をある程度汲むことができるし、場の状況や挑戦者の環境などを推し量ることもできる。

 タナカを含め、シン家の人間が、彼女のジム挑戦を快く思っていないことを推測することは、彼にとっては基本問題であった。

 

「あなたはそうお思いでしょうな」

 

 タナカは隠しもしない皮肉を込めてトモキに言った。もちろんそれは、人間の繋がりとか、今後の付き合いとかを考えるのであればありえない行為であったが、裏を返せば、タナカ、ひいてはシン家が、ハナダジムとの関係に思うところがあることの証明でもあった。

 

「シン本家の一人娘がジムに挑戦することに違和感は覚えなかったのですか?」

「我々に出自で区別をしろと?」

「区別ではなく、判断をしていただきたかった……そのための施設でしょう、ここは」

「ええ、ですから私は、彼女がジムリーダーに挑戦するに値するトレーナーであると判断したんです。彼女は基本を抑えているし、ポケモンとの連携も申し分ない」

「あれで、ですか」

 

 タナカが指差した先には、宙を舞うキルリア。

 今日に入ってすでに何度見た光景だろう。

 シンがワンパターンなのではない、むしろ彼女は戦術のパターンを増やし、工夫も凝らしている。

 そのすべての努力に、モモナリが対応しているだけなのだ。

 だが、すでに何度もジム戦に敗北しているという事実に変わりはない。

 プールに向かわせているトモキのポケモンも慣れた動きで彼女を救出するであろう。

 

「彼に感謝したのは初めてかもしれませんね」と、タナカはモモナリを見やって言った。

 

「あの様子では、当分バッジは取れないでしょう」

「何故彼女がバッジを取ることに否定的なんです?」

「面白い理由なんてありませんよ、彼女が自由を求め、旦那様はそれを危険だと反対している。現実でも、創作でもありきたりな対立です」

「ジムバッジを得ることが危険だと?」

「危険でしょう、旦那様は、お嬢様を彼のようにしたくはない」

 

 タナカが指差したのは、先程感謝を証明したモモナリだった。すでにストップウォッチをリセットし、次に備えている。

 だが、シンはそれを一旦手で止め、カバンの中から戦術書とメモを取り出している。すこし休憩するようだった。

 

「ジムバッジを得て人間がすべてあの様になるとは」

「本質は同じでしょう?」

 

 トレーナーの一例としてモモナリを繰り出されることは、トモキにとっては不本意であった。

 だが、タナカは更に続ける。

 

「腕力で身を立てようとすること、その延長線上に彼がいる。事実、お嬢様は自由を得る手段として、それを成そうとしている。旦那様がそれを否定する理由もおわかりでしょう?」

 

 トモキがそれを否定しようと少し言葉を続けようとした時、タナカが彼から視線を切った。

 見れば、戦術書に没頭するシンを邪魔せぬようにと、モモナリが自分たちに近づいてきていた。

 

「どうも」と、彼はタナカに軽く会釈をする。

 

「あの子はいつから戦術の勉強を?」

 

 やはり不躾で急な質問にタナカは一瞬息を呑んでから答える。

 どうしてそんなことを教えなければならないのか、という思いがないわけではないが、今この場では答えぬことのほうが不自然であろう。

 

「二年ほど前から」

「その前からポケモンとは遊んでいたんでしょ?」

「ええまあ、あのキルリアは子供の頃からのパートナーですよ」

「へえ」

 

 モモナリはタナカのベルトにセットされたボールを眺めて続ける。

 

「あんたが教えたことは?」

 

 タナカはその質問に、モモナリが自分自身がそれなりのトレーナーであることをすでに見抜いていることに少し神経を張りながら答える。

 

「ありませんよ」

 

「ふうん」と、彼はタナカの瞳を覗き込むようにして続ける。

 

「意地が悪いね」

 

 それに、タナカは一瞬自身の内面を見透かされたような恐怖を覚えた。そして、それはすぐさまに舐められてはならぬという擬似的な怒りとなって彼を燃やす。

 その気になれば腰のボールに手をやることもできただろう。だがそれをしなかったのは、彼の社会性がなせる技か。

 

「どうして、意地が悪いと?」

「だって、わかるでしょう、あんたなら」

「あなたにはわからないでしょうが、世の中にはわかっていても仕方のないこともある」

「そんなものかね」

「そんなものです。特に立場というものがあればね」

「へえ」

 

 モモナリは退屈げに一つあくびをする。

 

「別にいいけどさ、それじゃ勝てないよ。俺にはさ」

 

 

 

 

「ありがとう……ございました」

「はい、お疲れ様」

 

 ハナダジム挑戦受付終了時間。

 結局、その日のハナダジムにシン以外の挑戦者は現れず、モモナリは丸一日彼女のジム挑戦を退け続けた。

 シンとキルリアは、豊富な戦略を駆使してなんとかゴルダックの手から逃れようとはしていた。だが、それでもモモナリとゴルダックからは逃れられなかった。

 

「今日は昨日に比べて少し時間が伸びていたね」

 

 モモナリはそう励まそうとはするが、シンとキルリアはそれに明るい表情は見せない。

 リーグトレーナーが本気を出せば、たとえ手持ちが拘束具でガチガチにされていようと、十秒間逃げ回ることすらできないという現実が、ようやく彼女らに高い壁となって立ちはだかったのだ。

 何をしても、相棒が、自身が、プールに放り込まれる未来しか見えない。

 昨日のように、モモナリというトレーナーの存在がはるか遠くにあるわけではない。だが、近くに歩み寄ったからこそ、その大きさに圧倒されている。

 

「まあそう落ち込まないで」

 

 さすがのモモナリも、彼女とその相棒のキルリアが憔悴しきっている事と、その原因を理解できているのだろう。

 

「少し待てばカスミさんが帰ってくる、そうしたらバッチがもらえるかも」

「いえ」

 

 モモナリの言葉を、シンが遮った。

 

「明日、必ず挑戦させていただきます」

 

 表情は弱々しく、その手先は震えていた。

 だが、モモナリを見上げるその視線は力強かった。それは、同じくゴルダックを見つめるキルリアも同じ。

 

「ごめん」と、モモナリが謝る。彼にしては珍しく、自らの非を理解していた。

 

 

 

 

「意地もある、プライドもある、ポケモンとのコミュニケーションは良好で、努力は惜しまない」

 

 ハナダジム、すでにメインの照明は落とされ、トモキも私服に着替えている。

 それでも間接的な照明の元で彼がモモナリと話しているのは、珍しく、モモナリが彼を呼び止めたからだろう。

 

「理想的なトレーナーだ、四つ持ちでもそうじゃねえトレーナーだっているだろう」

 

 モモナリは、トモキの言葉を頷いて肯定する。

 そして、彼がそれを肯定するからこそ、トモキは更にわけがわからなくなるのだ。

 

「そんなにも『それ』が重要か?」

「ああ、重要だと思うね」

 

 それも肯定するモモナリに、トモキはため息を付いて彼の方を掴む。

 

「なあモモナリ、お前から見ればとるに足らないかもしれないが、俺だってトレーナーの端くれだ。お前の言いたいことはわかるし『それ』の重要性だってわかってるつもりだよ。だがな、それは一つ目のバッジで重視することじゃねえんだ」

 

 いいか、と続ける。

 

「一つ目のジムバッジはな、それこそゼニガメがあわ吹いたって獲得できるんだ」

 

 極端な言い回しかもしれないが、それは間違いではない。

 ゼニガメが泡を吹くことに何の意地がある、何のプライドがある、何のコミュニケーションがある、何の努力がある。

 そのような観点から見れば、彼女はバッジを得るのに十分な能力を持っていると言えるだろう。

 

「手を抜くつもりはないんだろう?」

「無いよ。彼女に失礼だから」

「そうか」

 

 トモキはその袋小路の思想に共感するように頷く。

 

「そうだな、手は抜かないほうが良い。よく気づいたな、少しずつ、ジムリーダーになってきてるよ」

 

 彼はモモナリの肩を叩き、その横を通り過ぎながら続けた。

 

「明日、一緒に考えてみよう」

「ええ」

 

 そう言って扉の向こうに消えたトモキに続き、モモナリもその場をあとにしようとする。

 その時だ。

 

「ん?」

 

 彼の優れた視力は、間接的な照明がぎりぎり届いていているそこに、何かが落ちていることに気づいた。

 それに近づいて拾い上げて見れば、それは、ポケットに入りそうな小さな手帳だった。

 

「これは」

 

 彼はそれをパラパラとめくる、その内容には見覚えがあった。

 

 

 

 

 ハナダシティ。シン家屋敷。

 ハナダシティの旧家として有名なそこは、地元の人間からは尊敬と畏怖の感情を抱かれ、それらの感情が、本来ならばただの石と土と木を組み合わせただけのものに過ぎ無いその屋敷に威厳を与えている。

 だが、その少年トレーナーには、その威厳というものは通用しないようだった。

 

「これはこれは、何用ですか」

 

 タナカがこの世の終わりのような表情をして助けを求めてきた掃除婦に連れられて玄関に来てみれば、そこにいたのは、このへんでは有名な問題児、モモナリだった。

 

「忘れ物を届けに来ました」

 

 彼がポケットから取り出した手帳を見て、タナカは「ああ」と、頷く。

 

「ありがとうございます。お嬢様に届けておきます」

 

 それを受け取ろうとしたタナカに対し、モモナリはそれを再びポケットに戻した。

 

「直接渡したい」

 

 タナカは、その言葉に対して言葉をつまらせた。

 幾つもの思考が彼の中に浮かんだ。

 だが、それを断る都合のいい言葉がすぐには浮かばなかった。

 自分とシン家の彼女に対する態度を考えれば、それを直接彼女に返したいという主張は通っているように思える。

 そして何より厄介なのは、今の彼の立場はジムリーダー代理、概念的には教育者であった。

 怯える掃除婦に二、三言伝え。彼女を先に大部屋に向かわせてからタナカがそれに答える。

 

「わかりました、こちらへどうぞ」

 

 ポケモンを繰り出せば、あるいは止めることができるだろうか。

 否、それは辞めたほうが良い、それどころか、最悪の選択肢だろう。

 自分が戦力として計算できなくなれば、一体誰が、お嬢様を守れるというのだろうか。

 

 

 

 

「ジムリーダーが……?」

 

 大部屋にてキルリアと共に明日の対策を練っていた。シンは、やはりこの世の終わりのような表情をした掃除婦にモモナリの来訪を伝えられ、掃除婦ほどではないが動揺していた。

 そして、その動揺を落ち着かせるよりも先に、ノックもなくモモナリが大部屋に現れる。

 

「やあ、こんばんわ」

 

 緊張感なく姿を表したモモナリは、その次の瞬間には、目を見開き、表情を固まらせる。

 そこにあるのは、大部屋を埋め尽くさんばかりの本と、同じくテーブルにうず高く積み上げられた本の山だった。

 モモナリと同じく大部屋に入ったタナカは、彼とシンの間に挟まれるように位置を取る。

 だが、モモナリは今更そのようなことに意識を取られはしなかった。

 彼はテーブルに積まれている本を一冊手に取る。知らぬ名前が著者の戦術書だった。

 

「まさか、これ全部が戦術書なのか?」

 

 言葉を失いかけているモモナリにシンが「はい」と、不思議そうに答える。

 

「いやそもそも、どうして本がこんなに」

 

 モモナリの変わりぶりに驚きながらも、その質問にはタナカが答える。

 

「この大部屋は、かつてはハナダの図書館のようなものとして利用されていましたからな」

 

 そうか、と、ぼうっと頷くモモナリは、ようやく本来の目的を思い出したようで、ポケットからメモ帳を取り出して、それをシンに差し出す。

 

「これ、落としていたよ」

 

 あ、と、シンはそれに声を上げた。

 

「ありがとうございます!」

 

 無くなったことに気づいてはいたが、絶対に必要なものではなかったので優先順位を下げていた。何故ならば、そこに書かれている戦術は、全てモモナリに通用しなかったものだから。

 

「ああ」と、モモナリはそれにぼうっと答えながら、彼女が新たにメモ帳を作っていることに気づく。

 

「それは、明日のために?」

「はい」

「そうか……」

 

 モモナリは、もう一度大部屋をぐるりと見回し、そして、机に積まれた本の山を眺める。

 彼には、到底考えられないことだった。

 戦うがために、これだけの量の本を積み上げることは、彼の常識には、否、彼の非常識にも存在しないだろう。

 

「どうして」と、彼は漏らす。

 

「君は、どうなりたい?」

 

 これだけのことをしてジムに挑戦する目的、モモナリはそれがわからなかった。彼の中でジム戦というものは、少なくとも彼にとって非概念の努力をするようなものではなかったからだ。

 

「君は、ジムに挑戦し、バッジを手にして、どうなりたい?」

 

 だから彼は、純粋な興味からそう問うた。もちろんその質問は、ジムリーダーとしては少し圧迫的なものであるのかもしれない。だが、彼はその興味を抑え込むことができなかったし、それを抑え込むような性格でもなかった。

 シンは、悩みながらも一旦はその質問に答えようとした、だが、ちらりとタナカを見やる。タナカに父の息がかかっていることは、当然理解している。

 だが、彼女は意を決してそれに答える。それに答えることも、彼女にとっては夢の一つだから。

 

「私は、強くなりたい」

 

 彼女は胸に手を当てて続ける。

 

「バトルだけじゃありません、私は、自由に生きる強さが欲しい」

 

 漠然とした答えだった。例えば創作などで、家柄に縛られる美しき少女が必ず放ちそうな、漠然として、それでいてありきたりな答えだ。

 だが、モモナリはそうは思わなかった。彼から見て、彼女は本気でそれに取り組んでいるだろうから。

 

「なるほど」と言って、彼は本の山の一つを手に取る。

 

 比較的新し目の戦術書だった。そこに書かれている著者の名前に、わずかに見覚えがある。

 Cリーグであった頃に、一度だけ戦った男だ。大した強みもなく、面白みもないバトルだったことを、取るに足らないトレーナーだったという記憶で覚えている。

 

「君にアドバイスしたい」

 

 彼は彼女の返答を待たずに、その本をポンと山に戻して続ける。

 

「セオリーは大事だ、本を読むことも大事だ……だけど、その先に自由はないよ」

 

 モモナリはちらりとタナカを見やった。それは責める視線であった。

 タナカもそれに視線を返す、バトルを介したわけではないのに、その視線は弱かった。

 

 

 

 モモナリが去った大部屋の中で、シンは本をすべて閉じ、メモ帳をトントンとペンで叩きながら、まとまらぬ考えをまとめようと必死に思考を巡らせていた。

 

「わからない」

 

 彼女を心配して膝を擦るキルリアの気遣いも、今の彼女には届かない。

 モモナリのアドバイスは、言葉通りに受け取れば、彼女のこれまですべての否定であった。

 本を読むこと、基本に従うこと、学ぶこと、それは彼女のバトルにおける全てであった。彼女は学べる環境にはあったかもしれないが、その逆に実践の環境にはいなかった。

 考えれば、考えるほどにわからなくなった。自分の目的を達成するために何をすれば良いのかがわからない。

 目を伏せ、腕で作った暗闇に身を任せる。

 

「やっぱり、駄目なのかな」

 

 投げやりに放たれたその言葉に反応したのは、意外にもタナカだった。

 

「お嬢様」と、彼はシンが顔を上げるのを待ってから続ける。

 

「気に入りませんが、あの男の言うことは筋が通っています」

「どういうこと?」

「お嬢様、自由であることは、先が見えぬことなのです」

「先が見えない……」

「左様」

 

 タナカは一つ息を吐き、呼吸を整えてから続ける。彼は、彼女の熱意を最もよく知る人間の一人であったし、それを好ましくないという価値観を持っている人間でもあった。このように、それについての助言をするのは初めて。

 

「先の見えぬ、誰も保証などしてはくれない道を、自分を信じることで一歩踏み出す。先代も、旦那様も、人生の節目では必ずそのような選択をなされた。もちろん知識もあったでしょう、しかし、彼等は知識に人生を任せはしませんでした」

 

 一拍おいて続ける。

 

「お嬢様、自由というものは、それだけのリスクがあり、そして、それだけの責任があるのです。それは果てしなく重く、そして、恵まれたあなたには、それを負わずに済む人生もあるのだということを、どうか覚えておいて頂きたい。あなたがどのような選択をしようと、私はあなたを笑わない」

 

 シンは、その言葉を理屈では理解しただろう。だが、感覚ではまだそれを理解しきれていない。

 自分で戦うことが自由だと思っていた。そのために基本をマスターしようと本を読んだ、ポケモンの特性も理解した、それらの知識で戦うことこそが自由であるのだと彼女は思っていた。

 だが、モモナリとタナカは、それは違うのだと言う。

 

「……少し、時間をください」

 

 タナカはそれを受け入れるだろう。

 

 

 

 

 翌日、ハナダジム。

 朝、シンが現れないことを、トモキは不思議には思わなかった。

 だが、モモナリは「寝坊しているんだ」と彼女が現れることを信じ、すでにゴルダックにプロテクターを装着している。

 そうして二時間ほど経ったころ、彼女とキルリアは現れた。

 あのバカでかいカバンは、今日は持っていなかった。

 

 

「よく来たね」

 

 モモナリはゴルダックを呼び出しながら彼女を歓迎する。

 

「アドバイスは、少しは役に立ったかな?」

 

 シンは、モモナリを見据えながらそれに答える。

 

「わかりません、ですが、やれるだけのことを、やれるだけやります」

「そうとも、それが良い、それが良いんだ」

 

 見れば、彼女のポケットは膨らんではいなかったし、挑戦前にメモを見ることもしなかった。

 モモナリはポケギアを取り出し、そして、ストップウォッチ機能を起動する。

 

「はい、それじゃあ、スタート」

 

 わずかコンマ数秒、キルリアが動かぬことを確認してから、ゴルダックがスプリントを発揮する。ギシギシと拘束具が軋む音すら置き去りにする。

 

「『まもる』!」

 

 それをある程度までひきつけてから、シンが叫ぶ。

 キルリアがサイコパワーで壁を作り、すんでのところでその攻撃を弾いた。

 あえて先手を取らせてからの『アンコール』はない、彼女はそのゴルダックの攻撃が『ひっかく』であることを見抜いている。

 だが、その程度で捌けるほどリーグトレーナーは甘くない。

 二の矢を、と、ゴルダックが踏み込んだ時だった。

 

「『フラッシュ』!!!」

 

 キルリアの全身が、一瞬だけ強烈な光を帯びる。

 その眩しさに、ゴルダックが一瞬たじろいだ。

 その一連の行動を、シンは逃さない。

 

「『テレポート』!!!」

 

 準備は整っていた、キルリアとの連携。

『フラッシュ』をしたときから高めていた集中力、逃げ切る。

 祈るような彼女らの連携は、成功した。

 ゴルダックの目の前にいたキルリアは無事その姿を消し、対戦場の角に――

 

「『アクアジェット』!」

 

 モモナリとゴルダックは、バネ細工のように真反対に体を捻らせながらキルリアを視界に捉える。

 信じられない、という感情が、一瞬シンとキルリアを支配した。

 彼等は、シンよりも早く、テレポートしたキルリアを捉えた。

 その理由はわからない、テレポートを使ったキルリアですら、その理由を瞬時に理解は出来ないのだ。

 

「『リフレクター』!!!」

 

 次の手を考えるよりも先に、シンはそう叫び、キルリアもほとんど反射的に前方に壁を作り出す。

 だが、ゴルダックはそれも予測済みだったようだ。彼は少し大回りに壁をかわすと、キルリアを捉え、抱きかかえる。

 対戦場の角に移動したということは、それだけプールに近いということ。

 彼女は放り投げられ、段々と水面が近く。

 だが、止まった。

 キルリアは、僅かな時間であっても自分の体が水に濡れぬ理由がわからなかった。対戦場から放り投げられれば、どのくらいで着水するのかということを、彼女は経験しすぎて理解していたのだ。

 段々と、水面が遠く。

 彼女は、ようやく自分の体がゴルダックの『サイコキネシス』で浮遊させれていることに気づいた。

 

「十秒だ」

 

 ポケギアを眺めるモモナリは、それを十秒きっかりで止めている。

 彼が指定した制限時間は、キルリアが着水する寸前に経過していたのだ。

 ゴルダックにより、優しく対戦場に戻されたキルリアは、腰を抜かしたようにその場に座り込む。

 奇しくも、それはパートナーであるシンがモモナリの前で見せている姿と全く同じであった。

 

「おめでとう」

 

 腰を抜かしたシンに手を差し伸べながら、モモナリが笑顔で言う。

 

「君達は俺達から逃げ切った。誰にでもできることじゃない」

 

 モモナリの手を握り立ち上がったシンは、未だに足が震えていることに気づく。

 キルリアの『テレポート』の後に見せたモモナリのあの動き、あの眼光、それは、人が人に見せて良いものではない。彼等のいる世界の片鱗を、彼女は見たのだ。

 同じくゴルダックに支えられたキルリアも、それに感謝しつつも、彼らに対する怯えが多少あった。

 

「教えてくれないか」と、モモナリが問う。

 

「『まもる』『フラッシュ』『テレポート』ここまでは用意してた動きだろう?」

 

 その指摘に、シンは頷いた。すでに、彼がそれを見抜いている事自体への驚きはない。

 

「俺達もそこまでは予測できていた。だが、その後だ」

 

 一拍おいて続ける。

 

「『リフレクター』は用意していたのか? 君はあの壁を本来の用途ではなく、最短距離を潰すために使った……上手く対応したつもりだったが、結果として、わずかに時間をロスした。元々の作戦かい? それとも、戦術書に」

 

 そのどちらの問いに対しても、シンは首を横に振って否定する。

 

「じゃあ、どうして?」

 

 シンは、その問いに上手く答えることが出来ないだろうと思った。

 事実として『リフレクター』は貼ったし、それによってゴルダックが時間をロスしただろう。だが、それを、そうなるように考えて打ったわけではない。結果、あくまで結果としてそれが有効になっただけ。

 だから、これを言い表すとするならば。

 

「『勘』です」

 

 恐れることなく、言い切った。

 天下のAリーガーを相手に、勘で立ち回ったなどと。

 だが、仕方がない。

 本当にそうだったのだから。

 彼女は、恐る恐るモモナリを見る。

 

「そうとも」

 

 彼女の予想と真逆。

 モモナリは、ニッコリと笑顔をみせていた。

 

「それこそが自由だ、それこそが才能だ、それこそが、戦いだよ」

 

 彼はズボンのポケットに手を突っ込む。

 

「その感性を大事にしな、誰もが持っているわけじゃない」

 

 彼はポケットから無造作に、光るそれを取り出した。

 

「おめでとう」

 

 光るそれを、彼は放り投げるようにシンに手渡す。

 慌てて両手で包むようにそれを受け取ったシンは、そっと手を開いてそれを確認する。

 ハナダジム認定、ブルーバッジは、彼女の手の中で確かに光り輝いていた。

 

 

 

 

 

 

「おめでとうございます」

 

 ハナダジムを後にしてすぐ、タナカは、シンを祝福し、頭を下げる。

 

「ええ」と、シンはそれに頷く。ようやく、ふつふつと、それを成し得た実感というものが湧いてきた頃だ。

 

「見事な戦いでした」

「まさか、ただただ逃げ回っていただけ」

「あの男から逃げ回ることなど、容易なことではありません、私もあの内容ならば苦戦するでしょう」

 

 彼は一拍おいて、少し微笑んで続ける。

 

「それに、私はお嬢様ほど粘ることが出来ないでしょうな」

 

 ふふ、と、シンもそれに釣られて笑った。

 全くだ、一度逃げ切るのに、どれだけの数捕まったのか。

 

「お父様は、なんとおっしゃるかしら」

 

 ジムバッジを手にしたこと、トレーナーとして活動すること、そのどちらに対しても、父はいい顔をしないだろう。自由の責任を感じた人間ほど、愛娘にはその苦労をかけさせまいと躍起になる、別段不思議な話ではない。

 

「私が説得します」と、タナカが答える。

 

「お嬢様の戦いぶりを話せば、納得していただけるでしょう」

「昨日までとは打って変わって、協力してくれるのね」

「お嬢様、あなたは自由を勝ち取ったのです。従者である私があなたに従うのは当然のこと、全ては、あなたが勝ち得たものなのです」

 

 タナカは、本心を隠した。

 バトルに造詣の深い彼は、シンが持つ『それ』に随分と前から気づいてた。だが、それを伝えることもなければ、鍛えることもしなかった。

 その道は、自由で、先の見えぬ、もしかすれば、明日死んでいるやもしれぬ道だ。

 彼女の祖父の代からシン家に仕えた彼からすれば、彼女は孫娘も同然。その道に進めさせたくなかったのは、彼女の父親だけではなかったのだ。

 まさかそれを、三回り以上年下の若造に見破られるとは思ってもいなかったが。

 

「とんでもない男ですなあ」

 

 どこか遠くに投げかけるように呟いたそれに、シンも頷く。

『テレポート』の後にモモナリが見せたあの表情は、当分忘れることが出来ないだろう。

 今、こうやってちらりと思い出すだけでも、背筋は凍り、足は震え、口が乾く。

 

「私、自由というものがどういうものなのか、少しだけわかった気がします」

 

 自由であるということは、戦うということは。

 あの表情を向けられるということなのだ。

 

「明日から忙しくなりますよ」と、彼女は従者に言った。

 

 

 

 

「いつから気づいていたんだ?」

 

 ハナダジム、トモキは再びつまらなさそうに座り込むモモナリに問うた。

 

「彼女の『才能』に」

 

 それは、モモナリが彼女に対して最も懸念していたことだった。

 素晴らしい才能を持っているのに、知識を詰め込むことでそれを発揮しきれていない。

 せっかく持っている柔軟な感性が潰されているのだと、彼は指摘していた。

 

「彼女に『才能』があるって認めます?」

「そりゃ認めざるを得ないだろうよ、ただの思いつきで逃げ切れるほどお前は甘くない」

 

 トモキはモモナリのそういう部分、手加減なんて出来ないだろうなという部分は疑わない。

 

「いつ気づいた?」

「彼女がジムに入ってきた時」

「まさか」

「本当ですよ」

「ポケモン出してすら無いじゃないか」

「でもわかったんで」

「だからなんでだよ」

 

 その問いに、モモナリは頭をトントンと指で叩いて答える。

 

「『勘』ですよ」

 

 そのままぐっと背伸びをして、彼は続ける。

 

「この仕事、俺には向いてないかもしれませんね」

 

 それにトモキが呆れるのと、モモナリが大あくびをかますのは、ほとんど同時だった。




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