モモナリですから、ノーてんきにいきましょう。   作:rairaibou(風)

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・モモナリ(オリジナルキャラクター)
 本作主人公、Aリーグ所属
 この時二十代前半、人生模索期

・シン・アヤカ(オリジナルキャラクター)
 ハナダシティの旧家である『シン家』の一人娘。この時は十代中盤
 後のAリーガーである。

・トモキ(原作キャラクター)
 ハナダジムのネームドジムトレーナー
 今作ではカスミに変わりモモナリの目付役を担う
 モモナリ幼少期から彼を知る人物


セキエイに続く日常 70-おてんば代理 ①

 ジムリーダーというものは、何もジムにこもって挑戦者を待つだけのような奥ゆかしき職業ではない。

 地元の顔としてメディアに登場することもあれば、倫理的な立場を認められるか、もしくは他のジムリーダーの倫理的な負の遺産を解消するためか、何らかの啓蒙活動に駆り出されることもある。地元スクールに顔を出すことも立派な仕事の一つであり、エキスパートであるタイプの知識を生かして社会に貢献することも重要な仕事だ。

 そして、何より彼等は優れた技術を持ったトレーナーである。彼等の技術を目にしたいと思うのはトレーナーとしては何ら不思議のない欲望の一つであろうし、その欲望が海を超えた地方から向けられることだって十分にある。

 つまり、海外に遠征してエキシビションマッチを行うことだって、ジムリーダーたちの立派な仕事のひとつなのである。これでもまだ、ジムリーダーが奥ゆかしき職業だと思うだろうか。

 

 ハナダジムリーダー、カスミもその例に漏れない。むしろ彼女は海外遠征の需要が高いほうだ。若く、お転婆で、それでいて礼儀を知らないわけではない。

 故に、彼女が一週間ほどジムを開けることも珍しくない。当然ジムリーダーが不在となるわけだが、それで誰かが困るわけでもない。トキワジムなど一時期はジムリーダーの長期不在の時期があったが、特に大きな問題にはならなかった。一週間などあっという間だ。

 だが、だからといってジムリーダーが不在という状況が好ましい状況であるわけではない。誰かがその役割を果たせるのならば果たさなければならないだろうし、その役割を全うできるのならばそうすべきだ。

 故に、誰かがハナダジムリーダー代理という役職についたとしても、何も問題はない、はずである。

 

 

 

 

「『ローキック』」

「『まもる』!」

 

 的確に足を狙ってきたゴルダックのキックを、エビワラーはすんでのところで足を上げてガードする。

 だが、それでもエビワラーは足の痛みに表情を歪める。仕方のないことだ、これまではその『まもる』でダメージを逃がすことができていた。今食らったこの攻撃が、これまで食らってきたどの攻撃よりも鋭く、威力があった。

 エビワラーに指示を出す青年トレーナーも、その様子に表情を歪ませた。まさかここまでレベルに違いがあるとは、想像だにしていなかった。

 

 その挑戦者の青年に野次馬根性が無かったかといえば嘘になるだろう。

 熱心にバッジを集めるのは随分前に辞めていた、四つ目まではスイスイと取ることができたがそこから苦労し、六つめを取ったあたりでタイムリミットが訪れたように感じ見切りをつけた。その後の人生は悪くはないが、どこかに敗北感がちらついているのも確かだった。

 故に、まだ訪れたことのなかったハナダジムのジムリーダー代理をリーグトレーナーが行うと聞いて興味が湧いたのだ。

 しかもそのリーグトレーナーは、数年後には消息を絶つような無名ではない、カントー・ジョウトリーグのトップ中のトップ、Aリーガーのお出ましだ。

 

「『マッハパンチ』!」

 

 迫りくるゴルダックに対し、青年は慌てて指示を出す。

『ローキック』は防ぎきれていない。速さで勝負はできない。

 ならば、速さで勝る攻撃をしなければならない、と、青年は考えた。

 その瞬間的な点において、その発想は正しかっただろう。

 エビワラーの右拳は、たしかにゴルダックのアゴを捉えた、かのように見えた。それを打ち込んだエビワラーですら、一矢報いたことを確信したのだ。

 だが、ゴルダックはぐらつくことなくプロテクターでガチガチに固められた右腕をエビワラーの前に差し出す。

 エビワラーはようやく気づく。

 捉えてはいない、拳がアゴを撃ち抜くより先に、ゴルダックが首を捻ってそれをかわしていたのだ。右腕だけでなく、体全身をプロテクターでガチガチに固められ、動きに制限をかけられているにもかからわず、ゴルダックはその俊敏さを見せる。

 

「『サイコキネシス』」

 

 右手から放たれる念波が、自身の脳を直接揺さぶる衝撃をエビワラーは感じた。皮肉にも、自分がやろうとしていたことを、自分がされている。

 

「『かみなりパンチ』!」と、自身に指示を出すパートナーの声が聞こえないわけではない。だが、それを完遂するには、自身に与えられた衝撃が大きすぎる。

 

 こうも遠いものか、と、彼等は思っていた。

 

 こうも遠いのか、リーグトレーナーというものは。

 

 

 

 

 

 

 ハナダシティ、ハナダジム。

 水の町らしく、プールをモチーフに作られたそのジムは、水棲ポケモンと陸のポケモンとのマッチアップが問題なく行える。

 対戦場、飛び込み台を模したイスに腰掛けるその男は、緊張感など欠片も感じない大あくびをかまし、それを恥じることなく滲む涙を指で払った。

 

「ジムリーダーってのは、こんなに退屈なものかね」

 

 それは、とてもではないがその椅子に座る人間が言っていい言葉ではなかった。

 だが、そのそばにいた男、ハナダジムトレーナーのトモキは、その言葉に激昂することなく、呆れたように大きなため息をついた。

 

 

「そりゃあ、お前からしたらそうだろうよ」

 

 意外にも、トモキはその言葉を部分的に肯定した。

 無理もないだろう、この、ハナダシティ史上類を見ない大問題児が、このような教育的な組織に馴染むはずがない。

 カントー・ジョウトリーグトレーナー、モモナリは、たとえ彼がハナダシティを代表する強豪トレーナーであったとしても、そのような意識を向けられるに十分な男であった。

 ハナダシティにて幼少期からその才能を発揮していたモモナリと、同じくハナダシティのジムトレーナーであるトモキは、当然のように古くからの顔なじみであった。

 

「もっとこう、バンバン挑戦者が現れて、バンバンバトルしてって感じじゃないのかい」

「そんな日がないわけじゃないが、少なくともお前がジムリーダー代理であるうちには無いだろうな」

「どうして?」

「下手だからだ」

 

 純粋に疑問を投げかけてきたモモナリに対し、トモキは椅子の横で瞑想を続けているゴルダックをみやって言った。

 なんてことのないようにその場に座り込んで瞑想しているが、その姿勢を維持することすら難しいはずだ。

 ゴルダックの全身には余すことなくプロテクターが装着され、おそらくそれらは最高の負荷を課すように設定されているはずだ。リーグトレーナーの手持ちである彼が、万が一にも最高のパフォーマンスを発揮することのないように装着されたそれは、まあ、一定の効果はあるはずだ。

 

「手加減がな」

 

 だが、トモキの目から見ればそのプロテクターすら、ハンディキャップとして体をなしていないようだった。

 当然だ、その拘束具はゴルダックの力をある程度抑えることはできるかもしれないが、トレーナーであるモモナリの実力を抑えるものではない。普段とは違うゴルダックの動きに多少の戸惑いはあったかもしれないが、それに対応するだけの実力を物理的に拘束するプロテクターは存在しない。

 

「向いてないんだよ、お前」

 

 面と向かってぶつけられたその言葉に、モモナリはさほど不服そうではなかった。おそらく彼も、それを内心では理解しているのだろう。

 そして、トモキもそれを彼に対する否定だと思って放ってはいない。

 

「いいか、俺達の仕事は戦うことじゃねえ、認めることだ」

「そんなことは研修で散々聞いたよ」

「聞いたなら実行しろよな」

 

 リーグトレーナーほどの実力者となれば、ちょっとした研修を受ければ『ジムリーダーの代理としてバッジ認定戦を行う』資格を手にすることができる。その能力を疑う余地がないからだ。

 だが、実際にその資格と『ジムリーダー』という資格の間には大きな隔絶がある、それは書類の上でも、精神の上でもだ。

 勝利こそが存在意義であるリーグトレーナーと、未熟な相手に敗北し、その努力を認める必要のあるジムリーダーとでは、そもそもの思想が違う。

 そして、トモキの知る限り、モモナリはバトルにおいてこの世で最も『努力』という観点から離れたところにいる人間だった。ジムリーダーなど、務まるはずもない。

 否、そもそも。

 

「ここにお前の望む戦いはねえだろう?」

 

 ベテランジムトレーナーであるトモキは、まだまだ若いがキャリアの長いジムリーダーのカスミと共に、モモナリという少年に随分と肝を冷やされた教育者の一人だ。

 やたらに好戦的なコダックを手持ちに加えたかと思えば、今度は無人発電所に入り浸り、立ち入り禁止区域に入り込んで強力なアーボックと戦い、ハナダで確認できるはずのない『すなあらし』の中に単身突っ込む。

 良く言えば『恐れ知らず』悪く言えば『ネジが飛んでる』そのような感覚を持つ彼が、ジムリーダーとしての職務を全うできるはずがない。トモキはモモナリのトレーナーとして生まれてきたような強さを貴重な個性だと尊重していたが、それが教育者としての能力の代替になるとも思ってはいない。

 

「それはわからないよ」と、モモナリは鼻を鳴らした。

 

「レッドやシゲルだって、このジムを通過したんだ」

 

 ああ、と、トモキは頷きながら、教育者らしくモモナリの主張したい事柄を推測した。

 つまり彼は、レッドやシゲル、あるいは彼自身のような、強烈に光り輝く才能を目の当たりにすることができるだろうということがいいたいのだろう。

 あるいはその主張は一側面では正しい、実際トモキも、彼等の快進撃を目の当たりにしていた人間の一人だ。自分よりも一回りほど年下のカスミと彼等との試合を目に、何という世代が現れたのだと驚いた衝撃を越える思い出は、まだあまりない。

 だが、トモキはジムに自分たち以外の誰もいないことを確認してから「だがな」と、それを否定する。

 

「そんなものは、滅多にねえよ。だからこそ、俺達がいるんだ」

 

 もしも、トレーナーを志す人間がすべてレッドやシゲルのように光り輝く才能を持っているのならば、ジムリーダーは必要のない職になるだろう。

 トレーナーを志したいが、誰もが羨む才能はない、そのような人間は腐るほどにいる、そして、そんな彼等が、トレーナーとして生きて良いのか否かを見極めるのがジムリーダーという専門職である。

 モモナリはそれを理解できないのだろう。首をひねって続ける。

 

「まあ良いよ、時間はたっぷりあるんだ」

「そんなに無いだろ、ジムリーダーが戻ってくるのは一週間後だ」

「そんなんじゃなくて、人生の話」

「なにが言いたい?」

「セカンドキャリアの話さ、ジムリーダーとして生きるのも悪くない」

「はあ?」

 

 その言葉に、ついにトモキの疑問のダムが決壊した。

 セカンドキャリア、セカンドキャリアとは何だ。

 いやもちろんその概念は知っている。だが、目の前の破綻した青年の口から、そのような言葉が出てきたことが信じられない。

 そもそも、彼がジムリーダー代理の資格を取ったところから少しおかしいのだ。

 溺れるように酒を飲み、サーフィンを始めたかと思えばボードを無くし、バイクを買ったかと思えばその日にスクラップにし、ギターを習い始めたかと思えばそれも無くす。そんな男が、何故急に。

 否、否、否。

 そもそも、何故今セカンドキャリアを考える必要がある。年齢は二十代前半、カントー・ジョウトリーグの最高峰であるAリーグで戦う彼が、どうして今。

 トモキは、その疑問について彼に投げかけようと思った。

 付き合いは古く、軽口をたたける関係でもある。それを問うことが倫理的に不当だということはないだろう。

 

「あのよ」と、彼が疑問を投げかけようとしたときだった。

 

「失礼します」と、ハナダジムの扉が開いた。

 

 職業柄、トモキはほとんど条件反射のように顔を向け、モモナリもまた、興味なさげではあるがその方向を見る。

 見れば、そこに立っているのは一人の少女であった。

 彼女は彼等に向かって一つ礼をすると、ツカツカと緊張することなく歩みを進める。

 腰元にセットされたボールは一つ。

 

「ハナダジムにようこそ!」

 

 トモキは元気よく、それでいて来訪者を怯えさせたり萎縮させない程度の絶妙な塩梅の挨拶をかわした、経験がなせる技だろう。

 

「いらっしゃい、チャレンジャー」

 

 モモナリは、ぼうっと彼女を眺めながら緊張感なくそう言った。少なくとも今、彼女は彼の脅威ではないようだ。

 

「シンです。よろしくおねがいします」

 

 彼女はモモナリとトモキそれぞれに一礼して続ける。

 その名にトモキは緊張感を覚えた、シンといえば、ハナダシティ近辺に古くからある旧家であり、その歴史はハナダジムそのものより古い、というより、ハナダジムの土地はもともとはシン家のものである。

 そして、これまでシン家の人間が挑戦者としてハナダジムに現れたことはない。関係が険悪なわけではないが、必要であるわけでもなかったのだろう。

 そんなシン家の人間が、挑戦者としてハナダジムに現れた、様々な可能性を考慮するべきだ。

 だが、よりにもよってそんな日にジムリーダーがモモナリであるなど、何という悪夢であろうか。なんの予測もできない。

 

「ジムリーダー代理のモモナリです、よろしく」

 

 流石にモモナリにもそのくらいの常識はあったようで、紳士的に差し出された右手をシンが握り返す。

 

「早速だけど」と、モモナリがその先に話を進めようとしたのを察知し、トモキがそれに割って入る。

 

「ジムリーダーと戦う前に、まずは私があなたの実力を確認しましょう」

 

 素直にそれに頷くシンに、モモナリは特になにか言うことはなかった。

 

 

 

 

「素晴らしい」

 

 倒されたポケモンをボールに戻し、トモキは普段よりも少し声を張って言った。

 その対面には、少し息を切らしたキルリアと、そのトレーナーのシンがいる。

 彼女は、キルリアと同じく少し息を切らしながら、顔を赤らめてトモキの言葉を聞いていた。

 

「基本も抑えているし、ポケモンも指示に従っている。これならジムリーダーに挑戦するのも問題ないだろう」

 

 やはり普段より声を張って、トモキが続ける。

 そこには、その言葉をシンだけでない、対戦上の外からつまらなさげにこの試合を眺めていたモモナリにも伝えようとする意図がある。

 事実、彼女の実力はジムリーダーに挑戦することに問題がない程度ではあった。だが、モモナリがそのような部分を理解しようとしないことはすでに理解している。

 そして、モモナリはトモキのそのような意図に気づくことなく、どうやら試合が終わったらしいことを確認しながらシンに近づいた。

 

「どうやら、戦ってもいいみたいだね」

 

 近づいてきた彼に、シンは表情をこわばらせる。

 ジムリーダーであるカスミが居ない、その代理として彼がいる、そのような状況はなんとなく理解している。だが、その代理の人間が現役のリーグトレーナーであることに、彼女は緊張をごまかせないでいる。

 彼女はポケモンリーグの熱狂的なファンではない、だが、そんな彼女でも、地元の英雄、そして、地元ハナダが生んだ史上最大の問題児のことは知っている。

 

「バッジはいくつ持っているんだい?」

 

 無遠慮にぶつけられるその質問に、彼女は言葉を選びながら答える。

 

「……持っていません」

「ははあ、なるほど」

 

 そう頷くと、モモナリは手を上げてなにかに合図する。

 シンがその方向を見ると、そこに居たのは全身をガチガチにプロテクターで固められたゴルダックだ。否、シンのような少女やキルリアのようなポケモンから見ればそれはプロテクターではない、拘束具だ。

 だが、ゴルダックはプロテクターのバネをひん曲げながらモモナリのもとに移動する。そこに表情の歪みはなく、汗が流れている風もない。

 たったそれだけを見ても、シンとキルリアは彼等と自分たちのレベルの違いというものを思い知らされる。

 

「モモナリ」と、トモキが慌てて彼に注意する。

 

「ジムリーダーの仕事、わかってるんだろうな」

 

 これまで、ジムリーダー代理であるモモナリに勝負を仕掛けてきたのは、その大体がジムバッジを複数持った経験者であった。全くバッジを持っていないトレーナーというのは、これまでのモモナリの人生を考えれば、出会ったことすら無いような人種なのではないだろうか。

 

「わかってますよ」と、モモナリがトモキ、シン、キルリア、ゴルダックをそれぞれ見比べてから、両手を上げて言う。

 

「十秒」

 

 シンとトモキは、不意にホールドアップされたその両手が、お手上げというわけではなく、どうやら十という数字を表しているのだということを、その言葉で理解した。

 

「十秒、君のポケモンが俺達の攻撃に耐えることが」

 

 と、そこまで言ってから、モモナリはううん、と唸った。

 そして、ぐるりと対戦場の周りを見回してから続ける。

 

「いや、十秒、君のポケモンがこの対戦場から落ちることがなければ、バッジをあげよう」

 

 それがモモナリなりの配慮であることにトモキは気づいた。

 水タイプのエキスパートが集まるというハナダジムの性質上、対戦場の周りはプールであるし、水が張られた対戦場も存在する。

 故に、対戦場から落ちても水に落ちるだけ、ポケモンのダメージは抑えられるだろう。

 だが、とトモキは思う。

 

「十秒で、よろしいんですか?」

 

 シンは、その条件に目を丸くして答えた。

 ぐるりと対戦場を見回せば、彼女が思っていたよりそれは広く、余裕があるように見える。

 キルリアも、同じことを思っているだろう。

 目の前のゴルダックに勝てるとはとても思わないが、十秒逃げることだけを考えればいいのなら。現実的な気がしてきたのだ。

 

「ああ、いいよ」と、モモナリは上げた両手を下げながら答える。

 

「難しいようだったら、もう少し調整すればいいでしょ」

 

 彼は胸元から最新型のポケギアを取り出した。様々なメーカーが競うように取り付けている便利な機能の殆どをモモナリは使いこなせていなかったが、そんな彼でも、ストップウォッチ機能は使えるようだ。

 

「じゃあ、ようい、スタート」

 

 小気味のいい電子音が、どうやらストップウォッチが起動したらしいことを告げる。

 突然のことに、シンとキルリアは驚いた。

 しかし、こう驚いている間にも、ジムバッジまでの道のりは一割ほど過ぎていることになる。

 

「『テレポート』!」と、シンは叫び、キルリアもそれを敢行しようとした。

 

 十秒、十秒だ。

 逃げ回ればあっという間に。

 だが、そのような考えはすぐさまに否定される。

 集中力を高め『テレポート』をしようとしたキルリアの体が、ひょいと持ち上げられる。

 気づけば、プロテクターでガチガチであるはずのゴルダックが、なんてことのないようにキルリアをお嬢様抱っこで持ち上げ対戦場を駆け抜けていた。ギシギシとスプリングが悲鳴をあげる音だけがその足音を伝えている。

 当然彼女の集中力は切れ『テレポート』は失敗に終わる。

 キルリアはジタバタと暴れてみるものの、とてもではないがゴルダックから逃れるような動きにはならない。

 

「『テレポート』は実戦じゃあまり使えないよ」と、モモナリはのんきに言った。

 

 シンが何かをしなければと状況を整理しようとしたときには、すでにキルリアは丁重に放り投げられ、背中から水にダイブしていた。

 

「はい、終了」

 

 再び小気味のいい電子音。

 

「残念だけど、挑戦失敗だね」

 

 提示されたストップウォッチに表示されている時間は、十秒の半分もない。

 

「再チャレンジ、する?」

 

 気づけば、ジムトレーナーのトモキのポケモンが、水に落ちたキルリアを救出している。

 シンも、キルリアも、未だに何が起こったのかをイマイチ理解しきれていない。だが、わずか十秒のジム戦に敗北したらしいという漠然としたショックだけは、それぞれ共有しているようだ。

 

「します!」と、シンは強く答え、胸ポケットからメモ帳を取り出した。

 

 パラパラとそれをめくりながら「五分間、お時間を頂きたい」と続ける。

 

「いいよ、時間はまだまだあるし」と、モモナリは彼女のその様子を不思議なものを見るような目で見ながら続けた。

 

「言わんこっちゃない」

 

 手持ちのニョロボンがキルリアを丁重に対戦場に下ろすのを確認しながら、小さく呟いた。

 カントー・ジョウトAリーガーを相手に、十秒逃げ切るだって。

 それは、難易度が高すぎる。

 

 

 

 

 もうすでに、何度キルリアが水の中に放り込まれたであろうか。

 それは屈辱的な学習であろうが、彼女はすでに少し泳ぎというものを覚え始めていた。

 

「どうかな?」と、モモナリはストップウォッチを確認しながら続ける。表示されている秒数は、まだまだ十秒からは程遠い。

 

「再チャレンジ、する?」

 

 シンはメモのペンを走らせながらそれに頷いた。まだ、これまでの時間を屈辱に思うほどの経験は彼女にはない。あるいはそれは、彼女がまだ新人トレーナーであることの強みであるのかもしれない。

 

「よし」と、モモナリがストップウォッチを起動しようとしたその時だった。

 

 ハナダジムの扉が開かれる音。

 

「失礼する」

 

 現れたのは、スーツを身にまとった壮年の男であった。

 ジムに居た人間すべてが彼に注目し、そしてトモキは「ようこそ」とだけ言う。その男がジムの挑戦者ではないであろうことを彼は経験から見抜いていた。

 

「タナカ」と、シンが彼に向かって反応する。あまりいい反応では無かった。

 

 モモナリはその男の腰元のセットされたいくつかのボールに目をやり「ふうん」と鼻を鳴らす。

 

「お嬢様、お迎えに参りました」

 

 タナカと呼ばれたその男は、躊躇することなくジム内を闊歩すると、トモキとモモナリに目を向けることなくシンに頭を下げる。

 

「ここに来ることは誰にも伝えていなかったはずですけれど」

「ええ、ですからこのような時間に」

 

 やはりシンは露骨に彼を歓迎はしていなかったが、タナカはそれも織り込み済みだと言わんばかりに受け流した。

 

「ええと、お家の人?」

 

 鈍いモモナリに、タナカが会釈しながら答える。

 

「これは失礼、私お嬢様の運転手をさせていただいておりますタナカと申します。リーグトレーナーのモモナリさん、ご活躍は聞いておりますよ」

 

 失礼、とは言うものの、彼はそれを心から恥じているようではなかった。

 

「ああそう」と、モモナリはタナカのそのような様子を気にもとめない。

 

「随分と、お付き合いさせていただいたようですね」

 

 息の上がっているキルリアとシンとを見て、彼はモモナリとトモキをそれぞれ見やった。

 

「いえいえ」と、トモキは笑顔を崩さずに答える。これは少し話がややこしくなっているのかもしれないという警戒を彼は解かない。

 

「タナカやめて」

 

 シンがタナカを制す。

 だが、タナカはそれに素直には従わない。

 

「元はと言えばお嬢様、あなたが不意に姿を消したのが始まりなのですよ。ジムに行きたいのであれば一言そう言っていただければ」

「そうやって一度も連れて行ってはくれなかった、あなたのやり方は分かっています」

「お嬢様はまだジムバッジに挑むレベルには至っていないのです」

「そんなことはないです。今日私はここにいらっしゃるトモキさんにジムリーダーに挑戦する権利があると認めていただきました」

「ほう」

 

 タナカはじろりとトモキの方を見る。

 

「本当ですかな?」

「ええ、バトルの基本は抑えていますし、よく勉強していると思いましたよ」

 

 タナカの視線には攻めるようなものがあったが、その程度のことでトモキが自らの判断を覆すことはなかった。彼には彼のプライドというものがある。

 

「なるほど……しかし、見たところジムバッジを手にしている風ではありませんが」

 

 今度はモモナリがそれに答える。

 

「ええまあ、今からジム戦なんでね」

 

 彼はストップウォッチを振りながら続ける。

 

「じゃあ、スタート」

「『まもる』!」

 

 モモナリのその予期せぬスタートについては、シンもそろそろ学んでいる。

 キルリアはひとまず防御の姿勢をとって、ゴルダックの攻撃に備えた。

 だが、ゴルダックはそれに踏み込まない、見れば、額の宝石を光らせてなにかの技を繰り出したようだ。

 

「『ねんりき』!」

 

 それをスキとみなし、シンは攻撃を指示する。

 それで倒そうなどとは思っていない、だが、時間を稼ぐことができれば光が見える。

 だが、キルリアはその指示に従うことができなかった。

 彼女はいつまで経っても防御の姿勢を解かない、否、解けない。

 そして、次の瞬間には急に加速したゴルダックにその身を抱えられる。

 何が起こったのかわからぬシンに、モモナリが言う。

 

「『アンコール』だね」

 

 彼女がその一連の流れを理解するよりも先に、キルリアは水に向かって放り投げられていた。

 

 

 

 

「……本日は、ありがとうございました」

 

 放り投げられたキルリアが戻ってきた頃、シンはそうモモナリとトモキに頭を下げた。

 

「私からも、本日は忙しいなかお嬢様に付き合っていただき感謝しております」

 

 タナカもシンよりも深く頭を下げるが、その言葉が本心ではないことは自明だろう。

 

「ああいや全然、退屈してたんで楽しかったですよ」

 

 尤も、モモナリはその皮肉をあまり理解できていないようであったが。

 

「ああ、そうだ」と、モモナリはシンの方を向いて続ける。

 

「もしよかったら、君が書いてたメモ、見せてくれない?」

「え?」

 

 その提案に驚きながらも、彼女は一応それに従う。

 

「どうぞ」

「うん、ありがとう」

 

 モモナリはそれをペラペラとめくり、びっしりと書き込まれたそれを確認する。

 

「へえ、熱心なものだねえ。俺は書いたことないよこんなの」

 

 彼はそれをシンに返した。

 

「また明日来ると良い」と、モモナリは続ける。

 

「どうせ暇なんだ、待ってるよ」

 

 その言葉に、シンは表情を少し明るくさせ、タナカはその表情を僅かに歪ませたが、モモナリはそれに気づかなかった。

 

 

 

 

「やりすぎだぞ」

 

 シンが去り、挑戦受付時間を過ぎたハナダジム。

 我先にと帰ろうとしていたモモナリに、トモキがそう声をかけた。

 

「仕事をですか?」と訳のわからぬことを答えるモモナリに彼は続ける。

 

「負かせ過ぎなんだよ」

「そりゃあ仕方ないでしょ。これ以上手加減しろと?」

「あのなあ、いくつかバッジを持っているならともかく、あの子はバッジを一つも持っていないんだぞ、基本はできているんだし、一つ目のバッジを与えるには十分だ」

 

 ジムというシステムから考えれば、トモキのほうが正論であった。おそらくこの場にカスミがいれば、彼女もその意見に賛同するだろう。

 だが、モモナリはそれに首を振る。

 

「基本なんてものはね、誰でも手にすることができるんですよ」

「そうとも、だからこそ基本なんだ」

「それなら、ジムバッジは誰でも手に入れることができるんですか?」

 

 それは、モモナリなりの皮肉であった。

 だが、トモキは「そうだ」と、それを肯定する。

 

「ジムバッジは誰でも手に入れることができる……ある程度まではな」

「何を馬鹿な」

「馬鹿じゃねえさ、俺達は教育機関なんだ、生まれ持ったもので優劣はつけねえよ」

「なら、カスミさんはあの子にバッジを与えるのか」

「さあ、それはカスミさんの判断だ。だが……もしカスミさんが彼女にバッジを与えないことがあれば、俺は抗議するだろうな、ちょうどこんな感じに」

 

 モモナリは、トモキの返答に押し黙った。理屈では勝利できそうにない。

 だからとりあえず、彼は理屈でトモキを丸め込もうとすることを諦めた。

 しばし沈黙した後に答える。

 

「カスミさんが帰ってくるまでは、俺がここのリーダーだ」

 

 はあ、と、トモキはため息を付いた。

 

「ああ、わかってるよ」

 

 そう言われてしまえば、トモキに返せる力ない。否、そう言われなくても、トモキはモモナリを制御できないだろう。

 だから、せめて釘を刺す。

 

「いいか、誰も彼もが、お前みたいに恵まれてると思うなよ」




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