島津飛翔記   作:慶伊徹

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五章 島津貴久への試練

 

 

一月に一度行われる評定。

島津家の今後を左右する大事な会議である。

岩剣城の戦いから一年と三ヶ月。

その間に行われた二回に及ぶ島津家の遠征は敵方に猛威を振るった。各支城を落とされても必死の抵抗を続けていた祁答院氏と蒲生氏だったが、今年の五月、つまり二ヶ月ほど前に遂に耐え切れず降伏することとなった。

菱刈氏も従属した結果、北薩と西大隈から反島津の勢力を一掃されたことになり、島津家は薩摩国内部の足場を完全に固めることに成功したのである。

加えて、去年から始まったばかりの砂糖製造も事前の準備に時間を費やしたからか、順調な推移を見せており軌道に乗ったと言えた。

家臣たちは島津家の未来には前途洋々たるものが待ち受けていると確信する。

勇猛果敢な武士が集い、次世代を担う島津四姉妹は皆優秀で、尚且つ彼らを率いる当主も当代一の英傑だと信じているからだ。

島津貴久の神々しさ、凛々しさ、雄雄しさ、精悍さ、懐の大きさ。世に存在する麗句全てを並べても足りないものだと、とある家臣は蕩けた表情で語った。

だが、人とは誰にも言えぬ本性がある。

伊集院忠棟が歴史知識を知っているように。

島津貴久にも隠された一面があるのだ。

その一端は、いつもの如く評定の後に露わとなった。

家族団欒である。気が緩んでしまうのだ。

 

「……行ったか?」

 

伊集院家の麒麟児不在の評定は特に大きな問題もなく終了した。

家臣たちは一同に部屋から出て行く。

各々に託された仕事を持ち、来月の評定にて当主から直接お褒めの言葉を預かろうと躍起になる者もいた。

そんな中、瞑目したままの貴久の問いに、義久を除いた四姉妹がそれぞれ答えた。

 

「はーいお父様。みんな無事に出て行きましたー」

 

島津家久。この時、11歳。

五月の合戦にて初陣を果たした。

天真爛漫で素直な末っ子は誰からも好かれる人気者である。姉たちに負けず劣らず優秀だが、喜怒哀楽の激しい姿は子供らしさを残しており、それがまた人気を増長させる一端であった。

 

「足音も遠ざかってるしね」

 

島津義弘。この時、14歳。

岩剣城の合戦にて初陣を果たし、見事に祁答院重経を打ち取った島津家一の武勇を誇る姫武者である。

五月の合戦にも参加しており、縦横無尽に兵を率いる様はまるで武神。身体が成長するに連れて槍捌きも激烈なものへと進化しており、新納忠元も舌を巻くほどの上達ぶりであった。

 

「評定も無事終わりましたし、戻ってくる者はいないかと。忠棟も鹿児島にはおりませんから安心してよろしいのでは?」

 

島津歳久。この時、12歳。

義弘と同じく岩剣城の合戦で初陣を果たす。

武勇ではなく能吏として才能を発揮。軍略の才も十二分に存在し、今や貴久の隣で意見を口にするほど様々な知識を取り込んでいた。

役職柄、義久の次に忠棟と接する機会が多い為、彼のことはそれなりに尊敬している。本人に伝えるつもりも知られるつもりも無いけども。

 

「だぁぁぁぁ〜〜〜〜」

 

そして——。

家臣たちから尊敬の念を掻き集めている島津貴久当人は、愛娘たちの言葉を聞くや否や床に寝そべった。見事な大の字である。

口は半開き。漏れるのは言語に非ざる無意味な単語の羅列だ。誰がどう見てもだらしない格好だと答えよう。

 

「あら、お父さんお行儀が悪いわよ〜」

「ふんどし見えてるよ!」

「うにゅう〜〜」

 

齢16となった島津義久の諫言も完全無視。

まさに馬の耳に念仏である。

着物の裾から覗く褌だが、家久からの注意も聞こえてないのか貴久は寝転がったまま動こうとしない。ごろごろと転がり続ける。

義弘はやれやれと肩を竦めた。

 

「全然可愛くないよ」

「うん。可愛くないね」

「むしろ気持ち悪い、かな」

 

同意した家久の上から辛辣な言葉を重ねた義弘は、冷めきった視線を実の父親に向けた。

真面目で何事にも一生懸命。

幼き頃から武術を重んじている故に礼儀作法は身に染みついている。そんな愛する次女の暴言に貴久は目を見開いて飛び起きた。

 

「義弘、そんな言葉遣い誰に習ったの!?」

「源太から」

 

即答である。

貴久の脳裏に浮かぶのは義弘と同い年である伊集院家の麒麟児。十代前半の小僧と思えない頭脳から繰り出される献策のお陰で、島津の力を四年前より飛躍的に上昇した。

親馬鹿な貴久としては否定したいが、歳久よりも高い才能だと認めざるを得なかった。

彼の打ち出す策は有効で、今後の情勢と浮き彫りになるだろう問題点を読む力はまるで未来を見通しているのではないかと錯覚させてしまうほど正確であった。

ただ貴久としては複雑である。

忠棟は大人びている。10歳の頃からだ。

そして長女、義久の筆頭家老だ。

何か間違いが起きてしまったらと思うと、夜も眠れない。忠棟と義久が口付けを交わすという悪夢で目覚めて刀を握ったこともある。

実際、義弘に悪影響を及ぼしているではないか!

 

「た〜だ〜む〜ね〜!!」

 

怨嗟を重複させた声で奴の名前を叫ぶ貴久。

義久は慌てることなく冷静に妹の言葉を理解したらしく、慟哭する父を尻目に涼しげな顔で義弘に訊いた。

 

「あらあら。でも久朗と話している時、源太くん活き活きしてるものね〜。弘ちゃんも二人に混じること多いし、そのせいかしら?」

「そうかもね」

「あいつ〜!」

「忠棟は良くやってくれてますよ」

 

煽る義弘。怒る貴久。困る義久。笑う家久。

家族の関係を如実に示した表情の一覧。

それらを眺めた歳久は思った。

ここで私だけでも味方になっておかないと父上が暴走して何か仕出かすかもしれないと。

しかし、下手に褒めるのも恥辱の極みだ。

故に無機質な声音のまま庇ったのだ。

 

「うっ。それは俺だってよくわかってるけどさ、でもさ……あいつのせいで去年ぐらいから超忙しくない!?」

 

三女の有無を言わせない発言に、貴久は一瞬だけ言葉を詰まらせた。

確かに良くやってくれている。

その事を否定するつもりはない。

砂糖の件も、千歯扱きの件も、そして一年前から進める事業に関しても薩摩と島津家の発展を真に願っていることだと理解している。

それでも不平不満があった。

想像以上の多忙さに、四人の愛娘と触れ合う機会があからさまに減少した昨今、貴久は叫ばずにいられなかったのだった。

 

「その話は何度も聞きました、父上」

「全然休まる日がないんだってば!」

「耳にたこが出来るぐらい同じことを聞いてるわよ〜?」

「くつろぎたいんですー!」

「お父さんは忙しいのが嫌なの〜?」

「それならそのままでいればいいじゃない」

「やだよ!」

「どうして?」

「当主としての示しがつかないじゃん!」

 

歳久、義久、家久、義弘。

順番に発言した言葉の応答は、その全てが島津家当主として不釣合いな我が儘過ぎる内容だった。

最後に関しては娘全員が嘆息する。

既に示しなど付いていない。

咄嗟に口にしようとした歳久は言い過ぎだと思い直し、それでも言わずにいられなかったのか、唾棄するように貴久を評価した。

 

「かっこつけですね」

「格好はつけたいお年頃なんですぅ!」

 

駄目だ、この人。

義弘は素直に突っ込んだ。

祖父である島津忠良は60歳も半ば。

島津貴久は彼が二十代前半の子供だと聞いたことがある。

つまり単純な計算だった。

 

「お父さん、もう40越えてるじゃない」

「あー!」

「な、なに?」

「言っちゃった。義弘言っちゃった!」

 

気にしないようにしてたのに!

子供のように口を尖らす四十代の男。

そんな男に追い打ちをかけるのは、皮肉なことに実の娘たちであった。

泣きっ面に蜂。踏んだり蹴ったり。血も涙もないとはこの事だろう。

 

「事実ではないですか」

「そろそろ隠居する年齢よね〜」

「義久ヒドイ!」

 

泣きじゃくる貴久。

こんな当主の姿を家臣たちに見られたら島津家は瓦解してしまう。

しかし、それも一時的なものだ。

長女であり、落ち着いた性格と貴久に匹敵する大器を開花させつつある義久に家督を継がせ、事無きを得る可能性の方が高いのだが、此処で貴久に告げるのは少々酷というものだろう。

本格的に可哀想になってきた。

四姉妹は視線で意思疎通を図り、頷き合う。

当然ながら口火を切ったのは歳久だった。

 

「話を戻しますよ。忠棟の件ですが、彼を認めたのは父上なのですから私たちに文句を言われるのは困ります」

 

まさしく正論。

反論すら許さぬ一刀両断。

貴久は肩を落とした刹那、打って変わって目を輝かせた。まるで童心に戻ったように嬉々として語り出す。

 

「えー、そっかー。じゃあ、適当な罪状押し付けて島流しにするっていうのはどうかな」

「そんなの出来るわけないでしょ!」

「あらあら」

「源ちゃん可哀想!」

「無理かー。ならさ、あいつが加世田城から戻ってきたら夕餉に毒っぽいものを入れて寝込ますとか」

「ひどくない!?」

「あらあら、まぁまぁ」

「義ねぇの筆頭家老の話だよ?」

「うふふ、わかってるわ〜」

「……ならあいつ、戦でへろっと流れ弾に当たって……」

「え、なに?」

「最後何て言ったのー?」

「ううん、なにも言ってないよ!」

「……物騒すぎます」

「本当ね〜、ふふ」

「だから義ねぇの筆頭家老の話だってば、源太の為にもお父さんに——」

 

義弘の台詞は続かなかった。

終始隣で笑顔を浮かべていた義久だったが、改めて彼女の表情を視認してみると、目だけが笑っていないことに気付いた。

穏やかな微笑みの裏に隠れた激情。

久し振りに見た、と義弘は冷や汗を掻く。

優れた為政者という明るい一面。

敵対する勢力を容赦無く駆逐する暗い一面。

その二つを同時に兼ね備えた傑物。

それが島津義久。

島津四姉妹の長女の特徴である。

家族だからこそ知る長女の恐ろしさだった。

 

「源ちゃんにそんなことしたらお父様でも嫌いになるからね!」

「い、家久!?」

「そうね。私も嫌いになるかも」

「義弘まで!?」

「私は、まぁ政務処理として困ります」

「私は言わなくてもわかるわよね〜」

 

家久が吠え、義弘が便乗し、歳久も一応賛同した挙句、義久の放つ絶対零度の視線に屈服した貴久は、それでも現状の忙しさに不満を漏らした。

 

「でもでも。本当に困ってるんだもん!」

 

だがそれは嬉しい悲鳴である筈だ。

義弘の知る限り、島津家の治める領土は拡大している上に、金銭的な面に関しても順調に蓄えを増やしている。

島津家の悲願である三州平定に向けて、水軍の発足も視野に入れ始めているぐらいなのだから、その成長速度は推して知るべし。大隈平定へ動き出せるのは2年後辺りだろうか。

基本的な政務にしか取り組まない義弘は忠棟や歳久みたいな正確な数値を叩き出せないけど。

それでも確信を持って歳久に問いかけた。

 

「源太のお陰で財政状況は飛躍的に良くなったんでしょ?」

「ええ。南海航路の重要港である坊津の拡張と入港税の減少から、去年よりも倍以上の船が往来するようになりましたから」

「砂糖の製造も順調だもんね!」

「鉄砲も沢山買えたわね〜」

 

昨年、忠棟は忠良と貴久に献策した。

それは薩摩南西部に位置する『坊津』と内城の周囲に広がる城下町と隣接し始めた『鹿児島港』の拡張及び入港税の安価である。

元々、坊津は明国や琉球、東南アジア諸国との玄関口であった。日本の南西端に位置しており、どんなに悪天候でも船が繋留できる港は貴重だったからだ。それは黒潮の流れと天然の良港から成せる自然の恵みであった。

坊津が交易地として古代から栄えたのも必然と言えよう。

現にこの時代も、最大の貿易相手である明の寧波を出立した船は坊津か博多を経由して堺に向かっていた。逆もまた然りである。

忠棟は其処に価値を見出した。

入港税を安くしたのは船の往来を激しくするため。港を拡張させたのも多数の船を一度に繋留させるためだ。つまるところ、現代の言葉に直すのなら『ハブ港化』させてしまおうということである。

そして薩摩で製造した砂糖を売りつつ、南蛮商人から鉄砲や火薬を買い付け、気を良くした南蛮人を上手く転がして貿易拡大を狙う。忠棟の中では、堺などに赴く船も一度薩摩で荷下ろしをして廻船貿易という形を取らせるようにする構想があるが、それには堺の自治権を任されている36人の会合衆と舌戦しなければならず、未だ空想の域を脱していなかった。

鹿児島港の場合は、水軍の発足と共に兵站輸送能力を上昇させる為である。今後は陸だけでなく海の輸送にも取り組まなければならないから。腹が減っては戦はできぬ、だ。

結果、紆余曲折を経たものの、無事に忠棟の策は実行に移され、二つの港は今日も活気と熱気に包まれて発展し続けている。

そしてその発展具合を確かめる為に、貴久は川上久朗を護衛に付けて、忠棟を坊津へ派遣していた。

 

「祁答院良重と蒲生範清も服従したし、良いことばかりじゃない。お父さんの不満なんてちっちゃなものでしょ」

「そうなんだけどさぁー」

「私の率直な意見を申しますに父上は当主だから仕方ないかと。大隈も平定したら更に忙しくなるでしょうし、今の内に慣れておくのが得策と思います」

 

砂糖で得られた莫大な金銭。

それを背景に揃えた練度の高い鉄砲隊。

軍馬は奥州から買い付けた。

平定の準備は着々と進んでいる。

しかし十日前のことだ。

義久と貴久は伊集院家の三世代から共同でとある問題点を指摘された。それは誰も気付かなかった致命的な問題点であった。

義久はふと思い出す。

 

「あら?」

「どうしたの、義ねぇ」

「源太くんが言ってたんだけど、今のまま三州を平定したら行政を司る人の数が足らなくなるらしいのよ。だからね〜、二年ほど間を置いて、外城に置く者たちの育成を急いだ方が良いって言ってたわ〜」

「そう。俺もそれに賛成!」

「なるほど。領土を拡大しても治める人材が不足しているのですね。それは盲点でした」

 

戦国時代では珍しい島津家独特の外城制度。

それは京周辺の大名が『寄親、寄騎』制度を導入し、城の周辺に家臣を住まわせる城郭化を進める中、島津家は城の周囲を『麓』という集落で囲うといった珍しい軍事行政を取っていた。

つまり領有地拡大を図り、近接地域を平定していく過程で、各地の地頭を服従させていったが、服従させるにあたり、地頭たちの本城や砦を残しておき、要所に腹心の部下や有力な家臣を配置することによって領有地の維持に成功していった。

これは忠良よりも前に実行されていた制度であり、貴久の代になってようやく確立した物でもあった。

ただ余りにも急に領土拡大していけば配置する家臣の数が足らなくなる。そうなれば忠誠心の低い地頭に任せてしまうことになり、いつ反乱を起こされるかわからない不安な日々を過ごしてしまう。

そういう背景もあって、伊集院家の三世代は大隈平定を成し遂げる前に優秀な家臣を増やしておこうと進言したのである。

それは無事に受け入れられた。

薩摩国で反乱や一揆が起こらなければ、次に島津勢が動き出すのは最低でも2年後ということになるだろう。

今はまさしく富国強兵の時だった。

ただ休日に飢えている貴久の本意を知った義弘は、実の父親に対して人差し指を向けた。

 

「お父さんは働きたくないからでしょ!」

「働きたくないわけじゃないの!」

「じゃあ、なんなの?」

「休みが欲しいの!」

 

切実な訴えだった。

だからこそ義久は気付いた。

約一年前から疑問視していた答えに辿り着いた。

 

「もしかしてお父さん、源太くんを無理矢理にでも休ませる時があるけど……」

「あ、自分がゆっくりしたいだけなんじゃ」

 

ビクッ!

後を継いだ家久の言葉に、貴久の肩が跳ね上がる。声に出さずとも一目瞭然だった。

白けた視線を向けられ自然と頭が垂れる当主に、義弘はトドメを刺すようにぶっきらぼうに口にした。

 

「あーあ。お父さんのこと見直してたんだけどなぁ。源太の体調を心配してくれてるんだって」

 

源太、というのは複数ある忠棟の通称だ。

家臣に向ける親しみとは違う。

同世代だから感じる友情とも違う。

父親だからこそ感知した。

義弘の声に親愛の情が含まれていると。

 

「……ねぇ。さっきから気になってたんだけどさ」

 

貴久は娘の成長が恐ろしくありながらも、尋ねずにはいられなかった。場合によったら乱心せざるを得ないからだ。

 

「あら〜、どうしたの?」

「なにが気になるの?」

「どうしました?」

「なになに?」

 

嗚呼、愛すべき娘たち。

幾つになっても可愛らしい姿である。

戦国乱世。婚姻による他家との強い結びつきが叫ばれているが、貴久にしてみれば言語道断であった。

世継ぎは必要だ。

それでも、大事な我が子を何処の馬の骨ともしれない下賤な男に譲る気など毛頭ない。

だから。

お願いだから。

首を横に振ってちょうだいお願いします!

 

「……あいつと恋仲になりたい、なんてこと考えてる子はいない、よね?」

 

 

夜、貴久は人知れず泣き喚いた

問いの結果は知る人ぞ知る。

御家騒動にまで発展しそうな乱心に及ばなかったのは、誰にでもわかるような明確な反応を見せたのが一人だけだったからだ。

それでも、少しだけ忠棟に対して風当たりが強くなったのは娘を盗られた父親の嫉妬であるのは明白だった。

 

 


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