オーバーロードと大きな蜘蛛さん   作:粘体スライム狂い

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34話

森の僅かな変化と同時にニニャへ放たれた攻撃をモモンが防げたのは、ひとえに襲撃を前もって予知しており奇襲による精神的間隙が一切生まれなかったからだ。

全力で走り、剣を振ってニニャに迫る鱗に覆われた鞭のような物を弾き飛ばす。

その瞬間に手から伝わってきた衝撃と堅さ、発せられた金属音と火花はモモンにとって新鮮な驚きだった。

 

(全力で振ったわけじゃないが、切断できなかった。それにあの速さに力強さ。いいじゃないか!)

 

自分と()()()()()が出来る相手が現れた事にモモンは歓喜した。

 先ほどのゴブリン達のように、圧倒的力で蹴散らすのも強者である事を演出するにはインパクトがあって良いものだ。

しかし激しい攻防の末の勝利というのはそれとはまた別の感動がある。

偉大なる戦士として評価を受けるための戦い、その相手として未だ姿を見せない敵は合格だと言える。

 

「ニニャさん、大丈夫ですか?」

 

尻餅をついているニニャの前に体を滑り込ませたモモンは注意深く攻撃の飛んできた方向を観察する。

血を撒き散らしながら、まるで巻き取られる巻尺のように森へ吸い込まれていく鱗持つなにか。

背後ではミュールに手助けされながら後退していくニニャがいる。

モモンは自身の勝利を微塵も疑わないが、勝利したとしても犠牲が出てしまってはまずい。

特に護衛対象であるンフィーレアと、クーゲルシュライバーに執着されているニニャはなんとしても守り抜かなければならない。

 

またもや森の青葉が微かに散る。

モモンは即座に両手の剣をクロスさせながら頭上に掲げた。

金属音と共に、クロスさせた部分に重たい衝撃が走り激しい火花が散る。

すかさず剣を持った両手を左右に振った。

鋏と同じ要領でこの鞭のような物体を切断しようという試みだったが、それはモモンにとって意外なことに、激しい火花と僅かに血の滲む切り傷を発生させるのみに留まった。

 

深遠の大蜘蛛(アトラク・ナクア)の外皮で出来た武器には劣るらしいが、打ち合うことは出来る硬度を持つ金属質の鞭か。血が出るということは肉体武器の一種だろうが、この敵のレベルは40を下回っているはず。にもかかわらずこの硬さと耐久力はなんだ?)

 

肉体武装の硬度や耐久力はレベルの上昇と合わせて高まっていく。

アウラに指定したモンスターにはレベルの上限を設けている。

追加で要望したモンスターも同様であり、実際に調査して40レベルを上回るようであるならば一報を入れるように指示してあった。

つまり彼女がミスや命令違反を起こしていないならこの敵は40レベル以下のはずだ。

そしてモモンの常識から言うと、40レベル以下の肉体武装で聖遺物(レリック)級武器と傷つきながらも打ち合えるのは驚愕に値する。

 

(この状態での腕力を考慮すれば更に不可解だ。剣や棍棒以外の武器と戦った事もないし、どう対処するべきか)

 

敵の持つ武器とその攻撃方法から、実戦経験の少ない戦士であるモモンにとっては多少手こずりそうな予感があった。

前衛として役に立つスキルが無いわけではないが、使い慣れていないスキルを不慣れな状況と用途で使用すればどんな結果になるかが分からない。

ンフィーレアや漆黒の剣が居る手前、「やりすぎ」になるのは避けたいモモンとしては純粋な剣技によってこれに立ち向かうしかない。

しかし初心者であるモモンには剣技と呼べるほどの技量はなく、鞭のような特殊な武器に対する立ち回りの知識もないのだ。

 

(多少やり辛いが、ステータス差を考えれば丁度いいハンデか。さぁ、姿を見せてかかって来るがいい!)

 

ステータスに物を言わせて一方的に捻じ伏せる事も出来るが、それはモモンの望む「激闘」とは違うものになる。

全力は出さず技量でもって戦う決意を固め、剣を担ぎ構えを取ったモモンは戦意に燃える眼差しで森を睨んだ。

森の下生えがガサガサと音をたてて揺れる。

 二度の攻撃を防がれた敵が、攻め手を変えついにその姿を現した。

 

「なんだと……」

 

現れた敵の姿を見てモモンは精神的動揺を感じた。

胸にこみ上げる衝動と、力を失ってよろめく脚。

精神が抑制されるまでの間、モモンは脚に力を入れ震えだしそうな肩を気力で押さえつけ、演技が崩れないように必死で平静を装った。

しかし――

 

『ハムスターだ!モモンガさん、ジャンガリアンハムスターだよアレ!』

「うぷっ!?」

 

 クーゲルシュライバーからの喜色に満ち満ちたテレパシーを受けて、モモンはついに我慢が利かずその肩を笑いによって震わせた。

嬉しそうな感情と一緒に、クーゲルシュライバーが青空と花畑をバックに飛び跳ねているという奇妙なイメージまで送られては平静を保てるはずもない。

たまらずヘルムの中で笑いを漏らしてしまったが、幸いなことにそれは誰にも聞かれなかったようだ。

 

クーゲルシュライバーの言うとおり、森から現れたのはジャンガリアンハムスターという小動物に酷似した生物だった。

ウルウルと輝く円らな黒い瞳、銀というよりスノーホワイトのフワフワの毛並み、短い手足と愛くるしいまん丸い体。

羆のように巨大ではあるが、それは何処からどう見てもハムスターでしかなかった。

 

「嘘だ……なんで、こんなところに!?」

 

この緊迫した状況で愛くるしい外見のジャンガリアンハムスターが出てくるなんて予想できる人間はいるまい。

その馬鹿げたサイズと合わせて嘘だと言いたくなるのは仕方のない事だ。

モモンは困惑するンフィーレアに大いに同情した。

 

モモンは大声で威嚇しようかと考えた。

偶然気の立っているハムスターが襲い掛かってきただけで、脅せば逃げ帰ってくれるかもしれないからだ。

 

なにせこれから伝説と謳われる大魔獣との戦闘が控えている。

英雄らしい戦いをし、戦士モモンの名を広めるための大舞台である。

その大事な舞台にハムスターの出る幕はない。

厳しい姿の強大な魔獣との、火花散り血が吹きすさぶ決闘こそがお似合いなのだ。

――なのに。

 

「……」

 

モモンは視線を横へ僅かにずらした。

その視界には鱗に覆われた長い尻尾がくねっている。

モモンの攻撃によって出来た傷が生々しく残っていた。

 

今度は逆方向にずらす。

なんということだろうか。

違ってくれというモモンの願いも空しく、尻尾はハムスターの尻に繋がっていたのである。

それはつまり、先ほどまでの攻防を行い敵として不足なしと認めた相手がこのハムスターであるという事を示していた。

 

「森の賢王!」

 

そしてとどめはそれだった。

……今、ンフィーレアはなんと言ったのか?

森の賢王、森の賢王と言ったのか!?これを森の賢王と認識してしまうのかお前は!?

変な尻尾とそのサイズを除いては愛くるしい外見のハムスターを、切羽詰った声で森の賢王と呼ぶンフィーレアはちょっとおかしいのではないだろうか?

そう思ってチラリと後ろを確認してみれば、ンフィーレアどころか漆黒の剣達までもが、かつてカルネ村で初めて出会った兵士達のような表情で震えていた。

それをみたモモンは自分の真の姿が、神器(ゴッズ)級装備に身を固めた死の支配者(オーバーロード)の姿が、ハムスターと同等の恐怖を人々に与えると知って危うく膝を折りそうになる。

ハムスターと同格って……。

何度も反芻されるその言葉は、ロールプレイを重視しロマンを詰め込んで作り上げた姿(キャラクター)に対するプライドを著しく傷つけていた。

 

(ハムスターを好敵手と思ってたのか俺は……いや、同格だもんな。こんな俺にはお似合いか)

 

自分とハムスターの間に巨大な等号が浮かぶのを幻視し自嘲するモモン。

見る見るうちに戦意と盛り上がりが萎えていく中で、クーゲルシュライバーからのテレパシーが入った。

 

『あー、モモンガさん?テレパシーで受信できちゃうぐらいショック受けているところアレなんですが、やる気出してもらえませんか?なんか人間達の反応みるとあのハムスターは言い伝えどおりの大魔獣って扱いみたいですよ』

 

 その言葉にモモンはもう一度背後を窺う。

皆悲壮な覚悟を決めているようで顔が青い。

特に急な方向変換のせいで抉れた地面に車輪が嵌ってしまったンフィーレアと、これからどうすべきか思案しているらしきペテルの顔色が悪い。

自分に集まる視線も感じる。それは縋るような、期待するような、窮地に追い込まれた者がする眼差しだ。

 

『文化の違いですかね?彼らにはハムスターが化け物に見えてるみたいですよ。なんか納得できませんけど、名声を高める相手としては申し分ないのではないかと』

 

だからやる気をだして演技を続けてください。

そんなクーゲルシュライバーの言葉には間違いはないのだろう。

異なる感性を持つ彼らにとってこれから始まる戦闘は「偉大な戦士対伝説の大魔獣」そのものであり、今現在モモンが感じているようなギャグやジョークの気配など微塵もない、シリアス一辺倒の真剣勝負に他ならないのだ。

だからといって一度失われたやる気を取り戻すのは難しい。

どれだけ奮い起こそうとしても、敵であるハムスターの姿を視界に入れれば脱力は免れないのだから。

 

動物虐待。

そんな言葉が脳裏に浮かんでは、モモンから戦意というものを削いでいく。

そんな時に背後から声が掛かった。

緊張に震えるペテルの声だ。

 

「モモンさん。私達の仕事はンフィーレアさんの護衛です。彼の無事がなによりも優先されます」

 

そう言うペテルはなんとも気まずそうな、申し訳なさそうな態度だ。

それを感じ取ったモモンは、ペテルがなにを言いたいのかをおぼろげながら理解した。

好青年然した彼がここまで言い難そうにしているのだから、此方にとって負担になるような話に違いないだろう。

 

「それで?」

「うっ……、ンフィーレアさんにはエ・ランテルまで逃げてもらいます。夜には到着できる距離ですから……ただ、一人で行かせる事は出来ません。道中の護衛は絶対に必要ですので。そ、それで、だから、あの、モモンさんには……」

 

顔中にかいた汗を拭う事もなく必死に言葉を紡ぐペテルの様子に、モモンは罪悪感に揺れる彼の心境を垣間見た。

だから、彼の望む言葉を口にする。彼の考えを拒否する前提でだ。

 

「私はあのハム……森の賢王の相手をしますよ」

「よろしいのですか!?」

「いいですとも。この場であれを抑えられる可能性があるのは私だけですから」

 

喜びよりも純粋な驚きに染まっているペテルの声に、モモンはこの若者の心根の良さを再確認する。

ペテルの提案は、逃げるンフィーレアを護衛する部隊と、追撃を阻止するため森の賢王と対峙する部隊の二つに分かれようというものだ。

手に負えない敵が出た時の対処法としては悪くない策と言える。

 

森の賢王と対峙する役をモモンに希望するのも、漆黒の剣では時間稼ぎも出来ず全滅するのが確実だからこその合理的な判断だ。

道中に出没するであろうゴブリンやオーガが相手ならば漆黒の剣でも対処可能であり、ンフィーレアの護衛として十分な働きが期待できる。

正に適材適所であり、助かる命が最も多い作戦である。

 

ペテルが言い辛そうだったのは、この作戦だと追撃を阻止する為に残る人員がほぼ確実に死亡する事になるからだろう。

多くを助けるためとは言え、その犠牲になって欲しいと他人に頼むのは心苦しかったに違いない。

しかし実際のところ、モモンが森の賢王と対峙する以上敗北は存在しないのだから、その苦悩は全くの無駄だったと言うしかない。

 

(勝てるかどうかの確認を本人にする前にコレとはな。どうやら先ほどの活躍ではまったく足りなかったらしい)

 

自分が森の賢王に負けると思われる程度の評価しか受けていないことを悟り、モモンはさらなる評価を得る必要を強く感じた。

 

「では……」

「しかし!」

 

仲間達に撤退の指示を出そうとしたペテルは、モモンの鋭い声に肩を跳ね上げた。

 

「部隊を二つに分けるのは反対です。この場にて全員で戦いましょう」

「なっ、何故!?」

「ルクルットさんが接近を察知してから到着するまでの時間が早すぎます。通さないよう努力しますが、万が一敵が私を迂回してンフィーレアさんの方へ向かった場合、全滅は免れません。敵の速力を考えると、距離が離れていればいるだけカバーに向かうのが困難なのです」

「ですが森の賢王には先ほどのゴブリン達のように精神異常の様子が見られます。迂回などしないのでは?」

「さっきの連中とは違う状態の可能性もあります。それに敵は最初にニニャさんを攻撃しました。あの時ニニャさんの後ろには誰が居ましたか?」

「……ンフィーレアさん!」

「そうです。あの攻撃は直線状の攻撃範囲を持っているようですから、奴の狙いは最初からンフィーレアさんだという事も考えられるのですよ」

 

モモンの冷静な観察力と思考にペテルは舌を巻いた。

 不可解にも此方に会話をするだけの時間を与えてくれてはいるが、依然として圧倒的な威圧感を放っている森の賢王を前にして、冷静沈着な態度を崩さないモモンの胆力はどれ程称賛しても足りないほどだ。

しかしモモンの提案には大きな問題がある。

それは、勝てなければ結局皆殺しになるという点だ。

だがこの英雄の風格を持つ男がこの策を選んだ以上、あの恐るべき魔獣の姿を見ては信じがたいことではあるが、つまりはそういうことなのだろう。

最早ペテルは英雄に向ける眼差しそのものでモモンを仰ぎ見た。

 

「モモンさん、勝算は?」

「勿論、必勝です。全員で力を合わせれば、ね」

「……わかりました!」

 

明朗快活なペテルの返事に、モモンは自らの企みが成功した事に喜んでいた。

一人で戦ったとしても絶対に負けることのないモモンとしては、問題なのは部隊を分けることによって活躍を語り継ぐための観客が居なくなってしまう事一つだけだ。

必死に頭を使いそれっぽい理由を並べた努力が実って、ついに演技の舞台は整ったのである。

 

「さて、待たせたな森の賢王よ。いざ尋常に、勝負といこうじゃないか」

 

あれは大魔獣、あれは大魔獣……。

ハムスター相手にかっこつけている漆黒の戦士の図を想像してはいけない。

そう言い聞かせて視覚にフィルターをかけながら、あらかじめ考えておいたキメ台詞を言い放つ。

それと同時に、ピクピクと痙攣する体を奇妙に捩りながら此方に敵意を向けていた森の賢王が、その巨大な体を躍動させながら襲い掛かってきた。

 

あとはどれだけ見栄え良く倒すかだ。

ナーベやミュールの魔法で即殺しないように上手く立ち回らねば。

 

モモンは唸りをあげ迫り来る爪に狙いを定め、剣を振り下ろした。

 

 

 

■■■

 

 

 

「ここで森の賢王を討つ!モモンさんを援護するんだ!」

 

戦いの幕が切って落とされたのと同時に響き渡ったペテルの声に、各チームのリーダー同士のやり取りを緊張の面持ちで伺っていたルクルット、ダイン、ニニャの三人がかすかに笑みを浮かべてから各々気炎を上げた。

 

「伝説が相手かよ!とんだ依頼だなおい!」

「しかしやるしかないのである!」

「モモンさんは勝てると言いました!あの人を信じましょう!」

 

仲間達の声に強大な脅威に立ち向かう戦意が十分に満ちている事を確認すると、ペテルは自分達で出来る援護とは何かを考える。

すでに衝突し、目視すら怪しい速度での攻防を繰り広げているモモンと森の賢王に、近接武器での支援を行おうとするのは自殺行為だ。

したがって剣による攻撃手段しか持たない自分はほぼ無力である。

だが、何も出来ないわけではない。

 

「ニニャ、私に防御魔法を!ダインは何時でも《植物の絡みつき/トワイン・プラント》を発動できる状態で待機!発動のタイミングは私が言う!ルクルットは側面から弓で攻撃!可能な限り眼を狙え!すこしでも敵の動きを邪魔するんだ!」

「《鎧強化/リーインフォース・アーマー》!」

「あんな動き回ってる奴の目玉狙えとかひでぇリーダーだぜ!」

 

ルクルットが森の賢王の側面を取るべく走り出す。

ニニャからの支援魔法を受けたペテルもルクルットを追って走る。

 

モモンの背後は彼が健在である限り安全圏と言って差し支えないが、側面ともなれば話は別だ。

森の賢王が持つ長大な尻尾による攻撃が、何時飛んできてもおかしくないのである。

まともに受ければ死は免れない攻撃からルクルットを守れるのは、二人居る戦士の片割れである自分しかいない。

剣と盾を防御に使用し、超高速で襲い掛かってくる尾に対して武技<要塞>を起動できたとしても自分が無傷で受け切れるかは怪しい。

しかしやるしかないのである。

己の負傷と引き換えに仲間を守る事こそ戦士の誉れだ。

 

「って!」

 

ルクルットの狙い済ました一射が森の賢王へと迫るが、それは眼球に命中せず、毛皮によって弾かれ地に落ちてしまった。

しかし眼に当たらずとも、眼球目掛けて飛来する物に対する防衛反応で、瞼が閉じられるだけでも援護としては十分な効果がある。

接近戦において突発的に視界が狭まるのは相当な不利なのだ。

現に、その隙を突いたモモンによる一撃が森の賢王の強固な防御を掻い潜り、白銀の体毛に朱色を差した。

 

いけるぞ!

手傷を負った大魔獣の姿に希望が膨らむ。

それは仲間達も同じだったようで、彼方此方で歓喜の声が上がった。

その声を聞いた次の瞬間、ペテルの耳はほんの僅かな風きり音を捉えた。

 

「あぁぁっ!」

 

パン!

反射的に武技《要塞》を起動した瞬間、甲高い破裂音が周囲に響く。

気がつけばペテルは剣も盾も投げ出して地面に倒れこんでいた。

ハンマーによって全身の骨を打ち砕かれたかのような激痛。

混濁する意識で立ち上がろうとするも、体はピクリとも動かなかった。

 

「《ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒》」

「うっ、うぐっ!?」

 

このまま死ぬのだろうか?ルクルットは無事なのか?

薄れ行く激痛を感じながら横たわっていたペテルは、急に鮮明になった痛みに眼を白黒させた。

 

「《ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒》」

 

この声はミュールのものだ。

全身の痛みが嘘のように消えていく。

それにしたがって霧が晴れるように明らかになっていく意識。

自分がついさっき死に掛けたことを理解すると、ペテルは最も手近にあった盾を手に取りわき目も振らずにモモンの後ろへと走った。

 

「ありがとうミュールさん!下れルクルット!早く!」

「わあってるよ!」

 

最後の矢を撃ち終えたルクルットが追いついてきて、腕を掴んで引っ張ってくれている。

転がり込むようにモモンという壁を挟んで森の賢王の正面に移動した二人は息も荒く悪態をついた。

 

「一発で死に掛けてんじゃねぇよ!生きた心地がしなかったぞこんにゃろう!」

「守られといてそれはないだろう!?そもそもあんな攻撃されて死に掛けない奴なんていない!」

「モモンの旦那がいるだろうが!」

「あの人は特別なんだよ!同じ戦士だからって一緒にしないでくれ!」

 

怒鳴りあいながらも体勢を立て直し戦況を見てみれば、モモンはたった一人で森の賢王の攻撃に耐えている。

敵の攻撃は激化の一途を辿っており、モモンは剣捌きのみでなく、目まぐるしく移動することで戦線を維持している。

 

ンフィーレアのいる馬車の近くに控えるナーベとミュールを見れば、二人とも鋭い眼差しで森の賢王を見つめてはいるが攻撃魔法を撃とうとはしていない。

それも仕方のない事だ。こうも激しく動かれていては、標的が巨大であろうとも誤射を恐れて迂闊には魔法は使えない。

廻り込んで撃とうとしても先ほどの自分の如く、大地に転がされるのが関の山だ。

目視することはできなかったが、尾による一撃があの攻撃の正体だろう。

酷く歪んでしまった盾と、幾重にも巻かれた皮が弾け飛んでしまった帯鎧(バンデッド・アーマー)が自身の受けた攻撃の凄まじさを如実に物語っている。

伸び縮みし、長大な射程をもつアレを魔法詠唱者が受ければ即死は間違いあるまい。

 

結局のところ、この戦闘の勝敗は全てモモンに掛かっているのだ。

 

周りに居るものは戦闘に関与できず、ただひたすらモモンの勝利を祈るだけ。

押し寄せる無力感がペテルにそう思わせる。

しかし――

 

「いや、違う。それは違う」

 

先ほどのルクルットによる攻撃はモモンに森の賢王の防御を突破する隙を生んだ。

あれは紛れも無く、効果的な援護だったはずだ。

 

モモンは全員で力を合わせれば必勝であると言った。

逆に言えば、力を合わせなければ必勝というわけにはいかない相手なのだ。

モモンには自分達の力が、援護が必要なのである。

へこたれている暇などないのだ。

 

「オオォッ!」

 

裂帛の気合と共にモモンが剣を大きく振りかぶる。

渾身の力を込めた一撃を繰り出そうというのだろう。

そしてペテルの予想通り、振りかぶられた剣は足の踏み込みと腰の捻りを込められ目視不可能な速度で奔り出した。

 

「ギィィィィ!」

 

森の賢王が恐ろしい声で吼えた。

そう思った瞬間、耳をつんざく金属音と《火球/ファイヤーボール》の魔法と見間違うような巨大な火花が散ってモモンの体勢が大きく崩れた。

渾身の一撃を弾かれたのだ!

 

「ダイン今だ!」

「《植物の絡みつき/トワイン・プラント》!」

 

地面から生えた植物が、体勢の崩れたモモンに致命的な追撃をかけようとしていた森の賢王の足を絡め取った。

だがダインのドルイド魔法による拘束は、ほんの僅かな効果しか発揮しなかった。

ブチブチと蔓を引きちぎる音と共に森の賢王は攻撃を続行する。

しかし、その僅かな抵抗がモモンの防御を間に合わせた。

 

「……皆さん、援護感謝します」

 

激戦の最中、モモンの発した感謝の言葉に胸が熱くなる。

紛れも無く英雄級の力を持つ偉大な戦士と、自分達は一緒に戦えている。

その実感がどうしようもなく気分を昂ぶらせていた。

どうやらそれは仲間達も同じようで、ニニャなどは露骨に顔を紅潮させていた。

 

モモンは防御を成功させると即座に体勢を整えた。

そこからのモモンの攻勢はまさに熾烈の一言であり、剣をどういう風に振るっているのかもペテルには分からない有様だった。

だが、時間と共に森の賢王の毛皮は着実に赤く染まっていく。

対するモモンの鎧には傷一つない。

モモンが伝説の大魔獣を圧倒しているのだ!

 

「これで、決める!」

 

その言葉と共に真紅のマントが舞いあがる怪鳥の翼の如く広がった。

そして剣が振り抜かれると、森の賢王の巨体が鮮血を撒き散らしながらまるで鞠のように吹き飛ばされた。

モモンとの距離が離れたこの好機を逃すわけにはいかない。

 

「ニニャ、撃てぇ!」

「喰らえ!《魔法の矢/マジック・アロー》!」

 

二本の光の矢が吹き飛ばされてもがく森の賢王に突き刺さる。

ヂュウ、という苦悶の声が上がった。

普通の矢は毛皮に防がれても、魔法の矢は効果があるらしい。

どうやら森の賢王の弱点は、魔法のようだ。

 

「撃ちまくれ!」

「《魔法の矢/マジック・アロー》!《魔法の矢/マジック・アロー》!《魔法の矢/マジック・アロー》!はぁ、はぁ、《魔法の矢/マジック・アロー》!」

「……あー。ナーベ、ミュール、撃て」

 

次々と放たれるニニャの魔法に続くようにナーベとミュールの第三位階魔法が発動する。

迸る雷撃と緑色の怪光線がバチバチと音を立てながら直撃すると、森の賢王の赤く染まった毛皮が血の湯気と共に逆立った。

 

「アバババババー!」

 

獣の鳴き声というより、人間の悲鳴に似た叫びを上げて森の賢王は沈黙した。

どう、という音を立て地面に倒れこみ、時折痙攣するかのように足が引きつらせている。

どうやらまだ生きているようだが、死にかけの蟲のようにも見えるその姿からはもはや脅威を感じられなかった。

 

「……勝った、のか?」

 

目の前の光景が信じられなくて、ペテルの口からそんな疑問が零れ落ちた。

だって、自分達はただの銀級冒険者で、敵は圧倒的強者の伝説的魔獣で、それなのにこうして無事に立っていられるわけで。

現実を飲み込めず、呆然と立ち尽くすペテルにモモンが答えた。

 

「あれほどの傷を負ってはもう動けないでしょう。私達の勝利です」

 

私達の勝利。

そうか、私達は誰一人として欠ける事無く、森の賢王に勝利したのか。

……。

 

「勝った?勝った、勝ったのか……うおおおおおおお!?」

「うおおおおおお!すげぇ!すげぇよ!俺達森の賢王を倒しちまった!」

「伝説の魔獣を私達で……まるで、夢みたい……!」

「しっかりするのであるニニャ!これは現実である!勝ったのである!」

 

仲間の誰もが歓喜に打ち震えている。

事態を震えながら見守っていたンフィーレアも、口元に笑みを浮かべて安堵に胸を撫で下ろしていた。

普段は冷静なナーベでさえ、ミュールと一緒になってモモンの戦いぶりを熱心に褒め称えている。

この場で冷静なのは、最も華々しく活躍したモモン一人だけであり、その普段どおりの姿がペテルには気に食わなかった。

それは仲間達も同じだったようで、アイコンタクト一つでモモンに向かって走りだした。

 

「モモンさん!」

「モモンの旦那!」

「モモン氏!」

「モモンさん!」

「え、あ?なに?なんですか皆さん?」

 

突然詰め寄られたモモンは戸惑いながら首を左右にせわしなく動かしていた。

そんな仕草が、先ほどまでの戦い振りと比べると余りにも愛嬌がありすぎて、ペテルは益々この男が好きになってしまった。

 

「みんな!やれー!」

 

おー!

息の合った掛け声と共に、重装備のモモンが宙に舞った。

胴上げである。

気を抜けば腰を痛めそうな重量だったが、歯を食いしばり仲間と力を合わせて偉大なる戦士を天に押し上げる。

大した高度にはならないが、何度も、何度も。

 

「うおっ!?ちょ、ちょっと待ってください!おおおおお?」

 

トブの大森林間近の草原に、困惑するモモンの声が天高く響いていった。

 

 

……胴上げの途中、ナーベの視線がかつてない冷たさを宿していた事に気付いたペテルは、勝利の熱狂も忘れるほどの恐怖を味わった。

そんなナーベを無言でたしなめてくれたミュールには後で礼を言わねばならない。

ペテルはそう胸に刻むのだった。

 

 

 

■■■

 

 

 

さてどうするか。

胴上げも終わり、モモンはピクピクと痙攣を繰り返す森の賢王を眺めて思案する。

森の賢王を殺すか、殺さないかについてだ。

 

モモンは戦闘中、森の賢王を殺すつもりだった。

「これで、決める!」とキメ台詞を吐いての一撃で、華麗に止めを刺すつもりだったのだ。

それをどういうことか、深手を与えたもののしくじってしまった。

 間髪容れずにペテルの号令によってニニャが魔法による攻撃を始めてしまい、ここでナーベとミュールが攻撃しないのは不自然すぎると判断。

最も重要なとどめのシーンを我が物に出来ないという悔しさを堪えながら、断腸の思いで二人に攻撃命令を出したのだった。

勿論モモンはこの時に、森の賢王が死ぬことを覚悟していた。

 

(それでも生きているとか中々丈夫な奴だなコイツ)

 

幸運のハムスターか……。

そんな名前が浮かぶ程度には、二度も死線を潜り抜けたハムスターにモモンはある種の価値を見出していた。

しかし名声を高めるという当初の目的を思い出せば、殺して毛皮なり骨なりを持ち帰ったほうがいいのではないかという気もする。

殺さずに使役するというのも名声を得るには良いかもしれないが、アウラのようなビーストテイマーの職業(クラス)を持っていない自分にそれが出来るとは思えない。

魔法が使えるならば話は別なのだが、今の状態では一切の魔法が使用不可能だ。

 

やはり、殺すか。

 

モモンがそう思った時、ンフィーレアが控えめな声で話しかけてきた。

 

「あの、森の賢王を殺してしまうのですか?」

「ん?」

 

 まるで殺さないで欲しいと言うようなンフィーレアの物言いにモモンは首を傾げた。

そんなモモンの仕草をどう勘違いしたのか、ンフィーレアは身を縮めながらも話を続ける。

 

「護衛中に襲ってきたモンスターを討伐して得られた物は冒険者の皆さんの取り分です。そういう契約ですから……でも、森の賢王を殺してしまうと、その縄張りによって平穏を保っていた村がモンスターに襲われる事になるかもしれないんです」

 

そういえばそんな話もあったなとモモンは納得する。

ンフィーレアの言う村というのは、一行が補給を行う予定のカルネ村の事である。

定期的に薬草採集の為にカルネ村を訪れるンフィーレアにとっては、モンスターによって壊滅するような事があっては困るのだろう。

いや、それ以前に同じ人間種の村なのだから、同族意識的に危険を招くようなことは避けたいのかもしれない。

 

しかし、そんなンフィーレアの事情はモモンには関係ない。

この任務の後に誘拐される運命であるンフィーレアには補給地点の存亡など関係ない話であるし、同族を助けたいという気持ちも人外であるモモンにとっては同情に値しない。

そして何よりも、ンフィーレアは知る由もないが、カルネ村は現在クーゲルシュライバーの影響下にあるためモンスターの襲撃などまるで問題としないのである。

森の賢王が生きていようがいまいが、カルネ村の安全は揺るがないのだ。

 

(ネムを守るという約束の為に村全体を保護しかねない過保護っぷりだからなぁ。襲撃でもあったら直接乗り込むぐらいはしそうだ)

 

モモンはあの茶髪の少女にかけるクーゲルシュライバーの情けの深さを知っている。

アルベドやミュールの一件を経験した今となっては不可解ではあるが、もしも何者かに襲われあの娘が悲しむ事があったりしたらカルネ村に邪神が降臨するのは確実だ。

 

その後始末の事を考えると、森の賢王に今までどおり防壁になってもらうのも悪くないようにも思えるが……。

アレコレと考えてみるものの、モモンはすぐにその思考を打ち切った。

ンフィーレアに対するモモンの答えは最初から決まっていたのである。

 

「分かりました。森の賢王を殺すのはやめましょう」

 

殺さない。

名声を高めるため苦労したモモンにはそれしか選びようがないのだ。

 

この会話の流れで森の賢王を殺したら、戦士モモンは自らの手柄を誇るために村一つの安寧を犠牲にしたと見られるに違いない。

誘拐が決定しているンフィーレアはさして問題にならないが、エ・ランテルに帰って名声を広めてもらわねばならない漆黒の剣達のモモンに対する評価が落ちるのは問題だ。

ここは激闘の末に森の賢王を打ち倒すも、己の名声よりも村民の安全を優先した高潔な人物という演技するべきだろう。

 

「漆黒の剣の皆さんもそれでよろしいですか?」

「私達はただ手伝いをしただけに過ぎません。一番の功労者であるモモンさんの決定に口を挟むことはしませんよ」

「ありがとうございます。と、いうわけですンフィーレアさん。これでよろしいでしょうか?」

 

期待通り尊敬の眼差しを向けてくる漆黒の剣達に背を向けてンフィーレアを見れば、少年は頬を上気させて頭を縦に振った。

 

「はい!僕のわがままを聞いてくれて本当にありがとうございます!このご恩は必ずお返しします!」

「あぁ、いえ、御気になさらず」

 

誘拐して人生そのものを奪い取る予定なのだから、恩を返すと言われても……。

 

そんな内心を一切外に出さず、興奮するンフィーレアを軽くあしらったモモンは森の賢王を観察する。

さっきよりも毛皮の赤が広がっており、痙攣も疎らになっている。

恐らくはHPが一割以下になっているのだろう。

所謂「瀕死」状態だ。

殺さないでただ放置しておいては、他のモンスターによって殺されてしまいそうな程に森の賢王は弱りきっていた。

 

「このままではいずれ死ぬ。ミュール、こいつに回復魔法を。最低ランクのもので構わない」

「わかりました」

 

先ほどまで戦っていた相手を回復させて大丈夫なのかと問う視線に対して、モモンは二本の大剣を構えることで答えた。

それで納得したのだろう。

漆黒の剣とンフィーレアは念の為に距離を取り、武器を取り出し事態を静観する構えをとった。

 

「ではやります。《ライト・ヒーリング/軽傷治癒》」

 

ミュールの短杖が暖かな光を発する。

そして、それを受けた森の賢王が僅かに身じろぎをした。

 

「森の賢王よ。お前がその名に相応しい知性を持つのなら私の声に答えてみせろ」

 

モモンは高圧的な態度で森の賢王へと話しかける。

 瀕死とは言えHPが残っている状態にも拘らず攻撃を続行してこなかった事から、アウラのかけた精神異常がすでに解除されていると判断しての行動だった。

 

「うぐぐ……そ、それがしを打ち倒すとは、お見事でござる」

「おおっ!しゃ、喋ったぞ!」

 

驚くルクルットの姿にモモンは小首をかしげる。

知能の低い亜人のゴブリンですら人語を解するというのに、賢王とも称される魔獣が喋るのはそんなにおかしい事なのだろうか?

もしかすると亜人が喋るのは当たり前で、魔獣は喋らないのが普通なのだろうか。

冷静に考えてみれば、人間と喉の構造が全く異なる魔獣に人語を喋れというのは無茶な話かもしれない。

しかし、そうすると喉もへったくれもない自分が喋れているのは一体どういうことなのだろう?

 

(まぁいいか。それにしても、それがし?ござるぅ?妙に時代劇めいた言葉遣いだが……翻訳のせいか?)

 

まぁ言葉が通じるのなら問題はない。

予想通り精神異常は解除されており、職業(クラス)によらず会話での交渉が可能とは実に好都合だ。

モモンはうつぶせに倒れる森の賢王の鼻先に扇状の剣先を突きつけた。

 

「自らの置かれた状況と力の差は理解しているな?」

「……抵抗は無意味でござるな。もっとも、抵抗する体力も気力もないでござるが」

「ほう?では全面降伏というわけだな?」

「そうする他ないでござろう?さぁ、やるが良いでござる!」

 

森の賢王は観念して仰向けに転がった。

モコモコの毛に覆われた柔らかそうな腹部がモモンの前に差し出された。

 

「……結局仲間とは一度も出会えなかったでござる。子孫も残せずこの世を去るとは、それがしは生物失格でござる。でも、無念だがしかたがないでござるなぁ」

「むぅ……」

 

円らな黒い瞳を涙でウルウルさせ、森の賢王はプルプルと小刻みに震える。

逃れえぬ運命を恐怖しながらも待っている状態だ。

その姿と言葉が如何にも哀れで、モモンの罪悪感と同情を誘った。

特に仲間と一度も出会えなかったという言葉が心に響く。

こいつも長く孤独だったのか。

そう思うと、モモンはほんの少しだけ声をやわらげて森の賢王に語りかけた。

 

「お前が私に服従し、なんでも言う事を聞くというのであればその命を助けてやろうじゃないか」

「えっ?それがしを殺さないのでござるか?」

「服従するならば、だ」

「ふ、服従するでござるよ!200年も生きて一度も同族に会えないまま終わるなんて寂しすぎるでござる!」

「その言葉、絶対だな?」

「絶対でござる!この森の賢王、命の恩は忘れないでござる!これより漆黒の戦士殿に服従し、如何なる命令にも従う所存!だから助けて欲しいでござるよ……」

「いいだろう。ミュール」

 

《ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒》

ミュールの魔法によって森の賢王は全回復とは行かなくとも、自由に動き回れる程度に回復した。

より高位の回復魔法を使って全回復させることも出来るのだが、それをしないのは第三位階魔法の呪いを使用できる上に、回復魔法まで同じ位階で使えるとなると悪目立ちが過ぎるからだ。

《ミドル・キュアウーンズ/中傷治癒》を数回使用して全快させるの手も、使用魔力の合計的になにかと騒がれそうなのであえて行われなかった。

 

「体の調子はどうだ?」

「おお、体が動くでござる!かたじけのうござる、かたじけのうござる!」

 

血に染まっていた毛皮が元の白さを取り戻すと、森の賢王は身を起こしてモモンに対ししきりに頭を下げた。

続けて己を癒してくれた黒い魔法詠唱者に同様に頭を下げる。

しかし礼を受けたミュールは口元に笑みを浮かべながらも、居心地悪そうに体を揺らした。

 

「ええと、それがあなたの最敬礼だとは思うのですが私には不要ですよ。至上の敬意はモモンさんにだけ向けてください」

「むむ?されど実際にそれがしの傷を癒してくれた相手にそれは、森の賢王の名が泣くというものでござ……」

「いいから。大体、モモンさんがあなたを生かすと言わなければ私は何もしませんでした。だからあなたが最も感謝すべきはモモンさん一人なのです」

 

森の賢王の発言を途中で遮ってのミュールの主張は、彼女らしくない焦りが含まれていた。

そんなミュールの事をナーベが同情的な視線で見ているのに気付いたモモンは、あぁやっぱりミュールもナザリックのNPCなんだなと静かにため息をついた。

 

(そこまでして俺を立てなくてもいいんだけどなぁ。そういうので怒ったりしないのに)

 

そうは思うものの、NPC達のこういった性質を変えるのは不可能なのではないかとも思われた。

NPC達と暮らしてもう九日。

こうして身分を隠しての冒険中に、あまり不自然になったりしない限りは一々注意するのは止めようと諦めムードになる程度には、NPC達の向ける敬意と忠誠について学んだモモンだった。

 

「さて、元気になったところでお前に命ずる」

「はっ!何なりとご命令くだされ、殿!」

「殿ぉ?これまた大仰な……」

「大仰などではござらん!絶対服従の相手とは主君も同然ではござらぬか!」

「……左様か。まぁいい、ではお前はこれから自分の縄張りに戻り今までどおり暮らしていろ。それが命令だ」

「えっ?それだけでござるか?」

 

森の賢王はまんまるの目を更に丸くして問う。

眼の見開きすぎで多少白目が見えているのが少し気持ち悪い。

 

「それだけだ。強いて言うなら、後日私達は薬草を取りにお前の縄張りに向かう。その時に薬草集めの手伝いをしてもらいたい程度か」

「……それは勿論かまわぬのでござるが、本当にそれだけでいいのでござるか?それがし、殿には敗れましたが強さと容姿には自信があるでござるよ?」

「本当にそれだけなんだが、なにか不服か?」

「いや、そうではござらぬが……」

 

小さな耳をペタンと折って体を丸くするその姿は、全身で落ち込んでいる雰囲気を発している。

しかしながら、森の賢王を縄張りから引き離す事が出来ない以上は、本当に要求はそれだけなのでどうしようもない。

話は終わりだとばかりにモモンは踵を返す。

 一歩ずつ遠ざかっていくモモンの背中を悲しそうな瞳で見つめる森の賢王。

そんな大魔獣に、事態を静かに見守っていたンフィーレアが声をかけた。

 

「あ、あの森の賢王!一つお聞きしたいのですが」

「なんでござるか?」

「なぜあなたは僕達に襲いかかってきたんですか?」

 

ンフィーレアのその質問に、モモンは内心で舌打ちした。

アウラのやることだから、気づかれることなく事を済ませているはずだが万が一がある。

なにか此方に繋がるような発言が飛び出してきやしないかと、モモンは気を揉んだ。

 

「うーむ……。実はそれがしにもわからんのでござるよ。巣で眠っていたはずなのでござるが、急に頭が怒りに染まって、気がつくとおぬし達と戦っていたのでござる」

「そうだったんですか……」

 

納得の言葉を口にするンフィーレアの顔色は悪い。

話を聞いていた漆黒の剣達も深刻そうな表情で次々に口を開いた。

 

「これはやはり、何者かが精神に作用するなんらかの手段を用いて森の賢王をけしかけてきたとしか思えないな」

「まぁ十中八九、あのゴブリン共を狂わせたのと同一犯だろうよ」

「単独か、それとも複数か。いずれにしても並大抵の人物ではないであるな」

「ええ。使ったのが魔法にしろアイテムにしろ、ゴブリン達のみならず森の賢王にまで精神異常を付与できるなんて、並の技量ではありませんよ。モモンさんもそう思うでしょう?」

「……ええ。私も同意見です」

 

唐突に話を振られたモモンは努めて冷静に、内心の安堵を悟らせないように答えた。

下手人が何者かが判明していない以上、事件を迷宮入りさせる事は容易だ。

自作自演のマッチポンプがばれる事はまずないだろう。

むしろ、この状態で問題になるのは……。

 

「ンフィーレアさん。断定は出来ませんが、どうやら私達は何者かに狙われているようです。このまま進めば更なる襲撃があるかも知れません」

「はい……」

「相手は森の賢王すら手駒にするような手練です。安全の為にここでエ・ランテルに引き返すのも選択肢の一つだとは思うのですが、如何でしょう?」

 

モモンが恐れていた事が現実となった。

名声を得るのを急ぎすぎたのだ。

 立て続けに危険な目に遭えば、いくらモモン達という優秀な戦力があるとはいえ身の安全の為に引き返すという選択肢が出てくるのは当然だ。

 

ここでンフィーレアが引き返すと言えば、モモンとしてもその判断に反するのは難しい。

なんとかしなければならない。

モモンは必死に考えた。

 

「ペテルさんの仰る事ももっともですが、それは敵の思う壺かも知れませんよ?」

「えっ?」

 

どうするべきか悩んでいたンフィーレアが勢いよくモモンに視線を向けた。

英雄級の実力を持つ人物の発言に、視線が次々に集まっていく。

その視線を感じるたびに緊張は跳ね上がり大きな重圧となるのだが、それを微塵も悟らせぬ堂々とした態度でモモンは説明をはじめた。

 

「まず、敵の目標はンフィーレアさんを害する事、もしくは薬草収集の妨害でしょう。どちらにせよンフィーレアさんのお店に対して大きな損害となるでしょう」

 

材料である薬草が仕入れられなくなればポーションは作れない。

そして薬師であるンフィーレアが負傷ないし死亡すればその損害は言うまでもない。

 

「聞けばンフィーレアさんのお店はエ・ランテル最高の薬屋との事。この襲撃はエ・ランテル最高の薬屋というネームバリューを狙う同業者による営業妨害の線が濃厚と言えるでしょう」

「そ、そんな。エ・ランテルのポーション職人の皆に、そんな事を考える人なんて……」

「本当に居ないと言い切れますか?職人と言っても商人です。売り上げを伸したい、名声を得たいという人物は必ずいます」

「……」

 

黙り込むンフィーレアを見てモモンは密かに笑う。

モモンの語った推理はンフィーレアの不安を煽るためのでまかせだ。

しかし、もしかしたら?という疑念を抱かせる事はできる。

そうして疑いの目を真実とは見当違いの方向へ向けさせることがモモンの狙いだった。

 

「まぁ。事件の黒幕に関しては今は気にしなくともよいでしょう。今はこれからどうするかが問題ですからね。襲撃が繰り返される中、安全に薬草を収穫しエ・ランテルへ戻るにはどうすればいいか?私に案があります」

「それは一体?」

「それは……森の賢王よ。1日か2日、縄張りを空けたとして、周囲のモンスター達に影響があると思うか?」

「それぐらいなら特に影響はないと思うでござる」

 

話を振られた森の賢王が鼻先を突き出して得意そうに答えた。

何処となく腹の立つ仕草ではあったが、モモンは満足そうに頷いてからンフィーレアを見つめた。

 

「敵が強大なら戦力を増やせばいいのですよ」

「そうか!森の賢王が仲間になれば百人力だ!」

「なるほど……モモンさんと森の賢王がいれば敵無しですね!」

 

ンフィーレアとペテルが興奮気味に声を上げた。

先の激戦の光景が瞼に焼きついている彼らは、肩をあわせ同じ方角を向くモモンと森の賢王の姿を想像して胸を熱くしていた。

 

「まさか敵も森の賢王が負けて、服従させられるなんて思いもしなかったでしょう。ンフィーレアさん、これならいけますよ!」

「はい。それじゃあエ・ランテルに引き返すのはやめて、予定通りに森へむかいましょう」

 

勝った!

拳を握り締め慎ましいガッツポーズを取ると、モモンは本日二度目の精神的勝利に酔いしれた。

これで疑いの目を向けられる事無く、依頼を続行することが出来る。

 

「そういうわけだ。さっきの命令は取り消す。私達に同行するのだ」

「わかったでござるよ殿!この森の賢王、殿と共に如何なる敵にも立ち向かう所存!」

 

鼻を引くつかせ長くツヤツヤとヒゲをピンと張った森の賢王。

モモンからしてみればハムスターが威張ってる微笑ましい姿にしか見えないが、ンフィーレアや漆黒の剣達にとってはそうではなかったらしく、皆一様に頼もしそうな眼を森の賢王に向けている。

 

「さあ、カルネ村に向かって出発しましょう!」

 

ンフィーレアの声にしたがって、八人と一匹になった一行はカルネ村へ向かって移動を再開した。

 




Q.なんで森の賢王は話が終わるまで待ってくれたの?
A.空気を読んだアウラによって体の自由を奪われてました。


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