「あー……いい湯だったなぁ」
脱衣所から出ながらそんな事を呟く。今、自分のそばにも手元にもポケモンは存在せず、自分の服装は旅館の備え付けの浴衣だけど。まぁ、温泉に入っていたのだから当たり前だ。唯一神捕獲成功から一日、その疲れを癒す為に思いっきり旅館を満喫していた。場合によってはここを拠点に部屋を貸切にして、唯一神を足にジョウトを回っても良いとさえ考えている。それだけこの旅館は良い場所だった。もう、この快楽を知ってしまったらポケモンセンターの部屋とかカスの様なものだ、カスの様な。
「お、マッサージチェアだ。使うか」
見つけたマッサージチェアに座る前に、近くの売店でフルーツ牛乳を購入しておく。それを片手にマッサージチェアに座り込み、コインを投入してスイッチオン、温泉でほぐした筋肉をマッサージチェアに優しく揉んでもらう。そうやって極楽を感じつつ、フルーツ牛乳を飲む至福の時。
一般のトレーナーじゃどんなに頑張っても得られない贅沢である。
「あー……もうジム戦とか全部投げ捨てようかなぁ……」
「お前は一体何を言っておるのだ……」
「んあっ」
マッサージチェアに座っていると、何時の間にか目の前に中年の男性が立っている。此方も自分と同じ浴衣姿なのだが、そのツンツン頭と、中年顔には見覚えがある―――というか同僚だ。何時もは忍者の服装をしているくせに、ユカタ姿も結構渋い、というか似合ってるなぁ、と思わなくもない。とりあえず久しぶり、と言う。
「キョウさんお久しぶり」
「うむ、久しぶりではあるが……お前は一体何をやっているんだ」
「マッサージチェア、気持ちいいっすわ」
「なるほど」
キョウがその言葉にうなずくと、横のマッサージチェアに座り、そして無言でコインを投入する。そのまま、無言のまま二人で数分間、マッサージチェアに沈み込んでマッサージを受ける。自分はともかく、カントーのジムリーダーとして今でも現役のキョウとしては色々と疲れている事もあるだろう、是非とも温泉、フルーツ牛乳、そしてマッサージチェアという極楽巡りを味わってほしい。ここから抜け出す気も失せる。
「つかキョウさんジョウトに来ちゃって大丈夫なのか」
「うむ、セキチクジムに関してはアンズに任せてきたから問題はあるまい。それに四天王昇格の話も来ておる。ジムリーダーでは鍛える事に些か限界を感じておった、四天王ともなれば今まで以上の強者と戦う事もできよう。ともなれば自らを鍛えるのにも良い機会だ。ともあれ、まずは己が居らずともちゃんとジムが回るかどうか、それを確かめる為に留守にしている」
「ジムリーダーの事情も結構面倒っぽいっすねー」
そこから再び黙り、無言でマッサージチェアを楽しむ。ジムリーダーは他のトレーナーの規範となるべき存在である。他のトレーナーよりも強くなくてはいけない。そしてジムトレーナーに戦い方を教えなくてはならない。だけど、それはジムリーダー自身の時間を大きく消費する。その上、自由に対戦する事もできなくなってくる。トレーナーが自分を鍛えたかったらジムトレーナーになるのが良いが、ジムリーダーはそうやって自分を鍛える事ができない。
ある意味、強くなれない立場でもある。
「とりあえず、欲しがっておったこれを持ってきた。研究部でも繁殖させるのはほぼ不可能という見解だったな」
「どうも」
キョウが懐から手のひらに収まる鉄の箱をくれる。それをポケットの中にしまい込む。
「しかし不思議なものだ―――まさかウィルスを通してポケモンを強化出来ようとは」
ポケルス。ポケモンの強化を考えるのであれば、是非とも一度は感染させておきたい未知のウィルス。ロケット団の科学力でも繁殖させる事が不可能なら、今現在、手元にあるこれだけでおそらくは全部だ。ポケルスはゲームでは”努力値”と言える物の取得効率をあげる物だったが、此方の世界のポケルスはそういう領域をぶっちぎっている。簡単に言えば、蛮のあの圧縮された肉体、アレを生み出すのにポケルスを利用したと言えば、大体理解できるはずだ。
とりあえずスタメン、そしてボックスに預けてある”スタメンが奪われた場合”に備えた控えは予めポケルスに連鎖感染させている。育成力で他の誰よりも上を行くつもりである以上、必然的にやらなくてはならない事だ。ともあれ、欲しかったものが手に入った。サイズからしてポケルスに感染させられるのは一人ぐらいだろう、もしかしてホウエン地方まで温存するかもしれないし、今はしまっておく。
「んで、キョウさんはこっちへ他にはどういう用事で? 俺にこれを届けるだけならカイリュー便を利用すれば良かっただけの話だし」
「まぁ、顔を見たかったというのは事実だ。一人で旅を始めたようだからな。それとは別に、ジョウトの方で最近、幹部候補や一部幹部が好き勝手やっているという話でな。少々それについて探りを入れていた。あとは―――」
そこで一旦キョウは言葉を区切る。
「……若様が最近ジョウトで目撃されていてな」
―――シルバー。
大地のサカキの実子、シルバー。赤毛が特徴的な少年であり、将来現れるであろうジョウト地方最強のトレーナー、ゴールドのライバル。ボスの息子であるシルバーは一度失踪している。誘拐された、と言った方が正しい。詳しい事は自分も知らないが、幼い頃にシルバーは誘拐され、そして別人に育てられたのだとか。シルバー自身が生きている事は判明していたが、その足取りは不明だった。今日、こうやってキョウが話をするまでは。
「出来る事であれば若様を確保しておきたい、どこぞの馬鹿が手を出す前にな。故に―――」
「見つけ次第連絡、確保、護衛って感じっすな。了解了解」
「あぁ、あと誘拐犯を見つけ出せたら始末しておけよ」
「うっす」
容赦なく敵を殺す選択肢を出してくる辺り、やはりロケット団はロケット団だなぁ、と思いつつキョウがマッサージチェアから若干名残惜しそうに離れて行く姿を見る。キョウ自身、暇だという事はありえないだろう。スケジュールの間になんとか此方へと来る時間を作ったに違いない。あまり口に出したくはないが、感謝はしておく。そしてポケモンリーグで四天王となったキョウは倒す。本気の彼と戦う事が今、キョウに対してできる感謝の見せ方だろう。
ともあれ、これで一通り欲しいものは揃った。ここからは後はどう動くか、といったものだ。
と言ってもシルバーのウツギ研究所襲撃、ゴールドの旅立ちなんて何時か解ったもんじゃない。時期的にそろそろだ、と言うのが解っているが、その内嫌でもロケット団の馬鹿共の動きが目に入るのだ。一足先にチョウジタウンへと向かい、いかりのみずうみで赤いギャラドスをシメておくのも悪くはない―――まぁ、あんまり活躍の場を奪うのも悪い。
「しばらくはジム回りでもして時間を潰すか、どうせ俺程度の運命力じゃぁねぇ……」
やれる事と言ったら住所が割れているルギアさんの家へ物理的ピンポンダッシュして一戦やらかすとか、居場所の割れている三鳥の家へとピンポンダッシュとか、それぐらいである。出会いを引き寄せる様な運命力がないとは個人的に思っている。だから確実な手段で出会い、そして自分の手でその出会いに匹敵する様なポケモンを育て上げるしかない―――そういう意味で、自分は体を鍛える事や、相手の裏を読む事よりも、育成能力とポケモンに対して指示を出す力に心血を注いだ。
「ふぁーぁー……極楽極楽……」
フルーツ牛乳を飲み干しながら一息つく。めんどくさい事ばかり考える必要があるのは、嫌だなぁ、と思う。まぁ、必要経費だと思う。苦労している時こそが楽しいという事もある。ポケモン達と一緒に過ごす時間は、多少苦しい立場だったりしても、
「楽しいからな―――ぐえぇっ」
そう呟いた直後、腹に何かが衝突する様な衝撃を受け、思いっきり息を吐きだせられる。ぐえぇ、と潰れた蛙みたいな声をしながら視線を腹の上へと向ければ、
そこには見たくもなかった姿が着地しているのが見える。
旅館の水色の浴衣姿は周囲にいる人間と一緒だ。ただそれに袖を通している姿は幼い少女のものだ、年齢で言えば大体十歳前後の。着ているのが大人物のせいか、袖がかなり余ってだぼだぼになっている。赤い瞳に長く、生えっぱなしになった手入れもしていないぐちゃぐちゃな金髪。唐突に虚空から出現し、”落ちてきた”姿は人間の様に見えるが、その瞳の色が血の色の様に赤い。それだけならまだ人と間違えるかもしれないが、ポケモンと人の違い程度、自分なら良く解る。その為、彼女の姿を見ても間違えはしない。
「降、り、ろ、ギラ子……!」
「えー。やだー。すりすり」
「うぜぇ……!」
そう言って人の胸に勝手に頬ずりをしている少女こそが別地方で伝説種でありながらその名をほとんど残さない、”やぶれたせかい”、あるいは”裏世界”の主、ギラティナ―――通称ギラ子になる。やぶれた世界の外にいる間は自動的にフォルムチェンジの効果によって、こういう少女の姿へと変身している。そのおかげで伝説種としての力を抑え、尚且つ活動しやすくしているらしい。が、そんな事はどうでも良い。その本来の力は捕獲しようとボスと二人で挑戦したときに良く知っている。
本来の姿―――オリジンフォルムへとフォルムチェンジしたギラティナを弱らせるためにボスと共に戦い、まずは手持ちが全滅した。そこから遠隔操作でボックスから二軍のポケモンを呼び出し、それで迎撃するも二軍では練度が足りず、またもや全滅する。そこからポケモンだけを戦闘手段に制限せず、ライフル、手榴弾、クレイモア等を戦線に投入し、逃亡しながら近くのポケモンを捕獲、それを戦線投入し、
数時間、やぶれたせかいから出たり入ったりを繰り返しながら漸く捕獲を完了したのが、この伝説種、ギラ子になる。後にも先にも、ここまでボスと組んで消耗させられたのは間違いなく初めてだった。しかも時空間を操るポケモンらしく、ボックスの中に封印していても脱走し、ボールの中からは好きなタイミングで出てくる。それを抑え込むためにレベルリセットをしようものなら、
それにさえ干渉して無効化して来る。
これが、伝説種としてのスタンダードなのだからもうどうしようもない。
”運命”を保有せずに伝説を手にしようとする結果がこれなのだ。もう二度と純粋な、完全な伝説のポケモンを捕まえないと誓った瞬間でもあった。たまにそこらへん、物欲でブレたりする事もあるが、こんなに大変ならもういやだと悲鳴を上げるなら捕まえるのは是非とも諦めたい。
しかし、何故だかこのロリは懐いている。それが解せない。
こいつに関しては育成を完全放棄してボックスに叩き込んでいるだけなのに。
「そのままロリコン道に堕ちろ……!」
「やめろォ!」
引き剥がそうとするが、ポケモンに筋力で勝てる訳がない。数秒間引き剥がす為に努力するが、離れてくれない。
「堕ちないならフォルムチェンジする」
「やめろぉ! アンド、やめろぉ!」
こいつキャラ的に、そして存在的に天敵だ、と再認識しつつ、どうしようもない伝説の猛攻に、
先日とは違い、
敗北。
黙ってマッサージチェアに沈むしか選択肢はなかった。
ポケモンを捕まえる時はポケモンを使う? ポケモンがなくなったらポケセンワープ? そんなものないのだ……!
最後に頼れるのは火器! 重火器! あと細菌兵器……!
予めしびれごなとかどくのこなとかは採取しましょう、野戦の時に便利だぞ!