島津飛翔記   作:慶伊徹

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四十六話 島津義久から謀叛

 

 

二月二十一日、卯の刻。

朝靄に包まれる光明寺は俄かに騒然となった。

二刻ほどしか寝ていない俺も、報告に来た小南によって叩き起こされた。まさしく文字通りの行動である。怖いもの知らずなのか、三太夫の薫陶によるものなのか。

一度、御庭番衆の意識改革でもしようかな。

藤林ぐらいである。俺に慇懃な態度を取るのは。

寝惚けながら報せを聞き、その緊急性から直ぐに覚醒した。甘木に散る各武将を呼集。早朝だけど軍議を開くこととなった。

一刻もしない内に光明寺に集結した各武将。

名目上ながら総大将は俺こと島津忠棟である為、全員が揃い終わってから軍議の間に入ると、左右に並んだ全員が一斉に平伏した。

正直、好きではない。殿と呼ばれるだけで背筋が震えるのだ。義弘様や家久様以外、全員が歳上である武将から頭を下げられる。嘆息しそうだ。

義久は国許に。俺は家宰として戦場に。

二人で決めたことだけど如何も慣れない。

急いで席に座る。頭を上げるようにと言った。

ぞろぞろと皆が顔を上げる。

此処にいる全員が、俺を家宰として認めている。

だからこそ、邪魔者が全て九州北部に集った好機を見逃さずに奴らは日向の国で決起したのだと予想する。

勿論、毛利家の手引きがあるのも理解していた。

 

「既に皆も知っていような。日向国にて謀反が起きた。下手人は鎌田政広とのこと。他にも喜入季久、奈良原延なども加わっておるらしい。続々と増えような」

 

あくまでも平坦な声で告げる。

思ったよりも動揺は見受けられない。

事前に知らせたからか。

それとも予期していたのか。

どちらにせよ良い傾向だと思った。

此処で無闇に騒ぎ立てれば毛利家の思う壺だ。

 

「軍勢の数は如何に?」

「小南が言うには3000らしいよ、兼盛」

 

兼盛殿が顎鬚を摩りながら口火を切った。

こういう役柄に徹する辺りが非常に信頼できる。

反乱軍など鎧袖一触だと言わんばかりの態度。頼もしい。俺の籠城戦を手伝ってくれた時から変わらない威風堂々とした姿であった。

義弘様の返答に、梅北殿がはてと小首を傾げる。

 

「3000……。那珂群の地頭が動員できる兵力にしては、ちと多くありませぬか?」

「飫肥城主も呼応した。故に3000よ」

「なんと。真に御座りまするか?」

 

東郷重位が身を乗り出す。

雪さんの弟子として日に日に部隊運用が洗練されているらしく、三日前に起きた毛利勢との小競り合いも驚くほど活躍した。

何しろ名将として名高い吉川元春の軍勢と互角に渡り合ったのだ。落馬させた秋月種実は奪還されたものの、右翼が必要最小限の損害で留まったのは明らかに重位の功績であった。

毛利との合戦が一息吐いたら褒美を与えないと。

赤備えか、名刀か、領地か。

政務の才能は欠片も無いからな。

多分、赤備えを所望すると思う今日この頃。

 

「歴とした事実よ。既に飫肥城周辺を占領している」

「まさか、上原尚近殿まで謀反に加担するとは」

「何を驚かれる、有川殿。殿の家督相続に最後まで反対したのは上原殿であった。家宰殿に鬱屈とした想いがあるのも納得が行こうと言うもの」

 

山田有信殿が悪戯っ子めいた笑みを浮かべる。

事あるごとに家宰殿と呼ぶのは有信殿だけ。兼盛殿と並んで名将なのだが、人を揶揄う悪癖が玉に瑕である。雪さんにも何か吹き込みやがってこの野郎。

 

「して、如何なされまするか?」

「源ちゃんだから手は打ってあるんだよね?」

 

兼盛殿と家久様が期待の眼差しを向ける。

当然ながら手は施してある。

だが、今回は義久の管轄だった。

 

「無論。肝付城主である島津忠久殿、そして内城からは殿自ら6000の軍勢を率いて鎮圧に向かっているとの報せ有り」

 

島津忠久殿とは、貴久様の弟であらせられる島津忠将様のご嫡男。史実では島津幸久という名前として記録に残っている御仁である。

昨年元服したばかり。烏帽子親は俺が務めた。

元服したと同時に病床の忠将様から家督を継いだ忠久殿は、肝付城主として日夜政務に励んでいると聞く。

義久と忠久殿、約8000で進軍中であった。

謀叛が起きてから僅か一日で8000の軍勢を動かせる訳がない。なのに進軍している。つまり俺と義久は此度の謀叛を予期していた。

 

「早いな、流石は殿」

「阿呆、忠助。8000もの大軍を準備も無く動かせる訳あるまい。殿と家宰殿は事前に謀叛を予期していたのよ」

 

樺山忠副と樺山忠助。

三つ違いの兄弟である。

冷静な忠副と実直な忠助という組み合わせだ。

兄の忠副は史実だと菱刈合戦にて戦死しているものの、この歴史だと大前提として菱刈合戦が勃発していない為にまだまだ壮健の身であった。

 

「何処まで予期しておられたのですかな、家宰殿」

「そうよなぁ。有信殿はいつも難しい質問をお問い掛けなさる。有り体に申し上げれば、二ヶ月前と一週間前では予期する内容も違って当然だと見るべきよな」

「今だと毛利家が絡んでるって事?」

「然り。御明察に御座りまする、義弘様」

 

彼らの不満が昂ぶっていたのは気づいていた。

若い頃から義久と貴久様の覚え目出度く、武士らしくない振る舞いや逸脱した思考回路を毛嫌いする輩は決して少なくなかった。

その後、幸運なことに義久と夫婦となり、御家騒動を乗り越えて、貴久様から家督を奪った時点で謀叛が起こるのは既定路線だった。

義久を当主に据え、俺は島津家宰相となった。

貴久様の英傑ぶりに惹かれた者、忠良様の時代から島津家に仕えていた者、金勘定しかできない餓鬼が大手を振るう事に耐えられぬ者。

彼らの不満が燻っているのは知っていた。

そして昨年末に行われた評定が決定的である事も。

九州平定を成した後に行われる改革案の数々。楽市楽座、関所の撤廃、街道整備、本拠地移動、領地替えなど。島津仮名目録も作ると公言。

無論、歳久様が理路整然と説明した。断行される事で得られる利益も。だが、俺を君側の奸と蔑む者たちは反発する。そうやって憤怒させる為にわざわざ発表したんだけどな。

 

「小南の報告によれば、飫肥城の蜂起と時を同じくして、渡辺長を総大将とした5000の軍勢が志布志港に上陸。昨日には8000で志布志城を囲んでいる」

 

当初は飫肥城に集結するだろう反乱軍を、国許に残していた義久が一蹴する予定だった。家督相続で出来た膿を自分の手で出し切るのだと譲らなかった。あまり無茶して欲しくないのだが。

いつになく頑固な義久に根負け。

俺と義久、そして歳久様の三人で策を練る。

不満を抱く輩の殆どが集まってから、島津家の天下取りに邪魔な者たちを纏めて排除するつもりだった。他国が動けない初冬から春先に暴発させる形で。

しかし、全て絵に描いた餅となってしまった。

予想以上に早い大友家と龍造寺家の瓦解。毛利家の北九州占領。想定になかった一ヶ月以上に及ぶ出陣期間のせいでもあった。

 

「むざむざ上陸させてしまうなど言語道断。水軍は何をしておるのか!」

「落ち着かれよ、梅北殿。相手は有名な村上水軍なのだ。流石に厳しかろう。それに、よ。尼子と長宗我部に対して物資を送る役割も担っておる」

「御言葉ながら、兼盛殿。敵の上陸を阻止しなくて何の為の水軍であろうか。相手が村上水軍だからというのは何の理由にもならぬわ!」

「はい、二人とも落ち着いて。わかった?」

 

御意と項垂れる梅北殿と兼盛殿。

髪を伸ばした義弘様は気高くも美しい姫武将に育った。加えて、鬼島津と讃えられる軍略家に嗜まれては反論できないだろうな。

 

「でも、源太。国人衆の反発が怖いね」

「問題ありますまい。既に御庭番衆を放っておりまする故」

「ほう。家宰殿は抜かりありませんな」

「有信殿の申されることよ。殿の御威光と忠将様の治世。何よりも毛利勢は僅か5000なれば、これ以上増える宛のない毛利勢に同調する国人衆は現れぬと愚考致しまする」

 

志布志城にも2000の兵士を詰めてある。

義久も戦下手ではない。有能な家臣たちもいる。

それに--。

決起に参加した武将全員が、島津義久に反旗を翻した訳ではない。

既に奴らは気付かない内に内部から崩れている。

そんな保険でも掛けていないと安心できないからな。

 

「但し。時間が経てばどうなるか」

「国人衆に妙な気を起こす輩が出てきましょう」

「信房殿の仰せられる通りよ。毛利家による援護故か、新納殿も杵築城攻めに苦戦しておる。攻め落とすのに一ヶ月は掛かると書状が来た」

「ほう。ならば決戦しかありますまいな!」

 

重位がやる気満々だと言わんばかりに頷いた。

やいのやいのと即時開戦を求める。

お前は会津征伐時の伊達政宗かと突っ込みたい気分だ。部隊の運用は上々でも、決戦の日時を慮る知略に難ありか。

 

「その事も考慮しておる。皆、異議はあるか?」

 

正直な話、真正面からぶつかりたくない。

側面を衝ける新納殿を待ってから合戦に臨みたいのが本音である。相手は毛利元就。此処まで様々な手を打ってきた謀神なのだから。

だが世の中、己の都合が良いように物事は動かない。時には苦しい選択肢を決断しないといけない場面もある。

今回がその時だ。

特に、俺の懸念通りの事が起きれば--。

 

「腹蔵なく述べよ。相手は謀神。皆の知恵が必要だ」

 

その一言で軍議の間が活発化する。

全員、毛利元就の名前に怯んでいない。

毛利家など何するものぞと意気込んでいる。

義弘様や家久様と顔を見合わせて苦笑してしまった。

 

 

 

 

◼︎

 

 

 

 

二月二十二日、酉の刻。

福島川を天然の要害として対陣する両軍。

片方は鎌田政広率いる3000の軍勢に、闇夜に紛れて志布志港に上陸した渡辺長率いる5000を合わせた約8000にも及ぶ連合軍である。

もう片方は、島津義久を総大将とする6000の軍勢。都城にて一夜休息を取った後、志布志城から二里離れた場所に陣を構える。肝付城から出陣した島津忠久は2000の兵を携えて胡摩ヶ崎に着陣した。

 

「数は互角ね」

「はっ」

「源太くんは何か言ってたかしら?」

 

軍議を終えた義久は、本陣に神部小南を呼んだ。

高橋紹運を救い出した時の傷痕が残るものの、既に万全の状態で日々任務をこなしていた。僅か一日と半で甘木から志布志まで駆け抜ける健脚からも見て取れる。

 

「内応者がいるとしても油断なさらぬようにと」

 

謀叛に及んだのは鎌田政広を筆頭に、上原尚近、喜入季久、種子島恵時、奈良原延であった。他にも若過ぎる島津家宰相に嫉妬する者、先代を無理に隠居させた事に対して憤怒した者なども続々と集まっている。

元は島津家の家臣だった。

だが、今は獅子身中の虫だ。

義久にとってしてみれば排除すべき敵と云える。

昨年末に歳久に宛てた書状から、忠棟が頭を下げて『かの者』に協力をお願いしたと知った。即ち内応者である。様々な情報が逐一義久の耳に届けられたからこそ、鎌田政広謀叛から僅か三日で志布志まで到達できた。

 

「心配性ねぇ、源太くんは」

 

一ヶ月以上会っていない旦那を思い浮かべる義久。

心配されていると知り、赤く染まる頬に手を添えて嬉しそうに微笑んだ。

 

「仕方ありませぬ。数にして互角。福島川を渡って志布志城を救うのは、決して簡単ではありますまい」

「忠久くんは初陣だもの。あまり無理させられないわね」

「然り。されど忠久殿の働きこそ肝要。側面を突けば敵の陣構えも崩れましょう。というのは忠棟様のお言葉です」

 

此処で島津義久が敗れれば、九州南部はがら空きとなる。島津の本隊が毛利元就に釘付けとなっている間に本国が蹂躙されるは必至。毛利家の援軍を5000も呼ばれたのは痛かった。

 

「ふふ。分かったわ」

「余裕がありますね、殿」

 

キョトンとする小南。

義久は意味深に笑った。

 

「私だって島津家当主よ。戦の心得もあるわ。島津家の繁栄に水を差す人たちが相手だもの、容赦しなくていいものね」

 

小南はゾクっと背筋を震わした。

 

「では策が?」

「ええ。源太くんほど鮮やかな策じゃないけど」

「私に出来る事があれば、何なりと」

「小南は筑前に戻らなくてもいいの?」

「忠棟様から殿のお側に付けと命がありました」

「あらあら、心強いわ〜。よろしくね、小南」

「勿体無きお言葉」

 

忍に冷や汗を流させる義久の覇気。

裏腹に一転して童女のような微笑みを見せる。

忠誠を誓った相手の凄みに、小南は心から平伏した。

 

「ねぇ、小南。志布志城に潜入できるかしら?」

「容易きこと」

「そう。なら頼みごとがあるのよ」

「はっ。何なりとお申し付け下さりませ」

 

一言、二言。

義久から耳打ちされる。

書状を受け取り、小南は直ぐに出立した。

闇の帳に身を隠し、百地三太夫に教えられた志布志城の抜け穴を潜れば容易に潜入できる。志布志城主に文を渡せば喜ぶだろう。

 

「…………」

 

義久は本陣にて瞑目したまま鎮座する。

実の父親から家督を継ぐ時に聞いた。

当主たる者、心に一匹の鬼を飼わなければならない。例え重臣だとしても厳しく処断しないといけない時もあるのだと。

忠棟には任せられなかった。

彼らを罰するのは当主である自分でなければ。

 

「申し上げます!」

 

夜は深まる。戌の刻になった。

刹那、御庭番衆の者が本陣に駆け込んだ。

片膝を付いて、頭を下げたまま口を開いた。

 

「昨日未明、坊津に毛利勢上陸。大将は小早川隆景。凡そ5000の軍勢、内城に向かいて進軍しつつあり!」

 

ゆっくりと義久は目を開く。

 

「そう。やはり来たのね」

 

呟いた一言は冷笑を含んでいた。

 

 

 

 

◼︎

 

 

 

 

二月二十二、巳の刻。

時間は少し遡る。

志布志にて島津義久が陣を構えた頃、月の無い夜を選んだ上陸作戦を完遂した小早川隆景は、5000の兵を率いて一心不乱に内城へ向かって進軍していた。

殆どの兵士は九州北部にいる。

抵抗も散発的な物しかなかった。

がら空き同然の薩摩国を我が物顔で進む。

足下を疎かにした島津家の狼狽が目に浮かんだ。

 

「父上の読み通りですか」

 

内城にて本国を護っていた島津義久は、大隅国にて暴れている裏切り者を討伐する為に出陣したばかり。

既に志布志にて着陣した頃だろうか。

本国の危機を知り、取って返せば逆に背後を突かれる。どうにもならない現状、義久隊の士気はどん底にまで下がるに違いない。

このまま内城を占拠し、渡辺長と鎌田政広の連合軍が義久勢を破れば、島津家との合戦は大勝利で終わる。

西国の殆どを手中に収めれば天下は目前だ。

毛利元就の年齢、後継ぎである輝元の凡庸さ。この二つの理由から隆景と元春は是が非でも此度の戦に勝たなくてはならなかった。

 

「もうすぐ、もうすぐ……!」

 

焦る気持ちが言葉に現れた。

もうすぐで敬愛する姉の墓前に報告できる。

長女として生を受け、誰よりも優しく毛利家を包み込んでいた毛利隆元。心優しいだけでなく、嫡女として優れた素養すら持ち合わせていた。

内政面に於いては父親である元就にも引けを取らなかった隆元が亡くなった時、誰も彼もが心底から絶望した。毛利元就が最も失意の念を浮かべたのかもしれない。

隆景は見ていられなかった。

元春は悔しさから一層修練に励んだ。

立ち上がった元就の眼には狂気があった。

 

「あと少しです。あと少しで--!」

 

元就は正気に戻る。

元春は泣かずに済む。

輝元は安心して家督を継げる。

隆景は姉の墓前にて手を合わせられる。

 

 

 

「やはり来ましたか」

 

 

 

ふと声が聞こえた。

毛利家の宿願を破壊する声音が響いた。

坊津と内城の間である『谷山』に布陣した軍勢。

その数、約4500。

率いる将は言わずと知れた名将だった。

 

「忠棟殿の背中、護るとしましょうか」

「承知致しました、義姉上」

 

雷神にして鬼、戸次道雪。

大友家の両翼の一端、高橋紹運。

天下に名を轟かせる猛将が、毛利の宿願の前に立ちはだかった。

 

 

 

 






本日の要点。


1、忠棟「謀神怖いけど決戦するか(震え声)」


2、義久「裏切り者に罰を、邪魔者に死を(嘲笑)」


3、道雪「悪ィが、こっから先は一方通行だ。侵入は禁止ってなァ! 大人しく尻尾ォ巻きつつ泣いて、無様にもとの居場所へ引き返しやがれェェェ!!(迫真)」



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