この世界は、深海棲艦の発見により一変した。諸国は制海権を失い、貿易などの交流の手段の一切を無くしてしまった。人々は制海権を取り戻すべく、深海棲艦との戦いに挑んでいく。世界は、戦乱の世へと向かっていった。
そのなかで、今の状態では比較的平和な状態である日本の、瀬戸内海に面したとある基地。ここは、日本国が持つ五つの鎮守府のうち呉に所属する基地である。その中の海に面した窓を持つ部屋で、一人の老兵と二人の若兵が相対している。若兵は、一人が男で一人が女だ。
「……では、以上をもって、本日付で諸君らの研修期間を終了し、正式に基地提督へとなってもらう。」
「「はいっ!」」
二人は、この老兵の元で一鎮守府の提督となるための教導を受けていた。今日でその教導を終え、老兵の元を去るのである。
「……お前たち、よく頑張ったのう。正直キツくなかったか?」
「いえ、大丈夫です。」
「逆に、いろいろ教えていただき、ありがとうございました。」
二人は老兵に向かい、礼を言う。しかし、敬語で礼をされることに、老兵はむず痒さを感じたらしい。耐えきれなくなって、こう二人に伝えた。
「これこれ、そんな間柄じゃなかろうに。もっと、いつも通りでよい。」
「…そういうわけにもいきません。公式な場ですから。」
「よいのじゃ。ワシはそういうのが嫌いじゃと、お前たちは小さい頃から知っとるだろう?」
「……それもそうですね。そういえば、そうでした。」
この三人の繋がりは、かなり長く特殊なものである。この二人の若兵は、幼い頃に老兵に拾われ、それから今までこの基地で育てられてきた。
そのため、小さい頃からタメ口で話してきた二人から敬語で礼をされるのは、老兵にとってあまり慣れなかったことなのだ。
「…お前たちも変わったのう。ワシが拾った頃とは大違いじゃ。外面も、内面も、な。」
「…あの頃はだいぶやさぐれてましたから。私なんかとくにひどい状態でしたし。」
「僕もそうですよ。あの頃は本当に酷かったですから。」
二人は、それぞれが老兵に拾われた頃のことを思い出していた。
「あの頃の私は…、両親を亡くして、家族も家も無くして、ボロボロになった布を被って道端にうずくまってました。…事故で両親を亡くしたので、他人を信じられなくなってました。」
「僕は、人のことを才能や能力でしか見ない一族に対して、かなり反感を持って家出をしていました。こんな環境で育ったので、一時期は本当に他人を信用できなかったです。」
「そうじゃったのう…。二人とも目がギロギロしていて、人を寄せ付けん雰囲気じゃったからな。」
老兵の言葉を聞き、女若兵は一度目を閉じてから再び向き直り、こう続けた。
「ですが、先生に拾っていただけて、本当によかったと思っています。あの頃のままだったら、今頃どうなっていたか…わかりません。」
「僕もそうです。あの時先生に拾っていただいてなかったら、今頃ろくなことになっていなかったと思います。」
「「…今日まで、ここまで育てていただいて、本当にありがとうございました!」」
「…うむ。」
老兵は、何か不思議な感覚を感じていた。小さな頃から育ててきた子が、一人立ちしようとしているのだ。嬉しい感覚と、どこか物寂しい感覚を感じていた。すると、男若兵が口を開いた。
「…あの、先生。少し、私たちからお願いがあるのですが。」
「…ふむ?なんじゃ?言ってみい。」
「僕たちが先生から教わったという証明として、先生の名前の一字を僕たちの名前にいただいたいのです。」
「そうか。ふむ、ちょっと待っててくれ。」
老兵は少しの間考える。そして、顔を上げてから、二人にこう伝えた。
「では、ワシの名の「簓(ささら)」の字をやろう。」
老兵は女性の若兵に向かい、
「お主は『簓雪 幽(ささらゆき ゆう)』という名じゃ。」
「はいっ!」
また、男性の若兵に向かい
「主は、『簓井 朧(ささらい おぼろ)』という名じゃ。」
「はいっ!」
最後に、二人に向き直り、
「お前たちがここで学んだことを、ぜひこれからの生活に生かしていってくれ。」
「「はいっ!」」
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夕日の照らす港で、幽は一人、岸壁に腰かけていた。先生との話の後、幽は一人港に来ていた。
「…幽、こんなとこにいたのか。」
「朧…、どうしたの、こんなとこに。」
「寮で姿を見かけなかったからな、多分ここにいると思って来たんだ。」
「…そ。」
二人は、互いに向き合わず、静かに海を眺める。漣が岸壁に打ち付けている。
「ねぇ、朧…。」
「…どうした。」
「明後日から、私達は正式に提督になるんだよね…?」
「ああ、そうだな。」
「私たちはこれから…どうなっていくのかな?」
「…さあな。だが、どんな未来が待っていたとしても、俺たちは乗り越えて行くだけさ。俺たちはもう、一基地を受け持つ提督になるんだ。俺たちは、どんどん前に、進んで行かなきゃいけない。」
「…そうだね。ありがと。前向きに行かないと。」
二人は海をみつめる。夕日で紅く燃える海は、先程より波が激しくなっていた。そして、だんだんと、夜の帳が降りようとしていた。
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老兵は、夕日に染まる海が見える窓から、静かに外を眺めていた。
「とうとう行ってしまうのですね。二人とも。」
「…吹雪か。そうじゃな…。」
吹雪型駆逐艦1番艦『吹雪』。老兵が初任だった頃から秘書艦につき、長い間支えあってきた彼のパートナーである。
「…司令官があげた名前に、『簓』の字を入れたんですね。」
「聞いておったか。そうじゃ。」
そう、幽と朧の名前は、この老兵が与えた。朧は元々の名で名字だけ与えたのだが、名前を全て忘れてしまっていた幽には、全てを与えた。その名前が、今の二人の本名なのである。
「…のう、吹雪よ。」
「何でしょうか、司令官。」
「ワシはあの二人をこの世界に引っ張ってきて、果たして良かったのじゃろうか?」
この老兵は、二人を拾い育て、教導を与えていくなかで、常にその事について考えていた。本当に、このようにしてよかったのだろうか、と。二人の未来の可能性を、狭めてしまったのではないのだろうか、と。それに対して、吹雪はこう返した。
「…司令官が悩むことじゃありません。あの子達は、自分で決めてこの世界へ入ってきたのです。大丈夫ですよ、あの子達なら。」
老兵は、吹雪の方へ振り返える。吹雪はいつもと変わらないほほえみだが、うっすらと、目に涙が浮かんでいた。
吹雪も、あの二人を小さな頃から間近で育ててきた。二人の旅立ちが、寂しくない訳がない。
「…無理はするなよ。」
「はい、もちろん…なんかいつもと雰囲気が違いますね、御簓(みささら)司令官。」
『御簓司令官』、そう呼ばれた老兵は、秘書艦の吹雪には振り返らず、窓から広い海を眺めていた。
彼は、海を見ながら古い記憶を思い出していた。それは、彼がまだ若かった頃、40年以上前の記憶。長い時間がたち、様々な記憶が薄れていってしまっているなかで、この記憶だけは、今も彼の中に鮮明に残っている。残り続けている。
それは、かつて彼と仲のよかった、年下の従姉妹に関する記憶。彼が海軍を志し、今までこの海軍で過ごしてくるきっかけとなったもの。彼女が、日本でただ一人の深海棲艦の砲撃による被害者となった彼女が、海で亡くなる直前、最期に遺した言葉。それは、彼を突き動かし、最終的な目標として、今も彼の中に残っている。
『「いつか…楽しい海で…」』
この一言、これを実行するためにいままで生きてきた。そして、これからもこれを胸に生きて行く。
しかし、この呟きは吹雪には聞こえなかったようだ。
「え?司令官、何か言いましたか?」
「いや、なんでもない。それよりワシらに今できることは、今まで通り平和のために前へ進み、あの二人を見守るだけじゃ。」
「そうですね。そうしましょう。」
「では、そろそろ行くかのう吹雪よ。」
「了解です、司令官。」
二人は部屋を後にする。部屋の中には誰もいなくなり、ただ夕日だけが中に差している。
静けさが広がる部屋に海の遠鳴りが聞こえているなかで、彼の机の上においてあった懐中時計が、一つ、針を進めた。
初の投稿。二人のオリ主キャラを出しましたが、しばらくは幽の方が中心になります。
進行鈍めですが、よろしくお願いします。