フォームチェンジとかしたいからなあ、現状は無理っぽいけど
「私が魔王の妹の護衛、ですか?」
「ああ。つっても、ユーも連れて行かせるが。聖剣破壊の任務だとよ」
「ユーくんを、ですか…………」
翌日、アザゼルはアンを呼びつけた。寝つけなかったのか、目の下に隈ができている。寝つけていないアンは厄介だ。
ヴァーリは多少眠らなくても大丈夫だと胸を張り、雄之介は寝つけなければ倒れてしまうことがあるのでわかりやすいがアンは表面上からは全く察しがつかない。隈ができるようになったのがむしろ有難いと言えよう。
聞き分けはアザゼルが拾ってきた少年少女中ではいいはずだが、いい意味で図太い
バランス良くなればいいが、そうならないからこそ三人組として上手くやれているのだろう。
「どうした?ユーと喧嘩でもしたか?」
「そういうんじゃなくて……」
アザゼルの書斎の片付けをしつつ、アンの返事は煮え切らない。ゆったりとした服装の上からでもわかるプロポーションは同年代の中でもいい方だと自負しているが、明確に意識し始めたのは最近からだろうか。
変わらず整理整頓がなっていないのに業を煮やして叱ったことはあれども、一向に良くならない。
両親に関する記憶はないが、こういうのもまた家族なんだと思うと心が暖かくなる。
同世代の少年や年上で危なっかしい少年然り、『かぞく』はみなワケありだ。トントン、とクリップで留めた書類を近くの本棚へとなおす。アザゼルは柄こそ違えど浴衣、顎髭を弄りながら雄之介お気に入りの『とらいどろん』のデータを眺めている。
男はみなクルマ好きなんだろうか?
アンがふと抱いた疑問を解決する少年はいない。アザゼルに聞こうにも、囃し立てられるのは癪に障るから。
「分かりました。ユーくんにも話してきます」
「すまんな、サーゼクスからの頼みでな」
サーゼクス・ルシファーと言えば、魔王の一人だ。うっかり忘れそうになるが、養父のこの男が堕天使のトップクラスであると再確認する。整理整頓の際に邪魔になるということでひとまとめにしていた金髪を解き、書斎から飛び出した。
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「アレ?アンちゃん。アンちゃーん!」
「あ、ユーくん……」
ヴァーリとの鍛錬を終えてインナーとハーフパンツ姿にタオルを首に巻いて汗を拭いつつ、湯気を上げながら雄之介は廊下で距離としては少し遠くにいるアンに手を振った。
「どうしたの?元気ないようだけど。寝てないようだし」
「え?あ、昨日、料理の本読んでたから。心配させたかな?ユーくんはヴァーリと手合わせ?」
「そう。でもさ、ちゃんと寝ないとダメじゃないか。ビヨーの天敵ってヤツじゃないの?」
雄之介はのんびりした口調の癖に気遣いを忘れない。
背も高く、人差し指を立てて心配そうに注意する様は兄のよう。
普段は立場がまるで逆で自分が姉のよう、とアザゼルの部下には言われたことがあるというのに。
「そうだね、気をつける。それでね、先生からの仕事なんだけど、駒王って所でサーゼクス・ルシファーの妹に協力して欲しいんだって」
「それでアンちゃんが呼ばれたと」
「うん。ユーくんも連れて行くように、だって」
「いいよ。トライドロンでひとっ飛びさ。じゃあ、早く用意をしよう」
クルマは飛ばないよ、とアンが訂正すると雄之介が不服そうな反応を示した。軽装で、インナーマッスルであるのを強調しているのに首から下げている首飾りだけは外していない。
自分以外の誰かからの贈り物なのだろう、と普段からアクセサリーをしない又は拘らない雄之介の性格のことだ、大切なものに違いないだろう。そういえば、研究所時代でも安易にこれが触れられるのを嫌って電撃を受けていたことがあった。
「ねえ、ユーくん」
「ん?」
妙にアンが畏まっている。
こんなに畏まっているアンを見るのは、いつぞやのクッキーをつまみ食いした時であろうか。犯人はヴァーリとアザゼルだったりするのだが、こうしてアンに怒りを向けられるのは珍しいとはいえ、恐ろしいもの。
「ちょっと来て」
「え?これから、シャワーをーー」
「いいから」
珍しく少々、強引に引き連れられる。
アザゼルの部屋にある写真には幼少期の雄之介とアンの写真がある。といっても、すでに少年期であり、そこにはアンがヴァーリ共々雄之介を引き摺っているのだが。
「ユーくん」
「どうしたのさ一体。あっ、ジョーカーメモリとロストドライバー取りに行かないと」
アンの部屋は同年代の少女と比べてみても、変わっている方かもしれない。
アザゼル制作のラック、そこにはアンのまとめたレシピや料理本がまとめられている。丸いテーブルとソファ、それにベッドと机。壁に立てかけられているのは鍛錬用の模造刀で鞘に収められている。
座るところといえばマットの上、そこに座って首を傾げる。
アンは立ったまま、雄之介を見下ろしている。何処と無く、いつもと違って余裕がないように見えるのは気のせいではないはずだ。
おもむろにボタンを外し始める。
ひとつ、ふたつ、みっつ……。
ぷつぷつ、と外してゆくアン。
「ちょ、アンちゃん!?」
「ユーくん、私のこと、好き?」
「本当に、どうしたんだ……?」
雄之介と視線を合わせるように姿勢を下げ、アンは雄之介の顎に触れる。唇に触れるか触れないかといった微妙な近さ、目が潤んでいることとアンの柔らかな身体の感触が伝わっている。
呑気な口調から一転、雄之介はアンを抱きとめこそするものの、唇には触れまいと人差し指で制した。どうしてそうしたかはわからない、しかし、アンは大切な少女であるのは間違いない。そんな相手となし崩しで関係を持ちたくないというのが本音である。
なにより、こうしているのを誰かに見られたくない。雄之介は人並みには独占欲を持っているつもりだ。
だからこそ、否、雄之介はアンには自分を大切にして欲しいと思った。
家族も同様、アザゼルが父親ならばアンは『いもうと』でヴァーリは『おとうと』、バラキエルの娘は『おねえちゃん』と言ったところか。
「だから、私のことが好きかって聞いてんのッ!」
余裕がないアン。
ボタンを全部外し、僅かにちらつく胸は谷間を作り出している。語気も強く、それでかつ泣きそうな表情だ。ならば、やることはひとつだ。
「もちろん」
「じゃあ、抱いてよ。ユーくん好みの髪だよ?サラサラだよ?いい匂いだよ?柔らかい身体だよ?ーーねえ、ユーくん」
これは、重要な選択だ。
下手な返答をすれば傷つき、命を自らの手で終わらせかねないだろう。首飾りを握ってこつん、と額を互いのを密着させあう。
「自暴自棄になるアンちゃんは好きじゃないけど、いつものアンちゃんは好きだよ。優しくて世話焼き、僕の自慢だ」
変わらぬ笑顔。
研究所の被験体時代からずっと変わらない、その笑顔。
雄之介が
それは強みと言えるかもしれないが、どのような仕打ちを受けても笑顔であり続けた雄之介は気味悪がられて電気ショックを受けていたのを思い出す。
そう考えると、アンは雄之介を抱きしめていた。自分がちゃんとしなければ優しいアンの『ヒーロー』は誰かに希望を振りまき、その分だけ自分の身を削って行くことだろう。
自分は怖いくせに災禍の渦中に飛び込む男、ヴァーリが戦闘狂であるならば雄之介は『救出狂』といったところか。
「ユーくんは、強いね」
「そうかい?僕が強いならヴァーリは無敵だよ。あんなに強くなれたら……って、汗流さないと!」
「もうちょっとだけ、こうさせて?……私は好きだよ、ユーくんのこと」
「?いいよ、アンちゃん。僕にできることをしたいからね」
アンは雄之介につぶやきが聞こえなかったことを悔やむが、今はこの青年が自分を大切にしてくれていると実感できるのが良かった。
もしかしたら、自分は聖剣計画の被験体として人間ではないかもしれない。
そんな嫌な推測が脳裏をよぎるが、きっと雄之介なら……。
(甘えるくらいはいいよね。『かぞく』なんだから)
安心できる雄之介の胸にアンは顔を埋め、しばらくひとときを過ごした……。