ボクは仗助、 君、億泰   作:ふらんすぱん

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ささやかな願い、決まりきった運命、ひとりぼっちの勇気 後編

 海鳴の夜空、世界に亀裂が走り、轟音を上げ雷光と火炎が巻き起こる。

 亀裂の中から黄色と紫の光が飛び出した。

 守護騎士シグナムと、フェイトである。

 シグナムは辺りを見回し、自分がどこにいるのかを確認すると、すぐに闇の書を、主であるはやてを探す。

 暗雲立ち込める空を支配する王は、シグナムの遙か上空で、ただ赤き瞳から涙を流していた。

 彼女の動きを牽制していたのは、守護騎士達の魔力収集を妨害してきた魔導師だった。

 なのはとクロノは管制人格の周りを飛び交い、的を絞らせない。

 火力に圧倒的な差がある彼等は時間稼ぎをしているのだろう。

 シグナムは嫌な予感がした、刻限が来れば、最悪な結末を迎えるのではと。

 

「あっ、シグナム! 待ってください!」

 

 フェイトの制止の言葉を無視し、シグナムは彼等の争いの真ん中に踊り出る。

 

「待ってくれ! 筋違いなのは承知のうえで頼む! 主を助けて欲しい!」

 

 突然のシグナムの出現に彼等は驚いて動きを止めた。

 だが、すぐに己を取り戻し、なのははシグナムの方に飛んでくる。

 確かに争ってきた少女にとって自分は敵なのだろう、今更、言い訳のしようがない事実である。

 多少の傷みには耐えるつもりである。

 傷つき、それでもなお、主の笑顔のために、説得を諦めるつもりはない。

 だから、彼女の言葉には、不覚にも涙がこぼれてしまった。

 

「大丈夫です、私も、私達は彼女を助けるためにここに来て、戦っているんです。だから、あなたも一緒に彼女を救う方法を考えてください!」

 

 シグナムを追い越し、シールドを張って、闇の書からの攻撃を遮り守ってくれた少女は、力強い笑顔で、シグナムの心を肯定してくれたのだから。

 

 ●

 数的有利を確保したことによって、戦況はシグナム達が優位に立ったかにみえた。

 だが、黒い翼の王の御前にて闇の書のページが開かれる。

 光る文字からは言葉にするのも悍ましい肉の塊が次々と溢れていく。

 その中心にいたはずの管制人格すらも飲み込み、暴走した防衛プログラムは、巨大な多頭の蛇として顕現する。

 首の一つ一つが魔法を放ち、魔導師達を分散させていった。

 

『シグナムさん、その、闇の書の主さんを助ける方法思いつきましたか? ああ、もう頭を潰しても直ぐに元に戻っちゃう、これじゃあきりが無いよ!』

 

 桃色の閃光が空に弾ける。

 通信を介して皆、頭を悩ませるのだが、一向に名案は思い浮かばなかった。

 シグナムも炎剣で蛇の頭を切り落とすのだが、信じられないほどの速度で修復されてしまう。

 

『誰か、意見はないのか。出来ればアルカンシェルは使いたくない、いや絶対に使わせない!』

 

 決意に満ちたクロノの宣言に、仲間たちは強い同意を返すのだが、それ以上の言葉は出てこなかった。

 

 互いの戦力、魔力の削り合いになったのだが、防衛プログラムがその勢いを衰えさせることはなく、諦めの言葉を決して口にしないシグナムたちの表情にも陰りが見え始める。

 

『あの、守護騎士の方は初めまして、ユーノ・スクライアです。アースラで現地協力員をしています。って話があるのは僕じゃなくて。真、大丈夫、君、疲労で失神してたんじゃないか、無理はしないでね。その状態で念じれば皆に君の声は届くよ』

 

ユーノと名乗った少年の後に続き、またも同年代であろう男の子の声が響いた。

 

『すみません、代わりました、真です。そこにいる守護騎士の方とは初対面ですが、闇の書の主を助けたいのなら、今は俺を信じて、指示に従ってもらえますか?』

 

『真、何をやっている! 一般人は引っ込んでもらえないか! 今は作戦任務中だ。大体、艦長の許可はとっているのか』

 

 

 クロノの指摘はシグナムの耳には入ってこない。

 彼女は真の言葉を反芻し、嘘だったら許さないとの言外の響きを載せ尋ねた。

 

『――真とか言ったな、私は主を救うことが出来るのか?』 

 

 強い意思を秘めた言葉、だがその一方でシグナムの顔には縋りつくような弱さが見え隠れしていた。

 

『大丈夫です、絶対に彼女は貴方の下に帰ってきます。物語を知っている俺が断言するんです、間違いありません!』

 

 そんな簡単に安請け合いして良いものではないのだが、決定事項を伝えるような気楽さが彼の言葉にはあった。

 

 ――そうだ、決定事項なのだ。主を助ける以外にシグナムに選択肢はない。ならば主が救われることを事実として信じる他にない。

 

   

『わかった、私はお前の指示に従う。どうか主を救ってくれ!』

 

 ――今日はよく頼み事をする日だ、それも平時ならプライドの高い自分は初対面の人間になど弱味を見せることはなかったのだが、シグナムは嬉しそうに苦笑を漏らす。

 

『だから真! なぜ皆が君の指示に従うことを了承すると思っているんだ! 艦長、これは一体どういうことなんですか?』

 

 このような危機的状況下で無視されていることに腹をたてたのだろう、クロノは怒り、抗議の相手をリンディに変える。

 

『いや、あのね、クロノ、母さん、真くんの判断に従うべきだと思うの。いえ、分かるわよ、管理局の人間としてこの判断がありえないってことは。――でもね、おかしいの、まるで相手がパーを出すことが事前にわかっているのに、グーしか出せないジレンマっていうか、ええっと、母さんも何を言っているのか自分でわからないわ。でも最近こういうい事がよくあるの、歳のせいかしら? んん、そうね、岸辺先生に漫画を見せてもらってから? ――ああ、もう、クロノ、質問はしないで、彼に素直に従いなさい、命令です!』

 

 リンディの言い訳だか、相談だったのか訳の分からない命令はクロノが口ごたえする間もなく捲し立てられた。

 

『――わかった、命令なら仕方ない、僕も君の指示に従うよ。早く解決しないと病院にも用事ができたからね』

 

 クロノの若干諦めの入った言葉に、誰が入院するのかを問う声はなかった。

 なのはやフェイトは憐憫の混ざった視線を離れた彼に向けていた。

 

 ●

 

『まずはじめに、闇の書の動きを止める。このままじゃ、結界の外に出て大事になりかねない』

 

『でも、真くん、さっきから何度も、全力の砲撃をしているのに、すぐ回復しちゃって、どうしようもないんだよ?』

 

 その言葉の際中にも、桃色の光線が夜空に飛び交う。

 なのはの言葉にはシグナムも同意した。

 闇の書の生命力は想像以上にとてつもない。

 

『いや、違うんだ、詳しく言う時間はないから端折るけど、この回復力には闇の書以外の原因があるんだ! シグナムさん、フェイト、一番後ろの方で他の蛇の頭に隠れるように息を潜めている二匹の所に向かって!』

 

 真の指示に従い、敵の攻撃の合間を縫い、シグナムとフェイトは飛んで行く。

 確かに隠れるように体を丸めているこのピンクの蛇の頭は怪しすぎる。

 頷き合い攻撃を仕掛けようとすると、それを庇うように青色の頭が立ちはだかる。

 まずはコイツから始末しようとする二人に、真は慌て警告する。

 

『気をつけて、そいつはシールドや防御結界を一切無視した攻撃を仕掛けてくる。回避のみに徹して、防御はしないで!』

 

 ――そういうことは、早く言って欲しい。

 青色の蛇を待ち構えていたシグナムは、慌てる。

 物語の傍観者のように、次々と的中させていく真に、はやてを救うと言う彼の言葉が信憑性を増していくが、それと同時に忠告通りの危険も増えるのだ。

 奇怪な音とともに、シグナムのシールドが破られる。

 

「シグナム! 大丈夫ですか!」

 

 空中に投げ出されじたばたと手足を動かすシグナムを支え、フェイトは蛇に魔力弾を飛ばし遠ざける。

 礼を言い、すぐに態勢を立て直したシグナムは、確かに見た。

 

「――なあ、テスタロッサ」

 

「その、はい、シグナム。多分、見間違いじゃないと思います。――今も踊っているし」

 

 目を疑ったのだが、間違いないとフェイトも後押しをしてくれた。

 

 ――こちらを挑発するようにくねくねとその長い身体を動かしている二匹の蛇。これだけならば、そう気にすることはなかった。

 だが、その二匹の動きが一ミリのズレもなく合わせられているのなら、もはや安い挑発に間違いない。

 

『駆けよ、隼!』

 

 バカにされていると理解し沸騰したシグナムはそのすべてを買い取り、デバイスの第三形態の弓矢で二匹の胴体を射抜いた。

 

  ●

 

『で、この後はどうすればいい?』

 

 シグナム達の猛攻により防衛プログラムの前進は止まった。

 真の助言通り、あの二匹を黙らせると、防衛プログラムの自己修復は目に見える程に衰えていった。

 排除し尽くすには難があるのは変わらないが、それでも目に見える成果は皆に力を与えてくれる。

 

『えっと、それはユーノが説明します』

 

『ええっ、なんで僕が! 真、実は何も思いついていないんじゃあ? 

ちょっと、わかったよ、わかったから、僕だけに回線開いて大声出すのはやめてくれ!』

 

 念話でユーノの咳払いが伝わり、皆が彼の説明を待った。

 

『ううん、闇の書の主を助けて、暴走体を制圧する方法ですよね……あれ、本当に何も思いつかないんだけど、いや、僕になら分かるってそんな買いかぶられても。ええっと、取り敢えず最低限、管制人格が発現した後に闇の書の主の意識が目覚めているって条件が揃わないことには、何も出来ないし。っでそれが出来たとしても周りの肉体を削いでコアを剥き出しにしないと破壊すら出来ない。コアが残っている限り闇の書は再生し続けるんだよ、破壊に手間取っている間に暴走臨界点を迎えたらどうしようもないし』

 

『ユーノ、ナイス! 皆、聞こえたね? 全員、まずは闇の書の主をたたき起こすことに全力を尽くしてください! 』

 

 ユーノの自信なさげな自問自答を引き継ぎ真が断言する。

 

『真くん! 起こすってどうすればいいの、まさか、大きな声で呼びかけるわけじゃあ』

 

『その通り! 呼びかけて、なのはちゃん! ほら、別のクラスの不登校の子にクラスの皆が迎えに行って大きな声で呼びかけをしたって聞いたことがあるだろう、あの要領でお願い!』

 

 ――えっ、その子、年度が変わってから一度も登校している姿を見たことがないんだけど。

 という、なのはの不吉な言葉に、疑うようにシグナムは目を細める。

 なんとも言えない無言の抗議を無視し、真は発破を掛け皆を動かした。

 

 確かな根拠があるようには思えない作戦だった、だけど、今宵は聖夜、奇跡を願うには絶好の機会だ。

 そして信じ望んだ者にのみ偶然は必然に変わる。

 

『――うるさい、ほっといてんか!』

 

 皆が念話で呼びかける中、響いたのは、多少、ぶっきらぼうではあったが確かなはやての声だった。  

 

 

 ●

 

 静かで、暗く、寒くはない、そんな場所にはやてはポツリと一人、膝を抱えてうずくまっていた。

 自分を追い詰める人間も、足が動かないはやてに無関心な雑踏も存在しない世界。

 快適であるはずのそこで、はやては居心地の悪さを拭えなかった。

 誰かに責められているようで、辺りを見回すのだが無人の闇が広がるだけ。

 だからひょっとしてこの非難は、はやて自身が自分を責めているだけなのかもしれない。

 とても長い時間ここにいるが、どこでもないここを離れる気は起きず、さりとて、モヤモヤとした気分が晴れることはない。

 楽しい思い出を頭の中に浮かべ、打ち消そうとするが、それを失ったことが悲しく、やはり沈み込んでしまう。

 

 この世界の王様はすべてから逃げ出す一人ぼっちを望んだが、それに耐えられるほど強くはなかった。

 皮肉なことに、楽しかった事をこれ以上、外の世界の無情な運命に奪われないために作ったこの場所で、少女は静かにそれを失っていく。

 

「やっぱり、一人ぼっちになってしまったんやなぁ」

 

 はやては声に出し事実を確認する。

 もう、外の世界にも、どこにもはやての家族はいない。

 あとは此処でゆっくりと朽ちていくだけなのだ。世界への復讐は闇の書が終わらせてくれるのだろう。

 だが、いつになったら自分はいなくなれるのだろうか。

 運命に翻弄され続けた少女は、長い走馬灯だとため息を吐き、再び目蓋を閉じる。

 今度こそ楽しい夢を見れるように願いながら。

 

 

 だが、声が、閉じた世界には異質な音がそれを妨げる。

 

『闇の書の主よ、聞こえるか! 聞こえたら返事をくれ!』

 

 それは真面目そうな印象を与える少年の声だった。

 

「――うるさい、ほっといてんか!」

 

 家族の温かい声を想像していたはやては割り込んできた彼にそっけない返事をする。

 

『どういうことだ、なんで僕の声だけが? いやそれはいい、君は闇の書の主なんだな。なら頼むどうにかして此方側に来てもらいたい!』

 

 また外の世界がはやてに手を伸ばしてきた。

 どうして、世界ははやてに構うのだろうか、そんなにも自分は愉しい見世物なのかと腹が立つ。

 

「いやや! 話はそれだけ? やったらご苦労さん!」

 

 話は終わりとばかりにはやては耳をふさごうとする。

 だが、それでは相手が納得できなかったらしい。

 

『君は今の状況がわかっていないのか! 闇の書のせいで多くの人間が被害を被る瀬戸際なんだぞ!』

 

 男らしくなく非難の言葉をグチグチと並べ立てる彼に、はやてのお腹に溜まったものが疼きだす。

 

『確かに君の境遇には同情もする。だが、世界はいつだって、願うようには動いてくれない。こんなはずじゃなったことばかりだ。ずっと前から、誰にだって平等にそうだった。それから逃げるのは君の自由だ。だけどそれに他人を巻き込んではいけないんだ! 運命に立ち向かっている人間を邪魔する権利は誰にもない!』

 

「そんな正論は知らん! 私にはいつも冷たいだけだった運命も世界もどうなってもいい! だって、運命に抗った先に何があるっていうん? 教えて、足の動かない、家族もいない、一人ぼっちの弱虫な私が、幸せになれないってわかりきった未来にどうやって足を進めたらいいん?」

 

 そうだ、いつだって決まりきった運命は予定調和の悲劇と、ささやかな幸せを奪うことしかしてこなかった。

 はやてのような絶望した弱い人間は、おためごかしにしか見えないクロノの正論になど絶対に説得されてやらない。

 

『――決まりきった運命なんてない!』

 

 決意を露わにするはやてを後押ししたのは念話ではなく肉声、それもすぐ近くから聞こえてきた。

 

「いや、運命は決まってるだろう、なあ、仗助?」

 

「ああ、当たり前だろう。じゃないと僕は僕でいられないよ、億泰」

 

 

 いつの間にかこちらに歩いてくる男友達二人の見馴れた笑みが、ひどく場違いに思えた。

 

 ●

 

 二人がどこから現れたのか、なぜはやての隠れ場所にいるのか疑問は尽きなかった。

 だから口ごもってしまったはやてより先に仗助が口を開ける。

 

「ところで、はやて、出口がどこにあるのかわからないかな? 歩けども歩けども景色が変わらなくていい加減うんざりしているんだ。早く外の空気が吸いたいよ」

 

 二人ははやての隣にどっこいしょと腰を下ろす。

 先ほどのクロノとはやての遣り取りを理解していないのだろうか。

 

「ええか、仗助くん、億泰くん。外の世界はもう間もなく滅びることになるんよ。やのになんで二人はそうのんびりしてるの?」

 

 自分とは温度の違う二人、それが癪に障り、はやての語気は少々強くなる。

 

「えっ、だって、滅びないだろ、世界?」

 

 それが常識だとばかりに、何の重さも感じさせない口調で仗助はのたまった。

 それはおかしい、さきほど彼等ははやての運命論に賛同してくれたのではないのか。 

 ――ああ、理解力に乏しいのか。

 はやては懇切丁寧に、今、少女の闇の書で世界が滅びようとしていることを語って聞かせた。

 はやての口調は話を強調するもので、無力だった自身のたった一度の世界への反逆を誰かに自慢したかったのかもしれない。

 

「仗助くん達の少ない脳味噌でもこれでわかったやろ、つまり、今から世界は」

 

「滅びない」

 

 なんで、そうなるんだろうか、頭を掻きジト目で二人を睨む。

 はやての視線に屈したわけではないのだろうが、仗助は説明する。

 

「だって、すっごく、絶望的な状況なんだよな?」

 

「うん、すごく、とっても。かつてないくらいの規模で、地球が消し飛んで、太陽が爆発して、地獄から魔王が復活して、生きとし生けるものが皆、ゾンビに変わるくらいに!」

 

 二人の態度が気に入らず、意地になって話を盛るはやて。

 

「おう、だったら、絶対に世界は大丈夫だろ!」

 

 仗助と目を合わせた億泰までもがはやてを否定する。

 

「なんで、二人共、そんなこと言うん? だって、運命は決まりきっているって同意してくれたんやないの?」

 

 ――仗助は自信に満ちた、はやてには眩しい強者の笑みを浮かべた。

 

「ああ、そうだよ。『運命は決まりきっている』、それは疑いようもない。――だからこんなにも僕達に都合がいいし、こんなにも愉しいことしかないんだよ、世界には!」

 

 はやての中の何かが音を立てて崩れていく。

 少女はそれを守るように焦り言葉を続けた。

 

「だって、闇の書が発動したら、すべての物質を飲み込んでいくんや、それはどうするん?」

 

「発動したらどうにもならないなら、きっと奇跡が起こって誰かが止めてくれる」

 

「そんなん無理や! 闇の書の防衛プログラムはおっきくて、強いんや。まずそれをどうにかせな、それが出来るん?」

 

「だったら、力じゃなくて、知恵の廻る誰かが、起死回生の一手を考えつくに違いない」

 

「戦おうとする人はいるかもしれん。でも、人数が圧倒的に足りなかったら、知恵を貸してくれる誰かが逃げ出してしまったら?」

 

「そん時は、伏線の登場だ。敵だったはずのライバルが爆弾を抱えて特攻してくれて一件落着!」

 

「――なんで、なんで、君達は絶望的な状況でそんなに未来を信じられるん?」

 

 世界の終末、その最中。繰り返す質問の解答はどれも根拠の無い世迷い言ばかり。

 だが、それでも強い彼等を意識すると弱いはやての常識が、孤独だった世界が間違っていると錯覚してしまう。

 はやての質問を面白がった二人は今度は自分たちで問答を繰り返す。

 

「お姫様が毒りんごをかじったら?」

 

「王子様が必ずやってくらあ」

 

「たとえガラスの靴がなくったって?」

 

「灰かぶりぐらいの美人なら、そこらの金持ちを引っ掛けて幸せに暮らすさ!」

 

「九回裏、ツーアウト、最後のバッターが怪我をしていたなら?」

 

「腕の一二本と引き換えに、バックスクリーン直撃の同点弾だ!」

 

 世界はそういう風にできていると彼等は笑いながら唄う。

 本人は気づいていないのだろうが、いつの間にかはやての口元が緩んでいる。

 彼等の言葉にはやての絶望が陰り、図々しくも希望がその頭だけをちょこんと出してしまった。

 

 ――もしかしたら、自分にもまだ幸せな未来が残っているのでは。 そう錯覚してしまう。

 

 希望と絶望どちらがより強いのか? そんなの希望に決まっている。

 弱者であれば弱者であるほどに希望は甘く感じられ、そして足を無理矢理に引きずり込む。

 十の絶望、百の絶望と数を増やしても、たった一つ希望が見えれば人はそれに期待し縋り付かずにはいられない。

 絶望が一色で世界を覆ったとしても、ほんのわずかな希望の染みがそれを台無しにしてしまう。

 

「一回、死んだ僕達がここにいるって奇跡があるなら、この世界は当然、僕達のものなんだ。神様に依怙贔屓されているのにこれ以上何を恐れるっていうんだよ!」

 

 意味がわからない世迷い言だった。 だけど否定することができない。 はやてが支配する一人ぼっちの世界に二人増えて、多数決で王様の意見は却下される。 孤独な女王様は、偉くも強くもなくて、むしろ寂しがりやでとても弱い。 人を遠ざけて、そして助けてくれる人を待っていた。

 だがはやてはそれでも希望に手を伸ばす事を躊躇ってしまう。

 だから最後の勇気をもらうために、はやても二人の問答に参加する。

 

 

「やったら仗助くん、億泰くん、もしも何の力も持っていないか弱い女の子がおって、家族を失くして身よりもないどうしようもない状態でも、だったとしても、――前に進めば驚くような幸せを、神様は用意してくれてるんやろか? それに二人の目の前に彼女が現れたら助けてあげてくれたりするん?」

 

 胸に手を合わせ答えを待つ。

 祈る相手は神ではなくこの二人というのがはやてには心強かった。

 

「そんなの知らん、見捨てるんじゃないか? 神様が贔屓しているのは俺達だし、別に仗助も俺も善人ってわけじゃないしな!」

 

 突き放したような一言にはやての希望が砕け散った。

 ここまで見事に運命は自分をあざ笑うのかと。

 

「ああ、さすがに面倒見切れないよ。その女の子が『友達』ってならともかくね」

 

 はやて震える手のひらを握りこみ、二人の前に来た、この世界だけのことなのだろうが、自由に歩ける足で一歩一歩、力を入れて。

 

 

「お、驚かすんじゃないわ! ボケェ! ちょびっと涙が出たやんか!」

 

 そうしてはやては己の『友達』二人に泣きながら笑顔で拳を叩き込んだ。

 

 

 ●

 

 なぜ殴られたのかを理解していない二人は憮然としてはやてを見つめていた。

 説明するには恥ずかしいし照れくさいので、はやてはそれを無視する。

 希望を手に入れたはやては、友達のきつい視線など物ともしないのだ。

 

『ああ、そちらのゴタゴタは終わったのか、だったら説得を続けたいのだが』

 

 じっと待っていたのだろうか、クロノの通信が入る。  状況は変わらない。変わったのは、はやての心情だけ。  消えてしまった守護騎士たち。 本当に、それが永遠の別れになったのか、そうではないのか。  それすらも確かめずに絶望していた自分を、愚かなやつだと、今のはやては笑い飛ばす。

 

「うん、もう大丈夫! 説得はいらへんよ、ちょっと価値観が百八十度回転する出来事があって、今の私は、生きる気満々や! ところでどうやったらここから出られるんかな?」

 

 腕をぶんぶん回しながらはやてが問うも、反応が芳しくない。

 

『すまない、君が目を覚ました時点で、それはどうにかなるものとこちらは考えていた。それ以外の準備はできているので、それはそちらに任せる』

 

 無責任なクロノの言葉、普段のはやてならば文句を垂れるのだが、今は違う。

 仗助達風に言うのならば、これはこれからはやてが歩き出す奇跡の逆転劇のための演出の一つにすぎないのだ。

 任せろ、と胸を叩き辺りを探る。

 

「主よ、あなたは絶望を乗り越え、前に進むのですね。ならば、貴女を惑わす希望から守るためにあったこの腕はもう必要ないのでしょう」

 

 透き通る鈴の音のような声だった。

 後ろからはやてを覆うように抱きしめているので顔は見えない。

 彼女の手ははやての耳を隠すように当てられていた。

 

「うん、私は前に進むことにしたよ。やから、力を貸して、いや、違うな。あなたも一緒に行こう!」

 

 振りかえり、闇の書の管制人格と対面する。

 彼女ははやての想像通りの優しい顔をしていた。

 

「私は暴走し、あなたを喰い尽くし、奪うことしかできなかった。そんな私でもいいのですか?」

 

 管制人格は表情を曇らし、懺悔し、許しを請う。

 

「大丈夫! 敵の幹部が味方に鞍替えすることもあるらしいんや。やからいつでも私のことを一番に考えてくれていたアンタなら何の問題もない!」

 

 赤い瞳から今度は歓喜の雫を落とし、笑顔のまま彼女ははやてに重なっていく。

 彼女のとてつもない力と想いがはやてに流れ込んできた。

 それはこれから起こる逆転劇を後押しする追い風に違いないと信じて疑わない。

 

「ああ、ありがとう。あなたの名前はリインフォース。私の打った白球を場外にまで送ってくれる祝福と喝采の追い風。エールリインフォース!」

 

 デバイスが展開し、はやての目の前に十字架を型どった一本の杖が浮いている。

 これは、はやてがホームランを打つための強力なバットだ。

 

 力強く両腕で何度も素振りをする。

 

 すべてが自分を中心に動き始めた感覚で溢れ、鼻息荒く、興奮した様子のはやて。

 

 ――まだまだ、風は鳴り止まない。

 

『はやて、はやて! 聞こえているのか! クロノなどと話していないで私に無事な声を聞かせてくれ、お願いだ!』

 

 念話を通して必死な声がはやてに届く。

 それは聞き慣れた家族の声。

 

「えっ! シグナム! なんで……彼女、無事、やったんや」

 

 もう何度目になるかわからないが今日一番の驚きがはやてを襲う。

 涙はまだ早い、だがそれでも弱虫なはやてはすでに鼻声であった。

 

『彼女だけではありません』

 

 リィンの声に続き、虚空に映しだされる映像には、はやてと同じ様に、くしゃくしゃの泣き顔を見せているシグナムがいた。

 そして、その後ろ、光るベルカ式の魔法陣から、いなくなってしまったはずの家族が、どんどん召喚される。

 

 打席にはいるはやて、そしてなんと都合のよいことだろうか、塁上は逆転のランナー達で埋め尽くされてしまった。

 

「さあ、いこうか! ナイトゲームを盛り上げに!」

 

 

 ベルカ最強の魔導書とその主が脚光を浴びる舞台に躍り出る。

 

 

 

 ●

 

「響け、終焉の笛。ラグナロク」

 

「これが私のフルパワー、スターライト」

 

「いくよ、プラズマザンバー」

 

 かくて世界の危機は救われる。

 

『ブレイカー!!』

 

 海上の防衛プログラムに降り注ぐ、魔力の雨。

 三人の少女の全力は、肉塊を削り、コアをむき出しにする。

 

 鎧を失ったコアはシャマルに捉えられ、ユーノとアルフの魔法で軌道上に転送される。

 そしてアルカンシェルの空間歪曲でその存在を消滅させる。

 消滅の確認がオペレーターのエイミィから報告され、皆の緊張が解けた。

 成功を確かめ合うために、互いに笑いあった後、海鳴海浜公園にはやて達は降りていく。

 

『おーい、アンタ何やっているのよ! ってはやてだけじゃない! シグナムさんも、シャマルさん、ヴィータまで、なんで皆飛んでるのよ! すずかにはわかる? 説明しなさい、アンタこういうファンタジー担当でしょ!』

 

『アリサちゃんは、吸血鬼のことなんだと思っているのかな。って今はそれどころじゃない、軽く物理法則を無視しているはやてちゃんのほうが一大事だよ! あれって降りてきているんだよね? ゆっくりと墜落しているんだったら、怪我するかもしれないよ!』

 

 そこにはなぜか友人のすずかと、アリサがいる。

 騒ぎながら、こちらを指差す二人に、これは言い訳できないとはやては苦笑した。

 

 地面に足をついた瞬間、すぐに駆け寄って来たアリサは息がかかるほど顔を近づけ問い詰めてくる。

 

「いい、私はたとえアンタが宇宙人だろうと友達をやめる気はないわよ、安心しなさい! でも、そうね、それ以上となると心の準備が必要になるから、少し待ってほしいわ!」

 

 宇宙人のそれ以上とは一体何なのか? それ以下もわからないが、はやてに気を使ってくれているのは理解できた。

 何一つ欠けること無く、絶望は希望に逆転負け。

 はやてにとって生まれて以来最高の一日だった。

 だから一緒に降り立ったフェイトが難しい顔をして唸っていることなど気にならない。

 

「はやて、アンタの顔見れば、色々大変だったのはわかるけどこっちはこっちですごいことになってたんだから!」

 

 

 そして、アリサのこの一言が楔になる。

 

「ところで、はやて、仗助達知らない? 途中ではぐれちゃって探してるんだけど――はやて、アンタすごい汗よ、大丈夫なの?」

 

 ――はやては興奮して忘れていた、あの二人のことを。

 

『あれなんでこんなところで真くんの叔父さんが寝ているのかな?』

 

『ああ、そうだ! なのは、要救助者が……』

 

 なのはの疑問を無視し大声を上げたフェイトが青い顔で空を見上げる。

 釣られて皆も天をみる。

 

 はやて、シグナムの顔は固まり、フェイトの目が水気を帯び始めた。

 

 三人が見ているのは軌道上、アルカンシェルが防衛プログラムを蹴散らしたであろう場所。

 皆が不思議そうに三人に注目するのだが、誰も口を開くことはなかった。

 長い沈黙が辺りを支配する。

 

 

  ●

 

 

 不幸中の幸い、仗助と億泰はシャマルとユーノのサーチによって海鳴の海に二キロの地点で発見された。

 しかし、冬の海水は冷たく彼等の体温を容赦なく奪っている。

 予断を許さない状況であり、必死にシャマルが魔法で治療を施している。

 すずかとアリサは二人に寄り添い声をかけ続けていた。

 低体温症だけでなく、彼等の体には感電した痕や焦げた痕跡、石化している様子まで見られた。

 それを発見した後、治療にあたっているシャマルを除く魔導士組に何とも言えないやな雰囲気が漂う。

 

『一体誰が二人をこんな目に合わせたのよ! これって殺人未遂じゃないの!』

 

 アリサの怒声に、特にはやて、なのは、フェイトの三人が体をびくつかせる。

 確かにこのまま二人の命が消えてしまったら事故というのは無理がある。

 拳銃を乱射している所にたまたま人が歩いてきたんですなどという状況を事故というにはいささか苦しすぎる。

 

 ――『殺人事件』、物騒な単語が皆の心を駆け抜けていったに違いない。

 

 皆が皆の視線を気にしながらも最初に発言したのはマントを羽織った男の子、ユーノだった。

 

「なのは、だから僕はいつも言っていたじゃないか! 加減は大事だって! それをあんな馬鹿みたいに、ポンポン全力で撃つからこんなことになるんだよ!」

 

 裏切り者を見る目でなのはは少年を睨みつける。

 なのはの洒落にならない眼光にユーノはビビり口笛を吹き、情けなくも素知らぬ顔をした。

 

 次に発言したのはシグナムだった。

 

「いや、これは責任逃れではないのだが、仗助達の傷をみるに、最後の三人の大魔法が死因、いや、決めてになったのではないだろうか?」

 

 シグナムの意見に三人以外の人間は皆、納得の表情を浮かべた。

 シグナムに悪気はないのだろうが、はやては余計なことをと舌打ちをしてしまう。

 それに気付いた守護騎士達がシグナムを小突き、ようやく理解した彼女の顔から血の気が引く。

 

「うえっ、ううぅ、リンディさん、クロノ、ごめんなさいー、わ、わたし、家族になるって、約束したのにっ」

 

 号泣するフェイトをよそに、なのはが抗議する。

 

「で、でも、私、実は最後の一撃は少し手加減をしたんだ。だって、海鳴の海、そして私が暮らしてきたこの町が大好きだし!」

 

 彼女の主張は責任を他人になすりつけるものだった。

 一際、懐疑的な視線を向けていたユーノはなのはに睨まれると、すぐにアルフの後ろに隠れる。

 

 はやても負けていられない。

 

「やったら私も手加減したよ。なんて言ったって防衛プログラムは闇の書の、守護騎士達の仲間でもあったんや。当然やろ!」

 

 これは嘘ではない。

 自分の幸せのために、彼、もしくは彼女を犠牲にすることに抵抗を憶えていたのは事実だ。

 守護騎士達は、はやてを支持するよう示し合わせたように頷く。

 

 数の上では優位に立った。

 順当に行けば次はフェイトの番だ。

 端整だった顔は鼻水と涙ですごいことになっている。

 それを隠そうともせずにフェイトは発言する。

 

「ごめんなさい! 私は皆を、海鳴の町を救うために、手加減なしの、全力の一撃を、は、放ちました! わ、私のせいなんです!」

 

 言い逃れではなく、素直に罪を認めての謝罪、はやて達の罪悪感をチクチクと刺激する。

 

「ああ、そういえば、思い出した、私も、うん、ちょっと力が入りすぎたかもしれへんわ!」

 

 ひよる闇の書の主。

 裏切り者を見る目でなのはは睨み、はやては逸らす。

 

「うーん、そういえば、私も全力だったかもしれないよ、いつも通りに!」

 

 続くなのはの前言撤回に、そら見たことかと得意気に鼻を鳴らすユーノがバインドで簀巻きにされた。

 

 やはり、なんとも言えない空気が残ってしまう。

 

 ●

 

 ――そんな折、耳を澄ませば、独り言が聞こえる。

 皆が音源を探し、すぐ近くだということに気づく。

 喋っていたのフェイト、相手は誰も居ない。

 それもそのはず、フェイトはまだ新しい携帯電話を耳に当て、泣き声混じりで、通話している。

 

「あ、あの、イタズラなんかじゃないんです。真剣に聞いてください。なんで怒ってるんですか? 私の年齢はさっきも言いましたが、九歳です!」

 

 フェイトは誰と会話しているのだろうか、皆が疑問に思うが、恐らく友達にでも相談を持ちかけたのだろう。

 皆が注意を払っていたわけではない。

 だから親友を気にしていたなのはが一番に気付いた。

 

「あ、あの本当なんです。私は人を殺しました! 自首したいんです!」

 

 フェイトから携帯をひったくり、イタズラです、すいませんと吹き込み警察への電話を切る。

 

「な、な、何やってるの! フェイトちゃん!」

 

 国家権力との会話でなのはの動悸は未だかつてないほどに激しくなっている。

 

 なのはの行動を理解したフェイトは己の暴走を止めてくれた彼女に感謝の抱擁をした。

 

「な、なのは、私、何もわからなくなって気がついたら! と、止めてくれてありが、とう」

 

 心底、親友の純粋さが恐ろしい。

 彼女の暖かさを感じながらもなのはの背筋には冷たいものが走った。

 

 再び、大泣きするフェイトに、ますます収集がつかなくなった現場。

 

 だが、救いの手は振り下ろされる。

 

「怪我人がいるのよ! 静かに出来ないのアンタ達は! はぁ、もう、はやて。こいつらが死にそうだから、あんたがパニックになるはわかるけども、そろそろ落ち着いてくれない。動揺しているせいで、さっきから、めちゃくちゃなこと口走ってるわよ! って、それで落ち着けたら苦労はないか。じゃあ仕方ないわね――ええっと、同じクラスの高町さんとテスタロッサさんよね? 先に謝っておくわ、ごめんなさい」

 

 何のことだろうと、アリサを見ていれば、振り上げた拳をはやての頭上に叩き落とす。

 鈍い音が響き、はやての悲鳴が聞こえる。

 今度は、二人に近づいてくる彼女、その拳がなのはの頭部に飛んでくる段階でようやく理解できた。

 

 ――同い年の少女のものとは思えないほどに硬く、重かったが、その痛みのお陰でようやく三人は正気を取り戻すことが出来たのだった。

 


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